漁港

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千葉県銚子市(4)、ゴーストタウン化が進む市営住宅

千葉県銚子市(1)、銚子の街並み
千葉県銚子市(2)、旧・赤線地帯跡のスナック街
千葉県銚子市(3)、外川の犬吠埼市営住宅

とにかく暑いからどこにも行きたくないのが正直なところですが、頑張って再び銚子へ。
今回は素直に秋葉原、錦糸町、千葉乗り換えで各駅停車。2310円で自宅からおよそ3時間かかるのですが、特急しおさいを利用すると約2時間半で3890円。房総特急コスパ悪いなぁ。

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銚子駅の観光案内所で電動アシストのレンタルサイクルを借りて西へ。線路の南側にはヒゲタ醤油があります。古い建屋も多く残っていそうですが、コロナ以来工場見学は休止中のまま。

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そのまま銚子高校を横目に丘陵地を登って行くと、住宅街の中に下志津陸軍飛行学校銚子分教場跡地であることを示す翔天の碑が。昭和11年(1936年)ここより西側に銚子飛行場が建設されましたが、現在では宅地化が進む農地で、その痕跡はほぼ見られません。

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さらに南へ程近く、市営三崎住宅があります。

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こちらの敷地は非常に広く、43棟が現存していました。

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建物は全て木造モルタル造の平屋建て、6畳と3畳の2DKで181戸となります。

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ここは昭和39年(1964年)から随時完成しつつ、昭和43年(1968年)には最後の区画が完成。

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しかし現在では老朽化が進み、新規入居募集を終了。

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高齢化が進みほとんどが夏草が生えるに任せた廃墟と化しています。

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トイレのある位置。肥溜めは隣の家と共用で臭気を抜く煙突が縦に伸びています。汲み取りの蓋が二つあるので、一応肥溜めは分かれているのでしょうか。

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て言うか果たして下水道は完備されているのだろうか。20年ぐらい前、津田沼に住んでいた友人のアパートが汲み取り式で、それを最後に見ていないのですが。

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何しろ生活排水がダイレクトにドブへとつながっている様子なのです。よくよく見てみるとこの一帯にはマンホールと言う物が見当たらない。下水処理人口普及率を調べたところ千葉県では77.6%だそうです。ちなみに東京都は99.7%、全国平均で81.7%。
………と、徳島19.5%⁉︎

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住人は見た感じですが10軒あるか無いか。無住となった棟などは草も生え放題。

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恐らく家賃は相当安いんでしょうね。

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団地入り口には地図でも掲示されていたのでしょうか、看板のような物の痕跡が。

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さて、一旦銚子駅前まで戻りそのまま東へ。太平洋に面した銚子外港まで来ました。

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展望タワーがありますが登らない。

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内陸部に入ると漁業で財を成した立派なお屋敷などが点在しております。

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そんな中にあるのが旧・西廣家。江戸時代末期に紀州から来て銚子に移り住み漁業を始めました。今も銚子を代表する船主です。主屋は住まわれているので非公開ですが明治10年(1877年)に建てられた木造平屋桟瓦葺。

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元々平屋建てだった鰹節製造所を、地方からやってきた従業員の居住スペースを確保するために昭和10年(1935)に2階建てに改造しました。痛みが早い鰯を保存することを目的として、水産缶詰工場の稼働も開始します。

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こちらは1865年から1868年(江戸時代末期慶応年間)に漁網の保管場所として建てられた木造瓦葺の建物。現在は漁網の他、船舶を補修するための器具や建具、高膳などが置かれています。

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煉瓦塀の建築年代は不明ですが、大正末期から昭和初期に設置されたようです。ちなみに倉庫内部の一般公開は第2第4日曜日だそうです。

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さて、丘陵の上の方へ登って行くと市営黒生町住宅があります。ほとんど剥がれてしまったアスファルト舗装。マンホールが見当たらない事から、簡易的な下水管は埋設されているも汲み取り式便所なのではないかと。

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ここは銚子市の市営住宅の中で最も古く、昭和31年(1956年)〜32年にかけて建造。

