日帰り入浴施設

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埼玉県深谷市(1)、旧中山道沿いの宿場町

深谷と言えばネギしかない。そんなイメージの街が新紙幣の肖像となった渋沢栄一生誕の地として大フィーバーです。

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東京駅駅舎の赤煉瓦がここ深谷の地で造られた、と言う事で東京駅を模した深谷駅舎。実際の煉瓦ではなく煉瓦色のタイル張りですが。

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駅前にやたら広い空き地が広がっています。再開発計画推進中との事ですが、閑散とした駅前の雰囲気を助長していますね。

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駅から東へ。旧中山道まで出ると旧道沿いにスペースが。これは道路拡張計画に伴い、沿道の古い建物を一掃した痕跡。こう言う道路拡張工事って、土地取得に手間取って何十年も掛かったりするんですよね。そんな絵に描いた餅みたいな再開発のために、どれだけ多く貴重な建物が解体された事か。

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さて、旧中山道の深谷宿を日本橋寄りから北へ歩いて行く事にしましょう。こちらの建物はお米屋さんの「だいまさ」。江戸末期の創業だそうです。

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倒壊寸前の建築物もあります。いわゆる倒壊の危険性がある空き家で、まず市町村による調査、指導が入り、所有者がそのまま解体しなければ勧告や命令が入ります。それでも所有者の高齢化やそれに伴う解体費用の問題などで放置が続いたら行政代執行となります。

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なぜか伊香保温泉の観光ホテル「古久家」の看板。古久家は現存しているみたいです。近くに看板屋さんがあり、伊香保にお得意さんが多かったようで。

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向かい側は看板建築のように見えて実は昔ながらの商家と言う。古い建物が次々と解体され歯抜け状態になると、以前隠されていた建物の奥が見えちゃうんですよね。

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こちらは旧街道沿いの街並みでボスクラスの建物、塚本商店さん。元は燃料屋として日本煉瓦製造株式会社に石炭を納めていたそうです。大正元年(1912年)建造でウダツのような赤煉瓦の防火壁が迫力あります。

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深谷宿は前回の記事、鴻巣宿同様江戸期に中山道の宿場町として栄え、街道でも最大規模の町だったそうです。

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街道を歩いて行くと見世蔵なども残っています。詳細は不明。

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こちらの建物は小林商店。赤煉瓦倉庫は大正元年(1912年)建造で砂糖や乾物などを貯蔵していたそうです。木造3階建の洋館は昭和2年(1927年)建造。

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こちらは江戸末期の嘉永元年(1848年)創業の造り酒屋、藤橋藤三郎商店(藤橋酒造)。煉瓦煙突は大正時代に建造された物。深谷には何軒か酒造会社がありますが、軟水の井戸水が酒造りに適しているそうです。

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こちらは大正10年頃建造の福島邸。煉瓦造りのウダツが洒落ています。

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裏手には見事な煉瓦建築が続いていますが、これはこんにゃく原料倉庫兼製造工場だそうです。

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こちらは田中藤左衛門商店(七ツ梅酒造)跡。現在ではもう酒造りをやめてしまいましたが、当時の建物がそのまま保存されており、中を見学できるようになっています。

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入り口ではこの建物の修繕維持費のため、入場料100円を寄付の形で納めます。中には古書店やカフェなどになっており、多くの観光客が訪れていました。

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またこの建物はネットフリックスのドラマのロケ地に使われており、撮影当時の小道具などがそのまま残されていて、独特な雰囲気が醸し出されています。

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この田中藤左衛門商店は元禄7年(1694年)創業で平成16年(2004年)廃業。以降、一般社団法人「まち遺し深谷」が跡地の管理を行っているとか。

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巨大な蔵はイベントや映画の上映などに活用されています。

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こちらは明治末期創業の糸屋製菓店。店頭には最中や羊羹などが並べられていました。

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間口が狭く奥に長い鰻の寝床なので、建物の奥が見どころだったりもします。

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こちらは関根弁之助商店。詳しくは分かりませんが肥料関連の会社のようです。ただこの関根弁之助と言う人物は大正8年に現在の深谷倉庫を設立しており、埼玉県倉庫協会長や深谷町議を歴任されていたそうです。

