廃線跡を歩き横川まで戻って来ました。碓氷峠鉄道文化むらに寄るのですが、今回は内容がかなり鉄寄りになってしまうと思われます。

碓氷峠鉄道文化むらは1999年4月、廃止となった横川運転区の跡地に開園されました。

こちらでは廃線跡を使ってEF63の実機による運転体験も行われています。体力と時間があればやってみたい所ですが。写真は旧信越本線跡を走行中のEF63の25号機。

現在動態保存されているのは他に右から12号機、奥に24号機、左の11号機の合計4両あります。

館内に入るとEF63の10号機が当時の検修庫に保存されています。

側面ルーバーが外され機関室が丸見えです。1963年、碓氷峠越えの時間短縮のために国鉄はアプト線を廃止し、粘着走行(普通の動輪とレール)による複線化された新線を開通させました。しかし66.7‰と言う急勾配を列車が走行するために後押しする補助機関車が必要となり、ハイパワーな専用機関車としてこのEF63が開発されました。

こう言う狭くて緑色な国鉄車両の雰囲気が大好きです。この補助機関車は登り坂では列車の最後尾を後押しし、下り坂では先頭に連結して暴走させないよう制動ブレーキをかけながら走行していました。その際、常に2両一組で増結されており、いかに勾配が急だったかが窺い知れます。

こちらは昭和末期のレトロブームにあやかり、あえてブドウ色(こげ茶)に塗装された18号機。確かに13号機までの一次機は当初ブドウ色でしたが、この二次機は当初青とクリーム色の国鉄色でした。かつて御召し塗装のEF5861がアイドルのように持て囃された時代がありました。自分的には鉄っちゃん全盛期でしたが、あくまでもリバイバルカラーだったのである意味シラけてしまいました。

こちらは試作機である1号機。子供の頃、運転席の窓ガラスがHゴムなのが常識だった時代に、アルミサッシを採用したこの機関車を近未来的でカッコイイと思っていました。細部に渡りそれまでの電気機関車とは一線を画す存在感がありましたね。

しかし中学高校と進むに連れて、EF63と同じ1963年に運用開始された信越本線の主力機、EF62の方が好きになっていきます。どうでもいい話なんですがね。

ちなみにこちらのEF62は東海道本線にEF58の代替機として転用された12号機の現役時代。1984年に信越本線の貨物列車が廃止となった事によりEF62の余剰機が発生し、暖房設備が搭載されていた事も理由に東海道本線の荷物列車牽引機として第二の人生を送りました。写真は転用された当時に撮影したもの。しかし1986年に荷物列車が全廃された事により、転用されたEF62たちは1987年の国鉄分割民営化までに廃車となりました。
一方故郷である信越本線のEF62たちは横川運転区が廃止となる1999年まで、臨時列車の牽引などに活躍していました。
すいません、かなり話が脱線してしまいました。いや、鉄の話で脱線とか言っちゃいけない。

碓氷峠の話に戻ります。こちらはアプト式旧線が廃線となるまで活躍していたアプト区間専用機関車、ED42。

前の台車と後ろの台車、それぞれに主電動機を1基づつ搭載しており、この連結棒(カップリングロッド)で各動輪に駆動が伝達されます。さらにアプト式歯車の駆動用として歯車駆動用主電動機1基を搭載。言うなればトリプルエンジンと言う事でしょうか。とんでもない機関車です。

展示スペースとして利用されている検修庫は極力当時のままの形を残しています。

実際修理や検査に使われていた工具も棚ごと残されています。これは一部のマニアにはたまらないでしょう。

他にも旋盤やボール盤など金属加工機器も。

こんな物も残っています。昔のコンピュータみたいな?

