廃墟

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神奈川県相模原市、相模湖湖畔の廃ラブホ群

年末忙しいまんまです。今年は廃墟らしい廃墟も行ってないと思い、以前から気になっていた相模湖湖畔の廃ホテルを見に行きました。

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JR中央線藤野駅から午前中に3本走っているのみの路線バスで勝瀬橋へ。相模湖の対岸、南側に3棟ラブホテルが建っています。

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1番手前のホテルは唯一現役の建物、ホテルクイーンズバリです。元々相模湖は都心に近いドライブコースと言う色が濃い観光地でした。観光客はみな日帰りが多く観光宿泊施設を建てる程ではない。よってドライブの帰りに休憩がてら立ち寄るラブホテルと言うものが、こう言う場所には建つのです。

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元は何と言うホテルだったのか、この船を模した外観が何とも昭和と言うかバブルな感覚です。恐らくは廃業と再建を繰り返し現在のホテルとなったのか。

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その向かいには廃業したホテルシャイン相模湖が建っています。ここは元々相模湖の北岸に建つホテルローヤルのB館として開業したそうです。その後外国人観光客の宿泊施設として営業されて来ましたが2014年に廃業。肝試しなどで荒らされたのか、監視カメラが多く設置されています。

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道をさらに進むと裏手、東側にリゾートホテルアイネイン相模湖の跡が残っています。こちらは2015年頃に閉館後買収され、外国人観光客向け東和国際グループ観光ホテルラトゥアとして存続されていましたが、その後コロナの影響で閉館。こちらも不法侵入を防ぐべく多くの監視カメラが設置されています。ちなみに東和国際グループは2010年に設立された中国系観光会社で、中国バブルに合わせてインバウンド需要で稼いでいる会社。観光バスや旅行代理業の他、日本語学校なども運営しています。

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さて北岸、中央本線や中央自動車道のある側に聳え建つのはホテルローヤル跡。

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湖畔道路のトンネルの外側、岬の部分にこちらの廃墟は建っています。廃墟への道は厳重に閉鎖されていますが、これは一時期心霊スポットとして有名になっていたため。

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こちらはトンネル東側出口脇のアプローチ。このホテルは1970年代に建てられたそうです。

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最上階にはレストランを完備。これはラブホテルと言う業態でありながらも一般宿泊施設として申請するためで、そのため未成年者でも泊まれるようにしたとか。ちなみに2008年閉業。

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こちらは恐らく観光ホテルだったと思われる廃墟。

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ただ現在、併設された部分をリフォームして飲食店として営業されています。

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ホテルローヤルの近くから対岸の廃ホテルを望む。すでに解体された建物もあったそうですが、かつて合計5軒のラブホテルが湖畔に存在しました。1軒を残しみな廃業したのは、ドライブデートと言う形態が少なくなったからではないでしょうか。笠間の幹線道路脇の廃ラブホ群もそうですが、ファミリーカーばかりが売れスポーツカーと言う物が売れなくなった現代、若者の嗜好の変化がこの様な廃墟を産み出したとも言えます。

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最後は相模湖駅まで、結構歩きました。湖畔の甲州街道はかなりの交通量で、ドライブイン的な沿道の飲食店などはそこそこお客さんも入っている様子で、さほど寂れてはいない感じもしました。まぁ、基本観光客は高速に乗って富士山や甲府方面に行ってしまうのですがね。

神奈川県横浜市神奈川区(4)、高島貨物線沿線に再訪2025

およそ12年ぶりに東神奈川駅を降りました。
[関連記事]
神奈川県横浜市神奈川区(1)、市場食堂〜ドヤ街、朝鮮部落
神奈川県横浜市神奈川区(2)、三井倉庫〜貨物線跡
神奈川県横浜市神奈川区(3)、子安漁港の狭過ぎる路地

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2013年6月、東神奈川駅東口にて撮影。この雑居ビルは2017〜2018年の時点で取り壊されました。

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2025年9月撮影。今回訪れてみたら高層マンションが完成し、スカイデッキも新設されていました。写真奥、京急仲木戸駅の向こう側でもマンション建設が始まっています。

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東口北側、複合ビル2階の立ち飲み「龍馬」は健在でしたが、その奥の立ち飲み「じゆうな丘」さんが無くなっていました。好きな店だったんだけどなぁ。

