水道インフラ

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千葉県松戸市、柳原水閘と国分台の辻切り

今回は千葉県松戸市の国分台周辺を巡って行きます。

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降りたのは北総線の矢切駅。矢切の渡しも行きたかったのですが、11月から2月までは土日祝日のみ営業で、3月から毎日営業になるとか(ただし3月に入ってから柴又側に行ってみましたが、平日運行されていませんでした)。また東にある市川歴史博物館も、月曜日定休なのですが月曜が祝日だったため本日火曜日がお休み。つくづくタイミングが悪い。

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駅前にはスーパー銭湯の「笑がおの湯」がありますが、人工炭酸泉のみで天然温泉ではないようなので、朝風呂は諦めます。ちょうど右手にレンタルサイクルのサイクルボートがあるので、自転車を借りて行きましょう。

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矢切駅のすぐ南西側には1937年(昭和12年)建造の栗山配水塔があります。

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西側は崖地となっており、崖下の栗山浄水場からポンプで揚げられた水道水が貯められ、丘陵地の住宅街に配水されて行きます。

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丘陵地を降ると江戸川の支流である坂川が流れています。右手奥に見えるのが栗山浄水場。

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下流側を見れば江戸川との合流地点である、柳原排水機場があります。

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その袂に佇んでいるのは1904年(明治37年)建造の柳原水閘。

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坂川治水事業は江戸時代から続いており、江戸川との合流地点が現在の場所になったのは1836年(天保7年)、旧式樋門が造られてからのこと。これにより坂川流域の水害は著しく軽減されたそうです。

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明治中期から大正末期の関東大震災までが煉瓦建築が多く造られた時期なのですが、その時代に造られた四連煉瓦アーチ構造の水閘は貴重な文化財であるとして近代化産業遺産に指定されました。

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坂川のすぐ西側を江戸川が流れています。上流には矢切の渡しがあり、対岸は葛飾柴又。

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これより再び国府台の丘陵地を登って行きます。途中帝国陸軍の境界石がありますが、国分台にはかつて野戦重砲兵第三旅団が存在しました。

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丘陵の上は住宅街で、その西の外れの斜面に大蛇を模した辻切りがあります。

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これ、知らずに見つけたら、ちょっとビビるかも。

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この地域の辻切りは毎年1月17日に国府台天満宮で新しく編まれた大蛇と交換され、その行事は室町時代から続けられていると言われています。

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こちらは集落の北を守る大蛇。ちょっと可愛い。

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辻切りとは、悪霊や悪疫(疫病)が侵入するのを防ぐため、集落の出入り口にあたる四隅の辻を霊力によって遮断することからついた呼び名。

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こちらは南端の斜面にある辻切り。

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去年は木更津の漁村で辻切り(道切り)を撮って来ましたが、地域によって形式は様々です。

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こちらは東の端を守る大蛇。東京科学大学の近くの交差点にあります。

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こちらもちょっと可愛い。以上4体の大蛇は一年間風雨に晒されながら地域を守っていきます。

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東京科学大学のグランド脇には野戦重砲兵第三旅団の裏門の遺構が残っています。この砲兵隊については「帝都を歩く」さんが専門的で詳しいので、こちらでは省きます。

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元々軍用地だった所には、他にも中学校や高校、病院、それに千葉商科大学や和洋女子大学などなど、様々な機関や施設が建ち並んでいます。そんな中、元郵政宿舎の廃墟が3棟ほど残っていたり。

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そんなわけで京成の市川真間駅まで降りて来ました。線路脇にあるのは1929年(昭和4年)建造の京成電鉄社員倶楽部。現在は個人邸宅となっております。
市川市も歩いてないので、そのうち散策してみたいですね。

