宿場町・城下町

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千葉県東金市、旧市街の文化財建築等

前回の続きです。千葉駅から路線バスで東金まで来ました。さて今回は、東金の街を巡って行きます。

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宿場町の北西側は丘陵地であり、そこに八鶴湖(はっかくこ)という観光名所があります。そのためこの辺りにはお土産屋兼旅館だったと思われる建物も残っています。

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現在では住宅街なのですが、そんな中銭湯の松の湯が。ただここは16時開店のため入れませんでした。しかし歩いていると銭湯の煙突の向こうにもう一本コンクリート造の煙突が見えました。

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何かと気になって八鶴湖の方へ回ってみると、元旅館でレストランとして存続していた八鶴亭がありました。ここはかつて温度の低い鉱泉を加温していたので、ボイラーの煙突があったんですね。

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この八鶴亭は明治初期創業(詳細は不明)の老舗旅館で、現存する大正から昭和初期に建てられた建物たちは国登録有形文化財となっています。2021年3月に旅館としては閉業し、その後日本料理店として存続していましたが、それも2023年7月に閉店。現在ではボランティア団体によって保存管理されています。

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今年の8月8日に一般公開されるらしいのですが、生憎健康診断が入っていて行かれないのです。なんか、ビリヤード棟などもあるそうで、興味が湧きますね。誰か行ってくださいw

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この八鶴湖は鷹狩に訪れた徳川家康が鷹狩御殿とともにこの小さな人造湖を造成したそうです。ただ今は緑色をした汚い溜め池みたいな感じに。それゆえに寂れた観光地感があります。

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八鶴亭にあった観光マップを見て、ついでとばかりに湖の奥にある日吉神社まで足を運びます。鳥居のまんなか部分が取り外されており、違和感を覚えますね。大型ユニック車でも通ったのか。

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参道は切通しとなっております。この切り通しと言うキーワードに惹かれて。

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その切通しもS字カ-ブを描いており、かなり無理矢理な感じが。

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このちょっと非現実的な景色はお勧め出来ます。

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雰囲気がいいです。昇りもさほどキツくないし、千葉特有の雰囲気が。

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そんな神秘的な切通しを登り切ったと思ったら、いきなり造成地で一気にシラけました。
がっかりだ!せめて農地であれ!

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右手に曲がると巨木の連なる杉並木。

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その奥に日吉神社拝殿があります。風鈴と風車で演出されており稚の輪くぐりもあって、多くの人が訪れているんだろうなと。せっかくなのでお賽銭して軽くお参りしました。

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湖畔には大きな寺院が二か所あり、仏事の際に宴会などで利用されていたのか、料亭の跡があったりします。

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現在の多田和診療所がある辺りには、かつて明治初期創業の東金製糸場があったそうです。

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街道筋の宿場町まで降りて来ました。こちらも料亭か何かだったのでしょうか。

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東金の街は九十九里海岸から約10キロ内陸、丘陵地の麓を走る銚子道の宿場町としても栄えました。こちらは旧八百平商店(山下家住宅)。江戸末期に創業した豪商で、乾物から食品、生活雑貨まで扱っていたそうです。現在の建物は明治30年建造。

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こちらは旧東金郵便局。1872年(明治5年)に東金郵便取扱所として開設しました。

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こちらは昭和初期に煙草の専売所として建てられた旧多田商店。その後文具や書籍も扱う店舗となりましたが、昭和40年代に店が閉まってからは洋食屋や喫茶店などを経て、現在カフェとなっております。

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多田商店の左脇を入って行くと突き当たりに旧東金税務署。1897年(明治30年)に平屋建てで建設され、1934年(昭和9年)に二階建てに改築されたそうです。

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店頭こそ看板建築のように改築されていますが、建物自体はかなり歴史がありそうです。この宿場町が東金のかつての中心街でした。南東側、海寄りにJR東金線が並走しておりますが、東金線よりさらに海側の農地が開発されて現在の新市街地が誕生しました。

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畳の広嶋屋。創業350年とか書かれてますが、江戸時代前期4代将軍家綱の頃でしょうか。現在14代目だとか。

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古民家を再生利用したヘアーサロンSERABY。お一人で切り盛りされている予約制プライベートサロンだそうです。東金の街は「町並み活用センター東金」が地元ボランティアと協力して文化財や古民家の保存活動をされています。

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こちらも詳細は不明ですが、かつての商家と思われます。観光地化にはまだ遠いですが貴重な建築物が多く残っており、八鶴湖周辺と併せてポテンシャルは秘めていると思います。

