スーパー銭湯

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埼玉県深谷市(1)、旧中山道沿いの宿場町

深谷と言えばネギしかない。そんなイメージの街が新紙幣の肖像となった渋沢栄一生誕の地として大フィーバーです。

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東京駅駅舎の赤煉瓦がここ深谷の地で造られた、と言う事で東京駅を模した深谷駅舎。実際の煉瓦ではなく煉瓦色のタイル張りですが。

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駅前にやたら広い空き地が広がっています。再開発計画推進中との事ですが、閑散とした駅前の雰囲気を助長していますね。

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駅から東へ。旧中山道まで出ると旧道沿いにスペースが。これは道路拡張計画に伴い、沿道の古い建物を一掃した痕跡。こう言う道路拡張工事って、土地取得に手間取って何十年も掛かったりするんですよね。そんな絵に描いた餅みたいな再開発のために、どれだけ多く貴重な建物が解体された事か。

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さて、旧中山道の深谷宿を日本橋寄りから北へ歩いて行く事にしましょう。こちらの建物はお米屋さんの「だいまさ」。江戸末期の創業だそうです。

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倒壊寸前の建築物もあります。いわゆる倒壊の危険性がある空き家で、まず市町村による調査、指導が入り、所有者がそのまま解体しなければ勧告や命令が入ります。それでも所有者の高齢化やそれに伴う解体費用の問題などで放置が続いたら行政代執行となります。

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なぜか伊香保温泉の観光ホテル「古久家」の看板。古久家は現存しているみたいです。近くに看板屋さんがあり、伊香保にお得意さんが多かったようで。

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向かい側は看板建築のように見えて実は昔ながらの商家と言う。古い建物が次々と解体され歯抜け状態になると、以前隠されていた建物の奥が見えちゃうんですよね。

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こちらは旧街道沿いの街並みでボスクラスの建物、塚本商店さん。元は燃料屋として日本煉瓦製造株式会社に石炭を納めていたそうです。大正元年(1912年)建造でウダツのような赤煉瓦の防火壁が迫力あります。

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深谷宿は前回の記事、鴻巣宿同様江戸期に中山道の宿場町として栄え、街道でも最大規模の町だったそうです。

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街道を歩いて行くと見世蔵なども残っています。詳細は不明。

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こちらの建物は小林商店。赤煉瓦倉庫は大正元年(1912年)建造で砂糖や乾物などを貯蔵していたそうです。木造3階建の洋館は昭和2年(1927年)建造。

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こちらは江戸末期の嘉永元年(1848年)創業の造り酒屋、藤橋藤三郎商店(藤橋酒造)。煉瓦煙突は大正時代に建造された物。深谷には何軒か酒造会社がありますが、軟水の井戸水が酒造りに適しているそうです。

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こちらは大正10年頃建造の福島邸。煉瓦造りのウダツが洒落ています。

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裏手には見事な煉瓦建築が続いていますが、これはこんにゃく原料倉庫兼製造工場だそうです。

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こちらは田中藤左衛門商店(七ツ梅酒造)跡。現在ではもう酒造りをやめてしまいましたが、当時の建物がそのまま保存されており、中を見学できるようになっています。

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入り口ではこの建物の修繕維持費のため、入場料100円を寄付の形で納めます。中には古書店やカフェなどになっており、多くの観光客が訪れていました。

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またこの建物はネットフリックスのドラマのロケ地に使われており、撮影当時の小道具などがそのまま残されていて、独特な雰囲気が醸し出されています。

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この田中藤左衛門商店は元禄7年(1694年)創業で平成16年(2004年)廃業。以降、一般社団法人「まち遺し深谷」が跡地の管理を行っているとか。

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巨大な蔵はイベントや映画の上映などに活用されています。

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こちらは明治末期創業の糸屋製菓店。店頭には最中や羊羹などが並べられていました。

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間口が狭く奥に長い鰻の寝床なので、建物の奥が見どころだったりもします。