茨城県水戸市(1)、市街地と旧芦山浄水場跡

意外と今まで縁が無く、駅を降りた事のなかった水戸へ行って参りました。

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幼少の頃より、水戸と言えば偕楽園ぐらいしか無くて梅の咲く時期以外観光旅行に行く理由がない、と言うのが水戸のイメージでした。茨城交通だった時代のひたちなか鉄道や、もっと北の今はなき日立電鉄などには乗りに行きたかったのですが、水戸は微妙に遠い。

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とは言え立派な県庁所在地。歴史的にも幕末物の小説とか読んでると必ず水戸藩士は登場するし、今まで訪れて来なかったのが不思議なくらい。今回はハローサイクルが水戸市内に導入されていたので、レンタルサイクルで巡ります。

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こちらは1930年(昭和15年)竣工の茨城県庁旧庁舎。現在の庁舎は水戸駅より南西へ5.6キロほど離れた場所に、1999年3月竣工の25階建ての高層ビルを建設して移転しました。ちなみに同年11月には群馬県が前橋市に地上33階建の超高層新庁舎を建設させています。(なんか張り合ってますが、高い建物が全く無い場所に突然現れる高層ビルって言うのは、見た目なんとも……w)

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旧庁舎の近くにあるのが1932年(昭和7年)に建造され1999年(平成11年)まで使われていたと言う水戸市水道低区配水塔。装飾がエグいくらい凝っています。こちらは市内の下市地区(水戸駅東側)へ水道水を供給するために作られた給水塔になります。

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敷地内のこちらの建物も同時代の物。水戸の市街地は空襲により大部分が焼け野原となったので、このような戦前建築は非常に貴重です。

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さて、ここからは一旦市街地を離れ、北側の水田地帯を北西へと進んで行きます。丘陵地の麓伝いに続く道を進みます。

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斜面際には幾つもの湧水地が。水戸の中心街は北を流れる那珂川と、南を流れる支流の桜川に挟まれた台地の上に形成されています。その台地から一歩崖を下れば長閑な農村風景へと様変わり。

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那珂川流域の平野部の際、台地の崖下に当たる所からは豊富な湧き水が滲み出し、水田地帯を潤して那珂川へと注ぎます。

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たまに幾つもの廃屋を目にしたりもします。

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こちらも湧水地。もはや湧水群と呼べます。

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水田地帯から丘陵地を望むとこんな感じ。あの丘陵の上に市街地が広がっていると言う、なんとも特徴的な地形にあります。

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水戸駅から北西に7キロほど走った那珂川のほとりに、旧芦山浄水場があります。

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正門から裏手、那珂川の土手に出ると、幾つかの建物が見えます。この芦山浄水場は1932年(昭和7年)に建造され、のち北西部の丘陵地に建造された楮川(こうぞがわ)ダムにその役目を譲り1993年(平成5年)廃止となりました。

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そしてこの廃墟、映画「カメラを止めるな」などのロケ地としても使われています。そう言えばあの映画観た時にエンドロール見てロケ地水戸なんだぁって思ってたのに、すっかり忘れてました。

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現在水戸市は撮影のロケ地として貸し出ししているのみですが、是非とも内部も一般公開して欲しいです。

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那珂川沿いに南東へ下り、坂を登って丘陵地の上へ。桂岸寺の門前辺りに古そうな旅館が。

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だいぶ駅に近づいた栄町で、なんとも昭和な看板を目にしました。この「サンなんちゃら(漢字が読めない)自転車」とは。聞いた事もない。

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その交差点を入ると、今まさに解体されようとしている団地がありました。ここは県営松並町アパート。調べたらなんと1951年(昭和26年)竣工の2K風呂無し。昭和20年代に建てられた団地は初めて見ました。

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て言うか公営住宅法が制定されたのが1951年(昭和26年)6月4日で7月に施行されたので、ほぼ第一号と言う事になります。鉄筋コンクリート造の多層階アパートは関東大震災復興に於ける同潤会アパートの例があるので不思議ではないですが、もしかしたら歴史的価値のある公営住宅だったのではないでしょうか。