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まずはハローサイクルでレンタルサイクルを借りて横浜中央卸売市場方面へ。運河に張り出した建物は健在だし、貨物線のJR高島線も現役でした。

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ただ、当時貨物線をアンダーパスしてきた道路の脇に建ち並んでいたバラックが、、

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ことごとく解体されていました。問屋さんや倉庫として使われていたと思われます。

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向かいの町中華は健在。ここ、一度入ってみたい。

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11年前の横浜中央卸売市場の北西側の運河。

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それがすっかり埋め立てられていました。横浜駅やみなとみらいからも離れているので、主に住宅地としてショッピングセンターや分譲マンションなどが建設されるのでしょうか。

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穂瑞埠頭近くの運河はまだ埋め立てられていませんが、打ちっぱなしゴルフ練習場の東神奈川ゴルフジョイは2024年末で廃業。この辺りも近年開発されて行くでしょう。

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11年前にあった簡易宿泊施設。いわゆるドヤ街がこの辺りには存在していました。

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それが今回訪れたら跡形もなく消えていました。かつての港湾労働者の街がありきたりな住宅街へ。

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ただ、三ツ沢から流れる滝の川が京急の下を通る辺り。朝鮮部落発祥と思しき一帯。

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その川辺で川面に張り出すバラック建築は健在でした。写真上の黒い部分は京急のガードです。
後々ご指摘を受けてよくよく見てみたら、柱が2本とも腐ってて建物が浮いてる!www

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後ろに仰け反って川に崩れ落ちそうになっていた建物はさすがに解体されましたが、その跡地に新しい建物が建っていました。不法占拠していた土地で返還しなければならないと思っていましたが、ちゃんと権利を取得していたと言う事のようです。

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その奥の水上建築も健在。この写真を撮影したのは2025年9月11日の午後1時半頃なのですが、この2時間後に記録的な豪雨となりました。

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私はギリギリ生麦駅に退避し京急で横浜へ向かったのですが、車窓から見た滝の川が増水して濁流となっていました。立会川が氾濫したあの日、特に報道されていないので無事だったのかと思いますが、建物内に居たら生きた心地もしなかったろうと。

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さて今回は貨物線に沿ってさらに北へ。以前訪れた貨物線沿いの三井倉庫横浜支店千若事務所は健在でした。

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1953年(昭和28年)建造の倉庫。築72年、よくぞ生き残っていたと思います。

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新川崎の新鶴見信号場から東海道線の海側の埋立地を通り、横浜の高島町辺りで地下へ潜って根岸のオイルターミナルへと続く貨物線。かつては京浜工業地帯の各工場へと引き込み線が伸び貨物輸送が盛んでしたが、現在では根岸から各地への石油輸送のみがこの路線を走っています。

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沿線のトナミ運輸の倉庫に残っている、国鉄時代の貨物路線図。荷物列車がまだあった頃の物と思われます。北海道の天北線とか名寄本線あるし。

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今回、本当は引き込み線の廃線跡なども見たかったのですが、ことごとく市有地の中なので見る事は出来ませんでした。

茨城県ひたちなか市、勝田に残るバラック居酒屋群

水戸駅のひとつ先、阿字ヶ浦海水浴場や那珂湊漁港へ向かうひたちなか海浜鉄道の起点駅でもある勝田駅を訪れました。ひたちなか海浜鉄道には以前茨城交通時代の廃車両を撮りにちょっとだけ乗りました。

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勝田は日立グループの工場に囲まれています。西側には鉄道車両工場やビルシステム、南東には現在アメリカの投資信託に買われてハイコーキと社名を変えた元日立の電動工具工場。さらに南には陸上自衛隊勝田駐屯地もあります。

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西口はいきなり車両工場なので東口を南に歩いて行きます。潰れたビリヤード場など、ちょっと廃れた雰囲気も。

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メインストリートは南北に走る表町商店街。人通りは少なくシャッター商店街と化しています。

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表町商店街沿いの古いビル。百貨店か何かだったのでしょうか。

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その向かいの通りを入るとバラックのような居酒屋長屋があります。商店街としては死に体ですが飲み屋街としてはまだまだ現役と言った感じです。

