ゴーストタウン

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茨城県つくば市(2)、無人と化した公務員宿舎群

ドリーム号の保存車両が目的で訪れたつくば市。しかし街を歩いているとその違和感に気づきました。

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こちらは地下駅であるつくば駅からそのまま線路と同じ方向、北東へと伸びるメインストリートを駅方向に見た所。商業施設は駅周辺にショッピングセンターの形態で集中しております。

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そのメインストリートを北西側に入ると、いきなり団地のような建物の廃墟が横たわっていました。

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奥に建つ高い建物も気になったので近づいてみます。周辺はすでに閉鎖されていますが、まさか。

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なんとこの建物も廃墟。そんなに古さは感じられないのですが。

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歩いて行くと団地全体が廃墟の様相。いや、正確に言うと住民の退去が完了し、解体を待っている状態と言った方が正しい。

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これらはそのほとんどが公務員宿舎で構成されていますが、一部市営住宅と公団住宅(UR)もあるとか。

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筑波学園都市の開発は高度成長期、東京の人口が爆発的に増加したことを受けて、首都機能の一部を移転する事から始まります。その中でまず、必ずしも都心にある必要のない附属機関や国立大学などを筑波山麓に移転すると、昭和38年(1963年)に決定。発案当初は第二の首都を造るぐらいの勢いがありましたが、現実的ではなかった。

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既存の集落を避け赤松林を中心に土地を買収し、昭和43年(1968年)に着工。東京教育大学(現在の筑波大学)を中心に各研究機関などが移転しました。その中にはJAXA、宇宙航空研究開発機構(旧・宇宙開発事業団他)や農研機構なども含まれています。

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昭和55年(1980年)に移転が終了する訳ですが、各省庁の反発もあり結局国公立の研究所と国立大学のみが移転するにとどまり、一部では学園都市計画は失策とも囁かれております。ともあれそこに働く方々のために建てられたのが、約8000戸にも及ぶこの巨大公務員宿舎な訳です。

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そして昭和60年(1985年)、筑波学園都市の知名度向上と民間企業の誘致を目的として科学万博、つくばエキスポ85が開催されました。

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これらの建物は昭和44年から昭和55年に建てられた物なので、アスベスト問題や耐震補強の問題を抱えています。リニューアル工事の道もありますが公務員宿舎利用者の減少、それにつくばエキスプレスによる将来性も考えて民間への売却と大規模再開発に乗り出したようです。

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それにしても合計で何棟あるのでしょうか。棟のナンバリングは地区ごとに100番代200番代と続き900番代まであります。都心の過密人口を緩和するための都市計画だった事と土地取得問題から、当時何も無い農村地帯に建設したと言うのも分かりますが、初期の段階から鉄道の敷設を計画していればまた状況も変わっていたかも知れません。ただそうすると結局都心に人が流れてしまうからあまり意味が無いのか、あるいは見放されていたのか。

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エキスポセンターの周辺では解体工事が行われています。平成17年(2005年)につくばエキスプレスが開通する訳ですが、それまでは自家用車で常磐自動車道(昭和56年開通)を走るか、高速バス(昭和63年開業)を利用するか、荒川沖駅までバスで出て常磐線に乗り換えるかしなければ、都心まで出られませんでした。
ちなみにつくばエクスプレスの開業によって、つくば市直行の高速バスを運営していた関東鉄道が大打撃を受けたと言う話も。

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現在解体工事が行われているのはこの吾妻2丁目住宅の南側のみですが、駅からも近いと言う事で中層住宅、つまり中層マンションの用地として民間不動産会社に売却されたようです。まぁこれだけ広大な敷地が有るのだから高層マンションなんか建てないわな。

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平成23年(2011年)に国家公務員宿舎の削減計画が公表され、つくば市内の公務員宿舎の約7割が廃止される事となりました。そこでつくば市は平成25年(2013年)につくば中心市街地再生推進会議を設置。跡地の利用などについて検討し始めます。

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この辺りはメインストリートの南東側。こちら側はすでに何棟ものマンションや戸建て住宅が建ち並んでいますが、このように解体されていない建物も。

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資料によればすでに平成17年に11ヘクタール、平成23年に4.9ヘクタールが売却されており、現在では解体前にも関わらずほぼ完売に近い状態だとか。

