コリアタウン

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台東区上野(1)、コリアタウン

 上野駅から見て首都高の向こう、ビルの影に隠れる形でキムチ横丁と呼ばれる一画があります。しかし十年以上前でしょうか、ビルがコインパーキングとなったお陰でその姿は白日の下に晒され、昭和通りを歩いているだけで簡単に見つけられるようになり、最近ではテレビなどにも紹介されるほど有名になっております。

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 オールドカマー系在日韓国人のコリアタウンとしては都内で最も長い歴史があり。戦後間もない1948年頃、焼け野原の中で闇市だった現在のアメ横より枝分かれをし、上野親善マーケットとして焼肉店や食材店等が集まってコリアタウンを形成しました。

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 狭い路地は日本人を拒絶しているような空気すら感じられます。

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 この一帯に暮らす人々は首都高より線路側に店を出すニューカマー系と違い、二世三世も多いためか店員さんも流暢な日本語を話していました。

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 狭い路地を入った所にある、いかにもな古い造りの焼肉屋『東京苑』に突撃。狭くて急な階段を昇り二階の座敷へ昇れば、バラックに近い木造建築はあちこちが傾いたり歪んだりしております。

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 ビールとレバ刺し、キムチ、ホルモン、カルビ。結構飲んだけど二人で6000円代だったろうか、とにかく安かった覚えがあります。特にカルビが上ではなく普通のカルビなのに、無茶苦茶美味かった。時間が経つと満席になり、結構有名店なのかも知れません。

 2015年2月、久々に訪れてみたところ、以前コインパーキングだった場所に巨大なビルが建設中となっており、これでまた隠された街へと逆戻りとなってしまいました。
 祝日だからか京城苑は閉まっており、以前入った東京苑は10時半まで。御徒町で軽く飲んで来たのですでに9時を回っていたのが良くない。路地裏を一巡して表通り(と言っても昭和通りから見れば裏通り)に出て、11時までやってる焼肉店『馬山館』に入りました。

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 ここが当たりでした。上タン塩(1800円)とビールで再起動をかけながら、ホタルイカのキムチをつまむ。日替わりのカルビセットが、へっどばら、たてばら、カルビ、中落ち、4品セットで2900円とお得。韓国料理は基本的に量が多いので、三人で二人前を頼んで充分です。

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 これがまた美味いのなんの。ご飯何杯あっても足りない!(笑)
 ご飯の大きめな茶碗になみなみと注がれて来るドンブリマッコリもまた、スッキリ飲みやすくピリピリした感じの爽快感もあって美味い。
 値段もそれほど高くないのに肉のクオリティも高く、また来たいと思えるお店でした。

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荒川区三河島コリアタウン~足立区千住桜木朝鮮部落跡

 三河島はかつて操業していた屠殺場の労働者として集まったオールドカマーたちによって形成されました。主に日本語を話せない者たちは働き口も限られましたが、被差別民ゆえに人々が忌み嫌う屠殺場だけはいくらでも雇って貰えたのでしょう。

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 彼等が持ち帰った臓物を焼いて屋台に出していた事から、現在ホルモン屋が多く存在する街となったそうです。

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 しかし現在では数件ある韓国食材店や家庭料理屋、ホルモン屋などで名残を感じられるくらいで、大久保や上野のように韓国色の強い街ではありません。

 三河島から尾竹橋通り沿いにバスで町屋を超え足立区方面に走ってゆくと、その沿道にも点々と焼肉屋やホルモン屋などをよく見掛けます。かなり分散しておりますが、明治大正の時代からこの地域では皮革産業が盛んで、そのため在日朝鮮人も多かったようです。

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 この地域に住む日本人もまた低所得者層であり、同じく被差別民であったため、差別なく人々が暮らして来たというのは私の推測です。特に足立区には朝鮮部落なども多かったそうですが、部落を形成していた人々も日本人に溶け込み、世代を重ねて帰化し、今では殆ど区別できないほどに日本語も流暢となっているそうです。

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 そんな中、千住桜木という隅田川と荒川に挟まれた細長い土地を訪れてみました。水害のリスクが高い上、これ以上無いほどに不便な、文字通り陸の孤島です。

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 ポツリポツリとバラックが目立ち、上流に向かえば都営住宅と公団住宅とリサイクル工場のみ。

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 この工場などは両側を川に挟まれており、つまりそれほどまでに隅田川と荒川が接近している。

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 そんな最果てに韓国人会館と教会が建っているのですから、かなりの確率で朝鮮部落だったと言えましょう。

※ここで、以前別のIDにて作ったブログにてこの記事を掲載していたところ、大変参考になる情報がコメントとして寄せられていましたので、ここに抜粋させて頂きます。

(以下抜粋)

足立区千住の生まれ育ちだが、朝鮮部落の位置がずれているように思える。桜木町2丁目に韓国人会館(といってもシモタヤ)があるが、以前の朝鮮人による不法占拠の場所。写真はそこから宮本町交差点方面だが、どちらかといえばB系が多い。

反対側は東京電力千住火力で、周囲は社宅。現在は大学のグランドや校舎。この辺は戦前は日本橋魚市場の支場や製紙会社があった。要は役所の敷地で、ここ30年は役所のクリアランス事業の場所。ほとんど区営高層住宅に変わっている。

朝鮮人の主力は現在は西新井、つまり荒川放水路の反対側に移った。ただし、千住は下町であって、暴走族やチンピラも多い。彼らは朝鮮人と見れば容赦しない。ハングルの看板を堂々とは出せないはずだ。

