ダム湖

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東京都羽村市、武蔵村山市、羽村山口軽便鉄道跡の桜並木

※元々は3月28日、羽村山口軽便鉄道の廃線跡をシェアサイクルで訪れました。そしたら開花前の桜並木がずっと続いているじゃありませんか。あと1週間以上後に訪れたならば桜が見事だったろうに、そう思って4月7日の日曜日、リベンジの意味も込めて再度訪れました。
花見スポットの紹介の意味から開花前の写真を掲載しておりましたが、撮影し直した物と大部分差し替えた上で追記もさせていただきます。

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まずは前置きから。こちらは多摩川上流域の羽村市にある羽村堰。ここで取水された水は江戸時代、1653年から玉川上水を経て江戸の街へと引かれていました。

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現在の堰は明治44年(1911年)コンクリート造に改築された物で、大正13年(1924年)に増築。

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取水口には赤レンガも使用されています。

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東京市(当時)は大正5年(1916年)から昭和2年(1927年)にかけ、帝都の人工増加に対応する水源確保のため村山貯水池(現在の多摩湖)建設、および多摩川から貯水池までの導水管布設工事を行います。左手のコンクリート構造物が導水管の取水口。

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現在、導水管が分岐した先の玉川上水への水量は少なく、水の多くは地下に埋設された羽村・村山線導水管を通って村山貯水池へと送られています。

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資材としての河川敷の砂利などは、ここに設置されたインクラインによってまず引き上げられました。コンクリートの遺構が残っていますが何の役目を担っていたのかは不明。インクラインは橋桁を組んでスロープを造り敷設されていたそうです。

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インクラインの頂上から取水口と多摩川を望む。日曜日は花見の車で渋滞していました。
ちなみに来週の4月13日(土)、14日(日)に八雲神社例大祭が開催されます。このお祭りは30年前に取材した事があるお祭りで思い出深いものがあります。なので都合がつけば行ってみたいと思います。

八雲神社例大祭詳細


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真っ直ぐと西へ伸びる導水管用地。村山貯水池並びに導水管の建設に併せて大正10年(1921年)、まずは東京市材料置き場(現在の福生駅東側)から横田(現在の横田基地)までの軽便鉄道が建設されました。

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JR青梅線の線路を越えたところから横田基地まではこのような生活歩道が続きます。

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非常に狭く廃線跡とは思えないような箇所もありますが、地図上ではひたすら一直線であり分かりやすいです。

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しばらく行くと横田基地の滑走路が横たわります。

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サイクリングロードの野山北公園自転車道。スタートは横田基地の北西側。廃線跡は羽村堰から横田基地とIHI航空宇宙事業本部瑞穂工場を跨いで続いています。

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ちなみに私はハローサイクルと言うシェアサイクルの電動アシスト付き自転車にて移動しました。ハローサイクルは以前土浦で利用した事があるのですが、アプリをダウンロードするだけで借りられます。また都内近郊に於いてここ数年でサイクルポートが爆発的に増えたので、好きな場所で借りて好きな場所に返す事が可能。

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早速ですが見事な桜並木です。昭和2年に村山貯水池が完成しましたが、更なる人口増加を想定して昭和4年、北西側に山口貯水池(狭山湖)の建設を着手。

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地中に埋設された多摩川からの導水管が完成するとその上に昭和3年、羽村の砂利採取場から山口貯水池堰堤建設現場まで軽便鉄道羽村・山口線が敷設されました。

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当時は案内板にあるようなトロッコ列車が走っていました。写真はドイツ製のディーゼル機関車です。

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途中、残堀川を渡ったところで残堀砕石場跡地があります。ここでは多摩川で採取した砂利を砕石し、堰堤の建材用に砂利と砂、玉石へと分別していたそうです。

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中には入れませんが、奥にコンベアなどの基礎コンクリート構造物が見えます。

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昔この地域には雑木林と畑ぐらいしか無かったのでしょう、廃線跡は綺麗な直線を描いており、現在その跡地は神明緑道と言う地域の散歩道となっています。

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そう言えば多摩川の砧から中野区の野方、板橋区の大谷口までの導水管である荒玉水道道路(昭和9年竣工)も起伏を繰り返しながら住宅街を真っ直ぐぶち抜いていますね。これは基礎工事の段階で杭を打てないから建物を建てられないと言う事情があるそうです。

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近隣住民の方以外にも、遠くから花見やサイクリングを楽しみに来たと言う方も多くいました。

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多摩川から東へ真っ直ぐ伸びていた廃線跡ですが、六道山が近づくと若干カープを描きます。

