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千葉県松戸市、柳原水閘と国分台の辻切り

今回は千葉県松戸市の国分台周辺を巡って行きます。

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降りたのは北総線の矢切駅。矢切の渡しも行きたかったのですが、11月から2月までは土日祝日のみ営業で、3月から毎日営業になるとか(ただし3月に入ってから柴又側に行ってみましたが、平日運行されていませんでした)。また東にある市川歴史博物館も、月曜日定休なのですが月曜が祝日だったため本日火曜日がお休み。つくづくタイミングが悪い。

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駅前にはスーパー銭湯の「笑がおの湯」がありますが、人工炭酸泉のみで天然温泉ではないようなので、朝風呂は諦めます。ちょうど右手にレンタルサイクルのサイクルボートがあるので、自転車を借りて行きましょう。

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矢切駅のすぐ南西側には1937年(昭和12年)建造の栗山配水塔があります。

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西側は崖地となっており、崖下の栗山浄水場からポンプで揚げられた水道水が貯められ、丘陵地の住宅街に配水されて行きます。

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丘陵地を降ると江戸川の支流である坂川が流れています。右手奥に見えるのが栗山浄水場。

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下流側を見れば江戸川との合流地点である、柳原排水機場があります。

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その袂に佇んでいるのは1904年(明治37年)建造の柳原水閘。

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坂川治水事業は江戸時代から続いており、江戸川との合流地点が現在の場所になったのは1836年(天保7年)、旧式樋門が造られてからのこと。これにより坂川流域の水害は著しく軽減されたそうです。

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明治中期から大正末期の関東大震災までが煉瓦建築が多く造られた時期なのですが、その時代に造られた四連煉瓦アーチ構造の水閘は貴重な文化財であるとして近代化産業遺産に指定されました。

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坂川のすぐ西側を江戸川が流れています。上流には矢切の渡しがあり、対岸は葛飾柴又。

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これより再び国府台の丘陵地を登って行きます。途中帝国陸軍の境界石がありますが、国分台にはかつて野戦重砲兵第三旅団が存在しました。

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丘陵の上は住宅街で、その西の外れの斜面に大蛇を模した辻切りがあります。

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これ、知らずに見つけたら、ちょっとビビるかも。

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この地域の辻切りは毎年1月17日に国府台天満宮で新しく編まれた大蛇と交換され、その行事は室町時代から続けられていると言われています。

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こちらは集落の北を守る大蛇。ちょっと可愛い。

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辻切りとは、悪霊や悪疫(疫病)が侵入するのを防ぐため、集落の出入り口にあたる四隅の辻を霊力によって遮断することからついた呼び名。

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こちらは南端の斜面にある辻切り。

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去年は木更津の漁村で辻切り(道切り)を撮って来ましたが、地域によって形式は様々です。

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こちらは東の端を守る大蛇。東京科学大学の近くの交差点にあります。

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こちらもちょっと可愛い。以上4体の大蛇は一年間風雨に晒されながら地域を守っていきます。

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東京科学大学のグランド脇には野戦重砲兵第三旅団の裏門の遺構が残っています。この砲兵隊については「帝都を歩く」さんが専門的で詳しいので、こちらでは省きます。

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元々軍用地だった所には、他にも中学校や高校、病院、それに千葉商科大学や和洋女子大学などなど、様々な機関や施設が建ち並んでいます。そんな中、元郵政宿舎の廃墟が3棟ほど残っていたり。

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そんなわけで京成の市川真間駅まで降りて来ました。線路脇にあるのは1929年(昭和4年)建造の京成電鉄社員倶楽部。現在は個人邸宅となっております。
市川市も歩いてないので、そのうち散策してみたいですね。

大阪府大阪市臨海地区、渡船巡り(後編)

後編です。

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船町は東西に伸びる埋め立て地ですが、そのほとんどが鉄工所となっています。前編の船町渡船は北側の鶴町に住む労働者の方々が工場への通勤のために利用しているのでしょうね。

