企業城下町

※まとめサイト等への画像及び文章の無断転載を禁じます。メディア等での画像使用については”unagidanyoro2@yahoo.co.Jp“までご連絡下さい。

     ⬜ 温泉リスト(フルプラウザ版) ⬜

    ⬜ 立ち飲みリスト(フルプラウザ版) ⬜

茨城県ひたちなか市、勝田に残るバラック居酒屋群

水戸駅のひとつ先、阿字ヶ浦海水浴場や那珂湊漁港へ向かうひたちなか海浜鉄道の起点駅でもある勝田駅を訪れました。ひたちなか海浜鉄道には以前茨城交通時代の廃車両を撮りにちょっとだけ乗りました。

IMG_6415_Original

勝田は日立グループの工場に囲まれています。西側には鉄道車両工場やビルシステム、南東には現在アメリカの投資信託に買われてハイコーキと社名を変えた元日立の電動工具工場。さらに南には陸上自衛隊勝田駐屯地もあります。

IMG_6419_Original

西口はいきなり車両工場なので東口を南に歩いて行きます。潰れたビリヤード場など、ちょっと廃れた雰囲気も。

IMG_6423_Original

メインストリートは南北に走る表町商店街。人通りは少なくシャッター商店街と化しています。

IMG_6425_Original

表町商店街沿いの古いビル。百貨店か何かだったのでしょうか。

IMG_6421_Original

その向かいの通りを入るとバラックのような居酒屋長屋があります。商店街としては死に体ですが飲み屋街としてはまだまだ現役と言った感じです。

IMG_6428_Original

廃業した飲み屋さんなども混在していますが、現役のスナックなども多くあります。

IMG_6430_Original

地方の飲み屋街の特徴ですが駐車スペースが有ったりします。もちろん今では飲酒運転の取り締まりが厳しいですが、昔はゆるく飲んで運転して帰るなんて事が日常的でした。その辺が厳しくなった結果、地方では家飲みが多くなり飲食店が減って行きました。

IMG_6439_Original

スナックやキャバクラが今だに元気なのは、工場勤務で徒歩圏内やタクシー圏内に住んでいる方が多くいると言う事。もちろん常磐線やひたちなか海浜鉄道で通勤されている方もいらっしゃるでしょう。

IMG_6442_Original

あとは自衛隊基地が近いのも大きいですね。自衛隊ある所に繁華街ありです。

IMG_6436_Original

常磐線の線路近くに行くと、今では居酒屋になってますが元料亭だったと思われる建物が多くあります。

IMG_6470_Original

髪結いなどがある事から、この辺りがかつて花街であった事が想像できます。

IMG_6435_Original

大谷石なども使ったコンクリート建造物。街灯には粋泉商店会と書かれていますが、残っているのは広いコインパーキングと飲み屋のみ。

IMG_6451_Original

そして飲み屋街の南西の外れ、非常にそそる一帯が残っています。

IMG_6454_Original

ここよりずっと北にある常陸多賀の塙山キャバレーを彷彿とさせるようなバラック飲み屋街。塙山キャバレーはテレビ番組「ザ・ドキュメンタリー」ですっかり有名になってしまいましたが、生き残っている店は少ないものの似たような場所が勝田にもありました。

