東松山市

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埼玉県東松山市(2)、巌殿山正法寺と門前町

日本セメント専用線を歩いた後、高本駅跡地からゴルフ場のある丘陵地を越えていきます。

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一応峠になります。すでに2時間近く歩いており、ちょっと無茶しました。

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峠を越えて小川沿いに田園を下って行くと集落が開けて来ます。火の見櫓も最近では随分少なくなってしまいました。

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大東文化大学のある丘陵地の手前の谷間に、巌殿山正法寺(巌殿観音)とその門前町が広がっています。

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今では普通の住宅街のようになっていますが、かつて門前町として栄えていた頃の歴史を残そうと、当時の屋号などが各お宅の前に掲げられています。目薬屋?

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畳屋さんは今でも畳屋としてやられているようです。他にも鍛冶屋、塗師屋など、坂の下の方には職人が集まっていたようです。

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坂を上りお寺さんに近づいて行くと宿坊などが増えて来ます。今は空き地になっていてもそこに何が有ったのかは必ず掲げられています。

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大黒屋さんは宿坊と言うより旅籠か何かだったのでしょうか。

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丁子屋と言う屋号は茶屋などに多く用いられています。山門の手前に建っているので、休憩所のような役割だったのかも知れません。

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山門から急な階段を登って行きます。巌殿山正法寺は西暦718年(奈良時代)に開山された真言密教のお寺で、坂東三十三ヶ所の第十番札所です。

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階段を登り切って振り返ると、門前町の全景が見下ろせます。

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磨崖仏ではありませんが、岩肌に穿たれた窪みに沢山の石仏が安置されています。

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元々はこのような巌窟に観音像が安置されていただけでしたが、この地を訪れ竜退治をした坂上田村麻呂が都に戻った際御利益を伝えた事から、桓武天皇によって796年に伽藍を建立されたそうです。

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想像以上に巨大な観音堂。鎌倉時代には東松山一帯を治めていた比企氏が帰依した事から源頼朝や北条政子の庇護も受けていましたが、後の戦国時代、東松山の松山城を奪った上杉憲勝に対して北条氏康が周辺の寺社を焼き払った際、ここも焼かれてしまいました。その後幾度か焼失しますが、現在の観音堂は明治時代に移築した建物だそうです。自分は古代から中世の歴史に弱いです。

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観音堂の脇には樹齢700年を超える大イチョウがあります。室町時代から江戸時代にかけて札所として栄えた巌殿観音ですが、明治初期の廃仏毀釈運動をきっかけに門前町共々衰退して行ったそうです。

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昭和に入り戦後巌殿山や物見山などがにわかに観光地として賑わった時期もありましたが、現在も札所巡りとして地味ながらも訪れる方はおられます。

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3時間以上歩き通したのは久しぶりです。と言うわけで、最後に東松山郊外の日帰り入浴施設、蔵の湯東松山店に立ち寄りました。

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地下1200mより汲み上げられる鉱泉は無色透明なナトリウム塩化物強塩泉。天然温泉浴槽は露天の1ヶ所のみで循環濾過。基本掛け流されず加水率50%未満の井戸水加水で、時々源泉が投入される感じです。毎分37.3Lの湧出量なので致し方ないでしょう。いや、先月行った行田の茂美の湯の400Lって言うのが異常なだけであって、普通はこんなものか。しかしオーバーフローさせずに循環濾過させると、人が多い時など水面に汚れが浮いてしまいますね。内湯だったらジェットバスでなんとなく誤魔化せますが。


埼玉県東松山市(1)、日本セメント専用線廃線跡

立て続けに東武東上線高坂駅まで参りました。

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かつてこの高坂駅から北西に向かい貨物専用線が延びていました。構内の引込み線は当時の名残り。

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専用線はしばらく東松山方面へと並走し、やがて西に分かれて行きます。この辺りより先の廃線跡は「まなびのみち」と言う遊歩道として整備されています。

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途中見かけたこの物体は、各地で見られるフセギ行事と言うもの。集落の入り口や辻などに藁などで作ったこのような物を設置し、疫病や厄災などを防ぐと言う民族行事だそうです。いわゆる呪術的な結界を張る魔除けのような物で、地方によっては道切り、辻切りなどとも呼ばれ、形を変えつつ全国各地に存在するそうです。この土着の風習であるフセギについては今度掘り下げて行きたいと思います。

