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埼玉県さいたま市、見沼通船堀閘門開閉実演

こうもん、かいへい、じつえん。
平仮名で書いちゃいけません。閘門、つまり端的に言えば規模は小さいけどパナマ運河みたいな物です。去る8月20日、見沼通船堀にて閘門の開閉実演が行われました。

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JR武蔵野線東浦和駅から南東へ。見沼代用水東縁を渡ります。見沼代用水とは灌漑農業用水で、江戸中期の享保13年(1728年)に江戸幕府の役人であった井沢弥惣兵衛為永が新田開発のために普請した用水路です。この見沼代用水は行田市の北で利根川から取水し、蓮田市で東西に分岐。この東縁は戸田競艇場にて荒川に合流し、西縁は足立区で荒川に合流します。

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その東縁から真ん中を流れる芝川を介し西縁へと至る運河、見沼通船堀があります。通船堀は芝川を境に西縁と東縁に分かれており、こちらは西縁二の関の船溜まり跡。つまり水を堰き止めて水位を上げ下げする閘門があった場所で、船溜りがあったため幅が広くなっています。

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水は見沼代用水西縁から芝川に向かって流れて行きます。しばらく歩くと西縁一の関の閘門が復元されています。

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今年は特に水量が少ないらしいですが、かつてはここを和船が航行していました。見沼通船堀は見沼代用水完成の三年後、享保16年(1731年)に東西の見沼代用水と中央の芝川を結ぶ運河として造られました。

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やがて芝川に合流。芝川は桶川や上尾の湧水地を源流として、かつて沼地だった見沼を通り川口市南東部で荒川へと注ぎます。

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芝川の左岸(西側)には水神社があります。ここは通船堀開通の翌年に創建され、水難防止の神として祀られて来ました。現在の本殿は関東大震災で全壊した翌年の大正13年に建てられた物。

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芝川の東側には鈴木家住宅があります。鈴木家は幕府から見沼通船堀の各船に対する積荷や船頭の割り振りなど船割りを行う差配役を命じられていました。文政年間に(1818年〜1830年)江戸から移住し、建物もその当時の物と考えられているそうです。

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土日などは奥まで入られるようになっていますが、母屋は生活されているので公開されていません。裏手の蔵や小屋には昔の農機具や、見沼代用水に関するパネルなどが展示されています。

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芝川から見沼代用水西縁へ向かって見沼通船堀西縁が分岐して行きます。この辺りにもかつては河岸(かし)があったそうです。

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100メートルほどでしょうか、遡って行くと復元された一の関があります。

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さらに100〜200メートルほどでしょうか、二の関があります。今回の閘門開閉実演では一の関のみ閘門を閉めます。

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まず一の関で、角落(かくおとし)と呼ばれる板を放り投げます。実演は保存会の方々をはじめボランティアスタッフで行われており、保存のためのクラウドファンディングも募集しているとか。

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水飛沫を上げて投げ込まれる角落。この閘門開閉実演は年に一回、8月に開催されて来ましたが、近年の気温上昇を鑑みて来年からは6月にしようと言う話になっています。

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落とされた角落は流れに沿って関枠へと引き寄せられます。

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一枚一枚角落が関枠に渡されて行き、これを10枚ほど重ねて運河を堰き止め、見沼代用水から流れて来る水によって水位を上げます。

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このようにして標高の低い芝川から標高の高い見沼代用水へと船を航行させます。

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逆に見沼代用水から船が来た場合、二の関を堰き止めて二の関の手前まで航行し閘門を解放。そのまま堰き止めてある一の関まで進み同じように閘門を解放して芝川まで下って行きます。

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ちなみに復元されている和船は2分の1スケールなので実際はもっと大きい物となります。

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船を二の関の上流へ引き入れたら、最後に角落を一枚づつ引き上げて水を解放し、水位を元に戻します。

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通船堀西縁を西端まで遡ると見沼代用水西縁にぶつかります。見沼代用水は元々農業用水路として通された物なので、物資の運搬については秋分から春分にかけてとなります。

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こちらが見沼代用水西縁。江戸時代は主に見沼代用水沿岸地域からの年貢米などが江戸へ運ばれ、帰りの船で塩や肥料などの物資が運ばれて来たそうです。

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こちらは見沼代用水西縁を北へ遡った所。この見沼代用水は、芝川沿岸の平地の東西の際、丘陵の手前を流れますが、東縁は途中芝川の支流に沿って北上します。元々は見沼と言う沼を溜め池として利用していましたが、江戸時代に入り干拓し見沼田園と言う広大な穀倉地帯が広がるようになりました。