IMG_6458_Original

若い方がリフォームして新たに出店したのでしょうか、新しい感じの店もあります。

IMG_6456_Original

裏に回るとこんな感じ。すでに何軒か解体されてしまってますが、かつては狭い路地裏飲食店街の雰囲気があったのでしょう。

IMG_6455_Original

当然と言いますか、トイレは共同トイレです。ぜひ一度夜に訪れてみたい。

IMG_6461_Original

こちらは潰れてから随分経っている様子。

IMG_6460_Original

道路の向かい側にも同じような区画があります。いやぁ興奮する。

IMG_6467_Original

まだ営業されているかどうか、夜に来てみないと判別出来ない。

IMG_6462_Original

こちら側は交差点に面した3軒だけが残っており、裏手は全て解体済みとなっています。

IMG_6463_Original

敷地の奥に共同トイレだけが残されています。こう言う光景は以前訪れた今はなき西浦和のバラック居酒屋を思い出させます。消える前に飲みに行かなければ、絶対後悔する。

IMG_6464_Original

裏側から見るとこんな感じです。裏の建物が解体される前に来てみたかった。

IMG_6465_Original

全国でもこのようなバラック飲み屋街が、あとどれほど残されているのか。消える前に更に探さなければと痛感しました。

千葉県銚子市(1)、銚子の街並み

千葉県銚子市(2)、旧・赤線地帯跡のスナック街
千葉県銚子市(3)、外川の犬吠埼市営住宅
千葉県銚子市(4)、ゴーストタウン化が進む市営住宅

先月訪れた野田からの醤油繋がりで銚子にやってまいりました。遠い。日帰りで来るような所じゃない。

IMG_5160_Original

銚子駅は総武本線の前身である総武鉄道の終着駅として明治30年(1897年)開業。この時点で本所(現在の錦糸町)駅まで開通しました。

IMG_5169_Original

また銚子駅は銚子電鉄の起点駅でもあります。銚子駅開業から4年後の明治34年に免許が得られ工事が始まるものの、工費がかかり過ぎて採算が合わないとの理由から工事が中断。しかしその後観光客の増加などを受けて工事が再開し、大正2年に軽便鉄道の銚子遊覧鉄道として開通。しかし第一次世界大戦による鉄材の高騰を受けてレールを関東鉄道に売ってしまう。そして大正12年(1923年)、改めて銚子鉄道(後の銚子電鉄)を設立し開業したそうです。

IMG_5478

ヤマサの工場脇に車両基地があります。京王帝都から伊予鉄道に払い下げられた車両、2000系(右奥の半分隠れてるベージュとピンクのヤツ)が寿命を迎え、動ける車両が同じく京王帝都から伊予鉄道経由の3000系(2枚目の写真)のみとなり危機を迎えました。しかし南海電鉄から中古車両を安く譲渡され、どうにか危機は脱しました。とは言え銚子電鉄はぬれ煎餅の収益がほとんどで鉄道は相変わらず赤字続きです。

IMG_5469_Original

歩いてすぐなのですが、銚子電鉄仲ノ街駅。

IMG_5475_Original

仲ノ町駅では車両基地見学も出来ると言う情報を耳にして再訪しましたが、現在予約制で予約は1ヶ月前から1週間前まで。当日では見学出来ないとの事でしたが、車両基地は狭く普通に小ちゃい電気機関車「デキ3」も見えました、

IMG_5485

銚子駅のすぐ南側にはヤマサ醤油の工場が広がります。時間があれば内部も予約制で見学できるのですが、今回は街巡りが目的なのでまたの機会に。午前午後共に1時間おきなのでタイミングが合わないとなかなか難しいです。

IMG_5479

受け付けの先のお土産屋さんと醤油ソフトクリームを売っている所までは予約無しでも入れます。こちらは日本に現存する最古のディーゼル機関車です。ドイツ製で大正15年頃に輸入され、千葉駅構内の側線で貨車の入れ替えに使用されていましたが、その後昭和 31年にヤマサ醤油に引き取られました。しかし亀裂が入り昭和39年に引退。

IMG_5179_Original

工場の脇には煉瓦塀が続いています。ヤマサは日本初のソースを開発したり、近年では医薬品も手掛けるとか。

IMG_5217

工場の先には昭和53年(1978年)まで国鉄新生貨物駅がありました。工場の敷地を跨ぐように走り、ここから醤油や銚子港で水揚げされた鮮魚や缶詰などの加工食品が運ばれて行きました。現在では公園となっております。

IMG_5203

公園の向かいには旧公正會舘。ここはヤマサ醤油株式 会社10代目当主濱口儀兵衛が中心となり、社会教育事業の経営を目的に設立した財団法人公正會によって大正15年(1926年)に建設されました。戦後は銚子市に譲渡され、銚子市公正市民館及び公正図書館として利用されています。

