館林市

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群馬県館林市(3)、織物や製粉で栄えた街

先月に引き続き館林へ再訪して来ました。

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先月末、館林より帰ってから色々と調べるにつき、まず正田貞一郎を語らずして館林を語れないと知り、再訪の機会を伺っていました。しかし仕事が忙しく、早くも1か月が経ってしまった。

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まずは館林駅の真横に有りながらその存在に全く気づいてなかった変電所跡。

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この建物は伊勢崎線が全線電化された昭和2(1927)年当時の建築物です。旧貨物駅跡になりますが東武の敷地なので、奥までは入れません。

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では前回歩いてなかった町の北側を東へと進みます。前回遠くから撮ったボーリング場跡と思われるような造りの晴明ビル。以前はパチンコ屋が入ってたようですが、現在はパブやキャバクラが入っています。

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こちらは「Tatebayashi public space」と言う厨房付きシェアスペース。

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意匠が見事ですが1930年代(戦前)建造で何かの事務所として使われていたそうです。

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ポツンと建っていたのは国登録有形文化財の分福酒造店舗跡。推定江戸末期の建造だそうです。国の文化財で記念館にもなっているのに、観光パンフなどに紹介されていない。

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前回見逃した木造建築物が、まだまだありました。

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仲町の辺り、バス通りを館林城跡方面に歩きます。しかし木造建築と木造建築の間がスッポリ空き地となっています。かつてはどんな街並みが連なっていたのか、もはや想像も出来ません。

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特に文化財などに指定されてないので詳細は分かりませんが、藍染の「ひろせ商店」と看板が出ています。

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館林城跡は微妙に紅葉シーズン。

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市役所の裏手、城跡の敷地に向井千秋記念こども科学館がありました。宇宙飛行士の向井千秋さんって館林出身だったんですね。

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その向かいに今回の目的地の一つ、旧上毛モスリン事務所。前回スルーしてしまいました。

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まずモスリンとは何ぞや。モスマンではなくモスリン。モスリンとは木綿や羊毛などを平織りにした薄地の織物の総称で、ヨーロッパでは薄手の綿織物を指しますが日本では毛織物全般を指すそうです。最初人物名かと思ってた。

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この上毛モスリン事務所は明治43年建造。元々建っていた場所とは多少ズレますが、現在は館林市第二資料館として公開されています。

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上毛モスリンは明治35(1902)年設立。当時仲町の辺りに工場を建てましたが、明治40(1907)年に東武鉄道が開通した事を受けてもっと近代的な大規模工場が必要と思い、明治43(1910)年にここ、旧館林城二の丸跡地に新工場を建設。当時の変電所の一部がモニュメントとして保存されています。

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この事務所も明治43年当時の物だそうです。元々養蚕の盛んだった北関東ですが、ここ館林周辺でも伊勢崎や桐生と並んで機織業が盛んでした。荒井藤七、鈴木平三郎らは輸入に頼っていたモスリン生地の国産化に取り組み、明治28(1895)年におそらく日本で初めて製織に成功したものと考えられています。

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金庫と倉庫の扉が一階の傍らに有ります。しかし大正12(1923)年、関東大震災で練馬の工場が倒壊した事などによる打撃から立ち直ることが出来ずに破綻。昭和2(1927)年、日本興業銀行や日本毛織などにより設立された共立モスリン株式会社に譲渡されました。

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その金庫は事務所から張り出す形で赤煉瓦にて建てられています。これは恐らく火事になっても大事な物は焼けないようにと言う事でしょう。共立モスリンは昭和16(1941)年、神戸の日本毛織に合併。工場はその後戦時下だった昭和18(1943)年には軍の要請を受けて中島飛行機(現・スバル)に貸与されましたが、戦後はGHQに摂取され倉庫として使われました。

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その後館林工場は神戸生絲に賃貸され再稼働しますが昭和53(1978)年、市庁舎建設に伴い規模を縮小。平成4(1992)年には館林市羽附旭町へ移転となって、城跡にあった繊維工場は解体されました。

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旧館林モスリン事務所の隣には武家屋敷でもある作家田山花袋邸跡があります。これは昭和54年に城町より移築されたもの。

