鉄道博物館

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東京都国分寺市、鉄道総合技術研究所

国分寺駅と立川駅の間、国分寺と立川それぞれの最初一文字目を繋げた国立駅の北側に、公益財団法人鉄道総合技術研究所があります。ちなみに国立市の名前もこの駅名から採られており、また鉄道総合技術研究所より北は国分寺市になります。

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公益財団法人鉄道総合技術研究所(以下・鉄道技研)の敷地までかつて中央本線からの引き込み線がありました。

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平成7年(1995年)廃止となった引き込み線は現在遊歩道として活用されています。

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施設構内には試験線が敷設されており、かつては環状線だったところが引き込み線の廃止と同時に南側と東側の線路が廃止。現在では往復で試験運転されています。

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トンネル内部の覆面(内壁)でしょうか。鉄道技研では車両はもとより軌道、架線、トンネル、鉄橋、ATS等のシステムまで、ありとあらゆる鉄道関連の研究開発が為されています。あのSuica(自動改札機)も最初はここで開発されていたとか。

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車庫の中に路面電車(LRT・ライトレールトランジット)が見えます。鉄道技研はJR各社が出資する公益財団法人ですが、地方鉄道を含めた日本の全ての鉄道に関する研究開発を担っているようです。

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奥に謎の車両が見えます。車体にはRailway Technical Research Institute(鉄道技研)の文字が書かれています。

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敷地内の試験線では燃料電池ハイブリッド車の試験走行がされていました。燃料電池ハイブリッド車とは、減速時にモーターが発電機として機能して発生した電力を蓄電池に貯め、加速する際の電力供給源になると言う物。現在、ハイブリッドシステムの制御方法を改良しエネルギー効率の向上を目指すことや、燃料電池への負担が小さい制御方法などの研究開発を行っているそうです。実用化されれば非電化路線の気動車(ディーゼル機関)が全て燃料電池ハイブリッド車に入れ替わり、CO2排出削減に貢献出来るでしょう。また同時にJR北海道やJR四国など気動車大国の経費削減にも貢献出来る事でしょう。
ちなみに烏山線で走っているEV-E301系「ACCUM」は、リチウムイオン蓄電池に充電した電力で走行するもので、充電のために起点と終点の駅に電車線設備を用意する必要があります。

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鉄道技研の施設の周りを時計回りに一周しましたが、途中謎の施設が。最初、架線が低い事からパンタグラフの開発でもしてるのかなとか想像しましたが。

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これが実は「autometed rinear-motor pneuetic-tire sistem」と言い、ゴムタイヤによる支持及び案内と、リニアサイリスモーターによる駆動を特徴としたリニアモーターカーだそうです。リニア駆動といえば横浜市営地下鉄グリーンラインや都営大江戸線を始めとする各地の地下鉄や中国の広州地下鉄4号線などで実用化されています。しかし鉄輪式と違いゴムタイヤ式では転がり抵抗の大きいため実用化されませんでした。札幌地下鉄や各地の新交通システムはゴムタイヤなんですがね。

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この鉄道技研は明治40年(1907年)帝国鉄道庁鉄道調査所として新橋駅構内に創設されたものが前身となります。その後昭和20年(1945年)、戦時疎開で国立分所開設。昭和34年(1959年)当時浜松町にあった本社もこちらへ移転となりました。

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正門の向かい、国分寺市のコミュニティーセンターであるひかりプラザがあります。

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ここに昭和44年に製作され昭和47年に時速286kmと言う世界最速記録を更新した951系試験車が保存されています。同世代は12系客車とか457系交直流急行型電車とか西武の初代レッドアロー号とか。

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車内は展示スペースとなっております。

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こちらが世界最速記録の記念プレート。

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運転席にも入れます。

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昭和の国鉄車両っぽさ全開のアナログ運転席。スイッチ類がめちゃ多い。

