美浦村

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【祝・10周年記念】過去特に思い出深かった場所ベスト30

ブログを開設してから早いもので10年。飲食店は3年続けば安泰、ブログなら5年続けば安泰(多分)と言う事ですが、よくモチベーションが続いたものだと思います。全国的に見れば行きたい場所なんて腐るほどありますが、それを限られた時間とお金でどれだけ消化していけるか。私もすでに55歳になりますが、限界を迎えるまで当ブログを続けて行きたい所存です。
と言うわけで今回は、2009年頃から写真を再開し、2014年4月にブログを開設してから、今までで特に思い出深い場所をランキング形式で振り返ってみます。

第30位
群馬県足利市、足利鹿島園温泉

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昭和の健康ランドを絵に描いたような施設。絶滅危惧種である健康ランドが昔のままの姿で残っているのは、もはや全国でもここだけではないかと思えるほど。また同時に、あちこちの壁は剥がれ、天井の化粧材は崩れ落ち、廃退的な雰囲気も醸し出している。まさに昭和遺産。Googleマップで気になって、たまたま行ってみたら驚いた。

第29位
静岡県熱海市、今は無き水口第1浴場

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消えてしまう前に行けた事の幸せ。正直それに尽きる部分はあります。地元の人々の生活の中に息づく温泉、それが共同浴場。温泉で言えば好きな共同浴場は沢山ありますが、ここの「地元感」は強烈に記憶に残っています。一番風呂かと思いきやまだ湯船が張られてなかったので、80度の源泉と水の投入からやらせて頂きました。また、記事中の第2浴場も素晴らしかった。

第28位
茨城県小美玉市〜鉾田市、鹿島鉄道廃線跡

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廃線跡を辿るのはこれが初めてだった気がします。幼少の頃、父親に連れられて乗った事があるので思いもひとしお。鉄道が来なくなったホームや鉄橋などの寂しさが印象的でした。また、鹿島鉄道廃線跡の記事については石岡〜小川小川高校下〜八木蒔浜〜坂戸坂戸〜鉾田に分かれています。

第27位
大分県湯布院、線路際の荒木共同浴場

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残念ながらこちらもすでに存在しないのですが、無くなる直前に訪れました。湯布院の外れ、まさに地元の方しか入らない片田舎の共同浴場。線路を渡って畦道を進んだ奥に佇んでいる、このシチュエーションがたまりません。九州は温泉大国ですが、それでも過疎化や少子高齢化などの影響で古くから愛され続けた物が消えて行きます。温泉としては地味でありながらも鮮度抜群で地域に密着した貴重な共同浴場。このようなお湯に浸かれた経験は自分にとって宝です。ちなみに記事中の加勢の湯(現存)も素晴らしかった。

第26位
茨城県笠間市、廃映画館

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まず、笠間市が奥深い。行っても行ってもまた行きたい所を見つけて、結局5回ぐらい訪れました。駅前の廃スナック街 三業地と廃観光ホテル廃ラブホテル街と廃車群稲田石採石場、中でも印象に残ったのが映画館、昭和館の跡。まるで空爆でも受けたかの様な有様が衝撃的でした。

第25位
千葉県南房総市、桜花秘密基地跡

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太平洋戦争末期の特攻兵器「桜花」のカタパルト発射台の遺構。とにかく情報が少なく、地元の方に聞き込みしながら発見しました。これをきっかけに太平洋戦争についても興味を持ち、歴史など調べながら各地の戦争遺跡を巡るようになりました。

第24位
群馬県草津温泉、外湯巡り(瑠璃の湯)

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温泉に興味を持ち始めた2010年秋、草津の街中に点在する外湯(共同浴場)の存在を知り、その地元感溢れる素朴な雰囲気にすっかりハマってしまいました。特に瑠璃の湯。土産屋さんから出て、さてこれからどこ行こうって話していた時、ふと振り向いたら「男」と「女」の文字。まさかこんな所にと覗いてみたら脱衣棚がありお風呂がある。ここがまた近所のお風呂みたいな雰囲気で一目惚れ。これがきっかけで温泉、特に共同浴場マニアとなり、温泉の資格を取るまでに至りました。

