前回の続き。さて今回は水戸の繁華街を巡ります。

まずは水戸駅から1番遠い栄町界隈のスナック街から。

茨城県の歓楽街と言えば土浦と水戸。この二大都市はどちらも栄えていましたが、私が見た感じでは土浦の方が寂れた雰囲気がありました。もっとも土浦の市街は駅周辺しか歩いてませんが。

なんて言ったって水戸は日立に近いってのがあります。日立グループにあやかってると言う部分が大きい。しかし町そのものは京成ホテルや京成デパートなど、京成グループが幅を利かさせいる印象がありますね。常陽銀行とか水戸証券とか元気無いし。

と、そんな関係ない話で間を待たせないといけないくらい、スナック、キャバクラ街が広い!

例えばこのスナックビル、建築年代はギリ昭和でしょうか。さすが県庁所在地と言ったところでしょうか、寂れた雰囲気はほとんどありません。

妖しいなぁ、窓の塞ぎ具合とか、めっちゃ風俗感が。

飲み屋街の外れにはラブホがあります。右側の建物なんかは窓を塞いでいて風俗店の雰囲気。

通りと言う通り、夜のお店しかありません。しかもそのほとんどが現役ってのが、さすが大都市。経済的にも地元での雇用先が多いのか、土浦と比較して過疎化の雰囲気がありません。

南側へ進んで行くと住所は大工町に変わります。この界隈にはかつて花街がありましたが、空襲を経てその痕跡はほとんど見られません。ただ名残りとして同じ場所がスナック街となっております。

旦那横丁飲食店街のアーチ。奥に見えるのが水戸市街のメインストリートでもある国道50号線。ちなみにその50号線は笠間市や筑西市へと続いています。

国道50号線を南に越えると街の様子が一変します。住所が天王町に変わるこの界隈は、いわゆるソープ街であります。

ただキャバクラ業界と違い、お風呂業界は不況の煽りを強く受けて潰れる店も多くあります。かなり大型店だったのかまるでホテルのような廃墟。

裏に回るとこんな感じ。後背地は丘陵の南端で崖地となっております。

そんな中、超ド派手な店舗が。ここはかつて水戸を代表する巨大ソープ(当時はトルコ風呂)のクイーンシャトーと言うお店でしたがバブル崩壊の時期に閉店、その後30年以上廃墟のままだったそうです。しかし近年改修工事の末に新規オープン。この規模となると解体費用も億を超えるそうですが、改修にしても長年放置されてきた建物だけに相当な費用がかかっていると思われます。
ちなみにこの色使いはアレですね、元々はバブル期に歌舞伎町を中心にテレクラのリンリンハウスから始めた新宿ソフトと言う会社から始まり、他にも漫画喫茶のマンボー(森下不動産)やビデオボックス(株式会社大倉ビル)、出会い系サイト、株式会社ロボットレストラン(現在はサムライレストラン)、ホテル事業のワタナベ商事、ラーメンの博多風龍、イメクラのクリスタル系列、女性求人サイトのバニラなどなど、全て別会社でありながらも関連グループであると言う。まぁ夜の風俗王と呼ばれる森下グループと言うやつです。

さて、市街地を一気に抜けて駅の近くまで。国道の南側に水戸東照宮と言うのがあり、その右手(西側)に渋い飲み屋街が連なっています。

路地は徐々に丘陵の際、下り坂となって行きます。

大衆クラブキャンパスワンの看板がありますが、当然ながら廃業しています。

その隣の建物も元はスナックだったか居酒屋だったか。

丘陵地を降りると奈良屋町となりますが、この一帯はかつての赤線地帯でした。崖下の狭い通りは戦後に栄えた通り。

名残はほとんど残っていませんが、廃業した居酒屋の跡などが見られます。1918年(大正7年)、この奈良屋町が出火元で水戸の中心街約1100戸が焼けると言う水戸の大火がありました。

