路地裏飲食店街

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神奈川県横浜市神奈川区(5)、六角橋のアーケード商店街

東急東横線白楽駅より線路の西側を並走するように南下する六角橋商店街。

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1926年(昭和元年)に東急東横線白楽駅が開業し、1928年(昭和3年)末に市電六角橋線が開通したので、商店街はその頃より広がって行ったのだと思います。

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最南端部は県道12号線(横浜上麻生道路)に突き当たります。1968年(昭和43年)までこの辺りに横浜市電六角橋線の終着駅がありました。また、家系ラーメンの有名店「六角屋」もかつてありましたが2017年に六角橋本店が閉店、2020年に破産したそうです。現在では創業者(故人)の弟が立ち上げた会社が店名を引き継ぎ、戸塚と新横浜のラーメン博物館にて存続しております。

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その商店街の西側に続く狭いアーケード商店街、ふれあい通りを今回は歩いて行きます。

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県道側から白楽駅に北上する形で歩いて行きます。

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この商店街の面白さはほとんどの建物が建設当時の木造建築で、アーケードゆえに雨晒しにならない事から木造剥き出しの外壁が残っている所にあります。

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1階の軒上にマネキンが立ってたりもします。首が疲れるくらい上ばっかり見て歩く。

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たまたま最近、神奈川大学の方で仕事があって通うようになりました。六角橋商店街は以前よりテレビなどでも紹介されていたので気になっていましたが、実際歩いてみるとその古さは衝撃的でした。

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商店街はシャッター商店街の様相もあり廃業されている店も多くありますが、人通りは多く賑わってはいるので、新たに改装してオープンした若者向けの店なども見受けられます。

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当時の看板などがそのままだったりするので驚かされます。話を聞けばこのアーケード、戦後の闇市が発祥だとか。

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仕事終わりに立ち寄ったりもします。この商店街の飲食店はみなトイレが共同となっていますが、入り口が狭すぎます。

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アーケードの中ほど、路地に面したカウンターのみのおでん屋「かずさや」さん。左側の離れたカウンターに座ろうとした所「こっち入んな、コタツで暖かいから」と5人の大先輩方のど真ん中に座らされました。マジか!ww

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生も割り物も350円、おでん1個80円〜。安い!地元の方々と和気藹々と楽しく飲ませていただきました。

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上を見上げれば木造アーケード。昭和20年代に形造られて行ったアーケードですが、当時の物でしょうか。

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トイレは左手から裏に廻った共同トイレ。

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やっぱ狭い!右手の斜めの壁はお店の階段の裏側だと思うのですが、急過ぎてすでに梯子。

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そんなわけで、しばらくこの「かずさや」さんには通わせていただきます。
ちなみに4月4日放送の「出没!アド街ック天国」で六角橋商店街が特集されるのですが、その番組内でこのお店が紹介されるそうです。ここには人が押し寄せて欲しくないのですが、ブログで紹介している自分だって他人の事言えませんね。まぁ自分の場合はほぼ影響ありませんが。

茨城県ひたちなか市、勝田に残るバラック居酒屋群

水戸駅のひとつ先、阿字ヶ浦海水浴場や那珂湊漁港へ向かうひたちなか海浜鉄道の起点駅でもある勝田駅を訪れました。ひたちなか海浜鉄道には以前茨城交通時代の廃車両を撮りにちょっとだけ乗りました。

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勝田は日立グループの工場に囲まれています。西側には鉄道車両工場やビルシステム、南東には現在アメリカの投資信託に買われてハイコーキと社名を変えた元日立の電動工具工場。さらに南には陸上自衛隊勝田駐屯地もあります。

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西口はいきなり車両工場なので東口を南に歩いて行きます。潰れたビリヤード場など、ちょっと廃れた雰囲気も。

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メインストリートは南北に走る表町商店街。人通りは少なくシャッター商店街と化しています。

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表町商店街沿いの古いビル。百貨店か何かだったのでしょうか。

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その向かいの通りを入るとバラックのような居酒屋長屋があります。商店街としては死に体ですが飲み屋街としてはまだまだ現役と言った感じです。

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廃業した飲み屋さんなども混在していますが、現役のスナックなども多くあります。

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地方の飲み屋街の特徴ですが駐車スペースが有ったりします。もちろん今では飲酒運転の取り締まりが厳しいですが、昔はゆるく飲んで運転して帰るなんて事が日常的でした。その辺が厳しくなった結果、地方では家飲みが多くなり飲食店が減って行きました。

