渡船

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大阪府大阪市臨海地区、渡船巡り(後編)

後編です。

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船町は東西に伸びる埋め立て地ですが、そのほとんどが鉄工所となっています。前編の船町渡船は北側の鶴町に住む労働者の方々が工場への通勤のために利用しているのでしょうね。

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工場の廃墟も見られます。この辺りの工場は製鋼所となるので、鉄鉱石から鉄を作る製鉄所とは違い、鉄材やスクラップからスチールなどの鋼材を作る工場となります。

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この埋め立て地にはかつて木津川飛行場と言う民間の空港があったそうです。1929年(昭和4年)に供用開始しますが、埋め立て地のため地盤が弱く雨の影響なども受けやすかったため、昭和9年の八尾空港や昭和14年の伊丹空港の開港により廃止されました。

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船町の西側から南、貯木場が多くある平林北へ渡る1994年完成の新木津川大橋が見えて来ました。この橋もデカい。

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その橋の袂にあるのが木津川渡船です。この距離になると、例え自転車が乗せられるエレベーターが設置されていたとしても、地元にとっては渡船があった方が有難いですよね。

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あ、また黄緑リュックのおっちゃんが!同じルートで渡船巡りしている人がいるようです。大阪港は明治大正期まではもっと内陸の、淀川沿いの方まで広がっており、今よりもっと多くの渡船が存在したそうです。

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平林北へ到着。船は折り返し船町へと戻って行きます。沿岸部の埋め立てが進み、港が徐々に大阪湾側へ移った事で、少しずつ橋が掛けられるようになり、渡船の数も減って来たとか。

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こちらが木津川渡船平林北乗り場の待合室。さて、この近くにレンタルサイクルのサイクルポートがあったので、ここからは自転車移動です。もっと早い段階で自転車に切り替えたかったんですが、気づけばサイクルポートが無い地帯に入っていました。

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ここからは運河に遮られた島地から離れ本土側を走って行きます。この木津川の南岸はかつて造船の街でした。途中、名村造船所跡地のドックの跡なんかもあります。このドックは1970年まで使われていましたが、もっと大型の船を造るために佐賀県の伊万里湾へと移転して行きました。

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木津川の左岸(南側)を東へ遡って行くと1973年(昭和48年)に架設された千本松大橋が。その袂に千本松渡船の南津守乗り場があります。この自転車がハローサイクルのレンタルサイクル。電動アシストはやっぱ楽。

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木津川の右岸へ。渡船巡りは大阪の橋巡りでもありますね。この千本松大橋も高さ36mありますが、橋が完成した後のオイルショックなどの影響から沿岸の造船業や工業などが衰退し、それほど大型の船が航行しなくなってしまったそうです。

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南恩加島乗り場に到着。こちら側に船は詰めています。

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こちらが待合所。ここまで黄緑リュックおっちゃんとずっと同じ船に乗って来ましたがここまでカブるとは。しかしここからは自転車で差をつけます。徒歩で移動してゆく黄緑リュックおっちゃんを後目に見ながら上流側へ疾走。

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少し走ると落合下渡船平尾乗り場があります。明治40年から昭和7年にかけてそのほとんどの渡船が市営となり、大正9年より無料となった大阪の渡船ですが、結局のところ市の財政によって燃料費や設備維持費、人件費などが賄われている訳です。

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この辺りには木津川を渡る渡船が3カ所連続しています。しかし近年ではこの渡船を観光資源とする見方も強まっており、大阪市のホームページでは渡船場マップなども公開されています。

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木津川は遡るにつれどんどん川幅が狭くなって行きます。最初は路線バスと徒歩による渡船巡りも計画しました。しかしバス停から離れている渡船場もあり、そのバス停を調べるのもGoogleマップなどを駆使しなければなりません。到底一般観光客には向いていない。

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一瞬で左岸(東側)に到着。陽もだいぶ傾いて来ました。そこで今回はこの、レンタルサイクルとの組み合わせによる渡船巡りを提唱したい。