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10棟32戸が現存しておりますが、特に老朽化が激しく屋根など崩壊しかけている棟も。

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間取りは1K、2K、3Kと3種類あります。すでにゴーストタウンと化していると思っていましたが、一軒だけもしかしたら住んでいらっしゃるかも知れない。

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周辺は普通に住宅街が広がっており、ここだけが取り残されたような形に。

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銚子市には前回訪れた市営犬吠埼住宅もそうですが、他にも外川台町住宅など木造平屋建ての団地が多く残っています。

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高齢化や過疎化による人口減少で老朽化した市営住宅は解体されて行くかと思われますが、予算の問題などもあると思われますし基本放置なのかなとも思います。

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最後に駅前を右手に行った所にある吉原食堂。

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雰囲気やよし。地元に愛される昭和の大衆食堂な感じ。

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アジフライ定食。小ぶりのアジ2匹とイワシでしょうか魚フライ2切れ、カボチャのフライ、これで980円。なかなか安いのでは。
ちなみにビールも頼んでいますがレンタルサイクル返却した後なので、飲酒運転はしてません。

千葉県銚子市(1)、銚子の街並み

千葉県銚子市(2)、旧・赤線地帯跡のスナック街
千葉県銚子市(3)、外川の犬吠埼市営住宅
千葉県銚子市(4)、ゴーストタウン化が進む市営住宅

先月訪れた野田からの醤油繋がりで銚子にやってまいりました。遠い。日帰りで来るような所じゃない。

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銚子駅は総武本線の前身である総武鉄道の終着駅として明治30年(1897年)開業。この時点で本所(現在の錦糸町)駅まで開通しました。

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また銚子駅は銚子電鉄の起点駅でもあります。銚子駅開業から4年後の明治34年に免許が得られ工事が始まるものの、工費がかかり過ぎて採算が合わないとの理由から工事が中断。しかしその後観光客の増加などを受けて工事が再開し、大正2年に軽便鉄道の銚子遊覧鉄道として開通。しかし第一次世界大戦による鉄材の高騰を受けてレールを関東鉄道に売ってしまう。そして大正12年(1923年)、改めて銚子鉄道(後の銚子電鉄)を設立し開業したそうです。

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ヤマサの工場脇に車両基地があります。京王帝都から伊予鉄道に払い下げられた車両、2000系(右奥の半分隠れてるベージュとピンクのヤツ)が寿命を迎え、動ける車両が同じく京王帝都から伊予鉄道経由の3000系(2枚目の写真)のみとなり危機を迎えました。しかし南海電鉄から中古車両を安く譲渡され、どうにか危機は脱しました。とは言え銚子電鉄はぬれ煎餅の収益がほとんどで鉄道は相変わらず赤字続きです。

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歩いてすぐなのですが、銚子電鉄仲ノ街駅。

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仲ノ町駅では車両基地見学も出来ると言う情報を耳にして再訪しましたが、現在予約制で予約は1ヶ月前から1週間前まで。当日では見学出来ないとの事でしたが、車両基地は狭く普通に小ちゃい電気機関車「デキ3」も見えました、

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銚子駅のすぐ南側にはヤマサ醤油の工場が広がります。時間があれば内部も予約制で見学できるのですが、今回は街巡りが目的なのでまたの機会に。午前午後共に1時間おきなのでタイミングが合わないとなかなか難しいです。

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受け付けの先のお土産屋さんと醤油ソフトクリームを売っている所までは予約無しでも入れます。こちらは日本に現存する最古のディーゼル機関車です。ドイツ製で大正15年頃に輸入され、千葉駅構内の側線で貨車の入れ替えに使用されていましたが、その後昭和 31年にヤマサ醤油に引き取られました。しかし亀裂が入り昭和39年に引退。

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工場の脇には煉瓦塀が続いています。ヤマサは日本初のソースを開発したり、近年では医薬品も手掛けるとか。

