トンネル

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大阪府大阪市九条(2)、大阪の下町と安治川トンネル

松島新地を離れ、安治川を渡り西九条へと向かいます。

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一旦喫茶店でモーニングでも。大阪は個人経営による昔ながらの喫茶店がやたらと多く存在します。

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入るなり大阪のおばちゃんたちの賑やかな喋り声に包まれた店内。ほぼ満席で辛うじてカウンターがひと席だけ空いてたので座ります。モーニング500円。まー煩いこと煩いことwww これが大阪の日常であり、大阪に来たなぁと実感が湧きました。

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安治川に向かいます。この辺りも空襲で焼け野原となったであろう一帯。戦後形成された下町のようです。

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と思いきや相当な古さを感じる建物も。戦火を逃れたのでしょうか。

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この雰囲気たまりませんね。いずれにしても戦後、住宅街として発展して来たのでしょう。

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大阪と言えばアーケード商店街。その数は関東の比ではありません。こちらは親栄会商店街。

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閉業した店も多く見られますが、お昼前の時間帯、行き交う人の数は多く賑わいを見せています。

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親栄会商店街は大きなアーケード、キララ九条商店街へと出ます。こちらは現役の店も多く、より賑わっています。

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再び枝分かれする祝生会商店街へ。さすがに外れの方に来るとシャッター商店街の様相も。

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マンションも多く建ち並んでいますが、その足元の建物がやたら古い。久々に下町散歩を堪能します。

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廃業してしまった銭湯ですが、この建物はカッコいい!現役の頃に入ってみたかったです。

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それにしても古い建物。この辺りは空襲で焼け残った戦前建築なのでしょうか。

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うだつの立った蔵造りの商家。どう考えても戦後とは思えません。

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九条駅から続くキララ九条商店街の末端、安治川の手前まで来ました。さすがにここまで来るとシャッター商店街と化しております。

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銭湯も廃業されています。

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この先は川の下を潜る日本でも稀な安治川トンネルがあります。

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自転車用の大型エレベータと階段で降りて行きます。ここには元々源兵衛渡船と言う渡船がありましたが、この安治川は船の航行が特に多く渡船の運航には危険が伴ったため、昭和10年に着工、戦時下も貴重な鉄が供給され昭和19年に竣工しました。ちなみに上流右岸(北側)には大阪市中央卸売市場などもあります。

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深さ14m、長さ80mの自転車及び人道トンネル。日本初の川底トンネルとして日本土木遺産にも登録されています。

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西九条側の地下エレベーター乗り場。エレベーターはひっきりなしに動いており、多くの人が生活道路として利用しています。

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大阪の足はやはり自転車ですね。

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西九条側地上出入り口。左手の巨大な鉄扉は、1977年まで使われていた自動車用のゴンドラ。人道トンネルと並行して車道が存在しますが、排気ガスの問題などから閉鎖されてしまいました。もう50年近く封印されたままです。

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左岸、九条側のトンネル入り口。奥の鉄橋は阪神なんば線。西九条側に渡ると団地が広がる住宅街。自転車でトンネルを抜けてキララ九条商店街へ買い物に行く方も多い事でしょう。ちなみに阪神なんば線は1964年(昭和39年)に西九条まで延伸され(当時は西大阪線)ましたが、その先は九条商店街などの猛反発を受けて延伸が見送られていました。そして平成13年(2009年)にやっと大阪難波駅までの延伸が実現されます。現在では近鉄奈良線との相互乗り入れにより、奈良から西九条でJR桜島線に乗り換えUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)へ向かう足としても利用されています。

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またもや廃業銭湯。戦後の復興期、水道インフラも整っていなかった時代、下町は風呂無しが当たり前の時代でした。マンションに建て替えても地域のために銭湯を続けて来たものの、利用者の減少や後継者不足から銭湯の数は激減しています。

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西九条駅に着きました。ここはJR大阪環状線から桜島線(通称ゆめ咲線)が分岐し、阪神なんば線にも乗り換えられます。

