明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。新年早々、大阪からスタートさせて頂きます。
今回は連れが入院するなど諸事情により何十年ぶりかの一人旅となりました。尤も関東圏内の日帰りはいつも一人旅なのですが、泊まりがけでは久しぶりに一人。と言うわけで無茶ができます。

まず夜行バスなんて16年前の大阪旅行以来になります。連れは夜行バスでは寝れないとの事なので、地方へ行く際は飛行機か新幹線となっていました。今回もお金が有れば新幹線なのですが、背に腹はかえられぬ夜行バス。バスタ新宿から往路は予約のタイミングが遅れた事も重ねて帰省ラッシュ料金なのか28日発9800円、復路は30日発4200円。新幹線は片道14800円なので半額ならばいいかなと、利用したのは桜交通。来たのは三菱ふそうエアロバスシリーズ(好きな方)。23:10発です。

ね、寝れねーっ!
こんなにキツかったっけ。4人掛けの狭さもありますが、背中痛いし振動で寝れない。鉄道ではロングシートの端っこでも速攻眠れるのに、バスはリクライニング倒しても殆ど眠れない。50代で夜行バスは無理でした。

体バキバキで寝不足気味に梅田へ到着。喫茶店に入ろうと検索したら、座って缶コーヒーが飲める喫煙所でした。

以前、2009年に彼女と夜行バスで大阪に着いて、まず朝イチ最初に行ったのが飛田新地でした。ひどい話ですwwww
そして今回は西区九条の松島新地へ行って見ます。赤線跡地のちょんの間地帯です。

早朝なのは大阪の「新地」と付く特殊飲食店街で写真を撮るのが危険だから。カメラを構えようものなら怖い人にカメラを没収されると言う話です。各建物の前には撮影禁止と貼り紙がされています。

なので人通りが最も少ない朝方にこっそり撮るしかありません。そもそも目的は貴重な建築物を撮る物であります。撮っていけないのは営業中に店先で誘いをかける女の子です。

以前飛田新地を訪れた時は早朝に写真を撮った後、夕方再び訪れて鯛よし百番で鯛ちりを食べました。その際営業中のちょんの間も見ましたが、なんとも独特な雰囲気でした。

それにしても素晴らしい建物ばかり。想像していたよりも広く、飛田新地とそんなに変わり無いといった印象。

元々の発祥は遊郭でありんす。ありんすとか言っちゃったよ。遊郭や赤線地帯のネタの時は毎回その時代背景について解説してますが、今一度解説します。知ってるよって方は読み飛ばしてください。

松島遊郭の歴史は明治2年、現在の場所より東の木津川べりに新たに遊郭が完成した事から始まります。大阪に於ける遊郭そのものは江戸時代から新町遊郭などがありましたが、そちらは衰退していきました。

しかし1945年(昭和20年)、大阪大空襲により全焼。1947年(昭和22年)、現在の場所に移して再開します。

とは言え戦後1946年(昭和21年)にはGHQの指令により公娼制度が廃止されたので、カフェーや料亭などの体裁で再開します。いわゆる赤線の時代となります。

やがて1957年(昭和32年)に売春防止法が成立(翌年施行)し、全国の娼館の歴史は完全に幕を閉じることになった。はずでした。

しかしここを含めて業態をかえつつも場所も建物もそのまま残った場所が幾つかありました。飛田をはじめ滝井、信太山など。京都にも確かあったはず。

とは言え廃業されたり取り壊されて空き地になったり、マンションが建てられてしまった場所もありんす、いや、あります。ちょっと前までは新地のど真ん中にマンションなんて考えられなかったのですが、時代が変わったのでしょうか。

売春防止法以降全国の赤線青線地帯は、料亭などの三業地として存続したり、ソープ街と形を変えたり、そのまま消滅したりと様々でしたが、ここ松島新地など関西の新地はちょんの間地帯として生き残っています。