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こちらは関根弁之助商店。詳しくは分かりませんが肥料関連の会社のようです。ただこの関根弁之助と言う人物は大正8年に現在の深谷倉庫を設立しており、埼玉県倉庫協会長や深谷町議を歴任されていたそうです。

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こちらは春山邸。詳細は不明ですが敷地内の蔵は江戸末期の物と明治期の物が残っているとか。

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随分北へと歩いて来ました。こちらは現役の造り酒屋、瀧沢酒造。

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脇道を入ると見事な煉瓦塀が続きます。埼玉県小川町にて文久三年(1863年)に創業。明治30年(1897年)良質な水を求めてこの地に移転したそうです。

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ちょっと覗いて見ました。事前予約すれば見学可能だそうなので、一度ちゃんと見学してみたいですね。

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昭和5年(1930年)建造の煉瓦煙突がどこよりも高く、しかも円筒型で立派です。コンクリート煙突は円筒型ですが煉瓦煙突はその殆どが四角柱の形状を成しています。

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レンタルサイクル借りればよかった、と思うほどに足がガタガタになりました。と言う事で深谷市街南の外れ、17号線にあるスーパー銭湯「国済寺天然温泉美肌の湯」。関東のスーパー銭湯には珍しく無色透明な単純温泉。循環濾過ですが加水してないのか、滑り感もあるしっかりとした浴感。期待以上に良いお湯でした。

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さて、次回は日本煉瓦製造専用線跡を巡ります。

【日記】埼玉県戸田市のスーパー銭湯

最近戸田に用事があってちょいちょい通っているのですが、検索したら近くにスーパー銭湯がある事が分かりました。

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戸田公園駅から西へ10分も歩けば物流倉庫だらけで車社会。巨大ホームセンターや駐車場完備のドラッグストアや飲食店。ここ彩香の湯も一階部分が全て駐車場となっております。

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2階がエントランス。開業は2005年ですが、リニューアルされている様子。元はガソリンスタンドだった土地に温泉コンサルティング会社が日帰り入浴施設を建てたとか。料金は1100円で戸田公園駅と高島平駅それぞれから1時間に一本、無料送迎バスが運転されています。

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露天風呂の画像は公式サイトよりお借りします。地下1500mより汲み上げるお湯は褐色でナトリウム塩化物強塩温泉。加水加温循環濾過で微かなぬめり感もあるがスベスベの浴感。

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ただこちらには加水加温無しの源泉100%浴槽があります。こちらは本来の黒湯で、源泉温度39.5度のぬる湯。温度の低下や湧出量から2〜3人しか入れない浴槽ですが、自噴で毎分780Lも湧いてるならもっと贅沢な掛け流しなんかも出来そうですが。ともあれ首都圏でも数少ない加温加水無しのお湯に入れる施設は貴重です。纏わりつくようなお湯で、日本温泉協会からも五つ星を認定されているとか。

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天ざるそば、1300円。意外と蕎麦がしっかり美味い。お湯、施設ともに、スーパー銭湯としてはなかなか素晴らしい施設でした。

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もう一軒、戸田公園駅から東側に行ったところにある七福の湯。こちらは施設の巨大さとサウナへの力の入れようが印象的。

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ちょうど戸田公園駅と川口駅の中間ぐらいに位置し、ショッピングモールのララガーデン川口が隣接しています。家族連れのお客さんで結構混んでいました。

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露天風呂の画像は公式サイトより。地下1400mから機械式で汲み上げるナトリウム塩化物温泉は39.4度で湧出量は毎分423ml。加水加温循環濾過に塩素消毒と言う関東のスーパー銭湯では一般的なお湯ですが、浴感は彩香の湯と非常に似ています。
ただこの施設はとにかくサウナに力を入れており、いわゆるサウナーが集まっているようです。私はサウナはからっきしなのでよく分かりませんが。
ただ気付いたんですがここ、自宅から自転車で来れる距離にありました。平日950円だし、また来ようかな。