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廃業した飲み屋さんなども混在していますが、現役のスナックなども多くあります。

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地方の飲み屋街の特徴ですが駐車スペースが有ったりします。もちろん今では飲酒運転の取り締まりが厳しいですが、昔はゆるく飲んで運転して帰るなんて事が日常的でした。その辺が厳しくなった結果、地方では家飲みが多くなり飲食店が減って行きました。

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スナックやキャバクラが今だに元気なのは、工場勤務で徒歩圏内やタクシー圏内に住んでいる方が多くいると言う事。もちろん常磐線やひたちなか海浜鉄道で通勤されている方もいらっしゃるでしょう。

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あとは自衛隊基地が近いのも大きいですね。自衛隊ある所に繁華街ありです。

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常磐線の線路近くに行くと、今では居酒屋になってますが元料亭だったと思われる建物が多くあります。

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髪結いなどがある事から、この辺りがかつて花街であった事が想像できます。

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大谷石なども使ったコンクリート建造物。街灯には粋泉商店会と書かれていますが、残っているのは広いコインパーキングと飲み屋のみ。

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そして飲み屋街の南西の外れ、非常にそそる一帯が残っています。

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ここよりずっと北にある常陸多賀の塙山キャバレーを彷彿とさせるようなバラック飲み屋街。塙山キャバレーはテレビ番組「ザ・ドキュメンタリー」ですっかり有名になってしまいましたが、生き残っている店は少ないものの似たような場所が勝田にもありました。

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若い方がリフォームして新たに出店したのでしょうか、新しい感じの店もあります。

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裏に回るとこんな感じ。すでに何軒か解体されてしまってますが、かつては狭い路地裏飲食店街の雰囲気があったのでしょう。

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当然と言いますか、トイレは共同トイレです。ぜひ一度夜に訪れてみたい。

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こちらは潰れてから随分経っている様子。

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道路の向かい側にも同じような区画があります。いやぁ興奮する。

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まだ営業されているかどうか、夜に来てみないと判別出来ない。

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こちら側は交差点に面した3軒だけが残っており、裏手は全て解体済みとなっています。

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敷地の奥に共同トイレだけが残されています。こう言う光景は以前訪れた今はなき西浦和のバラック居酒屋を思い出させます。消える前に飲みに行かなければ、絶対後悔する。

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裏側から見るとこんな感じです。裏の建物が解体される前に来てみたかった。

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全国でもこのようなバラック飲み屋街が、あとどれほど残されているのか。消える前に更に探さなければと痛感しました。

茨城県水戸市(2)、花街跡の歓楽街と赤線地帯跡

前回の続き。さて今回は水戸の繁華街を巡ります。

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まずは水戸駅から1番遠い栄町界隈のスナック街から。

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茨城県の歓楽街と言えば土浦と水戸。この二大都市はどちらも栄えていましたが、私が見た感じでは土浦の方が寂れた雰囲気がありました。もっとも土浦の市街は駅周辺しか歩いてませんが。

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なんて言ったって水戸は日立に近いってのがあります。日立グループにあやかってると言う部分が大きい。しかし町そのものは京成ホテルや京成デパートなど、京成グループが幅を利かさせいる印象がありますね。常陽銀行とか水戸証券とか元気無いし。

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と、そんな関係ない話で間を待たせないといけないくらい、スナック、キャバクラ街が広い!

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例えばこのスナックビル、建築年代はギリ昭和でしょうか。さすが県庁所在地と言ったところでしょうか、寂れた雰囲気はほとんどありません。

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妖しいなぁ、窓の塞ぎ具合とか、めっちゃ風俗感が。

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飲み屋街の外れにはラブホがあります。右側の建物なんかは窓を塞いでいて風俗店の雰囲気。

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通りと言う通り、夜のお店しかありません。しかもそのほとんどが現役ってのが、さすが大都市。経済的にも地元での雇用先が多いのか、土浦と比較して過疎化の雰囲気がありません。

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南側へ進んで行くと住所は大工町に変わります。この界隈にはかつて花街がありましたが、空襲を経てその痕跡はほとんど見られません。ただ名残りとして同じ場所がスナック街となっております。

