集落

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千葉県木更津市(2)、呪詛による結界、道切りのある集落

千葉県木更津市(1)、潮干狩り場の電柱群
千葉県木更津市(3)、木更津港周辺とフェリー埠頭跡
千葉県木更津市(4)、木更津駅西口界隈の街並み(前編)
千葉県木更津市(5)、木更津駅西口界隈の街並み(後編)

東京湾アクアラインは平成9年(1997年さ)12月18日に開通しました。

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東京湾アクアラインの開通によって、木更津 - 川崎間の距離が約100kmから30km、所要時間も約90分から約30分へと短縮されたそうです。(Wikipediaより)

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そして現在、2012年4月にオープンした三井アウトレットパーク木更津に、都心から人が押し寄せています。

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そんな木更津市を今回、木更津駅前の観光案内所で借りたレンタルサイクルで巡ります。いつも利用しているハローサイクルは千葉市より南、房総半島には全く無く、1日800円(平日)の観光レンタルサイクルを利用。でも、Bianchiのシティサイクルだから良し。

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今回の目的はこちら。三井アウトレットパークに隣接する牛込集落に見られる道切りです。

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道切りとは全国的に散見される民間信仰の一つで、地域によっては辻切りとかフセギなどとも呼ばれています。道に縄を渡し、様々な物を吊るす。例えばこれは海老を模った物と思われます。

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この地域では各お宅の玄関先にも飾られていました。一般的には曲がり角(辻)に飾られる事が多いとか。

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この道切りとは端的に言えば厄除け、あるいは魔除けになります。

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このように集落の入り口に縄を張り、疫病や災厄、悪人などが入らないようにする呪詛の一種で、結界を張る訳です。

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海老は縁起物と言う理由で飾られているそうです。

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タコは悪い物を吸い取ると言う意味とか。他にもサイコロ、タワシを模した物、絵馬、杉の葉などが吊り下げられていました。ちなみにサイコロはロクでもない博打うちが居るような村だから入ってもしょうがないよと言う。

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牛込地区は海沿いの田園地帯に小集落が散在しています。一組、ニ組、三組と分けられてますが、この集落は恐らく稲作を生業としていた村かと思われます。

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集落の中のY字路、いわゆる辻に張られている道切り。こちらには杉の葉しか飾られていませんでした。

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新築家屋の玄関先にも注連縄が飾られています。地域によってバラバラですが、この地区は2月の初旬に新しく張り替えられるそうです。

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こちらも集落の外れ、電柱が利用されています。近年、車が通るのに邪魔と言う理由から、道切りの風習は失われつつあるそうです。

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これも海老でしょうか。一般的には草鞋や巨大な男根などが多いそうです。この村には大男が居るよ〜アピール。あとは未完成の草鞋を掲げて、この村のモンは草鞋もロクに編めないから、入って来てもしょうがないよ〜みたいな。そう言う卑下して余所者を入れないパターンもあるとか。

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とにかく地域差が多岐に渡ります。特にこの集落のように各家庭毎に正月の注連飾りのように飾られているパターンは稀なのかも知れません。

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ここは牛込地区の別の集落。辻に注連縄が飾られていますが、よく見ると去年飾られた注連縄も残っています。

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海が近くなって来ました。「潮干狩りの牛込海岸へようこそ」の看板。今年の観光潮干狩りは3月15日からだそうです。

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海沿いの漁村にはこの飾り以外、道切りを確認する事が出来ませんでした。もしかしたら時期が違うのかも知れません。

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門前に縄だけが渡らされている状態。やはり時期の問題か。何しろ民間信仰になるので、いついかなる経緯で全国に広まったかなど、研究はされていますが謎な部分も多いとか。

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海沿いの漁村はアサリ漁と海苔の養殖を生業としています。海苔の養殖棚の向こうにはアクアライン。左端には富士山も望めています。