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船はまた利用者を乗せて対岸へ戻ります。工業地帯や住宅街が多いですが、大阪の川や巨大な橋を眺めながらのサイクリングもなかなかなものです。

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最後に落合上渡船、北津守乗り場。大阪にはそこここにアーケード商店街や喫茶店などが点在しており、その辺も巡れば大阪の日常が垣間見えて来ます。別に通天閣や道頓堀だけが大阪じゃない。

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てか、対岸近っ!w

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晩ごはんの食材など買いに行くのでしょうか、利用者が徐々に増えて来たように感じます。

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上流に見えるのがまたガッシャーンって倒れて閉じる木津川水門。いや、実際閉じる時はゆっくり閉じるんでしょうけども、もっと近くで水門を観察すればよかった。

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右岸(西側)の千島乗り場に到着。

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以上で8カ所、全ての渡船制覇です。渡船はとにかく生活に密着しているので、時間帯によっても顔が違うんでしょうね。朝の通勤通学時間や午後の買い物客、夜も9時頃まで運航しているので、夜の雰囲気なんかも見てみたいです。

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さて、渡船巡りを終え大正駅のサイクルポートへ自転車を返しに行きます。途中こんな素晴らしい外観の銭湯が。現役のようですし今思えば入っとけば良かった。

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JR大阪環状線の大正駅周辺も素晴らしい路地裏飲み屋街があります。角打ちなんかもあるみたいですが、正月休みに入ってしまったのかお休みでした。

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なので駅前の立ち飲み屋、大川さんへ。

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いやいや、旅の目的としてはこの後西成で飲むはずが、いきなり足止め食らってしまいました。だって湯豆腐美味いし大将も明るく面白い人だし。
ともあれ大阪は土地も狭いのでそこまで車社会になっておらず、基本がチャリ移動なんですよね。商店街なんかも自転車走りまくってますし。なので渡船は地域の足としてまだまだなくならないと思います。
あと、大阪の臨海地区を巡る中で脳内に上田正樹の悲しい色やねが流れてました。「川はいくつもこの街流れ」は淀川、木津川、安治川および関連する運河の事ですね。ただ、大阪の海は「悲しい色」じゃなくて、ただ汚いだけでしたwww

大阪府大阪市臨海地区、渡船巡り(前編)

西九条からJR桜島線に乗ります。もう日本人も外国人も観光客で鮨詰め状態。

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そしてユニバーサルシティ駅にて誰もいなくなりました。この駅の南側にはJR貨物の安治川口貨物ターミナルがあり、安治川の埠頭で貨物船からのコンテナの積み下ろしなどもしていました。

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終点の桜島駅。右手にはUSJに対応した巨大ホテルがあり、左手にはUSJの関係者通用口があり、さらに先には三菱の広大な倉庫街。桜島駅は通勤などで多くの利用者がいます。

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桜島駅から奥へと進むと三菱倉庫などの倉庫街。かつてはここまで貨物列車の引き込み線があったのでしょう。

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そこに天保山渡船の船着場があります。

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渡船が来たかな、と思ったら海賊船でした。

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こっちが渡船。大阪の渡し船は全て大阪市が運営しており、あくまでも公共交通インフラと言う位置付けから無料で利用することが出来ます。

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続々と人が降りてきます。意外だったのはこの天保山渡船を利用する観光客の多さ。USJまでは桜島駅まで歩く必要もありますが、USJへアクセスする裏ルートみたいな部分もあるのかも知れません。対岸の天保山ハービーには観覧車や水族館の海遊館などもありますので。

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大阪の渡船は自転車も乗せる事が出来ます。と言うかむしろ、地元の利用者はほぼ皆自転車に乗って来ます。

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桜島から安治川を渡り築港へ到着しました。

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渡船航路の遥か頭上には1990年完成の阪神高速湾岸線天保山大橋が走っています。なぜここまで高い所を走るかと言うと、下の安治川は大阪港への航路であり、大型の船舶が行き来するから。