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コミュニティーセンターの一部には鉄道技研の歴史に関する資料が展示されています。戦前の弾丸列車計画から新幹線、リニアモーターまで。ちなみに鉄道技研の敷地内には歴代のリニアも保存されているのですが、10月14日鉄道の日に近い週末のお祭りの時にのみ一般公開されるそうで。
訪れたのが10月24日。遅かった!
ともあれ日本の鉄道の発展を支えて来た機関である事がわかります。国鉄時代のリニア開発に於ける税金の無駄遣いとかガスタービン車の失敗とか色々ありますが、日本の鉄道を世界に誇るレベルまで持って来た立役者である事に間違いありません。


【日記】大宮の鉄道博物館(今更)で息抜き

この夏はあまりにも暑いので、たまにはブログ記事の事も考えずに冷房の効いた所でゆっくりしたい。と言う事で、いつか行こうと思いながら何年も先送りにし続けて来た大宮の鉄道博物館に行って来ました。

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まず最初に迎えてくれたのはEF5851。私らの世代で言えばまさに昭和を代表する名機ですね。

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高校時代、コイツの追っ掛けやってました。実家が箱根なもんで、根府川鉄橋は踊り子55号撮りによく通った。ミカン畑の中で場所取りして、ウォークマン的なポータブルカセットレコーダーでユーミンや杉山清貴なんか聴きながら、ミカンをつまみつつ何時間も待ちました。いや、ミカン泥棒だし、今の時代じゃ許されないし。いや、当時も許されなかったけど問題にまでならなかった「いい加減」さが有った。

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もし埼玉住んでたら89号機追っ掛けてたでしょう。自分にとって田端機関区は遠い。

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ギリ東大宮までは行きましたが。

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1960年まで活躍していた「マイテ49」なんかは世代的に銀河鉄道999から入りました。NゲージでC62-2とつばめ編成揃えたりしてね。あー、山口線を走る現代のマイテに乗りたい。
すいません、もう察した方も居られるのではと思いますが、何言ってんのか分かんねって方、今回は突き放します。

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ただ、マイテの内装は実際に見て感動しました。漆塗りがエグい。

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これでも当時の桃山調の内装は、太平洋戦争と高度成長期によって失われてしまった技術が多すぎるため完全再現出来ていないそうです。

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昭和2年(1927年)に導入された客車、オハ31の車内。昭和14年に導入されたオハ35系、いわゆる旧型客車は山陰本線などで現役時代にギリ乗れましたが、これはさすがに乗れなかった。ちなみにこの車両は昭和58年まで津軽鉄道でストーブ列車だった車両ですが、私が津軽鉄道を訪れたのは昭和63年だったのですでにオハ35系に更新(?)されており、5年遅かった。
やっぱ私は旅と言えば旧客かキハ58系か115系か50系なんですよね。思い入れと言う観点で言えば。もちろん歴史的資料としては非常に興味深いのですが、今回はそう言うスイッチが入ってなかった。

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豆相人車軌道。鉄道の歴史を語るに於いて人車軌道は外せませんね。

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なんでしょう、L特急に対して感動を覚えない自分が居ます。思い出として寝台車とか鈍行列車とか地方ローカル私鉄には思い入れが有るのですが、この辺は趣味の問題と言うより乗ってなかったから。基本青春18きっぷ利用してたし。

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鶯谷駅のホームで撮った写真は昭和60年。何気に殆どの特急は見るばっかりで乗った事がありません。特急と言えば上越新幹線開通後、社会人になってから185系の特急「水上」に新潟のスキー帰りで乗ったり、185系の特急「踊り子」で熱海に行ったり。なので181系や183系、485系などにはほとんど乗っていないのです。

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それよりも何よりも20系寝台が1番好きでした。寝台急行「銀河」と「新星」でしか乗った事無いですがね。寝台特急は貧乏だから乗らない!そのお陰で急行「妙高」で10系寝台も乗れましたが。