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トンネル横丁とは⁉︎

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夜には開くのか、あるいは廃墟か。一度夜に訪れて確認したい。

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飲み屋街としても賑わっていそうな西九条駅前。大阪は一泊じゃ全然回りきれない。

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ガード下商店街が飲食店街になったと言う流れでしょうか。

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こう言う所、ズルいです。今日は西九条で泊まる予定無いのに。

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シャッター商店街の様相もあります。

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ガード下の喫茶店。もちろん満席で店内のおばちゃん達の賑やかな声が表まで聞こえて来ます。東京では見れない活気。

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JR大阪環状線のガード下でしたが、さらに上を阪神電鉄が跨いで行きます。この街もいつかじっくり歩きたいですね。

山梨県甲州市、旧大日影トンネル

トンネルの中なら涼しかろう、そう思って中央東線旧線の廃線跡である旧・大日影トンネルに行って来ました。

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中央東線が甲府盆地に抜けた所。葡萄畑に覆われた斜面に勝沼ぶどう郷駅(旧・勝沼駅)はあります。この駅はかつてスイッチバック駅でしたが、昭和43年(1968年)にスイッチバックは廃止され、跡地は公園になっています。

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駅の高尾寄りにはEF64が保存されています。この18号機は昭和41年(1966年)に造られた二次量産機ですが、この機関車は中央本線のために造られたと言っても過言ではありません。またこのEF64の登場によってスイッチバックも不必要となりました。

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線路沿いを高尾方面に歩いてトンネルに向かいますがその手前、中央本線建設当時に大久保沢を下に通すための河川隧道があります。赤煉瓦がイギリス積みで積まれており、大日影トンネルと同じ工法で造られたとか。

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さて、こちらが旧・大日影トンネル、甲府側出口。中央本線の八王子〜甲府間ほ明治29年(1896年)に工事が始まり明治36年(1903年)に開通。明治10年(1877年)には県立葡萄酒醸造所が開設されており、葡萄酒の輸送にも鉄道の開通は急がれました。

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昭和6年にはすでに電化され、昭和43年(1968年)には複線化に伴い新たにトンネルが掘られ、このトンネルは下り専用となりました。

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途中にはいくつもの待避所があります。平成9年(1997年)、新トンネルの建設に伴い開通当時から94年使われて来たこのトンネルは廃止となりました。

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トンネル内は場所によっては地下水が川のように流れています。確かにトンネル内は涼しい。ただ今日は、べらぼうに湿度が高いww

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平成19年(2007年)、旧線として廃線跡になっていたこのトンネルは遊歩道として整備されました。老朽化のため2016年一度閉鎖されましたが、補強工事などを経て今年の3月公開が再開されました。

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僅かですが、鉄道トンネルとして使われていた名残りが残っています。

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赤煉瓦が残る広めな待避所。ベンチ邪魔だなぁ。

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キロポストが立て掛けられています。遊歩道としては邪魔なので仕方ないです。それよりも線路をそのままの状態で保存してくれた事が有難いです。

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いよいよ出口。トンネルは直線で1368m。サクサク歩けます。

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こちらは高尾側出口。

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トンネルを抜けるとすぐに深沢川を渡ります。

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深沢川は暗渠化され、その上にトンネル掘削時の残土を盛ったそうです。

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深沢川を渡るとすぐに深沢トンネルとなります。

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ただこちらは現在、勝沼トンネルワインカーヴと言ってワインの貯蔵庫として活用されています。

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旧・大日影トンネル出口と深沢川橋梁。

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上流側には現在使われている中央本線下り線が走っております。

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この辺りには深沢集落があるのですが、深い山間の斜面でも葡萄が栽培されています。

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タイミング良く来た市営バスで勝沼ぶどう郷駅まで戻ります。沿道には観光ぶどう狩り園などが多いですね。

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勝沼ぶどう郷駅駅前の何も無さに絶望していると、甲府行きの電車が来るとのアナウンス。スイッチバックの痕跡も撮らずに電車に飛び乗り隣の塩山駅へ。

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駅前は閑散としているものの、食堂が2軒とお土産屋さん。お食事処の菊よしさんに入りました。

