さて、後編です。

公園の東地区には都電が保存されています。都電は自動車の普及や地下鉄網の発展に伴い、昭和47年(1972年)までに現在の荒川線を残して廃止されました。

上野消防署(旧下谷消防署)望楼上部。いわゆる火の見櫓の上の部分ですが、当時の高さは約23.6m。都心の望楼は建造物の高層化や電話の普及とともに次第に役目を終えていったそうですが、この望楼は大正14年(1925年)に造られて昭和45年(1970年)まで使用され、昭和52に解体されたとか。

こちらは台東区池之端の不忍通りに面して建っていた化粧品店の村上精華堂。昭和3年(1928年)、関東大震災の復興の時期に建てられた建物って、なぜかモダンな造りが多い気がします。

この辺りからは東京下町の狭い建物が多くなるため中に上がる事は出来ませんが、お茶の間の様子を窺う事は出来ます。

と言う訳で、ここからは東京下町ゾーンとなります。オープンセットとは違いあくまでも建物の博物館と思わせるのは、電柱や街灯などがないからでしょう。

コの字型に建ち並ぶ建物を左側から。こちらは中央区新富町に昭和2年(1927年)建設された植村邸。銅板葺きの看板建築で、このような建物は下町に行けば現在でも僅かに残っていますね。なおこの建物の壁面には空襲の際、爆弾の破片などによる傷が多数残っているそうですが、なんと見逃してしまいました。

隣に建つのは乾物屋の大和屋本店。港区白金台4丁目に昭和3年(1928年)建てられました。

店内は建設当初の乾物屋の様子を再現しており、干し鮑や昆布などが陳列されています。白金台4丁目と言えば東大医学部研究所附属病院とかありますね。白金台駅の辺りでドン・キホーテの向かい側。今ではオシャレな高級店が建ち並んでいます。

レジも古い。と言うか当時はまだ算盤が多かったのかな。この辺りはアミューズメント感が高く外国人観光客以外にも女子の見学客が多くいます。逆に言えばこれまで回って来た日本家屋は地味と言うか人気ないと言うか。

お風呂はこんな感じ。壁面から蛇口が出ています。

裏に回るとちゃんと配管カバーがあったりする。どんな気遣いなのか。

だって建物の裏手は私有地で誰にも見られなかったろうに。と、こんな所が気になってしまいました。建てた人とか、その時代の人々の感覚とか想像してみたり。

こちらは江戸川区南小岩8丁目にあった和傘問屋の川野商店。

大正15年(1926年)建設。当時小岩は和傘の産地だったそうです。和紙や糊、竹などの原材料を東日本各地から仕入れ、職人が傘を作っていたとか。

こちらは裏の玄関。和傘問屋とは言え明治初期には洋傘が輸入され、明治11年より国産の洋傘が製造を開始。明治後期には日本製洋傘が輸出されるまでに至ったそうです。そう考えると和傘はすでに斜陽産業だったと思われます。

港区白金5丁目にあった小寺醤油店。白金と言えば高級住宅街のイメージが強いですが、坂の下や川沿いには下町風情が残っています。

昭和8年(1933年)建築。味噌や醤油、酒類を販売していたそうです。ちゃんと当時のラベルが貼られた瓶などがディスプレイされています。

ちなみにこちらが現在の白金5丁目界隈。この並びに建っていたそうです。この辺は戦前の建物が今だに残っています。

余談ですが以前、この並びの洋食ハチローで食事した事がありますが、リフォームして古民家カフェをやってる店なんかもあります。

こちらは台東区下谷2丁目(入谷と鶯谷の間)、言問通り沿いにかつてあった居酒屋の鍵屋。建物は江戸末期の安政3年(1856年)に建てられた物だそうです。震災も戦災も免れたそう。

左手に座敷、コの字カウンターにヤマサ醤油樽の椅子。最初は酒問屋から創業し小売店となり、昭和に入ってから角打ちを始め、昭和24年(1949年)より居酒屋となったそうです。

店内は昭和45年頃の様子を再現。店は昭和49年に鶯谷寄り1本奥に入った路地に移転して、現在でも続いていると言う。

こちらが現在の鍵屋。住所は根岸3丁目になりましたが建物は大正時代建造の建物をここに移築したそうです。一度開いてる時に入ってみたいのですが、入り辛いったらありゃしない。

右隣にあるのが子宝湯。足立区千住元町に存在した銭湯で昭和4年(1929年)建造。

神社仏閣を思わせる大型の唐破風や脱衣所の折上格天井など、首都圏の銭湯建築は震災復興建築の特徴です。復興で大変な時期、せめてお風呂は贅沢な日本建築でと言う思いから。この銭湯建築は関西や北関東などでは見られません。