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こちらは春山邸。詳細は不明ですが敷地内の蔵は江戸末期の物と明治期の物が残っているとか。

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随分北へと歩いて来ました。こちらは現役の造り酒屋、瀧沢酒造。

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脇道を入ると見事な煉瓦塀が続きます。埼玉県小川町にて文久三年(1863年)に創業。明治30年(1897年)良質な水を求めてこの地に移転したそうです。

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ちょっと覗いて見ました。事前予約すれば見学可能だそうなので、一度ちゃんと見学してみたいですね。

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昭和5年(1930年)建造の煉瓦煙突がどこよりも高く、しかも円筒型で立派です。コンクリート煙突は円筒型ですが煉瓦煙突はその殆どが四角柱の形状を成しています。

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レンタルサイクル借りればよかった、と思うほどに足がガタガタになりました。と言う事で深谷市街南の外れ、17号線にあるスーパー銭湯「国済寺天然温泉美肌の湯」。関東のスーパー銭湯には珍しく無色透明な単純温泉。循環濾過ですが加水してないのか、滑り感もあるしっかりとした浴感。期待以上に良いお湯でした。

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さて、次回は日本煉瓦製造専用線跡を巡ります。

茨城県笠間市(5)、稲田石採石場の石切山脈

もう5回目ですよ笠間に行くのは。笠間市の友部も入れれば6回目。以前定休日で入れずリベンジしたら予約制のツアーがあった事を知り、三回目の石切山脈です。

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JR水戸線、笠間のひと駅西にある稲田駅。小さな駅ですが駅前に稲田石に関する資料館、石の百年館があります。

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稲田駅から北西へ真っ直ぐ1.3km、山の裾野に採石及び加工を行う石材会社の「想石」があります。笠間市は市街地の他に稲田駅前にもドコモのシェアサイクルがあるので、レンタルの電動アシスト自転車を利用しました。

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ここは旧採石場跡に雨水が溜まった場所があり、そこが最近よくプロモーションビデオやロケなどで使われるようになり話題となっています。

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稲田石とは花崗岩の一種で白御影石とも言われています。江戸時代から採石は続いていますが、本格的に採石し始めたのは明治22年から。この採石場跡と採石現場を公開している株式会社想石は明治32年創業の中野組石材の資産を借り受けて事業を始めた会社です。

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石切山脈と言う観光スポットとなっていますがその敷地は現在も稼働中の採石場の中。なので水の溜まった旧採石場跡を見るには入場料500円。さらに人数限定の予約制で採石現場まで入って行くプレミアムツアー1000円があります。

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旧採石場跡、正式名称前山採石場は中野組が創業した明治32年から露天掘りの形で採石が続けられて来ました。しかし良質な石が採れなくなってきた事、深くなるごとに日照時間も短くなり作業時間が短くなって来た事、穴の底から搬出する揚重コストが高くつく事などの理由から、2014年に掘らなくなりました。前山採石場には第一と第二展望台があり、写真に写るのは第二展望台。

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前山採石場は閉山となりましたが、山の中腹から頂上付近にかけての採石場(丁場)は現在でも採石作業が行われています。その埋蔵量については想定100年ぐらいは採れるだろうとの事。

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ツアーはその日の気象や採石作業の状況によって変わります。

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この日はコース上で重機作業が有ったため奥の作業場まで行けず、実際作業している所は見学出来ませんでした。

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この辺りは中腹の丁場跡。上の方は明治大正期に手作業で採石していた頃の跡で、下に行くに連れ機械を使うようになり重機を使うようになりと、技術の進歩が見て取れます。

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このような切り口の変遷って栃木県の大谷石採石場でも見れました。

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切り出した石材の仮置き場。大きさは軽自動車ぐらいと言ったところでしょうか。御影石は主に墓石などに使われますが、石燈籠や石碑、モニュメント、その他に建材としては外壁材から床石、玄関框(カマチ)、キッチンや洗面のカウンターなど様々。私も仕事で中国産御影石のカウンターをキッチンや洗面に据え付けた事がありますが、船による運搬料を含めても中国や南米から輸入した石材の方が安い。