埼玉県児玉郡神川町、上武鉄道(日本ニッケル鉄道部)廃線跡

※学生時代のバイトの先輩で幾度か一緒に旅をした方が、上武鉄道廃止直後の廃線跡を訪れていました。その時代の貴重な写真をお借りする事が出来たので、記事に追記いたします。(6月6日)

日本ニッケル専用線(上武鉄道日丹線)廃線跡を訪れました。

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ここ最近、自分的にも何かと注目している八高線。セメント輸送で注目していましたが、戦前の軍需産業と言う側面に於いても昭和6(1931)年開通した国鉄(当時は鉄道省)八高線は重要な役割を担って行きます。

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起点は八高線丹荘駅。緑色のフェンスの向こう側に、かつて上武鉄道丹荘駅がありました。単線の八高線で貨物列車がすれ違うための線路が構内にありますが、現在は使われておりません。

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まずはバスで中間地点である神川中学校前まで。さすがに全線踏破するつもり(体力)はありません。まずは神川中学校前駅跡から。

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ちなみにこの神川中学校前駅跡は中学校が創立した昭和40年の翌年、昭和41(1966)年に開業しました。駅名標は廃止後、遊歩道が整備されてから建てられた物。

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こちらが廃止からおよそ2年後、昭和63(1988)年頃の神川中学校前駅。

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さて、上武鉄道日丹線(旧・日本ニッケル専用線)を歩いていきます。廃線跡の大部分は現在遊歩道として整備されています。

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この線路は昭和16(1941)年、当初神流川(かんながわ)対岸の群馬県多野郡にあった多野鉱山と精錬所、及び埼玉県児玉郡にあった若泉製鋼所の日本ニッケルから八高線の丹荘駅まで、専用線(日本ニッケル鉄道部)として開通しました。

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沿線では麦が収穫時期を迎えていましたが、二毛作の場合6月に入ってから稲作へと切り替えられます。ちなみに日本ニッケルは昭和11(1936)年、軍需産業に必要とされるニッケルの精製、並びにクロム鉱石の産出のため設立されました。

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こちらは数少ない遺構のひとつ。戦後ニッケル鉱山の閉山により本来の役目を終えましたが、地元の要望もあって日本ニッケル鉄道部が昭和22(1947)年より旅客営業を開始しました。日本ニッケルは鉱山の閉山後も鉄工所として存続されたため、列車は貨車と客車の混合列車で走っていました。

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その日本ニッケルは昭和35(1960)年、朝日化学肥料に吸収合併され西武化学工業となり、その後西武流通(後のセゾン)グループの傘下へと入ります。それに伴い日本ニッケル鉄道部が独立、昭和37(1962)年上武鉄道が設立されました。ちなみに路線は電化されず前期は蒸気機関車、後期はディーゼル機関車による牽引で、貨物列車に客車が1両だけ連結される編成でした。

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廃線跡は途中、神流川(かんながわ)から取水される用水路と並走します。上武鉄道は貨物輸送がトラック輸送に変わって行った事や利用客の減少などから、昭和61(1986)年廃止となりました。会社自体は通運会社としてしばらく存続していましたが、平成10(1996)年事業を停止します。

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ちょうどこの辺りに青柳駅と言う駅があったそうです。現在その痕跡は残っていません。

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沿線には青柳古墳群と言って古墳が幾つも残っています。関東平野って本当に古墳が多いです。西武化学工業は1991年、朝日工業と社名を変えて1996年セゾングループからも独立し、今に至ります。

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遊歩道は途中、一般道となる区間もあります。ちなみに元来日本ではニッケルがほとんど採掘されません。たとえ埋蔵されていても0.3%のニッケルを含むニッケル粘土しか出て来ないうえ、採掘するための費用に対してその産出量が釣り合わず採算も全く取れません。

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こちらは恐らく沿線に並んでたであろう木造電信柱。ニッケル鉱石は本来出土しないため輸入に頼るしかないのですが第二次大戦前、開戦したら資源の輸入が困難になると分かっていたので、昭和8(1933)年発行の5銭と10銭硬貨をニッケル硬貨にして備蓄したりもしたそうです。ちなみに現在でもニッケル合金は50円玉と100円玉に使われています。