IMG_5212

旧公正會舘の左手から銚子港にかけての敷地には、ヤマサ醤油の創業家である濱口家の邸宅があります。ヤマサ醤油は江戸初期の正保2年(1645年)、野田で高梨家が初めて醤油醸造を始める16年前、初代当主濱口儀兵衛が醤油発祥の地である紀州から銚子へ移住し、本場の醤油造りで創業したそうです。ちなみに同じく銚子のヒゲタ醤油はもっと古くて1616年創業。

IMG_5210_Original

屋敷の裏手には煉瓦塀が続いています。銚子の街は太平洋戦争末期、3度に渡る空襲を受け焼け野原となりましたが旧公正會舘は残ったそうです。なのでこの煉瓦塀も戦災を凝り抜けて来たのかも知れません。

IMG_5456_Original

と言う訳で改めて駅前から街並みを歩いて行きます。観光協会でレンタルサイクルも貸し出しているんですが、ちょうど出払っていました。駅前にはなかなか渋い旅館が残っています。

IMG_5181_Original

駅前通りはシャッター商店街の様相ですが、いい感じの建物も。

IMG_5183_Original

こちらも同じく油屋と言う屋号。駅前から真っ直ぐ歩けばすぐ海に出ます。

IMG_5194

銚子港は親潮と黒潮がぶつかる地点で利根川の河口でもある事から古くから漁港として栄えて来ました。しかも現在では全国の水揚げ高1位となっているそうです。ちなみに銚子駅近くのここは利根川河口沿いの漁港で、ずっと東の外洋に面した所には銚子外港と言うのもあります。

IMG_5191

銚子港のすぐ側に建つのが正保2年(1645年)創業の老舗旅館、大新旅館です。

IMG_5196

ここは古くから皇族の方々をはじめ伊藤博文や島崎藤村などの著名人も宿泊されたとか。犬吠埼にホテルニュー大新と言う宿がありますが、同じところが経営されています。

IMG_5188

旅館の入り口脇に建てられたこの「にゅーさろん」なるものが非常に気になります。コロナ禍より休業中との噂は聞いていますが、今現在再開されているのか。一度泊まってみたいです。

【続報】大新旅館及びニュー大新は2025年12月、予約客から急に連絡が取れなくなったとの問い合わせが観光協会にあり、休業していた事が明らかとなった。(千葉日報)

IMG_5221

漁港沿いに続く街並みに一軒の銭湯が。この松の湯さんは13時から営業されているようで、入ってみたかった。

IMG_5226

漁師町らしくスナックや居酒屋が点在しています。銚子は江戸期より紀州から出稼ぎに来ていた漁師たちが住み着くようになり、漁港としても発展して行きました。
さて次回は銚子のスナック街などを巡ります。

千葉県野田市(2)、茂木一族邸宅探訪

野田市駅と江戸川に挟まれた一帯には醤油工場とともに、茂木一族を始めとする醤油醸造業に関わった人々の邸宅が密集しております。

IMG_4479_Original

こちらは茂木七郎治邸。茂木一族の家庭で、4代目七郎治(襲名)は野田運輸(現在の総武物流)、花畑乗合自動車、野田自動車運輸の代表。また総武鉄道常務取締役や柏屋商事監査役、野田商誘銀行支配人(3代目ともに)などを歴任したそうです。

IMG_4491_Original

東へ歩くとキッコーマン関連の研究施設や茂木本家美術館と並んで茂木七左衛門の邸宅があります。こちらは茂木一族の本家にあたり、現在の当主は14代目。内部は住居のため公開されてませんが、関東大震災後の大正15年(1926年)建築の母屋や蔵など多くの文化財建築があります。

IMG_4493_Original

こちらはその煉瓦塀。茂木家は野田醤油として設立されて以来、各家ひと世代より1人しか入社できないという不文律があったそうです。

IMG_4500_Original

北側には野田市民会館があります。こちらは茂木佐平次邸が敷地の半分を野田市に寄贈され一般開放しており、敷地には郷土資料館も併設されています。

IMG_4538

屋敷の塀には赤い漆喰が使われており、これは輸入された漆喰なのですが、どこの国って言っていたか、説明されたんですがちょっと忘れてしまいました。しかしお洒落ですね。

IMG_4503_Original

現在の建物は大正13年完成したものが殆どですが、明治初期の茶室も残っており、皇族を招待した事もあるとか。この茂木佐平次家もまた野田醤油設立に関わった家で、野田醤油(キッコーマン)3代目と8代目社長を輩出されています。

