歓楽街

※まとめサイト等への画像及び文章の無断転載を禁じます。メディア等での画像使用については”unagidanyoro2@yahoo.co.Jp“までご連絡下さい。

     ⬜ 温泉リスト(フルプラウザ版) ⬜

    ⬜ 立ち飲みリスト(フルプラウザ版) ⬜

大阪府大阪市九条(1)、赤線跡の松島新地

明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。新年早々、大阪からスタートさせて頂きます。
今回は連れが入院するなど諸事情により何十年ぶりかの一人旅となりました。尤も関東圏内の日帰りはいつも一人旅なのですが、泊まりがけでは久しぶりに一人。と言うわけで無茶ができます。

IMG_7092

まず夜行バスなんて16年前の大阪旅行以来になります。連れは夜行バスでは寝れないとの事なので、地方へ行く際は飛行機か新幹線となっていました。今回もお金が有れば新幹線なのですが、背に腹はかえられぬ夜行バス。バスタ新宿から往路は予約のタイミングが遅れた事も重ねて帰省ラッシュ料金なのか28日発9800円、復路は30日発4200円。新幹線は片道14800円なので半額ならばいいかなと、利用したのは桜交通。来たのは三菱ふそうエアロバスシリーズ(好きな方)。23:10発です。

IMG_7096

ね、寝れねーっ!
こんなにキツかったっけ。4人掛けの狭さもありますが、背中痛いし振動で寝れない。鉄道ではロングシートの端っこでも速攻眠れるのに、バスはリクライニング倒しても殆ど眠れない。50代で夜行バスは無理でした。

IMG_7099_Original

体バキバキで寝不足気味に梅田へ到着。喫茶店に入ろうと検索したら、座って缶コーヒーが飲める喫煙所でした。

IMG_7110

以前、2009年に彼女と夜行バスで大阪に着いて、まず朝イチ最初に行ったのが飛田新地でした。ひどい話ですwwww
そして今回は西区九条の松島新地へ行って見ます。赤線跡地のちょんの間地帯です。

IMG_7153

早朝なのは大阪の「新地」と付く特殊飲食店街で写真を撮るのが危険だから。カメラを構えようものなら怖い人にカメラを没収されると言う話です。各建物の前には撮影禁止と貼り紙がされています。

IMG_7108

なので人通りが最も少ない朝方にこっそり撮るしかありません。そもそも目的は貴重な建築物を撮る物であります。撮っていけないのは営業中に店先で誘いをかける女の子です。

IMG_7155

以前飛田新地を訪れた時は早朝に写真を撮った後、夕方再び訪れて鯛よし百番で鯛ちりを食べました。その際営業中のちょんの間も見ましたが、なんとも独特な雰囲気でした。

IMG_7105

それにしても素晴らしい建物ばかり。想像していたよりも広く、飛田新地とそんなに変わり無いといった印象。

IMG_7111

元々の発祥は遊郭でありんす。ありんすとか言っちゃったよ。遊郭や赤線地帯のネタの時は毎回その時代背景について解説してますが、今一度解説します。知ってるよって方は読み飛ばしてください。

IMG_7112

松島遊郭の歴史は明治2年、現在の場所より東の木津川べりに新たに遊郭が完成した事から始まります。大阪に於ける遊郭そのものは江戸時代から新町遊郭などがありましたが、そちらは衰退していきました。

IMG_7115

しかし1945年(昭和20年)、大阪大空襲により全焼。1947年(昭和22年)、現在の場所に移して再開します。

IMG_7119

とは言え戦後1946年(昭和21年)にはGHQの指令により公娼制度が廃止されたので、カフェーや料亭などの体裁で再開します。いわゆる赤線の時代となります。

IMG_7120

やがて1957年(昭和32年)に売春防止法が成立(翌年施行)し、全国の娼館の歴史は完全に幕を閉じることになった。はずでした。

IMG_7121

しかしここを含めて業態をかえつつも場所も建物もそのまま残った場所が幾つかありました。飛田をはじめ滝井、信太山など。京都にも確かあったはず。

IMG_7124

とは言え廃業されたり取り壊されて空き地になったり、マンションが建てられてしまった場所もありんす、いや、あります。ちょっと前までは新地のど真ん中にマンションなんて考えられなかったのですが、時代が変わったのでしょうか。

