佐倉市

※まとめサイト等への画像及び文章の無断転載を禁じます。メディア等での画像使用については”unagidanyoro2@yahoo.co.Jp“までご連絡下さい。

     ⬜ 温泉リスト(フルプラウザ版) ⬜

    ⬜ 立ち飲みリスト(フルプラウザ版) ⬜

千葉県佐倉市、佐倉城跡周辺と国立歴史民俗博物館

前回時間の都合で巡れなかった市街地西部の城跡周辺を回りました。

IMG_8421_Original

成田街道の北西部が佐倉城跡なのですが、まずは南城場外の武家屋敷跡を巡ります。

IMG_8417_Original

この竹林の中を抜ける「ひよどり坂」は観光名所になっています。晴れたらもっといい雰囲気だったかも知れません。

IMG_8374_Original

丘の上まで登ると武家屋敷が3軒並んでいます。ここ摘木小路はかつて多くの武家屋敷が建ち並んでいましたが、今ではごく普通の住宅街となっています。ただこの土塁に植え込みと言う景観は当時の武家屋敷の風情を強く残しています。

IMG_8383_Original

こちらは旧河原家住宅。河原家がここへ移って来たのが1835年(天保6年)とされているので、その頃に建設された物と思われます。

IMG_8388_Original

ちなみにこの河原家住宅は同じ摘木小路に建っていた物を現在の位置に移築し、解体調査中に発見された箇所なども復元したそうです。

IMG_8379_Original

このような古民家を見学すると江戸東京たてもの園を思い出します。最近こう言うの見るの好きになりました。

IMG_8387_Original

裏手に廻るとこんな感じです。

IMG_8393_Original

二軒目はくらやみ坂の入り口を挟んで西隣にある但馬家住宅。

IMG_8397_Original

この建物は元からこの場所に建っていた物なので、敷地の庭なども当時の物です。

IMG_8399_Original

1821年(文政4年)から1837年(天保8年)の間に建てられたものと推測されるそうです。当時この住居に住んでいたのは誠心流槍術師範だった井口氏で、その後岡田氏の住居となり、明治8年に但馬家が購入しました。

IMG_8404_Original

こちらの武居家住宅は築年代こそ不明ですが、天保の御制と呼ばれる規定による百石未満の藩士が住む小屋敷の規定に基づいた造りだとか。

IMG_8405_Original

アニメ調のパネルなどもあります。まぁこう言うのも必要なんでしょうが、そんな無理して迎合しなくてもって思ったら、佐倉市が2020年に本気で「天倫の桜」と言うスマホゲームを作ってた。しかもかなり本気で。何かしら原作があってアニメ化されて聖地になると言うプロセスをすっ飛ばして、行政自らが原作作っちゃうとか逆に尊敬する。

IMG_8429_Original

そんなわけで佐倉城跡。建物などは一切残っておらず、空堀などが城跡の面影を残すのみとなっております。

IMG_8427_Original

城郭の殆どが明治政府の廃藩令によって解体されましたが、僅かに残っていた建物も1884年(明治17年)帝国陸軍歩兵第2連隊が宇都宮城跡から移転された時点で全て取り壊されました。

IMG_8428_Original

歩兵第2連隊は後に歩兵第57連隊となり、通称佐倉連隊と呼ばれていました。

IMG_8432_Original

駐屯地があった頃の建物も僅かに残っています。こちらは小銃や機銃の手入れに用いていた油を保管していた倉庫。

IMG_8436

こちらは兵士が高い所から飛び降りら訓練をしていた階段。かつては左手裏に木造の階段が付けられており、右手へと飛び降ります。最初は低い段からで徐々に高い所から飛び降りると思うのですが、最上段から飛び降りるとしたら回転しながら受け身でも取らないと骨折する危険性があります。ただ当時は根性とか気合いとかそう言う尺度で訓練していたので、怪我人も出ていたのてばないかと。

IMG_8433

ちなみにGoogleマップでも場所は出ますが、このような地図が各所にあるので探す事が出来ます。ただ階段は坂を降りた所なので、後回しにした方がいいかも知れません。

IMG_8440

こちらは便所跡。土台のみが残っている形です。佐倉の帝国陸軍歩兵連隊は歴史が長く、日清戦争から日露戦争、太平洋戦争の終戦まで続きました。

IMG_8446

こちらは天守閣跡の奥にあるモッコクの木ですが、兵士が文字を刻んだ跡が残っています。

IMG_8444

こちらが佐倉城の天守閣跡となります。佐倉城は戦国時代にはまだ未完成で、江戸時代に入ってから土井利勝により完成したそうです。

IMG_8443

こちらは佐倉城に使われた敷石で、城が解体された後はそのまま兵舎などの施設の敷石として流用されたとか。

IMG_8449

佐倉城跡を歩いて行くと国立歴史民俗博物館の裏手に併設されたレストランがあったので、そこで昼食をとり博物館に入りました。

IMG_8451

国立歴史民俗博物館は第一から第六展示室まで分かれており、古代から中世と歴史を追って巡って行きます。古代史とか別に興味は無かったんですが、ついついじっくり見学してしまいます。