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旦那横丁飲食店街のアーチ。奥に見えるのが水戸市街のメインストリートでもある国道50号線。ちなみにその50号線は笠間市や筑西市へと続いています。

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国道50号線を南に越えると街の様子が一変します。住所が天王町に変わるこの界隈は、いわゆるソープ街であります。

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ただキャバクラ業界と違い、お風呂業界は不況の煽りを強く受けて潰れる店も多くあります。かなり大型店だったのかまるでホテルのような廃墟。

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裏に回るとこんな感じ。後背地は丘陵の南端で崖地となっております。

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そんな中、超ド派手な店舗が。ここはかつて水戸を代表する巨大ソープ(当時はトルコ風呂)のクイーンシャトーと言うお店でしたがバブル崩壊の時期に閉店、その後30年以上廃墟のままだったそうです。しかし近年改修工事の末に新規オープン。この規模となると解体費用も億を超えるそうですが、改修にしても長年放置されてきた建物だけに相当な費用がかかっていると思われます。
ちなみにこの色使いはアレですね、元々はバブル期に歌舞伎町を中心にテレクラのリンリンハウスから始めた新宿ソフトと言う会社から始まり、他にも漫画喫茶のマンボー(森下不動産)やビデオボックス(株式会社大倉ビル)、出会い系サイト、株式会社ロボットレストラン(現在はサムライレストラン)、ホテル事業のワタナベ商事、ラーメンの博多風龍、イメクラのクリスタル系列、女性求人サイトのバニラなどなど、全て別会社でありながらも関連グループであると言う。まぁ夜の風俗王と呼ばれる森下グループと言うやつです。

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さて、市街地を一気に抜けて駅の近くまで。国道の南側に水戸東照宮と言うのがあり、その右手(西側)に渋い飲み屋街が連なっています。

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路地は徐々に丘陵の際、下り坂となって行きます。

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大衆クラブキャンパスワンの看板がありますが、当然ながら廃業しています。

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その隣の建物も元はスナックだったか居酒屋だったか。

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丘陵地を降りると奈良屋町となりますが、この一帯はかつての赤線地帯でした。崖下の狭い通りは戦後に栄えた通り。

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名残はほとんど残っていませんが、廃業した居酒屋の跡などが見られます。1918年(大正7年)、この奈良屋町が出火元で水戸の中心街約1100戸が焼けると言う水戸の大火がありました。

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水戸の大火の後、ここ奈良屋町には大工町などの花街とは別に市内に点在していた私娼が集められました。谷底の大通りは大正当時から私娼窟があった場所。

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こちらは唯一当時の姿を残す建物。水戸には陸軍の第2聯隊や第14工兵大隊があったため、遊郭が無い代わりにここ奈良屋町の私娼窟が栄えたとか。

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当時の屋号が微かに残ってますが、昔の漢字過ぎて読めない。しかし1945年(昭和20年)8月2日、水戸の大空襲で再度焼け野原となります。

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この神社は当時からあったのでしょうか。戦後の奈良屋町は進駐軍用の特殊慰安婦街として指定され、見事に復活を遂げます。

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崖の上は水戸東照宮の裏手になります。翌年の1946年(昭和21年)、GHQによる公娼廃止指令により赤線及び青線が引かれ特殊喫茶店の名目で続きますが、1958年(昭和33年)の売春防止法の施行まで続きました。その後はスナック街として残りましたが、現在ではご覧の通りごく普通の住宅街となっています。

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奈良屋町の谷を南に下り、水戸東照宮の東側へと回り込みます。何やら古そうなビルが。

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ここは東照宮の東側の宮下銀座商店街。3階建ての古い雑居ビルが連なっています。

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空襲で焼け落ちた水戸東照宮が1962年(昭和37年)に再建されますが、同じ頃この商店街が誕生しました。商店街は登り坂で水戸のメインストリート国道50号線へと抜けます。

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デザインが統一された雑居ビルが両側に連なりますが、かつてはアーケードの屋根も設置されていました。国鉄ストアなどもあり商店街として大いに栄えていたそうですが、現在では半分以上が飲み屋街となっています。

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こちらは帰り掛けに寄った駅に近い立ち飲み屋「ニューたけさん」。