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神社の注連縄にも何か吊るされています。道切りと関係があるのでしょうか。

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集落の北端からは京葉工業地帯。金網でしっかり区切られています。

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ふと、超廃屋が見えました。柱しか残ってないのに建っている。

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千葉県の東京湾岸は海風が強いので、生垣も防風林の役目を成しています。道切りは日本における村社会の象徴的な風習とも言えます。排他的で狭い世界に籠るような、日本人の民族性も見えて来ます。

次週へ続きます。

群馬県伊勢崎市(4)、境町の銭湯さくら湯

利根川北岸からの帰り道として考えた時、東武伊勢崎線の境町から電車に乗って館林と久喜で乗り換えて帰るより、岡部まで戻って高崎線で帰る方が断然早い。しかし自転車で走る距離が倍以上ありもう足が限界なので、近くの境町を選びました。自転車で楽しようと思っても。結局無茶してしまいます。あと、赤城山から吹き下ろす風が向かい風で、体力を相当持ってかれました。

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利根川の支流である広瀬川を渡った辺り、中島地区に差し掛かった所で「フセギ」を発見しました。

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フセギとは村に結界を張り疫病や厄災などを入れないと言う風習のひとつ。ほぼ全国的に存在し、辻切りとか道切りとも言われます。

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この地域は神社のお札を下げる形ですね。フセギは以前、埼玉県東松山市でも見つけましたが、いつか特集記事みたいなのを組みたいです。

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境町市街に入りました。去年訪れた際に見つけられませんでしたが、素晴らしい建物がまだまだありました。

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まだ4時過ぎだと言うのに、日が短くなりました。それにしても、歩いて散策するのと比べて自転車で巡るのと格段に効率がいいです。

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荒物とは雑貨より大きい、ほうき、ちり取り、ざるなど簡単なつくりの家庭用品だそうです。

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と言うわけで、前回境町を訪れた時に立ち寄れなかった銭湯、さくら湯で汗を流します。

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この看板の時点でテンションが上がります。

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まるで倉庫のようなコンクリート建築。渋過ぎます。

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これが本当のコンクリート打ちっぱなし!
昭和25年創業。屋根の形のひさしが有ったんですね。

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ロッカーも有るけど、地元の人たちは籠に衣類を入れる。お風呂セットもボトルキープのように並んでいます。常連さんがまだまだ居ると言う事ですね。岡部に戻らず境町に来て良かった。

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かなり年季の入ったマッサージ機。動くかは不明。

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一番風呂に入っていた二方の御老人が帰られた後、内部の撮影を許可していただきました。

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カランの上の照明が、玄関先に付いていたような照明。やられた。素晴らしいです。

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井戸水を薪で沸かして薬湯に仕立てたお湯は42度。緑色の湯船は薬湯よもぎ湯。気持ちよくお風呂いただきました。

群馬県伊勢崎市(3)、蚕種で栄えた島村集落と渡し船跡

利根川中流域の南は埼玉県、北は群馬県ですが、群馬県伊勢崎市の南端にあたる利根川の南岸に一部群馬県の飛び地があります。こう言うのを河川飛び地と言うそうです。

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その飛び地である島村集落の西南側に田島弥平旧宅があります。蚕の種を作る養蚕農家なのですが、ここが世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」に含まれています。

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こちらが田島弥平旧宅の母屋。実際に今でも住まわれているので一般公開されるのは毎月第三日曜日のみ。普段から公開されているのは一つ上の写真に写る桑場、蚕の種を作る小屋のみです。

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桑場には当時の道具などが展示されています。島村集落は江戸中期より蚕の卵、いわゆる蚕種の製造が盛んでした。しかし蚕の飼育は難しく、年によって生産量の差が大きかったため、田島弥平は各地の養蚕方法を研究し、蚕の飼育には自然の風通しが重要であるとの考えから清涼育と言う方法を開発し、安定した蚕の生産に成功しました。

