保存車両

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東京都小金井市、江戸東京たてもの園(後編)

さて、後編です。

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公園の東地区には都電が保存されています。都電は自動車の普及や地下鉄網の発展に伴い、昭和47年(1972年)までに現在の荒川線を残して廃止されました。

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上野消防署(旧下谷消防署)望楼上部。いわゆる火の見櫓の上の部分ですが、当時の高さは約23.6m。都心の望楼は建造物の高層化や電話の普及とともに次第に役目を終えていったそうですが、この望楼は大正14年(1925年)に造られて昭和45年(1970年)まで使用され、昭和52に解体されたとか。

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こちらは台東区池之端の不忍通りに面して建っていた化粧品店の村上精華堂。昭和3年(1928年)、関東大震災の復興の時期に建てられた建物って、なぜかモダンな造りが多い気がします。

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この辺りからは東京下町の狭い建物が多くなるため中に上がる事は出来ませんが、お茶の間の様子を窺う事は出来ます。

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と言う訳で、ここからは東京下町ゾーンとなります。オープンセットとは違いあくまでも建物の博物館と思わせるのは、電柱や街灯などがないからでしょう。

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コの字型に建ち並ぶ建物を左側から。こちらは中央区新富町に昭和2年(1927年)建設された植村邸。銅板葺きの看板建築で、このような建物は下町に行けば現在でも僅かに残っていますね。なおこの建物の壁面には空襲の際、爆弾の破片などによる傷が多数残っているそうですが、なんと見逃してしまいました。

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隣に建つのは乾物屋の大和屋本店。港区白金台4丁目に昭和3年(1928年)建てられました。

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店内は建設当初の乾物屋の様子を再現しており、干し鮑や昆布などが陳列されています。白金台4丁目と言えば東大医学部研究所附属病院とかありますね。白金台駅の辺りでドン・キホーテの向かい側。今ではオシャレな高級店が建ち並んでいます。

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レジも古い。と言うか当時はまだ算盤が多かったのかな。この辺りはアミューズメント感が高く外国人観光客以外にも女子の見学客が多くいます。逆に言えばこれまで回って来た日本家屋は地味と言うか人気ないと言うか。

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お風呂はこんな感じ。壁面から蛇口が出ています。

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裏に回るとちゃんと配管カバーがあったりする。どんな気遣いなのか。

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だって建物の裏手は私有地で誰にも見られなかったろうに。と、こんな所が気になってしまいました。建てた人とか、その時代の人々の感覚とか想像してみたり。

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こちらは江戸川区南小岩8丁目にあった和傘問屋の川野商店。

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大正15年(1926年)建設。当時小岩は和傘の産地だったそうです。和紙や糊、竹などの原材料を東日本各地から仕入れ、職人が傘を作っていたとか。

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こちらは裏の玄関。和傘問屋とは言え明治初期には洋傘が輸入され、明治11年より国産の洋傘が製造を開始。明治後期には日本製洋傘が輸出されるまでに至ったそうです。そう考えると和傘はすでに斜陽産業だったと思われます。

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港区白金5丁目にあった小寺醤油店。白金と言えば高級住宅街のイメージが強いですが、坂の下や川沿いには下町風情が残っています。

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昭和8年(1933年)建築。味噌や醤油、酒類を販売していたそうです。ちゃんと当時のラベルが貼られた瓶などがディスプレイされています。

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ちなみにこちらが現在の白金5丁目界隈。この並びに建っていたそうです。この辺は戦前の建物が今だに残っています。

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余談ですが以前、この並びの洋食ハチローで食事した事がありますが、リフォームして古民家カフェをやってる店なんかもあります。

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こちらは台東区下谷2丁目(入谷と鶯谷の間)、言問通り沿いにかつてあった居酒屋の鍵屋。建物は江戸末期の安政3年(1856年)に建てられた物だそうです。震災も戦災も免れたそう。

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左手に座敷、コの字カウンターにヤマサ醤油樽の椅子。最初は酒問屋から創業し小売店となり、昭和に入ってから角打ちを始め、昭和24年(1949年)より居酒屋となったそうです。

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店内は昭和45年頃の様子を再現。店は昭和49年に鶯谷寄り1本奥に入った路地に移転して、現在でも続いていると言う。