IMG_7132

売春防止法以降全国の赤線青線地帯は、料亭などの三業地として存続したり、ソープ街と形を変えたり、そのまま消滅したりと様々でしたが、ここ松島新地など関西の新地はちょんの間地帯として生き残っています。

IMG_7154

ここなんていかにもなちょんの間建築です。赤線時代小規模な店だったと言う事でしょうか。ちなみにちょんの間とはソープとは違いお上のお目溢しを頂いてない、摘発対象となる本番ありきの業態。関東では川崎堀之内にのみ生き残っています。

IMG_7133

この辺り看板が無いと言う事は潰れたお店の跡でしょう。ここなども遊郭っぽい造りじゃありませんが、そもそもの話、遊郭は空襲で一度焼け野原となっています。

IMG_7134

現在の松島新地の建物は全て戦後建築。それなのにカフェー建築のように洋風でハイカラな物は建てずに、あくまでも江戸時代から明治大正の遊郭を思わせる造りになっています。

IMG_7136

これは「遊郭の気分」を出すために遊郭建築を再現したと言う事か、はたまた公娼制度が廃止されたにもかかわらず松島遊郭を再興させようと言う気分からか。東京で言う所の震災後の銭湯建築みたいな考え方でしょうか(ちょっと違うか)。

IMG_7137

ただ、飛田新地に残る重要文化財の鯛よし百番は大正中期の建設とされています。飛田は大正7年に完成し、戦火を逃れた建物が幾つかあったそうです。やはり戦前からの遊郭建築との決定的な違いは木造モルタル造りである事。内部の構造も明治大正期の、それこそ鬼滅の刃に出てくるような遊郭建築とは全く違うのかも知れません。

IMG_7140_Original

遊郭の端には茨住吉神社があります。氏子の名前を探せば遊郭の名前もあるでしょう。

IMG_7158

街外れに松島料理組合の入る松島会館があります。表向きはあくまで料亭の体裁を取っているので、組合も料理組合と言う名前になります。

IMG_7150

松島新地の外れに、気になる場所を見つけました。

IMG_7145

建物と建物の間が狭い路地となっています。

IMG_7146

これは唯ならぬ雰囲気。想像ですが、青線としての私娼窟があったのかも知れません。

IMG_7148

この狭さは身を隠すため。現在は普通の住宅ですが、建物の造りなどから怪しいと感じました。
また機会があれば、他の「新地」も見てみたいです。
大阪シリーズ、しばらく続きます。多分1月いっぱいこなせるww

茨城県水戸市(2)、花街跡の歓楽街と赤線地帯跡

前回の続き。さて今回は水戸の繁華街を巡ります。

IMG_6535_Original

まずは水戸駅から1番遠い栄町界隈のスナック街から。

IMG_6539_Original

茨城県の歓楽街と言えば土浦と水戸。この二大都市はどちらも栄えていましたが、私が見た感じでは土浦の方が寂れた雰囲気がありました。もっとも土浦の市街は駅周辺しか歩いてませんが。

IMG_6540_Original

なんて言ったって水戸は日立に近いってのがあります。日立グループにあやかってると言う部分が大きい。しかし町そのものは京成ホテルや京成デパートなど、京成グループが幅を利かさせいる印象がありますね。常陽銀行とか水戸証券とか元気無いし。

IMG_6544_Original

と、そんな関係ない話で間を待たせないといけないくらい、スナック、キャバクラ街が広い!