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旧宿場町の街道沿いにはスナック長屋もありました。何軒の店が生き残っているのか。

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東金駅近くの恐らく旅館だったと思われる建物。

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駅前のパチンコ屋。閉店してもう何年経つのか。これで百万ドルと読みます。

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そのパチンコ屋に隣接した激渋大衆酒場の鳥忠。すごく入りたい。

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でも17時開店なので残念ながら寄れません。あまり帰りが遅くなると怒られるので。

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その隣に建つこちらも飲食店だったのでしょうか。裏を覗けば見事な見世蔵建築です。

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駅前のバス営業所も昭和の匂いを感じます。

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東金駅駅舎。東金線は1900年(明治33年)に大網〜東金間、1911年(明治44年)に東金〜成東間が開通しました。現在では外房線からの直通列車も増え、平日の朝夕には京葉線経由で東京行きまで出ています。
さて次回も、もう少し東金周辺を巡って行こうと思います。

千葉県千葉市~東金市、路線バスで東金へ

東金はJR東金線でしかその地名を知らず、何の知識も持ち合わせていませんでした。あーなんか外房線と総武本線が繋がっている海沿いの微妙な路線の辺りね程度の知識。

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今回は先日知った千葉から東金経由成東行きの路線バスに、なんとなく興味を惹かれたってだけで千葉に向かいます。どうせなら京成づくしで、なんてふと思いつき日暮里でJRを飛び降りて京成線へ。京成千葉の先のちはら台行き各駅停車ですが、この後来る特急に乗っても津田沼で結局この電車に乗り継ぐ事になります。奇しくも各駅停車の旅。

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千葉駅のバスターミナルはJR線が総武本線と内房・外房線と分岐する線路の間にあります。上空には千葉モノレール。旧そごうなどもこのロータリーにあります。

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LEDの行き先表示は上手く写らないのですが、京成バスイーストの中野車庫行きに乗ります。この路線は千葉と東金、成東を結ぶ路線の途中止まりとなります。ちなみに東金方面へは千葉東金道路を通る特急バスも頻繁に出ていますが、ここはあえて下道を通る鈍行にこだわります。席は満席に近い状態で出発。

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バスは外房線の北側、国道126号線を東に向かいますが、途中南に道を外れていずみローズタウンと言う京成不動産の大規模造成地に立ち寄ったりします。ここで半数近くが下車。またローズタウンの隣接地には昭和47年開設の超巨大市営霊園、千葉市平和公園があり、周囲には石材屋さんが軒を連ねていました。

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途中車窓に機関車が見えたので終点直前の中野バス停で下車。最終的に乗客は2〜3名となりました。少し戻った所にあるクズ鉄屋の前に、ディーゼル機関車のDE10が放置されています。プレートが剥がされ車番は分かりませんが、一応レールの上に乗っているので保存するつもりだったかと思われます。

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この辺りは中野城の旧城下で、現在は農村地帯となっております。

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農家は立派なお屋敷ばかりです。ちなみに現在の京成バスイーストですが、1930年(昭和5年)には両総自動車から京成電気軌道(後に京成電鉄)となり、1998年には成東営業所が千葉フラワーバスへと分社化される事で中野車庫(千葉営業所)の京成バスと並行して運行されていました。しかし2025年に千葉フラワーバスは京成バスに再統合。京成バスイーストとなります。ちなみに現在でも千葉〜東金〜成東の路線は九十九里鐵道のバスも並走しております。

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ちょっと蘊蓄が長くなりましたが、中野車庫バス停まで歩いて行くと貨車が再利用されていました。太陽に照らされて熱そう。

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こちらが京成バスイーストの中野車庫。千葉からの路線バスは大抵この中野車庫止まりとなります。

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今回乗った千葉〜東金〜成東の路線バスはその歴史が古く、大正時代に両総自動車が立ち上げた千葉~東金間のバス路線から始まります。ちなみに中野車庫は1973年(昭和48年)頃に開設されたようです。

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次の東金方面行きのバスまで1時間あります。と思ったら向かいに都合よくラーメンショップが。ちょうど12時なのでお昼にしましょう。

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名物ネギラーメン。ラーメンショップは店によって味にバラつきがあると聞きますが、ここのは美味い。

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ラーメン食っても時間が余っていたので、腹ごなしに付近を散策します。猫たちが暑さで死んでます。右奥の子猫がかわいい。

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こちらでも日陰で死んでますwwこの日は少し落ち着いて30度越えない予報でしたが、普通に暑いもんは暑い。