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工場の先には昭和53年(1978年)まで国鉄新生貨物駅がありました。工場の敷地を跨ぐように走り、ここから醤油や銚子港で水揚げされた鮮魚や缶詰などの加工食品が運ばれて行きました。現在では公園となっております。

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公園の向かいには旧公正會舘。ここはヤマサ醤油株式 会社10代目当主濱口儀兵衛が中心となり、社会教育事業の経営を目的に設立した財団法人公正會によって大正15年(1926年)に建設されました。戦後は銚子市に譲渡され、銚子市公正市民館及び公正図書館として利用されています。

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旧公正會舘の左手から銚子港にかけての敷地には、ヤマサ醤油の創業家である濱口家の邸宅があります。ヤマサ醤油は江戸初期の正保2年(1645年)、野田で高梨家が初めて醤油醸造を始める16年前、初代当主濱口儀兵衛が醤油発祥の地である紀州から銚子へ移住し、本場の醤油造りで創業したそうです。ちなみに同じく銚子のヒゲタ醤油はもっと古くて1616年創業。

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屋敷の裏手には煉瓦塀が続いています。銚子の街は太平洋戦争末期、3度に渡る空襲を受け焼け野原となりましたが旧公正會舘は残ったそうです。なのでこの煉瓦塀も戦災を凝り抜けて来たのかも知れません。

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と言う訳で改めて駅前から街並みを歩いて行きます。観光協会でレンタルサイクルも貸し出しているんですが、ちょうど出払っていました。駅前にはなかなか渋い旅館が残っています。

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駅前通りはシャッター商店街の様相ですが、いい感じの建物も。

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こちらも同じく油屋と言う屋号。駅前から真っ直ぐ歩けばすぐ海に出ます。

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銚子港は親潮と黒潮がぶつかる地点で利根川の河口でもある事から古くから漁港として栄えて来ました。しかも現在では全国の水揚げ高1位となっているそうです。ちなみに銚子駅近くのここは利根川河口沿いの漁港で、ずっと東の外洋に面した所には銚子外港と言うのもあります。

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銚子港のすぐ側に建つのが正保2年(1645年)創業の老舗旅館、大新旅館です。

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ここは古くから皇族の方々をはじめ伊藤博文や島崎藤村などの著名人も宿泊されたとか。犬吠埼にホテルニュー大新と言う宿がありますが、同じところが経営されています。

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旅館の入り口脇に建てられたこの「にゅーさろん」なるものが非常に気になります。コロナ禍より休業中との噂は聞いていますが、今現在再開されているのか。一度泊まってみたいです。

【続報】大新旅館及びニュー大新は2025年12月、予約客から急に連絡が取れなくなったとの問い合わせが観光協会にあり、休業していた事が明らかとなった。(千葉日報)

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漁港沿いに続く街並みに一軒の銭湯が。この松の湯さんは13時から営業されているようで、入ってみたかった。

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漁師町らしくスナックや居酒屋が点在しています。銚子は江戸期より紀州から出稼ぎに来ていた漁師たちが住み着くようになり、漁港としても発展して行きました。
さて次回は銚子のスナック街などを巡ります。

千葉県木更津市(3)、木更津港周辺とフェリー埠頭跡

千葉県木更津市(1)、潮干狩り場の電柱群
千葉県木更津市(2)、呪詛による結界、道切りのある集落
千葉県木更津市(4)、木更津駅西口界隈の街並み(前編)
千葉県木更津市(5)、木更津駅西口界隈の街並み(後編)

続きです。実は4週に渡って木更津シリーズお送りします。て事で今回はアクアラインから木更津港まで、観光案内所で借りたBianchiで走って行きます。

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アクアラインの袂、金田地区の漁港まで来ました。この金田地区にも道切りの風習が残っていると聞いてましたが、それらしき物は全く確認出来ませんでした。

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漁業生産基盤施設等設置事業竣工記念碑。要はアクアラインの建設に際して自然環境や漁場に対する影響などから建設反対を唱えていたけど、埋め立て地の払い下げや漁業補償交付、助成措置などの交渉が締結したよーって話。