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工場の廃墟も見られます。この辺りの工場は製鋼所となるので、鉄鉱石から鉄を作る製鉄所とは違い、鉄材やスクラップからスチールなどの鋼材を作る工場となります。

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この埋め立て地にはかつて木津川飛行場と言う民間の空港があったそうです。1929年(昭和4年)に供用開始しますが、埋め立て地のため地盤が弱く雨の影響なども受けやすかったため、昭和9年の八尾空港や昭和14年の伊丹空港の開港により廃止されました。

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船町の西側から南、貯木場が多くある平林北へ渡る1994年完成の新木津川大橋が見えて来ました。この橋もデカい。

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その橋の袂にあるのが木津川渡船です。この距離になると、例え自転車が乗せられるエレベーターが設置されていたとしても、地元にとっては渡船があった方が有難いですよね。

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あ、また黄緑リュックのおっちゃんが!同じルートで渡船巡りしている人がいるようです。大阪港は明治大正期まではもっと内陸の、淀川沿いの方まで広がっており、今よりもっと多くの渡船が存在したそうです。

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平林北へ到着。船は折り返し船町へと戻って行きます。沿岸部の埋め立てが進み、港が徐々に大阪湾側へ移った事で、少しずつ橋が掛けられるようになり、渡船の数も減って来たとか。

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こちらが木津川渡船平林北乗り場の待合室。さて、この近くにレンタルサイクルのサイクルポートがあったので、ここからは自転車移動です。もっと早い段階で自転車に切り替えたかったんですが、気づけばサイクルポートが無い地帯に入っていました。

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ここからは運河に遮られた島地から離れ本土側を走って行きます。この木津川の南岸はかつて造船の街でした。途中、名村造船所跡地のドックの跡なんかもあります。このドックは1970年まで使われていましたが、もっと大型の船を造るために佐賀県の伊万里湾へと移転して行きました。

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木津川の左岸(南側)を東へ遡って行くと1973年(昭和48年)に架設された千本松大橋が。その袂に千本松渡船の南津守乗り場があります。この自転車がハローサイクルのレンタルサイクル。電動アシストはやっぱ楽。

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木津川の右岸へ。渡船巡りは大阪の橋巡りでもありますね。この千本松大橋も高さ36mありますが、橋が完成した後のオイルショックなどの影響から沿岸の造船業や工業などが衰退し、それほど大型の船が航行しなくなってしまったそうです。

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南恩加島乗り場に到着。こちら側に船は詰めています。

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こちらが待合所。ここまで黄緑リュックおっちゃんとずっと同じ船に乗って来ましたがここまでカブるとは。しかしここからは自転車で差をつけます。徒歩で移動してゆく黄緑リュックおっちゃんを後目に見ながら上流側へ疾走。

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少し走ると落合下渡船平尾乗り場があります。明治40年から昭和7年にかけてそのほとんどの渡船が市営となり、大正9年より無料となった大阪の渡船ですが、結局のところ市の財政によって燃料費や設備維持費、人件費などが賄われている訳です。

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この辺りには木津川を渡る渡船が3カ所連続しています。しかし近年ではこの渡船を観光資源とする見方も強まっており、大阪市のホームページでは渡船場マップなども公開されています。

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木津川は遡るにつれどんどん川幅が狭くなって行きます。最初は路線バスと徒歩による渡船巡りも計画しました。しかしバス停から離れている渡船場もあり、そのバス停を調べるのもGoogleマップなどを駆使しなければなりません。到底一般観光客には向いていない。

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一瞬で左岸(東側)に到着。陽もだいぶ傾いて来ました。そこで今回はこの、レンタルサイクルとの組み合わせによる渡船巡りを提唱したい。

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船はまた利用者を乗せて対岸へ戻ります。工業地帯や住宅街が多いですが、大阪の川や巨大な橋を眺めながらのサイクリングもなかなかなものです。

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最後に落合上渡船、北津守乗り場。大阪にはそこここにアーケード商店街や喫茶店などが点在しており、その辺も巡れば大阪の日常が垣間見えて来ます。別に通天閣や道頓堀だけが大阪じゃない。