鉄道文化むら以外にも、碓氷峠の登り口あたりにある日帰り入浴施設、峠の湯の隣にあるコテージに、個人所有のEF63-22号機があります。雨晒しで結構劣化が激しいですが。
以下、碓氷峠とは関係のない展示車両たちなので、余談になります。

検修庫の裏には全国から集められた車両たちが屋外展示されています。

まぁ、碓氷峠とは関係ないので細かい説明は省きます。

1965年製造1986年廃止のDD53-1。新潟から旭川、新庄へと転属して行き、除雪作業などで活躍しました。

1937年製造のSL。D51-96。廃車後1977年、埼玉県の長瀞町にオープンした長瀞SLホテルに使われていたとか。やはり電気機関車と比べてデカいです。

1934年製造のEF53-2。戦前から戦時中にかけて東海道本線の特急列車などを牽引していた機関車。しかし戦後、EF58の登場によりその座を後継に譲って高崎第二機関区へ転属。1963年には急勾配補助機関車に改造されEF59-11として生まれ変わり、山陽本線の瀬野〜八本松間で第2の人生を送りました。引退後、高崎運転所にて元の姿に復元されました。

こちらはそのEF53から改造されたEF59-1(元はEF53-8)。これらの機関車はいずれも1980年代前半に、約半世紀にのぼる長い現役生活を終えました。10代の頃いわゆるセノハチにEF59を撮りに行った事もありました。
何いちいち解説してんだろうと一瞬冷静になりましたが、詳しく調べ始めたら止まらなくなりましたので続けますwww

EF58-172(右)とEF30-20。
1958年製造のEF58-172は当初大阪の宮原区で、後に宇都宮区で活躍していました。この172号機は一度だけお召し列車の牽引をしており、1985年の引退後は高崎車両区に留置されていました。
1968年製造のEF30-20は関門トンネル専用機で、錆に強いステンレス車両となります。

EF58と時を同じくして貨物列車専用機として製造されたEF15-165。EF58形とは外見こそ違えど台車や電気機器など主要部品が共通化されています。

EF60の500番台501号機。1963年、20系寝台特急の牽引用としてEF58の後を引き継ぐ形で製造されましたが、2年後の1965年にはさらに高速運転可能なEF65が製造されたため、貨物列車等の牽引へと回されてしまいました。

こちらが1965年、EF60の500番台から東海道本線のブルートレイン牽引を引き継いだEF65-500番台。機関車の花形とも言えるブルートレインの牽引は、その後1977年にEF65の1000番台へと引き継がれてゆく。

1962年から1980年まで秋田や盛岡で活躍し、1986年に廃車となったDD51の1号機。DD51は現在でも全国の非電化区間の主力ディーゼル機関車として活躍しています。電気機関車は幹線の電化に合わせて戦前より多く製造されて来ましたが、非電化路線では戦後もしばらく蒸気機関車が主力でした。これは日本が戦後もしばらく石炭を多く産出していたのに対し、重油は輸入に頼らなければならないと言う理由からでしょうか。

北陸本線の主力機として1962年に製造開始された交流電気機関車EF70。こちらの1001号機は20系寝台特急牽引に対応するため、1968年に22号機を改造した車両です。

1967年から1986年まで常磐線などで活躍していた交直流電気機関車、EF80-63。昔は上野駅まで客車列車を牽引して来ました。

碓氷峠鉄道文化むらには他に客車や気動車なども展示されていますが、キリがないので端折ります。
なんか昔行った大宮機関区の公開イベントなどを思い出して興奮してしまいました。て言うか当時大宮で見た覚えのある車両もおり、久々の再会となりました。
ただ、心配なのは雨晒しであること。京都や大宮の鉄道博物館のような屋内展示とは違い、錆などによる劣化が激しく修繕するのも大変なんじゃないかと思います。実際いくつかの車両には応急措置としてブルーシートが掛けられていました。東京からも離れているので、経営難にならなければいいのですが。

あとご注意頂きたいのが平日は飲食店が休業している事。園内の飲食店は土日祝日営業となります。平日のお昼ご飯は、横川駅の立ち食い蕎麦か駅近くの中華料理店か、駅前の峠の釜飯ぐらいしかありません。
旧アプト線廃線跡もご覧下さい。
→群馬県安中市、旧信越本線旧線の廃線跡(前編)
→群馬県安中市、旧信越本線旧線の廃線跡(後編)