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こちらが現在の鍵屋。住所は根岸3丁目になりましたが建物は大正時代建造の建物をここに移築したそうです。一度開いてる時に入ってみたいのですが、入り辛いったらありゃしない。

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右隣にあるのが子宝湯。足立区千住元町に存在した銭湯で昭和4年(1929年)建造。

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神社仏閣を思わせる大型の唐破風や脱衣所の折上格天井など、首都圏の銭湯建築は震災復興建築の特徴です。復興で大変な時期、せめてお風呂は贅沢な日本建築でと言う思いから。この銭湯建築は関西や北関東などでは見られません。

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ちなみに千住元町と言えば喫茶モカなどがありました。近くにタカラ湯と言う銭湯も現存してますが、そちらも立派な銭湯建築です。

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こちらは文京区向丘1丁目にあったと言う仕立屋。江戸からの町屋の造りが残る貴重な建物です。

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明治12(1879年)年建築。昭和初期にはテーラーとなり戦後は八百屋だったとか。内部は大正時代当時を再現。

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こちらは青梅市西分町の青梅街道沿いにあった万徳旅館。江戸時代末期~明治時代初期に建てられたそうです。

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元は旅籠で明治中期に2階部分を増築。なんと平成5年(1993年)まで旅館として営業していたそうです。

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こちらは千代田区神田須田町1丁目にあった武居三省堂。明治初期に創業した文具店で、この建物は昭和2年(1927年)に建てられた物。

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店内は昭和30年代を再現されていますが、まだ筆や硯がメインのようです。

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壁一面の引き出し。ジブリの「千と千尋の神隠し」に出てくる釜爺の部屋のモデルとなったと言われています。

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その神田須田町1丁目にあったのが、万世橋の南西側袂にあったと言う万世橋交番(須田町派出所)。明治後期建築と推定されてます。かつては万世橋駅の駅前交番の役目を果たしていましたが、昭和18年に万世橋駅が廃止された後は巡査の休憩所や交通課の詰所として利用されていたそうです。

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ちなみに現在の万世橋は昭和5年建造。当時の姿を今に残しています。昭和42年(1967年)までは万世橋にも都電が走っていました。

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こちらは昭和2年(1927年)、千代田区神田淡路町1丁目に建てられたと言う花市生花店。

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裏に回ると井戸や木製物干し台などがあります。

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最後に昭和初期、千代田区神田神保町3丁目に建てられた荒物屋(金物屋)の丸二商店。神保町駅と九段下駅の間辺りですね。

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店内は昭和10年代の様子を再現しているそうですが、本当にこんな風に鍋が積み上げられていたのでしょうか。

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裏手には長屋も移築し、それとともに路地の様子も再現されています。雑草や苔の生え具合がいい感じ。

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こちらで遅めの昼食。1階には自動販売機と休憩所があります。

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武蔵野うどん。麺にコシがあって美味かった。
ともあれたっぷり楽しめました。もっと細かい所まで見ていたら本当にキリがないです。移築だし現地を歩いた方がなんて思っていましたが、当時の姿に修復したり当時の小道具をディスプレイしたりと、博物館としての見応えは期待以上の物がありました。


東京都小金井市、江戸東京たてもの園(前編)

インスタなどで噂に聞いていた程度の江戸東京たてもの園。どうせ移築された建物がちょっと並ぶ「作られた昭和感」ぐらいだろうと思ってました。ところが、行ってみたら凄かった!

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JR中央線武蔵小金井駅の北、2キロ弱。小金井公園があります。バス停のある小金井公園西口から入ると保存車両のC57がありますが、こちらはたてもの園とは別で土日のみ公開。まぁ柵の外から見れますが。

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公園内を少し歩くと敷地内に江戸東京たてもの園があります。休館日は基本月曜日で9:30〜17:30、ただし10月〜3月は16:30まで。観覧料は一般400円。このビジターセンターも昭和15年(1940年) 皇居前広場で行われた紀元2600年記念式典のために建設された式殿で、翌年にはこの場所に移築され光花殿と名付けられたそうです。