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てか、対岸近っ!w

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晩ごはんの食材など買いに行くのでしょうか、利用者が徐々に増えて来たように感じます。

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上流に見えるのがまたガッシャーンって倒れて閉じる木津川水門。いや、実際閉じる時はゆっくり閉じるんでしょうけども、もっと近くで水門を観察すればよかった。

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右岸(西側)の千島乗り場に到着。

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以上で8カ所、全ての渡船制覇です。渡船はとにかく生活に密着しているので、時間帯によっても顔が違うんでしょうね。朝の通勤通学時間や午後の買い物客、夜も9時頃まで運航しているので、夜の雰囲気なんかも見てみたいです。

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さて、渡船巡りを終え大正駅のサイクルポートへ自転車を返しに行きます。途中こんな素晴らしい外観の銭湯が。現役のようですし今思えば入っとけば良かった。

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JR大阪環状線の大正駅周辺も素晴らしい路地裏飲み屋街があります。角打ちなんかもあるみたいですが、正月休みに入ってしまったのかお休みでした。

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なので駅前の立ち飲み屋、大川さんへ。

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いやいや、旅の目的としてはこの後西成で飲むはずが、いきなり足止め食らってしまいました。だって湯豆腐美味いし大将も明るく面白い人だし。
ともあれ大阪は土地も狭いのでそこまで車社会になっておらず、基本がチャリ移動なんですよね。商店街なんかも自転車走りまくってますし。なので渡船は地域の足としてまだまだなくならないと思います。
あと、大阪の臨海地区を巡る中で脳内に上田正樹の悲しい色やねが流れてました。「川はいくつもこの街流れ」は淀川、木津川、安治川および関連する運河の事ですね。ただ、大阪の海は「悲しい色」じゃなくて、ただ汚いだけでしたwww

茨城県水戸市(2)、花街跡の歓楽街と赤線地帯跡

前回の続き。さて今回は水戸の繁華街を巡ります。

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まずは水戸駅から1番遠い栄町界隈のスナック街から。

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茨城県の歓楽街と言えば土浦と水戸。この二大都市はどちらも栄えていましたが、私が見た感じでは土浦の方が寂れた雰囲気がありました。もっとも土浦の市街は駅周辺しか歩いてませんが。

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なんて言ったって水戸は日立に近いってのがあります。日立グループにあやかってると言う部分が大きい。しかし町そのものは京成ホテルや京成デパートなど、京成グループが幅を利かさせいる印象がありますね。常陽銀行とか水戸証券とか元気無いし。

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と、そんな関係ない話で間を待たせないといけないくらい、スナック、キャバクラ街が広い!

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例えばこのスナックビル、建築年代はギリ昭和でしょうか。さすが県庁所在地と言ったところでしょうか、寂れた雰囲気はほとんどありません。

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妖しいなぁ、窓の塞ぎ具合とか、めっちゃ風俗感が。

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飲み屋街の外れにはラブホがあります。右側の建物なんかは窓を塞いでいて風俗店の雰囲気。

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通りと言う通り、夜のお店しかありません。しかもそのほとんどが現役ってのが、さすが大都市。経済的にも地元での雇用先が多いのか、土浦と比較して過疎化の雰囲気がありません。

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南側へ進んで行くと住所は大工町に変わります。この界隈にはかつて花街がありましたが、空襲を経てその痕跡はほとんど見られません。ただ名残りとして同じ場所がスナック街となっております。

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旦那横丁飲食店街のアーチ。奥に見えるのが水戸市街のメインストリートでもある国道50号線。ちなみにその50号線は笠間市や筑西市へと続いています。

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国道50号線を南に越えると街の様子が一変します。住所が天王町に変わるこの界隈は、いわゆるソープ街であります。

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ただキャバクラ業界と違い、お風呂業界は不況の煽りを強く受けて潰れる店も多くあります。かなり大型店だったのかまるでホテルのような廃墟。