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スナックやキャバクラが今だに元気なのは、工場勤務で徒歩圏内やタクシー圏内に住んでいる方が多くいると言う事。もちろん常磐線やひたちなか海浜鉄道で通勤されている方もいらっしゃるでしょう。

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あとは自衛隊基地が近いのも大きいですね。自衛隊ある所に繁華街ありです。

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常磐線の線路近くに行くと、今では居酒屋になってますが元料亭だったと思われる建物が多くあります。

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髪結いなどがある事から、この辺りがかつて花街であった事が想像できます。

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大谷石なども使ったコンクリート建造物。街灯には粋泉商店会と書かれていますが、残っているのは広いコインパーキングと飲み屋のみ。

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そして飲み屋街の南西の外れ、非常にそそる一帯が残っています。

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ここよりずっと北にある常陸多賀の塙山キャバレーを彷彿とさせるようなバラック飲み屋街。塙山キャバレーはテレビ番組「ザ・ドキュメンタリー」ですっかり有名になってしまいましたが、生き残っている店は少ないものの似たような場所が勝田にもありました。

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若い方がリフォームして新たに出店したのでしょうか、新しい感じの店もあります。

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裏に回るとこんな感じ。すでに何軒か解体されてしまってますが、かつては狭い路地裏飲食店街の雰囲気があったのでしょう。

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当然と言いますか、トイレは共同トイレです。ぜひ一度夜に訪れてみたい。

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こちらは潰れてから随分経っている様子。

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道路の向かい側にも同じような区画があります。いやぁ興奮する。

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まだ営業されているかどうか、夜に来てみないと判別出来ない。

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こちら側は交差点に面した3軒だけが残っており、裏手は全て解体済みとなっています。

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敷地の奥に共同トイレだけが残されています。こう言う光景は以前訪れた今はなき西浦和のバラック居酒屋を思い出させます。消える前に飲みに行かなければ、絶対後悔する。

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裏側から見るとこんな感じです。裏の建物が解体される前に来てみたかった。

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全国でもこのようなバラック飲み屋街が、あとどれほど残されているのか。消える前に更に探さなければと痛感しました。

茨城県水戸市(2)、花街跡の歓楽街と赤線地帯跡

前回の続き。さて今回は水戸の繁華街を巡ります。

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まずは水戸駅から1番遠い栄町界隈のスナック街から。

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茨城県の歓楽街と言えば土浦と水戸。この二大都市はどちらも栄えていましたが、私が見た感じでは土浦の方が寂れた雰囲気がありました。もっとも土浦の市街は駅周辺しか歩いてませんが。

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なんて言ったって水戸は日立に近いってのがあります。日立グループにあやかってると言う部分が大きい。しかし町そのものは京成ホテルや京成デパートなど、京成グループが幅を利かさせいる印象がありますね。常陽銀行とか水戸証券とか元気無いし。

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と、そんな関係ない話で間を待たせないといけないくらい、スナック、キャバクラ街が広い!

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例えばこのスナックビル、建築年代はギリ昭和でしょうか。さすが県庁所在地と言ったところでしょうか、寂れた雰囲気はほとんどありません。

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妖しいなぁ、窓の塞ぎ具合とか、めっちゃ風俗感が。

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飲み屋街の外れにはラブホがあります。右側の建物なんかは窓を塞いでいて風俗店の雰囲気。

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通りと言う通り、夜のお店しかありません。しかもそのほとんどが現役ってのが、さすが大都市。経済的にも地元での雇用先が多いのか、土浦と比較して過疎化の雰囲気がありません。

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南側へ進んで行くと住所は大工町に変わります。この界隈にはかつて花街がありましたが、空襲を経てその痕跡はほとんど見られません。ただ名残りとして同じ場所がスナック街となっております。

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旦那横丁飲食店街のアーチ。奥に見えるのが水戸市街のメインストリートでもある国道50号線。ちなみにその50号線は笠間市や筑西市へと続いています。

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国道50号線を南に越えると街の様子が一変します。住所が天王町に変わるこの界隈は、いわゆるソープ街であります。

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ただキャバクラ業界と違い、お風呂業界は不況の煽りを強く受けて潰れる店も多くあります。かなり大型店だったのかまるでホテルのような廃墟。

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裏に回るとこんな感じ。後背地は丘陵の南端で崖地となっております。