IMG_6545_Original

例えばこのスナックビル、建築年代はギリ昭和でしょうか。さすが県庁所在地と言ったところでしょうか、寂れた雰囲気はほとんどありません。

IMG_6546_Original

妖しいなぁ、窓の塞ぎ具合とか、めっちゃ風俗感が。

IMG_6547

飲み屋街の外れにはラブホがあります。右側の建物なんかは窓を塞いでいて風俗店の雰囲気。

IMG_6548

通りと言う通り、夜のお店しかありません。しかもそのほとんどが現役ってのが、さすが大都市。経済的にも地元での雇用先が多いのか、土浦と比較して過疎化の雰囲気がありません。

IMG_6554

南側へ進んで行くと住所は大工町に変わります。この界隈にはかつて花街がありましたが、空襲を経てその痕跡はほとんど見られません。ただ名残りとして同じ場所がスナック街となっております。

IMG_6555

旦那横丁飲食店街のアーチ。奥に見えるのが水戸市街のメインストリートでもある国道50号線。ちなみにその50号線は笠間市や筑西市へと続いています。

IMG_6557_Original

国道50号線を南に越えると街の様子が一変します。住所が天王町に変わるこの界隈は、いわゆるソープ街であります。

IMG_6560_Original

ただキャバクラ業界と違い、お風呂業界は不況の煽りを強く受けて潰れる店も多くあります。かなり大型店だったのかまるでホテルのような廃墟。

IMG_6556_Original

裏に回るとこんな感じ。後背地は丘陵の南端で崖地となっております。

IMG_6564_Original

そんな中、超ド派手な店舗が。ここはかつて水戸を代表する巨大ソープ(当時はトルコ風呂)のクイーンシャトーと言うお店でしたがバブル崩壊の時期に閉店、その後30年以上廃墟のままだったそうです。しかし近年改修工事の末に新規オープン。この規模となると解体費用も億を超えるそうですが、改修にしても長年放置されてきた建物だけに相当な費用がかかっていると思われます。
ちなみにこの色使いはアレですね、元々はバブル期に歌舞伎町を中心にテレクラのリンリンハウスから始めた新宿ソフトと言う会社から始まり、他にも漫画喫茶のマンボー(森下不動産)やビデオボックス(株式会社大倉ビル)、出会い系サイト、株式会社ロボットレストラン(現在はサムライレストラン)、ホテル事業のワタナベ商事、ラーメンの博多風龍、イメクラのクリスタル系列、女性求人サイトのバニラなどなど、全て別会社でありながらも関連グループであると言う。まぁ夜の風俗王と呼ばれる森下グループと言うやつです。

IMG_6571_Original

さて、市街地を一気に抜けて駅の近くまで。国道の南側に水戸東照宮と言うのがあり、その右手(西側)に渋い飲み屋街が連なっています。

IMG_6570_Original

路地は徐々に丘陵の際、下り坂となって行きます。

IMG_6567_Original

大衆クラブキャンパスワンの看板がありますが、当然ながら廃業しています。

IMG_6569_Original

その隣の建物も元はスナックだったか居酒屋だったか。

IMG_6576_Original

丘陵地を降りると奈良屋町となりますが、この一帯はかつての赤線地帯でした。崖下の狭い通りは戦後に栄えた通り。

IMG_6575_Original

名残はほとんど残っていませんが、廃業した居酒屋の跡などが見られます。1918年(大正7年)、この奈良屋町が出火元で水戸の中心街約1100戸が焼けると言う水戸の大火がありました。