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養蚕農家は風通しを良くするために屋根の上にヤグラ(越屋根、天窓ともいう)が乗っておりますが、この養蚕農家の目印とも言える近代養蚕農家の建築様式は、ここが原点となったそうです。まさに明治からの近代養蚕業の父とも言えますね。

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田島弥平住宅の東側に田島達行住宅があります。この周辺には田島一族の養蚕農家が密集しており、しかも江戸末期の母屋や石垣が残されています。また各農家ごとに蚕種生産者としての屋号を持っており、こちらの農家は對青盧(たいせいろ)と言います。建物は慶応2年(1866年)竣工。

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こちらは桑麻館。どちらも重要文化財であると同時に普通に生活している民家のため、当然ながら勝手に敷地に入るわけにはいきません。時代とともに建て増しや多少の改築はありますが、母屋の基本的な部分は変わっていません。

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田島善一住宅主屋、屋号は進成館。慶応年間(1865〜1868年)に建てられた入母屋造りで、一階に住居、一階の一部に桑場、二階が蚕室となっています。

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こちらは田島平内住宅で屋号は有隣館。明治元年(1868年)竣工。この田島家一族は島村集落の蚕種を生産する生産者集団で会社を立ち上げ、海外への輸出も行っていたそうです。当時の集落はまさに栄華を誇っていたのでしょう。

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こちらは田島定吉住宅主屋で屋号は栄盛館。文久元年(1861年)竣工。上毛地域は伊勢崎や桐生など毛織物産業の一大拠点でしたが、ここで生産された蚕種が北関東一帯の養蚕農家に運ばれて行ったのでしょう。

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こちらは文化財に指定されていないためか、建物を説明する看板がありませんでした。とは言え、こちらも年代を感じる木造建築で、景観としても保存されているのが窺えます。

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もちろん田島一族の養蚕農家が密集している集落南東部以外にも養蚕農家が散在しています。文化財指定こそされてなくても瓦屋根の大棟とか鬼瓦とか見事。

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重要文化財にされていると言う事で見に行った板倉。私有地なので中に入れないし、ただの板で出来た倉です。歴史的価値はよく分かりませんが、観光パンフに載っていたので行って見ました。場所も分かりづらいし、ちょっと観光地として中途半端なところ。

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日本の絹産業にとって重要な役割を担った事も当然ですが、同時に景観としてこのような立派な日本家屋が多く残されている集落である事も、世界遺産に含まれた要素のひとつだったんだと思います。しかし、群馬県の河川飛び地の集落に世界遺産があると言うことを、一体どれだけの人が知っているでしょうか。かく言う私も今回初めて知りました。

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こちらは集落の南東部に建つ日本基督教団島村教会、めぐみ保育園。この本館の建物は明治30年(1897年)建造で国の登録有形文化財に指定されています。一応観光パンフの地図に施設名だけは載っていますが、詳しい解説は書かれていません。

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そして道路の向かい側には昭和28年建造の保育園の別館が建っていますが、こちらは県境を挟んで埼玉県深谷市に入ります。こちらも共に国指定登録有形文化財。教会の創立は明治20年(1887年)で昭和30年(1955年)より保育園が開設されました。

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島村集落の北側には利根川が流れています。河川敷の方へ歩くと島村渡船船着場の表示が。

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しかし河原にはすでに何も残っていません。実は2019年の台風被害により渡し船が運休。そのまま復活する事なく2022年の10月、正式に廃止となってしまいました。利根川の向こうは伊勢崎市境町。以前訪れた伊勢崎銘仙の織物工場で栄えた街があります。

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島村から下流側に3キロ行った所に掛かる上武大橋を渡り、島村渡船の境町側船着き場へと来ました。土手の上にポツンと残るほったて小屋が、かつての船頭の詰め所です。