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この暑い日にほうとうは無い。と言う事で甲州名物と書かれた馬モツ煮定食を注文。元々「モツ煮でご飯」に抵抗があったのですが、以前群馬県名物のモツ煮定食食べて美味かったので行ってみます。で、食べたらこれがまた美味い!漬物も美味いし、1100円でしたが満足しました。


東京都羽村市、武蔵村山市、羽村山口軽便鉄道跡の桜並木

※元々は3月28日、羽村山口軽便鉄道の廃線跡をシェアサイクルで訪れました。そしたら開花前の桜並木がずっと続いているじゃありませんか。あと1週間以上後に訪れたならば桜が見事だったろうに、そう思って4月7日の日曜日、リベンジの意味も込めて再度訪れました。
花見スポットの紹介の意味から開花前の写真を掲載しておりましたが、撮影し直した物と大部分差し替えた上で追記もさせていただきます。

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まずは前置きから。こちらは多摩川上流域の羽村市にある羽村堰。ここで取水された水は江戸時代、1653年から玉川上水を経て江戸の街へと引かれていました。

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現在の堰は明治44年(1911年)コンクリート造に改築された物で、大正13年(1924年)に増築。

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取水口には赤レンガも使用されています。

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東京市(当時)は大正5年(1916年)から昭和2年(1927年)にかけ、帝都の人工増加に対応する水源確保のため村山貯水池(現在の多摩湖)建設、および多摩川から貯水池までの導水管布設工事を行います。左手のコンクリート構造物が導水管の取水口。

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現在、導水管が分岐した先の玉川上水への水量は少なく、水の多くは地下に埋設された羽村・村山線導水管を通って村山貯水池へと送られています。

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資材としての河川敷の砂利などは、ここに設置されたインクラインによってまず引き上げられました。コンクリートの遺構が残っていますが何の役目を担っていたのかは不明。インクラインは橋桁を組んでスロープを造り敷設されていたそうです。

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インクラインの頂上から取水口と多摩川を望む。日曜日は花見の車で渋滞していました。
ちなみに来週の4月13日(土)、14日(日)に八雲神社例大祭が開催されます。このお祭りは30年前に取材した事があるお祭りで思い出深いものがあります。なので都合がつけば行ってみたいと思います。

八雲神社例大祭詳細


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真っ直ぐと西へ伸びる導水管用地。村山貯水池並びに導水管の建設に併せて大正10年(1921年)、まずは東京市材料置き場(現在の福生駅東側)から横田(現在の横田基地)までの軽便鉄道が建設されました。

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JR青梅線の線路を越えたところから横田基地まではこのような生活歩道が続きます。

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非常に狭く廃線跡とは思えないような箇所もありますが、地図上ではひたすら一直線であり分かりやすいです。

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しばらく行くと横田基地の滑走路が横たわります。

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サイクリングロードの野山北公園自転車道。スタートは横田基地の北西側。廃線跡は羽村堰から横田基地とIHI航空宇宙事業本部瑞穂工場を跨いで続いています。

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ちなみに私はハローサイクルと言うシェアサイクルの電動アシスト付き自転車にて移動しました。ハローサイクルは以前土浦で利用した事があるのですが、アプリをダウンロードするだけで借りられます。また都内近郊に於いてここ数年でサイクルポートが爆発的に増えたので、好きな場所で借りて好きな場所に返す事が可能。

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早速ですが見事な桜並木です。昭和2年に村山貯水池が完成しましたが、更なる人口増加を想定して昭和4年、北西側に山口貯水池(狭山湖)の建設を着手。

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地中に埋設された多摩川からの導水管が完成するとその上に昭和3年、羽村の砂利採取場から山口貯水池堰堤建設現場まで軽便鉄道羽村・山口線が敷設されました。

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当時は案内板にあるようなトロッコ列車が走っていました。写真はドイツ製のディーゼル機関車です。

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途中、残堀川を渡ったところで残堀砕石場跡地があります。ここでは多摩川で採取した砂利を砕石し、堰堤の建材用に砂利と砂、玉石へと分別していたそうです。