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個人的にここに食い付きました。行商人のためのベンチて!
今では恐らく絶滅してしまったのでしょう。昔は千葉から来られて秋葉原で京浜東北線や山手線に乗り換える行商の方とか見かけましたがこのベンチ、つい最近まで土浦駅に有ったと言う事に衝撃を覚えました。こう言う物を展示保存すると言う、この時点で鉄道博物館スゲーと思ったし、来て良かったと思ってしまった。ツボがピンポイント過ぎてごめんなさい。

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0系新幹線の車内。青梅鉄道公園では車内に入れなかったんですよね。ただ、0系新幹線は一回しか乗ってない。

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いや、小田原駅で撮ってるから、2回ぐらいは乗ったのかも知れない。記憶が曖昧です。

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戦前の国鉄のキハ04系気動車はATS搭載の対象外とされたため、国鉄線上にATSが完備された昭和41年(1966年)をもって営業運転を終了したそうです。私の時代的に辛うじて走っていたのは、払い下げ先である岡山の同和鉱業や関東鉄道常総線などでしたが、実際に乗れなかったのが悔やまれます。キハ20、35、40、58世代なもんで。
ちなみにこのキハ04は筑波鉄道で活躍した後、つくば市のさくら交通公園 でD51の隣に静態保存されていた車両だそうです。

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日本食堂のカレーが超美味かったけど写真撮って無いと言う。ブログ記事の事なんて微塵も考えてなかった。

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屋根の上の冷房設備がピカピカなのが鉄道模型っぽくて、なんかリアリティーを感じられなくて萎える。模型的にはヴェザリングでしたっけ。これ言っちゃ身も蓋も無いのですが、国鉄車両は走って乗ってナンボだと思いました。音や景色、シチュエーションありきと言う。
なんでしょう、期待値が高過ぎて、だけど行ってみたら意外と冷静でした。今まで敢えて行かずに東武とかメトロとか東急とか小田急とか青梅とか「以外」の鉄道博物館に行き過ぎたからでしょうかね。

※上野の立ち飲みで酔っ払いながら書きました。

東京都青梅市(1)、青梅鉄道公園

前回、小田急のロマンスカーミュージアムを訪れ3000系SE車の懐かしさに震えた、その流れで青梅鉄道公園に行ってきました。

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青梅鉄道公園の開設はなんと昭和37年(1962)。歴史ある施設ですが、青梅駅から結構坂を登ります。

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いきなりメインディッシュですが、ここ青梅鉄道公園には0系新幹線が保存されています。

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0系新幹線は前回触れた小田急3000系を開発した三木忠直(設計)や島秀雄(国鉄技師長)らによって、昭和39年(1964)の新幹線開業に合わせて誕生しました。新幹線は知っての通り、当時世界で初めて時速200キロを超える営業運転を実現。その記録は19年後の1983年、フランスのTGVが登場するまで保持されました。残念ながら現在コロナ禍に伴い車内は公開されていません。

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そしてこの0系新幹線は平成20年(2008)に定期営業運転を終了しました。実に44年間、とは言っても車両そのものは改良が加えられた物へ次々と置き換えられて行き、昭和61年(1986)製造の38次車までマイナーチェンジを繰り返しながら製造され続けていました。
ただ自分としては夜行列車や各駅停車で旅を続けて来たため、料金の高い新幹線には数回しか乗りませんでしたが。

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そんなわけで他の展示車両に移ります。こちらは首都圏や関西圏の通勤電車として昭和7年より導入された旧型国電のクモハ40-054。自分の世代ではギリギリ小野田線や鶴見線、可部線などで乗る事が出来ました。

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[追記]1984年頃だと思いますが湯河原〜熱海間で撮ったこの旧型国電、当時国府津電車区に在籍してたクモハ40-054かと思いましたが、右上にガラリがありません。元々鶴見線大川支線で使われ、現在東京総合車両センターに保管されているクモハ12052の可能性が高い。