第23位
静岡県熱海市、昭和の温泉旅館龍宮閣

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もう熱海には数え切れないくらい行っており、その際必ず泊まる常宿です。温泉マニアや昭和レトロマニアなど一部の方々の間では有名となっておりますが、初めて泊まったのが2013年春。平日だし宿なんていくらでもあるだろうと駅から坂を降り始めた時、たまたま見つけた宿が渋いし安いし飛び込みで泊まりました。温泉的にも建築物的にも最高です。ただ最近、あまり掃除が為されていないと言う噂を聞きました。もしかしたら女将さんの調子が悪くなったとか、何か事情があるのかも知れません。

第22位
群馬県横川、信越本線碓氷峠旧線の廃線跡

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インスタ映えと言う言葉もフォトジェニックと言う言葉も嫌い。そんな泥臭い写真大好き系の私ですが、この光景にはその美しさに感動してしまいました。碓氷峠イコール、かつてのアーチ橋と奥を走る「あさま」の写真が定番だと思っていましたが、行ってみなければ知り得ない光景って有るものですね。ちなみにこの記事には後編もあります。

第21位
港区高浜橋、バラック群のホルモンはるみ

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かつて存在した芝浦の運河沿いのバラック地帯。オールドカマー系朝鮮人と日本人低所得者層が戦後のドサクサで、運河に張り出しながら住み着いた不法占拠地帯。そんな発祥ですがホルモン系飲み屋が3軒あり「はるみ」と言う店に一時通い詰めました。日本人も在日朝鮮人も2世も3世も。みんな仲良く酒を酌み交わす、そんな素晴らしい店でした。しかし2014年、高浜橋の拡張工事を理由に全世帯強制退去。東京オリンピックを控えて汚い所を一掃しようとする動きの中で、跡形もなく消されてしまいました。

第20位
茨城県笠間市岩間、貸家の廃墟地帯

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たまたま。本当にたまたまGoogleマップの空撮で細長く連なる屋根が気になって、ストリートビューで確認したら廃墟っぽくて、行ってみたら廃村の様相。とにかくネット上に全く情報がなかったものだから地元の方に聞き込んだ所、近くの和菓子屋さんが大家になってる貸家だとか。何を生業とする人々が何故岩間に移り住んだか、まだ謎が残っています。

第19位
群馬県伊香保温泉、柏屋旅館

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今現在オシャレカフェへと変貌してしまった温泉旅館。かつて希少な階段源泉をダイレクトに引き加温加水無しで提供していました。女将さんが老人ホームに入られて廃業されてしまいましたが、風呂上がりに2階の客室で春の風を感じながらまったりした、あのシチュエーションは一生忘れない思い出となりました。

第18位
熊本県小国町、旧国鉄宮原線廃線跡

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アーチ橋と棚田はまさしく日本の原風景であり、何度でも行きたい所です。温泉もそこら中で涌いておりまさに天国。関東ではこう言う所、少ないんですよね。いつか水道橋なども巡ってみたい。

第17位
大阪府西成、飛田新地の遊郭建築

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まだブログを始める前、2009年当時から遊郭建築や赤線、危険地帯、ドヤ街などを訪れるようになっていました。当時は写真を撮っていると反社の方にカメラを取り上げられるなんて有名な話もありましたが(今もか?)、夜行バスからの朝方、決死の思いで撮影した事を思い出します。

第16位
港区新橋、新橋駅前ビル1号館地下飲食店街

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新橋の中小企業のサラリーマンたちが管を巻く、そんな昭和な飲み屋街。と言う雰囲気に憧れて新橋へ通うようになりました。最終的に「南」と言う店の常連になったのが、汐留口にある新橋駅前ビル1号館の地下1階飲食店街。『流し』もいたし仕事帰りの先輩方が毎日飲んでいるし、まさに昭和の世界でした。しかしコロナ禍でリモート勤務が多くなり、店のママさん方も体調を崩して引退し、古くからの常連さんが一人また一人と減り。現在は世代交代よろしく若い方々で賑わうようになってしまいました。これを個人的に赤羽現象と呼んでます。そんな訳ですっかり行かなくなってしまった。

第15位
栃木県足尾銅山、簀子橋堆積場

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簀子橋堆積場は足尾銅山で産出された鉱物の選鉱・製錬工程で発生するスラグ(鉱滓)を沈殿させ堆積させる施設で、鉱滓ダムと言われるものです。川に流せない鉱毒は産業廃棄物のような物で、これが現在でも染み出し続けています。いわゆる負の遺産と言う物で、これを撮影するために廃道と化した登山道をガチ登山しました。登山素人の自分にとってはスリルの連続で、忘れられない取材の一つとなりました。また足尾銅山については何度か足を運び、鉱山住宅の廃墟や当時の遺構、トロッコ列車の保存館などにも行きました。

