バラック地帯

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神奈川県横浜市、山手地区の文化財建築と謎のバラック群

横浜はネタが尽きない!
仕事が昼過ぎで終わり、ふとGoogleマップ見ながら横浜市へ。磯子区根岸は横浜市電保存館で訪れてます。

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根岸から旧海岸線に行けば山手の丘陵地帯。その斜面に大正中期建設の旧柳下邸があります。

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山手界隈は戦前から外国人居留地だった歴史があるためか、隣接する根岸の丘陵地は横浜で成功した商家の別荘地だったそうです。日本邸宅と洋館が同居している、世田谷などでよく見るお屋敷。

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明治大正の頃、銅鉄取引商として金属の輸入で財を成した柳下家は根岸に別荘を建て、商売が軌道に乗ってから本家をこの別荘へと移転していたそうです。

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現在でも山手から根岸にかけてはセレブ地帯です。だからこそジブリアニメのロケ地にもなっていました。恐らくですが、宮崎駿の息子の宮崎吾朗監督のコクリコ坂からのモデルはこの邸宅なんじゃないかと思わざるを得ない。

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関東大震災では一部倒壊したものの、大部分は損失を免れたとか。その後の太平洋戦争でも山手地区は外国人居留地だったために空襲を受けず、現在でも当時の姿を止めるに至っております。

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建物は敷地を含め1996年市に寄贈され、のちに横浜市の登録有形文化財に指定されました。現在9時半から16時まで無料で公開されています。では贅を尽くした意匠をなど見て行きましょう。

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まず目を惹くのは浴室。トトロの家のお風呂を連想させる五右衛門風呂。窓枠の装飾が細かい。

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季節柄、当時の雛壇が幾つかの部屋に展示されていました。見学者のこともちゃんと考えておられる。

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よく分からない小窓。足下ならば掃き出し口なのですが、これは換気口の役割りなのでしょうか。詰めていた方に聞いてみれば良かった。

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蔵の内部。恐らくは増築された部分でしょうか。屋内から直接入れるようになっています。

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外から見るとこんな感じです。

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屋内には至る所に貴重な当時の物が展示されています。こちらは昔の氷で冷やす冷蔵庫。これは業務用並みの容量があり、家庭用はもっと小さかったとか。

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スイッチ類が古いまま。この建物を一般公開するに際してある程度復元はされたそうなのですが、このような細かい部分は当時のままの状態で残っていたのかと思います。

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洋館部分の内部。外国人の賓客などももてなしていたのでしょうか。

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英国製ストーブ。蔵に眠っていたのでしょうか。

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2階への階段。ただし老朽化のため2階は立入禁止でした。

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客室用トイレの流し台。右側には吊り下げ式手洗い器が。

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そんなわけで、斜面のお庭も含めてなかなか見応えある邸宅でした。

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さて、裏山を登って行くと米軍の居住地に出ます。米軍の敷地は消火栓もアメリカ。

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丘陵地帯を稜線伝いに北東へ歩いて行くと、やがて旧根岸競馬場跡が見えて来ます。

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かなり有名な廃墟ですが、実際に見ると迫力があります。根岸競馬場は慶応2年(1866年)日本初の洋式競馬場として開設されました。そして昭和12年(1937年)の秋からは日本競馬会横浜競馬場に改称され、昭和18年(1943年)に閉場されたそうです。

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このスタンド席(馬見所)は関東大震災後の昭和4年、一等馬見所が完成。翌年二等馬見所も増設され6000人を収容。昭和9年には二等馬見所を増築し、最終的にな12000人を収容したそうです。ちなみにこちら側が正面ゲートで、この裏手がスタンド席及び馬場。

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スタンドは鉄骨鉄筋コンクリート造地上7階、地下1階建て。当時としては珍しいエレベーターを3基備えたとか。昭和63年までは隣にもう一棟、二等馬見所も残っていたそうですが解体されてしまいました。

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すでに喪失されてしまいましたがヒサシの柱や側面の壁を取り払いながらも耐震強度を保つと言う、米国フラー社の主任建築士だったJ・H・モーガンによる設計は、後の日本における競馬場のスタンダードとなったそうです。ちなみに、かつて馬場のあった場所は根岸森林公園となってますが、観客席(スタンド)の正面にはアメリカ軍住宅管理部の事務所として米軍の敷地が横たわっています。

