記事を書き始めた段階で間違えて公開してしまいました。恥ずかしい。
意外と債務の返済が前倒しに進んでいるつくばエキスプレス。流山セントラルパークと言う駅名はさておき、秋葉原から30分足らずで開発途上の自然豊かな土地に到着。現在の秋葉原始発が東京駅まで延伸される計画もあるし、つくばエキスプレス沿線はまだまだ伸び代が有ります。

駅前には何もないです。ただ人口が増えて行けばコンビニぐらいは出来るかも。

さて、流山セントラルパークについて触れても話が続かないので、さっそく流山市総合運動公園へ。水運で栄えた流山市の江戸川沿岸にはキッコーマン流山工場が有ります。そのためか公園にはキッコーマンアリーナが有ります。

ため池と湿地と雑木林、そんな公園の片隅に保存車両は有りました。

左手には蒸気機関車のD5114が展示されています。近年まではだいぶボロボロになっていたようですが、大掛かりな改修と化粧直しによって綺麗な姿で保存されています。

この14号機は昭和11年に汽車製造会社大阪工場で製造されましたが、1号機から13号機まで生産していた川崎車両より約一ヵ月早く完成してしまったので、実質初号機と言っていいです。

この機関車は最初の4年を大阪で過ごし、その後北海道で1973年まで活躍していたそうです。

右手にあるのは流山鉄道(現・流山電鉄)のガソリンカー。ガソリンカーと言えば足尾歴史館で復元され動態保存されていますが、大正時代から戦後に掛けて存在した自動車などのガソリンエンジンで動く車両。戦後、経済性や安全性が低い事からディーゼルエンジンによる気動車へと置き換えられて行きました。

流山電鉄とは流山セントラルパークより西、江戸川沿岸の流山市中心部を走るローカル線。

このキハ31は昭和8年から35年まで使用されていましたが、ガソリンが不足していた戦時中は蒸気機関車に牽引されて走っていました。また、昭和24年に路線が電化されてからはエンジンを外され、客車として使われ続いていたそうです。

さて、つくばエキスプレスと乗り換えが出来ない流山電鉄へ。現在では西武鉄道の払い下げ車両が活躍しています。

1916年開業の流山電鉄、歴代の車両たち。下段左から2番目には保存されていたガソリンカーの姿も。

終点の流山駅。つくばエキスプレス沿線とは対照的に開発から取り残された旧市街感があります。何と言っても馬橋で常磐線に乗り換えて北千住から日比谷線で秋葉原まで合計50分掛かります。セントラルパークまでは30分足らずなのに。

流山と言えば私などは世代的に千葉パイレーツ流山球場を思い出してしまいます。つまり千葉のド田舎のイメージ。ちなみにSuicaは使えません。

流山駅からキッコーマン流山工場まで、かつて短い引き込み線がありました。ここはその廃線跡。

ほんの数百メートルですが、昭和4年に開通して昭和44年に廃止となっております。

戦前の引き込み線と工場。流山電鉄の役目として貨物輸送は大きかったのだと思います。

川沿いにあるキッコーマン流山工場。ここではマンジョウ本みりんを作っています。その歴史は古く、江戸中期に堀切紋次郎なる人物がこの地で白みりんを作り出した所から始まります。
後の大正6年、野田の醤油醸造蔵が集まってキッコーマンの前身である野田醤油株式会社設立時、野田醤油の出資によって万上味輪株式会社が設立され、それが現在のキッコーマン流山工場。江戸、明治、大正と、野田の醤油に流山のみりんと言われ、その歴史が現在のキッコーマンに受け継がれています。
ちなみにみりん造りで必要だった塩は、大正6年に高潮で壊滅するまで本行徳の塩田から江戸川を遡って運ばれて来ました。

小林一茶の支援者でもあったみりん醸造業の創業者の一人といわれる五代目秋元三左衛門の記念館。江戸時代みりんは甘いお酒として飲まれており、現在のような調味料として使われたのは明治以降。しかし今でもお酒として飲めるみりんも販売されています。以前、金宮のみりんなら飲んだ事があります。