第14位
福島県大熊町、大野駅周辺の帰宅困難区域

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東日本大震災から10年経った2021年に訪れましたが、10年経っても震災直後と変わらない姿を晒す街並みを見て、原発事故の恐ろしさを肌で感じました。現在は市街地のほとんどが帰宅困難から解除されていますが住民はなかなか帰って来ず。また、山奥の集落など未だに帰宅制限がされており、打ち捨てられた地域も多く存在します。過疎化問題などをよく取り上げて来ましたが、福島に於いては色々と考えさせられます。また、帰宅困難区域については隣の夜ノ森駅周辺も歩きました。

第13位
千葉県八街市、謎のアーケード跡

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映画館の廃墟を撮りに行ったのですが、そこから続く長細い建物の裏に回り、覗いてみたら衝撃的な光景に興奮しました。外壁は大谷石で屋根が付いたアーケード状のこれは商店街と言うか、土産物屋街と言うか。ただ天井たが異様に低くも感じる、ネット上にも情報が無くまだ謎を残してる物件。

第12位
茨城県鉾田市、日立電鉄の廃車両

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最初に知ったのはInstagramでした。あまりの衝撃で、投稿者に場所のヒントを教えてもらい、Googleマップでひたすら探し回りました。そしていざ行ったところで歩く歩く。農家の倉庫として再利用されている訳ですが、この敗退的な感じ。行った時の達成感もありました。

第11位
栃木県足利市、足利健康センター

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つい去年行ったところですが、ここ最近で最も衝撃的だったところ。外観廃墟で内部ゴミ屋敷、その実態は同性愛者たちのハッテン場。故にお客さんも居ると言う。もう、ディープ過ぎて目眩がしました。日本の、しかも栃木の片田舎にこんな所があったなんて。

第10位
千葉県茂原市、ゴーストタウン化が進む真名団地

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過去に掩体壕や素掘りのトンネルなどを巡った茂原市。さらにゴーストタウン化が進んでいる市営真名団地の存在を知り、行ってみたら衝撃的な光景が広がっていました。公営住宅の老朽化、過疎化など様々な問題が絡み合っています。

第9位
大分県天ヶ瀬温泉、全方位丸見えの露天風呂

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中世から明治大正、戦前までの日本文化。大らかであり丸見えでも気にしないと言う価値観の名残りでしょうか。そもそも男湯と女湯が分けられたのは戦後と言う話もありますしね。ただ訪れた翌年の2020年7月7日、豪雨により天ヶ瀬温泉は壊滅的なダメージを受けました。コロナ禍もあり温泉街としてどこまで復興されているのか、また訪れてみたいと思います。

第8位
千代田区神田、ガード下の神田小路

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まず間口に対して看板や室外機の数が合わないと言う疑問から、勇気を出して扉を開いて見ました。するとそこは飲み屋ではなく飲み屋『街』だったと言う、まさに異次元への扉(引き戸)。消える前に通えた事、そして多くの方々に出会えた事に感謝しています。戦後から始まり青線だった時代もあり、サラリーマンたちの集う路地裏酒場として幕を閉じました。私も色々な形で関わり、移転した数軒には今でも通っています。

第7位
群馬県大前、森の中のほったて小屋温泉

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温泉マニアの間では知る人ぞ知る共同浴場です。森に隠された地元の方々のための温泉。温泉好きの人達はマナーを知らない観光客からここを守ろうと、場所を公表しないと言うのが暗黙の了解となっています。泉質は極上の炭酸泉。お湯、建物、場所、全てにおいて、ここを勝るものは無いと個人的に思っています。

第6位
群馬県水上温泉、寂れた温泉街の廃墟群

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昭和の歓楽温泉街の成れの果てとして紹介し、いかに再生させるかを考えました。この水上シリーズはGoogleで常に上位に表示され、多くの方に水上温泉の事を知っていただく事に繋がったと思います。初めて訪れたのは2008年の3月、天神平で滑って湯檜曽に泊まって帰りがけたまたま散歩してみれば廃墟だらけ。そんな訳でその後何度も通う事となりました。