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後の昭和29年(1954年)、井の頭恩賜公園にあった武蔵野博物館をこの地に移転し、平成5年(1993年)両国の江戸東京博物館の開館に合わせて都内の様々な建造物を移築し、現在の江戸東京たてもの園となりました。

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思ったより広い敷地に29棟もの建造物が展示されていますが、東側から時計回りに見て行こうと思います。こちらは板橋区にあった常盤台写真場。ちなみに場内に入ってすぐの所に喫煙所と自動販売機があるのですが、自動販売機はここと東エリアの奥ぐらいにしか無いので、水分補給のための飲み物は買っておいた方がいいかと。

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2階が写真スタジオになっています。昭和12年に建てられた物ですが、スタジオの機材など当時を思わせる古い機材がディスプレイされています。

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常盤台には確か駅前に常盤台の歴史について書かれたパネルがありましたが、昭和10年に東武東上線が開通してから造成されていった住宅地です。これだけの木造モルタル構造物をどうやって移築したのかは謎ですが、一軒目からちょっと驚かされました。

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表にはボンネットバス、いすゞTSD43型が展示されています。こちらは1968年式北村製作所製のボディと1979年式のトラックのシャーシを組み合わせて福山時計自動車博物館にて復旧したもので、塗装は当時の都営バスの物。

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この車両は動態保存されており、月一回園内を実際走行させるそうです。ただ日程については公式サイトにも告知されておらず、直接問い合わせてみないと分かりません。

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こちらの建物は三井財閥の総領家、三井八郎右衞門の邸宅。港区今井町にあった本邸が戦災で焼失したため、昭和27年(1957年)麻布笄町(港区西麻布三丁目)に本邸を建築して移り住んだとか。その際、今井町で焼け残った棟や、京都、神奈川県の大磯、世田谷区の用賀、それぞれの屋敷から建築部材、石材、植物などがかき集められたそうです。

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門柱もしっかり移築されています。庭なども再現されており相当お金かかっていそうだし、その徹底ぶりには頭が下がります。

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キッチンがまた凄い。使用人が調理する厨房ってところですが、木製の吊り戸棚や食器棚の多さもさる事ながら、歴史的価値も相当な物。以前、野田の茂木一族邸の厨房なども見ましたが、比べるとさすが三井財閥と言った感じ。

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もう、秀吉かよってぐらいの金。まだ二軒目なのにこんな調子で写真撮ってたらキリがない。

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こちらは世田谷区岡本3丁目に建っていた江戸時代中期の農家、綱島家。よくまぁ残っていたと。

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軒先では梅干しが干されています。こう言うのは季節によって変えるとか。良い演出です。

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八王子追分町にあった八王子千人同心組頭の家。部材を再利用して日野市の農家が移築して使っていたそうです。

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元々江戸時代後期の建築物で、展示にあたり建設当時の姿を復元しているそうです。ここでふと、全ての建物と内部の写真を説明しながら紹介するのは公式サイト見れば良い事だし意味があるのかと疑問に思ってしまいましたが、感動を伝えたいから続けます。飽きたらすっ飛ばしちゃって結構。

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こちらは三鷹市野崎に建っていた吉野家住宅。江戸時代後期に建てられた農家だそうです。

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たてもの園がまだ武蔵野郷土館だった頃の昭和38に移築、復元されたため、建物の内部は昭和30年代頃の農家の様子を再現しているとのこと。

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ここでいきなりガチな洋館。新宿区信濃町にあったと言うデ・ラランデ邸。軽井沢とかのペンションなんかを思わせる。

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一階部分はカフェとして利用されています。元々は明治時代、気象学者・物理学者の北尾次郎が自邸として設計した木造平屋建てで、明治43年(1910年)頃、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデが購入した際木造3階建てに大規模に増築されたそうです。

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階段には真鍮製の絨毯押さえ棒が。こう言う細部にいちいち引っ掛かっちゃいます。その後居住者が何度か変わりつつ、昭和31年(1956年)よりカルピスの発明者として知られる三島海雲氏が住んでいたそうです。海雲氏の死後は、三島食品工業株式会社の事務所として平成11年(1999年)まで使用されていました。建物や内装はデ・ラランデが暮らしていた大正時代初期頃を復元しているとか。