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また、この競馬場がゴール前を登り坂にしない都合上右回りだった事から、以後造られる競馬場も海外とは違い右回りが多くなったとか。ちなみに国内で左回りなのは東京、新潟、中京のみ。

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昭和18年の閉場後は神奈川県警によって敵国民間人収容所が馬場に建てられ、その後帝国海軍に摂取されてスタンドに機密文書などを印刷する印刷工場が造られました。そして敗戦後はGHQに摂取され引き続き印刷工場を使用。その後米軍住宅管理事務所に使われ場内にはゴルフ場(現在の根岸森林公園)も造られました。この建物は返還後、改修して公共の施設として保存利用できないかとも考えられていたそうですが、米軍施設が見下ろせるとの理由から利用計画はなくなり、結果廃墟同然な姿のまま残ることとなりました。

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さて日も暮れ始めようと言う時間、帰ろうと住宅街の中を突っ切って行こうとしたら、なんか違和感の漂う狭い路地に入り込んでしまいました。車の通れる通りからは高級車の停っている一戸建て住宅が連なっているのに、その内側だけがバラック建築群。

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ここにはなんと、木造の物干し台が残されていました。この時代の物干し台は以前足立区の千住龍田町で見て以来です。それ以前に、山手から続く丘の上の高級住宅街の路地裏に、なぜこのようなバラック地帯が存在するのか。米軍住宅地とも関係あるのか、ちょっと謎すぎます。


足立区北千住(3)、千住龍田町のバラック群

9年前に訪れた千住桜木より散策して行きます。

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千住桜木は2012年1月に訪れています。

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同じ場所の現在の様子。右手のバラックが解体されてしまいました。

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当時、韓国人会館とその向かいに教会が建っている事から、この辺りに朝鮮部落が存在していたのではと思い訪問しました。

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こちらは現在の韓国人会館。改装されアパートのように利用されているみたいです。実際のところ足立区は皮革産業が盛んで、その労働力として多くの在日朝鮮人の方々が暮らしていましたが、特に部落を形成するような事は少なかったようです。とは言え墨堤通りを隅田川(旧・荒川)の堤防に見立てると桜木は堤外地となり、南へ行くと学校や工場、公園ぐらいしか無く、スラムが存在したのは確かなようです。

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千住桜木より南東に向かって墨堤(ぼくてい)通りが続いています。この墨堤とは江戸時代に築かれた旧荒川(現在の隅田川)の堤防です。関東大震災後、直線道路へと整備されましたが、現在でも通りは一段盛り上がった場所を通ります。

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その墨堤通り沿いの喫茶店モカさん。激渋純喫茶です。

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とても愛想の良いマスターに地元の方々が集う憩いの場所でした。

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喫茶店の裏手は土手の下なので少し低くなっており、半地下のスペースも有ります。

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墨堤通りを北千住方面に南下すると千住龍田町。ここにバラック長屋が残っています。

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周辺には町工場が多いので、その工場労働者の社宅のようなものだったのでしょうか。

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ここで感動するのがこの、木製の物干し。

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南面に連なる物干しには、かつて竹竿がかけられていたのでしょう。まさに現代に残る昭和の光景です。

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最後に付近で見かけた建物。
細っ!

埼玉県飯能市、飯能花街跡と名栗川沿いのバラック群

今回は埼玉県飯能市、飯能駅周辺を歩きました。飯能は観光地として川越と比べられがちですが、最近ではアニメ「山のススメ」の聖地として注目を集めてます。山のススメ以外でも今年の冬アニメ「弱キャラ友崎くん」の中でも名栗川上流域が夏合宿の舞台になったり。

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かつてはセメント輸送の貨物ターミナルなどがありましたが、その敷地はだいぶ整備されました。1992年開業の駅ビルであるPePeにもかつては西武新宿同様にプリンスホテルがありましたが、現在では経営が変わりホテルヘリテイジ飯能となっています。

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北口を西へ向かいます。駅の近くには軒数こそ減ったものの、ビジネス旅館が残っていました。

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丸窓が有ったりモルタルの意匠が凝っていたりして、転業旅館か?などと一瞬思ってしまいますが詳細は不明。