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だからなのか新築一戸建て住宅が多いような。それは気のせいか。

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海苔の養殖やアサリ漁は現在でも続けられています。戦前までは千葉市以北でも江戸前の海苔が名産品でしたが、高度成長期を経て生活排水や工場排水による水質汚染、並びに埋め立てによる京葉工業地帯の発展があり絶滅してしまいました。しかし木更津(袖ヶ浦)より南は汚染も少なく、漁業が生き残っております。

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自転車で海岸を南西に走るとホテル三日月が見えて来ました。ホテル三日月は明治43年(1910年)勝浦〜鴨川間に開業した房総乗合馬車、後の三日月自動車(現在の小湊鐵道)が創業家となります。そして昭和36年、勝浦と天津小湊(現・鴨川市)にホテル三日月を開業。2000年にはアクアラインの開業に併せてここ、木更津の金田海岸に竜宮城スパホテル三日月を開業しました。

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コロナ禍に於いて隔離病室を提供した事でも話題になったホテル三日月。その後もテレビのロケなどで度々映し出されるようになった事もあり、木更津の三日月が大元だと思い込んでいました。しかし昭和のテレビCMでよく観ていた「ゆったりたっぷりの〜んびり」のキャッチコピーは勝浦と鴨川だったんですね。

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と言うわけで、木更津の市街地まで戻って来ました。木更津港の北側は自衛隊木更津駐屯地。主にヘリコプターの基地となります。

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現在、木更津港は漁港とマリーナ。あとは共栄運輸と言う、大型クレーン付きの船での山砂運搬や護岸工事における海沙の採取などをやっている会社の船が何隻も停泊しています。

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多くの漁船が停泊しています。港の歴史は古く、漁港としてだけではなく中世には木更津〜鎌倉間が、江戸期には木更津〜江戸間が渡し船として整備され、明治期から鉄道が整備されるまでは木更津〜横浜〜東京間の主要交通としてその役目を担っていました。また高度成長期からは京浜京葉工業地域への鉄鉱石の輸入など、貿易港として現在も重要な港とされています。

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かつてのフェリー埠頭の跡。昭和40年(1965年)に日本カーフェリーによる川崎〜木更津航路が開設。アクアライン開通の1997年まで就航していました。自分も子供の頃一度乗った事があります。ほとんど覚えてないけど。

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木更津港湾ターミナル。この施設は日本カーフェリーのターミナルだったのかどうか。色々調べてみましたが分からず。ただ位置的にフェリー乗り場な雰囲気が。

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ちなみに日本カーフェリーはその後川崎〜市原間や川崎〜日向(宮崎県)などを就航していましたが、1990年にシーコムへ譲渡、1992年シーコムの破綻により日本長期信用銀行が資産を買い取りマリンエキスプレスに社名変更しました。

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かつてここから自動車がフェリーに乗り込んでいました。日本カーフェリーと言えば1990年代、川崎港で日向航路の高千穂丸を撮った記憶があります。宮崎ピーマンと書いてあるトラックが出て来る所を撮って、社会科資料集かなんかに掲載してもらいました。

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他にも現在使われていない埠頭があります。日本カーフェリーは3隻就航していたので、この埠頭に何が停泊していたか不明。ただ近年、2017年に大型豪華客船「ぱしふぃっくびいなす」が寄港したのを機にクルーズ船を誘致しています。ただねぇ、木更津に寄ったところでねぇ……

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近くにあった食堂、富士見亭に立ち寄りました。

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現在、女将さんがこの焼き場で焼きそばを焼いているのみですが、かつては港の大衆食堂として賑わっていたんだろうと言う雰囲気があります。

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ただこの焼きそばが、やたら美味かった。これくらいスパイシーな焼きそばがちょうどいい。

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焼きそば繋がりでもう一軒。港の近くに廃業された銭湯が残っています。実はレンタルサイクルで巡る前の週、仕事帰りに散策しました。なので曇りがちな空の写真が紛れます。ここは人参湯と言って昭和7年(1932年)創業。建物は昭和27年(1952年)の建築で、2011年まで営業されていたとか。