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その見沼区北柳にある坂東家住宅見沼くらしっく館。デカい屋敷です。

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坂東家初代の助右衛門尚重は紀伊国(和歌山)の出身で、1675年に江戸で暮らす傍ら見沼の一角に入江新田を開発したそうです。

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しかし下流の村の反対に遭い1718年2代目四郎左衛門尚政の時に元の溜池に戻します。その後、徳川吉宗が新田開発を推奨した事で3代目助右衛門尚常は入江新田の再開発を幕府に願い出て、65町2反あまりを新田として開発。屋号を取り加田屋新田としたそうです。ちなみにこの囲炉裏には実際に火がくべられています。

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屋根の裏側が煙で燻されている事で防虫効果があります。この坂東家住宅が建てられたのは10代目助次郎の時で、江戸末期の安政4年(1885年)。

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つまりそれまでは江戸に住んでいたと言う事で、地元の地方豪族や庄屋とは違います。言うなれば江戸にある土地開発会社みたいな物でしょうか。

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見沼代用水西縁から灌漑用水路が東へと分岐して行きます。

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用水路は途中水道橋にて川を渡り、川向こうの田畑にも水を供給しています。上のパイプは上水道でしょうか。

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こちらは見沼代用水東縁を上流へと遡ったところ。東縁は芝川と付かず離れずの距離を並行して流れています。つまり芝川の右岸(東側)は丘陵地が間近まで迫っていると言う事。左手の桜並木が土手の役割を果たし、その左手はもう芝川の河川敷になります。

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そこにさいたま市立浦和博物館があります。この建物は埼玉県女子師範学校(現在の埼玉大学)の鳳翔閣(明治11年建造)を移築し玄関部分のみ復元した物。

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ここに当時の船に使われていた船箪笥や米櫃などが展示されています。

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こちらは水桶やロープなど。水運に関与していた家の蔵に眠っていたそうです。
基本、近代史には興味ありますが、江戸時代には疎いです。しかし調べてみれば、これはこれで面白いですね。

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最後に見沼天然温泉小春日和。ここの加温加水無しの源泉掛け流しのぬるいお湯が好きで、もう何回も通っています。

東京都小金井市、江戸東京たてもの園(後編)

さて、後編です。

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公園の東地区には都電が保存されています。都電は自動車の普及や地下鉄網の発展に伴い、昭和47年(1972年)までに現在の荒川線を残して廃止されました。

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上野消防署(旧下谷消防署)望楼上部。いわゆる火の見櫓の上の部分ですが、当時の高さは約23.6m。都心の望楼は建造物の高層化や電話の普及とともに次第に役目を終えていったそうですが、この望楼は大正14年(1925年)に造られて昭和45年(1970年)まで使用され、昭和52に解体されたとか。

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こちらは台東区池之端の不忍通りに面して建っていた化粧品店の村上精華堂。昭和3年(1928年)、関東大震災の復興の時期に建てられた建物って、なぜかモダンな造りが多い気がします。

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この辺りからは東京下町の狭い建物が多くなるため中に上がる事は出来ませんが、お茶の間の様子を窺う事は出来ます。

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と言う訳で、ここからは東京下町ゾーンとなります。オープンセットとは違いあくまでも建物の博物館と思わせるのは、電柱や街灯などがないからでしょう。

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コの字型に建ち並ぶ建物を左側から。こちらは中央区新富町に昭和2年(1927年)建設された植村邸。銅板葺きの看板建築で、このような建物は下町に行けば現在でも僅かに残っていますね。なおこの建物の壁面には空襲の際、爆弾の破片などによる傷が多数残っているそうですが、なんと見逃してしまいました。

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隣に建つのは乾物屋の大和屋本店。港区白金台4丁目に昭和3年(1928年)建てられました。

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店内は建設当初の乾物屋の様子を再現しており、干し鮑や昆布などが陳列されています。白金台4丁目と言えば東大医学部研究所附属病院とかありますね。白金台駅の辺りでドン・キホーテの向かい側。今ではオシャレな高級店が建ち並んでいます。

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レジも古い。と言うか当時はまだ算盤が多かったのかな。この辺りはアミューズメント感が高く外国人観光客以外にも女子の見学客が多くいます。逆に言えばこれまで回って来た日本家屋は地味と言うか人気ないと言うか。