IMG_4512_Original

中に入って行きましょう。前回でも触れましたが元々野田市は江戸川の中流域東岸に位置し、東側では麦や大豆の生産が盛んで、江戸川下流域の塩田から塩を運んでこれる事や、同じく水運によって江戸の町までの流通も確保出来る事から、古くより醤油蔵がいくつも建ちました。

IMG_4505_Original

江戸期の利根川や江戸川の水運は、このような高瀬船が使われていました。江戸川下流域の塩田と言えば、以前訪れた市川市本行徳が塩田で栄えた水運の町でした。

IMG_4516_Original

貴重な大正ガラスの窓から庭園が望めます。ちなみに野田醤油の登録商標で現在の社名でもある亀甲萬は元々この茂木佐平次家の商標だったとか。

IMG_4517_Original

以前、大正期の日本家屋で見かけたこの小窓、何かと思って聞いてみたら、雨戸を戸袋に仕舞う際に使う、戸袋の小窓でした。なるほど。醤油醸造蔵は全国各地にご当地醤油としてありますが、首都圏ではキッコーマンと銚子市のヤマサが二大巨塔でしょう。ちなみに国内シェアで言えば1位がキッコーマンで30%、2位が銚子のヤマサで11.7%、3位が館林の正田醤油で6.5%、4位が銚子のヒゲタ、5位が小豆島のマルキンと続きます。
……小豆島⁉︎

IMG_4520_Original

こちらは理容室。寄木細工の床板が見事です。ちなみに以前訪れた館林の正田醤油は元々野田に小麦を卸していた業者で、明治初期茂木房五郎に勧められて醤油醸造業を始め、その製法を教わったのが始まり。余談ですが創業者の正田文右衛門の孫が日清製粉の創業者。

IMG_4518_Original

理容室の鏡も当時の物です。ともあれ、創業家の世襲による家族経営と違い一族複数の家から経営者を出しているので、没落せずにここまで続いているんでしょうね。徳川御三家みたいな。

IMG_4525_Original

理容室の隣には浴室があります。こちらにも屋敷の塀で使われている赤い漆喰が使用されています。

IMG_4524

浴槽の隣にはなんと、大正時代のシャワーがまでありました。初めて見ましたが、とにかく贅を尽くしています。これでも分家なんですよね。時代によっては一族同士の醜い権力抗争なんてのも、もしかしたら有ったかも知れません。

IMG_4527

こちらは使用人専用の五右衛門風呂。使用人専用とは言え立派なものです。ちなみに現在、このお屋敷は将棋の名人戦などでも使われているそうです。

IMG_4533

台所の土間には五右衛門風呂に薪を焚べる所があります。よく当時のままの状態で残っていたと感心するばかり。

IMG_4528

厨房には大きなまな板があるのですが、蓋をすると賄いを食べるためのテーブルとなります。

IMG_4529

賄いテーブルの向こうには食器棚が。これまで茂木一族関連を調べていましたが、とにかくキリがない。茂木一族が地元の金融から流通から商社に至るまで、関連会社の全てを牛耳っており、まさに茂木帝国(高梨家他も含む)なので、これぞ企業城下町といった感じですね。

IMG_4537

小さな棚が引き出せます。なんとお洒落で機能的な。

IMG_4534

薪を焚べるいわゆるコンロ。上には換気口もあり、現在のキッチンの原型を見ているようです。建物は今でも将棋の会場や様々なイベント等で利用されているため、上にガスコンロが乗せられています。

IMG_4536

床下収納は現在使われていませんが、かなりの広さ。

IMG_4511

こちらが普段遣いの玄関。賓客のみ正面の門から入り、他のお客さんはみんなこちらから入ります。

IMG_4542

そんなわけで、説明付きで細かい所まで見せていただき、非常に見応えがありました。

IMG_4590

最後はスーパー銭湯「のだ温泉ほのか」に立ち寄りました。ここは源泉掛け流し浴槽もあり非常に良いお湯。歩き疲れが癒されました。

千葉県野田市(1)、キッコーマン醤油の企業城下町

2021年の夏に流山市のキッコーマンみりん工場を訪れましたが、そこはキッコーマンの前身である野田醤油株式会社設立時、野田醤油の出資によって万上味輪株式会社が設立されたのを発祥としております。そんな訳で今回、キッコーマン発祥の地である野田にやってまいりました。