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その旧型国電に近付こうとすると、コイツらがいきなり喋り出してビビります。要注意。

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旧国(かつて旧型国電をそう呼んでいた)の隣に置かれているのは昭和7年(1932)製造のC11の1号機。

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その後ろに置かれているのは、日本最後の新造蒸気機関車のE10。巨大なボイラーと唯一動輪が5つある急勾配専用機。奥羽線の板谷峠などで活躍しました。

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青梅鉄道公園は主に蒸気機関車が多く展示されています。こちらは昭和15年製造のD51-452。日本の代表的な機関車として、入り口を入ってすぐのところに展示されています。

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大正3年(1914)製造の8620。8600型蒸気機関車(ハチロク)は大正時代を代表するC型(動輪3本)機関車ですが、何気にこれが一番好きかも知れない。やっぱカッコいい。

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九州で動態保存されている車両があり「SL人吉」として今年も春以降の週末などに運行されます。2020年11月には「SL鬼滅の刃」として無限プレートを掲げて走り話題になりましたね。時代背景といいガチの無限列車、見に行きたかった。動態保存の状態である事はあるけれど、さすがに古すぎるためいつ引退になってもおかしくないので、一度は乗りに行ってみたいところ。

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大正2年(1913)製造の9608。9600型蒸気機関車もまた大正時代を代表するD型(動輪4本)機関車です。まぁ端的に言えば8600は昭和で言うC62に相当し9600はD51に相当するみたいな。ちなみにこの9600型は宮崎駿の映画「風立ちぬ」に於いて関東大震災のシーンに登場していました。

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明治時代にまで遡るともう分かりません。そもそも英国製である2221型は明治38年製造。それでも貨物入れ替え用などに昭和30年頃まで使われていたとか。

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明治30年(1897)英国ベイヤーピーコック社製造の5540。明治時代の蒸気機関はやはり産業革命の国、英国からの輸入品なんですよね。初の国産蒸気機関車としては明治26年(1893)に860型が英国蒸気機関車を模して造られましたが、部品などは輸入品だし信頼性に欠けていました。そのため第一次世界大戦で輸入が途絶えた大正期になって初めて、純国産と言える9600型や8600型が造られるようになりました。

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最後に青梅線と言えばこの昭和6年製のED16-1型電気機関車。石灰石を運ぶ貨物列車などで活躍していました。さよなら運転の際、新宿駅で撮った記憶があります。
青梅鉄道公園はその展示内容が要所要所を押さえており、さらには貴重な1号機が保存されているなど、歴史ある施設だけに結構充実した内容でした。

神奈川県海老名市、ロマンスカーミュージアム

今回は小田急一色で参ります。内容もかなり鉄臭いですwww
小田急ロマンスカー50000系VSE車が今年3月11日のダイヤ改正で、定期運用から外れてしまいます。

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あまりにも早い引退。自分としては鉄道車両の中でも近年稀に見るカッコ良さと思っていましたが、まさかです。登戸駅のホームから撮影したら並走する各駅停車とカブりました。まさかです!
このVSE車は連接車体で、短い車両の繋ぎ目に台車が1台と言う特殊な構造。故に改修するのにも費用が掛かってしまうと言うのが引退の理由のようです。カッコいいのに短命といえばJR西日本の500系新幹線もそうですね。まだこだま運用で生き残ってはいますが。

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そんな小田急ですが去年の4月、海老名駅に併設される形でロマンスカーミュージアムがオープンしました。ここは以前より行こう行こうと思っていました。

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まずは3000系SE車。この前面の形は1957年、国鉄技術開発研究所との共同開発で誕生した超軽量高速車両の試作車の形状に復元された物です。試作車は完成後国鉄の高速試験で時速145キロと言う狭軌での世界最速記録を叩き出しました。後にその技術は新幹線へと受け継がれていきます。