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去年、livedoorブログのしまdiaryさんの記事を読んでこの場所に行きたい!と思ったのが今回大阪を選んだきっかけです。だって、近代的で超巨大な橋の真下に渡船の小屋が佇む光景なんて、興奮するじゃぁないですか!(私だけか…

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さて、天保山から路線バスで埋め立て地を渡りながら福崎1丁目で下車。木津川から西へ分岐し海へ注ぐ運河の尻無川を渡る甚兵衛渡船に来ました。

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港区福崎側で待っていると対岸で待機していた船が来ました。大阪には実に8カ所もの渡船が残っています。

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大阪の港は全て大阪湾に面している訳ではなく、内陸の運河沿いにまで入り込んでいるため、多くの貨物船が今でも頻繁に航行されています。

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そのため橋を掛けるにしても、それなりの高さが必要とされます。上流(北)側に見えるのは尻無川水門。なんと、あれが向こう側にパタリと倒れて水路を塞ぐと言う構造。半円形にする事で船の航行も妨げず、なおかつ巨大なコンクリート構造物を建てる必要も無いと言う、上手い事考えますね。

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大正区泉尾側渡船乗り場に到着。一瞬です。

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だって、あんなに近いんだもの。

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甚兵衛渡船泉尾側乗り場です。この辺りは倉庫や屑鉄屋などが広がっています。

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南へしばらく歩くと、北恩加島から鶴町へと渡る2003年完成の千歳橋が見えて来ました。歩行者や自転車はここを登って鶴町に渡る。

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それが嫌だから渡船が残っているのです。あんな高い橋を登らなきゃならないなんて冗談じゃない。

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千歳渡船北恩加島乗り場。常時こちら側に船は待機しています。

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鶴町に向けて出港。今回は空いてますが、誰も乗っていないって事は一度もありませんでした。

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対岸の鶴町に到着。この巨大な千歳橋の東(右手)側には鉄工所などの埠頭があり湾の形となっています。

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千歳渡船の船頭さん達が詰めている小屋。鉄工所などへの貨物船がこの橋の下を潜り工場の埠頭へと直接接岸するわけです。

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さて、路線バスを利用して千歳渡船から鶴町の南端へ移動。ここから木津川の支流になる木津川運河を渡り船町へと向かう船町渡船です。

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こちらが待合室。鶴町には住宅地が広がっていました。

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船町へ向けて出港。ん?あの黄緑色のリュック背負った人、さっきの渡船にも乗ってたような。

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船町に到着しました。船は折り返し鶴町側へと戻って行きます。

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船町側の渡船乗り場。この辺りは工業地帯になります。


後編に続く。

埼玉県熊谷市〜群馬県邑楽郡千代田町、赤岩渡船

更新が滞り過ぎてもはやお久しぶりです。この忙しさもそろそろ出口が見えて来そうです。ちなみに邑楽郡は「おうらぐん」と読みます。読めるかーい!

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午前中に終わる仕事があったので、ここぞとばかりに熊谷へと向かいました。

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県道83号線で熊谷市北東部、利根川沿いの河岸があった葛和田へ。道端になぜか250キロ爆弾が碑のように立っていましたが、これは爆撃を受けたとかではなく戦後の昭和25年、故障した米軍機が落としていった不発弾だとか。

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渡船の埼玉県側の葛和田は河岸として栄えましたが、宿場町は対岸の群馬県側にありました。この辺りは長閑な農村と言った雰囲気。利根川沿岸と言う事もあり地下水も豊富なのでしょう。

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県道83号線はそのまま利根川の堤防へ。そこから群馬県へ渡る赤岩渡船も県道83号線と言う事になっております。

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堤防から河川敷へと降りて行くと路線バスの終点、葛和田バス停が。ここも実は県道になります。

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船頭さんは群馬県側に詰めているので、渡船を利用するには船を呼ばなくてはなりません。そのために黄色い旗を揚げます。この携帯の時代なんともアナログな。