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なんと営業時間が午前11時から朝の4時まで、土曜日は24時間営業と言う素晴らしい店。しかも煙草は吸えるし駅近だしで言う事ありませんでした。

茨城県水戸市(1)、市街地と旧芦山浄水場跡

意外と今まで縁が無く、駅を降りた事のなかった水戸へ行って参りました。

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幼少の頃より、水戸と言えば偕楽園ぐらいしか無くて梅の咲く時期以外観光旅行に行く理由がない、と言うのが水戸のイメージでした。茨城交通だった時代のひたちなか鉄道や、もっと北の今はなき日立電鉄などには乗りに行きたかったのですが、水戸は微妙に遠い。

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とは言え立派な県庁所在地。歴史的にも幕末物の小説とか読んでると必ず水戸藩士は登場するし、今まで訪れて来なかったのが不思議なくらい。今回はハローサイクルが水戸市内に導入されていたので、レンタルサイクルで巡ります。

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こちらは1930年(昭和15年)竣工の茨城県庁旧庁舎。現在の庁舎は水戸駅より南西へ5.6キロほど離れた場所に、1999年3月竣工の25階建ての高層ビルを建設して移転しました。ちなみに同年11月には群馬県が前橋市に地上33階建の超高層新庁舎を建設させています。(なんか張り合ってますが、高い建物が全く無い場所に突然現れる高層ビルって言うのは、見た目なんとも……w)

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旧庁舎の近くにあるのが1932年(昭和7年)に建造され1999年(平成11年)まで使われていたと言う水戸市水道低区配水塔。装飾がエグいくらい凝っています。こちらは市内の下市地区(水戸駅東側)へ水道水を供給するために作られた給水塔になります。

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敷地内のこちらの建物も同時代の物。水戸の市街地は空襲により大部分が焼け野原となったので、このような戦前建築は非常に貴重です。

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さて、ここからは一旦市街地を離れ、北側の水田地帯を北西へと進んで行きます。丘陵地の麓伝いに続く道を進みます。

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斜面際には幾つもの湧水地が。水戸の中心街は北を流れる那珂川と、南を流れる支流の桜川に挟まれた台地の上に形成されています。その台地から一歩崖を下れば長閑な農村風景へと様変わり。

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那珂川流域の平野部の際、台地の崖下に当たる所からは豊富な湧き水が滲み出し、水田地帯を潤して那珂川へと注ぎます。

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たまに幾つもの廃屋を目にしたりもします。

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こちらも湧水地。もはや湧水群と呼べます。

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水田地帯から丘陵地を望むとこんな感じ。あの丘陵の上に市街地が広がっていると言う、なんとも特徴的な地形にあります。

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水戸駅から北西に7キロほど走った那珂川のほとりに、旧芦山浄水場があります。

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正門から裏手、那珂川の土手に出ると、幾つかの建物が見えます。この芦山浄水場は1932年(昭和7年)に建造され、のち北西部の丘陵地に建造された楮川(こうぞがわ)ダムにその役目を譲り1993年(平成5年)廃止となりました。

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そしてこの廃墟、映画「カメラを止めるな」などのロケ地としても使われています。そう言えばあの映画観た時にエンドロール見てロケ地水戸なんだぁって思ってたのに、すっかり忘れてました。

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現在水戸市は撮影のロケ地として貸し出ししているのみですが、是非とも内部も一般公開して欲しいです。

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那珂川沿いに南東へ下り、坂を登って丘陵地の上へ。桂岸寺の門前辺りに古そうな旅館が。

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だいぶ駅に近づいた栄町で、なんとも昭和な看板を目にしました。この「サンなんちゃら(漢字が読めない)自転車」とは。聞いた事もない。

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その交差点を入ると、今まさに解体されようとしている団地がありました。ここは県営松並町アパート。調べたらなんと1951年(昭和26年)竣工の2K風呂無し。昭和20年代に建てられた団地は初めて見ました。

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て言うか公営住宅法が制定されたのが1951年(昭和26年)6月4日で7月に施行されたので、ほぼ第一号と言う事になります。鉄筋コンクリート造の多層階アパートは関東大震災復興に於ける同潤会アパートの例があるので不思議ではないですが、もしかしたら歴史的価値のある公営住宅だったのではないでしょうか。

次回は繁華街を巡る後半に続きます。


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