西武新宿線本川越駅からひとつ手前、南大塚駅から入間川河川敷まで、かつて3.2キロにわたって貨物線が走っていました。

南大塚駅構内。かつての敷地はそのままで、レールも一部残っています。

線路跡はしばらく住宅街の中を抜けます。最近まで線路がそのまま残っていたようですが、現在枕木が撤去されて、レールのみが置きっぱなしになっています。

国道17号線を越えた辺り、踏み切り部分の線路がそのまま残っている箇所もあります。この西武安比奈線は北西を流れる入間川で採取した砂利の運搬を目的として大正15年(1925年)に開業しました。

川砂や砂利は建設業界に於いて、例えばアスファルトの下地に敷く砕石や、コンクリート精製の際に使用する砂や砂利(骨材)など、とても重要な材料となります。それこそ関東大震災後の復興建築から高度成長期の建設ラッシュまで、首都圏の建設を支える一端を担って来たのでしょう。

盛り土や鉄橋も健在。山を掘っても土や岩しか出ないので、川の流れで砕かれた河原の石は大切な建材です。ただ環境の事を考慮して採取禁止となった川も多くあります。入間川も昭和42年(1967年)に禁止され、それに伴い安比奈線も休止となりました。

農地の用水路を跨ぐ所などにコンクリートの遺構が確認出来ます。一時期、西武新宿線の複々線化計画が発表され、それに伴う車両数の増強も考えられました。そこで路線を整備して西武新宿線の新車両基地を設置する計画もありました。

しかし国道17号線を越えるために踏み切りを復活させる訳にもいかず、かと言って高架化するには莫大な費用が掛かります。現代においてはとても現実的な話では有りませんでした。この計画は平成7年(1995年)に無期延期され、後に正式に中止となったそうです。

小川を渡る箇所にはガーター橋がそのまま残っています。しばらく休止線の状態のまま放置されていた安比奈線ですが、2017年5月31日、正式に廃止となりました。

途中、廃線跡は雑木林に入って行きます。この辺りはまだ線路が残っていますね。以前は架線も残っていたそうですが、廃止が決まった翌年、2018年に撤去されたそうです。休止線となっておよそ50年もの間、線路と架線がそのまま残されていた事になります。

開通当初からしばらく蒸気機関車で運転されていましたが、昭和24年(1949年)に電化されました。

休止線となった後、一時期西武鉄道の貨車の留置や解体に使われたこともありましたが、およそ57年間車両が通る事も無く放置され続けたレール。錆びなどでボロボロになったりしない物なんですね。

雑木林を抜けた辺りで線路は左方向に引き込み線が分岐します。分岐した線路は休止線とはならず、だいぶ昔に廃止扱いとなったのか分岐の形跡すら見つけられません。

ただ、敷地はそのまま管理され続けています。まずはこの引き込み線を進みます。

囲いはされていますが、ただの空き地状態となっております。

引き込み線の終着点では砂利を積んだダンプカーが頻繁に入って行っております。

ここは昭和49年創業のSKマテリアルと言う会社で、コンクリートに使用する砂や砂利などを販売しています。河川敷からの採石は禁止されましたが、旧河川の敷地から現在も採石しているようです。またこのSKマテリアルは西武秩父線吾野駅の西側でも石や砂を採掘しています。吾野駅の先、左手に見えるホッパー(鉱物を貨車やダンプに積み込む構造物)がそれです。あちらも鉄道輸送をやめて現在はダンプによって搬出していますが、もしかしたらここに運び込まれてストックされているのかも。

さて、雑木林を抜けた所から本線に戻ります。線路は現在の道路を横切るために路盤が盛り土されています。対して先程の引き込み線は盛り土されておらず道路の路盤によって完全に分断されていました。この状況を見るに引き込み線が廃止されたのは相当昔であると思われます。