次回は繁華街を巡る後半に続きます。


東京都武蔵野市、中島飛行機武蔵製作所引き込み線跡

以前立川飛行機の関連遺構を巡った際、立川飛行機と時を同じくして空襲の標的となった中島飛行機武蔵製作所の存在を知りました。

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今回、戦前までは中島飛行機武蔵製作所の引き込み線で戦後に国鉄武蔵野競技場線となった線路の廃線跡を巡ります。起点は三鷹駅の西にある三鷹車両基地の北側、堀合児童公園から。
※写真は撮影時間の時系列が逆となります。

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三鷹(東)側からの線路は戦後、国鉄武蔵野競技場線として敷かれた物となります。廃線跡はその全線が緑道にされており、googlマップで見ると廃線跡の軌跡がはっきりと分かります。

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三鷹で分岐した線路は北へ向かってカーブを描いて行きます。

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境浄水場の手前で玉川上水を渡ります。ここに掛け直された橋にだけ、ここが廃線跡だと示すように線路が埋め込まれていました。

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ここに唯一の遺構である橋台跡が残っているのですが、夏草に覆われてほとんど見えません。

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それとは別に、武蔵境(西)側から分岐して北へカーブを描く廃線跡もあります。こちらは大正13年に建設された境町浄水場まで濾過用の砂の運搬のために敷かれました。しかし昭和13年、ここより北に中島飛行機武蔵製作所が建てられると、工場までの物資の運搬にも利用されます。

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分かりやすく説明するとこんな感じ。戦時中は武蔵境から中島飛行機までの専用線、戦後は三鷹から国鉄武蔵野競技場線の線路が繋がり、武蔵境からの線路は元の砂運搬の引き込み線へと戻ります。

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武蔵境からの廃線跡にも玉川上水を渡る橋台が残っているのですが、いかんせん草木に覆われて水面すらも見えませんでした。冬になれば多少見えるかも知れませんが。写真右(北)側は境浄水場で左(南)側には玉川上水。

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かつての専用線はここから境浄水場の敷地に入り、濾過するための砂を集積していたそうです。

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少々話が逸れます。全体像こそ見えませんが浄水場は玉川上水に沿うような形で幅300m、長さ750mと言う広大な敷地に2列の水槽が連なっています。

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この境浄水場は大正13年(1924年)通水。緩速濾過方式の浄水場としては日本最大規模だそうです。

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浄水場の西端、村山貯水池(多摩湖)及び山口貯水池(狭山湖)から引き込まれて来る上水道には狭山・境緑道が続いています。またこの水は、ここから東へ井の頭通りの下を通って和田堀給水所にも流れて行きます。一度この一連の水の流れをまとめてみたい。

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また、境浄水場の南西角には玉川上水から千川上水が分岐する境水衛所跡があります。右(東)に流れて行くのが玉川上水、左(北)へ流れて行くのが千川上水。

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この境水衛所は江戸時代水番所と呼ばれ、玉川上水の水量の確認や流されて来る落ち葉の撤去などがされてました。

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こちらは千川上水への水量を調整する堰。境水衛所は昭和55年(1980年)新宿西口の淀橋浄水場が廃止された事に伴い玉川上水の利用が終了した事で廃止されました。

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ここより分岐して行く千川上水はかつて練馬を通り巣鴨まで至る上水道でした。現在では一部浄化された下水も流れ込みながら青梅街道沿いを流れて善福寺川へと流入しています。

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さて、話を廃線跡に戻し境浄水場東端から北へ歩いて行きます。ここから先は昭和13年(1938年)に完成した中島飛行機(現・スバル)武蔵製作所の引き込み線として開通しました。昭和13年と言えば立川飛行機製作所の完成と同じ年ですね。

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途中、関前高射砲陣地跡があります。米軍は昭和19年(1944年)7月のサイパン占領で、日本本土へ直接往復できるマリアナ諸島を確保してB29を配備。同年11月24日のB29による東京初空襲の際、中島飛行機武蔵製作所に対しても爆撃が行われました。