水戸の大火の後、ここ奈良屋町には大工町などの花街とは別に市内に点在していた私娼が集められました。谷底の大通りは大正当時から私娼窟があった場所。

こちらは唯一当時の姿を残す建物。水戸には陸軍の第2聯隊や第14工兵大隊があったため、遊郭が無い代わりにここ奈良屋町の私娼窟が栄えたとか。

当時の屋号が微かに残ってますが、昔の漢字過ぎて読めない。しかし1945年(昭和20年)8月2日、水戸の大空襲で再度焼け野原となります。

この神社は当時からあったのでしょうか。戦後の奈良屋町は進駐軍用の特殊慰安婦街として指定され、見事に復活を遂げます。

崖の上は水戸東照宮の裏手になります。翌年の1946年(昭和21年)、GHQによる公娼廃止指令により赤線及び青線が引かれ特殊喫茶店の名目で続きますが、1958年(昭和33年)の売春防止法の施行まで続きました。その後はスナック街として残りましたが、現在ではご覧の通りごく普通の住宅街となっています。

奈良屋町の谷を南に下り、水戸東照宮の東側へと回り込みます。何やら古そうなビルが。

ここは東照宮の東側の宮下銀座商店街。3階建ての古い雑居ビルが連なっています。

空襲で焼け落ちた水戸東照宮が1962年(昭和37年)に再建されますが、同じ頃この商店街が誕生しました。商店街は登り坂で水戸のメインストリート国道50号線へと抜けます。

デザインが統一された雑居ビルが両側に連なりますが、かつてはアーケードの屋根も設置されていました。国鉄ストアなどもあり商店街として大いに栄えていたそうですが、現在では半分以上が飲み屋街となっています。

こちらは帰り掛けに寄った駅に近い立ち飲み屋「ニューたけさん」。

なんと営業時間が午前11時から朝の4時まで、土曜日は24時間営業と言う素晴らしい店。しかも煙草は吸えるし駅近だしで言う事ありませんでした。

まずは水戸駅から1番遠い栄町界隈のスナック街から。

茨城県の歓楽街と言えば土浦と水戸。この二大都市はどちらも栄えていましたが、私が見た感じでは土浦の方が寂れた雰囲気がありました。もっとも土浦の市街は駅周辺しか歩いてませんが。

なんて言ったって水戸は日立に近いってのがあります。日立グループにあやかってると言う部分が大きい。しかし町そのものは京成ホテルや京成デパートなど、京成グループが幅を利かさせいる印象がありますね。常陽銀行とか水戸証券とか元気無いし。

と、そんな関係ない話で間を待たせないといけないくらい、スナック、キャバクラ街が広い!

例えばこのスナックビル、建築年代はギリ昭和でしょうか。さすが県庁所在地と言ったところでしょうか、寂れた雰囲気はほとんどありません。

妖しいなぁ、窓の塞ぎ具合とか、めっちゃ風俗感が。

飲み屋街の外れにはラブホがあります。右側の建物なんかは窓を塞いでいて風俗店の雰囲気。

通りと言う通り、夜のお店しかありません。しかもそのほとんどが現役ってのが、さすが大都市。経済的にも地元での雇用先が多いのか、土浦と比較して過疎化の雰囲気がありません。

南側へ進んで行くと住所は大工町に変わります。この界隈にはかつて花街がありましたが、空襲を経てその痕跡はほとんど見られません。ただ名残りとして同じ場所がスナック街となっております。