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奥に進むと杉木立の中を進む農道に。湿った森の匂い。ですがやたら羽虫が多い。

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農道を抜けると耕作地に出ました。このあたりは丘陵地なので畑作農家のようです。

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さて、後から来た千葉駅発成東行きのバスに乗ります。乗客は6〜7名で、途中南に外れた所にある東千葉メディカルセンターで多少の乗り降りがありました。ちなみに通しで乗ると1時間20分は掛かりますが、中野車庫で運転手交代がありました。あ、でも奈良県の十津川の路線バスで4時間てのがあったな。

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東金の宿場町に差し掛かった所で上宿バス停下車。本当は成東まで通しで乗りたかったのですが、今回は東金の街を散策することにします。
ひとまず、東金の様子はまた次回。




千葉県佐倉市、馬渡宿と弥富小学校旧校舎

先月から残業続きの忙しいばかりでロクに更新も出来ていませんでしたが、ここに来て急に暇になりました。しかし異常なほどの猛暑。なかなか気力も湧きません。

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そんな昨今ですが、今回は京成佐倉駅より南へ向かう路線バスに乗ります。降りたのは佐倉市の南に位置する馬渡局入口。終点の二つ手前です。

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国道51号線の北西側を並走する旧道には立派な農家が連なっておりますが、この地区はかつて宿場町でもありました。

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しかし現在ではその面影をほとんど感じることは出来ません。

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馬渡(まわたり)集落は明治27年に総武鉄道(後の総武本線)が開通するまで佐倉街道の宿場町として大いに栄えたそうです。

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町の中心近くにある馬渡郵便局。建物は1967年(昭和42年)建造との事で、思ったより古い建物でもありませんでした。ウチの実家と同じぐらい。

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農村の中に突如現れたこの立派な建物は、酒蔵の旭鶴。唯一宿場町の面影を残しております。

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この旭鶴は1830年(天保元年)創業。敷地にはかつては上総屋という旅館があり、正岡子規も宿泊したことがあるそうです。

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酒蔵の裏手にはなかなかいい雰囲気の八坂神社があります。旭鶴はこの八坂神社から流れるご神水を仕込み水に使用しているとか。

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佐倉からのバスはここ馬渡集落の馬渡坂上止まりの25分後に、後を追うようにさらに南の岩富の西御門行きが来ます。いずれも基本1日2本なので、ゆっくりもしていられません。本当はこの近くの百観音にも行ってみたかったのですが。

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丘陵と水田の広がる谷を幾つも越えて、途中巨大流通センターや工場なども眺めながら岩富地区、町方バス停で下車。この地区はかつて岩富城の城下町でした。

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ここに今回の目的地である弥富小学校旧校舎があります。

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弥富小学校の歴史は古く、明治6年に岩富町校として創立。この校舎は昭和28年に建てられた物で、昭和58年に完成した新校舎へ移転されるまで使われていました。

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裏手はこんな感じ。この旧校舎は現在、佐倉市文化課が管理しております。

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もちろん立ち入りは出来ませんが、窓からちょっと覗いてみましょう。

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中は遺跡発掘調査の資料や文化財の収蔵庫として使われているようです。各ケースには吉見台遺跡群調査会や佐倉市教育委員会、印旛郡市文化財センターなどの文字が。

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隣接するプレハブは扉が開いており、どうやら職員が詰めておられる様子。

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岩富からは千葉モノレールの千城台駅行きのコミュニティバスが走っております。せっかくなので、帰りは別ルートで帰りました。

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千城台駅に到着。京成佐倉から馬渡までと馬渡から岩富まで、そして岩富から千城台までと3本のバスに乗りましたが、いずれも乗客は自分一人でした。そりゃ地方の路線バスは廃止になるわけだ。

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佐倉市のコミュニティバスも京成グループが委託運行していました。廃止にしない代わりに市にお金出してもらうと言う。それでも利用者は居ないと言う。

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今回は本数の少ないバスの連絡が良すぎたため、駆け足で巡ってしまいました。まだお昼ですが、いかんせん気温が高いので、無理せず今回は撤収します。

埼玉県幸手市、宿場町と史跡など

幸手と言えば降りたことこそ有りませんが、その昔「サッテリア」なるハンバーガーショップが存在したと言う噂。

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東武日光線で南栗橋の一個手前、幸手駅に降り立ちました。サッテリア見てみたかった。

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この辺りには灌漑用水が非常に多く、また豊富な地下水に恵まれており、造り酒屋などもあります。建築物としても見事な酒蔵。