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岸からちょっと離れた所の低いポールに黄旗を掲げたところで対岸にちゃんと伝わるのかと不安も覚えましたが、船はすぐ動き出しました。船が動いたのを確認すると旗を下げなければなりません。やがて波一つない川面を渡し船がやって来ます。

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あくまでも県道なので利用は無料。群馬県より委託を受けた千代田町が運用をしています。ライフジャケットを着用して出航。葛和田と赤岩は江戸時代の年貢米、参勤交代の荷物、生活物資等の集積地であり、陸運と水運の物流拠点として栄えました。また明治以降は絹織物や生糸輸送の中継地点としても賑わいを見せます。

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以前、伊勢崎市島村の島村渡船に行ってみたら、2019年の台風被害ですでに廃止されていたと言う事がありましたが、この赤岩渡船は関東最後の渡船として生き延びています。

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しかし船が群馬県側へと近づくにつれ、みるみる水深が浅くなって行きます。これは近年の台風や豪雨によって上流から流されて来た土砂がカーブの外側に当たる群馬県側に堆積した物。水深50センチほどでしょうか全然立てる程に浅く、船底が擦るギリギリの所なんじゃないでしょうか。

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あっという間の渡河でした。渡船は県道と言う事もあり県がお金を出していますが、浚渫作業にも予算が掛かるので、現在存続の危機となっています。

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こちらは船頭さんの詰め所。ちなみにご高齢の方とまだ若い方、二人で船を運航されてました。

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ただここから対岸の旗が上がっているかどうか、よほど目が良くないと見えません。

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地元のお爺ちゃんが自転車乗せて埼玉県側へと渡って行きます。利用者は居られるようですが、葛和田に一体何の用事があるのか。あるいは赤岩で用事を済ませた帰りかも知れませんが。

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県道だからと言う理由で奇跡的に存続しておりますが、いつまでも残っていて欲しいものです。

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堤防の上には一応史跡と言う事で、常夜灯なんかも作られています。

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明治大正期の物流解説。位置関係がよく分かります。両毛線開通以前の桐生の絹織物製品は、陸路の場合ここで川を渡り熊谷から開通したばかりの鉄道で東京へ。富岡製糸場の生糸はここを経由して関宿より江戸川へ入り、東京湾から横浜港に入り輸出されてゆく。

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橋も鉄道も不充分だった時代が最も栄えたのでしょう。

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ここより6キロ上流の国道407号線には1886年(明治19年)に妻沼から古戸町に掛かる古戸橋(現在の刀水橋)が開通し、9キロ下流の国道122号線には1929年(昭和4年)に昭和橋が開通しました。さらに後の1968年、5キロ下流に見沼代用水の取水口である利根大堰が完成し、県道20号線が走る武蔵大橋が開通。赤岩渡船だけが取り残された形となりましたが、現在も橋の建設が求められています。

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赤岩の街は宿場町の面影などほとんど残っておりません。

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昭和の頃は商店街としても賑わいを見せていたそうですが、その面影すら失われていました。

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昼時、どうせメシ屋なんて無かろうと思っていたら、町外れに一軒だけ蕎麦屋の「さらしな」さんが。

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うどんセット。モツ煮を切らしてしまったそうなので代わりにアジフライ。ちょっと食い過ぎてしまった。

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群馬県側へは一日5本程度しか走ってない路線バスで館林へ。バスは途中ホームセンターのジョイフルホンダの建物の中まで入って行ったりします。
蕎麦屋の女将さんと少し話し込みましたが、やはり少子高齢化と過疎化が酷く空き家も多くあるとか。それもまた致し方ないと話されていました。

群馬県伊勢崎市(3)、蚕種で栄えた島村集落と渡し船跡

利根川中流域の南は埼玉県、北は群馬県ですが、群馬県伊勢崎市の南端にあたる利根川の南岸に一部群馬県の飛び地があります。こう言うのを河川飛び地と言うそうです。

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その飛び地である島村集落の西南側に田島弥平旧宅があります。蚕の種を作る養蚕農家なのですが、ここが世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」に含まれています。

