笠間市

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茨城県笠間市(1)、人車軌道と花街と廃墟ホテル

巨大廃ホテルやバラック飲み屋、スナック街がある事をインスタで知り、笠間に行って来ました。

茨城県笠間市(2)、笠間の終末スナック街
茨城県笠間市(3)、廃映画館の昭和館跡
茨城県笠間市(4)、寂れたラブホ街と廃車両群

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以前、筑波海軍航空基地に訪れるため笠間市にある常磐線友部駅に降りました。しかし笠間市の中心街は友部から水戸線でふた駅乗った笠間駅。元々は城下町として発展した笠間ですが、町の中心には笠間稲荷神社があります。

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しかし水戸線笠間駅は中心街である笠間稲荷周辺より1キロ以上南に位置しています。これは中心街に駅を設置すると線路を大きく北へ迂回させる必要が出て来ると言う地形的な理由からだと言われていますが、鉄道によって宿場が寂れるからと反対運動が起きたとも言われています。

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そのため笠間駅から笠間稲荷神社まで観光客を運ぶべく、笠間人車軌道が大正5年(1915)より営業されました。駅前から笠間稲荷神社の西側まで一直線に敷かれた線路は、路面電車のように道路に敷設されたため、廃線跡の痕跡は一切残っておりません。

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途中、当時の人車軌道を復元した車両が展示されています。

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この車両は人車軌道が開業してから100年の節目である2015年に、クラウドファンディングで集めた資金によって再現されました。

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当時、線路を順繰り順繰り前に持って行く形で走行させ、笠間駅から笠間稲荷神社停車場跡まで、実際走行させたそうです。もちろん人力で押しながら。

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こちらは復元車両試作1号機。ちなみに人車軌道は大正14年(1925)にガソリンカーを導入し人力では無くなりますが、競合する乗合バスに押されて昭和5年(1930)廃止となりました。

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こちらは終点の稲荷神社前停車場跡地。駅からの参拝客を笠間稲荷神社まで送迎する目的で走っていたので、停車場は笠間駅前と稲荷神社前の2箇所しかありませんでした。

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折しもゴールデンウィーク、多くの観光客で賑わっていました。笠間稲荷神社は菊人形で有名です。茨城と言えば偕楽園の梅と笠間稲荷神社の菊人形。

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門前のお土産屋さんも近年の観光地としては珍しく賑わっています。

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笠間稲荷神社自体知らなかったのですが、よくよく調べてみたら日本三大稲荷の一つに数えられているそうです。日本三大稲荷には諸説あり、自称も含めて14社寺もあるとか。しかし一般的には伏見稲荷大社(京都)、豊川稲荷(愛知)、笠間稲荷神社(茨城)、祐徳稲荷神社(佐賀)の4社寺が挙げられることが多いそうです。

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門前にも多くの観光客。時代に合わせてカフェなんかもちゃんとあります。

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笠間稲荷神社の向かいに御神酒を造られている酒蔵、笹目宗兵衛商店があります。

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この酒蔵は敷地内を通り抜けることが出来、中を見学することもできます。この酒蔵は当初笠間藩主牧野家の醸造元でしたが、明治6年より現在の笹目宗兵衛商店へと経営が譲られました。

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酒蔵の裏に出ました。むしろこちらが正面になるのかな。

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稲荷神社から見て酒蔵を抜けた先、駅寄りになりますが、かつて花街だった一画があります。写真は今も残る芸妓組合。

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旧町名で喜楽町と呼ばれていたこの一画には、花街の名残りとして割烹や旅館などが点々とあります。

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しかしながら数は少なく建物も新しく、花街として栄華を誇っていた時代の景色はほとんど残っていませんでした。強いて言えばこの屋号ぐらい。

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門前右手の突き当たりには、かさま歴史交流館。かつてこの建物は、明治中期建造の木造三階建ての旅館、井筒屋本館でした。東日本大震災の被害を受け、それを契機にリノベーションされたそうです。

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旅館と言えば、笠間稲荷神社の東の丘陵に廃ホテル、ホテル山乃荘があります。