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この石井酒造は1840年(天保11年)より続く老舗。瓶を購入すればお酒の量り売りもやられております。

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幸手駅を東に進むと日光街道に出ます。この南北に延びる街道沿いに宿場町として栄えました。

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この幸手宿の古民家建築では唯一の国登録有形文化財がこの岸本家住宅母屋。かつて醤油醸造業を営んでいたそうですが、現在は古民家カフェとなっています。1830〜1867年建造。

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そんな国指定はさておき、まずは宿場町を堪能して行きます。こちらは旧小島商店。

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こちらは酒屋さんの永文商店。1903年(明治36年)創業。

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よく見ると珍しいことに、奥の倉庫から店頭まで軌道が走っています。奥に見えるのがトロッコ。

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詳細は分かりませんが、この平井家住宅もなかなか立派。

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こちらは幸手のボスキャラとも言える建築物。昭和初期の建物で、昭和23年より野口堂電気と言う電気屋さんを営んでいたとか。ちなみに現在その電気屋さんは移転されています。

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こちらは関薬局。店頭こそ改装していますが、建物自体は歴史あります。

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こちらは高濱商事。文化財登録や街並みの保全などは特になされておらず、自然と古い建物が多く残っていると言った印象です。普通の住居に建て替えられた所も多くありますが、空き地が少ないのでさほど寂れた印象はありません。

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また、幸手は豆腐屋さんが多く存在するそうです。豊富な地下水に恵まれているからでしょうか。

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宿場町の北端まで行った所で昼食とします。街道筋の東側に市街地を迂回する形で国道4号バイパスが走っており、幹線道路商業圏として多くのチェーン店系飲食店が軒を連ねていますが、あえて中心街の個人商店へ。

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肉玉丼、美味いです。付け合わせの豆腐は地元の物でしょうか、これも美味い。

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市街地の北側には権現堂公園があります。こちらは桜の名所で、旧権現堂川の土手沿いに桜並木が続いてます。権現堂川は江戸時代の利根川東遷以前までは渡良瀬川の川道で東京湾へ注いでいました。

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この公園の北側に煉瓦造りの樋管が保存されています。

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これは権現堂川用水新圦と言う用水路へ配水する煉瓦造りの樋管で1905年(明治38年)竣工。

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樋管の先の水路は権現堂川に繋がっています。現在の権現堂川は利根川から取水して中川に合流するまでの調整池となってしまいましたが、それでもいまだ一級河川とされています。

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こちらの樋管も用水路へ分岐させるもの。

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こちらは巡礼樋管と言い1933年(昭和8年)竣工のコンクリート樋管。

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桜の季節はさぞ見事な事でしょう。いずれも日本土木遺産に指定されています。

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この権現堂公園では紫陽花まつりが開催されており、多くの観光客で賑わっていました。

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ここで石井酒造さんで購入した日本酒、豊明の量り売りを試飲。お猪口買えば良かったと思いつつ瓶から直接試飲してみましたが、美味い。非常に飲み易くスッキリとした酸味で後味は辛口と言ったところでしょうか。

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こちらは権現堂河岸跡。小さな水神社の祠が残るのみとなってしまいましたが、利根川からの流路が塞がれた1927年(昭和2年)までは河岸として栄えていました。ここよりさらに北東へ進めば以前訪れた関宿に繋がります。

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権現堂公園から東へ進みます。こちらはマリア地蔵と呼ばれる隠れキリシタンのお地蔵様。

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最後に将門の首塚。大手町の首塚は有名ですが、この塚は、戦死した将門の首を愛馬がくわえてここに運び、村人か家来が埋めたものといわれ、その伝承を物語るかのように古い五輪塔が塚上に安置されています。諸説ありますがどちらが本物の首塚であるかは謎のまま。

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以下余談ですが、そんなわけで東京に戻って来ました。南千住で降りたところ、素盞雄神社天王祭が行われていました。

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このお祭りの神輿は担ぎ棒が二本しか無く、神輿を左右に振る二天神輿振りが壮観です。

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2月より通い詰めてる山谷の飲み屋で飲んでると、店の前にも神輿がやって来ました。山谷の住人であるお店の常連さん方は、あまり興味なさそうでしたが。

千葉県佐倉市、佐倉城跡周辺と国立歴史民俗博物館

前回時間の都合で巡れなかった市街地西部の城跡周辺を回りました。

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成田街道の北西部が佐倉城跡なのですが、まずは南城場外の武家屋敷跡を巡ります。