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こちらの小さく砕かれた物は、埠頭などの埋め立てに使う物だそうです。

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採石場って昔からよくロケに使われていましたが、やはり仮面ライダーのロケもあるとか。

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こちらはクローラードリル。発破作業で火薬を埋めるための穴を岩盤に穿つための重機。場面によって火薬を使う時もあれば、穴に楔を打って割る時もあります。

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切り出した岩の塊は大型のフォークリフトで搬出されて来ます。

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中腹の石材仮置き場。稲田石は国会議事堂や日本銀行、最高裁判所の外壁から原爆慰霊碑などのモニュメント、東京駅駅前の敷石などにも使われています。

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約1時間のツアーを終えて麓まで戻って来ました。稲田石は結構都内の代表的な建造物に使われていますが、御影石の産地で言えば宮城や福島、長野、山梨、神奈川、愛媛、香川、兵庫、大阪、岡山、広島、福岡、佐賀と、全国各地で産出されています。

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こちらは石材の加工場。例えば東京駅で言えば、高価な稲田石や福島の浮金石などは一部で使われ、それ以外は安価な中国産を使用しているそうです。国産の花崗岩は中国産に比べて若く、その分劣化していないため寿命が長いとか。

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加工場の内部。一番奥の巨大な丸鋸で切断しています。手前ではベビーサンダーを使い職人が仕上げ作業。平均的な価格で言えば、墓石一本250万。ただ鉄分など不純物の含有量によって一級品から三級まであるそうです。

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巨大な丸鋸の刃。直径2m近く有りました。

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麓のカフェではモンブランが食べられます。笠間市と言えば栗の名産地。

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稲田石のテーブルで岩山を眺めながら。美味しくいただきました。

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風が吹いてなければ水鏡が見事です。

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SNSでは徐々に知名度を上げている稲田石の石切山脈。営業日やプレミアムツアーなど下調べして行く事をお勧めします。
https://www.ishikiri-sanmyaku.com/

さて、時間が余ったので笠間駅まで行き、駅前で再びドコモシェアサイクルを借ります。笠間は行っても行ってもまた行きたい所が出て来る。
茨城県笠間市(1)、人車軌道と花街と廃墟ホテル
茨城県笠間市(2)、笠間の終末スナック街
茨城県笠間市(3)、廃映画館の昭和館跡
茨城県笠間市(4)、寂れたラブホ街と廃車両群

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笠間稲荷神社の裏手で発見した渋い木造建築。詳細は分かりませんが、病院跡か何かか。

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締めは温泉でも入ろうかと、市街地北部の国道50号線を越えた山間にあるぶんぶくの湯。

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民宿と日帰り入浴、食事処などを営業していますが、現在は金曜日と土日のみ営業。すでに香ばしい匂いが。

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ここはネットで汚いとの酷評が多く寄せられています。そこを敢えて行く。去年の足利健康センターでかなりの耐性が出来た。あそこを上回る事はあるまい。

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檜風呂と看板に書いていますが、檜風呂は既に朽ち果て現在はステンレス風呂となっています。お湯は汲み置き。湧き水を沸かしているそうです。泉質はヒドロ炭酸、塩素イオン、カルシウム、ナトリウムと書かれていますが温泉分析表は無く、鉱泉では無い?
ただ弘法大師の時代から古文書に書かれた特別な湧き水で、効能はちゃんとあるとか。
無味無臭で温泉と言えるかはグレーですが、実にディープな場所に行ってしまった。

栃木県足利市(4)、足利健康ランドと足利健康センター

お盆休みに訪れた東京健康ランドが今月頭に閉店となり、テレビなどでちょっと話題になりました。東京江戸川区の東京健康ランドは近頃増えたスーパー銭湯とは違う昔ながらの健康ランドでしたが、とうとう都内に於ける健康ランドは全滅してしまったと思われます。しかし他県にはまだ残っているだろうと言う事で検索したところ、今回訪れた足利健康ランドがヒットしたわけです。
足利と言えば3年半前に訪れた鹿島園温泉が昭和な健康ランドとしては最強と思ってますが、まだ他にもあると言う事で行って参りました。