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鉄道の遺構として盛り土された路盤がそのまま残っています。現在ニッケルの用途は主にステンレスですが、ニッケル合金は錆びず粘り強く耐熱性も兼ね揃えています。そのため航空機や装甲など軍需産業には特に必要不可欠の素材でした。

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しかし当然備蓄だけでは全く足りず、戦時中はインドネシアからの輸入に頼る事になります。しかし戦局が悪化するとニッケルを積んだ貨物船が次々に沈められ、仕方なくニッケルを僅かに含んだ質の悪い鉱物を国内で採掘するしかありませんでした。終戦の翌日には日本のニッケル鉱山、特に大きかったのは京都と山口でしたが、全国で一斉に閉山となりました。それだけ国産のニッケル鉱物は酷かったのです。

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キジ!走るの速ええ!

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日本は粗悪な鉱物からどうにかニッケルを精製しようと努力を重ねた訳ですが、その精錬技術が戦後役にたつ事となります。現在日本は、原材料の鉱石を一切産出しないのにも関わらず、ニッケルの生産量が世界第3位となっています。これは東南アジアで採掘されたニッケル鉱石を、日本(住友金属鉱山とJFEミネラル)が戦時中に培った製錬技術によって精製し、世界へと輸出すると言う構図に他なりません。

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終点の日本ニッケル(現在の朝日工業)の手前に残る寄島駅跡。

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ニッケルについて色々語って来ましたが、現在の朝日工業埼玉工場(旧・日本ニッケル)では鉄スクラップを溶かして再利用し、建材としての鉄筋を製造しているのみ。

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こちらが廃止からおよそ2年後の寄島駅。

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寄島駅跡の先にある、唯一残された軌道跡。かつての踏み切りですが、奇跡的に残っていたようです。

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踏み切り跡の先で遊歩道は終了となります。廃線跡の散策はここまで。

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今ではすっかり見えなくなってしまいましたが、この先に鉄橋があります。

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こちらがその鉄橋。沢を渡る鉄橋で、奥に見えるのは神流川。

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当時はちゃんと見えていたようです。

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こちらが日本ニッケルを前身とし、西武化学工業を経て朝日工業となった工場。鉄鉱石からコークスを使って溶かす高炉のある製鉄所とは違い、ここは鉄屑を電気炉で溶かし建設用の鉄筋などに再利用する工場となります。

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廃止当時は西武化学工業で、貨物駅の駅名も西武化学前駅でした。

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鉄屑が搬入され、鉄筋材が出荷されて行きます。要はリサイクルですが、金属製品によっては鉄屑リサイクルの方が多い物もあります。もちろんただ鉄屑を溶かして鉄筋にするだけでなく、錆びない、つまり酸化しないように高アルカリ性の皮膜でコーティングします。

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そんな訳で廃線跡を歩きながらニッケルについても調べて見ましたが、もうひとつの目的はここ、7年前に訪れた日帰り入浴施設白寿の湯

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こちらは公式サイトからお借りしました。この鉄分豊富な鉱泉による澱出物で鍾乳洞状態となった床。加温循環濾過しながらも源泉も掛け流されています。露天はぬる湯ですが、ゆっくり浸かれば至福の時間。埼玉県内の入浴施設では最高と謳われております。鉄工所の隣で酸化鉄まみれと言うね。

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以上。余談ですが帰りの八高線で、群馬藤岡駅に停車した際検査車両、キヤE-193系とすれ違いました。

埼玉県東松山市(2)、巌殿山正法寺と門前町

日本セメント専用線を歩いた後、高本駅跡地からゴルフ場のある丘陵地を越えていきます。

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一応峠になります。すでに2時間近く歩いており、ちょっと無茶しました。

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峠を越えて小川沿いに田園を下って行くと集落が開けて来ます。火の見櫓も最近では随分少なくなってしまいました。

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大東文化大学のある丘陵地の手前の谷間に、巌殿山正法寺(巌殿観音)とその門前町が広がっています。

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今では普通の住宅街のようになっていますが、かつて門前町として栄えていた頃の歴史を残そうと、当時の屋号などが各お宅の前に掲げられています。目薬屋?