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そんな中、超ド派手な店舗が。ここはかつて水戸を代表する巨大ソープ(当時はトルコ風呂)のクイーンシャトーと言うお店でしたがバブル崩壊の時期に閉店、その後30年以上廃墟のままだったそうです。しかし近年改修工事の末に新規オープン。この規模となると解体費用も億を超えるそうですが、改修にしても長年放置されてきた建物だけに相当な費用がかかっていると思われます。
ちなみにこの色使いはアレですね、元々はバブル期に歌舞伎町を中心にテレクラのリンリンハウスから始めた新宿ソフトと言う会社から始まり、他にも漫画喫茶のマンボー(森下不動産)やビデオボックス(株式会社大倉ビル)、出会い系サイト、株式会社ロボットレストラン(現在はサムライレストラン)、ホテル事業のワタナベ商事、ラーメンの博多風龍、イメクラのクリスタル系列、女性求人サイトのバニラなどなど、全て別会社でありながらも関連グループであると言う。まぁ夜の風俗王と呼ばれる森下グループと言うやつです。

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さて、市街地を一気に抜けて駅の近くまで。国道の南側に水戸東照宮と言うのがあり、その右手(西側)に渋い飲み屋街が連なっています。

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路地は徐々に丘陵の際、下り坂となって行きます。

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大衆クラブキャンパスワンの看板がありますが、当然ながら廃業しています。

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その隣の建物も元はスナックだったか居酒屋だったか。

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丘陵地を降りると奈良屋町となりますが、この一帯はかつての赤線地帯でした。崖下の狭い通りは戦後に栄えた通り。

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名残はほとんど残っていませんが、廃業した居酒屋の跡などが見られます。1918年(大正7年)、この奈良屋町が出火元で水戸の中心街約1100戸が焼けると言う水戸の大火がありました。

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水戸の大火の後、ここ奈良屋町には大工町などの花街とは別に市内に点在していた私娼が集められました。谷底の大通りは大正当時から私娼窟があった場所。

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こちらは唯一当時の姿を残す建物。水戸には陸軍の第2聯隊や第14工兵大隊があったため、遊郭が無い代わりにここ奈良屋町の私娼窟が栄えたとか。

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当時の屋号が微かに残ってますが、昔の漢字過ぎて読めない。しかし1945年(昭和20年)8月2日、水戸の大空襲で再度焼け野原となります。

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この神社は当時からあったのでしょうか。戦後の奈良屋町は進駐軍用の特殊慰安婦街として指定され、見事に復活を遂げます。

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崖の上は水戸東照宮の裏手になります。翌年の1946年(昭和21年)、GHQによる公娼廃止指令により赤線及び青線が引かれ特殊喫茶店の名目で続きますが、1958年(昭和33年)の売春防止法の施行まで続きました。その後はスナック街として残りましたが、現在ではご覧の通りごく普通の住宅街となっています。

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奈良屋町の谷を南に下り、水戸東照宮の東側へと回り込みます。何やら古そうなビルが。

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ここは東照宮の東側の宮下銀座商店街。3階建ての古い雑居ビルが連なっています。

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空襲で焼け落ちた水戸東照宮が1962年(昭和37年)に再建されますが、同じ頃この商店街が誕生しました。商店街は登り坂で水戸のメインストリート国道50号線へと抜けます。

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デザインが統一された雑居ビルが両側に連なりますが、かつてはアーケードの屋根も設置されていました。国鉄ストアなどもあり商店街として大いに栄えていたそうですが、現在では半分以上が飲み屋街となっています。

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こちらは帰り掛けに寄った駅に近い立ち飲み屋「ニューたけさん」。

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なんと営業時間が午前11時から朝の4時まで、土曜日は24時間営業と言う素晴らしい店。しかも煙草は吸えるし駅近だしで言う事ありませんでした。

栃木県真岡市、古山地蔵尊と真岡の街並み

インスタで非常に惹かれる写真を拝見しまして、実際に行って見たいと思い立った次第。情報はいつも二番煎じと言う後ろめたさを感じつつも居ても立っても居られなくなり、このクソ暑い中出かけました。

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てなわけで水戸線下館駅。去年の2月に花街の痕跡を辿ったりしましたが、今ではなんとシェアサイクルが観光向けに置かれるようになっていました。

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しかも今ではヒロサワシティにもサイクルポートが置かれているとか。もっと早く設置してくれていたら、バス停から長距離歩いたりタクシー使う事もなかったのに。そんな訳で今回は何かと利用しているハローサイクルで目的地へと向かいます。

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まだここは茨城県筑西市下館なのですが、消防小屋でしょうか、にしては火の見櫓も無いし。ただかなりの年代物かと。

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結城街道を西へ。貸家でしょうか4棟の木造平屋建て住宅が密集してました。

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貸家にしては造りが凝ってる感じもしますが、ほぼ廃墟と化しています。

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と思ったら1番奥のお宅は住まわれているご様子。

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市街地を抜けると広大な水田地帯が広がります。用水路の水が溢れんばかりで、遠くには筑波山の山陵。