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裏に回るとこんな感じ。後背地は丘陵の南端で崖地となっております。

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そんな中、超ド派手な店舗が。ここはかつて水戸を代表する巨大ソープ(当時はトルコ風呂)のクイーンシャトーと言うお店でしたがバブル崩壊の時期に閉店、その後30年以上廃墟のままだったそうです。しかし近年改修工事の末に新規オープン。この規模となると解体費用も億を超えるそうですが、改修にしても長年放置されてきた建物だけに相当な費用がかかっていると思われます。
ちなみにこの色使いはアレですね、元々はバブル期に歌舞伎町を中心にテレクラのリンリンハウスから始めた新宿ソフトと言う会社から始まり、他にも漫画喫茶のマンボー(森下不動産)やビデオボックス(株式会社大倉ビル)、出会い系サイト、株式会社ロボットレストラン(現在はサムライレストラン)、ホテル事業のワタナベ商事、ラーメンの博多風龍、イメクラのクリスタル系列、女性求人サイトのバニラなどなど、全て別会社でありながらも関連グループであると言う。まぁ夜の風俗王と呼ばれる森下グループと言うやつです。

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さて、市街地を一気に抜けて駅の近くまで。国道の南側に水戸東照宮と言うのがあり、その右手(西側)に渋い飲み屋街が連なっています。

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路地は徐々に丘陵の際、下り坂となって行きます。

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大衆クラブキャンパスワンの看板がありますが、当然ながら廃業しています。

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その隣の建物も元はスナックだったか居酒屋だったか。

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丘陵地を降りると奈良屋町となりますが、この一帯はかつての赤線地帯でした。崖下の狭い通りは戦後に栄えた通り。

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名残はほとんど残っていませんが、廃業した居酒屋の跡などが見られます。1918年(大正7年)、この奈良屋町が出火元で水戸の中心街約1100戸が焼けると言う水戸の大火がありました。

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水戸の大火の後、ここ奈良屋町には大工町などの花街とは別に市内に点在していた私娼が集められました。谷底の大通りは大正当時から私娼窟があった場所。

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こちらは唯一当時の姿を残す建物。水戸には陸軍の第2聯隊や第14工兵大隊があったため、遊郭が無い代わりにここ奈良屋町の私娼窟が栄えたとか。

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当時の屋号が微かに残ってますが、昔の漢字過ぎて読めない。しかし1945年(昭和20年)8月2日、水戸の大空襲で再度焼け野原となります。

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この神社は当時からあったのでしょうか。戦後の奈良屋町は進駐軍用の特殊慰安婦街として指定され、見事に復活を遂げます。

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崖の上は水戸東照宮の裏手になります。翌年の1946年(昭和21年)、GHQによる公娼廃止指令により赤線及び青線が引かれ特殊喫茶店の名目で続きますが、1958年(昭和33年)の売春防止法の施行まで続きました。その後はスナック街として残りましたが、現在ではご覧の通りごく普通の住宅街となっています。

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奈良屋町の谷を南に下り、水戸東照宮の東側へと回り込みます。何やら古そうなビルが。

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ここは東照宮の東側の宮下銀座商店街。3階建ての古い雑居ビルが連なっています。

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空襲で焼け落ちた水戸東照宮が1962年(昭和37年)に再建されますが、同じ頃この商店街が誕生しました。商店街は登り坂で水戸のメインストリート国道50号線へと抜けます。

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デザインが統一された雑居ビルが両側に連なりますが、かつてはアーケードの屋根も設置されていました。国鉄ストアなどもあり商店街として大いに栄えていたそうですが、現在では半分以上が飲み屋街となっています。

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こちらは帰り掛けに寄った駅に近い立ち飲み屋「ニューたけさん」。

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なんと営業時間が午前11時から朝の4時まで、土曜日は24時間営業と言う素晴らしい店。しかも煙草は吸えるし駅近だしで言う事ありませんでした。