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この扉の上部が半円形になっているのが印象的。当時はなんか宇宙船をイメージしましたが、今では頭ぶつけそう。
ちなみにこの車両は特攻ロケット兵器の桜花を開発した三木忠直(後に0系新幹線や懸垂式モノレールを開発)や、D51蒸気機関車の主任設計者で弾丸列車計画にも携わった島秀雄(後に0系新幹線の開発に携わり宇宙開発事業団の初代理事長に就任)が開発に関わり、当時日本最先端の技術の粋を集めていたそうです。

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車内は何度もリニューアルされていますが、1992までの35年間現役で運用されていたのも凄いですね。私が子供の頃は「さがみ」と「あさぎり」のみの運用だったので乗る機会も少なかったのですが、何度か乗りました。

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反対側の先頭車両は営業運転当時の形になっています。引退からミュージアム開業までの30年間、よくぞ残っていてくれたと思いますが、鉄道に於ける歴史的価値を考えれば当然とも言えます。

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こちらは恐らく中学生の頃に撮った現役当時の写真。箱根出身と言うことで地元なもので、小田急の写真はあまり撮ってなかった事が悔やまれます。

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3100系NSE車。小田急ロマンスカーを代表するパノラマ展望台付き車両です。

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自分が最も回数多く乗ったロマンスカー。

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少年時代から高校時代まで、家族で新宿に出る時などに乗っていました。

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ヘッドライトのデザインなんかはウルトラ警備隊を思わせます。1963年に運用開始と言う、想像以上に歴史ある車両でした。自分が産まれる6年前から走っていたとは。ただ、子供の頃から毎日のように見ていた車両なので、当たり前過ぎて一枚も現役当時の写真を撮っていません。

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子供の頃、この運転席に憧れて小田原の工業高校の電気科に進学し、小田急の採用試験を受けました。しかし学科はクリアしながら面接で落ち、ヤケになって上京する事となります。

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こちらは1987年に登場した10000系HSE車。帰省などで乗りました。7000系は自分の中で特に当たり前過ぎる存在だったので、普通にスルーしてしまいました。

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1990年から2012年まで活躍した、20000系RSE車。「あさぎり」としてJR御殿場線経由で沼津まで走っていました。

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当時はJR東海の同型車両があり、東海道新幹線以外の在来線による東京乗り入れが話題になりましたね。そのJR東海の車両は東海道新幹線を思わせる塗装で、同時代の1985年から2000年までの間は二階建て車両を連結した100系新幹線も活躍していました。

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二階建て車両には電子レンジ、冷蔵庫、ドリンクサーバなども完備されており、80年代から90年代に掛けてののサロンカー全盛期を思わせます。

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昭和2年、小田急開業当時の車両、モハ10。貴重な車両ですが生活と共にあったロマンスカーに興奮して、それどころじゃなくなりました。

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改めてVSE車。言葉にすると薄っぺらくなってしまいますが、現代の観光列車の中でも「未来的」と言う言葉が合っています。この未来的と言うコンセプトはSE車の時代から受け継がれて来たように思います。

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そして現在最新のロマンスカー70000系GSE車。いいんだけども、やっぱり連接台車のVSEの方が見た目気持ち悪くて好き。

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余談ですが小田急と言えば白に青のライン。ただ現代ではステンレスのシルバーが鉄道の常識となってしまったので、この8000系が最後の小田急らしい車両だと思います。(新造車両でチョコレート色を出した阪急はスゲーと思う)

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そんな今では最古参となってしまった8000系が、新車として東海道線から小田急線内に入線して来た当時の写真がこちら。1982年の小田原駅にて。

群馬県安中市、碓氷峠鉄道文化むら

廃線跡を歩き横川まで戻って来ました。碓氷峠鉄道文化むらに寄るのですが、今回は内容がかなり鉄寄りになってしまうと思われます。

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碓氷峠鉄道文化むらは1999年4月、廃止となった横川運転区の跡地に開園されました。