ちなみに千住元町と言えば喫茶モカなどがありました。近くにタカラ湯と言う銭湯も現存してますが、そちらも立派な銭湯建築です。

こちらは文京区向丘1丁目にあったと言う仕立屋。江戸からの町屋の造りが残る貴重な建物です。

明治12(1879年)年建築。昭和初期にはテーラーとなり戦後は八百屋だったとか。内部は大正時代当時を再現。

こちらは青梅市西分町の青梅街道沿いにあった万徳旅館。江戸時代末期~明治時代初期に建てられたそうです。

元は旅籠で明治中期に2階部分を増築。なんと平成5年(1993年)まで旅館として営業していたそうです。

こちらは千代田区神田須田町1丁目にあった武居三省堂。明治初期に創業した文具店で、この建物は昭和2年(1927年)に建てられた物。

店内は昭和30年代を再現されていますが、まだ筆や硯がメインのようです。

壁一面の引き出し。ジブリの「千と千尋の神隠し」に出てくる釜爺の部屋のモデルとなったと言われています。

その神田須田町1丁目にあったのが、万世橋の南西側袂にあったと言う万世橋交番(須田町派出所)。明治後期建築と推定されてます。かつては万世橋駅の駅前交番の役目を果たしていましたが、昭和18年に万世橋駅が廃止された後は巡査の休憩所や交通課の詰所として利用されていたそうです。

ちなみに現在の万世橋は昭和5年建造。当時の姿を今に残しています。昭和42年(1967年)までは万世橋にも都電が走っていました。

こちらは昭和2年(1927年)、千代田区神田淡路町1丁目に建てられたと言う花市生花店。

裏に回ると井戸や木製物干し台などがあります。

最後に昭和初期、千代田区神田神保町3丁目に建てられた荒物屋(金物屋)の丸二商店。神保町駅と九段下駅の間辺りですね。

店内は昭和10年代の様子を再現しているそうですが、本当にこんな風に鍋が積み上げられていたのでしょうか。

裏手には長屋も移築し、それとともに路地の様子も再現されています。雑草や苔の生え具合がいい感じ。

こちらで遅めの昼食。1階には自動販売機と休憩所があります。

武蔵野うどん。麺にコシがあって美味かった。
ともあれたっぷり楽しめました。もっと細かい所まで見ていたら本当にキリがないです。移築だし現地を歩いた方がなんて思っていましたが、当時の姿に修復したり当時の小道具をディスプレイしたりと、博物館としての見応えは期待以上の物がありました。

公園の東地区には都電が保存されています。都電は自動車の普及や地下鉄網の発展に伴い、昭和47年(1972年)までに現在の荒川線を残して廃止されました。

上野消防署(旧下谷消防署)望楼上部。いわゆる火の見櫓の上の部分ですが、当時の高さは約23.6m。都心の望楼は建造物の高層化や電話の普及とともに次第に役目を終えていったそうですが、この望楼は大正14年(1925年)に造られて昭和45年(1970年)まで使用され、昭和52に解体されたとか。

こちらは台東区池之端の不忍通りに面して建っていた化粧品店の村上精華堂。昭和3年(1928年)、関東大震災の復興の時期に建てられた建物って、なぜかモダンな造りが多い気がします。

この辺りからは東京下町の狭い建物が多くなるため中に上がる事は出来ませんが、お茶の間の様子を窺う事は出来ます。

と言う訳で、ここからは東京下町ゾーンとなります。オープンセットとは違いあくまでも建物の博物館と思わせるのは、電柱や街灯などがないからでしょう。

コの字型に建ち並ぶ建物を左側から。こちらは中央区新富町に昭和2年(1927年)建設された植村邸。銅板葺きの看板建築で、このような建物は下町に行けば現在でも僅かに残っていますね。なおこの建物の壁面には空襲の際、爆弾の破片などによる傷が多数残っているそうですが、なんと見逃してしまいました。

隣に建つのは乾物屋の大和屋本店。港区白金台4丁目に昭和3年(1928年)建てられました。

店内は建設当初の乾物屋の様子を再現しており、干し鮑や昆布などが陳列されています。白金台4丁目と言えば東大医学部研究所附属病院とかありますね。白金台駅の辺りでドン・キホーテの向かい側。今ではオシャレな高級店が建ち並んでいます。

レジも古い。と言うか当時はまだ算盤が多かったのかな。この辺りはアミューズメント感が高く外国人観光客以外にも女子の見学客が多くいます。逆に言えばこれまで回って来た日本家屋は地味と言うか人気ないと言うか。