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お風呂はこんな感じ。壁面から蛇口が出ています。

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裏に回るとちゃんと配管カバーがあったりする。どんな気遣いなのか。

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だって建物の裏手は私有地で誰にも見られなかったろうに。と、こんな所が気になってしまいました。建てた人とか、その時代の人々の感覚とか想像してみたり。

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こちらは江戸川区南小岩8丁目にあった和傘問屋の川野商店。

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大正15年(1926年)建設。当時小岩は和傘の産地だったそうです。和紙や糊、竹などの原材料を東日本各地から仕入れ、職人が傘を作っていたとか。

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こちらは裏の玄関。和傘問屋とは言え明治初期には洋傘が輸入され、明治11年より国産の洋傘が製造を開始。明治後期には日本製洋傘が輸出されるまでに至ったそうです。そう考えると和傘はすでに斜陽産業だったと思われます。

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港区白金5丁目にあった小寺醤油店。白金と言えば高級住宅街のイメージが強いですが、坂の下や川沿いには下町風情が残っています。

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昭和8年(1933年)建築。味噌や醤油、酒類を販売していたそうです。ちゃんと当時のラベルが貼られた瓶などがディスプレイされています。

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ちなみにこちらが現在の白金5丁目界隈。この並びに建っていたそうです。この辺は戦前の建物が今だに残っています。

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余談ですが以前、この並びの洋食ハチローで食事した事がありますが、リフォームして古民家カフェをやってる店なんかもあります。

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こちらは台東区下谷2丁目(入谷と鶯谷の間)、言問通り沿いにかつてあった居酒屋の鍵屋。建物は江戸末期の安政3年(1856年)に建てられた物だそうです。震災も戦災も免れたそう。

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左手に座敷、コの字カウンターにヤマサ醤油樽の椅子。最初は酒問屋から創業し小売店となり、昭和に入ってから角打ちを始め、昭和24年(1949年)より居酒屋となったそうです。

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店内は昭和45年頃の様子を再現。店は昭和49年に鶯谷寄り1本奥に入った路地に移転して、現在でも続いていると言う。

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こちらが現在の鍵屋。住所は根岸3丁目になりましたが建物は大正時代建造の建物をここに移築したそうです。一度開いてる時に入ってみたいのですが、入り辛いったらありゃしない。

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右隣にあるのが子宝湯。足立区千住元町に存在した銭湯で昭和4年(1929年)建造。

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神社仏閣を思わせる大型の唐破風や脱衣所の折上格天井など、首都圏の銭湯建築は震災復興建築の特徴です。復興で大変な時期、せめてお風呂は贅沢な日本建築でと言う思いから。この銭湯建築は関西や北関東などでは見られません。

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ちなみに千住元町と言えば喫茶モカなどがありました。近くにタカラ湯と言う銭湯も現存してますが、そちらも立派な銭湯建築です。

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こちらは文京区向丘1丁目にあったと言う仕立屋。江戸からの町屋の造りが残る貴重な建物です。

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明治12(1879年)年建築。昭和初期にはテーラーとなり戦後は八百屋だったとか。内部は大正時代当時を再現。

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こちらは青梅市西分町の青梅街道沿いにあった万徳旅館。江戸時代末期~明治時代初期に建てられたそうです。

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元は旅籠で明治中期に2階部分を増築。なんと平成5年(1993年)まで旅館として営業していたそうです。

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こちらは千代田区神田須田町1丁目にあった武居三省堂。明治初期に創業した文具店で、この建物は昭和2年(1927年)に建てられた物。

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店内は昭和30年代を再現されていますが、まだ筆や硯がメインのようです。

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壁一面の引き出し。ジブリの「千と千尋の神隠し」に出てくる釜爺の部屋のモデルとなったと言われています。

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その神田須田町1丁目にあったのが、万世橋の南西側袂にあったと言う万世橋交番(須田町派出所)。明治後期建築と推定されてます。かつては万世橋駅の駅前交番の役目を果たしていましたが、昭和18年に万世橋駅が廃止された後は巡査の休憩所や交通課の詰所として利用されていたそうです。

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ちなみに現在の万世橋は昭和5年建造。当時の姿を今に残しています。昭和42年(1967年)までは万世橋にも都電が走っていました。

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こちらは昭和2年(1927年)、千代田区神田淡路町1丁目に建てられたと言う花市生花店。

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裏に回ると井戸や木製物干し台などがあります。

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最後に昭和初期、千代田区神田神保町3丁目に建てられた荒物屋(金物屋)の丸二商店。神保町駅と九段下駅の間辺りですね。