IMG_4463

東武野田線(アーバンパークライン)にも新型車両が登場したようです。この80000系は今年3月から投入された車両で、写真撮ってる人も幾人かいました。野田線は元々、野田の醤油を常磐線の柏駅まで運ぶ千葉県営鉄道野田線が明治43年(1910年)開通した事が始まりとなります。

IMG_4593_Original

でもやっぱり野田線と言えば8000系ですね。大正11年(1922年)には京成の初代社長である本多貞次郎が中心となり野田醤油醸造組合が県営鉄道を払い下げ北総鉄道を設立。本多貞次郎はそのまま初代社長に就任しました。昭和4年(1929年)大宮まで延伸した事から総武鉄道と社名変更。この頃から社長も茂木七郎右衛門(野田醤油初代社長)が就任。昭和19年(1944年)、東武鉄道に吸収合併され、東武野田線となりました。

IMG_4469_Original

いや、初っ端から野田線でそんな文字数割いてどうすんだいと思いつつ野田市駅に到着。駅舎は高架化され駅前も区画整理真っ最中って感じです。

IMG_4471_Original

そもそも野田市駅の東も西もキッコーマンの工場群に囲まれていますが、今回は西側の江戸川に向かって歩いて行きます。工場内にはキッコーマンもの知りしょうゆ館と言う醤油に関して学べる施設があるのですが、予約制との事だったので入れず。

IMG_4472_Original

工場の敷地内には昭和初期かと思われるような建物も幾つかありそうです。キッコーマン醤油は大正6年(1917年)、当時の有力醸造業者であった茂木一族と髙梨一族の8家が合同して設立した野田醤油が始まりであります。

IMG_4475_Original

野田駅の南西側、野田線開業当時から昭和4年まではこの辺りに終着駅である野田町駅がありました。清水公園駅まで延伸する際現在の野田市駅の位置に旅客駅が移転。以後ここは貨物駅として昭和60年(1985年)まで使われ続けたそうです。跡地は現在総武物流がありますが、この総武物流の前身となる野田運輸は元々舟運を主軸としていた会社です。大正13年創業で初代社長は茂木佐平次。

IMG_4481_Original

こちらは旧・野田醤油第一給水所。大正12年(1923年)野田醤油が工場や地域住民のために掘削した給水所で、昭和50年まで使われていたそうです。

IMG_4490_Original

さらに北へ歩くと春風館道場があります。こちらは大正6年(1917年)、野田醤油株式会社が設立された際に本店社屋として建設された建物。昭和2年(1927年)現在地へ移築され、以後剣道などの武道場として使われています。

IMG_4543

さて、引き続き街並みを歩いて行きます。ここは野田市立中央小学校。校舎は昭和3年建築の震災復興建築ですが、装飾など凝っています。

IMG_4497_Original

こちらは大正15年(1926年)建築の旧・野田商誘銀行。ここ野田市は関東大震災での被害が大きかったようで震災後に建てられた建築物が目立ちます。この野田商誘銀行は明治33年(1900年)、茂木家を中心とした醤油醸造業者たちによって設立されました。そのため株主も歴代の頭取も茂木家や高梨家などが務めており、商誘と言う銀行名も「醤油」をもじったとか。戦時中の昭和19年、国の政策によって千葉銀行へと営業権を譲渡させられ、以後は千葉銀行野田支店となりました。

IMG_4496_Original

旧・中村商店。明治大正期から炭や肥料などを扱う商家として栄えました。現在はリフォームされカフェや小物などの店として再生されています。

IMG_4580_Original

茂木一族や高梨一族らが設立した興風会によって昭和4年(1929年)に建てられた興風会館。最大506人の客席を持つ大講堂や集会室、地下ギャラリーがあり、市内の文化、体育関係の事務局がおかれています。まさに野田市のランドマーク的な存在。