茨城県水戸市(1)、市街地と旧芦山浄水場跡

意外と今まで縁が無く、駅を降りた事のなかった水戸へ行って参りました。

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幼少の頃より、水戸と言えば偕楽園ぐらいしか無くて梅の咲く時期以外観光旅行に行く理由がない、と言うのが水戸のイメージでした。茨城交通だった時代のひたちなか鉄道や、もっと北の今はなき日立電鉄などには乗りに行きたかったのですが、水戸は微妙に遠い。

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とは言え立派な県庁所在地。歴史的にも幕末物の小説とか読んでると必ず水戸藩士は登場するし、今まで訪れて来なかったのが不思議なくらい。今回はハローサイクルが水戸市内に導入されていたので、レンタルサイクルで巡ります。

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こちらは1930年(昭和15年)竣工の茨城県庁旧庁舎。現在の庁舎は水戸駅より南西へ5.6キロほど離れた場所に、1999年3月竣工の25階建ての高層ビルを建設して移転しました。ちなみに同年11月には群馬県が前橋市に地上33階建の超高層新庁舎を建設させています。(なんか張り合ってますが、高い建物が全く無い場所に突然現れる高層ビルって言うのは、見た目なんとも……w)

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旧庁舎の近くにあるのが1932年(昭和7年)に建造され1999年(平成11年)まで使われていたと言う水戸市水道低区配水塔。装飾がエグいくらい凝っています。こちらは市内の下市地区(水戸駅東側)へ水道水を供給するために作られた給水塔になります。

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敷地内のこちらの建物も同時代の物。水戸の市街地は空襲により大部分が焼け野原となったので、このような戦前建築は非常に貴重です。

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さて、ここからは一旦市街地を離れ、北側の水田地帯を北西へと進んで行きます。丘陵地の麓伝いに続く道を進みます。

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斜面際には幾つもの湧水地が。水戸の中心街は北を流れる那珂川と、南を流れる支流の桜川に挟まれた台地の上に形成されています。その台地から一歩崖を下れば長閑な農村風景へと様変わり。

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那珂川流域の平野部の際、台地の崖下に当たる所からは豊富な湧き水が滲み出し、水田地帯を潤して那珂川へと注ぎます。

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たまに幾つもの廃屋を目にしたりもします。

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こちらも湧水地。もはや湧水群と呼べます。

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水田地帯から丘陵地を望むとこんな感じ。あの丘陵の上に市街地が広がっていると言う、なんとも特徴的な地形にあります。

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水戸駅から北西に7キロほど走った那珂川のほとりに、旧芦山浄水場があります。

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正門から裏手、那珂川の土手に出ると、幾つかの建物が見えます。この芦山浄水場は1932年(昭和7年)に建造され、のち北西部の丘陵地に建造された楮川(こうぞがわ)ダムにその役目を譲り1993年(平成5年)廃止となりました。

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そしてこの廃墟、映画「カメラを止めるな」などのロケ地としても使われています。そう言えばあの映画観た時にエンドロール見てロケ地水戸なんだぁって思ってたのに、すっかり忘れてました。

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現在水戸市は撮影のロケ地として貸し出ししているのみですが、是非とも内部も一般公開して欲しいです。

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那珂川沿いに南東へ下り、坂を登って丘陵地の上へ。桂岸寺の門前辺りに古そうな旅館が。

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だいぶ駅に近づいた栄町で、なんとも昭和な看板を目にしました。この「サンなんちゃら(漢字が読めない)自転車」とは。聞いた事もない。

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その交差点を入ると、今まさに解体されようとしている団地がありました。ここは県営松並町アパート。調べたらなんと1951年(昭和26年)竣工の2K風呂無し。昭和20年代に建てられた団地は初めて見ました。

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て言うか公営住宅法が制定されたのが1951年(昭和26年)6月4日で7月に施行されたので、ほぼ第一号と言う事になります。鉄筋コンクリート造の多層階アパートは関東大震災復興に於ける同潤会アパートの例があるので不思議ではないですが、もしかしたら歴史的価値のある公営住宅だったのではないでしょうか。