第5位
神奈川県横浜市、寿町のドヤ街

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横浜はどこもかしこも好きなんですが、日本三大ドヤ街である寿町は特に思い入れが強く、いまだに機会があれば行きつけの飲み屋に通い続けています。情景も去る事ながらなんと言ってもここで暮らす人々の人間模様が濃過ぎて、いつも胸焼けしそうになります。最近ちょっとは『マシ』になって来ましたが、初めて迷い込んだ当時は色々な意味で酷かった。路上でドラム缶に廃材突っ込んで火をくべて暖を取る、そんなアメリカのスラム街さながらの光景が。

第4位
石川県能登半島、間垣に隔離された上大沢集落

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1988年に能登半島を訪れた際、日本海から吹き付ける北風を防ぐ防風壁が印象的でした。そして2020年の春、Googleマップでたまたま見つけた間垣の集落に行ってみたら衝撃でした。まさに日本の村社会を象徴するような、厳しい自然環境に立ち向かうべく助け合い、同時に排他的になる日本民族そのものを見た気がしました。山に囲まれていた幼少期の記憶も含め、過疎化のについて深く考える事も出来ました。とにかく感動した!
そして今年の元旦、ご存じの通り能登半島大地震が発生しました。この地区は津波の被害こそ無く死者も出ていなかったようですが、何しろ木造建築しか建っておらず、倒壊家屋は相当数に昇るかと思われます。早くの復興を願うばかりです。

第3位
神奈川県川崎市、池上町朝鮮部落

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2010年1月に訪問した時は、サイト「東京DEEP案内」様で存在を知りながらも、まだ朝鮮部落の存在自体知りませんでした。やけに路地の狭い住宅街だなと思いながら写真を撮りまくっていましたが、後で結構やばい事してたんだなと知りました。その後、歴史や差別問題などを調べる内に、ドキュメンタリー魂に火がついて川崎の多摩川河川敷無番地を始めいくつもの朝鮮部落と思われる場所を訪れる事となりました。そしてこの記事が某掲示板に貼られたりGoogleの検索結果で上位に表示されるようになった事により、当ブログの閲覧数が急増した事で多くの人々の目に止まるようになりました。結果、livedoorブログ国内旅行ジャンルのトップ10に常駐するまでに育つきっかけとなりました。

第2位
埼玉県秩父市、浦山地区の廃村群

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このブログを始めてからです。廃墟マニアになったのは。とは言え廃墟専門に巡っているガチ廃墟さんに比べたら全然ニワカ好きにとどまります。しかし山奥で育ち若い頃から集落の写真など撮っていた自分にとって、廃村と言う存在は衝撃でした。特に秩父の浦山地区には家財道具そのままの集落が多く残っており、まさに時が止まったまま。この廃村群は茶平栗山(前編) 栗山(後編) 山掴と、長編シリーズとなります。

第1位
石川県能登半島、旧のと鉄道廃線跡

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やはり最も瞼に焼き付いているのは能登半島です。桜が満開な旧・のと鉄道廃線。JR能登線が廃止になり第三セクターでのと鉄道が開業した1988年の春、この時より32年前に訪れており、前編では当時写真を撮った同じ場所に行ってみたりもしました。今までの人生でも特に思い出深い旅の一つでした。
またこの場所は蛸島にあり、能登半島大地震でも特に被害の大きかった地域です。この廃車両も現在どうなっているか。

と言うわけで10年やって来ましたが、このSNS時代ブログなんてもう時代遅れなのかも知れません。しかし写真と文章でひとつの記事として仕上げるにはブログが最適だと思います。なので、一応インスタもやったりしていますが、あくまで軸はブログメインで今後も続けて行きたいと思います。
今後何が起きるか分かりません。livedoorが突然ブログサービス停止するなんて事もあり得ないとは言い切れないですしね。なのでデータのバックアップだけはちゃんと取って置いた方がいいかも知れません。面倒くさいけど。
と言うわけで、今後とも散歩と旅ときどき温泉をご贔屓に。

茨城県稲敷郡、鹿島海軍航空隊基地跡

霞ヶ浦には2回に渡り訪れました。1度目は先々週バスで予科練平和記念館へ。2度目は昨日、土浦駅前からレンタルサイクルを借りて。目的地である美浦村の遺構までの交通手段が無く、バスで江戸崎まで行きタクシーなんてのも考えましたが、土浦駅のレンタルサイクルがロードバイクやクロスバイクなども借りれると言う事で、思い切って長距離サイクリングにしました。
Hellocycleと言う物なんですが、これが登録すれば首都圏を中心とした一部地方都市の基地で、早朝から自由に借りれると言う優れ物。アプリで手続きするとオンラインで繋がっている自転車の鍵が外れ、1日2000円の利用料はカード又はdocomo払いという。地方公共交通機関が衰退した現代、これは無免トラベラーとしては非常にありがたいですし、どんどん広げて行って欲しいです。