IMG_8454

個人的に1番見たかったのが第四展示室の民俗学のコーナー。

IMG_8457

しかし古代と中世でじっくり見過ぎてすでに夕方。足早に回るしかなくなりました。

IMG_8458

近代の展示室もじっくり見たかったのにもはや駆け足。いや、国立歴史民俗博物館はとにかく広いから目的を持って見ないと、とても1日では回りきれないって話は「帝都を歩く」さんの記事で読んでいたんですが、いざ行ってみたら興味が尽きなくてついつい。
ここはまた改めて時間をかけて見に来ようと思います。

千葉県佐倉市、城下町の文化財建築群と廃校の桜

佐倉市は成田のちょい手前ぐらいに位置する城下町です。

IMG_8213_Original

京成佐倉駅は佐倉の中心部の北側にありますが、駅前には何もありません。ちなみにJRの佐倉駅は反対の南側。

IMG_8216_Original

南口を出て大通りを東へ進むと、丘の上に県立佐倉高校があります。前身は1792年(寛政4年)佐倉藩の藩校として創立された佐倉学問所で、あの長嶋茂雄の出身校でもあります。この佐倉高校記念館は佐倉藩最後の藩主、堀田正倫の援助により1910年(明治43年)に建設された物で、現在でも管理棟として使われております。

IMG_8237_Original

市街地は街の中央を東西に貫く成田街道沿いに広がっています。まずは東から西の佐倉城跡へ向かって歩いて行きます。

IMG_8238_Original

創業1870年の鈴木金物。木造の引き戸やホーロー看板などの状態が不自然なほど良く、あえてレトロ感を演出している様に見えます。

IMG_8233_Original

成田街道は丘陵の尾根伝いに伸びており、北も南も急な下り坂。その尾根に城下の宿場町が続くと言う特徴的な地形にあります。

IMG_8232_Original

こちらの三谷家住宅は江戸時代からの呉服太物を扱う老舗として佐倉に唯一残っている商家。袖蔵の創建は1884年(明治17年)で、主屋もその頃には建っていたと考えられるそうです。道路の向かいには三谷屋綿店があり、現在でも布団屋さんとして商売されています。

IMG_8228_Original

銅板貼りの看板建築に改修されていますが、この幸田薬局も建物自体は大正あるいは昭和初期の物でしょうか。ここまで外装が変わると流石に文化財指定されません。

IMG_8226_Original

こちらは市の登録有形文化財の石渡家住宅。主屋は(大正5年)建造の「みせ」と(明治40年)建造の「すまい」からなる出桁造で、隣家に面する東西の壁を漆喰塗にするなど、佐倉の町家の特徴を良く残しているそうです。

IMG_8223_Original

裏手にある蔵は、明治38年以前に建てられたと推定されるが詳細は不明だそうです。

IMG_8246_Original

こちらの建物も歴史がありそうですが、すでに廃屋となって倒壊寸前です。

IMG_8242_Original

ここでちょっと南側へ道を外れると、すぐ傾斜地となり廃墟化した貸家群などがあったりします。

IMG_8248_Original

しばらく進むと道は右(北)にクランクします。おそらく地形の都合と思いますが、角にも古い建物が。街並みとして連続はしていませんが、思ったより多くの木造建築が残っています。

IMG_8250_Original

こちらの古民家は「手づくり工房さくら」として機織りや陶芸などの実演や教室をやられています。カフェも併設されているので、休日などは開いているかも知れません。

IMG_8253

呉服商の駿河屋(今井家住宅)は1889〜1892(明治22〜25年)頃に建てられた物です。またここは江戸時代、旅籠「油屋」の跡地でもあり、長州の桂小五郎や会津の山本覚馬、庄内の清河八郎などが宿泊したことが宿帳により分かっているとか。

IMG_8254

町が丘陵地帯に形成されたため深い井戸が必要となり、自前の井戸を掘れない家庭はこのような共同井戸を使用したそうです。

IMG_8257

1918年(大正8年)に建築された旧川崎銀行佐倉支店を保存し、エントランスホールとして再利用している佐倉市立美術館。背後に造築する形で町役場、市役所、公民館、図書館などを経て、現在美術館として町のランドマーク的な存在となっています。

IMG_8260

こちらは山口家住宅。袖蔵の創建は1896年(明治29年)で見世蔵は後の増築と考えられるそうです。

IMG_8263

しばらく歩くと広い敷地のお屋敷があります。ここは公開されていませんが塚本清(素山)邸宅かと思われます。塚本素山は陸軍少佐を経て戦後実業家となった人物で町の有力者。敷地には塚本美術館も隣接されてますが、本邸の敷地内にも文化財クラスの建物が多く残っていると思われます。