IMG_4548_Original

こちらは旧・山西商店。昭和7年建築。野田市は関東大震災の被害こそ受けたものの、戦時中の空襲の被害は受けなかったようですね。

IMG_4549_Original

アド街などで有名になったご当地グルメのホワイト餃子。昼ご飯でもと思って行ってみたらお土産専門になっており、しかも朝8時開店で即完売だそうです。テレビで話題になるのも考えものですね。

IMG_4585

仕方ないので中心街に戻り蕎麦屋「ななつや」さんに。

IMG_4584

最近メニューにモツ煮定食があったら頼んでみる事にしています。各地でモツ煮の食べ比べ。ここはかなり美味かった。イカフライも柔らかく有難い。満足しました。

IMG_4586

近くにあった松島屋商店。詳細は不明。

IMG_4552

江戸川の近くまで歩いて来ました。こちらは茂木一族に次ぐ野田醤油の有力一族である高梨一族の本家、高梨兵右衛門家の邸宅跡。この門長屋は1766年建造、

IMG_4557_Original

建物の内部は公開されていませんが、500円で庭園と資料館は見る事が出来ます。

IMG_4559_Original

邸宅の裏手には1835年建造の船着場と構堀が残っていました。かつてはこの運河から江戸川に出ることが出来たそうです。まるで城郭のような石垣が見事です。

IMG_4563_Original

大正から昭和初期にかけての醤油造りの道具なども展示されています。

IMG_4565_Original

高梨邸の向かいには以前使われていたキッコーマンの煉瓦倉庫が保存されています。こちらは昭和7年建造。

IMG_4572_Original

倉庫の隣は広大な空き地となっていますが、こちらにもキッコーマンの工場がありました。現在は北側に移転されていますが、一棟だけ解体されていない工場が残っています。

IMG_4574_Original

江戸川の土手まで来ました。こちらは江戸時代からこの場所で河岸問屋を営んで来た桝田家住宅。建物は明治4年(1871年)建築。かつてこの辺りは河岸(船着場)などがあり賑わっていました。船着場から野田市駅付近までは人車鉄道が敷かれており、様々な物資が行き交っていましたが、舟運が鉄道へと変わりその役目を終える事となります。

IMG_4577_Original

江戸川は北東の関宿にて利根川より分岐して、東京湾へと流れて行きます。館林などから小麦が運び込まれ下流の行徳からは塩が運び込まれ、野田で造られた醤油が江戸の街、日本橋へと運ばれて行きます。

IMG_4588

野田線を線路沿いに柏方面へ少し歩いた所、大谷石造りの倉庫があります。こちらは秦野精麦株式会社肥料工場の倉庫だった所。工場はもう無くなってしまい、倉庫は家具の修理や再生をしている現在唐木細工望月と言う会社の工房に使われているようです。
続きます。

群馬県太田市(3)、南口駅前通り歓楽街

あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いいたします。

以前、2016年6月、太田駅北口の街中を散策しましたが、今回は改めて南口を少し歩きます。ちなみに訪れたのは2022年の12月。更新のペースを定期的にするため公開を保留していました。
以前訪れた時の様子はこちら。

3698AF7A-4740-4D0D-AE03-840DC8214A6D

零戦を作っていた中島飛行機を前身とする大手自動車企業、スバル(富士重工業)。現在奥にまた新たな工場を建設中で、北口駅前の再開発も進んでいます。

C9C0B11D-CB2E-4411-AD80-F1BDA1AEFC40

さて、さっそく南口に移動します。駅前にドン・キホーテの入っているショッピングセンターのベルタウン。2021年5月に太田駅南口第三地区再開発事業として解体される事が発表され、以後規模縮小を続けていますが、立ち退きについてビル管理会社と一部テナントとの間で訴訟問題も発生しているとか。ちなみにこの建物は1977年建造で元々はユニーなどが入っていたそうです。

3639E41E-A29C-4ECC-882F-2AB8F78F62B2

太田駅の東寄りから南に向かって、かつて駅前商店街がありました。以前は5車線ほどの車道が有ったと思われますが、現在は広すぎる歩道と2車線道路。どう言う意図でこうなったのか。