次回は繁華街を巡る後半に続きます。


茨城県境町、利根川東遷からの江戸への物流拠点

江戸から明治にかけての水運(水上交通)を語るのに、利根川から江戸川が分岐する関宿(せきやど)を避けては通れない。そう思い鉄道も通っていない千葉、茨城、埼玉が県を接する千葉県野田市の関宿へまず向かいました。

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結論から言うと関宿にはかつての城下町の雰囲気など一切残っていませんでした。

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関宿城も本来あった場所とは違う場所に1995年(平成7年)、鉄筋コンクリートで復元された物。しかも訪れた時、この関宿城博物館が休館日でした。

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元々建っていた場所がこちら。多少土塁が残っている程度。関宿は地図的に言えば千葉県の北西端、チーバ君の鼻先に当たる所です。利根川の北側が茨城県、利根川南側から旧渡良瀬川の流路(行幸湖)を通り南東に分岐する江戸川に接する所から南が埼玉県、銚子から太平洋に注ぐ利根川と東京湾に注ぐ江戸川との間が千葉県となります。説明が難しい。

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こちらは関所跡地。江戸時代初期までは鬼怒川水系の常陸川が銚子に流れ出て、渡良瀬川と利根川は江戸湾に流れ込んでいました。しかし家康の江戸入城後の元和7年(1621年)以降、水上交通確立のため利根川と渡良瀬川を常陸川に繋げて銚子へ流し、かつ旧渡良瀬川の流路を江戸川としました。これが利根川東遷と言う一大土木事業でした。

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利根川東遷が出来ると、利根川や渡瀬川からの流れが銚子方面と江戸湾とに分岐するこの地点は、水運の要衝となりました。特に北の太平洋沿岸地域から江戸へ向かう物資は、房総半島の外海を航行するよりも高瀬船で川を伝った方が安全かつ遅れなく運べると言う事でした。また、川幅の狭い箇所に棒出しと言う、江戸川への水量を調節する閘門もありました。

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関宿城博物館の北西端部を周回する土手道が県境で、その先の河川敷は茨城県になります。水面は見えませんがこの奥に川の分岐点があり、左手の江戸川の対岸もまだ茨城県。

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こちらが現在の江戸川への水量を調節する関宿水閘門。ここも茨城県になります。1927年(昭和2年)完成。江戸川下流域の水害を防ぐ役割を担っています。関東平野を流れる川は、その時代ごとに流路を変えて来たので、一言で説明する事が出来ません。

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関宿城博物館がある近くには珍しい事に浚渫船(しゅんせつせん)が保存されています。保存と言っても草に埋もれてますが。浚渫とは川底の砂や泥などをさらう作業を言います。

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大雨などで水量が増すと上流域で川岸や川底が削られ、その土砂が中流域から下流域へと流されて行きなす。土砂はそのまま川底に堆積し、それにより水深が浅くなって船の航行が困難になったり、急な増水に際し洪水の危険性が増します。江戸時代は人力で浚渫作業をしていましたが、明治以降浚渫船が輸入されるなどして機械化が進みました。

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関宿水閘門の近くには江戸川の下流域に掛けられていた鉄道橋の一部が保存されています。この橋梁は1907年(明治40年)に当時の総武鉄道の小岩〜市川間の江戸川橋梁に使用されていました。

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さて、関宿から県道17号、境大橋で利根川を渡って茨城県境町へと入って行きます。左手奥で左側に江戸川が分岐しています。

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対岸である境町側から眺める関宿城はこんな感じです。冬の早朝など空気が澄んでいる時ならば富士山も見えますが、かなりの望遠レンズでないと関宿城と富士山を並べて撮るのは無理です。なんか撮影スポットとして有名らしいですが、天守閣と富士山なんてそう簡単に撮れるもんじゃないです。そもそも復元天守閣だし。

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利根川を渡ると右手にはドン・キホーテとスーパー銭湯、スーパー、ダイソー、パチンコ、場外馬券場など。