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店内は昭和10年代の様子を再現しているそうですが、本当にこんな風に鍋が積み上げられていたのでしょうか。

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裏手には長屋も移築し、それとともに路地の様子も再現されています。雑草や苔の生え具合がいい感じ。

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こちらで遅めの昼食。1階には自動販売機と休憩所があります。

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武蔵野うどん。麺にコシがあって美味かった。
ともあれたっぷり楽しめました。もっと細かい所まで見ていたら本当にキリがないです。移築だし現地を歩いた方がなんて思っていましたが、当時の姿に修復したり当時の小道具をディスプレイしたりと、博物館としての見応えは期待以上の物がありました。


東京都小金井市、江戸東京たてもの園(前編)

インスタなどで噂に聞いていた程度の江戸東京たてもの園。どうせ移築された建物がちょっと並ぶ「作られた昭和感」ぐらいだろうと思ってました。ところが、行ってみたら凄かった!

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JR中央線武蔵小金井駅の北、2キロ弱。小金井公園があります。バス停のある小金井公園西口から入ると保存車両のC57がありますが、こちらはたてもの園とは別で土日のみ公開。まぁ柵の外から見れますが。

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公園内を少し歩くと敷地内に江戸東京たてもの園があります。休館日は基本月曜日で9:30〜17:30、ただし10月〜3月は16:30まで。観覧料は一般400円。このビジターセンターも昭和15年(1940年) 皇居前広場で行われた紀元2600年記念式典のために建設された式殿で、翌年にはこの場所に移築され光花殿と名付けられたそうです。

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後の昭和29年(1954年)、井の頭恩賜公園にあった武蔵野博物館をこの地に移転し、平成5年(1993年)両国の江戸東京博物館の開館に合わせて都内の様々な建造物を移築し、現在の江戸東京たてもの園となりました。

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思ったより広い敷地に29棟もの建造物が展示されていますが、東側から時計回りに見て行こうと思います。こちらは板橋区にあった常盤台写真場。ちなみに場内に入ってすぐの所に喫煙所と自動販売機があるのですが、自動販売機はここと東エリアの奥ぐらいにしか無いので、水分補給のための飲み物は買っておいた方がいいかと。

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2階が写真スタジオになっています。昭和12年に建てられた物ですが、スタジオの機材など当時を思わせる古い機材がディスプレイされています。

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常盤台には確か駅前に常盤台の歴史について書かれたパネルがありましたが、昭和10年に東武東上線が開通してから造成されていった住宅地です。これだけの木造モルタル構造物をどうやって移築したのかは謎ですが、一軒目からちょっと驚かされました。

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表にはボンネットバス、いすゞTSD43型が展示されています。こちらは1968年式北村製作所製のボディと1979年式のトラックのシャーシを組み合わせて福山時計自動車博物館にて復旧したもので、塗装は当時の都営バスの物。

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この車両は動態保存されており、月一回園内を実際走行させるそうです。ただ日程については公式サイトにも告知されておらず、直接問い合わせてみないと分かりません。

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こちらの建物は三井財閥の総領家、三井八郎右衞門の邸宅。港区今井町にあった本邸が戦災で焼失したため、昭和27年(1957年)麻布笄町(港区西麻布三丁目)に本邸を建築して移り住んだとか。その際、今井町で焼け残った棟や、京都、神奈川県の大磯、世田谷区の用賀、それぞれの屋敷から建築部材、石材、植物などがかき集められたそうです。

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門柱もしっかり移築されています。庭なども再現されており相当お金かかっていそうだし、その徹底ぶりには頭が下がります。

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キッチンがまた凄い。使用人が調理する厨房ってところですが、木製の吊り戸棚や食器棚の多さもさる事ながら、歴史的価値も相当な物。以前、野田の茂木一族邸の厨房なども見ましたが、比べるとさすが三井財閥と言った感じ。

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もう、秀吉かよってぐらいの金。まだ二軒目なのにこんな調子で写真撮ってたらキリがない。

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こちらは世田谷区岡本3丁目に建っていた江戸時代中期の農家、綱島家。よくまぁ残っていたと。

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軒先では梅干しが干されています。こう言うのは季節によって変えるとか。良い演出です。

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八王子追分町にあった八王子千人同心組頭の家。部材を再利用して日野市の農家が移築して使っていたそうです。