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バブル期に増築なり改築なりされたのでしょうか、天守閣を模した建造物まで。市街を見下ろす眺望は、さぞ見事だったろうと想像できます。

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廃墟の右手、東側の坂を登って行くと、建物の正面側に回り込めます。ここホテル山乃荘は昭和28年(1953)創業。しかし2011年の東日本大震災で被災し、以後復旧を試みていましたが、同年の5/10に廃業となりました。山乃荘女将のツイッター参照。ちなみに女将は現在伊香保で働いているとか。

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建物の西側に回り込み少し坂を下ると、正面玄関へのアプローチがあります。

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震災を機に廃業となりましたが、笠間でこれだけの巨大施設は時代のニーズにも合っておらず、恐らくは経営自体も廃業寸前では無かったのかと想像できます。

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現に廃業後10年以上経った今でも解体出来ずに放置されています。崖地でこれだけの施設ですから解体費用も相当なものかと思われますがそんなお金はどこにも無く、ましてや税金で賄うわけにもいきません。

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これは全国各地の温泉街などでも問題となっていますが、特に良質な温泉が出る訳でもなく観光地としての発展が見込めないのも事実であります。

と言う訳で笠間は奥が深いので、このまま続編へと続きます。

茨城県笠間市、筑波海軍航空基地司令部跡

最近仕事が暇過ぎてブログの更新頻度が上がる一方です。しまいにはトップ画像まで変えてみたり。じっとしていても生活に不安を感じるばかりなので、また取材に行ってしまいました。

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今回は茨城県笠間市にある筑波海軍航空基地の跡地です。当時の司令部が残っており、記念館として公開されています。この建物は戦後より2011年の東日本大震災まで、学校や病院として使われて来ました。現在も県立こころの医療センターや友部第二小学校が隣接しています。

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司令部の前には当時の号令台が残っています。ここは2013年公開の映画、永遠の0(ゼロ)のロケ地として有名になりました。

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クラウドファンディングによって目標額1000万を上回る約1500万が集まり、保存及び復元活動が進められています。当時の外観を復元すべく屋上給水塔やエアコン室外機を撤去し、現在は地下壕施設を整備しております。最終的には文化財登録を目指しているとのこと。

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筑波海軍航空隊は昭和9年、戦闘機などの操縦訓練を行う霞ヶ浦海軍航空隊の友部分遣隊として開隊。昭和13年には筑波海軍航空隊として独立しました。

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こちらは九三式水上中間訓練機、通称赤トンボ。複葉機ですが昭和9年に正式採用された訓練機です。一般兵より採用された操縦練習生に加え、昭和11年からは土浦航空基地の予科練出身の練習生も加わりここでの訓練を重ね戦場へと送り込まれて行きました。

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一階展示室には南方戦線で発見された零戦などの残骸が展示されています。昭和16年10月から翌年3月までに中練教程を修了した52名の内、46名が終戦までに戦死されたそうで、生還率の低さに驚きます。確かに日本の戦闘機の性能は世界でもトップクラスでしたが、その装甲の弱さや燃料が粗悪になって行く事、他国の技術力が急速に進化し、大戦後期には時代遅れになってしまった事など、様々な要因が重なっています。

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当時の再現として映画のロケのために使われた小道具がそのまま展示物となっています。こちらは司令室。左奥の書庫は開設当初から使われていた本物。

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昭和19年3月には零戦が配備され、実用機課程の練習航空隊となりました。ちなみにこちらの写真は靖国神社の遊就館に展示されている零式艦上戦闘機五ニ型。

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こちらは副司令室。この机は海軍当時使われていたもの。昭和19年10月には映画「永遠の0」にも描かれている神風特攻隊が組織され、以降鹿児島県鹿屋基地を経てフィリピンや沖縄へと出撃して行きました。

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この建物は永遠の0以降も様々な映画やドラマのロケで使われています。戦争についての勉強にもなりますが、建物としても非常に貴重で素晴らしいものです。また、アニメ(艦これ等)を通じて日本海軍に興味を持った方たちも多く訪れています。
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