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畳屋さんは今でも畳屋としてやられているようです。他にも鍛冶屋、塗師屋など、坂の下の方には職人が集まっていたようです。

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坂を上りお寺さんに近づいて行くと宿坊などが増えて来ます。今は空き地になっていてもそこに何が有ったのかは必ず掲げられています。

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大黒屋さんは宿坊と言うより旅籠か何かだったのでしょうか。

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丁子屋と言う屋号は茶屋などに多く用いられています。山門の手前に建っているので、休憩所のような役割だったのかも知れません。

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山門から急な階段を登って行きます。巌殿山正法寺は西暦718年(奈良時代)に開山された真言密教のお寺で、坂東三十三ヶ所の第十番札所です。

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階段を登り切って振り返ると、門前町の全景が見下ろせます。

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磨崖仏ではありませんが、岩肌に穿たれた窪みに沢山の石仏が安置されています。

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元々はこのような巌窟に観音像が安置されていただけでしたが、この地を訪れ竜退治をした坂上田村麻呂が都に戻った際御利益を伝えた事から、桓武天皇によって796年に伽藍を建立されたそうです。

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想像以上に巨大な観音堂。鎌倉時代には東松山一帯を治めていた比企氏が帰依した事から源頼朝や北条政子の庇護も受けていましたが、後の戦国時代、東松山の松山城を奪った上杉憲勝に対して北条氏康が周辺の寺社を焼き払った際、ここも焼かれてしまいました。その後幾度か焼失しますが、現在の観音堂は明治時代に移築した建物だそうです。自分は古代から中世の歴史に弱いです。

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観音堂の脇には樹齢700年を超える大イチョウがあります。室町時代から江戸時代にかけて札所として栄えた巌殿観音ですが、明治初期の廃仏毀釈運動をきっかけに門前町共々衰退して行ったそうです。

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昭和に入り戦後巌殿山や物見山などがにわかに観光地として賑わった時期もありましたが、現在も札所巡りとして地味ながらも訪れる方はおられます。

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3時間以上歩き通したのは久しぶりです。と言うわけで、最後に東松山郊外の日帰り入浴施設、蔵の湯東松山店に立ち寄りました。

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地下1200mより汲み上げられる鉱泉は無色透明なナトリウム塩化物強塩泉。天然温泉浴槽は露天の1ヶ所のみで循環濾過。基本掛け流されず加水率50%未満の井戸水加水で、時々源泉が投入される感じです。毎分37.3Lの湧出量なので致し方ないでしょう。いや、先月行った行田の茂美の湯の400Lって言うのが異常なだけであって、普通はこんなものか。しかしオーバーフローさせずに循環濾過させると、人が多い時など水面に汚れが浮いてしまいますね。内湯だったらジェットバスでなんとなく誤魔化せますが。


千葉県成田市(2)、東成田駅(旧・成田空港駅)

千葉県成田市(1)、空港シャトルシステムと成田駅周辺
成田空港はスカイアクセス線で随分と便利になりました。スカイライナーじゃない方の通勤型車両による特急に乗れば、標準軌の線路で長い直線区間を轟音を立てながら無理矢理飛ばしまくります。頑張れスカイアクセス特急!