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かつてこの渡し船は立派な「県道」と言う扱いになっており、その歴史は江戸中期からと伝えられているとか。船はFRP製の9人乗り(船頭含む)でモーターボートのエンジンを2機付けていたようです。

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島村集落の方々の足であるとともに、地味ながらも観光資源でもありました。しかし車社会になり年々利用者も減っていたのでしょう。現在では境町駅から上武大橋を迂回してコミュニティバスが運行されています。

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南岸の島村側からは黄色い旗を掲げて呼んでいたようです。台風の被害に遭った後、伊勢崎市は市内全域の市民にアンケートを取ったそうです。その結果、利用しない、または利用したいとは思わないとの回答が67%に達したため廃止が決定したそうです。まず、全域って言うのがおかしな話で、島村地区の方々を対象にアンケートを取るべきではなかったかと。

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こちらは廃止直前まで使われていた船とは違うようですが、恐らくは渡し船として使われていたと思われる船。せっかく世界遺産に含まれたと言うのに、観光資源としても上手く利用出来なかったと言う事です。境町の歴史的建造物を巡りつつ、木の船で利根川を渡って養蚕農家の家並みを巡ると言う、それだけで充分魅力があると思うのですが。あるいは島村集落の方々が観光地化に乗る気じゃなかったなんて事も考えられますが、あくまでも想像の域を出ません。

埼玉県小鹿野町、両神小学校大谷分校跡

今から5年前の2017年、一度訪れた両神小学校大谷分校跡に再訪しました。

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小鹿野から白井差口行きの町営バスに揺られて小森川沿いを登り、前回訪れた時と同様大谷橋で下車。山間部は霧が立ち込め小雨が降り続いています。

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5年前のGWは清々しい天気でした。

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定点観測しても大して変わって無いのですが、ついつい同じ場所で撮ってしまう。

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秩父地方は山深いので、民家へのアプローチも強烈です。まぁ私の実家も似たようなものですが。

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石垣と階段が素晴らしい。足腰の弱くなった高齢者にとっては大変かも知れませんが、こう言った山村に暮らすご老人は大抵足腰が強靭に出来ているんですよね。

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大谷橋バス停は大谷橋を渡り上流に向かって右手(左岸)ですが、目的地の廃校跡があるのは下流の右岸。この辺りは大谷集落と言います。

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こちらは2017年5月に撮影した両神小学校大谷分校跡。昭和46年廃校。以後、林間学校などに利用されており、校庭にはバーベキュー施設も完備されております。

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こちらが現在、2022年7月の状態。いまだちゃんと利用されているようで、外壁のペンキが綺麗に塗り直されています。

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2017年5月、運動場から。傾斜地に建っているので、裏に回ると二階が玄関になっています。

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現在の様子。前回同様、玄関前には真新しい靴などが置かれており、今でもちゃんと管理されている様子。

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校庭を挟んだ反対側斜面からの俯瞰。2017年5月。

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こちらは2022年7月撮影。なぜ同じ場所をまた訪れたかと言うと、前回訪れてからずっと引っかかっていた事があるからなのですが……

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実はこの斜面は墓地になっております。小さな墓石が倒れていたりしていて荒れ果てていたんです。やはり以前来た時と変わらず、管理されていないように見受けられます。過疎化が進み戻ってくる人も減ってしまったからでしょうか。

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ただ以前来た時、首のないお地蔵さんや石仏などが幾つも放置されていたと思ったのですが、片付けられたのでしょうか、そう言った物は今回確認できませんでした。ずっと引っかかっていたのは前回その光景にゾッとしてスルーしてしまった事で、後から考えればあれは廃仏毀釈の爪痕だったのではないかと。

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2017年5月撮影した分校跡の下、道路沿いにあった祠。木像が無造作に立て掛けられています。

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その祠は崩壊。石垣の下に残骸が積み上げられています。しかし新たに小さな祠が建てられていました。

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簡素な造りですが、ちゃんとお祀りされていてホッとしました。木像は相変わらず立て掛けですが。