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こちらも渋いビジネス旅館。林業や毛織物産業、セメント鉱業などで発展して来た街なので、出張など多くのビジネスマンも訪れていたのでしょう。

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中心街にはなかなか渋い建物も多く残っています。

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おしゃれのさわや。商店街が元気だった頃の名残りです。

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さらに西へ進むと土蔵造りの屋敷などが見え始めます。

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棟瓦やうだつがやたら迫力満点な土蔵造りの「絹甚」は明治37年創業。もしこのような立派な建物が多く連なっていたら、川越みたいな観光地になってたのに。

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土蔵造りだけでなく戦前の木造建築も残されています。こちらは閉業した歯科医。ただ大火もあったそうなので、一部と言った感じです。

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こちらは大正11年建造の飯能織物協同組合事務所跡。一応史跡なんですが、あまり整備されていない様子。

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商店街から南を流れる名栗川にかけて、かつて花街が広がっていました。こちらは現在鰻屋さんですが元は料亭で、二階三階に座敷などもあった様子。

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裏手には庭園を望む欄干が。

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こちらも花街の名残りとして残る料亭。明治期には芸妓さんが100名もいたそうです。

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タオルを干している料亭の裏にはカフェーっぽい建物が。埼玉は廃娼県だったため赤線などの記録は残っておらず、このような所から推察するしかありません。

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狭い路地裏スナック小路だった所が、片面解体されて駐車場になったため、陽光に晒されています。かつての花街はスナック街として栄えていたのでしょうが、現在では分譲住宅と駐車場で歯抜け状態です。

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花街の南を流れる名栗川。その上流方向、西へ進み市街地が途切れる辺り。県道から河川敷に降りる道があります。

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川沿いを歩いて行くと、バーベキュー用品のレンタルや食事、宴会なども出来るという、川遊びに来る観光客相手の橋本屋があります。東京Deep案内を始め多くのサイトで紹介されている物件ですが、平日だったためか閉まってます。暖かくなって来たし休日などには営業しているかも知れませんが、ここは手書き看板貼りまくりの推しの強い施設だとか。カラオケというのが気になります。レーザーカラオケとかハチトラとかだったらどうしよう。

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名栗川から見た橋本屋。昭和の夏休みを感じさせる施設ですね。名栗川と言えば以前白岩石灰採掘所跡廃村白岩集落などで上流域を訪れました。

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上流側、左手を見ると、何やらバラック群が。

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観光地としての名栗川沿岸に関係している建物でしょうか。

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背後の崖の上に県道。なかなか微妙な立地条件ですが、ここは雰囲気から言って不法占拠とかそう言うのじゃないような気がします。

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平家建てのように見えて実は二階建てだったり。

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見上げれば県道沿いの傾斜地住宅が。思うに県道がちゃんと整備される前から、川沿いに住み着いていたのではなかろうか。

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そんな謎を残しつつ、夏に来て見るのも良いかなと思いました。水、綺麗だし。

群馬県前橋市(2)、謎のバラック地帯と温泉銭湯

JR前橋駅から中心街を挟んで北東、利根川の支流である広瀬川沿いに、上毛電鉄の中央前橋駅があります。

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明治17年(1884)に現在のJR両毛線の前橋以東が、同22年(1889)に前橋以西が開通しました。それに対して昭和3年(1928)、中心街の北東に位置する中央前橋駅から西桐生駅まで、上毛電気鉄道が開通しました。車両はかつて京王井の頭線で活躍していた車両です。

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駅前には昭和63(1988)年建造の中央ビル。ここの一階の定食屋さんで昼食をとりましたが、うどんとソースかつ丼が美味かった。

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川を隔てた南東側には温泉銭湯の成田湯がありますが、ちょうど水曜定休で入れず。

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中央前橋から南東に位置する三河町一丁目。ここに謎のバラック地帯があります。丸窓から何かしらの飲食店だっただろうと思っていましたが、話によればここはテイクアウト専門の焼きそば屋さんだったとか。

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周囲はそこそこ立派な屋敷も点在するごく普通の住宅街ですが、この一画だけが異空間。奥の煙突跡は銭湯にしては低いので工場だったのか。

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路地を入って行くと、このような未舗装の私道となります。

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二本の路地が平行する狭い一画ですが、どうにも周辺の街並みから異彩を放っている。