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到着したのが成田空港第1ターミナル。飛行機の利用以外で訪れたのは2回目となります。

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今回の目的地はここ、東成田駅。空港第1ターミナルと第2ターミナルの中間辺りで無茶苦茶空港敷地内になります。東成田駅までは空港手前で京成本線から分岐する京成電鉄。ひと駅先の芝山千代田駅までが第三セクターにより1992年末開業した芝山鉄道。相互乗り入れはしてますが、鉄道会社としてはひと駅しかない、日本一短い鉄道です。

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最近テレビでも紹介されたのでご存知の方も多いかと思われますが、この駅はかつての京成成田空港駅だった場所。

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京成電鉄は成田空港建設当初、現在の第1ターミナルおよび第2ターミナル直下に駅を建設する予定でした。しかし当時、成田新幹線の建設計画が有ったためターミナル直下へのアクセスを新東京国際空港公団が渋り、その結果運輸省が施工認可を保留したそうです。

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結果、京成電鉄はどちらのターミナルからも離れている中間地点に駅を建設せざるを得なかったのです。

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東成田駅は1978年5月、京成電鉄成田空港駅として開業しました。そして1987年の国鉄分割民営化に伴い計画が消滅した成田新幹線計画用地に1991年、第1ターミナル直結の現・成田空港駅、1992年同用地に第2ターミナル直結の空港第2ビル駅が開業(JR東日本も同時に開業・成田エクスプレス運行開始)したため、空港駅としての役目を終えました。ちなみに現在JR成田空港支線と京成本線から成田空港の敷地内に入る線路に関しては、第三セクターの成田空港高速鉄道が所有しています。とても複雑。

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パーティションで隠された中に、当時空港駅だった頃の名残りが見受けられます。

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武富士のポスター!しかも1989年ルマンの武富士ポルシェ!

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当時営業していた喫茶店の跡も廃墟となって残っております。

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この旧・成田空港駅から当時使われていた、第2ターミナルまでの地下通路が残っています。

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まずは150m歩いてこの突き当たりを左へ。

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そこから350m。合計500m歩きます。

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望遠レンズで撮ればこんな感じ、誰も歩いていない地下空間。途中至るところに監視カメラが設置されています。

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第2ターミナルに到着。普通に人々で賑わう、と言っても現在は閑散としていますが、成田空港国際線ターミナルです。

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さて、東成田駅(旧・成田空港駅)に戻って来ました。写真は改札内のコンコース。

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駅構内には成田空港駅の歴史を語るポスターが展示されています。

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現在の京成電鉄及び芝山鉄道東成田駅ホームの向かい側には、今では使われなくなり立入禁止となっている、当時終着駅だった頃のホームが残っています。駅名標は当時の成田空港駅のまま。

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ついでと言ってはなんですがお隣の終着駅、芝山鉄道芝山千代田駅まで足を伸ばしました。空港敷地の南東端になりますが、東成田駅、芝山千代田駅、共に駅周辺には空港の関連施設が多くあるため、働いている方々の通勤の足として機能しています。ただ、芝山鉄道の区間である終点の芝山千代田駅だけ交通系ICが使えません。何気に罠です。
ちなみにこの芝山鉄道の開業は、成田空港の東側に住む住民達が成田空港を突っ切って成田市に出れるようにと建設されました。その経緯には成田空港建設当時の反対運動なども絡んでいて、つくづく成田空港を取り巻く歴史は複雑極まりない。

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空港敷地の外側に日帰り入浴施設、空の湯があります。時間があったので何気なく寄ってみました。いわゆる大深度から掘削したモール泉で最近よく見るやつだろう、と思ったら、予想を上回る素晴らしいお湯に驚かされました。
内湯は人工温泉と人工炭酸泉。温泉は露天のみとなりますが、なんと源泉加温掛け流し。六畳ほどの狭い湯船が掛け流しで、隣の広い浴槽は加水循環濾過。壺湯や寝湯もありますが、それらは全て普通のお湯。つまり、少ない湧出量の中で100%源泉掛け流しを実現するためにあらゆる犠牲を惜しまないと言う、湯使いに対するこだわりが窺える施設なのです。
さらに隣の建物にはレンタルサイクルでマウンテンバイクやロードバイクが用意されていました。ここで自転車を借りれば近隣でバスが通ってない場所にある廃校跡も巡れる。しかも帰りに温泉に浸かれると言う。航空科学博物館や三里塚の防空壕など以前休館日で入れなかった場所もあるし、ここはまた来たいと思います。
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