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足利健康ランドは東武伊勢崎線で足利市駅のひとつ手前、東武和泉駅の近くにあります。3両編成の伊勢崎線とチャリ通学の学生を見て、地方に来たなと実感。

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この外観。どう見ても地方の巨体パチンコ店にしか見えません。開業したのは1988年。まさにバブル期の健康ランドと言った感じ。夜になるとネオン管が煌々と光ります。

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向かい側にはコジマ電気とニトリ、そしてショッピングセンターのアピタなどが密集しており、足利市南部郊外の国道293号線沿いのマイカー商業圏を形成しております。

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玄関入るといきなり吹き抜けにシャンデリア。この足利健康ランドを経営しているのはサンリク株式会社と言って、近年では柏、野田、越谷などでスーパー銭湯事業も展開しております。

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露天風呂の写真は公式サイトよりお借りします。天然温泉こそありませんが浴場は広く、人工炭酸泉や薬湯、別府の温泉の素をふんだんに投入した白濁の湯など、様々な浴槽があります。他にもサウナだけでなくプール(水風呂浴槽)まで完備。湯上がりは石窯で作るピザや卓球、カラオケ、岩盤浴、エステなどなど、巨大施設だけあって充実していました。家族連れでも全然1日過ごせます。やはり健康ランドはスーパー銭湯とは違いますね。

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さて、歩いて渡良瀬川を渡りJR両毛線北側の市街地へ。

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市街地の東側、小高い丘の上に大谷石で造った塔が見えます。Googleで調べたところ、これは金剛閣と言う建造物だと分かりました。

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麓から丘へ登る所には冨永公園入り口を示す石塔が。ここはレンガ造の織物工場や煙突の請負業で財を成した富永金吉氏が私費を投じて整備した公園だそうです。

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しかし急な私道はしばらく誰も通っていないような荒れ方。塔は個人宅と併設されているようです。

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なんとか辿り着きましたが民家は雨戸が閉められており、住んでる様子が窺えない。ちなみにこの塔は大正14年(1925年)に建てられたとか。民家の奥に公園があるのかもしれませんが、すでに藪に覆われており進む事が出来ませんでした。

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懐かしい自販機。缶のクリームソーダって子供ながらに不味いと思った。

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丘の東側を回り込むように北へ進むと、足利健康センターの看板が。先ほど訪れた足利健康ランドと非常に紛らわしいですが、ネットでたまたま見つけました。

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ドーン!
前もって情報を得てから訪れたとは言え、この強烈なお出迎え。

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ここ、廃墟じゃないんです。営業中なのです。

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かつては接骨院もやられていた模様。色々と謎が多いです。

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建物は二階建てで旅館のような造り。敷地面積は非常に広く、駐車場だったと思われる場所には廃車両が何台か放置されています。

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いよいよ玄関。もはやジャングルと化している。現在は月曜日定休、営業時間は16時〜19時、土日祝日は16時〜21時と非常に短い。と言っても実際開いたのは16時20分頃でした。

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雨樋が壊れて垂れ下がっています。そこかしこに注意書きの貼り紙があり、入るにはかなりの勇気が必要。

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そして勇気を振り絞り入ったら入ったでゴミ屋敷状態。下駄箱の扉は外れかけており、鍵などはありません。

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ロッカーにも鍵などはありません。盗難に遭ったら自己責任で。そしてなぜこのような状態でも営業し続けて行けるのか、その答えはここが同性愛者のハッテン場、つまり出会いの場所となっているからなのです。

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ほんの1時間前まで健康ランドの露天風呂に浸かってた事を考えると、これは夢でも見ているのでしょうか。カオスを通り越している。
こういう話はあまりつまびらかにしない方がいいのかも知れませんが、いわゆるハッテンサウナと言う場所は都内に数カ所存在します。それらは会員制と明記する事で一般人(ノンケ)が迷い込まないようにされていますが、対してここは外観から既に一般人を寄せ付けない効果がある。