IMG_6579_Original

水戸の大火の後、ここ奈良屋町には大工町などの花街とは別に市内に点在していた私娼が集められました。谷底の大通りは大正当時から私娼窟があった場所。

IMG_6573_Original

こちらは唯一当時の姿を残す建物。水戸には陸軍の第2聯隊や第14工兵大隊があったため、遊郭が無い代わりにここ奈良屋町の私娼窟が栄えたとか。

IMG_6574_Original

当時の屋号が微かに残ってますが、昔の漢字過ぎて読めない。しかし1945年(昭和20年)8月2日、水戸の大空襲で再度焼け野原となります。

IMG_6578_Original

この神社は当時からあったのでしょうか。戦後の奈良屋町は進駐軍用の特殊慰安婦街として指定され、見事に復活を遂げます。

IMG_6577_Original

崖の上は水戸東照宮の裏手になります。翌年の1946年(昭和21年)、GHQによる公娼廃止指令により赤線及び青線が引かれ特殊喫茶店の名目で続きますが、1958年(昭和33年)の売春防止法の施行まで続きました。その後はスナック街として残りましたが、現在ではご覧の通りごく普通の住宅街となっています。

IMG_6580

奈良屋町の谷を南に下り、水戸東照宮の東側へと回り込みます。何やら古そうなビルが。

IMG_6581

ここは東照宮の東側の宮下銀座商店街。3階建ての古い雑居ビルが連なっています。

IMG_6584_Original

空襲で焼け落ちた水戸東照宮が1962年(昭和37年)に再建されますが、同じ頃この商店街が誕生しました。商店街は登り坂で水戸のメインストリート国道50号線へと抜けます。

IMG_6586_Original

デザインが統一された雑居ビルが両側に連なりますが、かつてはアーケードの屋根も設置されていました。国鉄ストアなどもあり商店街として大いに栄えていたそうですが、現在では半分以上が飲み屋街となっています。

IMG_6590_Original

こちらは帰り掛けに寄った駅に近い立ち飲み屋「ニューたけさん」。

IMG_6591_Original

なんと営業時間が午前11時から朝の4時まで、土曜日は24時間営業と言う素晴らしい店。しかも煙草は吸えるし駅近だしで言う事ありませんでした。

千葉県銚子市(2)、旧・赤線地帯跡のスナック街

千葉県銚子市(1)、銚子の街並み
千葉県銚子市(3)、外川の犬吠埼市営住宅
千葉県銚子市(4)、ゴーストタウン化が進む市営住宅

さて、ここからは銚子の飲食店街や歓楽街を巡って行きます。

IMG_5227

漁港沿いに東へ歩いて来ました。ちょっとしたスナック街などもありますが、この辺りにはかつて南町と言う特殊飲食店街、つまり私娼街がありました。

IMG_5231

住宅街の中に飲み屋が点在。泊まりがけで来て、こう言う所で飲んでみたい。

IMG_5237_Original

丘陵地が海に迫って来た所に飯沼観音と言う古刹があります。銚子の街は最初この飯沼観音が坂東三十三観音札所巡りの二十七番札所になったことから、その門前町として栄えて来たそうです。その後漁師街としても栄え、利根川水運の開通でさらに発展してきました。

IMG_5240

その飯沼観音(圓福寺)から再び海沿いへと降りて行きます。

IMG_5246

ここで再び商店街が。現在はほぼシャッター商店街と化していますが、かつての賑わいを感じます。

IMG_5247

商店街の南側(丘側)へと入って行きます。廃墟化してますがスナックビルの跡が。

IMG_5250

この界隈は田中町と言って、南町同様戦前は私娼街、戦後は赤線地帯だった時代があったそうです。

IMG_5253

漁港としての規模が大きい分、スナック街の範囲も非常に広いです。

IMG_5251

この辺りを歩いていると廃墟化したスナックの跡などが散見されます。

IMG_5255_Original

路地裏に入って行くと現役の外国人系パブが集まる一画がありました。

IMG_5257_Original

この辺りはいかにも赤線だった場所だと思われますが、特徴的なカフェー建築などは見られません。

IMG_5260_Original

ちなみに銚子駅から北西へ向かった松岸駅より利根川の河岸へ出た所に、かつて松岸遊廓と言うのがありました。あちらは利根川水運の発展に併せて江戸中期の1700年前後の頃から栄え、水運の衰退後も昭和16年まで存在した公認の遊廓でしたが、現在ではその痕跡を全くとどめていないとか。