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結構高い棟もあります。これも無人でしょうか。

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無人でした。ここに住んでいた人々はどこへ行ってしまったのでしょう。新しい分譲マンションが立ち並ぶ地区もありますが、それにしたって退去された人数が多すぎる。

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駅周辺の分譲マンションや戸建て住宅などは、すでに解体された棟の跡地でしょうか。

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学園東大通りを超えてさらに駅から離れて行きます。しかし公務員宿舎を区画する樹木が育ち過ぎてえらい高さになっている。財務省の管轄ですが放置なのでしょうか。
元々公務員宿舎を減らす動きは住民の減少と言うのもありますが、不当に安い賃料で税金の無駄遣いと言う批判の声も多かったとか。

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樹木の裏側にはやはり無人の棟が。
しかし実際には公務員は転居を伴う転勤が多く、省庁にもよりますが短くて一年から三年で引っ越しを余儀なくされる人も多いとか。その退去時の費用(畳や襖の張り替え)と、入居時の費用(給湯器や網戸)などで毎回2〜30万自己負担しなければならないそうです。子供も転校しなければならないし、公務員は公務員なりに大変なのです。

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もし公務員宿舎が無く民間の賃貸マンションに入居するとなると転勤のたびに敷金礼金が掛かり、その費用は転勤を命じた役所が負担する事となります。また家賃の補助が月4万なら半額、それを超えたら4分の1、さらに6万超えたら超えた分の半分をさらに負担と、結局税収を圧迫する結果に繋がります。

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この建物などはまだ使えそうです。しかしつくばエキスプレスの影響で人気が上がりつつある街で、このような中古物件、しかも団地建築が売れるかと言えば疑問です。新しい街に引っ越すなら新築分譲マンションと考える人がほとんどでしょう。しかも財務省は宿舎の維持管理にお金を出さず、修繕工事がほとんどされていないとか。なのでリフォームするにも結構な費用が掛かるので解体するしか無いのです。

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こちらの棟は人が住まわれています。公務員宿舎は7割廃止と言う事なので、残りの3割に相当する棟でしょうか。ただ駅からは遠く、売却しても買い手が付かないだろうと言う基準で残されたのかも知れません。

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駅から随分と離れて来ましたが、こちらの棟も住まわれています。これでも公務員宿舎の全貌はまだ全然見ていません。また日を改めて南東方向に進んだ地区も見に来ようと思います。

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大規模分譲マンションの建設も同時に進められています。
に、してもです。8000戸の7割と言うと約5600戸、人数にすれば1万人もの人々がどこへ消えてしまったのか。公務員の人員削減、少子化、後継者不足(子供が公務員にならない)など様々な要因で住民が減ってはいましたが、統計によるとつくば市の人口は常に増加傾向にあります。公務員宿舎の方々が新たに周辺地域の賃貸マンションに引っ越されたとしても、現状一つの街が消滅したとも言えます。

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つくば駅の西側には新たに複合商業施設の建設が始まっています。つくばはエキスポの時から時代が一巡して、まさにゼロからの開発がスタートしたと言っても過言ではないでしょう。不動産業界、並びに私も関わる建設業界に於いてはビジネスチャンスでしょうね。今から筑波への通勤を覚悟しておこうかな、なんてwwww

千葉県茂原市(5)、国府関団地(再訪)と八丁寺団地

真名団地から八丁寺団地へ向かう途中、約2年半前に訪れた国府関団地の現状も見て来ました。

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徒歩10分少々なので立ち寄っては見ましたが、結論から言って何も変わっていませんでした。

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改めて見ると真名団地よりも5年古い昭和40年完成の市営住宅だけあり、木造一戸建てが目立ちます。

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長屋形式の棟は真名団地と同じような造りです。ただ茂原市営住宅あり方検討委員会のデータに記載されていない所を見ると、以前残られていた住民はもうおらず、すでに無人となったようです。

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とは言え解体工事は全く着手されておらず、工事計画の看板も無ければ封鎖もされていません。都内ではなかなか有り得ないことですが、いかんせん田舎なので浮浪者が住みついたりはしないのでしょう。

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公園の奥に見えるパチンコ屋の廃墟も残ったままです。

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さて、バスで一旦茂原駅に戻ります。正式名称は市営国府関団地なのにバス停の名称が原田団地となっている理由は不明。