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神明緑道の終盤にまたサイクルポートがありました。ただ止める所が全て埋まっている時は、ここでは返却出来ません。自転車の返却はアプリのマップで返却スペースの空いているポートを探して返却予約します。ただし予約後30分以内に返却しなければキャンセルされるので、返す直前に探して予約を取りましょう。あと、返却した後も近くに駅やバス停がある事を確認する事も重要。

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廃線跡の西側、丘陵地の麓に野山北・緑道山公園があります。再訪した時は多摩モノレールの終点上北台駅よりコミュニティバスの総合運動公園行きに乗り、終点ひとつ前の村山温泉かたくりの湯バス停で下車。東村山市立歴史民俗資料館前のサイクルポートで自転車を借りました。この資料館には軽便鉄道の現役当時の貴重な写真や資料が展示されております。資料写真画像の使用許可を取ろうとしましたが、学術研究などの名目がないと厳しいそうです。しかし、この記事を書くについて非常に参考になりました。

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さて、ここからが本来の目的。狭山丘陵に入り、多摩湖こと村山貯水池へ向かいます。まず迎えるのは横田トンネル。この横田トンネル前にもコミュニティバスのバス停があります。

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元々線路幅の狭い軽便鉄道のために掘られたトンネルなので、自動車などは通れず自転車及び歩行者専用となっています。

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トンネルを抜けるとすぐ次のトンネルが。

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こちらは横田トンネルの東側出口。確かトンネルにはちゃんと出口入り口の概念があると思いましたが、とりあえずここでは多摩川側から多摩湖側へと進む方向で入り口と出口を使い分けます。

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2本目のトンネルは赤堀トンネルと言います。トンネルの入り口や内部はとても昭和初期の物とは思えないので、自転車道として再利用する際に改修された物と思われます。

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赤堀トンネル東側出口。1度目に訪れた時、丘の上の桜が咲いていたらと思ったので再訪。

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3本目は御岳トンネルです。それぞれのトンネルは崩落を防ぐため内壁を補強していると思われるので、当時は内径ももっと広かったのでしょう。言ってしまえば軽便鉄道当時の遺構はほぼ見れないに等しいのかも知れません。

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御岳トンネルを抜けると雑木林。いよいよ村山貯水池の丘陵地帯に迫って来ました。

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御岳トンネルの東側出口。そんなに高い丘を越える訳でもないので、むしろ切り通しでもいいような気もしますが。

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ひと山越えた所で雑木林の中を若干下って行きます。廃線跡とは思えないくらいの走りやすさ!

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ため池に出た所で廃線跡は大きく左へカープします。村山貯水池周辺は湧水も多くあるので、これは昔からある農業用のため池でしょうね。

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4番目は赤坂トンネル。

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出口付近は地下水が染み出すのか、アクリル板で覆われています。

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赤坂トンネルの東側出口。ここからの自転車道はもう生活道として使われていないようで苔むしています。

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そして道の終わりは突然やって来ました。ここから右へ折れて山道を下りれば一般道に抜けられます。

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だが直進!ここからはガチな廃線跡となります。

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やがて最後のトンネルが見えて来ました。1度目に訪れた時、前日の雨で地面は相当ぬかるんでいました。

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今までのトンネルは自転車道として整備されたため名称がありましたが、このトンネルは当時のままなので5号隧道と呼ばれています。そしてこの先は水源地となるため立ち入り禁止です。

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多摩湖畔のサイクリングロードを走り村山下ダムまで来ました。昭和2年竣工の巨大なロックフィルダムです。私がまだ20代の頃、北西側すぐ隣にある狭山湖畔を周回するオフロード(林道)までマウンテンバイクの練習に通っていました。当時不法投棄とかも酷かったから、今はもう閉鎖されているんだろうな。

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この堰堤は戦時中の昭和18年、米軍による爆撃を想定して嵩上げ及びコンクリートのよる強化を行い、迷彩のため黒く塗られましたが、その時再び軽便鉄道が活躍したそうです。そして昭和20年、実際に爆撃を受けるも耐え抜いたとか。

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村山貯水池(多摩湖)とこの奥にある山口貯水池(狭山湖)は、多摩川からの疎水と豊富な湧き水、そして雨水を湛えて現在も東京の水資源を支えています。

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狭山湖と多摩湖に蓄えられた水は東村山浄水場を経て境浄水場まで送られて行きます。この水道施設も一直線に続いており、サイクリングロード兼遊歩道として使われています。この狭山・境緑道もまた沿道に見事な桜並木が続いています。