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廃線跡は現在グリーンパーク緑道として整備され、沿道には幾つもの小規模な公園が併設されています。ただ、少子化のためか子供が公園で遊ばなくなったためか、雑草が生い茂るままになっている所も。

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しばらく歩くと廃線跡は、戦時中に工場へと引き込まれて行った真っ直ぐ北へ進むルートと右へとカーブを描くルートに分岐します。

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こちらは戦後、国鉄武蔵野競技場線として敷かれたルート。昭和26年、工場跡地に建設された武蔵野競技場内の武蔵野グリーンパーク野球場への旅客輸送を目的として開通しました。

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グリーンパーク緑道は武蔵野中央公園で終点となります。この公園は中島飛行機武蔵製作所の跡地で、戦後より昭和48年(1973年)までアメリカ軍の住居として利用されていました。このグリーンパークと言う名前も当時進駐軍が使用していた地名に由来するとか。

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武蔵野中央公園の東側には都営住宅とUR団地が広がっており、この辺りが武蔵野グリーンパーク野球場の跡地と思われます。野球場は当初プロ野球チーム(一説には国鉄スワローズ本拠地のために元逓信省総裁松前重義の尽力で建設と言われているが秘密裏に進められていたため確証は無い)のホームグランドとして誘致していましたが、都心部からの遠さやスタジアム設備の悪さからプロ野球の本拠地招致に失敗。以降球場は単なる競技施設となり翌年からは列車も運行されることがなくなり1956年(昭和31年)に閉鎖。それを受けて国鉄武蔵野競技場線も昭和34年(1959年)廃線となりました。
ちなみに国鉄スワローズは昭和27年(1952年)よりフランチャイズ制が導入され、読売ジャイアンツ、毎日オリオンズ、大映スターズ、東急フライヤーズと共に後楽園球場を本拠地としました。

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公園内にあるこの場所は、中島飛行機武蔵製作所があった当時、爆撃目標とされた地点だとか。ちなみに武蔵野中央公園には閉鎖された野球場の他に陸上競技場や体育館、市営サッカーグランドなどもあります。特にサッカーグランドは横河武蔵野フットボールクラブ(旧・横河電機実業団チーム)のホームでJ3を目指したが、2019年観客動員数が見込まれずに断念しています。

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近くの案内板には飛行機工場があった当時の写真プレートが幾つか展示されています。

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こちらは塞がれていますが、下には後に発掘された工場の地下通路跡が眠っているそうです。

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団地の南側には団地の住民たちが利用するためか、はたまたそれ以前よりあったのか、グリーンパーク商店街があります。
今回は廃線跡を中心にその周辺を散策しましたが、当時の遺構と呼べる物が非常に少なかったです。歩き回った割には収穫が少なかった。

東京都立川市、東大和市、立川飛行機と日立航空機変電所跡

東京都立川市にある旧陸軍立川飛行場周辺の戦争遺跡を巡って来ました。

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JR中央線立川駅の北側。多摩モノレールの左手には立飛ホールディングスが2020年にオープンした複合施設、グリーンスプリングスが続いています。

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その裏手には国営昭和記念公園が広がっています。大正11年(1922年)開設された陸軍立川飛行場は終戦後GHQに摂取され米軍基地として利用されて来ましたが、跡地は現在の陸上自衛隊立川駐屯地ならびに昭和記念公園となっています。

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その不動産賃貸業などを営む立飛ホールディングスの前身が立川飛行機、後の立飛企業。大正13年(1924年)石川島造船所(後のIHI)を中心に出資して設立された石川島飛行機製作所を前身とする中堅航空機メーカーです。昭和5年(1930年)ここ立川へと移転し、昭和11年立川飛行機製作所と改名しました。

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立川飛行場の東側に隣接していたのが立川飛行機の軍事工場。非常に広大な敷地で現在も工業地帯として残っております。立川飛行機は戦時中、主に帝国陸軍の練習機などを生産しており、その代表格が九五式一型練習機、通称赤とんぼと親しまれていた複葉機です。