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お風呂はちゃんとしていました。もちろんサウナも完備。剥がれたタイルが隅っこに寄せ集めてあったりしますが。脱衣室の横に薄暗い休憩室がありましたが、すでに人がいたので撮りませんでした。実は自分以外に3人の男性が続々と入って来ていました。ちなみに女湯もちゃんと有りましたが、多分使われる事は無いでしょう。

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二階に宴会場(休憩スペース)があるので行ってみましょう。調理室と言う事は、昔は料理も出していたのでしょう。

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宴会場にはステージともう使われてないだろうカラオケの機械があります。この施設がいつ頃開業したのか分かりませんが、開業当時は健康ランドとして賑わっていたんだと思われます。

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宴会場は明るくテレビもついており、ちょっとほっとします。これは想像の域を出ませんが、創業者である先代が引退されてから現在のような状態になったのではないかと思われます。そして老朽化も含めてどんどん荒れて行くにつれ客足が減り、それをいい事にハッテン場へと変貌して行ったと言う。

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しかしまぁ、地方に暮らす同性愛者の方々にとっては貴重な出会いの場である事に間違いありません。果たしてこの足利健康センターはいつまで残るのか、全ては一言も喋らない無愛想な店主のやる気がいつまで続くかによると思われます。

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冨永公園入り口近くのホルモン焼き万平。絶対美味いと思うのですが、もう帰らないといけない。やっぱり足利は泊まりがけで来たい所です。

江戸川区船堀、9月閉店の東京健康ランド

仕事が早く終わり、たまには温泉に浸かりたいとランダムに検査してみました。すると江戸川区に「スーパー銭湯」ではない「健康ランド」の文字が。

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都営地下鉄新宿線で荒川を越えて江戸川区へ。船堀駅周辺は都営や公団(UR)の団地街です。奥に聳える展望塔は江戸川区のコミュニティセンター、タワーホール船堀。コンサートホールや映画館などが入っています。展望塔にも登って見たかったのですが、8/7から年末にかけて改装工事中で入れません。

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船堀駅から荒川方面に少し歩くと打ちっぱなしゴルフ練習場があり、その向かいに東京健康ランドまねきの湯があります。ゴルフ練習場とオーナーが一緒なのか、駐車場は共用となっています。

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この東京健康ランドは昭和61年(1986年)営業開始の老舗。平成24年にカラオケボックスのチェーン店、まねきねこの傘下に入りました。真裏の二階に上がると、カラオケボックスまねきねこ船堀店の入り口があり、二階が全てカラオケボックスとなっている様子。

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内部の画像は公式サイトよりお借りしました。
入館料は館内着とタオル付きで平日2240円、土日祝日2440円。近年増えまくっているチェーン店系の日帰り入浴施設と比べると結構高い値段設定ですが、いわゆる「健康ランド」と言う物は本来それくらいの値段なのかも。そしてここはなんと朝10時から朝9時まで、23時間営業をしております。
しかしこの度、エネルギー原価高騰などを理由に9月3日をもって営業終了してしまうそうです。この値段設定でも経営が成り立たないと言う事です。

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こちらも公式サイトよりお借りした露天風呂の映像。
肝心のお湯ですが、成分表が見当たりませんでしたが無色透明の恐らくは単純温泉。加水加温循環濾過塩素消毒有り。温泉マニアからしたら敢えて行こうとは思わないでしょう。しかし、ほとんどの浴槽が温泉浴槽で、ぬるま湯にじっくり浸かっていたら、ボディーブローのようにがっつり温泉の効能が感じられました。悪くない、いや、むしろ実力のある鉱泉ではないかと。

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お食事処には宴会場とステージが。まさにバブル期に完成した昭和の健康ランド。都内ではここが最後の健康ランドど言っても過言では無いのではないでしょうか。これが来月閉店となってしまうなんて、実に勿体ない。お盆期間の17日に訪れましたが、家族連れで結構賑わっておりました。また、このまねきの湯の跡地は船堀駅周辺の再開発が計画されています。周囲には団地の古い棟なども残っているので、それらも取り壊されて行くのでしょう。