ここなんていかにもなちょんの間建築です。赤線時代小規模な店だったと言う事でしょうか。ちなみにちょんの間とはソープとは違いお上のお目溢しを頂いてない、摘発対象となる本番ありきの業態。関東では川崎堀之内にのみ生き残っています。

この辺り看板が無いと言う事は潰れたお店の跡でしょう。ここなども遊郭っぽい造りじゃありませんが、そもそもの話、遊郭は空襲で一度焼け野原となっています。

現在の松島新地の建物は全て戦後建築。それなのにカフェー建築のように洋風でハイカラな物は建てずに、あくまでも江戸時代から明治大正の遊郭を思わせる造りになっています。

これは「遊郭の気分」を出すために遊郭建築を再現したと言う事か、はたまた公娼制度が廃止されたにもかかわらず松島遊郭を再興させようと言う気分からか。東京で言う所の震災後の銭湯建築みたいな考え方でしょうか(ちょっと違うか)。

ただ、飛田新地に残る重要文化財の鯛よし百番は大正中期の建設とされています。飛田は大正7年に完成し、戦火を逃れた建物が幾つかあったそうです。やはり戦前からの遊郭建築との決定的な違いは木造モルタル造りである事。内部の構造も明治大正期の、それこそ鬼滅の刃に出てくるような遊郭建築とは全く違うのかも知れません。

遊郭の端には茨住吉神社があります。氏子の名前を探せば遊郭の名前もあるでしょう。

街外れに松島料理組合の入る松島会館があります。表向きはあくまで料亭の体裁を取っているので、組合も料理組合と言う名前になります。

松島新地の外れに、気になる場所を見つけました。

建物と建物の間が狭い路地となっています。

これは唯ならぬ雰囲気。想像ですが、青線としての私娼窟があったのかも知れません。

この狭さは身を隠すため。現在は普通の住宅ですが、建物の造りなどから怪しいと感じました。
また機会があれば、他の「新地」も見てみたいです。
大阪シリーズ、しばらく続きます。多分1月いっぱいこなせるww
今回は連れが入院するなど諸事情により何十年ぶりかの一人旅となりました。尤も関東圏内の日帰りはいつも一人旅なのですが、泊まりがけでは久しぶりに一人。と言うわけで無茶ができます。

まず夜行バスなんて16年前の大阪旅行以来になります。連れは夜行バスでは寝れないとの事なので、地方へ行く際は飛行機か新幹線となっていました。今回もお金が有れば新幹線なのですが、背に腹はかえられぬ夜行バス。バスタ新宿から往路は予約のタイミングが遅れた事も重ねて帰省ラッシュ料金なのか28日発9800円、復路は30日発4200円。新幹線は片道14800円なので半額ならばいいかなと、利用したのは桜交通。来たのは三菱ふそうエアロバスシリーズ(好きな方)。23:10発です。

ね、寝れねーっ!
こんなにキツかったっけ。4人掛けの狭さもありますが、背中痛いし振動で寝れない。鉄道ではロングシートの端っこでも速攻眠れるのに、バスはリクライニング倒しても殆ど眠れない。50代で夜行バスは無理でした。

体バキバキで寝不足気味に梅田へ到着。喫茶店に入ろうと検索したら、座って缶コーヒーが飲める喫煙所でした。

以前、2009年に彼女と夜行バスで大阪に着いて、まず朝イチ最初に行ったのが飛田新地でした。ひどい話ですwwww
そして今回は西区九条の松島新地へ行って見ます。赤線跡地のちょんの間地帯です。

早朝なのは大阪の「新地」と付く特殊飲食店街で写真を撮るのが危険だから。カメラを構えようものなら怖い人にカメラを没収されると言う話です。各建物の前には撮影禁止と貼り紙がされています。