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こちらでは廃線跡を使ってEF63の実機による運転体験も行われています。体力と時間があればやってみたい所ですが。写真は旧信越本線跡を走行中のEF63の25号機。

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現在動態保存されているのは他に右から12号機、奥に24号機、左の11号機の合計4両あります。

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館内に入るとEF63の10号機が当時の検修庫に保存されています。

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側面ルーバーが外され機関室が丸見えです。1963年、碓氷峠越えの時間短縮のために国鉄はアプト線を廃止し、粘着走行(普通の動輪とレール)による複線化された新線を開通させました。しかし66.7‰と言う急勾配を列車が走行するために後押しする補助機関車が必要となり、ハイパワーな専用機関車としてこのEF63が開発されました。

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こう言う狭くて緑色な国鉄車両の雰囲気が大好きです。この補助機関車は登り坂では列車の最後尾を後押しし、下り坂では先頭に連結して暴走させないよう制動ブレーキをかけながら走行していました。その際、常に2両一組で増結されており、いかに勾配が急だったかが窺い知れます。

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こちらは昭和末期のレトロブームにあやかり、あえてブドウ色(こげ茶)に塗装された18号機。確かに13号機までの一次機は当初ブドウ色でしたが、この二次機は当初青とクリーム色の国鉄色でした。かつて御召し塗装のEF5861がアイドルのように持て囃された時代がありました。自分的には鉄っちゃん全盛期でしたが、あくまでもリバイバルカラーだったのである意味シラけてしまいました。

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こちらは試作機である1号機。子供の頃、運転席の窓ガラスがHゴムなのが常識だった時代に、アルミサッシを採用したこの機関車を近未来的でカッコイイと思っていました。細部に渡りそれまでの電気機関車とは一線を画す存在感がありましたね。

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しかし中学高校と進むに連れて、EF63と同じ1963年に運用開始された信越本線の主力機、EF62の方が好きになっていきます。どうでもいい話なんですがね。

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ちなみにこちらのEF62は東海道本線にEF58の代替機として転用された12号機の現役時代。1984年に信越本線の貨物列車が廃止となった事によりEF62の余剰機が発生し、暖房設備が搭載されていた事も理由に東海道本線の荷物列車牽引機として第二の人生を送りました。写真は転用された当時に撮影したもの。しかし1986年に荷物列車が全廃された事により、転用されたEF62たちは1987年の国鉄分割民営化までに廃車となりました。
一方故郷である信越本線のEF62たちは横川運転区が廃止となる1999年まで、臨時列車の牽引などに活躍していました。
すいません、かなり話が脱線してしまいました。いや、鉄の話で脱線とか言っちゃいけない。

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碓氷峠の話に戻ります。こちらはアプト式旧線が廃線となるまで活躍していたアプト区間専用機関車、ED42。

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前の台車と後ろの台車、それぞれに主電動機を1基づつ搭載しており、この連結棒(カップリングロッド)で各動輪に駆動が伝達されます。さらにアプト式歯車の駆動用として歯車駆動用主電動機1基を搭載。言うなればトリプルエンジンと言う事でしょうか。とんでもない機関車です。

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展示スペースとして利用されている検修庫は極力当時のままの形を残しています。

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実際修理や検査に使われていた工具も棚ごと残されています。これは一部のマニアにはたまらないでしょう。

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他にも旋盤やボール盤など金属加工機器も。

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こんな物も残っています。昔のコンピュータみたいな?