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よくよく調べて見たら、船堀駅周辺には3軒もの温泉銭湯がありました。こちらは鶴の湯。大田区や川崎、横浜などには黒湯の銭湯が多くありますが、東京の東側、船堀限定で黒湯銭湯があったなんて意外でした。そもそも都営新宿線の船堀駅は昭和58年(1983年)開業と言う事で、街としても比較的新しい街ですが、この銭湯は地下鉄開業以前からあったような雰囲気。お湯は濃い目の紅茶色でサラサラしており微かなミント臭。典型的なモール泉と言った感じです。そしてこちらは銭湯料金なので520円。
次回は他の二軒の温泉銭湯にも行ってみたいです。

埼玉県児玉郡神川町、上武鉄道(日本ニッケル鉄道部)廃線跡

※学生時代のバイトの先輩で幾度か一緒に旅をした方が、上武鉄道廃止直後の廃線跡を訪れていました。その時代の貴重な写真をお借りする事が出来たので、記事に追記いたします。(6月6日)

日本ニッケル専用線(上武鉄道日丹線)廃線跡を訪れました。

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ここ最近、自分的にも何かと注目している八高線。セメント輸送で注目していましたが、戦前の軍需産業と言う側面に於いても昭和6(1931)年開通した国鉄(当時は鉄道省)八高線は重要な役割を担って行きます。

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起点は八高線丹荘駅。緑色のフェンスの向こう側に、かつて上武鉄道丹荘駅がありました。単線の八高線で貨物列車がすれ違うための線路が構内にありますが、現在は使われておりません。

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まずはバスで中間地点である神川中学校前まで。さすがに全線踏破するつもり(体力)はありません。まずは神川中学校前駅跡から。

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ちなみにこの神川中学校前駅跡は中学校が創立した昭和40年の翌年、昭和41(1966)年に開業しました。駅名標は廃止後、遊歩道が整備されてから建てられた物。

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こちらが廃止からおよそ2年後、昭和63(1988)年頃の神川中学校前駅。

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さて、上武鉄道日丹線(旧・日本ニッケル専用線)を歩いていきます。廃線跡の大部分は現在遊歩道として整備されています。

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この線路は昭和16(1941)年、当初神流川(かんながわ)対岸の群馬県多野郡にあった多野鉱山と精錬所、及び埼玉県児玉郡にあった若泉製鋼所の日本ニッケルから八高線の丹荘駅まで、専用線(日本ニッケル鉄道部)として開通しました。

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沿線では麦が収穫時期を迎えていましたが、二毛作の場合6月に入ってから稲作へと切り替えられます。ちなみに日本ニッケルは昭和11(1936)年、軍需産業に必要とされるニッケルの精製、並びにクロム鉱石の産出のため設立されました。

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こちらは数少ない遺構のひとつ。戦後ニッケル鉱山の閉山により本来の役目を終えましたが、地元の要望もあって日本ニッケル鉄道部が昭和22(1947)年より旅客営業を開始しました。日本ニッケルは鉱山の閉山後も鉄工所として存続されたため、列車は貨車と客車の混合列車で走っていました。

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その日本ニッケルは昭和35(1960)年、朝日化学肥料に吸収合併され西武化学工業となり、その後西武流通(後のセゾン)グループの傘下へと入ります。それに伴い日本ニッケル鉄道部が独立、昭和37(1962)年上武鉄道が設立されました。ちなみに路線は電化されず前期は蒸気機関車、後期はディーゼル機関車による牽引で、貨物列車に客車が1両だけ連結される編成でした。

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廃線跡は途中、神流川(かんながわ)から取水される用水路と並走します。上武鉄道は貨物輸送がトラック輸送に変わって行った事や利用客の減少などから、昭和61(1986)年廃止となりました。会社自体は通運会社としてしばらく存続していましたが、平成10(1996)年事業を停止します。

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ちょうどこの辺りに青柳駅と言う駅があったそうです。現在その痕跡は残っていません。

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沿線には青柳古墳群と言って古墳が幾つも残っています。関東平野って本当に古墳が多いです。西武化学工業は1991年、朝日工業と社名を変えて1996年セゾングループからも独立し、今に至ります。