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この竹林の中を抜ける「ひよどり坂」は観光名所になっています。晴れたらもっといい雰囲気だったかも知れません。

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丘の上まで登ると武家屋敷が3軒並んでいます。ここ摘木小路はかつて多くの武家屋敷が建ち並んでいましたが、今ではごく普通の住宅街となっています。ただこの土塁に植え込みと言う景観は当時の武家屋敷の風情を強く残しています。

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こちらは旧河原家住宅。河原家がここへ移って来たのが1835年(天保6年)とされているので、その頃に建設された物と思われます。

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ちなみにこの河原家住宅は同じ摘木小路に建っていた物を現在の位置に移築し、解体調査中に発見された箇所なども復元したそうです。

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このような古民家を見学すると江戸東京たてもの園を思い出します。最近こう言うの見るの好きになりました。

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裏手に廻るとこんな感じです。

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二軒目はくらやみ坂の入り口を挟んで西隣にある但馬家住宅。

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この建物は元からこの場所に建っていた物なので、敷地の庭なども当時の物です。

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1821年(文政4年)から1837年(天保8年)の間に建てられたものと推測されるそうです。当時この住居に住んでいたのは誠心流槍術師範だった井口氏で、その後岡田氏の住居となり、明治8年に但馬家が購入しました。

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こちらの武居家住宅は築年代こそ不明ですが、天保の御制と呼ばれる規定による百石未満の藩士が住む小屋敷の規定に基づいた造りだとか。

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アニメ調のパネルなどもあります。まぁこう言うのも必要なんでしょうが、そんな無理して迎合しなくてもって思ったら、佐倉市が2020年に本気で「天倫の桜」と言うスマホゲームを作ってた。しかもかなり本気で。何かしら原作があってアニメ化されて聖地になると言うプロセスをすっ飛ばして、行政自らが原作作っちゃうとか逆に尊敬する。

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そんなわけで佐倉城跡。建物などは一切残っておらず、空堀などが城跡の面影を残すのみとなっております。

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城郭の殆どが明治政府の廃藩令によって解体されましたが、僅かに残っていた建物も1884年(明治17年)帝国陸軍歩兵第2連隊が宇都宮城跡から移転された時点で全て取り壊されました。

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歩兵第2連隊は後に歩兵第57連隊となり、通称佐倉連隊と呼ばれていました。

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駐屯地があった頃の建物も僅かに残っています。こちらは小銃や機銃の手入れに用いていた油を保管していた倉庫。

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こちらは兵士が高い所から飛び降りら訓練をしていた階段。かつては左手裏に木造の階段が付けられており、右手へと飛び降ります。最初は低い段からで徐々に高い所から飛び降りると思うのですが、最上段から飛び降りるとしたら回転しながら受け身でも取らないと骨折する危険性があります。ただ当時は根性とか気合いとかそう言う尺度で訓練していたので、怪我人も出ていたのてばないかと。

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ちなみにGoogleマップでも場所は出ますが、このような地図が各所にあるので探す事が出来ます。ただ階段は坂を降りた所なので、後回しにした方がいいかも知れません。

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こちらは便所跡。土台のみが残っている形です。佐倉の帝国陸軍歩兵連隊は歴史が長く、日清戦争から日露戦争、太平洋戦争の終戦まで続きました。

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こちらは天守閣跡の奥にあるモッコクの木ですが、兵士が文字を刻んだ跡が残っています。

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こちらが佐倉城の天守閣跡となります。佐倉城は戦国時代にはまだ未完成で、江戸時代に入ってから土井利勝により完成したそうです。

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こちらは佐倉城に使われた敷石で、城が解体された後はそのまま兵舎などの施設の敷石として流用されたとか。

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佐倉城跡を歩いて行くと国立歴史民俗博物館の裏手に併設されたレストランがあったので、そこで昼食をとり博物館に入りました。

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国立歴史民俗博物館は第一から第六展示室まで分かれており、古代から中世と歴史を追って巡って行きます。古代史とか別に興味は無かったんですが、ついついじっくり見学してしまいます。

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個人的に1番見たかったのが第四展示室の民俗学のコーナー。

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しかし古代と中世でじっくり見過ぎてすでに夕方。足早に回るしかなくなりました。

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近代の展示室もじっくり見たかったのにもはや駆け足。いや、国立歴史民俗博物館はとにかく広いから目的を持って見ないと、とても1日では回りきれないって話は「帝都を歩く」さんの記事で読んでいたんですが、いざ行ってみたら興味が尽きなくてついつい。
ここはまた改めて時間をかけて見に来ようと思います。
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