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茂原駅前で昼食を済ませ上総牛久行きのバスで鷲ノ巣バス停にて下車。2019年に増水した一宮川を渡り八丁寺団地に着く頃には雨も止んでいました。

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ここは昭和42(1967)年〜昭和46(1971)年に建てられました。昭和45年〜50年に建設された真名団地よりちょっと古い感じですが、平屋建て長屋形式の建物はほぼ同じ形状となります。

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前記事でも触れましたが、全149戸中住んでおられるのは2021年の段階で53戸。ただここには一棟だけ3階建の棟があり、そこに多くの方が住んでいるように見受けられます。奥の方にチラッと写っているのが3階建ての棟。

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と言うのも平屋建てを見ている限りでは、とても3分の1も住まわれているようには見受けられないのです。

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ここもやはり北面に玄関、南面に居間と寝室及び縁側と庭と言った造りになっています。

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恐らくは木造モルタル造りかと思われますが、この平屋建て長屋形式は真名団地や国府関団地にも共通してありました。昭和40年代前半の地方の団地に於ける主流と言ったところでしょうか。

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その時代、都心では昭和30年代後半(1960年代)よりすでに鉄筋コンクリート造5階建ての団地が主流となっております。土地に余裕がある地方と高度成長期に入り急速に人口が増加して行った都心との違いと言ったところ。

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思えば去年訪れた佐野市市営石塚団地も全く同じ造りをしています。

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中央には広場と集会所があります。かつてはこの広場で盆踊りなども催されていたとか。

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すでに使われなくなった公園もあります。少子高齢化や過疎化が進んでいる現状は公園を見れば分かります。

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奥の方には木造一戸建ての棟もあります。国府関の後にこの八丁寺が出来て、その後に真名が出来ると言う時代の変換を垣間見れます。

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玄関の隣の勝手口に屋根を増設した家もあります。洗濯機置き場や倉庫として使っていたのでしょうか。賃貸ですがこう言った改造は昭和の時代、結構緩くて自由だったところがあります。

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ちょっとだけ内部が見える空き家がありました。この団地には主に東北地方から引っ越して来た方々が多かったとも聞きます。

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右から便所、玄関、ガスメーター、キッチン、勝手口付き風呂場、ボイラーの排気口の順番に並んでいます。茂原市は意外にも天然ガス生産量日本一の都市なので、早い段階で都市ガスが整備されていたのかもしれません。

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戦後の住宅事情を受けて建設ラッシュを迎えた団地の歴史は主に昭和30年代から50年代。東京近郊に日本住宅公団(現・UR)と自治体による公営団地が次々と建設され、ここ茂原市の市営住宅は「後期」の建築物と言えます。昭和40年代、都市部で飽和状態になって来た末に、地方へとその流れが広がって行ったのかも知れません。
それにしても茂原市は面白い。掩体壕巡りも出来れば素掘りの隧道巡りも出来るし、今回は終末市営住宅巡りも出来ました。レンタルサイクルでも有れば最高なのに。

(注意)
八丁寺市営住宅にはまだ生活されておられる方々が居ます。もし訪問する場合はくれぐれも入居者の方々のご迷惑にならぬよう注意して下さい。

(追記)
八丁寺団地の近くを流れる一宮川が2019年に氾濫した事で、護岸工事や治水工事を2030年の完成に向けて工事をしていたのですが、残念な事に2023年9月8日台風13号に伴う線状降水帯により氾濫してしまいました。被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。

千葉県茂原市(4)、ゴーストタウン化が進む真名団地

2020年10月、素掘り隧道群を撮りに行った際に偶然ゴーストタウン化している国府関団地を見つけたのですが、実はそのさらに奥、西側にもっと巨大でゴーストタウン化している真名団地があったと言う事を知りました。

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今回は以前からちょいちょいチェックしているブログ埼玉発おとなの小探検様の記事を読み、こりゃ即座に行かねばなるまいと思いニ年半ぶりの茂原市。茂原駅からバスに乗り原田バス停で下車。団地の入り口には魚屋さんと思われる唯一の商店の跡があります。

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折しも線状降水帯による豪雨の中。午後には雨が止むとの予報で無理矢理敢行しました。