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現在はその建物をそのまま利用した焼きそば屋さんが営業されています。

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このお店は以前駅東口の方で営業されていたところ、令和元年の台風被害で屋根が飛ばされてしまったそうです。その時、知り合いのツテでこの元銭湯だった建物を借りる事に。

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浴室はライブ会場に利用されています。エコーが効きそう。店長は移転する以前からイベントスペースの貸し出しなどもやっていたとか。

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焼きそばはかつて富津の醤油蔵で作られていたソースを復刻させたインディアンソースを使用しており美味いです。

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戦後宮大工が建てたと言う貴重な銭湯建築。老朽化も激しく雨漏りなども酷く維持費が嵩むそうですが、どうか残して行ってほしいものです。
木更津シリーズ、まだまだ続きます。

石川県能登町、宇出津の町並み

能登半島、富山湾に面した漁師町、宇出津を訪れました。旧・のと鉄道の廃線跡を巡ったのですが、その記事はまた後日。

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能登半島の主要な街は富山湾側(内浦地区)に東から珠洲、宇出津、穴水、七尾、日本海側に輪島、羽咋。宇出津は特にイカ釣り漁が盛んな漁師町で、内浦地区の中心都市として発展して来ました。奥に写っているのは能登町役場。

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埠頭沿いに定置漁業組合の建物。木造建築を大切に使われています。

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網元の建物は立派なもので、奥の「かね八」は民宿も営んでおります。

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市場から続く通り。鉄道が走っていた時代の駅は内陸にあり、この辺りが古くからの中心街と思われます。

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木造建築が多く残っておりますが、それは半島という僻地の特色とも言えます。

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路地を入って行くと素晴らしい廃屋。

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久々に街歩きの楽しさを堪能しました。

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おっと、猫発見。

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雨戸に窓が取り付けられているのも面白い。

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宿泊したのは民宿「ふわ」さん。素晴らしい木造建築建築。

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宇出津の民家は鰻の寝床のような縦長な町家造り。土間が奥の埠頭まで貫通しており、京都の町家を思わせます。

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食事した和室も撮らせていただきました。しかし残念ながら宿泊する客間は一番奥の建て替えられた棟。

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食事はどれも美味。特にイカワタから造られた魚醤イシリを使った貝殻焼きは深いコクと味わいで絶品でした。

新潟県能生町、茅葺き屋根の神社と紅ズワイガニの漁村

 糸魚川と直江津の間も中央構造体の上にあるためプレートの隆起によって地滑りなどの被害も多く、交通の難所となっております。

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 昭和三十六年まで海岸沿いを走っていた北陸本線は六十数回の地滑り被害に遭っていましたが、現在ではトンネルによって内陸部を走っております。海沿いには旧線路跡がサイクリングロードとして残されています。

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 能生の街は紅ズワイガニ漁で栄えた漁村です。街には民宿が何軒も建ち並んでおりますが、現在ではドライブの途中で立ち寄るような場所となっており、大半が休業状態。

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 観光スポットとして弁天岩などもありますが、このような景勝地には今どきなかなか人が集まらない。

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 白山神社と言う、茅葺き屋根のなかなか荘厳な神社もあり、本殿は室町時代建造の重要文化財。しかし本殿(茅葺き屋根の拝殿の奥)は柵に囲まれてよく見えず、しかも小ぢんまりとしている。

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 神社の隣に古民家を山奥から移築した民俗資料館もありましたが、なぜか休業中。

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 観光客はカニの売店が集まる道の駅にしか行かないようです。まぁ確かに観光地と言うよりはドライブで立ち寄る場所という色が濃い。

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 しかし北陸自動車道能生ICまでありながらも、わざわざ高速を下りる人は少ない。日本海の海の幸と言えば、どうしても柏崎には負けてしまいます。

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 とは言え、このような何もない漁村というものにも一度泊まってみたいです。きっと新鮮な魚介類が美味しいのではないかと。

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