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立川飛行機の工場は空襲により大きな被害を受けましたが、多摩モノレールでひと駅行った高松駅から見えるこの建物などは、空襲を逃れた当時の建物と思われます。他にもノコギリ屋根の棟など軍事工場当時の建物が残っていると思われますが、その辺の判断は難しいです。

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立川飛行機は練習機や輸送機の開発及び生産を続けつつ、大手である中島飛行機(現在のスバル)が開発した一式戦闘機「隼」の大規模な移管生産も行っていたそうです。

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昭和13年建設のこちらの給水塔も当時の面影を残しています。陸軍の航空機ばかり生産していた立川飛行機ですが、ちなみに海軍による赤とんぼ(練習機)は西宮市にある川西航空機(現・新明和)で開発、生産されていました。その後新明和は戦後初の国産旅客機YS11の開発に携わり、海軍の飛行艇を製作していた頃の技術を生かして自衛隊の飛行艇を開発するに至ります。

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隣の立飛駅周辺も立飛の工場に囲まれています。その工場敷地内にもうひとつ給水塔が。こちらも当時の建造物です。戦後も航空機メーカーとして復活する川西などに対比して、立川飛行機は1952年に戦後国産第一号機であるR-52型軽飛行機(練習機)を開発したものの、すでに時代遅れの技術であり量産には至らなかったそうです。その後不動産賃貸事業が中心となる立飛ですが、200名の社員で分離独立して立ち上げた「たま電気自動車」が後のプリンス自動車となり、スカイラインの開発へと続きます。スカイラインと言う名称がかつての航空機産業から来ているかどうかは、それは想像に過ぎませんが。

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多摩モノレールで更に北へ進み東大和市に入りました。玉川上水駅の北東、公園内に旧・日立航空機立川工場変電所跡があります。この日立航空機立川工場は、先に述べた立川飛行機に航空機エンジンを供給していた工場でした。母体はもちろんあの日立製作所です。日立は航空機開発には参加せず、あくまで下請けに専念していたんですね。尤も炭鉱やモーターなどの機械産業が主体でしたから。

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変電所は現在、水曜日と日曜日のみ内部が公開されています。ボランティアの方に解説して頂きながら廻って行きます。この日立航空機の前身は機械工業の先駆け的な存在である東京瓦斯(ガス)電気工業です。

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東京瓦斯電気工業は昭和14年に日立グループへ経営権を譲渡し終戦までエンジンを造り続けましたが、終戦後も鋳造分野の機械産業の場でゼノアなど社名を変えつつ存続しています。

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とにかくこの建物は機銃掃射による弾痕が生々しいです。こちらは階段脇の弾痕。機銃掃射は主に空母から飛来した戦闘機によるものも。それ以外にも、直撃は免れたものの爆撃による飛散物で抉られた跡もあるとか。

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裏に廻ると貫通した跡があります。右上の抉れている部分は鉄筋に当たって銃弾が貫通していないものの、その衝撃でコンクリートが剥がれた跡です。昭和13年(1938年)に完成した建物ですが、工場の敷地内の片隅で1993年まで稼働していたからこそ残っていたのかも知れません。

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外壁はまさに蜂の巣状態。戦争の激しさをここまで生々しく残す戦争遺跡も珍しいです。

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建物の脇には戦没者慰霊碑が建っています。立川の軍事施設群は3度の空襲を受け、110名が犠牲となりました。

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太平洋、つまり南側から米軍機が飛来して来たので、北側の壁には砲弾の跡がありません。

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戦前から戦後、高度経済成長など、様々な時代を生きてきた建物ですが、変電所故にでしょうか、改修工事とかそう言う物が為されて来なかったのでしょう。この扉にしても昭和初期の物と思われます。

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一部、塀も残されています。かつて建物を周回する塀によって、この戦争遺跡は隠され続けて来ました。