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遊歩道は途中、一般道となる区間もあります。ちなみに元来日本ではニッケルがほとんど採掘されません。たとえ埋蔵されていても0.3%のニッケルを含むニッケル粘土しか出て来ないうえ、採掘するための費用に対してその産出量が釣り合わず採算も全く取れません。

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こちらは恐らく沿線に並んでたであろう木造電信柱。ニッケル鉱石は本来出土しないため輸入に頼るしかないのですが第二次大戦前、開戦したら資源の輸入が困難になると分かっていたので、昭和8(1933)年発行の5銭と10銭硬貨をニッケル硬貨にして備蓄したりもしたそうです。ちなみに現在でもニッケル合金は50円玉と100円玉に使われています。

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鉄道の遺構として盛り土された路盤がそのまま残っています。現在ニッケルの用途は主にステンレスですが、ニッケル合金は錆びず粘り強く耐熱性も兼ね揃えています。そのため航空機や装甲など軍需産業には特に必要不可欠の素材でした。

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しかし当然備蓄だけでは全く足りず、戦時中はインドネシアからの輸入に頼る事になります。しかし戦局が悪化するとニッケルを積んだ貨物船が次々に沈められ、仕方なくニッケルを僅かに含んだ質の悪い鉱物を国内で採掘するしかありませんでした。終戦の翌日には日本のニッケル鉱山、特に大きかったのは京都と山口でしたが、全国で一斉に閉山となりました。それだけ国産のニッケル鉱物は酷かったのです。

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キジ!走るの速ええ!

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日本は粗悪な鉱物からどうにかニッケルを精製しようと努力を重ねた訳ですが、その精錬技術が戦後役にたつ事となります。現在日本は、原材料の鉱石を一切産出しないのにも関わらず、ニッケルの生産量が世界第3位となっています。これは東南アジアで採掘されたニッケル鉱石を、日本(住友金属鉱山とJFEミネラル)が戦時中に培った製錬技術によって精製し、世界へと輸出すると言う構図に他なりません。

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終点の日本ニッケル(現在の朝日工業)の手前に残る寄島駅跡。

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ニッケルについて色々語って来ましたが、現在の朝日工業埼玉工場(旧・日本ニッケル)では鉄スクラップを溶かして再利用し、建材としての鉄筋を製造しているのみ。

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こちらが廃止からおよそ2年後の寄島駅。

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寄島駅跡の先にある、唯一残された軌道跡。かつての踏み切りですが、奇跡的に残っていたようです。

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踏み切り跡の先で遊歩道は終了となります。廃線跡の散策はここまで。

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今ではすっかり見えなくなってしまいましたが、この先に鉄橋があります。

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こちらがその鉄橋。沢を渡る鉄橋で、奥に見えるのは神流川。

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当時はちゃんと見えていたようです。

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こちらが日本ニッケルを前身とし、西武化学工業を経て朝日工業となった工場。鉄鉱石からコークスを使って溶かす高炉のある製鉄所とは違い、ここは鉄屑を電気炉で溶かし建設用の鉄筋などに再利用する工場となります。

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廃止当時は西武化学工業で、貨物駅の駅名も西武化学前駅でした。

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鉄屑が搬入され、鉄筋材が出荷されて行きます。要はリサイクルですが、金属製品によっては鉄屑リサイクルの方が多い物もあります。もちろんただ鉄屑を溶かして鉄筋にするだけでなく、錆びない、つまり酸化しないように高アルカリ性の皮膜でコーティングします。

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そんな訳で廃線跡を歩きながらニッケルについても調べて見ましたが、もうひとつの目的はここ、7年前に訪れた日帰り入浴施設白寿の湯

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こちらは公式サイトからお借りしました。この鉄分豊富な鉱泉による澱出物で鍾乳洞状態となった床。加温循環濾過しながらも源泉も掛け流されています。露天はぬる湯ですが、ゆっくり浸かれば至福の時間。埼玉県内の入浴施設では最高と謳われております。鉄工所の隣で酸化鉄まみれと言うね。

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以上。余談ですが帰りの八高線で、群馬藤岡駅に停車した際検査車両、キヤE-193系とすれ違いました。
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