と、余談はここまでにして本題。

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土浦から霞ヶ浦南岸を東に走って行きます。予科練平和記念館を越えた辺り、以前より気になっていた場所へ。ここは、霞ヶ浦湖底の土砂や泥を浚渫船で汲み上げ、沖合いの浮島に停泊する船から陸地へと揚げるという物。ポンプによってパイプを伝い大量な土砂が運ばれています。浮島までの軌道とトロッコは、浚渫船まで機材等を運び込むための物でしょうか。

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陸地では土砂を大量の水で洗い、かつ選別しています。干拓事業として利用され、水田や蓮根畑などが広げられて行きます。

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さらに東へ行った所に、同様の施設の廃墟が有りました。

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こちらはもう使われていない選別場です。

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沖合いには既に使われなくなった廃船が打ち捨てられています。

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そんな物を見ながら、かつ向かい風に体力を奪われながら到着したのが、美浦村の湖岸(東側)。かつてこの浜より水上機が進水し、訓練を重ねて行ったそうです。当時のコンクリートは東日本大震災で破損したため新たなコンクリートで埋められてしまいました。現在はモーターボートやマリンスポーツの基地となっています。

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基地の建設は霞ヶ浦海軍航空隊の水上班が土浦航空基地より移転して来た昭和13年。この水上班、霞ケ浦航空隊安中水上隊は昭和20年5月、練習航空隊の指定を解除され鹿島北浦派遣隊となったため、この遺構は鹿島海軍航空隊跡と呼ばれています。航空隊の庁舎跡は戦後、東京医科歯科大学附属病院霞ヶ浦分院として再利用されていましたが、その病院も平成9年に閉鎖されてしまい廃墟化。

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つまりこれは廃病院という事になり、有名な心霊スポットにもなっていました。現在では厳重な柵に囲まれています。

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立入禁止&藪に阻まれ近づけませんでしたが、教練所跡の奥に見えるのはボイラー室。これらの建物も病院の施設として使われたとの事です。またかつてここには兵舎跡を利用した木造の病棟があり、スピッツ「空も飛べるはず」のPVのロケ地にもなっていましたが、その病棟は残念ながら取り壊されてしまいました。カラオケ歌う時にその映像が流れ、ここ行ってみたいと常々思っていたのですが、非常に残念です。

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格納庫跡の隣には発電施設跡も残っています。土浦から二時間近くペダルを漕ぎ続けて来たので藪を漕ぐ体力なんて残ってません。

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こちらは便所の跡と言われていますが、貯水槽に建つポンプ室という説も。

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ふんどしを干していた所と言う説が。

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庁舎(病院)跡の向かいには倉庫が有りますが、こちらの詳細は不明。

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倉庫からさらに湖寄りに入った所にある遺構には、記念碑か有ります。

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記念碑のある建物は燃料庫跡。火気厳禁だからコンクリート造なのでしょう。

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沿岸には当時使われていた船着場も残っています。

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基地の跡地は岬のようになっており、東と南を霞ヶ浦に面しています。なので東と南それぞれにコンクリートで固めた傾斜(スリップという)があります。こちらは南面のスリップ。水上機とはつまり(主に)複葉機の車輪部分にデカい浮きを付けたもので、偵察や哨戒が主な任務とされていました。ちなみに飛行艇も配備されていたかどうかは定かではありません。

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南東の突端部にはカタパルトの台座跡が残っています。

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トラス構造のクレーンみたいな物が、湖に向かって伸びていました。子供の頃、戦艦大和のプラモデルを作っていた時、艦尾にこのカタパルトを付けた記憶が有りますが、アレです。プラモ作った人しか分からないかも知れませんが、大和には偵察機や観測機など6機の水上機が搭載されていました。ここでカタパルト発進の練習をしていたのですね。

この後、前の記事に載せた霞ヶ浦海軍航空隊基地跡に向かう訳ですが、追い風で快調に飛ばすも雨に降られるという不幸が。
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