お風呂はこんな感じ。壁面から蛇口が出ています。

裏に回るとちゃんと配管カバーがあったりする。どんな気遣いなのか。

だって建物の裏手は私有地で誰にも見られなかったろうに。と、こんな所が気になってしまいました。建てた人とか、その時代の人々の感覚とか想像してみたり。

こちらは江戸川区南小岩8丁目にあった和傘問屋の川野商店。

大正15年(1926年)建設。当時小岩は和傘の産地だったそうです。和紙や糊、竹などの原材料を東日本各地から仕入れ、職人が傘を作っていたとか。

こちらは裏の玄関。和傘問屋とは言え明治初期には洋傘が輸入され、明治11年より国産の洋傘が製造を開始。明治後期には日本製洋傘が輸出されるまでに至ったそうです。そう考えると和傘はすでに斜陽産業だったと思われます。

港区白金5丁目にあった小寺醤油店。白金と言えば高級住宅街のイメージが強いですが、坂の下や川沿いには下町風情が残っています。

昭和8年(1933年)建築。味噌や醤油、酒類を販売していたそうです。ちゃんと当時のラベルが貼られた瓶などがディスプレイされています。

ちなみにこちらが現在の白金5丁目界隈。この並びに建っていたそうです。この辺は戦前の建物が今だに残っています。

余談ですが以前、この並びの洋食ハチローで食事した事がありますが、リフォームして古民家カフェをやってる店なんかもあります。

こちらは台東区下谷2丁目(入谷と鶯谷の間)、言問通り沿いにかつてあった居酒屋の鍵屋。建物は江戸末期の安政3年(1856年)に建てられた物だそうです。震災も戦災も免れたそう。

左手に座敷、コの字カウンターにヤマサ醤油樽の椅子。最初は酒問屋から創業し小売店となり、昭和に入ってから角打ちを始め、昭和24年(1949年)より居酒屋となったそうです。

店内は昭和45年頃の様子を再現。店は昭和49年に鶯谷寄り1本奥に入った路地に移転して、現在でも続いていると言う。

こちらが現在の鍵屋。住所は根岸3丁目になりましたが建物は大正時代建造の建物をここに移築したそうです。一度開いてる時に入ってみたいのですが、入り辛いったらありゃしない。

右隣にあるのが子宝湯。足立区千住元町に存在した銭湯で昭和4年(1929年)建造。

神社仏閣を思わせる大型の唐破風や脱衣所の折上格天井など、首都圏の銭湯建築は震災復興建築の特徴です。復興で大変な時期、せめてお風呂は贅沢な日本建築でと言う思いから。この銭湯建築は関西や北関東などでは見られません。

ちなみに千住元町と言えば喫茶モカなどがありました。近くにタカラ湯と言う銭湯も現存してますが、そちらも立派な銭湯建築です。

こちらは文京区向丘1丁目にあったと言う仕立屋。江戸からの町屋の造りが残る貴重な建物です。

明治12(1879年)年建築。昭和初期にはテーラーとなり戦後は八百屋だったとか。内部は大正時代当時を再現。

こちらは青梅市西分町の青梅街道沿いにあった万徳旅館。江戸時代末期~明治時代初期に建てられたそうです。

元は旅籠で明治中期に2階部分を増築。なんと平成5年(1993年)まで旅館として営業していたそうです。

こちらは千代田区神田須田町1丁目にあった武居三省堂。明治初期に創業した文具店で、この建物は昭和2年(1927年)に建てられた物。

店内は昭和30年代を再現されていますが、まだ筆や硯がメインのようです。

壁一面の引き出し。ジブリの「千と千尋の神隠し」に出てくる釜爺の部屋のモデルとなったと言われています。

その神田須田町1丁目にあったのが、万世橋の南西側袂にあったと言う万世橋交番(須田町派出所)。明治後期建築と推定されてます。かつては万世橋駅の駅前交番の役目を果たしていましたが、昭和18年に万世橋駅が廃止された後は巡査の休憩所や交通課の詰所として利用されていたそうです。

ちなみに現在の万世橋は昭和5年建造。当時の姿を今に残しています。昭和42年(1967年)までは万世橋にも都電が走っていました。

こちらは昭和2年(1927年)、千代田区神田淡路町1丁目に建てられたと言う花市生花店。

裏に回ると井戸や木製物干し台などがあります。

最後に昭和初期、千代田区神田神保町3丁目に建てられた荒物屋(金物屋)の丸二商店。神保町駅と九段下駅の間辺りですね。

店内は昭和10年代の様子を再現しているそうですが、本当にこんな風に鍋が積み上げられていたのでしょうか。

裏手には長屋も移築し、それとともに路地の様子も再現されています。雑草や苔の生え具合がいい感じ。

こちらで遅めの昼食。1階には自動販売機と休憩所があります。

武蔵野うどん。麺にコシがあって美味かった。
ともあれたっぷり楽しめました。もっと細かい所まで見ていたら本当にキリがないです。移築だし現地を歩いた方がなんて思っていましたが、当時の姿に修復したり当時の小道具をディスプレイしたりと、博物館としての見応えは期待以上の物がありました。















































































































