ちなみに多摩湖も狭山湖も桜の名所なので、例えば西武園ゆうえんち駅近くの中国割烹旅館掬水亭の敷地にあるサイクルポート(1回目に訪れた時に返却した所)で自転車を借りて、廃線跡の桜並木を抜けて羽村堰までサイクリングなんていかがでしょうか。羽村堰もまた桜の名所でさくら祭りが開催されています。およそ15キロ、1時間ちょっとで走破できます。

北海道河東郡上士幌町(1)、糠平温泉郷

 帯広から十勝平野を北上。旧士幌線のルートをバスで山間部まで進むと糠平ダムがあります。

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 音更川上流に水力発電のために造られたこのダムは、昭和31年竣工というかなり古いものです。

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 糠平ダムは今年、度重なる豪雨のため三カ所の水門全てを開いて一斉防水しました。水が勿体ないという理由から普段より放水をしていなかったため、急遽一斉防水した訳ですが、そのためダムの下流は岸が削られ、沢山の木々が流され、下流域の町でも被害が出るくらいの事態に陥ったそうです。

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 2016年9月現在、満水状態の糠平湖。今年は例年より2〜3ヶ月早く満水になったとか。

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 湖底には旧士幌線の旧線が沈んでいます。小さな集落も有ったそうですが、世帯数の少なかった事とダム湖が観光資源となる見通しが有った事などから、湖畔への移住は問題無く進んだそうです。

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 糠平湖の湖畔、南東の手前に広がる糠平温泉。ホテルや旅館、ペンションなど十軒近くの宿泊施設と、小さなスキー場などがあります。

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 外装こそ老朽化が隠せませんが、結構立派なホテルもあります。国立公園内になるため、廃業したら解体して更地にしなければなりません。そのため目立った廃墟もありません。

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 旧自然博物館跡。現在施設は温泉街入り口に、ひがし大雪自然館として新しい建物が建っています。この廃墟も近い内に解体されるのかもしれません。

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 ただ、所々に人の住んでいる気配のない廃屋は点在しています。

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 実に歴史を感じる木造建築ですが、ダム完成の昭和30年代と思われます。

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 標高が高いためか、すでに紅葉も色付き始めています。

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 温泉街を歩いていたら野生の鹿が!

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 5頭の群れが空き地で草を食んでいましたが、人に馴れているのか逃げようとしません。この空き地、廃業した大型宿泊施設の跡地で、更地の中央には使われなくなった源泉井戸があります。そのため地面が暖かく鹿が寛いでしまうとか。

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 今回宿泊したのは元祖湯元館。
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 昭和元年、糠平で初めて温泉施設を造り、源泉の権利も所有しているとか。最初は湖水荘という宿に泊まろうと思ったのですが、残念ながら数年前に廃業したそうで、ここに決めました。

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 館内には温泉が流れるパイプが張り巡らされており、暖房として利用されています。

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 浴槽は広く中央の源泉口からナトリウム・塩化物・炭酸水素塩泉がダバダバと涌きだしています。源泉に近いため温度が高く、加水して調整していますが、柔らかくスベスベな肌触りのお湯は温泉成分を充分感じられるものです。

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 男湯の外に女性用脱衣場を設けた混浴露天。女性専用露天も女湯の外にあります。この露天風呂が北海道の原生林を眺めながらゆっくり浸かれるもので、なかなか気持ちいいです。
 この宿は一泊二食付き8千円と安く食事も満足いくもので、宿の方々の人当たりも良く、素晴らしい宿でした。

※追記
糠平温泉湯元館は2017年の夏、売却先を探すと発表。同10/10よりリニューアル工事が開始されたそうです。今後日帰り入浴施設として存続するのか、宿泊施設として復活されるのか。お出掛けの際は問い合わせの上で。

埼玉県秩父浦山地区(1)、ダム湖と限界集落

 秩父鉄道で終点三峰口の少し手前、浦山口という駅があります。すでに山奥と言った感じですが、都心からも来やすく秩父鉄道ではSLも走っておりキャンプ場などもあるので、夏などは多くのレジャー客が訪れます。

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 そこから荒川の支流、浦山川を少し遡ると浦山ダムが見えてきます。

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 私はひたすら県道を歩いて登りましたが、実はこのダムの中に見学者向けのエレベーターがあるのだと、後から知りました。

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 ダムの上は人造湖、秩父さくら湖。浦山ダムは1978年、寄国土地区他49戸の水没住戸が補償交渉に合意し、1998年に完成します。水没した集落もありましたが、浦山川流域の集落はそのほとんどが山の斜面の高い土地にあったため水没を逃れる事が出来ました。