旦那横丁飲食店街のアーチ。奥に見えるのが水戸市街のメインストリートでもある国道50号線。ちなみにその50号線は笠間市や筑西市へと続いています。

国道50号線を南に越えると街の様子が一変します。住所が天王町に変わるこの界隈は、いわゆるソープ街であります。

ただキャバクラ業界と違い、お風呂業界は不況の煽りを強く受けて潰れる店も多くあります。かなり大型店だったのかまるでホテルのような廃墟。

裏に回るとこんな感じ。後背地は丘陵の南端で崖地となっております。

そんな中、超ド派手な店舗が。ここはかつて水戸を代表する巨大ソープ(当時はトルコ風呂)のクイーンシャトーと言うお店でしたがバブル崩壊の時期に閉店、その後30年以上廃墟のままだったそうです。しかし近年改修工事の末に新規オープン。この規模となると解体費用も億を超えるそうですが、改修にしても長年放置されてきた建物だけに相当な費用がかかっていると思われます。
ちなみにこの色使いはアレですね、元々はバブル期に歌舞伎町を中心にテレクラのリンリンハウスから始めた新宿ソフトと言う会社から始まり、他にも漫画喫茶のマンボー(森下不動産)やビデオボックス(株式会社大倉ビル)、出会い系サイト、株式会社ロボットレストラン(現在はサムライレストラン)、ホテル事業のワタナベ商事、ラーメンの博多風龍、イメクラのクリスタル系列、女性求人サイトのバニラなどなど、全て別会社でありながらも関連グループであると言う。まぁ夜の風俗王と呼ばれる森下グループと言うやつです。

さて、市街地を一気に抜けて駅の近くまで。国道の南側に水戸東照宮と言うのがあり、その右手(西側)に渋い飲み屋街が連なっています。

路地は徐々に丘陵の際、下り坂となって行きます。

大衆クラブキャンパスワンの看板がありますが、当然ながら廃業しています。

その隣の建物も元はスナックだったか居酒屋だったか。

丘陵地を降りると奈良屋町となりますが、この一帯はかつての赤線地帯でした。崖下の狭い通りは戦後に栄えた通り。

名残はほとんど残っていませんが、廃業した居酒屋の跡などが見られます。1918年(大正7年)、この奈良屋町が出火元で水戸の中心街約1100戸が焼けると言う水戸の大火がありました。

水戸の大火の後、ここ奈良屋町には大工町などの花街とは別に市内に点在していた私娼が集められました。谷底の大通りは大正当時から私娼窟があった場所。

こちらは唯一当時の姿を残す建物。水戸には陸軍の第2聯隊や第14工兵大隊があったため、遊郭が無い代わりにここ奈良屋町の私娼窟が栄えたとか。

当時の屋号が微かに残ってますが、昔の漢字過ぎて読めない。しかし1945年(昭和20年)8月2日、水戸の大空襲で再度焼け野原となります。

この神社は当時からあったのでしょうか。戦後の奈良屋町は進駐軍用の特殊慰安婦街として指定され、見事に復活を遂げます。

崖の上は水戸東照宮の裏手になります。翌年の1946年(昭和21年)、GHQによる公娼廃止指令により赤線及び青線が引かれ特殊喫茶店の名目で続きますが、1958年(昭和33年)の売春防止法の施行まで続きました。その後はスナック街として残りましたが、現在ではご覧の通りごく普通の住宅街となっています。

奈良屋町の谷を南に下り、水戸東照宮の東側へと回り込みます。何やら古そうなビルが。

ここは東照宮の東側の宮下銀座商店街。3階建ての古い雑居ビルが連なっています。

空襲で焼け落ちた水戸東照宮が1962年(昭和37年)に再建されますが、同じ頃この商店街が誕生しました。商店街は登り坂で水戸のメインストリート国道50号線へと抜けます。

デザインが統一された雑居ビルが両側に連なりますが、かつてはアーケードの屋根も設置されていました。国鉄ストアなどもあり商店街として大いに栄えていたそうですが、現在では半分以上が飲み屋街となっています。

こちらは帰り掛けに寄った駅に近い立ち飲み屋「ニューたけさん」。

なんと営業時間が午前11時から朝の4時まで、土曜日は24時間営業と言う素晴らしい店。しかも煙草は吸えるし駅近だしで言う事ありませんでした。




































