IMG_5266_Original

松岸遊廓の終焉の原因は舟運の衰退もありましたが、南町や田中町などの私娼街へ遊女が流れて行ったのも引き金となったとか。ただ、どのみち遊廓と言う形態は昭和21年(1946年)のGHQによる公娼制度の廃止で消える運命にありました。

IMG_5270_Original

この界隈の妖しさは南町のスナック街と一線を画しているようにも思えます。ただ、夜に1人で訪れて見なければ、その実態までは掴めません。

IMG_5268_Original

なんとも味のある木造モルタル造りの廃墟が。この建物は一体何だったのでしょうか。

IMG_5274

再びシャッター商店街まで出て、今度は海側を歩いて行きます。竹の湯と言う看板に沿って狭い路地を入って行きましたが、銭湯らしき建物は無くただ空き地が横たわるだけでした。

IMG_5276_Original

そしてこの廃墟はスナック長屋の跡。1階にも2階にも小さな飲食店が軒を連ねていたようです。

IMG_5277_Original

田中町も戦前から私娼街(特飲街)として栄え、戦後の公娼制度の廃止以降は赤線として継続しましたが、昭和33年(1958年)に施行された売春防止法によって私娼街の歴史に幕を下ろすこととなります。

IMG_5279_Original

その当時の名残りとしてスナック街へと移行する訳ですが、そんなネオン街も時代の流れとともに衰退し、宅地化されて行きます。

IMG_5280_Original

近くに現役のスナック長屋がありました。もしかすると先ほどの廃墟に入っていた店が建物の老朽化に伴いこちらに移転したのかも知れません。

IMG_5284_Original

現在では空き地と新築住宅がほとんどとなった田中町ですが、歓楽街として栄えていた当時の街並みは今や想像する事しか出来ません。

IMG_5287_Original

最後に、銚子電鉄の本銚子駅へ向かう途中煙突が見えたので行って見ました。

IMG_5857

相当昔に廃業されたと思われる銭湯の跡。屋号すらも不明です。

神奈川県横浜市鶴見区、三業地跡と青線跡

鶴見駅周辺は2010年4月に軽く訪れただけだったので、今回改めて訪れてみようと。

6C4537B3-5CD6-4B99-AAB4-B93415359F39

鶴見駅を撮るにも正面口である東口を撮るのではなく、鶴見線ホームのある西口。

1FBB5525-8DE5-41AB-A530-66A9B72CA480

この高架線ホームは昭和9年、当時鶴見臨港鉄道(現・鶴見線)の鶴見駅として建設された物です。駅自体は明治5年、日本初の鉄道が品川〜横浜間に開通した時に開業という古い歴史があります。

3C4E1E4A-4A48-4296-8D36-48147588B73E

鶴見駅西側の飲み屋街。韓国系の看板が目立ちますが、近くの大黒町に食肉市場があるため焼肉屋が多い。

AC874ECD-290A-4B85-941C-F44A6045E0EE

このスナックビルは三業共同ビルと言います。その名の通りこの一帯は昔、料亭や置き屋、待合いなどが建ち並ぶ三業地でした。

AAD0A669-D563-4E68-B19B-F12D656573EA

地下は入れなくなっています。廃業したスナックやパブなども多いようです。

E558D946-5CE6-4D84-84FE-9B84EDEF04F2

この一帯が三業地として栄えたのは大正時代から。京浜工業地帯の発展とともに歩んで来ました。しかし当時狭い路地に密集していたところ昭和40年代より区画整理が始まり、同時に三業地としても衰退して行き、今ではその名残りで歓楽街が広がっているのみ。当時の面影を見ることは出来ません。