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元々江戸時代後期の建築物で、展示にあたり建設当時の姿を復元しているそうです。ここでふと、全ての建物と内部の写真を説明しながら紹介するのは公式サイト見れば良い事だし意味があるのかと疑問に思ってしまいましたが、感動を伝えたいから続けます。飽きたらすっ飛ばしちゃって結構。

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こちらは三鷹市野崎に建っていた吉野家住宅。江戸時代後期に建てられた農家だそうです。

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たてもの園がまだ武蔵野郷土館だった頃の昭和38に移築、復元されたため、建物の内部は昭和30年代頃の農家の様子を再現しているとのこと。

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ここでいきなりガチな洋館。新宿区信濃町にあったと言うデ・ラランデ邸。軽井沢とかのペンションなんかを思わせる。

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一階部分はカフェとして利用されています。元々は明治時代、気象学者・物理学者の北尾次郎が自邸として設計した木造平屋建てで、明治43年(1910年)頃、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデが購入した際木造3階建てに大規模に増築されたそうです。

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階段には真鍮製の絨毯押さえ棒が。こう言う細部にいちいち引っ掛かっちゃいます。その後居住者が何度か変わりつつ、昭和31年(1956年)よりカルピスの発明者として知られる三島海雲氏が住んでいたそうです。海雲氏の死後は、三島食品工業株式会社の事務所として平成11年(1999年)まで使用されていました。建物や内装はデ・ラランデが暮らしていた大正時代初期頃を復元しているとか。

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こちらは文京区西片に建っていた小出邸。一見近代建築にも見えますが、これがなんと大正14年(1925年)に建てられ、平成8年(1996年)まで住まわれていたそうです。

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実に70年以上も生活されていた事になりますが、古さを感じさせないデザインや耐久性を考えると素晴らしい建物と言えますね。

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こちらは品川区上大崎に昭和17年(1942年)に建てられた前川國男邸。戦時中とは思えないデザイン性の高さ。

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前川國男は東京文化会館や東京都美術館などを設計した建築家。開放感溢れる吹き抜けの居間など、当時としては斬新なデザインだったのではないでしょうか。

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大正12年、関東大震災の1ヶ月後より田園調布の分譲が開始されました。この建物は大正14年(1925年)に建設された高級住宅の大川邸。

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ぶっちゃけ金持ちの家には全く興味無いのですが、内装とか見てるとさすがに興奮して来てスゲーとか言っちゃいます。

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キッチン対面カウンターが付いている食器棚。キッチンで作った料理を小窓から出せるようになってます。しかも扉付き。今では当たり前のようなダイニングの構造ですが、これが大正時代から有ったなんて。欧米の生活様式を、一般家庭にもどんどん取り入れた時代なんでしょうね。

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建物は1993年まで住まれていましたが、移築に際し内装や機器類は大正末期から昭和初期を再現しています。やべぇ、たてもの園楽しい。最近訪れた松戸市立博物館の団地生活の再現ほど生々しく変態的ではないにせよ、充分暮らしの様子は伺えます。大正時代の家具や器機類集めるのも大変だったろうに。

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北側に並ぶ建物の裏手には小道があり、そこにも展示物があります。これは武蔵野市御殿山で発掘された縄文時代後期の御殿山遺跡敷石住居址。古い建物って言ったって紀元前2000年頃て。こんな物まで移設されています。

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その……庚申塔とかって持って来ちゃっていいもんなんですかね。

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霊廟とかも持って来ちゃっていいものか。こちらは旧自証院霊廟。江戸幕府三代将軍家光の側室であったお振の方の霊廟で、1652年に市ヶ谷(今の富久町)の自証寺の中に建てられたそうです。建築には江戸城や日光東照宮の建設に携わっていた幕府作事方大棟梁甲良氏が関わっていたとか。しかし寄贈者が西武鉄道になっていたのですが、自証寺と関係があるのでしょうか。

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やっと半周回りました。こちらは立派な屋敷門を持つ農家の天明家。大田区鵜の木で村役人の年寄役を勤めていた名家だそうです。

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江戸後期の建築で、裏には枯山水の庭園も移築されています。

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向かい側に建つやたらデカいお屋敷は赤坂7丁目にあったと言う高橋是清邸。青山通り沿い、赤坂御所の向かい側に高橋是清翁記念公園があり、現在ではカナダ大使館が建っています。

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高橋是清は明治から昭和の初めにかけて日本の政治を担った人物。昭和11年(1936年)、是清はこの建物の2階で青年将校の凶弾に倒されたそうです。いわゆる2.26事件の事件現場となった建物。