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さて、今回は廃線跡を辿って行きます。折しも桜吹雪と新緑の気持ちいい季節。

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廃線跡らしからぬ整備の整った遊歩道ですが、レンタルサイクルでもあれば人気のサイクリングコースになりそうな感じです。

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この専用線は昭和30年(1955年)より昭和59年(1984年)まで運行されていた、日本セメント東松山線と言う全長5.5kmの路線でした。

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線路は小高い丘を取り巻くように北から西へとカーブして行きます。沿線には菜の花の咲く長閑な農村風景が続く。

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途中幾つかのポイントには休憩するためのベンチも設置されております。この遊歩道は2015年より整備されており、その際に多くの遺構も撤去されてしまったようです。

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踏み切り脇に残る数少ない遺構。

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しばらく行くと建設会社の敷地に遮られます。遊歩道は前半と後半の2箇所に分かれており、ここからしばらく迂回して行かなければなりません。

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その建設会社の敷地の裏手を入って行くと、関越自動車道に当たります。そこにコンクリートの遺構が。畦道が線路の下を潜り、そのまま線路と並んで関越自動車道を越えて行きます。

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ここにはかつて葛袋3号橋と言う鉄橋がありました。しかし平成25年(2013年)6月に撤去されていました。この3号橋、思えば関越自動車道を走る高速バスから見ていて、ずっと気にはなっていました。Wikipediaには2013年撤去と書かれていましたが、自分の記憶では5〜6年前まであったような気がするのですが。

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関越自動車道を越えた辺り、北に突き出した丘の日本セメント葛袋採掘場の跡地は現在工場や佐川急便の流通センター、しまむらの倉庫などがあるので、さらに北へと迂回して行きます。春ですねぇ。

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この葛袋集落の農家は屋敷門があるくらい、どこも立派なお屋敷ばかりです。

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右端に首の無いお地蔵様が。廃仏毀釈の残滓でしょうか。

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田園地帯が広がります。奥に見える丘陵の際に廃線跡が続いています。

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葛袋採掘場跡はすっかり開発されています。写真は終点側から葛袋駅を望んだところですが、写真中央を真っ直ぐ線路が走っていました。ちなみにここにあった日本セメント埼玉工場粘土採掘場は昭和29年10月より稼働。同時にこの日本セメントによって専用線が開通されました。管理運用は東武鉄道。

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振り返ると再び廃線跡の遊歩道が始まります。上を一車線道路が越えて行く。最盛期は一日6往復運転されていましたが、粘土の採掘量の減少に伴い昭和59年には鉄道輸送からダンプによる輸送に切り替えられました。

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さて、竹林の中を進んでいきます。ちなみに葛袋採掘場はセメント用粘土原料の使用量減退から平成20年(2008年)に閉鎖され、跡地は葛袋産業団地となっております。

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踏み切り跡が残っています。数少ない遺構の一つです。竹が随分と覆い被さっていますが、昭和34年には東上線と時同じくして電化されたので、架線が張られていました。

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こちらはその架線柱の基礎と思われます。

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こちらの写真は観光案内図などに使われている当時の貨物列車の画像です。線路の管理は東武鉄道が行っており、路線名は東武鉄道高坂構外側線と呼称されていました。

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現在の様子。竹の侵蝕はエグいですね。貨物列車運行当時は上板橋にあった日本セメントの工場まで粘土が運ばれていたそうです。

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コンクリート橋の跡。こう言うのを見ると廃線跡を歩いている感じがしますが、駅などが無いためちょっと飽きて来た。

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やがて終点の高本駅。秩父鉱業東松山鉱業所になります。秩父鉱業は昭和26年(1951年)に日本セメントから分離独立した会社ですが、日本セメント(現・太平洋セメント)100%出資の会社。昭和30年に泥土採掘のために高本地区に採掘場を開設しました。跡地は現在は清澄ゴルフクラブ(太平洋セメント系列)のクラブハウスとなっております。
今回、廃線跡としてはちょっと地味な感じでしたが、小春日和の散歩としては気持ちよかったです。てくてく歩いて2時間弱。この後、峠を越えて行きます。次回へ続く。

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