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こちらは文京区西片に建っていた小出邸。一見近代建築にも見えますが、これがなんと大正14年(1925年)に建てられ、平成8年(1996年)まで住まわれていたそうです。

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実に70年以上も生活されていた事になりますが、古さを感じさせないデザインや耐久性を考えると素晴らしい建物と言えますね。

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こちらは品川区上大崎に昭和17年(1942年)に建てられた前川國男邸。戦時中とは思えないデザイン性の高さ。

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前川國男は東京文化会館や東京都美術館などを設計した建築家。開放感溢れる吹き抜けの居間など、当時としては斬新なデザインだったのではないでしょうか。

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大正12年、関東大震災の1ヶ月後より田園調布の分譲が開始されました。この建物は大正14年(1925年)に建設された高級住宅の大川邸。

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ぶっちゃけ金持ちの家には全く興味無いのですが、内装とか見てるとさすがに興奮して来てスゲーとか言っちゃいます。

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キッチン対面カウンターが付いている食器棚。キッチンで作った料理を小窓から出せるようになってます。しかも扉付き。今では当たり前のようなダイニングの構造ですが、これが大正時代から有ったなんて。欧米の生活様式を、一般家庭にもどんどん取り入れた時代なんでしょうね。

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建物は1993年まで住まれていましたが、移築に際し内装や機器類は大正末期から昭和初期を再現しています。やべぇ、たてもの園楽しい。最近訪れた松戸市立博物館の団地生活の再現ほど生々しく変態的ではないにせよ、充分暮らしの様子は伺えます。大正時代の家具や器機類集めるのも大変だったろうに。

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北側に並ぶ建物の裏手には小道があり、そこにも展示物があります。これは武蔵野市御殿山で発掘された縄文時代後期の御殿山遺跡敷石住居址。古い建物って言ったって紀元前2000年頃て。こんな物まで移設されています。

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その……庚申塔とかって持って来ちゃっていいもんなんですかね。

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霊廟とかも持って来ちゃっていいものか。こちらは旧自証院霊廟。江戸幕府三代将軍家光の側室であったお振の方の霊廟で、1652年に市ヶ谷(今の富久町)の自証寺の中に建てられたそうです。建築には江戸城や日光東照宮の建設に携わっていた幕府作事方大棟梁甲良氏が関わっていたとか。しかし寄贈者が西武鉄道になっていたのですが、自証寺と関係があるのでしょうか。

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やっと半周回りました。こちらは立派な屋敷門を持つ農家の天明家。大田区鵜の木で村役人の年寄役を勤めていた名家だそうです。

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江戸後期の建築で、裏には枯山水の庭園も移築されています。

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向かい側に建つやたらデカいお屋敷は赤坂7丁目にあったと言う高橋是清邸。青山通り沿い、赤坂御所の向かい側に高橋是清翁記念公園があり、現在ではカナダ大使館が建っています。

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高橋是清は明治から昭和の初めにかけて日本の政治を担った人物。昭和11年(1936年)、是清はこの建物の2階で青年将校の凶弾に倒されたそうです。いわゆる2.26事件の事件現場となった建物。

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建物は明治35年(1902年)建造。 敷地と屋敷は事件後東京市に寄付され記念公園となりましたが、その後主屋が多磨霊園に移築され、休憩所として利用されていたそうです。

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こちらは昭島市に建っていた西川家別邸。大正11年(1922年)建造。

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明治26年(1893年)昭島市で西川製糸を創業した西川伊左衛門が隠居所及び接客用に建てた邸宅だそうです。明治大正から昭和初期まで多摩地域では養蚕が盛んでしたが、工場が昭和15年(1940年)軍需工場へ転換された事で終焉を迎えます。

前編は多摩地域や山手のお屋敷がほとんどでしたが、後編では下町での庶民の暮らしを中心とした公園東側を紹介して行きます。

千葉県銚子市(3)、外川の犬吠埼市営住宅

千葉県銚子市(1)、銚子の街並み
千葉県銚子市(2)、旧・赤線地帯跡のスナック街
千葉県銚子市(4)、ゴーストタウン化が進む市営住宅

たまたまGoogleマップで見つけた廃墟感のある団地を見に行きました。全然住民はいるので廃墟では無いのですが。

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銚子市街を巡った後、本銚子(もとちょうし)駅より銚子電鉄に乗ります。