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建物は明治35年(1902年)建造。 敷地と屋敷は事件後東京市に寄付され記念公園となりましたが、その後主屋が多磨霊園に移築され、休憩所として利用されていたそうです。

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こちらは昭島市に建っていた西川家別邸。大正11年(1922年)建造。

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明治26年(1893年)昭島市で西川製糸を創業した西川伊左衛門が隠居所及び接客用に建てた邸宅だそうです。明治大正から昭和初期まで多摩地域では養蚕が盛んでしたが、工場が昭和15年(1940年)軍需工場へ転換された事で終焉を迎えます。

前編は多摩地域や山手のお屋敷がほとんどでしたが、後編では下町での庶民の暮らしを中心とした公園東側を紹介して行きます。

千葉県松戸市、常盤平団地と松戸市立博物館

桜も散り始めた頃、松戸市のUR常盤平団地に行って参りました。

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先月末で京成電鉄に吸収されてしまった旧新京成に松戸駅から乗って5駅、常盤平駅に降り立てば桜舞い散る並木道。

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駅前にはいまだ現役のボーリング場が残っています。建物のデザインが昭和。

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少し歩けば借家地帯もちらほら目にしますが、もしかしたら常盤平団地の建設に携わっていた人々が暮らしていた、なんて事もあるかも知れませんね。

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都心ではなかなか見なくなったガスタンクなんて物も残っています。以前はもうひとつ有ったそうです。今までガスタンク=プロパンガスの供給源と言う思い込みが有りましたが、間違っていました。ではなぜガスタンクは減ったのかとか、都心の都市ガス供給はどのようになされているのかとか、疑問が増えました。一度、小平のガスミュージアムで勉強して来よう。て言うか、ガスミュージアムに煉瓦建築が残っているし、行かなければ。

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さて、ここからが本題。常盤平団地を見て行きます。駅の北口にレンタルサイクルのハローサイクルが有ったので利用しました。

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常盤平団地は東西に走る新京成の南側の丘陵地に広がっております。この辺りは西側の1街区。団地はほぼ全てベランダが南を向いています。

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キッチンや浴室、玄関などは北面にまとまっています。現在のUR都市機構、旧・日本住宅公団は昭和30年(1955年)の設立時、都市部の人口増加に対応すべくまず神奈川県川崎市生田、東京都日野市、千葉市八千代台、そしてここ千葉県松戸市常盤平の開発を手掛けました。

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街には少子高齢化のためかご高齢の方々の姿が目立ちます。この常盤平団地は非常に規模が大きく170棟の4〜5階建て中層公団住宅に4839戸もの住戸が入っております。

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団地の中心部にあたる1街区にはスターハウスと呼ばれる三つ股の棟が多く残っています。昭和30年代前半、この広大な土地を開発するにあたり、土地を所有する約230人の農民の間で反対運動が起きたそうです。

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この日本住宅公団と地元農民達との対立は激しく、社会党の支援を受けた農民たちが強制測量に対して肥料の人糞を撒いて妨害したりしたとか。それってまるで昭和40年代の新東京国際空港公団と地元住民との間で争われた成田闘争を彷彿とされますね。

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こちら側がスターハウスの入り口になります。公団って要は官僚の天下り先となっていた半官半民の組織で、故にこう言った問題は当時よく起きていたのでしょうか。

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このスターハウスは各地の団地で次々と姿を消しており、建設当時の姿のままこれだけ多くの棟が生き残っていること自体が稀です。斯くして逮捕者も出しながら続いた反対運動も調停案などを経て徐々に鎮静化。昭和36年(1961年)には造成が完了しました。

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団地の中心にはショッピングセンターがあります。2階建てで2階部分が住戸となっております。団地の凄い所は電気ガス水道下水が完備されていると言う点。昭和30年代から40年代、地方の集落などではガスはプロパン、トイレは汲み取り式でバキュームカーが回ってました。

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ショッピングセンターの中は広場になっており、集会所や管理棟などもあります。また開発地には第一小学校から第三小学校まであり、総合病院も建設されました。それゆえに人気を博し入居希望者も殺到したそうです。

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しかし、そんな時代も今は昔、ショッピングセンターはご覧の通りシャッター商店街と化しています。

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団地内の商店街がシャッター商店街となっているのは何もここだけの話ではなく、例えば北区の桐ヶ丘中央商店街のように全国的にも同様の話。団地に限らず分譲戸建て住宅からなるニュータウンでも同様の事が起きています。