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 湖面を見下ろす形で斜面に張り付くように広がる道明集落。

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 ダム湖が出来る前は険しい谷の上にあった集落ですが、今では湖畔となっています。

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 高齢者しか残っていない、いわゆる過疎化による限界集落というやつです。

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 当然ながら廃屋も多く見られます。

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 湖底へと続く道。谷底にはセメント工場が有ったようです。

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 大谷地区近くの祠。今ではダム湖に張り出した岬にある形となってますが、ダム完成以前はどういった場所に当たるのか、なかなか想像するのが難しいです。

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 湖畔最奥部から斜面を登った更に奥には日向地区があります。

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 寄国土(ゆすくど)トンネルの手前にバス停があり、ちょうどバスが来る時間だったので浦山川の上流域まで一気に、と考えていた時にやって来たのがバスと言う名のワンボックス車。

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 トンネルを抜けるとダム湖も終わり、上流域の集落へと出ます。

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 結局、過疎化した山里の風景を撮って終わってしまったのですが、後で調べてみたところダム湖の対岸には旧・若御子地区、寄国土トンネルを抜けた辺りから廃道を登った先には旧・嶽地区という、二つの廃村があったようです。
 なんてこった。廃村を前に引き返していたとは、なんたる不覚!

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 本数が非常に少ないバス(?)なので、終点で折り返して来たバスに乗り、そのまま西武秩父まで降りて来てしまいました。
 この浦山の集落を歩いてから、実はすでに四年もの歳月が経ってしまいました。廃村の存在を知った今、改めてリベンジするチャンスを窺っております。


埼玉県秩父市浦山地区(2)、廃村、茶平集落
埼玉県秩父市浦山地区(3)、廃村、嶽集落
埼玉県秩父市浦山地区(4)、廃村、栗山集落(前編)
埼玉県秩父市浦山地区(5)、廃村、栗山集落(後編)
埼玉県秩父市浦山地区(6)、廃村、山掴集落
埼玉県秩父市浦山地区(7)、浦山中学校跡と川俣小学校跡

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群馬県川原湯温泉、ダムに沈む温泉街

※この記事の写真は2012年11月に撮影しました。

 あと数年でダムに沈む予定の川原湯温泉。数年前の前原議員らによる工事中止騒動でマスコミに騒ぎ立てられ、その知名度が一気に上昇しました。

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 JR吾妻線もダムに沈む区間があるため、標高の高い位置に線路を移設する工事が進められています。

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 ダムに沈むJR吾妻線川原湯温泉駅と建設中の湖面一号橋。

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 木造の待合室。

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 すでに無人化されていますが、この古い駅舎もいずれ解体され沈んでしまいます。

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それにしても巨体な橋脚。

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 完成予想図を見るとこの橋脚のほとんどが水に沈むようで、水深の深さを実感させられます。

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 周辺の山肌ではすでにダム建設に伴う工事が進められています。

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 温泉街は駅前より山道を少し登った先にあります。

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 温泉街はダムが完成後湖畔となる山の上の方へと移転されます。知名度が上がったせいか、多くの宿が撤退した今になって、ひっきりなしに車が通ります。皮肉なもので、沈む前に温泉に浸かろうと多くの観光客が訪れていました。

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 引っ越しもだいぶ完了しましたが、移転ではなく廃業の道を選び、この地を去った旅館や店舗、家なども多く存在します。この時点では四軒ほど営業を続ける温泉宿を残すくらいで、建物の解体工事もだいぶ終わっていました。

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 沈む運命だとしても、ちゃんと解体して更地にしておく辺りが何とも律儀。

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 崖の斜面に源泉があるため、宿泊施設なども基本的には崖にへばり付くように建てられています。

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 この温泉街は源頼朝が開湯したという古い歴史があり、温泉街には三軒の外湯が存在しました。その内の一軒、笹の湯は2011年閉鎖された様子。ただこの外湯、よく見れば混浴だったんじゃないかな。

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 源頼朝開湯の外湯である王湯は男女別。こちらは有料で600円となります。この建物の足元に源泉があり、お湯が濃いいです。川原湯温泉の温泉宿は半数以上がこの王湯源泉から引っ張り、残りは数十メートル上にある新源泉から引いていました。

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 数年前、まだ工事中止の話が持ち上がる前で知名度も無かった頃、川原湯温泉に泊まった事があります。その時の宿は既に解体され、その向かいの高級老舗旅館(写真)も解体されてました。

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 右上の高台には温泉神社があり、鳥居をまっすぐ進んだ奥には新源泉があります。ともに、湖底へ沈んでしまう運命にあります。



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