なので人通りが最も少ない朝方にこっそり撮るしかありません。そもそも目的は貴重な建築物を撮る物であります。撮っていけないのは営業中に店先で誘いをかける女の子です。

以前飛田新地を訪れた時は早朝に写真を撮った後、夕方再び訪れて鯛よし百番で鯛ちりを食べました。その際営業中のちょんの間も見ましたが、なんとも独特な雰囲気でした。

それにしても素晴らしい建物ばかり。想像していたよりも広く、飛田新地とそんなに変わり無いといった印象。

元々の発祥は遊郭でありんす。ありんすとか言っちゃったよ。遊郭や赤線地帯のネタの時は毎回その時代背景について解説してますが、今一度解説します。知ってるよって方は読み飛ばしてください。

松島遊郭の歴史は明治2年、現在の場所より東の木津川べりに新たに遊郭が完成した事から始まります。大阪に於ける遊郭そのものは江戸時代から新町遊郭などがありましたが、そちらは衰退していきました。

しかし1945年(昭和20年)、大阪大空襲により全焼。1947年(昭和22年)、現在の場所に移して再開します。

とは言え戦後1946年(昭和21年)にはGHQの指令により公娼制度が廃止されたので、カフェーや料亭などの体裁で再開します。いわゆる赤線の時代となります。

やがて1957年(昭和32年)に売春防止法が成立(翌年施行)し、全国の娼館の歴史は完全に幕を閉じることになった。はずでした。

しかしここを含めて業態をかえつつも場所も建物もそのまま残った場所が幾つかありました。飛田をはじめ滝井、信太山など。京都にも確かあったはず。

とは言え廃業されたり取り壊されて空き地になったり、マンションが建てられてしまった場所もありんす、いや、あります。ちょっと前までは新地のど真ん中にマンションなんて考えられなかったのですが、時代が変わったのでしょうか。

売春防止法以降全国の赤線青線地帯は、料亭などの三業地として存続したり、ソープ街と形を変えたり、そのまま消滅したりと様々でしたが、ここ松島新地など関西の新地はちょんの間地帯として生き残っています。

ここなんていかにもなちょんの間建築です。赤線時代小規模な店だったと言う事でしょうか。ちなみにちょんの間とはソープとは違いお上のお目溢しを頂いてない、摘発対象となる本番ありきの業態。関東では川崎堀之内にのみ生き残っています。

この辺り看板が無いと言う事は潰れたお店の跡でしょう。ここなども遊郭っぽい造りじゃありませんが、そもそもの話、遊郭は空襲で一度焼け野原となっています。

現在の松島新地の建物は全て戦後建築。それなのにカフェー建築のように洋風でハイカラな物は建てずに、あくまでも江戸時代から明治大正の遊郭を思わせる造りになっています。

これは「遊郭の気分」を出すために遊郭建築を再現したと言う事か、はたまた公娼制度が廃止されたにもかかわらず松島遊郭を再興させようと言う気分からか。東京で言う所の震災後の銭湯建築みたいな考え方でしょうか(ちょっと違うか)。

ただ、飛田新地に残る重要文化財の鯛よし百番は大正中期の建設とされています。飛田は大正7年に完成し、戦火を逃れた建物が幾つかあったそうです。やはり戦前からの遊郭建築との決定的な違いは木造モルタル造りである事。内部の構造も明治大正期の、それこそ鬼滅の刃に出てくるような遊郭建築とは全く違うのかも知れません。

遊郭の端には茨住吉神社があります。氏子の名前を探せば遊郭の名前もあるでしょう。

街外れに松島料理組合の入る松島会館があります。表向きはあくまで料亭の体裁を取っているので、組合も料理組合と言う名前になります。

松島新地の外れに、気になる場所を見つけました。

建物と建物の間が狭い路地となっています。

これは唯ならぬ雰囲気。想像ですが、青線としての私娼窟があったのかも知れません。

この狭さは身を隠すため。現在は普通の住宅ですが、建物の造りなどから怪しいと感じました。
また機会があれば、他の「新地」も見てみたいです。
大阪シリーズ、しばらく続きます。多分1月いっぱいこなせるww













































































































