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常盤平第一小学校。第二、第三小学校、常盤平中学校含め、全ての学校が団地と同時期の昭和30年代に建てられています。しかし現在少子高齢化で生徒数は減少し、統合による廃校の危機も訪れています。かつては団地各家庭に1人以上子供がいたため相当数の生徒数がいましたが、現在では空き部屋も多く、住民も老夫婦など高齢者ばかりなので無理もありません。

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こちらは南に突き出した7街区。この常盤平団地の何が凄いって、建て替えはおろか改造もされず全ての棟が建設当時の姿をそのままとどめていると言う点。これは高齢化ゆえに建て替えに対する反対運動が起きたからとか。

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初期の都営住宅や県営住宅には風呂無しなんてのもあり、ベランダに無理矢理シャワールームを増設したりもしてますが、ここは最初から全戸風呂付きであります。また2000年代前半には団地住民の孤独死が相次いだことから、団地自治会等は「孤独死ゼロ作戦」と称して様々な施策に取り組んでいるそうです。

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こちらは金ヶ作公園を挟んで東側に広がる4街区。ネットなどでは少子高齢化で住民が減りゴーストタウン化しているなんて囁かれていましたが、訪れてみたら全くそんな事はなく、結構人住んでますし、URの職員が常時清掃など管理されているので非常に綺麗に保たれています。ゴーストタウンって言うのは真名団地みたいのを言うんだけど。

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とは言え住民が減り続けているのは事実で、現在松戸市とURが協力してこの2月「常盤平地域のまちづくりの連携及び協力に関する覚書」に調印しました。

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こちらは駅前から線路沿いに東へ歩いた3街区。この辺りは外壁の塗装がちょっと落ち着いてオシャレ感も出しています。つまりこう言う事。全棟建設当時の姿のままと言うのをメリットと捉え、簡単なリフォームで昭和レトロを全面に売り出せば、きっと人気が出ると思います。この辺は今年2月に訪れた田浦の記事でも紹介しましたが、需要はきっとある。それがたとえ千葉県だったとしてもだ!ww

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常盤平駅の北口から西へ進んだ所にある21世紀の森と広場と言う公園内に、松戸市立博物館があります。

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ここでは松戸の歴史について学べるようになっているのですが、その辺はスルーします。

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その博物館の中に完成当時の常盤平団地を再現した物があります。

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ダストシュートから玄関扉から郵便受けまでリアルに再現。では入って行きます。

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中に入ると昭和30年代後半の団地生活の暮らしぶりが再現されています。ここはリビング。ちゃんと昔の番組が白黒テレビに映し出されている徹底ぶり。

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黒電話とかラジオとか、どこから集めて来たのか。

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ここはキッチン。生活感がリアルで、本当に人が住んでいるような雰囲気。

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食器棚の中にさりげなく置かれたヴィックスのど飴。時代設定が何年かとか、缶のデザインの時代考証とか、色々考えちゃいます。

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引き戸を開ければハイミー。見えない所にもちゃんと昔の缶などが置かれています。松戸と言えば昭和の杜博物館が近くにありますが、もしかしたら小物関係はあそこから借りて来ているのでは。いや、絶対そうだと思う。

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シンク下には天ぷら油。配置も完璧で、開ける所開ける所全部昭和の物が入ってます。このディスプレイした人はきっと変態。ww

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キッチンからリビングを見た所。当然ながら冷蔵庫の中にも物が入ってました。

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団地の基本は2DK。この時代から核家族化を見通していたんですね。寝室に赤ちゃんベット。サラリーマンと専業主婦と赤ちゃんの3人家族と言う設定。掃除機も古い。

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部屋内から玄関に向かって右にダイニングキッチン、左にトイレ。さらに左の壁に水栓と手洗いボウル。

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壁を隔てて浴室。裏面にも水栓がある事から壁の中に水道管が通っている事が分かります。便所手洗いの排水が壁を貫通して浴室のスノコの下に流れるようになっている。実に合理的。

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しかし当時の浴槽がまだ木製だったのには驚きました。実家の浴槽はタイル貼りだったし、強化プラスチック(FRP)浴槽は昭和33年にTOTOか開発、ステンレス浴槽に至っては昭和46〜47年頃から量産が始まったそうです。とは言え木製浴槽にボイラーが内蔵されているのはどうかと。