IMG_8264

文化財指定されておらず詳細は分かりませんが、こちらも歴史ある建物。

IMG_8266

こちらの建物には中に書肆金照堂と書かれた古い看板がありましたが、書店か何かだったのでしょうか。

IMG_8269

こちらは旧平井家住宅。明治中期に建てられた主屋は登録有形文化財。脇蔵は1918年(明治6年)に建てられたとか。

IMG_8275

北側に坂を下るとやはり崖地でバラック建築となります。

IMG_8274

と、今回はここまで。また次の機会には城跡や城跡にある戦争遺跡、武家屋敷跡、歴史民俗博物館などを巡ってみようと思います。

IMG_8208

以下は余談ですが、今回佐倉を訪れたのは4/6でして、ついでに過去訪れた志津小学校青菅分校跡に桜を撮りに行きました。

IMG_8194

青菅分校は1903年(明治36年)、志津北尋常小学校青菅分教場として設立され、1955年(昭和30年)に現在の校舎が完成しました。その後1977年(昭和52年)に廃校。

IMG_8195

佐倉市街地の西、ユーカリが丘の北の外れにあるこの廃校には、4年前の3月に訪れています。

IMG_8200

やはり内部は公開されていません。

IMG_8196

ここの桜は前回訪れた時より撮りに来たいと思っていました。

千葉県佐倉市、ユーカリが丘〜志津小学校青菅分校跡

千葉県佐倉市のニュータウン、ユーカリが丘に行ってきました。

06933EFB-1478-4BB4-8B93-DA6F2FA96DEA

ユーカリが丘と言えば不動産会社の山万が運営する新交通システム。ニュータウン開発と共に公共交通機関まで自社でやってしまうと言う、唯一のケースですね。路線は「9」の字と言いますか、地下鉄大江戸線を逆さにしたような形で、反時計回りの一方通行。昼間は1時間3本ペースで朝夕は5本ぐらい運行されています。

98747A68-821E-44F7-9A50-1C8733930E1D

中央に集電を兼ねた軌条があり、タイヤで走行しています。このユーカリが丘線が開業したのは昭和57年(1982)。折しも神戸のポートピアや大阪の南港ポートタウンなどで日本初の新交通システムが誕生した翌年で、まさに未来の交通機関と言うやつです。ただ、こちらは運転手がちゃんと乗っていますが。

90018CE0-7DA2-4BB4-BB3D-7A3DB7E8C5C3

中学校駅で降ります。駅は全線で6駅、14分で一周します。駅名も女子大や公園などシンプルなものが多い。

AAC5015A-F81E-489F-8975-A10B5AC896EC

山万は元々大阪の繊維問屋でしたが、不動産業で関東に進出。昭和46年(1971)よりユーカリが丘のニュータウン開発を始め、昭和54年(1979)より分譲が開始されました。ユーカリが丘線の駅前にはマンションが建ちその周辺には一戸建て住宅が広がっています。このニュータウンは売りっぱなしではなく、高齢化に対応して路線バスの運営を始めるなど環境整備を継続的に行っています。

04104870-CEC8-40D5-84ED-9E36F27C43E2

一軒の不動産会社が街を作ると言っても、当然公共施設の整備も必要となります。新交通システムや保育所、老人ホーム、娯楽施設などは山万自らが運営していますが、当然小中学校や消防署、警察署などの公共施設は佐倉市に建ててもらうしかありません。この佐倉市立青菅小学校は昭和61年(1986年)に創立。少子化問題があっても極端に生徒数が減る事も無く、ニュータウン開発に於いては成功例と言っても過言ではないでしょう。

CE860136-75B4-4AEB-88E6-6B2BCB378707

さて、ここからはニュータウンの外側を歩いて行きます。周囲は山林の多い丘陵地に囲まれており、とても自然豊か。

8101A262-9DC3-4A67-9B50-F3322043B0E6

坂を下ると、いきなり千葉の里山風景が広がります。まるで別世界。

C0AD273D-EB29-44F6-AB70-017AB15F5AD1

茅葺き屋根!
いきなりそれは極端だろうwwww
ベッドタウンとの温度差にクラクラします。

BB0906F4-9826-4F15-87E5-77D644216B23

そんな農村地帯に残っているのがこの旧佐倉市立志津小学校青菅分校跡。

1B267BCE-31BE-43FD-A6A7-A25F9221DC6D

こちらが入り口ですが内部は公開されてません。つい最近、2021年10月に国指定有形文化財に登録されました。

1AFA17E9-713F-4D58-87D2-A2C2B8117179

窓から覗くと非常に綺麗な保存状態です。

A415A49D-0C50-443C-A0EE-9DF8BA684DCF

机や椅子が並べられていたらた、ロケ地なんかにも使われそう。

09A2D53D-01A7-4F02-8904-B13D7F2A2DFE

この青菅分校は明治36年(1903)、志津北尋常小学校青菅分教場として設立され、昭和30年(1955)に現在の校舎が完成しました。その後、ユーカリが丘ニュータウンが完成間近となった昭和52年(1977)、ひっそりと廃校となったそうです。敷地内には桜の木々が植えられており、桜の季節にまた訪れてみたいですね。(3月4日撮影)

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ブログ紹介
都内、近郊の古い街並みや建造物、路地裏などの写真とレポートを載せています。また、国内の寂れた観光地やマニアックな温泉スポット、廃墟などもご紹介。

鰻田ニョロの小説部屋
→昔書いた小説など
カテゴリー
最新記事
記事検索
  • ライブドアブログ