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団地は県道から北へ向かってメインストリート。県道に近い側は東側を中心に平屋建て長屋造りとなっております。

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ちなみに今回、団地があまりにも巨大なので写真の枚数がかなり多くなってしまい、選びきれないので掲載する点数も多くなります。

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平屋建て長屋は北に向かって玄関があります。一棟につき4〜5軒、玄関と勝手口がそれぞれにあります。このスタイルは最近様々な場所で見て来た、昭和40年代の平屋建て集合住宅の造り。

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南面には縁側と庭。居間と寝室が庭に面したバストイレ付き2DKと言った間取り。

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国道から奥、つまり北へ進むと、二階建てばかりになって来ます。右手、つまり東側に丘陵。

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左手、つまり西側は斜面の下に水田地帯。棟と棟の間は鬱蒼と草生しております。

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この市営真名団地は主に2階建ての棟を中心とし、平屋建ても含めておよそ60棟、全299戸からなる巨大な市営住宅です。

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ちなみに2021年5月の時点で入居者は23戸。現在「茂原市営住宅あり方検討委員会」により、新規入居者は募集せずにこのまま廃止すると言う方針が決定しています。

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団地の中央には公園もありますが、遊具は雑草に埋もれております。もはや子供が居ないのでしょう。

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造成されたのは昭和45(1970)年~昭和50(1975)年。以前訪れた国府関団地が完成してから5年後になります。

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ただこの真名団地は敷地面積が広大で、借地が約6割を占めるそうです。恐らくですが茂原市が農地を持っていた地主に借地料を払い続けているのでしょう。

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茂原市的には早く解体したい気持ちも有るのかも知れませんが、立ち退きに対する補償金を出す程財政事情は良くないでしょうし、やんわり退去をお願いする程度かも知れません。しかし高齢者にとって今更引っ越すにも資金や体力がありませんし。

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例えばこれが都心の再開発であれば、都や区に対してゴネてもせいぜい2〜3年先送りになる程度。資金面に於いても全然事情が変わって来ます。特にオリンピック前の再開発なんかは苛烈でした。

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さらに実際解体工事を行う場合、莫大な費用がかかるなど様々な課題があるため、どのような方針で用途廃止を行うべきか茂原市営住宅あり方検討委員会が文字通り検討を重ねているそうです。

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いずれにしても現在住まわれている住民が引っ越すか亡くなられるかしないと、解体工事は始まりませんし、跡地の活用に良い案もありません。工業団地にしたって企業誘致や環境への配慮などの問題が立ち塞がります。

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ここで例えば、とある企業が広大な敷地を使って老人ホームを建てるなんて計画が持ち上がれば、渡りに船なんでしょうけれどもね。

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国道に近い平屋建ての棟では明らかに住まわれているお宅をポツポツ目にしましたが、奥に進めば進むほど人の気配が無くなって来ます。

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ほぼ最奥部に近い所に電話ボックスがあります。明かりがついてるので現役だと分かりますが、ここ夜中に来たらどうなってるんだろう。奥の方は街灯消えてるのかな。だとしたら、そんな中電話ボックスだけが明かりを灯していると言う状況に。

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なんか似たような写真ばかりになってますが、全て違う棟だったりします。

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それにしても茂原駅からバスで14分かかる田園地帯だけに地価も安かろうにと思うのですが、なぜわざわざ二階建てにしたのか。そんなに入居希望者が多かったのか。

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とは言え昭和40年代の団地と言えば、首都圏ではすでに5階建て鉄筋コンクリート造が普通でしたから、それに比べればね。

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最奥部に行くと少々造りが変わって来ます。

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一階部分を広く取り、二階部分は一部屋のみと言った感じでしょうか、それでも長屋形式になっています。

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ちなみに茂原市は2021年、八幡原、長谷、上茂原、上茂原西、新町保、東茂原の6カ所の市営住宅を、長寿命化計画によって改修工事などをする方針に決めたそうです。

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対して299戸中23戸しか住民の居ないここ真名団地と、149戸中53戸のみ残っておられる八丁寺団地の2箇所に関しては、老朽化と言う理由も含めて廃止の方針が決定しています。

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以前訪れた国府関団地は、すでに住民がゼロとなって廃止されたと思われます。ちなみにこの後、国府関団地の現状と八丁寺団地を見に行きます。