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左手には道の駅さかい。一応、観光拠点です。ここをはじめ町内にはいくつかの隈研吾設計による建築物があります。公共事業だから予算あるのかな。

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道の駅は高いので、隣のドライブイン的な大はし食堂に入ります。

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最近はモツ煮定食を見かけたら必ず頼むようにしています。ここのモツ煮も味が濃くてご飯が進む。

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境町の町内には無人運転バスが運用されています。ソフトバンクの子会社であるBOLDLY株式会社及び株式会社マクニカの協力のもと自動運転バスを3台導入し、5年前から定期運転されています。たまに有人ワンボックスが来る事もありますが。

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大まかに言えば道の駅と病院とショッピングセンターと高速バスターミナルなどを往復する感じです。レンタルサイクルを借りてたので乗りませんでしたが、無料です。

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境町はJRバス関東と朝日自動車によって東京駅八重洲口からの直行便も出ています。こう言うのは行政が頑張っているからなのでしょうか。以前東京駅から出る境町行き高速バスを見て、境町ってどこ?と思ってました。写真は後日駒込駅前でたまたま見かけたJRの境町行き高速バス。

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境町には古河から路線バスが運行されています。ちなみに関宿には東武伊勢崎線川間駅と東武動物公園駅から路線バスが出ており、関宿大橋を渡り境車庫まで運行されています。

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古河からの路線バスの終点、境町バス停前。正面には朝日自動車のタクシー営業所があり、左手には河岸の駅さかいと言う観光施設があります。観光施設と言っても手狭な案内所的な物で、しかも閉まってました。ただここには自動運転バスも来ますしdocomoのシェアサイクルもあります。

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しかしながら空いてる商店は一軒も無く、路線バスで観光に来た人は愕然とするでしょう。

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この辺りは江戸時代河岸があり、とても栄えていました。東北や北関東からの年貢米などの物資は、奥州街道より途中鬼怒川の水運を通り、日光街道東往還を通ってここ境町へと集積されます。そしてここから江戸川を下って江戸市中へと運ばれて行きました。いわゆる物流拠点でもあります。

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メインストリートは河岸跡から北へ延びる日光街道東往還。かつては船問屋や旅籠、茶店などが軒を連ねる関宿藩の宿場町でしたが、鉄道の登場によって衰退して行きます。こちらは見世蔵造りの旧・高木書店。

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こちらは村田酒店。煉瓦造りの店舗ですが前面が大きく塞がれているのが残念。奥にも広く倉庫などがあります。

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途中、気になるバラックなどもありました。

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裏通りに入った所で廃業旅館。旅館ふじと書かれた看板がありました。

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こちらも造り的に旅館か何かだったのでしょうか。

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現役の旅館、旅館山楽。特にこれと言った地場産業や名勝がある訳でも無いのに、なぜこんなに旅館業が多かったのか。

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紳士服婦人服のマルニ。かつては商店街としても賑わいを見せていたようです。

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駐車スペースのある商店街跡もあります。鉄道の通らない町として、早くから車社会に対応していたのでしょうか。

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これまた歴史のありそうな建物。市内は特に文化財登録もされていないので詳細は不明。しかし特に保存されている訳でもないのに、多くの歴史的建造物が残っています。

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貸家でしょうか、門柱にアーチが掛かっています。お洒落。

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旧日光街道東往還の東側には境大橋から北上する県道17号線が並走しており、北へ進むと圏央道の境古河ICがあります。こちらは交通量も多く幹線道路沿いの店舗なども多く栄えていました。こんな写真しか撮ってませんがww
ともあれ、2015年(平成27年)に圏央道境古河ICが開業した事により、それまで陸の孤島と化していた境町が急速に発展してきているのかも知れません。同様に阿見町や稲敷市、来年開通予定の千葉県多古町など、鉄道が通らなかった街々も、この圏央道によって変わって行く事でしょう。

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都内、近郊の古い街並みや建造物、路地裏などの写真とレポートを載せています。また、国内の寂れた観光地やマニアックな温泉スポット、廃墟などもご紹介。

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