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さらに東へ歩くと明治末期に建てられた旧秋元別邸があります。秋元興朝とその子春朝は旧館林藩主秋元家に係わりの深い人物で、東京駿河台にある秋元家の屋敷の庭園から移築された石燈篭や庭石もあります。

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こちらは昭和初期に離れだった洋館を移築、増築したもの。

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庭先には多くのツツジや桜なども植えられており、観光スポットとなっております。

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訪れた10/25は暖かく、紅葉と一緒に勘違いした桜までもが咲いてしまっていました。紅葉と桜なんて、とんだ異常気象です。

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城跡の先には城沼が広がっています。館林城はこの沼を濠として利用し造られました。ここで館林駅に戻るのですが、基本みんな車で移動するものだから館林駅から市役所のある館林城跡までの路線バスが1時間に1本あるかないか。そのため館林駅まで20分ほど歩かなくてはなりません。この辺は群馬県ならではと言えるかもしれない。

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館林駅の反対側(西側)に、群馬県のご当地醤油である正田醤油が有ります。あまり聞き慣れない醤油メーカーですが、主に業務用として全国で使われているそうです。

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正田醤油は三代目正田文右衛門が千葉県野田市の二代目茂木房五郎(野田醤油・後のキッコーマン)より醤油醸造業を勧められ、明治6(1873)年末に醤油醸造業を創業したのが初めで、当時はキッコウショウ(亀甲正)と言う屋号でした。

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本社の脇に正田記念館が有りますが午後2時に閉館だったために入れず。キッコウショウはその後大正6(1917)年に正田醤油として会社設立。営業所が仙台、東京、名古屋、大阪にあるので、都内のスーパーでも見かける事があるかも知れません。

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正田醤油の南隣には日清製粉があります。日清製粉の前身は明治33年(1900)創業の館林製粉で、後の明治40年に創業した横浜の日清製粉を翌41年に吸収合併し、社名も日清製粉と改名しました。

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西口駅前には日清製粉グループ製粉ミュージアムがあります。入場料200円。群馬県東部及び栃木県南西部のいわゆるJR両毛線沿線は、古くから二毛作により稲作と共に小麦が栽培されており、日本屈指の小麦生産地として名を馳せて来ました。

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こちらは展示されている昔の製粉機械。それ以前は水車と石臼により小麦が製粉されて来ましたが、いち早く機械化による製粉事業を興したのが館林製粉、後の日清製粉であります。ちなみにカップヌードルの日清食品やサラダ油の日清オイリオとは無関係。日清製粉(現・日清製粉ウェルナ)は小麦粉やマ・マースパゲッティの会社。

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新館を抜けると創業当初から使われて来た本館が現れます。ちなみに国内で主に生産されている小麦は中間質小麦と言って、うどんなどに適した中力粉となります。パンに適しているのは硬質小麦によって出来る強力粉ですが日本には梅雨があるため熟成させることが出来ず、アメリカ産やカナダ産に頼っています。


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館林製粉創業者の正田貞一郎は正田醤油の創業者、三代目正田文右衛門の孫であり、平成の明仁天皇の皇后、美智子妃殿下の祖父に当たります。そのため美智子妃殿下は当時、粉屋の娘などと揶揄されていたとか。

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こちらは上毛モスリン事務所に展示されていた正田貞一郎の馬車。貞一郎は明治33年に館林製粉を創業した際、当初自らは専務取締役に就任。その後日清製粉の二代目社長や東武鉄道の会長、貴族院議員などを歴任されています。ちなみに館林製粉〜日清製粉の初代社長には明治30年創業の東武鉄道の初代社長(創立総会役員に代わって明治38年就任)も兼任した鉄道王の異名を持つ根津財閥創始者、根津嘉一郎を据えてます。東武との関係は切っても切れない。
スタッフに質問したのですが、小麦の穀倉地帯であり貞一郎の実家のある館林で製粉業を始めたものの、うどん以外は輸入小麦に頼らざるを得ない現状から結局港から館林に運んで製粉して各地に出荷すると言うのは、東武鉄道が開通したとは言え非効率だったのではと疑問を投げ掛けてみました。すると、苦労したのだと思いますとの答え。うーん。結局大正15年に鶴見工場が完成するわけですが。

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アンケートに答えたらお土産にお好み焼き粉を貰いました。
ともあれ館林はとんでもない経歴の実業家のゆかりの地であり、北関東を代表する都市の一つである事がわかりました。