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いよいよ記事として書く事が無くなって来ました。

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と思ったら北東側最奥部に4階建の団地建築がポツンと一棟だけ姿を現しました。すでに無人ですが追加で一棟建てたと言う事でしょうか。

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北端の先は水田地帯となっております。

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団地の東側を国道に向かって戻ります。この辺りは車が入れないようにされており、廃道扱いとなっているようです。と、ここでまたキジを発見!写真は撮れませんでしたが、今回はメスでした。最近よくキジと遭遇します。

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299戸と言うと、2DKに核家族と考えて単純計算で1000人前後が住んでいた事になります。祖父母は実家に住んでおり、上京して結婚し、ここに移り住んでから子供が一人か二人。

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しかし時代とともに老朽化問題も起き、それ以上に少子高齢化や過疎化によっても人々が消えて行ったんだと思われます。

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最近ニュータウンなど訪れてもこのような問題が見えて来ましたが、バスを含めて都心まで2時間弱、千葉までも1時間近くは掛かりますので、子供の世代になりもっと都心へと引っ越して行ったのでしょうか。

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茂原市に雇用があるとしたら以前訪れた茂原海軍航空基地跡に建てられた三井化学の工場とか。市営住宅と言う事は低所得者層であった事も想像出来ます。

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そして、ある程度稼いだら住宅ローンで一戸建てを買うと言うのも自然な流れなのかも知れません。

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つまり団地と言うものは長い人生に於いて仮住まいと言う考え方もありますね。そして日本経済の発展と共に低所得者層が減って行ったと言う事も、新規入居者の減少に繋がっているのかも知れません。

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もちろん様々な要因が有ったのでしょうが、地方の団地はその役割を終えようとしています。

(注意)
真名市営住宅にはまだ生活されておられる方々が居ます。もし訪問する場合はくれぐれも入居者のご迷惑にならぬよう注意して下さい。

茨城県笠間市岩間、廃墟化した貸家地帯と未成マンション

2006年に笠間市と合併した岩間町は、常磐線で友部駅のひとつ東京寄りに位置します。

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市街地は丘陵地(上郷)にあり、周囲を田園地帯(下郷)に囲まれています。特産品は栗や柿など。

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ごくありふれた田舎町と言ったらそれまでですが、今回は廃墟界で有名な未成マンションと、Googleマップでたまたま見つけたバラック集落に向かいます。

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国道沿いにあるスーパーの裏手、その一画はありました。一番手前の家屋はトタン板の塀に囲まれています。

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集落と言っても袋小路の左右に20軒ほど。

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緩やかな下り坂となっている私道には雑草が生い茂り、その左右に木造家屋が連なる。

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一番奥から振り返ったところ。右手には南向きの玄関。最初社宅か何かかと思っていましたが、近所の方に少し話を伺ったところ社宅でも市営住宅でも公団住宅でもなく、地元の方が貸している貸家だそうです。

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左手は玄関が北向きなので縁側に洗濯物を干すのでしょう。造りを見るとどうしても鉱山住宅などを思い出してしまいます。セメント瓦(昭和14年以降)が時代を感じさせる。

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2〜3軒にひとつ井戸が有りますが、後に設置された水道の蛇口も有ります。井戸が有ると言う事は戦時中か戦後間もない頃でしょうか。

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もはやゴーストタウン、と言うか廃村の雰囲気。

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こちらにもポンプ式の井戸が。

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ここにはどのような方々が住われていたのか、謎が残ります。これだけ狭い一軒家と言う事は労働者がまず考えられますが、この辺りには紡績工場も炭鉱も無い。

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各戸に建て増しの小屋のような物がありますが、配管から見て恐らくお風呂場でしょう。もしかしたら便所もここに併設されているのかも知れません。

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入り口付近にはまだ住まわれている方がいるのでしょうか、真新しいプロパンガスが置いてあります。

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貸家地帯北側の通りに、同年代に建てられたと思しき建物が数軒あります。裏手はちょうど貸家の路地なので、こちらも同じ大家さんによる貸家と想像できます。

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以上の貸家地帯に違和感を覚えるのは、周辺の雰囲気。とにかくどのお宅も広大な敷地を持つ旧家と言った感じで、屋敷がことごとく立派。