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茨城県と栃木県の県境を越えたところ。栃木県真岡市に入ると道は森の中へ。入り口には「この先大型車両は通り抜け出来ません」の文字が。

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やがて森を抜けると古山集落に入ります。その道の先には……

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見事に行く手を阻むお地蔵様。以前、港区の広尾で道の真ん中に鎮座するお地蔵様を撮りましたが、こちらは自動車道の真ん中です。

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こちらは古山地蔵尊。500年ほど前、この地は薬王院の境内もしくは参道で、お地蔵様を移動したところ、火の玉が転がったとか災いがあったなどと言われ元の場所に戻したとの事です。

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お地蔵様の両脇は軽自動車であれば通り抜ける事ができます。

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後で調べてみると毎年7月24日、地域の世話人により、お地蔵様の両脇には100年前より掲げられているのぼり旗が立てられ饅頭が供えられ、夕刻には地域の人々が集まりお参りし、饅頭も配られるそうです。
……来週じゃねーか!

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ちなみに以前、ナニコレ珍百景でも取り上げられたとか。ちょっと萎える。ただ今回の目的は早くも達成。

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お地蔵様を見るためだけにここまで来たようなものでしたが、来週に行事がある事やテレビで取り上げられていた事を帰りの電車で知りました。相変わらず事前調査が甘い自分。

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北支事変軍馬碑。北支事変とは日中戦争の事だそうです。馬の産地で送り出し戦死した軍馬たちの慰霊碑でしょうか。馬頭観音様も寄り添っています。

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ついでと言っちゃなんですが、真岡鉄道のSLなぞを撮影してみたり。真岡のSLには2019年の春に乗っていますが、走行中を撮るのは初めてです。煙吐かないなぁと思ったら前日の18日、不具合により8月以降の運転日を削減すると発表されました。

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恐らくは後ろのディーゼル機関車(ED10)が後押しして、シリンダーへの負担を軽減しているのかも知れません。汽笛は鳴らしているので乗る分には良いのですが、撮影する事の魅力が減ってしまうかも。

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下館のサイクルポートに電動アシスト自転車を返却して昼食。去年2月に入った筑波軒さんで。

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まだ営業されていて安心しました。大将はかなりのご高齢なので。

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メニューはラーメン450円とワンタン麺500円、あと大盛りのみ。広い店内ですが、かつては2階にお座敷もあったのかも。

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やはり黒い!でも見た目ほどしょっぱくもなく、とにかく味が濃いい。美味いです。麺が黒ずむぐらいの醤油味ですが私的には大好きです。

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改めて真岡鉄道で真岡駅へ。真岡は端的に言えば宇都宮から見た鬼怒川の対岸の街です。綿花から作る木綿産業で栄えた街なので、養蚕産業とは一線を画しています。倉庫や蔵は大抵大谷石造りですね。

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真岡駅の駅員さんに言えば500円でレンタルサイクルを貸してくれます。電動アシストは付いてませんが、たいした距離ではないので充分行けます。真岡駅の東、市内を流れる五行川を越えたところで、ほぼ崩壊している廃墟が。昭和初期のコンクリート建築物でしょうか。

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中心街まで行けば真岡木綿会館があります。木綿産業は明治時代より海外製品が流入した事によって激減。この辺、絹織物産業とは違う歴史を辿ります。

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その向かいにある久保記念館。明治40年建築のこの建物は日本銀行宇都宮代理店真岡出張所真岡支金庫として使われていたそうですが、その久保貞次郎氏は美術評論家だったそう。なんかピンと来ない。

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そんな事より真岡弁財天(長蓮寺)の櫓がカッコいい。

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その真岡弁財天の門前町はかつて歓楽街として栄えていた名残りがあります。

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現在でも居酒屋やスナックなどが多く残っております。下館にもかつての花街の痕跡が多く残っていましたが、その奥座敷的な物か。

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ただ、その多くが廃業しているかリニューアルされてカフェとなっているか。

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ここなども、どう見てもスナックだったと思われる建物ですが、すっかりオシャレなカフェへと変貌を遂げています。

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どれだけのスナックが現役なのか夜に訪れてみたい所ですが、なかなか。ちなみにここから五行川を越えて東へ行った東光寺通りの辺りに遊郭があったそうですが、もはやその痕跡は残っていないと思われます。

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この建物なども妖しい造り。さらに北へ行けば焼き物産業で大いに栄えている益子などもありますが、ここ真岡はこれと言って特筆すべき地場産業がありません。せいぜい郊外に工業団地があるくらい。