0F188C8B-947C-4991-A275-9645A55BCD39

鶴見駅の南東を鶴見川が流れ、その向こうには本町通り商店街が続いていますが、ほぼシャッター商店街と化しています。

8CC19759-81D3-4136-9C17-7E4618BD2835

商店街から一歩裏に入れば住宅街。トタン貼りのアパートなどが数多く残っています。

1D59177B-37C0-4425-9335-AE694985DB10

工場の労働者たちが暮らしていたのでしょうか、しかしその多くが廃墟と化しています。

2445623E-BFD9-4815-AC41-A5ED98BA659D

アーケードが終わった辺り、右手に少し入ったところは、かつて青線地帯でした。

4D4CCA47-F288-4313-8192-3D68A9A76BD2

名残りとして残っていたスナック街も数軒を残すのみでほとんどが廃業。

54231A34-510E-463C-A7D1-067C947DEAF0

ひとつ上の写真の建物の右脇、スナックの跡が。この建物は連れ込み宿だったようです。

6309CC0E-E2B3-4E48-A004-822857D9FAD2

駅前の三業地とは別に庶民的と言うか、貧困層が遊ぶ場所はこの青線地帯でした。

59A9EAE4-49F9-4C0B-97E7-48BFB2E02BDE

一番奥に残るカフェー建築。

12EB1A5F-3BD5-4BAE-9590-7B6760BCB942

周辺は建て替えが進み新築一戸建てばかりですが、貴重な歴史的建造物としていつまでも残っていて欲しいです。

静岡県伊東市(1)、赤線跡の猪戸新地

この春より運転開始されたサフィール踊り子号。もちろん私はこれには乗らず各駅停車で訪れました。

IMG_1544

それにしてもカッコイイなぁ。
半分ぐらいがグリーン車で、コンパートメントのような席まで。しかしコロナウイルスの影響もあり車内はガラガラでした。不要不急外出の自粛と言いますが、こんな時だからこそ人の多い都会を離れて温泉地でのんびりするのも良いのではと思います。昨今の危機的な観光産業のためにも。

IMG_1489

平日というのも手伝ってか、観光客の姿はほとんど見えません。

IMG_1438

今回の目的は猪戸町界隈に残るカフェー建築。これがそう!とハッキリ判断し切れないのが、赤線地帯巡りのもどかしさ。

IMG_1445

ただただひたすら怪しい建物が多く点在しています。

IMG_1446

温泉街の赤線地帯の名残として有名なのがこのアーチ。半ばこれが今回の目的でもあります。

IMG_1450

現在この辺りはスナック街なのですが、木造モルタル建築の意匠が凝ってる凝ってる。

IMG_1453

この凝った建物を見るだけでも楽しいです。赤線どうこうよりも温泉街として栄えていた事が伺えます。

IMG_1456

一度泊まりがけで来て夜のスナック街を飲み歩いてみたいです。

IMG_1458

結構スナックとして改修された建物が多い中、モザイクタイルが残ってたりすると嬉しい。

IMG_1459

どれほどの店が生き残っているか気になるところ。赤線地帯跡とは言いますが、温泉街によってはいまだに赤線まがいの事をしてる場所も有ったりします。その場でコンパニオン斡旋したりね。

IMG_1461

アジア系の進出も著しい。北関東などには都心から流れて行ったアジア系も多いと聞きますが、伊豆方面にはそんなイメージ無かったんですが。

IMG_1467

伊東園ホテルの辺りを歩いていたら偶然見つけたストリップ劇場跡。後で調べてみたら2015年に閉館されたそうです。残念。
今回は駆け足で伊東市内を回りましたが、まだ川の向こうに新天地なる赤線地帯跡があるとか。それはまた次回。
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ブログ紹介
都内、近郊の古い街並みや建造物、路地裏などの写真とレポートを載せています。また、国内の寂れた観光地やマニアックな温泉スポット、廃墟などもご紹介。

鰻田ニョロの小説部屋
→昔書いた小説など
カテゴリー
最新記事
記事検索
  • ライブドアブログ