投稿者:ちょろちょろ様


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台東区浅草(2)、駅周辺~コリアタウン

 外国人観光客も多く訪れる浅草。作り物の下町情緒による演出で溢れ返る街ですが、山手線が通らず東京の発展から取り残されたこの街では、所々昭和の香りが見え隠れします。

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 1931年(昭和6年)に建造された浅草松屋。
 裏側に廻ると外装材で覆われておらず、当時のアール・デコ調建築が垣間見れる。
日本最古の屋上遊園地が2010年5月に閉鎖されてしまったのが残念。

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 超有名な浅草神谷バー(創業1880年)ですが、1921年(大正10年)に建造された神谷ビルは建築物としても貴重な存在。つまりその二年後に起きた関東大震災にも耐えた事になる。

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 ひさご通り商店街の脇の路地を入ると突然現れるコリアタウン。焼肉屋が狭い路地に密集しています。大久保や上野のそれと比べると、かなり小規模。

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 で、何が凄いって、路地の狭さに対する看板のデカさ。

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 短い路地ですが、別世界を感じます。

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 こちらは少し離れて田原町駅前。昔ながらの焼そば屋さん。メニューは焼そばとビールのみ。昔はこのような焼そば屋さんが東京中にあったそうです。

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川崎市臨海地区、池上町の朝鮮部落

※2019年8月末のクレイジージャーニーにてBAD HOP特集のロケ地となり、その際写真も提供させて頂きましたが、この地区の内部はほぼ私道であり、また歴史的にもデリケートな場所なので、くれぐれも聖地巡礼などのつもりで無闇に入らないでください。万が一地域住民とのトラブルが発生したとしても、当方は一切の責任を負いません。

 まさに陸の孤島の名に相応しいのが、この池上町であります。

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 まず最初に出迎えてくれたのはブルーシートハウス。しかしそれは序章に過ぎませんでした。
 川崎の外れの臨海地区を産業道路と貨物線が走り、基本的にその向こうは工業地帯として区画されているはずなんですが、そこにひっそりと隠れるようにして朝鮮部落が存在します。

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 住宅街区の外れは不法投棄通り。その向こうはよく見えないですが、産業廃棄物処理場のようです。だからって、ここに棄てても持ってってくれないから!w

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 廃バラックもあれば、結構綺麗な新築家屋もあります。

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 ただ、道が狭いったって、ここまで狭いの初めて。

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 なんですかこの迷路のように入り組んだ路地は。抜けられたり行き止まりだったりで迷うこと必至。

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 日本語が独特でない方もおられるようです。高齢者などの世代かと思いますが、被差別という歴史の中で日本社会との接触を避けて来た方も多かったと聞きます。
 池上地区のゴミ捨て場は貨物線の高架沿いの道に点在します。確かに、住宅街の中にはゴミ回収車も入っては行けないだろうし、入ったとしても出て来れなくなりそう。

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 ごめんなさい。なんかもう謝りたくなって来た。まず、どこからどこまでが人んちか分からん! 庭かと思ったらその奥に別の家の玄関あるし!

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 この地区は戦前より工業地帯の建設や関東大震災後の復興事業に従事した朝鮮人労働者や、大戦中強制的に連れて来られた(大半が自らの意志で稼ぐために渡航したという説もあります)朝鮮人たちが不法占拠し住み着いた、いわゆる朝鮮部落であります。話によると昔、スラムぐるみで密造酒(どぶろく=マッコリ?)を作っていたところを摘発してやろうと入って来る局員が、スラムの奥深いところまで来れないようにするため、道が狭く入り組んでいるという話もあります。スラムに入ったきり2度と出てこなかった密造酒Gメンもいるという話も。今は需要がないので密造酒は作っていないとの事。

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 以前訪れた川崎駅の西側、多摩川の河川敷に隠れていた戸出の朝鮮部落も、中はこんな感じなのだろうか。
 そしてネットでスラムだった頃の様子の写真を見つけました。
http://halmoni-haraboji.net/exhibit/archives/sheet04/sheet04-7080ikegami.html
 まさに映画の世界。昭和の頃は、谷戸地帯などの日本人貧民窟も含めこのような劣悪な住環境の地帯が多く存在しました。

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 新築家屋なんかはどうやって建てたのか謎。出来上がった家をヘリで上空から下ろすぐらしか思い付かない。だってその家に行くのに幅80センチの路地を入ってくしか無いんだもん!

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 どの家の住民も『同胞』であり家族同然だから境界線なんてどうでもいいという感覚なのでしょうか。確かに下町にもこれに近い感じの所もたまにありますが、火事起きたら全滅ですよ!?

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『ペンキ屋へ。ペンキの空き缶を持って来るな。ここへ入れるな!! クズ鉄だけ』と、ペンキで書かれた看板。(汗)
 とりあえず、仔猫に心を癒してもらいました。

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 こちらは産業道路より市街地側の桜本という地区にあるコリアタウン。
 同じ在日であっても朝鮮部落とは違い、こちらは主に戦後移り住んで来た人々の街です。焼肉屋が軒を連ねる。
 戦前組は彼らをニューカマーと呼び、戦後組は朝鮮部落の人々を卑しい血族と差別する傾向があるそうです。
 時代ごとに差別や迫害を受けて来た歴史を持ち、日本人に対しあくまで距離を置く人々と、順応している人々との違いだろうか。それにしてもこの住環境の差は大きすぎやしないか。

撮影・2010年1月


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