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さて、中に入って行きます。内部には貴重な資料や写真などが展示されており、戦争末期の度重なる空襲の事などが学べます。

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東洋陶器(TOTO)のロゴマークからこの洗面台は建設当時の物だと分かるそうです。変電所と言う利用のされ方も絶妙だったからこそ、あらゆる所が昔のままなんでしょう。

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銃弾によって抉られた階段の手摺りと二階スラブ。下から上に軌道を描いている事から跳弾による物と思われます。

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2階に上がってみると、変電設備が残っていました。昭和20年(1945年)2月17日、F6Fヘルキャット戦闘機による最初の空襲がありました。これは大戦末期、帝国海軍が壊滅状態となっていた事で太平洋東沖まで空母の侵入を許してしまったためだそうです。16日に厚木海軍航空隊の最新鋭戦闘機、紫電改(川西飛行機)で迎撃するも、厚木飛行場や中島飛行機武蔵工場(武蔵野市)が爆撃されるとともに、17日ここ立川も機銃掃射を受けました。

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片隅には仮眠室が。畳一畳ほどの寝台があり、24時間人が詰めていたようです。建物内の建物で面白い造りをしています。2回目の空襲は同4月11日P-51ムスタング戦闘機らによる機銃掃射。帝都防衛のために航空基地を造りまくり、工場を移転させる地下トンネルを堀りまくっていた時期ですが、成人男性の多くが戦地へと送られていた事で労働力不足に陥っていたため建設が間に合いませんでした。

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仮眠室の内部です。いつ頃どのくらいの頻度で使われていたのでしょうか。3回目の空襲は同4月24日、いよいよサイパンから硫黄島経由で101機のB-29が飛来します。

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この辺のロッカーには瓦斯電(ガスデン)のプレートが。つまり建設当時から使われていたと言う、なんて物持ちがいいと言うか、ロッカーぐらいスチール製にしてもいいのに!

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この消化器を示す木製パネルも相当な古さですね。こう言った物は例えば廃墟などでは腐敗して残っていない事が多いです。現役で使われ続けていたからこその奇跡。

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明電舎のプレートがありましたが、これもまた建設当時の物。使用されなくなって30年以上が経っている訳ですが、一般公開に向けて綺麗に掃除しただけで機器類はそのまま残っていたと言う事でしょう。

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ヒューズとかカッコいいって思ってしまいます。しかしここにも弾痕が。銃弾食らってんのに修理しながら55年もの間使い続いていたと言う事です。物持ち良すぎ!

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奥の部屋はこんな感じです。この建物は1階が事務所、2階が詰め所と変電設備と言った造りのようです。昔の変電設備がここまでしっかり残っているのも凄い。

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碍子とか配線とか、なんか興奮します。これは電気業界に於ける博物館とも言えるでしょう。これでも戦後の小松ゼノア(旧・富士自動車)時代に設備が更新されているそうですが、どこが更新されているのやら。

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かつてこの先には工場が広がっており、その先の空から米軍機が襲来して来ました。そんな光景を今でもどこかの国の人が目にしているのかも知れません。そんな訳で小さな建物でしたが、戦争の壮絶さを肌で感じる事が出来るような、非常に見応えのある建物でした。

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シメは立川駅南口東側の歓楽街にある立ち飲みえびす屋さん。

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しばらく立川で仕事があったので、何度か通いました。店内は電子タバコのみ可。紙タバコは店頭のカウンターのみ。いや、立川は紙タバコOKの店がほとんど無いです。

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そんな立川駅南口なのですが、商店街全域が宗教都市化していると言うね。

東京都小平市、テルメ小川と小平市ふれあい下水館

西武新宿線小平駅から小平営業所行きのバスに乗り、小川寺前バス停で下車。ここにスーパー銭湯の小平天然温泉テルメ小川があります。

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テルメ、つまりテルマエって事ですね。2000年末にオープンしたこの施設は、西洋チックな外観からなかなか訪れようって気になれずにいました。しかし入ってみたら思いの外素晴らしいお湯でした。