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これらのお屋敷の生業は何か。水運で栄えている訳でもなく、毛織物産業で栄えている訳でもない、考えられるのは農家ぐらいなのです。稲作にしろ果実園にしろ労働者を雇う事は考えにくい。ならば貸家に住んでいた人たちは、何を生業としていたのか。気になる。

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結局謎は解明されないまま次の目的地、未成マンションに来ました。

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バブル経済が崩壊する直前だった1991年1月に建設がスタート。本来は9階建てになる予定だったが、3階まで作った段階で施主が倒産したのか工事が中止されました。

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国道沿いの廃墟で入り易いと言う事から地元の輩が落書きし、謂れもない心霊スポットとなっております。

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心霊スポットの大半が後付けの謂れなんですよね。この廃墟は廃墟マニアの間ではブラックマンションと呼ばれており、肝試しをする若者が後を断ちません。

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廃墟の正面にプレハブが建てられ真新しいタル木と型枠材が搬入されています。ここから再建しようって事でしょうか。しかし30年も放置されていたからコンクリートの経年劣化も相当なものでしょうし、新規で建てた方がいいと思うんですが。

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裏に回るとこんな感じ。奥に結構伸びているようです。ちなみに二階三階には昇りません。ビビリィですので!

茨城県笠間市(2)、笠間の終末スナック街

実のところゴールデンウィーク中に訪れた際、行き損ねた場所があったので、2回に渡り訪れました。なので天気が快晴だったり曇りだったりしています。

茨城県笠間市(1)、人車軌道と花街と廃墟ホテル
茨城県笠間市(3)、廃映画館の昭和館跡
茨城県笠間市(4)、寂れたラブホ街と廃車両群

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さて、再びJR水戸線笠間駅から。閑散とした駅前左手にある旅館の裏手に回ると、駅前横丁と言う看板が目に入ります。

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まさかここを入るのかと不安になるほどの狭い路地を進んで行くと、かつての路地裏飲食店街が姿を現します。

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しかしそこは既に廃墟。生き残っている店が一軒も無いゴーストタウンでした。

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建物と建物の間にはこのような通路があり、下へ降りれるようになっています。つまり平屋建てかと思った建物は全て二階建てでした。

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まず水戸線の駅に降りると言う発想がマイナー過ぎてそもそもありませんでした。とは言え水戸線の前身である水戸鉄道は明治22年(1889)に開業しており、茨城県内でも古くから発展しております。特産品は北西に位置する益子と同じく陶器の笠間焼。あとは栗、菊、梅。

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こちらも建物と建物の間。よく見るとスロープになっており、下の階には左右に扉が有ります。恐らく倉庫などに使われており、そのため台車で降りれるようになっているのではないかと想像できます。

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一番奥から振り返ったところ。たった4軒しかありません。

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一番奥の下へ降りるスロープ。もしかしたら住居として使われた事もあるのかも知れません。

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裏手に回るとこんな感じ。

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半地下状態になっており、各戸窓がひとつだけあります。

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今でこそ駅前及び稲荷神社までの沿道は閑散としていますが、かつてはもっと賑やかだったのでしょう。

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商店街としての賑わいも有ったかも知れませんが、笠間稲荷の北西近くにイオン笠間店が出来た事で衰退して行きました。車社会の現代、駐車場完備は必須です。

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さて笠間稲荷神社の手前、写真右脇の路地を入って行きます。

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奥に進むとバラック飲み屋街が姿を現します。

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地元の観光産業に携わっている人々が飲みに来るのでしょうか。かつては泊まりがけの観光客も訪れていたかも知れません。

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結構新しい感じの店もあり、現役である事が伺えます。

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裏に廻ればこんな感じ。バラック感がいいです。

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その裏手にはスナック街がありました。

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かつては路地裏スナック街の雰囲気があったであろうと思われますが、だいぶ解体されてしまってます。

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今度は笠間稲荷神社の裏手をぐるっと回っていきましょう。周辺にもスナックの跡が点在していますが、営業されている店は無さそう。

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スナック街と言うほどではありませんが、稲荷神社が街の中心である事が分かります。

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右手には廃墟化したお屋敷。

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すでに廃墟化していますがお寿司屋さんも。現在賑わっているのは門前のみのようです。

更に続きます。
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