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中には入れませんが、奥にコンベアなどの基礎コンクリート構造物が見えます。

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昔この地域には雑木林と畑ぐらいしか無かったのでしょう、廃線跡は綺麗な直線を描いており、現在その跡地は神明緑道と言う地域の散歩道となっています。

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そう言えば多摩川の砧から中野区の野方、板橋区の大谷口までの導水管である荒玉水道道路(昭和9年竣工)も起伏を繰り返しながら住宅街を真っ直ぐぶち抜いていますね。これは基礎工事の段階で杭を打てないから建物を建てられないと言う事情があるそうです。

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近隣住民の方以外にも、遠くから花見やサイクリングを楽しみに来たと言う方も多くいました。

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多摩川から東へ真っ直ぐ伸びていた廃線跡ですが、六道山が近づくと若干カープを描きます。

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神明緑道の終盤にまたサイクルポートがありました。ただ止める所が全て埋まっている時は、ここでは返却出来ません。自転車の返却はアプリのマップで返却スペースの空いているポートを探して返却予約します。ただし予約後30分以内に返却しなければキャンセルされるので、返す直前に探して予約を取りましょう。あと、返却した後も近くに駅やバス停がある事を確認する事も重要。

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廃線跡の西側、丘陵地の麓に野山北・緑道山公園があります。再訪した時は多摩モノレールの終点上北台駅よりコミュニティバスの総合運動公園行きに乗り、終点ひとつ前の村山温泉かたくりの湯バス停で下車。東村山市立歴史民俗資料館前のサイクルポートで自転車を借りました。この資料館には軽便鉄道の現役当時の貴重な写真や資料が展示されております。資料写真画像の使用許可を取ろうとしましたが、学術研究などの名目がないと厳しいそうです。しかし、この記事を書くについて非常に参考になりました。

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さて、ここからが本来の目的。狭山丘陵に入り、多摩湖こと村山貯水池へ向かいます。まず迎えるのは横田トンネル。この横田トンネル前にもコミュニティバスのバス停があります。

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元々線路幅の狭い軽便鉄道のために掘られたトンネルなので、自動車などは通れず自転車及び歩行者専用となっています。

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トンネルを抜けるとすぐ次のトンネルが。

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こちらは横田トンネルの東側出口。確かトンネルにはちゃんと出口入り口の概念があると思いましたが、とりあえずここでは多摩川側から多摩湖側へと進む方向で入り口と出口を使い分けます。

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2本目のトンネルは赤堀トンネルと言います。トンネルの入り口や内部はとても昭和初期の物とは思えないので、自転車道として再利用する際に改修された物と思われます。

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赤堀トンネル東側出口。1度目に訪れた時、丘の上の桜が咲いていたらと思ったので再訪。

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3本目は御岳トンネルです。それぞれのトンネルは崩落を防ぐため内壁を補強していると思われるので、当時は内径ももっと広かったのでしょう。言ってしまえば軽便鉄道当時の遺構はほぼ見れないに等しいのかも知れません。

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御岳トンネルを抜けると雑木林。いよいよ村山貯水池の丘陵地帯に迫って来ました。

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御岳トンネルの東側出口。そんなに高い丘を越える訳でもないので、むしろ切り通しでもいいような気もしますが。

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ひと山越えた所で雑木林の中を若干下って行きます。廃線跡とは思えないくらいの走りやすさ!