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この本銚子駅周辺は緑のトンネルと言う感じで撮影スポットとなっています。本当は上り列車を超望遠で撮りたいところですが。

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1960年代に製造された車両は揺れが酷く、これがまた地方ローカル線に来たと言う雰囲気があってたまりません。

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銚子電鉄の終点である外川駅まで来ました。木造駅舎がいい味を出しています。

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その外川駅構内には昭和25年に製造された元伊予鉄道のデハ801が保存されています。

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ちなみに1980年代前半に親と銚子電鉄を乗りに来た事がありました。写真は銚子駅に止まるデハ301型。昭和5年製の車輌で鶴見臨海鉄道(現・鶴見線)で活躍したのち銚子電鉄に払い下げられました。最後は工事用車輌として活躍し、平成21年に解体されたそうです。

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外川駅から少し戻ると線路沿いに犬吠埼市営住宅があります。

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この市営住宅は4階建1棟、2階建10棟、平屋建て7棟の合計100戸からなります。

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現在は老朽化のため新規募集を停止していますが、見た感じだとまだ3割程度住民がおられる様子。

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こちらは2階建の棟。

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この団地は昭和36年(1961年)竣工。木製の玄関やサッシなど基本的には建設当時の姿をとどめています。

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ちょうど小学校の下校時間で子供たちがこの団地に入って行きました。そうなるとこの団地の取り壊しは相当先になるかも知れません。大抵このような団地は高齢化により、住人が引っ越すか亡くなるかして取り壊すのですが。

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庭先が雑草の生えるままになっている棟はすでに無人なのかもしれない。

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庭を潰してひと部屋増築している所も。まぁ次に入る住人が居る訳ではないので、何やってもいいっちゃいいのか。

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こちらは平屋建ての棟。住んでる方はほとんど居られない様子。

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外川の街も大きな漁港で栄えており、人口もそれなりに居るようです。

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この近くに外川市営住宅と言う1〜2階建ての同じ時代の団地がある事に帰ってから気づきました。また訪れる機会があれば、外川の漁港などと併せて行ってみたいところです。

千葉県銚子市(1)、銚子の街並み

千葉県銚子市(2)、旧・赤線地帯跡のスナック街
千葉県銚子市(3)、外川の犬吠埼市営住宅
千葉県銚子市(4)、ゴーストタウン化が進む市営住宅

先月訪れた野田からの醤油繋がりで銚子にやってまいりました。遠い。日帰りで来るような所じゃない。

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銚子駅は総武本線の前身である総武鉄道の終着駅として明治30年(1897年)開業。この時点で本所(現在の錦糸町)駅まで開通しました。

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また銚子駅は銚子電鉄の起点駅でもあります。銚子駅開業から4年後の明治34年に免許が得られ工事が始まるものの、工費がかかり過ぎて採算が合わないとの理由から工事が中断。しかしその後観光客の増加などを受けて工事が再開し、大正2年に軽便鉄道の銚子遊覧鉄道として開通。しかし第一次世界大戦による鉄材の高騰を受けてレールを関東鉄道に売ってしまう。そして大正12年(1923年)、改めて銚子鉄道(後の銚子電鉄)を設立し開業したそうです。

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ヤマサの工場脇に車両基地があります。京王帝都から伊予鉄道に払い下げられた車両、2000系(右奥の半分隠れてるベージュとピンクのヤツ)が寿命を迎え、動ける車両が同じく京王帝都から伊予鉄道経由の3000系(2枚目の写真)のみとなり危機を迎えました。しかし南海電鉄から中古車両を安く譲渡され、どうにか危機は脱しました。とは言え銚子電鉄はぬれ煎餅の収益がほとんどで鉄道は相変わらず赤字続きです。

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歩いてすぐなのですが、銚子電鉄仲ノ街駅。

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仲ノ町駅では車両基地見学も出来ると言う情報を耳にして再訪しましたが、現在予約制で予約は1ヶ月前から1週間前まで。当日では見学出来ないとの事でしたが、車両基地は狭く普通に小ちゃい電気機関車「デキ3」も見えました、