群馬県館林市(2)、ニ業地の街並みと史跡

駅の東、県道57号を越えた辺りに、かつての花街がありました。最盛期で150人居た芸妓さんも今では消えてしまいましたが、料亭や割烹はその名残りとして残っています。花街を求めて歩いて行くと、県道を渡る前から料亭などが目につくようになってきます。

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大正3年より昭和13年まで見番があった青梅天神裏、見事な3階建ての木造建築があります。料亭「福志マ」(?)。看板の書体が古過ぎてよく読めません。

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詳細は不明ですが、この辺りに見番があった時代から考えて恐らく大正時代の創業かと思われます。市内では町歩きのパンフレットなども配布されていますが、このような立派な建物が載ってないところ、ダメです。

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こちらは旅館跡。昭和初期建造のようですが、かつては割烹旅館か何かだったのでしょうか。

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県道を渡り一本奥の通りに出ると、そこはかつての花街であり今でも現役の料亭街。

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南へ向かって歩くと料亭第五があります。

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向かいは現在民家が建っていますが、かつてはこちら側に本店があったのでしょうか、潜り戸と行燈と松の木が残されています。

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第五で引き返して北へ向かって歩きます。こちらは現在お寿司屋さんですが、花街の面影を色濃く残しています。

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こちらも現在居酒屋ですが、かつては料亭か何かだったのでしょうか。館林にはこのような花街の面影が多く残されており、それを観光の目玉とする動きがあります。

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こちらは元酒屋さん。このような昭和遺産も残っています。

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現在は民家ですが屋根を見れば贅を尽くした建造物である事が伺えます。あとはこのような貴重な建物をリフォームしてカフェなどに再利用してもらえると、いつまでも残り続けるのですが。

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途中右手に現れるのが、旧館林ニ業見番組合事務所。車寄せにある唐破風屋根とその上にある二つの千鳥破風が見事。

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ちょうど祝日だったので内部が公開されていました。この建物は昭和13年(1938)建造で、国登録有形文化財です。

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玄関脇の増設された階段は、二段目まで豆タイル貼り。一般的には料亭、置屋、待ち合いで三業地と言いますが、埼玉と群馬は廃娼県だったので、料亭(甲種料理業)、芸妓置屋のみのニ業地となります。

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芸妓さんたちが芸を磨いていた舞台。館林の見番は明治42年に堅町に設置され、大正7年谷越町の青梅天神裏に移転。さらに昭和13年、現在の場所に新事務所が建設され、見番が移転しました。

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ただ建物はあちこちにガタが来ており、改修もままならないのが現状です。東京芝浦の三業地見番跡のような本格的な改修工事には相当な予算がかかりますし。ただ見番として使用された期間は短く、昭和19年には日清製粉の所有となり、昭和31年には当時の所有者の正田貞一郎が館林市に寄贈。以後、商工会議所の事務所、本町2丁目区民会館などに利用されて来ました。

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見番跡をさらに北へ進むと、突き当たりに外池商店と言うこれまた古い商家が。昭和4年(1929)建造で、以前は造り酒屋も経営していたそうですが現在は酒屋さんとなっております。

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外池商店のある通りは「歴史の小径」として館林駅から館林城跡までの散策路として整備されています。城跡方面へ歩いて行くとまた古い建物が目につくようになります。

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二階の壁の装飾がちょっと凝っている木造建築。館林は古くから城下町として栄えていましたが、特に発展したのは徳川家や松平家が城主となった江戸中期からとされています。

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こう言うカーブとか風情を感じます。

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鷹匠町長屋門。豪農の松沢家の長屋門を再利用、改築して武家屋敷の長屋門を再現したもの。館林の古い建物はもうだいぶ壊されており、観光のために作られた物も点在しております。

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移築されて来た武家屋敷。駅から城跡までの散歩コースである歴史の小径にわざわざ移築されています。

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武家屋敷の塀。その裏にはマンションが建設されています。奥には田中正造記念館もありますが休館中でした。どうも、観光地として城下町を売りにするのか明治大正期の街並みを売りにするのか、どちらも中途半端でコンセプトがしっかり決まって無いようにも感じられます。

