日本セメント専用線を歩いた後、高本駅跡地からゴルフ場のある丘陵地を越えていきます。

一応峠になります。すでに2時間近く歩いており、ちょっと無茶しました。

峠を越えて小川沿いに田園を下って行くと集落が開けて来ます。火の見櫓も最近では随分少なくなってしまいました。

大東文化大学のある丘陵地の手前の谷間に、巌殿山正法寺(巌殿観音)とその門前町が広がっています。

今では普通の住宅街のようになっていますが、かつて門前町として栄えていた頃の歴史を残そうと、当時の屋号などが各お宅の前に掲げられています。目薬屋?

畳屋さんは今でも畳屋としてやられているようです。他にも鍛冶屋、塗師屋など、坂の下の方には職人が集まっていたようです。

坂を上りお寺さんに近づいて行くと宿坊などが増えて来ます。今は空き地になっていてもそこに何が有ったのかは必ず掲げられています。

大黒屋さんは宿坊と言うより旅籠か何かだったのでしょうか。

丁子屋と言う屋号は茶屋などに多く用いられています。山門の手前に建っているので、休憩所のような役割だったのかも知れません。

山門から急な階段を登って行きます。巌殿山正法寺は西暦718年(奈良時代)に開山された真言密教のお寺で、坂東三十三ヶ所の第十番札所です。

階段を登り切って振り返ると、門前町の全景が見下ろせます。

磨崖仏ではありませんが、岩肌に穿たれた窪みに沢山の石仏が安置されています。

元々はこのような巌窟に観音像が安置されていただけでしたが、この地を訪れ竜退治をした坂上田村麻呂が都に戻った際御利益を伝えた事から、桓武天皇によって796年に伽藍を建立されたそうです。

想像以上に巨大な観音堂。鎌倉時代には東松山一帯を治めていた比企氏が帰依した事から源頼朝や北条政子の庇護も受けていましたが、後の戦国時代、東松山の松山城を奪った上杉憲勝に対して北条氏康が周辺の寺社を焼き払った際、ここも焼かれてしまいました。その後幾度か焼失しますが、現在の観音堂は明治時代に移築した建物だそうです。自分は古代から中世の歴史に弱いです。

観音堂の脇には樹齢700年を超える大イチョウがあります。室町時代から江戸時代にかけて札所として栄えた巌殿観音ですが、明治初期の廃仏毀釈運動をきっかけに門前町共々衰退して行ったそうです。

昭和に入り戦後巌殿山や物見山などがにわかに観光地として賑わった時期もありましたが、現在も札所巡りとして地味ながらも訪れる方はおられます。

3時間以上歩き通したのは久しぶりです。と言うわけで、最後に東松山郊外の日帰り入浴施設、蔵の湯東松山店に立ち寄りました。

地下1200mより汲み上げられる鉱泉は無色透明なナトリウム塩化物強塩泉。天然温泉浴槽は露天の1ヶ所のみで循環濾過。基本掛け流されず加水率50%未満の井戸水加水で、時々源泉が投入される感じです。毎分37.3Lの湧出量なので致し方ないでしょう。いや、先月行った行田の茂美の湯の400Lって言うのが異常なだけであって、普通はこんなものか。しかしオーバーフローさせずに循環濾過させると、人が多い時など水面に汚れが浮いてしまいますね。内湯だったらジェットバスでなんとなく誤魔化せますが。

一応峠になります。すでに2時間近く歩いており、ちょっと無茶しました。

峠を越えて小川沿いに田園を下って行くと集落が開けて来ます。火の見櫓も最近では随分少なくなってしまいました。

大東文化大学のある丘陵地の手前の谷間に、巌殿山正法寺(巌殿観音)とその門前町が広がっています。

今では普通の住宅街のようになっていますが、かつて門前町として栄えていた頃の歴史を残そうと、当時の屋号などが各お宅の前に掲げられています。目薬屋?

畳屋さんは今でも畳屋としてやられているようです。他にも鍛冶屋、塗師屋など、坂の下の方には職人が集まっていたようです。

坂を上りお寺さんに近づいて行くと宿坊などが増えて来ます。今は空き地になっていてもそこに何が有ったのかは必ず掲げられています。

大黒屋さんは宿坊と言うより旅籠か何かだったのでしょうか。

丁子屋と言う屋号は茶屋などに多く用いられています。山門の手前に建っているので、休憩所のような役割だったのかも知れません。

山門から急な階段を登って行きます。巌殿山正法寺は西暦718年(奈良時代)に開山された真言密教のお寺で、坂東三十三ヶ所の第十番札所です。

階段を登り切って振り返ると、門前町の全景が見下ろせます。

磨崖仏ではありませんが、岩肌に穿たれた窪みに沢山の石仏が安置されています。

元々はこのような巌窟に観音像が安置されていただけでしたが、この地を訪れ竜退治をした坂上田村麻呂が都に戻った際御利益を伝えた事から、桓武天皇によって796年に伽藍を建立されたそうです。

想像以上に巨大な観音堂。鎌倉時代には東松山一帯を治めていた比企氏が帰依した事から源頼朝や北条政子の庇護も受けていましたが、後の戦国時代、東松山の松山城を奪った上杉憲勝に対して北条氏康が周辺の寺社を焼き払った際、ここも焼かれてしまいました。その後幾度か焼失しますが、現在の観音堂は明治時代に移築した建物だそうです。自分は古代から中世の歴史に弱いです。

観音堂の脇には樹齢700年を超える大イチョウがあります。室町時代から江戸時代にかけて札所として栄えた巌殿観音ですが、明治初期の廃仏毀釈運動をきっかけに門前町共々衰退して行ったそうです。

昭和に入り戦後巌殿山や物見山などがにわかに観光地として賑わった時期もありましたが、現在も札所巡りとして地味ながらも訪れる方はおられます。

3時間以上歩き通したのは久しぶりです。と言うわけで、最後に東松山郊外の日帰り入浴施設、蔵の湯東松山店に立ち寄りました。

地下1200mより汲み上げられる鉱泉は無色透明なナトリウム塩化物強塩泉。天然温泉浴槽は露天の1ヶ所のみで循環濾過。基本掛け流されず加水率50%未満の井戸水加水で、時々源泉が投入される感じです。毎分37.3Lの湧出量なので致し方ないでしょう。いや、先月行った行田の茂美の湯の400Lって言うのが異常なだけであって、普通はこんなものか。しかしオーバーフローさせずに循環濾過させると、人が多い時など水面に汚れが浮いてしまいますね。内湯だったらジェットバスでなんとなく誤魔化せますが。










































