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あえてレトロを強調した古民家カフェ。ただ街中を散歩する若い女子などの姿は無く、経営は成り立っているのかなんて余計な心配をしてしまいます。

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こぞって清酒「桜川」をアピール。

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それもそのはず、真裏に蔵元がありました。

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すぐ近く、真岡城跡のお堀でもある行屋川の川沿いに般若寺と言うお寺さんがあり、その門前町もまたスナック街となっています。

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ただこの辺りは廃墟化が進んでいます。ちなみにこの辺り、赤線又は青線地帯だったかどうかは資料が残っていないので立証出来ません。

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韓国マッサージ10000円。普通に考えてエッチな店だったのだろうと。これだけ多くの飲食店が軒を連ねているのを見ると、かつてはよほど栄えていたのでしょう。

千葉県銚子市(2)、旧・赤線地帯跡のスナック街

千葉県銚子市(1)、銚子の街並み
千葉県銚子市(3)、外川の犬吠埼市営住宅
千葉県銚子市(4)、ゴーストタウン化が進む市営住宅

さて、ここからは銚子の飲食店街や歓楽街を巡って行きます。

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漁港沿いに東へ歩いて来ました。ちょっとしたスナック街などもありますが、この辺りにはかつて南町と言う特殊飲食店街、つまり私娼街がありました。

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住宅街の中に飲み屋が点在。泊まりがけで来て、こう言う所で飲んでみたい。

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丘陵地が海に迫って来た所に飯沼観音と言う古刹があります。銚子の街は最初この飯沼観音が坂東三十三観音札所巡りの二十七番札所になったことから、その門前町として栄えて来たそうです。その後漁師街としても栄え、利根川水運の開通でさらに発展してきました。

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その飯沼観音(圓福寺)から再び海沿いへと降りて行きます。

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ここで再び商店街が。現在はほぼシャッター商店街と化していますが、かつての賑わいを感じます。

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商店街の南側(丘側)へと入って行きます。廃墟化してますがスナックビルの跡が。

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この界隈は田中町と言って、南町同様戦前は私娼街、戦後は赤線地帯だった時代があったそうです。

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漁港としての規模が大きい分、スナック街の範囲も非常に広いです。

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この辺りを歩いていると廃墟化したスナックの跡などが散見されます。

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路地裏に入って行くと現役の外国人系パブが集まる一画がありました。

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この辺りはいかにも赤線だった場所だと思われますが、特徴的なカフェー建築などは見られません。

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ちなみに銚子駅から北西へ向かった松岸駅より利根川の河岸へ出た所に、かつて松岸遊廓と言うのがありました。あちらは利根川水運の発展に併せて江戸中期の1700年前後の頃から栄え、水運の衰退後も昭和16年まで存在した公認の遊廓でしたが、現在ではその痕跡を全くとどめていないとか。

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松岸遊廓の終焉の原因は舟運の衰退もありましたが、南町や田中町などの私娼街へ遊女が流れて行ったのも引き金となったとか。ただ、どのみち遊廓と言う形態は昭和21年(1946年)のGHQによる公娼制度の廃止で消える運命にありました。

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この界隈の妖しさは南町のスナック街と一線を画しているようにも思えます。ただ、夜に1人で訪れて見なければ、その実態までは掴めません。

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なんとも味のある木造モルタル造りの廃墟が。この建物は一体何だったのでしょうか。

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再びシャッター商店街まで出て、今度は海側を歩いて行きます。竹の湯と言う看板に沿って狭い路地を入って行きましたが、銭湯らしき建物は無くただ空き地が横たわるだけでした。

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そしてこの廃墟はスナック長屋の跡。1階にも2階にも小さな飲食店が軒を連ねていたようです。

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田中町も戦前から私娼街(特飲街)として栄え、戦後の公娼制度の廃止以降は赤線として継続しましたが、昭和33年(1958年)に施行された売春防止法によって私娼街の歴史に幕を下ろすこととなります。

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その当時の名残りとしてスナック街へと移行する訳ですが、そんなネオン街も時代の流れとともに衰退し、宅地化されて行きます。

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近くに現役のスナック長屋がありました。もしかすると先ほどの廃墟に入っていた店が建物の老朽化に伴いこちらに移転したのかも知れません。

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現在では空き地と新築住宅がほとんどとなった田中町ですが、歓楽街として栄えていた当時の街並みは今や想像する事しか出来ません。

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最後に、銚子電鉄の本銚子駅へ向かう途中煙突が見えたので行って見ました。

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相当昔に廃業されたと思われる銭湯の跡。屋号すらも不明です。

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