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こちらが田島弥平旧宅の母屋。実際に今でも住まわれているので一般公開されるのは毎月第三日曜日のみ。普段から公開されているのは一つ上の写真に写る桑場、蚕の種を作る小屋のみです。

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桑場には当時の道具などが展示されています。島村集落は江戸中期より蚕の卵、いわゆる蚕種の製造が盛んでした。しかし蚕の飼育は難しく、年によって生産量の差が大きかったため、田島弥平は各地の養蚕方法を研究し、蚕の飼育には自然の風通しが重要であるとの考えから清涼育と言う方法を開発し、安定した蚕の生産に成功しました。

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養蚕農家は風通しを良くするために屋根の上にヤグラ(越屋根、天窓ともいう)が乗っておりますが、この養蚕農家の目印とも言える近代養蚕農家の建築様式は、ここが原点となったそうです。まさに明治からの近代養蚕業の父とも言えますね。

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田島弥平住宅の東側に田島達行住宅があります。この周辺には田島一族の養蚕農家が密集しており、しかも江戸末期の母屋や石垣が残されています。また各農家ごとに蚕種生産者としての屋号を持っており、こちらの農家は對青盧(たいせいろ)と言います。建物は慶応2年(1866年)竣工。

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こちらは桑麻館。どちらも重要文化財であると同時に普通に生活している民家のため、当然ながら勝手に敷地に入るわけにはいきません。時代とともに建て増しや多少の改築はありますが、母屋の基本的な部分は変わっていません。

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田島善一住宅主屋、屋号は進成館。慶応年間(1865〜1868年)に建てられた入母屋造りで、一階に住居、一階の一部に桑場、二階が蚕室となっています。

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こちらは田島平内住宅で屋号は有隣館。明治元年(1868年)竣工。この田島家一族は島村集落の蚕種を生産する生産者集団で会社を立ち上げ、海外への輸出も行っていたそうです。当時の集落はまさに栄華を誇っていたのでしょう。

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こちらは田島定吉住宅主屋で屋号は栄盛館。文久元年(1861年)竣工。上毛地域は伊勢崎や桐生など毛織物産業の一大拠点でしたが、ここで生産された蚕種が北関東一帯の養蚕農家に運ばれて行ったのでしょう。

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こちらは文化財に指定されていないためか、建物を説明する看板がありませんでした。とは言え、こちらも年代を感じる木造建築で、景観としても保存されているのが窺えます。

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もちろん田島一族の養蚕農家が密集している集落南東部以外にも養蚕農家が散在しています。文化財指定こそされてなくても瓦屋根の大棟とか鬼瓦とか見事。

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重要文化財にされていると言う事で見に行った板倉。私有地なので中に入れないし、ただの板で出来た倉です。歴史的価値はよく分かりませんが、観光パンフに載っていたので行って見ました。場所も分かりづらいし、ちょっと観光地として中途半端なところ。

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日本の絹産業にとって重要な役割を担った事も当然ですが、同時に景観としてこのような立派な日本家屋が多く残されている集落である事も、世界遺産に含まれた要素のひとつだったんだと思います。しかし、群馬県の河川飛び地の集落に世界遺産があると言うことを、一体どれだけの人が知っているでしょうか。かく言う私も今回初めて知りました。

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こちらは集落の南東部に建つ日本基督教団島村教会、めぐみ保育園。この本館の建物は明治30年(1897年)建造で国の登録有形文化財に指定されています。一応観光パンフの地図に施設名だけは載っていますが、詳しい解説は書かれていません。

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そして道路の向かい側には昭和28年建造の保育園の別館が建っていますが、こちらは県境を挟んで埼玉県深谷市に入ります。こちらも共に国指定登録有形文化財。教会の創立は明治20年(1887年)で昭和30年(1955年)より保育園が開設されました。