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鉄道文化むら以外にも、碓氷峠の登り口あたりにある日帰り入浴施設、峠の湯の隣にあるコテージに、個人所有のEF63-22号機があります。雨晒しで結構劣化が激しいですが。

以下、碓氷峠とは関係のない展示車両たちなので、余談になります。

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検修庫の裏には全国から集められた車両たちが屋外展示されています。

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まぁ、碓氷峠とは関係ないので細かい説明は省きます。

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1965年製造1986年廃止のDD53-1。新潟から旭川、新庄へと転属して行き、除雪作業などで活躍しました。

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1937年製造のSL。D51-96。廃車後1977年、埼玉県の長瀞町にオープンした長瀞SLホテルに使われていたとか。やはり電気機関車と比べてデカいです。

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1934年製造のEF53-2。戦前から戦時中にかけて東海道本線の特急列車などを牽引していた機関車。しかし戦後、EF58の登場によりその座を後継に譲って高崎第二機関区へ転属。1963年には急勾配補助機関車に改造されEF59-11として生まれ変わり、山陽本線の瀬野〜八本松間で第2の人生を送りました。引退後、高崎運転所にて元の姿に復元されました。

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こちらはそのEF53から改造されたEF59-1(元はEF53-8)。これらの機関車はいずれも1980年代前半に、約半世紀にのぼる長い現役生活を終えました。10代の頃いわゆるセノハチにEF59を撮りに行った事もありました。
何いちいち解説してんだろうと一瞬冷静になりましたが、詳しく調べ始めたら止まらなくなりましたので続けますwww

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EF58-172(右)とEF30-20。
1958年製造のEF58-172は当初大阪の宮原区で、後に宇都宮区で活躍していました。この172号機は一度だけお召し列車の牽引をしており、1985年の引退後は高崎車両区に留置されていました。
1968年製造のEF30-20は関門トンネル専用機で、錆に強いステンレス車両となります。

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EF58と時を同じくして貨物列車専用機として製造されたEF15-165。EF58形とは外見こそ違えど台車や電気機器など主要部品が共通化されています。

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EF60の500番台501号機。1963年、20系寝台特急の牽引用としてEF58の後を引き継ぐ形で製造されましたが、2年後の1965年にはさらに高速運転可能なEF65が製造されたため、貨物列車等の牽引へと回されてしまいました。

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こちらが1965年、EF60の500番台から東海道本線のブルートレイン牽引を引き継いだEF65-500番台。機関車の花形とも言えるブルートレインの牽引は、その後1977年にEF65の1000番台へと引き継がれてゆく。

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1962年から1980年まで秋田や盛岡で活躍し、1986年に廃車となったDD51の1号機。DD51は現在でも全国の非電化区間の主力ディーゼル機関車として活躍しています。電気機関車は幹線の電化に合わせて戦前より多く製造されて来ましたが、非電化路線では戦後もしばらく蒸気機関車が主力でした。これは日本が戦後もしばらく石炭を多く産出していたのに対し、重油は輸入に頼らなければならないと言う理由からでしょうか。

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北陸本線の主力機として1962年に製造開始された交流電気機関車EF70。こちらの1001号機は20系寝台特急牽引に対応するため、1968年に22号機を改造した車両です。

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1967年から1986年まで常磐線などで活躍していた交直流電気機関車、EF80-63。昔は上野駅まで客車列車を牽引して来ました。

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碓氷峠鉄道文化むらには他に客車や気動車なども展示されていますが、キリがないので端折ります。
なんか昔行った大宮機関区の公開イベントなどを思い出して興奮してしまいました。て言うか当時大宮で見た覚えのある車両もおり、久々の再会となりました。
ただ、心配なのは雨晒しであること。京都や大宮の鉄道博物館のような屋内展示とは違い、錆などによる劣化が激しく修繕するのも大変なんじゃないかと思います。実際いくつかの車両には応急措置としてブルーシートが掛けられていました。東京からも離れているので、経営難にならなければいいのですが。

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あとご注意頂きたいのが平日は飲食店が休業している事。園内の飲食店は土日祝日営業となります。平日のお昼ご飯は、横川駅の立ち食い蕎麦か駅近くの中華料理店か、駅前の峠の釜飯ぐらいしかありません。

旧アプト線廃線跡もご覧下さい。
群馬県安中市、旧信越本線旧線の廃線跡(前編)
群馬県安中市、旧信越本線旧線の廃線跡(後編)

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