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廃仏毀釈とは簡単に言えば、明治政府の神仏分離政策が引き金となり、それまで蓄積されて来た檀家制度や葬式仏教に対する不満が爆発。神社、つまり鎮守の神様と仏教がはっきり区別された事によって、仏教に関する物に対する焼き討ちや破壊が全国的に広がった事件の事です。その痕跡が田舎などに行くとたまに残ってたりするのです。
今回その日本の黒歴史とも言える廃仏毀釈運動について掘り下げてみようと思ったのですが、結果的に片付けられていました。

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2017年当時、解体工事中だった廃屋。

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その跡地に廃材の山。予算の関係で廃材を処分出来なかったのでしょうか。

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今回目的の物は撮れませんでしたが、なにしろ両神地区はバスの本数が極めて少ないので、一度に一箇所しか巡れません。他に廃校跡が三箇所ほどあるのですが、また次回この辺りには来ようと思っています。

【日記】埼玉県秩父、小鹿野地方攻略その1

東京都八王子市、上恩方郵便局とボンネットバス

高尾駅から陣馬高原下行きのバスに乗り30分弱、口留番所と言う関所のあった関場バス停で下車。

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バスを降りると陣馬街道の関所が置かれた村というだけあって屋敷門の見事な邸宅が目に入ります。

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その近くに建つ上恩方郵便局が今回の目的地。最近日本郵便が「エモい郵便局図鑑」と言う企画をインスタで発信し始めました。そのファイルNo.1で紹介され、写真を見た瞬間衝動的に行ってみたいと思った次第。

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この郵便局は昭和13年(1938)に開局。当時の建物がそのまま残り、現在でも営業が続けられています。営業中なのでなんか中に入り辛く遠慮してしまいましたが、話せば中も撮影させてくれたかもしれません。この辺、ヘタレで後悔が残ります。

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ネタとしてもう終わってしまいましたが、陣馬街道を外れ北浅川の支流である醍醐川沿いに歩いて行きます。

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しばらく歩くと「炭焼き三太郎」という炭焼き小屋が現れます。どうやらここでは炭作り体験なども出来るよう。確かにこの地域は林業をはじめ養蚕や炭焼きなどを生業として来たようですが、後々調べてみたところこの炭焼き三太郎の正体は元社会党議員、市議も4期務めかつての労働運動の闘士とも呼ばれ、現在NPO法人「日本エコクラブ」理事長を務められている方だそうです。

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そもそもなんで醍醐川沿いに散歩したかと言うと、たまたまGoogleマップで怪しい建物群を発見したから。道路から川向こう、木々に隠れた建物をストリートビューで確認し、もしや廃村では⁉︎ と思った次第。

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現地に着くと対岸まで物資を運ぶ簡易ロープウェイが。確かに木々の向こうに建物らしき物が見えます。しかし、なんか雰囲気が廃墟っぽくない。

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違う。明らかに何か違う。何というかキャンプ場とかバーベキューとか、そう言った娯楽の匂いが。ここは廃村などではない。

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近くの民家をふと見てみたら、またしても炭焼き三太郎!
どうやら子供たちに里山体験をさせる「醍醐山房」と言う施設のようです。山道を30分以上歩いて来ましたが収穫無し。そんな事もあるでしょう。

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なんか悔しいので集落の神社に行ってみたり。

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倒木!
エラい事になってます。

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最後に「夕焼けこやけ触れ合いの里」に保存されているボンネットバス。しかしここ、植物園や夕やけ小やけを作詞した中村雨紅の資料が数多く展示されている公園に入るてめに、入場料が取られます。なので望遠で撮影。
このバスは昭和42年(1967)製のいすゞBXD50で、長野県の伊那バスで使われていたものを昭和57年(1982)に西東京バスが購入。2007年5月まで八王子から陣馬高原まで観光客を運んで来ました。

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