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銚子駅のすぐ南側にはヤマサ醤油の工場が広がります。時間があれば内部も予約制で見学できるのですが、今回は街巡りが目的なのでまたの機会に。午前午後共に1時間おきなのでタイミングが合わないとなかなか難しいです。

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受け付けの先のお土産屋さんと醤油ソフトクリームを売っている所までは予約無しでも入れます。こちらは日本に現存する最古のディーゼル機関車です。ドイツ製で大正15年頃に輸入され、千葉駅構内の側線で貨車の入れ替えに使用されていましたが、その後昭和 31年にヤマサ醤油に引き取られました。しかし亀裂が入り昭和39年に引退。

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工場の脇には煉瓦塀が続いています。ヤマサは日本初のソースを開発したり、近年では医薬品も手掛けるとか。

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工場の先には昭和53年(1978年)まで国鉄新生貨物駅がありました。工場の敷地を跨ぐように走り、ここから醤油や銚子港で水揚げされた鮮魚や缶詰などの加工食品が運ばれて行きました。現在では公園となっております。

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公園の向かいには旧公正會舘。ここはヤマサ醤油株式 会社10代目当主濱口儀兵衛が中心となり、社会教育事業の経営を目的に設立した財団法人公正會によって大正15年(1926年)に建設されました。戦後は銚子市に譲渡され、銚子市公正市民館及び公正図書館として利用されています。

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旧公正會舘の左手から銚子港にかけての敷地には、ヤマサ醤油の創業家である濱口家の邸宅があります。ヤマサ醤油は江戸初期の正保2年(1645年)、野田で高梨家が初めて醤油醸造を始める16年前、初代当主濱口儀兵衛が醤油発祥の地である紀州から銚子へ移住し、本場の醤油造りで創業したそうです。ちなみに同じく銚子のヒゲタ醤油はもっと古くて1616年創業。

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屋敷の裏手には煉瓦塀が続いています。銚子の街は太平洋戦争末期、3度に渡る空襲を受け焼け野原となりましたが旧公正會舘は残ったそうです。なのでこの煉瓦塀も戦災を凝り抜けて来たのかも知れません。

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と言う訳で改めて駅前から街並みを歩いて行きます。観光協会でレンタルサイクルも貸し出しているんですが、ちょうど出払っていました。駅前にはなかなか渋い旅館が残っています。

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駅前通りはシャッター商店街の様相ですが、いい感じの建物も。

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こちらも同じく油屋と言う屋号。駅前から真っ直ぐ歩けばすぐ海に出ます。

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銚子港は親潮と黒潮がぶつかる地点で利根川の河口でもある事から古くから漁港として栄えて来ました。しかも現在では全国の水揚げ高1位となっているそうです。ちなみに銚子駅近くのここは利根川河口沿いの漁港で、ずっと東の外洋に面した所には銚子外港と言うのもあります。

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銚子港のすぐ側に建つのが正保2年(1645年)創業の老舗旅館、大新旅館です。

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ここは古くから皇族の方々をはじめ伊藤博文や島崎藤村などの著名人も宿泊されたとか。犬吠埼にホテルニュー大新と言う宿がありますが、同じところが経営されています。

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旅館の入り口脇に建てられたこの「にゅーさろん」なるものが非常に気になります。コロナ禍より休業中との噂は聞いていますが、今現在再開されているのか。一度泊まってみたいです。

【続報】大新旅館及びニュー大新は2025年12月、予約客から急に連絡が取れなくなったとの問い合わせが観光協会にあり、休業していた事が明らかとなった。(千葉日報)

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漁港沿いに続く街並みに一軒の銭湯が。この松の湯さんは13時から営業されているようで、入ってみたかった。

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漁師町らしくスナックや居酒屋が点在しています。銚子は江戸期より紀州から出稼ぎに来ていた漁師たちが住み着くようになり、漁港としても発展して行きました。
さて次回は銚子のスナック街などを巡ります。

東京都国分寺市、鉄道総合技術研究所

国分寺駅と立川駅の間、国分寺と立川それぞれの最初一文字目を繋げた国立駅の北側に、公益財団法人鉄道総合技術研究所があります。ちなみに国立市の名前もこの駅名から採られており、また鉄道総合技術研究所より北は国分寺市になります。