碓氷峠鉄道文化むらは1999年4月、廃止となった横川運転区の跡地に開園されました。

こちらでは廃線跡を使ってEF63の実機による運転体験も行われています。体力と時間があればやってみたい所ですが。写真は旧信越本線跡を走行中のEF63の25号機。

現在動態保存されているのは他に右から12号機、奥に24号機、左の11号機の合計4両あります。

館内に入るとEF63の10号機が当時の検修庫に保存されています。

側面ルーバーが外され機関室が丸見えです。1963年、碓氷峠越えの時間短縮のために国鉄はアプト線を廃止し、粘着走行(普通の動輪とレール)による複線化された新線を開通させました。しかし66.7‰と言う急勾配を列車が走行するために後押しする補助機関車が必要となり、ハイパワーな専用機関車としてこのEF63が開発されました。

こう言う狭くて緑色な国鉄車両の雰囲気が大好きです。この補助機関車は登り坂では列車の最後尾を後押しし、下り坂では先頭に連結して暴走させないよう制動ブレーキをかけながら走行していました。その際、常に2両一組で増結されており、いかに勾配が急だったかが窺い知れます。

こちらは昭和末期のレトロブームにあやかり、あえてブドウ色(こげ茶)に塗装された18号機。確かに13号機までの一次機は当初ブドウ色でしたが、この二次機は当初青とクリーム色の国鉄色でした。かつて御召し塗装のEF5861がアイドルのように持て囃された時代がありました。自分的には鉄っちゃん全盛期でしたが、あくまでもリバイバルカラーだったのである意味シラけてしまいました。

こちらは試作機である1号機。子供の頃、運転席の窓ガラスがHゴムなのが常識だった時代に、アルミサッシを採用したこの機関車を近未来的でカッコイイと思っていました。細部に渡りそれまでの電気機関車とは一線を画す存在感がありましたね。

しかし中学高校と進むに連れて、EF63と同じ1963年に運用開始された信越本線の主力機、EF62の方が好きになっていきます。どうでもいい話なんですがね。

ちなみにこちらのEF62は東海道本線にEF58の代替機として転用された12号機の現役時代。1984年に信越本線の貨物列車が廃止となった事によりEF62の余剰機が発生し、暖房設備が搭載されていた事も理由に東海道本線の荷物列車牽引機として第二の人生を送りました。写真は転用された当時に撮影したもの。しかし1986年に荷物列車が全廃された事により、転用されたEF62たちは1987年の国鉄分割民営化までに廃車となりました。
一方故郷である信越本線のEF62たちは横川運転区が廃止となる1999年まで、臨時列車の牽引などに活躍していました。
すいません、かなり話が脱線してしまいました。いや、鉄の話で脱線とか言っちゃいけない。

碓氷峠の話に戻ります。こちらはアプト式旧線が廃線となるまで活躍していたアプト区間専用機関車、ED42。

前の台車と後ろの台車、それぞれに主電動機を1基づつ搭載しており、この連結棒(カップリングロッド)で各動輪に駆動が伝達されます。さらにアプト式歯車の駆動用として歯車駆動用主電動機1基を搭載。言うなればトリプルエンジンと言う事でしょうか。とんでもない機関車です。

展示スペースとして利用されている検修庫は極力当時のままの形を残しています。

実際修理や検査に使われていた工具も棚ごと残されています。これは一部のマニアにはたまらないでしょう。

他にも旋盤やボール盤など金属加工機器も。

こんな物も残っています。昔のコンピュータみたいな?