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ため池に出た所で廃線跡は大きく左へカープします。村山貯水池周辺は湧水も多くあるので、これは昔からある農業用のため池でしょうね。

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4番目は赤坂トンネル。

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出口付近は地下水が染み出すのか、アクリル板で覆われています。

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赤坂トンネルの東側出口。ここからの自転車道はもう生活道として使われていないようで苔むしています。

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そして道の終わりは突然やって来ました。ここから右へ折れて山道を下りれば一般道に抜けられます。

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だが直進!ここからはガチな廃線跡となります。

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やがて最後のトンネルが見えて来ました。1度目に訪れた時、前日の雨で地面は相当ぬかるんでいました。

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今までのトンネルは自転車道として整備されたため名称がありましたが、このトンネルは当時のままなので5号隧道と呼ばれています。そしてこの先は水源地となるため立ち入り禁止です。

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多摩湖畔のサイクリングロードを走り村山下ダムまで来ました。昭和2年竣工の巨大なロックフィルダムです。私がまだ20代の頃、北西側すぐ隣にある狭山湖畔を周回するオフロード(林道)までマウンテンバイクの練習に通っていました。当時不法投棄とかも酷かったから、今はもう閉鎖されているんだろうな。

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この堰堤は戦時中の昭和18年、米軍による爆撃を想定して嵩上げ及びコンクリートのよる強化を行い、迷彩のため黒く塗られましたが、その時再び軽便鉄道が活躍したそうです。そして昭和20年、実際に爆撃を受けるも耐え抜いたとか。

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村山貯水池(多摩湖)とこの奥にある山口貯水池(狭山湖)は、多摩川からの疎水と豊富な湧き水、そして雨水を湛えて現在も東京の水資源を支えています。

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狭山湖と多摩湖に蓄えられた水は東村山浄水場を経て境浄水場まで送られて行きます。この水道施設も一直線に続いており、サイクリングロード兼遊歩道として使われています。この狭山・境緑道もまた沿道に見事な桜並木が続いています。

ちなみに多摩湖も狭山湖も桜の名所なので、例えば西武園ゆうえんち駅近くの中国割烹旅館掬水亭の敷地にあるサイクルポート(1回目に訪れた時に返却した所)で自転車を借りて、廃線跡の桜並木を抜けて羽村堰までサイクリングなんていかがでしょうか。羽村堰もまた桜の名所でさくら祭りが開催されています。およそ15キロ、1時間ちょっとで走破できます。

群馬県安中市、碓氷峠の旧信越本線旧線の廃線跡(後編)

前回の続き、碓氷第三橋梁より横川までの廃線跡を紹介します。

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6号トンネルを出ると碓氷第三橋梁があります。1963年(昭和38年)に廃止されたアプト線区間は1996年(平成8年より遊歩道としての整備が始まり、2001年(平成13年)に完成しました。

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国立公園内のため電柱が立てられないなどの問題もあったそうですが、2012年(平成24年)には碓氷第三橋梁から前編で紹介した熊の平信号場までの区間も遊歩道としての整備が完了しました。そしてこの碓氷第三橋梁こそが碓氷峠を代表する重要文化財です。

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橋の上からは沢の奥の方に1963年(昭和38年)から1997年(平成9年)まで使われていた新線の廃線跡が見えます。

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この第三橋梁には個人的な思い入れがあります。子供の頃、鉄道関連の本にこの碓氷第三橋梁とその奥の新線を走る特急あさまの写真が掲載されており、その写真を見た私は旅情に駆られました。霧の立ち込める渓谷のモノクロ写真だったのですが、その一枚の写真が後の私の嗜好に多くの影響を及ぼしています。今回実物を生まれて初めて見た訳ですが、感慨深いものがありました。

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橋を渡った先には5号トンネルの軽井沢側出口があります。

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5号トンネル内部。1963年(昭和38年)にアプト線が廃止されて1996年に遊歩道として整備されるまでの33年間、これらのトンネル群は廃墟と化していました。なによりも驚かされるのは、完成してから今年でおよそ128年ものの歳月が流れていると言うのに、明治時代に造られた煉瓦トンネルがここまで完璧な形で残っていたと言う事。当時、よほど強固に造られていたんだと感心するばかりです。

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5号トンネル横川側入口。出口から入って入口から出るためややこしい文章になりますがご了承下さい。

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4号トンネル軽井沢側出口。

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4号トンネル横川側入口付近から3号トンネル。だいぶ標高を下りて来たためか、紅葉も良い具合に残っていました。

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4号トンネル横川側入口。遊歩道として整備されるまでは雑草に覆われていて、全体をはっきり見る事も出来なかったかもしれませんが、こうやって気軽に辿り着ける事も含めて有難い事です。