江戸川の対岸は開発されまくりの、アウトレットパークで知名度も上がった三郷。外環と常磐道が交差する三郷ジャンクションやJR武蔵野線があります。流山電鉄沿線は1970年代より宅地化が進んだものの、結局古くから歴史のある街を再開発するよりも、何も無い土地を開発した方が安く済む。と言う結論に至ったのでしょう。
意外と債務の返済が前倒しに進んでいるつくばエキスプレス。流山セントラルパークと言う駅名はさておき、秋葉原から30分足らずで開発途上の自然豊かな土地に到着。現在の秋葉原始発が東京駅まで延伸される計画もあるし、つくばエキスプレス沿線はまだまだ伸び代が有ります。

駅前には何もないです。ただ人口が増えて行けばコンビニぐらいは出来るかも。

さて、流山セントラルパークについて触れても話が続かないので、さっそく流山市総合運動公園へ。水運で栄えた流山市の江戸川沿岸にはキッコーマン流山工場が有ります。そのためか公園にはキッコーマンアリーナが有ります。

ため池と湿地と雑木林、そんな公園の片隅に保存車両は有りました。

左手には蒸気機関車のD5114が展示されています。近年まではだいぶボロボロになっていたようですが、大掛かりな改修と化粧直しによって綺麗な姿で保存されています。

この14号機は昭和11年に汽車製造会社大阪工場で製造されましたが、1号機から13号機まで生産していた川崎車両より約一ヵ月早く完成してしまったので、実質初号機と言っていいです。

この機関車は最初の4年を大阪で過ごし、その後北海道で1973年まで活躍していたそうです。

右手にあるのは流山鉄道(現・流山電鉄)のガソリンカー。ガソリンカーと言えば足尾歴史館で復元され動態保存されていますが、大正時代から戦後に掛けて存在した自動車などのガソリンエンジンで動く車両。戦後、経済性や安全性が低い事からディーゼルエンジンによる気動車へと置き換えられて行きました。

流山電鉄とは流山セントラルパークより西、江戸川沿岸の流山市中心部を走るローカル線。

このキハ31は昭和8年から35年まで使用されていましたが、ガソリンが不足していた戦時中は蒸気機関車に牽引されて走っていました。また、昭和24年に路線が電化されてからはエンジンを外され、客車として使われ続いていたそうです。

さて、つくばエキスプレスと乗り換えが出来ない流山電鉄へ。現在では西武鉄道の払い下げ車両が活躍しています。

1916年開業の流山電鉄、歴代の車両たち。下段左から2番目には保存されていたガソリンカーの姿も。

終点の流山駅。つくばエキスプレス沿線とは対照的に開発から取り残された旧市街感があります。何と言っても馬橋で常磐線に乗り換えて北千住から日比谷線で秋葉原まで合計50分掛かります。セントラルパークまでは30分足らずなのに。

流山と言えば私などは世代的に千葉パイレーツ流山球場を思い出してしまいます。つまり千葉のド田舎のイメージ。ちなみにSuicaは使えません。

流山駅からキッコーマン流山工場まで、かつて短い引き込み線がありました。ここはその廃線跡。

ほんの数百メートルですが、昭和4年に開通して昭和44年に廃止となっております。

戦前の引き込み線と工場。流山電鉄の役目として貨物輸送は大きかったのだと思います。

川沿いにあるキッコーマン流山工場。ここではマンジョウ本みりんを作っています。その歴史は古く、江戸中期に堀切紋次郎なる人物がこの地で白みりんを作り出した所から始まります。
後の大正6年、野田の醤油醸造蔵が集まってキッコーマンの前身である野田醤油株式会社設立時、野田醤油の出資によって万上味輪株式会社が設立され、それが現在のキッコーマン流山工場。江戸、明治、大正と、野田の醤油に流山のみりんと言われ、その歴史が現在のキッコーマンに受け継がれています。
ちなみにみりん造りで必要だった塩は、大正6年に高潮で壊滅するまで本行徳の塩田から江戸川を遡って運ばれて来ました。

小林一茶の支援者でもあったみりん醸造業の創業者の一人といわれる五代目秋元三左衛門の記念館。江戸時代みりんは甘いお酒として飲まれており、現在のような調味料として使われたのは明治以降。しかし今でもお酒として飲めるみりんも販売されています。以前、金宮のみりんなら飲んだ事があります。

江戸川の対岸は開発されまくりの、アウトレットパークで知名度も上がった三郷。外環と常磐道が交差する三郷ジャンクションやJR武蔵野線があります。流山電鉄沿線は1970年代より宅地化が進んだものの、結局古くから歴史のある街を再開発するよりも、何も無い土地を開発した方が安く済む。と言う結論に至ったのでしょう。

















