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島村集落の北側には利根川が流れています。河川敷の方へ歩くと島村渡船船着場の表示が。

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しかし河原にはすでに何も残っていません。実は2019年の台風被害により渡し船が運休。そのまま復活する事なく2022年の10月、正式に廃止となってしまいました。利根川の向こうは伊勢崎市境町。以前訪れた伊勢崎銘仙の織物工場で栄えた街があります。

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島村から下流側に3キロ行った所に掛かる上武大橋を渡り、島村渡船の境町側船着き場へと来ました。土手の上にポツンと残るほったて小屋が、かつての船頭の詰め所です。

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かつてこの渡し船は立派な「県道」と言う扱いになっており、その歴史は江戸中期からと伝えられているとか。船はFRP製の9人乗り(船頭含む)でモーターボートのエンジンを2機付けていたようです。

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島村集落の方々の足であるとともに、地味ながらも観光資源でもありました。しかし車社会になり年々利用者も減っていたのでしょう。現在では境町駅から上武大橋を迂回してコミュニティバスが運行されています。

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南岸の島村側からは黄色い旗を掲げて呼んでいたようです。台風の被害に遭った後、伊勢崎市は市内全域の市民にアンケートを取ったそうです。その結果、利用しない、または利用したいとは思わないとの回答が67%に達したため廃止が決定したそうです。まず、全域って言うのがおかしな話で、島村地区の方々を対象にアンケートを取るべきではなかったかと。

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こちらは廃止直前まで使われていた船とは違うようですが、恐らくは渡し船として使われていたと思われる船。せっかく世界遺産に含まれたと言うのに、観光資源としても上手く利用出来なかったと言う事です。境町の歴史的建造物を巡りつつ、木の船で利根川を渡って養蚕農家の家並みを巡ると言う、それだけで充分魅力があると思うのですが。あるいは島村集落の方々が観光地化に乗る気じゃなかったなんて事も考えられますが、あくまでも想像の域を出ません。

富山県高岡市郊外、伏木曳山祭り、雨晴海岸他

 高岡市北部、富山湾に臨む小さな港町伏木。そこの伏木神社では毎年5月15日、『けんか山』と呼ばれるお祭りがあります。

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 富山県では4月から5月に掛けて、あちらこちらの街から村まで、祭り囃しに包まれます。この地方の祭りは総じて神輿ではなく山車。

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 けんか山と言うだけあって、山車同士が正面からぶつかり合うのが見もの。

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 ただ同じ富山の春祭りでも、岩瀬浜の喧嘩祭りや夜鷹祭などのように乱闘まがいの激しさは無く、いたって平和的です。お互い「もういっちょ、いっとく?」などと挑発しながら交渉します。

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 とは言え、間近で見れば迫力あります。

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 伏木にはかつて小矢部川の対岸の射水市まで渡る、如意の渡しという渡し船がありました。

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 その歴史は古く、源義経が乗ったっていうくらい。伏木港湾交通が公共交通機関として運営を始めたのは1951年からです。

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 フェリーなどはなく、あくまで人の行き来に利用されてきた渡し船ですが、伏木万葉大橋が開通したことにより2009年8月2日をもって廃止されてしまいました。

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 伏木より少し北へゆくと雨晴海岸があります。こちらは万葉集に歌われた海岸ということで、かつては昭和天皇も訪れた景勝地なのですが、今の時代訪れる人も皆無に等しいです。

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 ただこの地は私にとって個人的に思い入れのある土地です。初めて訪れたのは30年以上前。その当時はまだ鉄っちゃんだったので、氷見線の旧型客車などを撮りに行ってました。上の写真は当時の雨晴海岸です。最近ではおよそ6年前、昭和天皇も御滞在された雨晴観光ホテル(現在閉館)に宿泊しましたが、義経岩などの景勝は何十年何百年経っても変わらないと実感させられました。

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