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3号トンネル軽井沢側出口。

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3号トンネル横川側入口付近。紅葉の奥では国道(旧道)がオーバーラップしています。

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3号トンネル横川側入口から、4号5号トンネルを望む。望遠で撮るといかに短いトンネルが連続しているが伺えます。

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2号トンネル軽井沢側入口。この辺りまで来ると、やっと人里まで降りて来た感じがします。

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2号トンネル横川側出口。

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2号トンネルを出た所に、当時の物と思われるレールが残っていました。

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いよいよ最後のトンネルです。1号トンネル軽井沢側入口。

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1号トンネル横川側出口。熊の平信号場から横川まで10ヶ所のトンネルを潜ってかましたが、熊の平から上の軽井沢までにも16のトンネルがあり、旧線時代には横川〜軽井沢間トータルで26ものトンネルと18の橋梁がありました。

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横川まで降りて来ました。日帰り入浴施設、峠の湯の辺りで、新線の廃線跡と合流します。

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遊歩道はそのまま新線の上り線跡に続きます。この辺りまで降りて来るとちょうど紅葉も見頃。

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霧積川橋梁。信越本線は過去何度も列車で通りました。特に夜行急行「能登」なんかは北陸に行く際よく利用していました。

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遊歩道を歩いて行くと途中に2棟からなる旧丸山変電所跡があります。

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横川側の東棟は蓄電池室、西棟は機械室で回転変流器と変圧器が有ったそうです。

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西棟内部。以前は公開されていた事もあったとか。

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碓氷峠を列車で通るのはほとんど夜行列車だったため、沿線の景色を眺めることはありませんでした。だいたい夜中の横川駅構内で、補助機として連結されるEF63を見て興奮してたぐらいです。しかしその信越本線が新幹線開業に伴い廃止になるなんて想像もしていませんでした。幹線が分断されて各駅停車で長野に行く事が出来なくなると言う、かつて貧乏旅をして来た自分にとっては本当にショックでした。もちろんEF63など越境に掛かる維持管理費を考えると大赤字だって事も理解出来るし、軽井沢や長野までは格安な高速バスもありますが、昭和の鉄道旅の終焉を感じるほどの出来事でした。
次回は最後に碓氷峠鉄道文化むらをお送りします。

群馬県安中市、碓氷峠の旧信越本線旧線の廃線跡(前編)

どうも最近有名どころばかり行ってますが、今回訪れた碓氷峠も以前より訪れてみたかった場所です。

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群馬県と長野県の県境にあたる碓氷峠。その入り口とも言える横川駅に到着しました。峠を越えれば長野県の軽井沢に出ます。

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名物である峠の釜飯は、横川駅か開業した1885年に創業した荻野屋が1958年に発売した人気の駅弁です。うちの実家にも益子焼で作られた峠の釜飯の容器が有りました。使いもしないのにとっておいてしまいがち。

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まずはタクシーで熊の平信号場跡まで登りました。迎車での600円を含めて3500円程で到着。先週までは旧道経由の軽井沢行きバスも走っていたのですが、ちょうど秋の行楽シーズンも終わり冬季はバイパス経由のみとなってしまうため、タクシーに乗らざるを得ませんでした。

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信越本線は1885年(明治18年)高崎〜横川間が開業し、碓氷峠の難工事の末1893年(明治26年)に横川〜軽井沢間が開業した事によって全線開通しました。中間地点にあたるこの熊ノ平信号場も当時、給水給炭所として開設されました。この熊ノ平変電所は1937年(昭和12年)に開設。

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横川〜軽井沢間は勾配が急過ぎるため、当初日本で初めてアプト式と言う歯車で登る方式が取られました。線路にこの様なラックレールと言う物が敷かれ、機関車は歯車をこのラックレールに噛ませて登るわけです。写真は横川の碓氷峠鉄道文化むらに展示されているもの。