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まぁさすがに外壁を鉄筋コンクリートで造るまではやってないでしょうが、玉吹き塗装の質感とかは再現されてるし木枠サッシなども廃材で探して来たんでしょう。ともあれ随所にこだわりを感じられるレプリカでした。これを見るだけでも価値あるし、常盤平団地を見に行く際にはここもセットで訪れる事をお勧めします。

東京都小平市、テルメ小川と小平市ふれあい下水館

西武新宿線小平駅から小平営業所行きのバスに乗り、小川寺前バス停で下車。ここにスーパー銭湯の小平天然温泉テルメ小川があります。

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テルメ、つまりテルマエって事ですね。2000年末にオープンしたこの施設は、西洋チックな外観からなかなか訪れようって気になれずにいました。しかし入ってみたら思いの外素晴らしいお湯でした。

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※浴場の画像は公式サイトよりお借りします。(女湯は西洋風な造り)
泉質はナトリウム―塩化物炭酸水素塩泉(弱アルカリ性低張性温泉)、いわゆる関東でよく見る黒湯系なのですが、とにかく色が濃く透明度が少ないコーヒー色。他のスーパー銭湯とは一線を画しており、どちらかと言うと蒲田温泉のような浅い深度から湧出する温泉銭湯の黒湯に近い印象。そのはずでここのお風呂は、加水無しの源泉100%なのです。露天には34.8度の源泉が加温無しで掛け流されています。超ぬる湯ですが、その分じっくり浸かっていられる。掛け流し浴槽の隣には加温循環濾過浴槽。しかしこちらにも源泉が常に投入されており、全く遜色ないです。

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※公式サイトより
内風呂も加温循環濾過ですが、全く加水されておらず濃いままで、多少のヌメり感、芒硝泉のような匂い。これだけ広い浴槽でこのクオリティー、源泉の湧出量が毎分210リットルと言う多さゆえと言ったところ。

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湯上がりは肌がスベスベ。美肌の湯としても非常に評価が高いとか。ただ一つだけ注意点。お会計の時に使用するICチップによって脱衣室ロッカーの電子キーを開錠するのですが、使用したロッカーの場所と番号をしっかり覚えていなければなりません。ともあれここはスーパー銭湯としては久々のヒット。実に満足出来る施設でした。

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テルメ小川から武蔵野美術大学まで歩き、そこから国分寺行きのバスで旭ヶ丘住宅バス停まで。玉川上水沿いに小平市ふれあい下水道館があります。余談ですがこのバス路線、沿道が学校だらけで、武蔵野美大から白梅学園高校、朝鮮大学、創価中学・高等学校、小平第十五小学校、津田塾大学と、ちょっと特殊な学校も含めて学校銀座となっていました。

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入口にはシールド工法の掘進機が展示されています。地中深くに下水道を通す場合はもはやトンネル工事になるんですね。訪れたのが3月頭だったので、隣の公園の梅が満開です。

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建物の外観は2階建ですが地下5階まで下に伸びてます。各フロアには下水に生きる微生物や下水の歴史など、様々な事が学べるようになっています。興味をそそる展示物ばかりで、なかなか下に進めませんでした。

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こちらは現在の塩ビ管と昭和初期まで使われていた陶器の下水管。今年の初めに深谷市を訪れた際、この陶器製下水管を造っていた窯元の跡を見つけましたね。

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そしていよいよ最下層、地下20mを走る下水道に辿り着きます。下水道と言えば埼玉県八潮市の下水道陥没事件が記憶に新しいですが、ここまで深ければそんな心配無さそうです。

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ゲリラ豪雨などで下水が噴出することを防ぐため、潜水艦みたいな厳重なハッチが二重に設置されています。

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いよいよ現役の下水道の中へと入って行きます。下水道に入れるのはここが日本唯一。ドブ臭いですが貴重な体験です。

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延々と続く深い闇。こちらの下水道は小川幹線と言って約2万世帯の生活排水が集約されているそうです。先にスーパー銭湯寄ってしまいましたが、ここを観た後でテルメ小川に行く方がおすすめ。

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地上に戻りました。こちらは上水道として使われていた玉川上水。そう言えば去年の春、羽村市にある玉川上水の取水口を訪れました。

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並行して周辺の農地に水を送るべく明治3年に造られた新堀用水が流れています。西武国分寺線の橋台のレンガが気になる。
そんなわけで、上下水道関連を巡るのも、なかなか面白いです。


※お知らせ

3/30(日)放送の「ポツンと一軒家」にて、茅葺き屋根の葺き替えのイメージ画像として過去に撮った写真が使用される事になりました。一瞬とは思いますが、ご視聴下さい。


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