鉄道文化むら以外にも、碓氷峠の登り口あたりにある日帰り入浴施設、峠の湯の隣にあるコテージに、個人所有のEF63-22号機があります。雨晒しで結構劣化が激しいですが。
以下、碓氷峠とは関係のない展示車両たちなので、余談になります。

検修庫の裏には全国から集められた車両たちが屋外展示されています。

まぁ、碓氷峠とは関係ないので細かい説明は省きます。

1965年製造1986年廃止のDD53-1。新潟から旭川、新庄へと転属して行き、除雪作業などで活躍しました。

1937年製造のSL。D51-96。廃車後1977年、埼玉県の長瀞町にオープンした長瀞SLホテルに使われていたとか。やはり電気機関車と比べてデカいです。

1934年製造のEF53-2。戦前から戦時中にかけて東海道本線の特急列車などを牽引していた機関車。しかし戦後、EF58の登場によりその座を後継に譲って高崎第二機関区へ転属。1963年には急勾配補助機関車に改造されEF59-11として生まれ変わり、山陽本線の瀬野〜八本松間で第2の人生を送りました。引退後、高崎運転所にて元の姿に復元されました。

こちらはそのEF53から改造されたEF59-1(元はEF53-8)。これらの機関車はいずれも1980年代前半に、約半世紀にのぼる長い現役生活を終えました。10代の頃いわゆるセノハチにEF59を撮りに行った事もありました。
何いちいち解説してんだろうと一瞬冷静になりましたが、詳しく調べ始めたら止まらなくなりましたので続けますwww

EF58-172(右)とEF30-20。
1958年製造のEF58-172は当初大阪の宮原区で、後に宇都宮区で活躍していました。この172号機は一度だけお召し列車の牽引をしており、1985年の引退後は高崎車両区に留置されていました。
1968年製造のEF30-20は関門トンネル専用機で、錆に強いステンレス車両となります。

EF58と時を同じくして貨物列車専用機として製造されたEF15-165。EF58形とは外見こそ違えど台車や電気機器など主要部品が共通化されています。

EF60の500番台501号機。1963年、20系寝台特急の牽引用としてEF58の後を引き継ぐ形で製造されましたが、2年後の1965年にはさらに高速運転可能なEF65が製造されたため、貨物列車等の牽引へと回されてしまいました。

こちらが1965年、EF60の500番台から東海道本線のブルートレイン牽引を引き継いだEF65-500番台。機関車の花形とも言えるブルートレインの牽引は、その後1977年にEF65の1000番台へと引き継がれてゆく。

1962年から1980年まで秋田や盛岡で活躍し、1986年に廃車となったDD51の1号機。DD51は現在でも全国の非電化区間の主力ディーゼル機関車として活躍しています。電気機関車は幹線の電化に合わせて戦前より多く製造されて来ましたが、非電化路線では戦後もしばらく蒸気機関車が主力でした。これは日本が戦後もしばらく石炭を多く産出していたのに対し、重油は輸入に頼らなければならないと言う理由からでしょうか。

北陸本線の主力機として1962年に製造開始された交流電気機関車EF70。こちらの1001号機は20系寝台特急牽引に対応するため、1968年に22号機を改造した車両です。

1967年から1986年まで常磐線などで活躍していた交直流電気機関車、EF80-63。昔は上野駅まで客車列車を牽引して来ました。

碓氷峠鉄道文化むらには他に客車や気動車なども展示されていますが、キリがないので端折ります。
なんか昔行った大宮機関区の公開イベントなどを思い出して興奮してしまいました。て言うか当時大宮で見た覚えのある車両もおり、久々の再会となりました。
ただ、心配なのは雨晒しであること。京都や大宮の鉄道博物館のような屋内展示とは違い、錆などによる劣化が激しく修繕するのも大変なんじゃないかと思います。実際いくつかの車両には応急措置としてブルーシートが掛けられていました。東京からも離れているので、経営難にならなければいいのですが。

あとご注意頂きたいのが平日は飲食店が休業している事。園内の飲食店は土日祝日営業となります。平日のお昼ご飯は、横川駅の立ち食い蕎麦か駅近くの中華料理店か、駅前の峠の釜飯ぐらいしかありません。
旧アプト線廃線跡もご覧下さい。
→群馬県安中市、旧信越本線旧線の廃線跡(前編)
→群馬県安中市、旧信越本線旧線の廃線跡(後編)




































































