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こちらは館林城の土橋門。建物のほとんどは明治7年の火事で焼失され、現在天守のあった敷地には市役所や美術館、文化会館などが建てられています。日本の城は明治政府の廃城令で全国から消えてしまいましたが、その跡地に市役所や県庁などを建てたいって言う気持ちは分からないでもない。

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城跡の手前の国道7号線沿いには、営業しているかどうか不明な旅館が。

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倉庫なのか住居だったのか、謎の廃墟も。

次回に続く。



群馬県館林市(1)、駅周辺のレトロ建造物

うわ、レトロとか言っちゃったよ。
東武伊勢崎線から北東へ佐野線が、西へ小泉線が分岐する館林。都心からの電車は久喜止まりで久喜からここ館林まで各駅停車が往復し、館林から先の伊勢崎線は大田止まりと伊勢崎行き。さらに太田から桐生方面の赤城行きが発着と、現在の北関東を走る東武の各駅停車は走行区間が細切れで、何度も乗り換えなければなりません。急行や快速などは無く唯一の直通運転は浅草から桐生方面へ走る全席指定の特急「りょうもう」のみなのですが、夕方浅草に戻る「りょうもう」が3両編成のリバティのためいつも満席で乗れない。確かに平日の夕方の上り特急は、かつて200系・250系の6両編成時代空席が目立ってましたが。

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愚痴っぽい前置きが長くなってしまいましたが、群馬県の東の端に位置する館林に行って参りました。群馬県が東へ細長く伸びてる部分で、北の渡良瀬川を越えれば栃木県、南の利根川を越えれば埼玉県になります。

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電車からも見える駅前の倉庫。前置きでも触れましたが、各駅停車が細切れと言う事は、通勤電車として利用されているのがここ館林と佐野、足利、大田、伊勢崎、桐生などに勤めている方々で、それぞれの都市ごとに雇用があると言う事。この点が一点集中型の東京や各地方都市との違いかと思います。

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駅の近くには元々ボーリング場だったような施設が。ちなみに館林で代表的な企業は日清製粉。他にもアサヒ飲料やカルピスの工場なんかもあり、駅西口にはご当地醤油の正田醤油の醸造所があります。

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駅周辺から発展しており、多くの商店が現役で営業されています。この辺りは低湿地帯と低丘陵地からなりますが水が豊富で、明治以降は毛織物産業や製粉業などの近代産業が早くから発展しました。

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駅前通りの近くにある料亭。次の記事で触れますが、館林には花町の名残りとして多くの料亭があります。

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もちろんスナックなども多く点在しています。一階が駐車場って辺りが地方っぽいです。

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良い雰囲気の飲み屋さんも点在していますが、特にスナック街のような纏まりは無く、広い範囲で栄えている感じ。

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館林駅の東、料亭街や城跡の手前を南北に走る県道57号線。道路を拡張する計画があるのか、道路の西側に空き地が続きます。開発のために古い建物などを相当壊してしまったと思われます。ちなみにこの県道は、かつての日光脇往還(日光裏街道)で、この辺りは宿場としても栄えていました。

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県道を北に進みます。商店街がゴッソリ消えてしまったと思われる西側とは逆に、東側にはこのような看板建築も残っています。こちら旧森牧商店。

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こちらも県道沿い東側の看板建築。表は看板建築ですが、その実奥へと長細い昔ながらの町屋造りとなっています。

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県道から東に戻ります。こちらも表は看板建築な町屋造り。皮肉にも多くの建物が解体されて歯抜け状態となったからこそ、このような構造が知れます。

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県道から館林駅方面へ。こちらは昭和9年(1934)建造の旧館林信用金庫本店。現在は市の消費生活センターとなっています。

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消費生活センターから北へちょっと入った所に板張りの渋い建物が。泉新本店と言う飲食店ですが、桐生の有名老舗鰻屋さんとは関係無いと思われます。

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かつて館林に存在した映画館、館林クラブ(1922〜1990)と館林キネマ(1918〜1982)の看板が残る街灯跡。

実のところ館林を訪れたのは10/10なのですが、もう一度行って日清製粉ミュージアムと正田記念館を訪れてから記事を完成させようと思ってました。しかし最近仕事が忙しくなかなか行ける時間がないので、また近い内に再訪する事にします。
続く。
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