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公益財団法人鉄道総合技術研究所(以下・鉄道技研)の敷地までかつて中央本線からの引き込み線がありました。

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平成7年(1995年)廃止となった引き込み線は現在遊歩道として活用されています。

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施設構内には試験線が敷設されており、かつては環状線だったところが引き込み線の廃止と同時に南側と東側の線路が廃止。現在では往復で試験運転されています。

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トンネル内部の覆面(内壁)でしょうか。鉄道技研では車両はもとより軌道、架線、トンネル、鉄橋、ATS等のシステムまで、ありとあらゆる鉄道関連の研究開発が為されています。あのSuica(自動改札機)も最初はここで開発されていたとか。

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車庫の中に路面電車(LRT・ライトレールトランジット)が見えます。鉄道技研はJR各社が出資する公益財団法人ですが、地方鉄道を含めた日本の全ての鉄道に関する研究開発を担っているようです。

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奥に謎の車両が見えます。車体にはRailway Technical Research Institute(鉄道技研)の文字が書かれています。

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敷地内の試験線では燃料電池ハイブリッド車の試験走行がされていました。燃料電池ハイブリッド車とは、減速時にモーターが発電機として機能して発生した電力を蓄電池に貯め、加速する際の電力供給源になると言う物。現在、ハイブリッドシステムの制御方法を改良しエネルギー効率の向上を目指すことや、燃料電池への負担が小さい制御方法などの研究開発を行っているそうです。実用化されれば非電化路線の気動車(ディーゼル機関)が全て燃料電池ハイブリッド車に入れ替わり、CO2排出削減に貢献出来るでしょう。また同時にJR北海道やJR四国など気動車大国の経費削減にも貢献出来る事でしょう。
ちなみに烏山線で走っているEV-E301系「ACCUM」は、リチウムイオン蓄電池に充電した電力で走行するもので、充電のために起点と終点の駅に電車線設備を用意する必要があります。

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鉄道技研の施設の周りを時計回りに一周しましたが、途中謎の施設が。最初、架線が低い事からパンタグラフの開発でもしてるのかなとか想像しましたが。

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これが実は「autometed rinear-motor pneuetic-tire sistem」と言い、ゴムタイヤによる支持及び案内と、リニアサイリスモーターによる駆動を特徴としたリニアモーターカーだそうです。リニア駆動といえば横浜市営地下鉄グリーンラインや都営大江戸線を始めとする各地の地下鉄や中国の広州地下鉄4号線などで実用化されています。しかし鉄輪式と違いゴムタイヤ式では転がり抵抗の大きいため実用化されませんでした。札幌地下鉄や各地の新交通システムはゴムタイヤなんですがね。

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この鉄道技研は明治40年(1907年)帝国鉄道庁鉄道調査所として新橋駅構内に創設されたものが前身となります。その後昭和20年(1945年)、戦時疎開で国立分所開設。昭和34年(1959年)当時浜松町にあった本社もこちらへ移転となりました。

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正門の向かい、国分寺市のコミュニティーセンターであるひかりプラザがあります。

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ここに昭和44年に製作され昭和47年に時速286kmと言う世界最速記録を更新した951系試験車が保存されています。同世代は12系客車とか457系交直流急行型電車とか西武の初代レッドアロー号とか。

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車内は展示スペースとなっております。

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こちらが世界最速記録の記念プレート。

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運転席にも入れます。

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昭和の国鉄車両っぽさ全開のアナログ運転席。スイッチ類がめちゃ多い。

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コミュニティーセンターの一部には鉄道技研の歴史に関する資料が展示されています。戦前の弾丸列車計画から新幹線、リニアモーターまで。ちなみに鉄道技研の敷地内には歴代のリニアも保存されているのですが、10月14日鉄道の日に近い週末のお祭りの時にのみ一般公開されるそうで。
訪れたのが10月24日。遅かった!
ともあれ日本の鉄道の発展を支えて来た機関である事がわかります。国鉄時代のリニア開発に於ける税金の無駄遣いとかガスタービン車の失敗とか色々ありますが、日本の鉄道を世界に誇るレベルまで持って来た立役者である事に間違いありません。


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