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※浴場の画像は公式サイトよりお借りします。(女湯は西洋風な造り)
泉質はナトリウム―塩化物炭酸水素塩泉(弱アルカリ性低張性温泉)、いわゆる関東でよく見る黒湯系なのですが、とにかく色が濃く透明度が少ないコーヒー色。他のスーパー銭湯とは一線を画しており、どちらかと言うと蒲田温泉のような浅い深度から湧出する温泉銭湯の黒湯に近い印象。そのはずでここのお風呂は、加水無しの源泉100%なのです。露天には34.8度の源泉が加温無しで掛け流されています。超ぬる湯ですが、その分じっくり浸かっていられる。掛け流し浴槽の隣には加温循環濾過浴槽。しかしこちらにも源泉が常に投入されており、全く遜色ないです。

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※公式サイトより
内風呂も加温循環濾過ですが、全く加水されておらず濃いままで、多少のヌメり感、芒硝泉のような匂い。これだけ広い浴槽でこのクオリティー、源泉の湧出量が毎分210リットルと言う多さゆえと言ったところ。

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湯上がりは肌がスベスベ。美肌の湯としても非常に評価が高いとか。ただ一つだけ注意点。お会計の時に使用するICチップによって脱衣室ロッカーの電子キーを開錠するのですが、使用したロッカーの場所と番号をしっかり覚えていなければなりません。ともあれここはスーパー銭湯としては久々のヒット。実に満足出来る施設でした。

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テルメ小川から武蔵野美術大学まで歩き、そこから国分寺行きのバスで旭ヶ丘住宅バス停まで。玉川上水沿いに小平市ふれあい下水道館があります。余談ですがこのバス路線、沿道が学校だらけで、武蔵野美大から白梅学園高校、朝鮮大学、創価中学・高等学校、小平第十五小学校、津田塾大学と、ちょっと特殊な学校も含めて学校銀座となっていました。

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入口にはシールド工法の掘進機が展示されています。地中深くに下水道を通す場合はもはやトンネル工事になるんですね。訪れたのが3月頭だったので、隣の公園の梅が満開です。

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建物の外観は2階建ですが地下5階まで下に伸びてます。各フロアには下水に生きる微生物や下水の歴史など、様々な事が学べるようになっています。興味をそそる展示物ばかりで、なかなか下に進めませんでした。

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こちらは現在の塩ビ管と昭和初期まで使われていた陶器の下水管。今年の初めに深谷市を訪れた際、この陶器製下水管を造っていた窯元の跡を見つけましたね。

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そしていよいよ最下層、地下20mを走る下水道に辿り着きます。下水道と言えば埼玉県八潮市の下水道陥没事件が記憶に新しいですが、ここまで深ければそんな心配無さそうです。

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ゲリラ豪雨などで下水が噴出することを防ぐため、潜水艦みたいな厳重なハッチが二重に設置されています。

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いよいよ現役の下水道の中へと入って行きます。下水道に入れるのはここが日本唯一。ドブ臭いですが貴重な体験です。

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延々と続く深い闇。こちらの下水道は小川幹線と言って約2万世帯の生活排水が集約されているそうです。先にスーパー銭湯寄ってしまいましたが、ここを観た後でテルメ小川に行く方がおすすめ。

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地上に戻りました。こちらは上水道として使われていた玉川上水。そう言えば去年の春、羽村市にある玉川上水の取水口を訪れました。

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並行して周辺の農地に水を送るべく明治3年に造られた新堀用水が流れています。西武国分寺線の橋台のレンガが気になる。
そんなわけで、上下水道関連を巡るのも、なかなか面白いです。


※お知らせ

3/30(日)放送の「ポツンと一軒家」にて、茅葺き屋根の葺き替えのイメージ画像として過去に撮った写真が使用される事になりました。一瞬とは思いますが、ご視聴下さい。


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