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しかし時代は変わって1963年(昭和38年)、輸送量の増加や所要時間の短縮が求められる中、直流1500V(従来は600V)によって粘着運転と言う従来の走行に変更され、さらに複線化された事によりアプト式が廃止。北側の長大トンネルを経由する新線が開通しました。ちなみに新線が開通するまで信越本線は非電化(蒸気やディーゼルエンジン)でしたが、この時期に高崎から長野までの全区間が電化されました。写真は熊ノ平信号場から旧信越本線軽井沢方面を見た所。一番左のトンネルがアプト線跡で、中央と右側が新線。

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こちらは旧信越本線新線の横川方面を見た所。しかしながらさらに時代は過ぎて1997年(平成9年)、北陸新幹線(当時長野新幹線)の開業に伴い、横川〜軽井沢間が廃止となりました。

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今回は昭和38年に廃止となった信越本線旧線、アプト線跡を歩いて行きます。写真は熊ノ平信号場から一つ目のトンネル、10号トンネルの軽井沢側出口。

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アプト線は当時、地下鉄銀座線や丸の内線と同じく第三軌条集電方式が採られていました。第三軌条集電方式とは線路の脇に架線に代わるレールが敷かれている方式。写真は10号トンネル内部。

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10号トンネル横川側入口。アプト線には車輪に対するブレーキの他、駆動輪である歯車に、さらに集電するための第三軌条にもブレーキを設けて、三重の安全対策を採りました。

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ここからはしばらく短いトンネルが連続します。写真は10号トンネル横川側入口付近から見た9号トンネル。

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トンネルは本来起点側、つまり信越本線では高崎側を入口、軽井沢側を出口と呼称します。今回の訪問では峠の途中から降りて来たので、軽井沢側出口から入り横川側入口へと出て行きます。ややこしいですが坂を登りたくないもので。写真は9号トンネル横川側入口。

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アプト式を採用する際にラックレールを施設するため強固な道床が必要とされました。そのため鉄橋は造らず煉瓦造りによるアーチ橋が採用されたとか。写真は9号トンネルと8号トンネルの間にあるアーチ橋。

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明治中期の技術で難工事の末(すえ)完成したアプト線ですが、前途のような輸送力強化が求められるとともにトンネル掘削技術の進歩もあり、新線の開業へと繋がった訳です。こちらは8号トンネル軽井沢側出口。

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そう言ったわけで開業から70年、アプト式の旧線はその役目を終えました。こちらは 8号トンネル横川側入口。

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8号トンネルを出てすぐに架かるアーチ橋。日本に於けるアーチ橋は古くは江戸時代の石橋からありますが、明治中期に竣工した煉瓦造のアーチ橋が現存するのは貴重な事例のため、重要文化財に指定されています。

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トンネルの坑門や内壁はことごとく明治期の煉瓦造りが残されています。コンクリート建築が本格的になる前の時代の構造物がこれだけ残っているのは、やはり貴重です。写真は7号トンネル横川側入口。

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開通した1893年(明治26年)より電化される1912年(大正元年)までの間は蒸気機関でした。急勾配のため大量の煙を排出する上トンネルが連続するこの区間では、機関士の窒息事故なども起きていたそうです。写真は8号トンネル内部から7号トンネルを望む。

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一応全ての坑門を撮って来たので写真の枚数が多くなりすぎてしまい、対して文章を書くネタが無くなって来ました。 6号トンネル軽井沢側出口。

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6号トンネル内部。途中、三つの穴から外の光が差し込みます。不意に外光に照らし出される煉瓦の内壁。

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横川側から軽井沢方面を振り返った所。元々は蒸気機関車の煙を逃す役目があったそうで、天井部にも穴が空いてます。

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その少し先には五つの横穴が。

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こちらは天井に空いている排煙用の穴。

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外に出て見たら、やはり見事な煉瓦建築。

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横川側から軽井沢方面を振り返った所。なんと言うか、その美しさに息を呑みました。

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こちらは結構長かった6号トンネル横川側入口。6号トンネルを抜けるといよいよ有名な碓氷第三橋梁に出ますが、写真の枚数が多いため続きは後編で。
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