F1A62652-3C73-4B34-B37D-FC170ECF0383

そして商店街の跡地はキャバクラやパブなどの歓楽街となっています。

FB6A36CF-BDF3-401C-9425-C3F1D8721B24

特に多いのがフィリピンパブ。思うのですが、以前の大通りだった頃、路上駐車して飲みに行く人が絶えなかったから、車道を縮小したのではないかと。そもそも飲酒運転など言語道断ですが、近年やっと取り締まりが厳しくなって来たものの、地方では暗黙の了解のように飲み屋に駐車場が併設されていました。

601286E7-017B-49A0-918E-DE3107EC41F7

2階建から3階建のビルが建ち並んでいますが、みな同じ造りをしています。恐らく長屋のような造りで同じ年代に建った物かと思われます。見た感じ昭和30〜40年代でしょうか、一度再開発がされたようです。

69728BE7-716B-4E81-B477-926494E74D90

なにしろ場所が中島飛行機のお膝元。当然空襲の標的になったわけで、焼け野原からの戦後の闇市と言う流れがあったのかもしれません。

1F8B6593-4E54-40B2-8CAA-815EA25B7CF1

裏から見るとこんな感じ。

C2C23E7D-8BDB-44A5-A4BF-9895AC0C23CF

建て増しで原型を留めてませんが、フィリピンパブで働く人々が2階で生活しているようです。しかし現在ここも一期市街地再開発検討支援地区に指定されております。

6BF0C6EB-1CDC-4135-9C3E-AA55D76AD41D

とは言えこれだけの飲食店を立ち退きさせるために、並々ならぬ時間が掛かるのは言うまでもありません。

3E51FE12-628F-427A-9BB8-D4CF9C677104

2021年12月に訪れた伊勢崎の街並みを思い出しました。あそこは駅前の商店街と歓楽街を一気に潰したものの、歓楽街は幹線道路沿いのシャッター商店街に移転することによりスムーズに行ったように見えますが、ここは……。

F9684DF9-A93F-4576-816E-702A406091DC

昼下がりの駅前は人っ子一人歩いていませんが、日が暮れたらキャバクラやフィリピンパブに通う男たちで賑わって来ることでしょう。商業圏がイオンモール太田のある郊外の幹線道路沿いに移行した現在、巨額の公共事業費を投じて駅前再開発を行ったところで、一体何になると言うのでしょうか。

12ED0DC9-40B2-4355-8CB8-52A723212EF1

最後にスバル本社のある北口に戻り、再開発によって消えゆく建築物を記録していきます。こちらは駅前ビジネス旅館。南口には立派なビジネスホテルが何軒も建っているので、利用される方がどれほどいるのか。

02743ACF-B51E-4993-B4BF-BB01F333814E

北口の西側。この辺は6年半前にも撮りましたが、まだ生き残っていました。

3360F5F5-1B20-4D4E-AA23-F1525FFE51D2

とは言え以前訪れた時よりだいぶ空き地の数が増えました。

42CB6CAC-D7F5-4BE2-813C-E2AD907EFD9F

北口の東側はすでに広大な更地で工事が始まっています。この辺りも解体を待つばかり。

8E31A8A4-2E1D-47EF-9AB6-F3D939FA6BC9

空き地はひとまず駐車場になります。北口西側は飲み屋街なのですが、現在どれほどの店が営業を続けているのか。

819391AC-C421-429A-B5D5-3AD7C0DF5275

去年から今年にかけて北関東上毛地方を中心に地方都市を巡って来ましたが、観光地開発に成功した街や失敗した街、歴史が深く未だ栄えている街、ドーナツ化現象により駅前がゴーストタウン化した街など、様々な陰と陽が見えて来ました。今後も注目して行きたいと思います。

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ブログ紹介
都内、近郊の古い街並みや建造物、路地裏などの写真とレポートを載せています。また、国内の寂れた観光地やマニアックな温泉スポット、廃墟などもご紹介。

鰻田ニョロの小説部屋
→昔書いた小説など
カテゴリー
最新記事
記事検索
  • ライブドアブログ