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昭和の頃の貧民窟や朝鮮部落などの光景にも似ていますが、情報などは一切無し。聞き込みなどで探るしかありません。

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路地の奥には廃墟もあります。倒壊の危険がある廃墟が放置されている所は、特殊な事情があるか解体費用が払えないかです。

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井戸ポンプの跡も。もちろん現在は使われておらず、インフラはちゃんと整備されているようです。

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もう一本、中央前橋寄りの路地。左手には閉業した小料理屋。写ってませんがその左手には公民館があります。

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こちらもなかなかなバラックだらけです。

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裏手(広瀬川寄り)に廻るとこんな感じ。解体され駐車場となっていますが、この辺りに繭の乾燥場が有ったという話があります。推察するにこの一帯は生糸の製糸工場などの労働者が住んでおられたのか。

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周囲が解体され取り残されたバラック。広瀬川の対岸を走る上毛電鉄の開通が昭和3年なので、この辺りに人が住み始めたのもその頃なのでしょうか。

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駅から離れ東に歩くと旧大竹酒造煉瓦蔵があります。大正末期建造の蔵で、昭和8年(1933)大竹酒造が買い取ったそうです。酒蔵は昭和47年に廃業。2016年には国登録有形文化財に指定され、現在は前橋市所有の多目的ホールとして活用されています。(去年3月には今話題の「えんとつ町のプペルひかる絵本展」もやっていたとか)
ただこの物件、大竹氏が前橋市に買い取りと保存を要望し続けていたのに対しその要望には長年答えず、仕方なく某NPO法人の紹介で民間の不動産業者に2005年、5500万で売却されたそうです。しかしそれから一年も経たぬ内にその不動産業者は前橋市に8000万で売却。そしてその不動産業者は二年三ヶ月後に事業を停止。しかも前橋市に対し不動産業者からの物件購入と保存を要望したのが件の某NOO法人及び某市民団体だと言う。群馬県の産業遺産に関わる裏話の一つという訳ですね。

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西側のちょっと外れにある、飲食店の廃墟。

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その向かいにあるバラック。この広瀬川南岸地域については、更なる調査が必要です。

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最後に場所は離れて中心街の西、群馬県庁の南側に残る温泉銭湯、利根湯さんに立ち寄りました。女将さん(お婆ちゃん)がもうチャキチャキの群馬っ子で言葉が荒いwww
根は優しいんでしょうけれど、群馬県民の気質に対する慣れは必要ですね。

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お湯は紅茶色の鉱泉を加温したもの。自分は嗅覚が鈍いのでなんと表現したら良いのか分かりませんが、独特な香りがします。浴感はさほど特徴が感じられないものの、じわじわと温まりからっ風が身に染みる冬の群馬では有り難い。
浴槽は二つあり熱めが46度。超熱めは温度計が有りませんでしたが、47〜8度ぐらい有るんじゃないかという熱湯。長時間は浸かれません。草津などもそうですが群馬の共同浴場は基本熱いです。

静岡県沼津市(2)、大岡地区

沼津駅の北側は栄えておらず、現在は住宅街と工業地帯が広がっています。

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御殿場線の線路沿いを車両基地を眺めながら北東方向へ歩いていきます。

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途中、建て替えるのか閉鎖されたJRの社宅跡が。

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国道414号に出て更に歩き、大岡地区へ。やがて右手に古紙リサイクルの会社が。
その向かい側に気になるバラック集落があります。

以下、都合によりバラック集落の画像及び文章を削除させていただきました。
なお、以前書いていたレポートでは不法占拠による朝鮮部落であった可能性を示唆していましたが、地主様の存在が確認出来た事から、そのような経緯ではなかった可能性が高くなりました。

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しかし、その後よくよく調べてみたところ、この大岡地区には戦時中、中島飛行機の機銃架台などを製作する軍事工場があり、全国から集められた朝鮮人や朝鮮半島から強制連行されて来た人々が働かされていたそうです。いわゆる徴用工問題。
ともあれ、全て憶測の範囲に過ぎません。

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沼津駅南口のタコ焼き飲み屋サボちゃんが、早い時間から営業しているタバコの吸える飲み屋さんで、マスターをやられている地元出身のお兄さんに話を伺いました。しかし件の集落について詳細は分からず。今回のレポートは終わります(後に判明)。
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