道路を渡った所で鉄橋が姿を現しました。ちなみに下の川は水が枯れています。

入間川の手前で線路は左手、下流側に大きくカーブを描き、1998年に完成した八瀬大橋を渡る県道114号線に線路を分断されます。

その後は河川敷を川沿いに進みますが、この辺りはすでに堤外地となります。

この辺りが旧・安比奈駅と言われている所。コンクリートの車止めが終着地点と教えてくれる。

ただ、この先も線路は続きます。恐らくは駅構内のターミナルのような場所かと思われる。

台風の時などは増水するのでしょう、泥に半分埋もれています。とは言え、よく長い年月残り続けていたと、つくづく思います。

ちなみにここで活躍していた蒸気機関車を以前撮っていました。津田沼駅近くの津田沼一丁目公園に保存されているK2型蒸気機関車。この134号機は昭和18年製で陸軍鉄道連隊にて使用されていました。戦後この安比奈線で入れ替えに使用されていたそうです。電化された後も構内の入れ替えで使われ続け、引退後はユネスコ村で静態保存。1990年の閉園後、故郷とも言える習志野市で保存されております。

南大塚駅構内。かつての敷地はそのままで、レールも一部残っています。

線路跡はしばらく住宅街の中を抜けます。最近まで線路がそのまま残っていたようですが、現在枕木が撤去されて、レールのみが置きっぱなしになっています。

国道17号線を越えた辺り、踏み切り部分の線路がそのまま残っている箇所もあります。この西武安比奈線は北西を流れる入間川で採取した砂利の運搬を目的として大正15年(1925年)に開業しました。

川砂や砂利は建設業界に於いて、例えばアスファルトの下地に敷く砕石や、コンクリート精製の際に使用する砂や砂利(骨材)など、とても重要な材料となります。それこそ関東大震災後の復興建築から高度成長期の建設ラッシュまで、首都圏の建設を支える一端を担って来たのでしょう。

盛り土や鉄橋も健在。山を掘っても土や岩しか出ないので、川の流れで砕かれた河原の石は大切な建材です。ただ環境の事を考慮して採取禁止となった川も多くあります。入間川も昭和42年(1967年)に禁止され、それに伴い安比奈線も休止となりました。

農地の用水路を跨ぐ所などにコンクリートの遺構が確認出来ます。一時期、西武新宿線の複々線化計画が発表され、それに伴う車両数の増強も考えられました。そこで路線を整備して西武新宿線の新車両基地を設置する計画もありました。

しかし国道17号線を越えるために踏み切りを復活させる訳にもいかず、かと言って高架化するには莫大な費用が掛かります。現代においてはとても現実的な話では有りませんでした。この計画は平成7年(1995年)に無期延期され、後に正式に中止となったそうです。

小川を渡る箇所にはガーター橋がそのまま残っています。しばらく休止線の状態のまま放置されていた安比奈線ですが、2017年5月31日、正式に廃止となりました。

途中、廃線跡は雑木林に入って行きます。この辺りはまだ線路が残っていますね。以前は架線も残っていたそうですが、廃止が決まった翌年、2018年に撤去されたそうです。休止線となっておよそ50年もの間、線路と架線がそのまま残されていた事になります。

開通当初からしばらく蒸気機関車で運転されていましたが、昭和24年(1949年)に電化されました。

休止線となった後、一時期西武鉄道の貨車の留置や解体に使われたこともありましたが、およそ57年間車両が通る事も無く放置され続けたレール。錆びなどでボロボロになったりしない物なんですね。

雑木林を抜けた辺りで線路は左方向に引き込み線が分岐します。分岐した線路は休止線とはならず、だいぶ昔に廃止扱いとなったのか分岐の形跡すら見つけられません。

ただ、敷地はそのまま管理され続けています。まずはこの引き込み線を進みます。

囲いはされていますが、ただの空き地状態となっております。

引き込み線の終着点では砂利を積んだダンプカーが頻繁に入って行っております。

ここは昭和49年創業のSKマテリアルと言う会社で、コンクリートに使用する砂や砂利などを販売しています。河川敷からの採石は禁止されましたが、旧河川の敷地から現在も採石しているようです。またこのSKマテリアルは西武秩父線吾野駅の西側でも石や砂を採掘しています。吾野駅の先、左手に見えるホッパー(鉱物を貨車やダンプに積み込む構造物)がそれです。あちらも鉄道輸送をやめて現在はダンプによって搬出していますが、もしかしたらここに運び込まれてストックされているのかも。

さて、雑木林を抜けた所から本線に戻ります。線路は現在の道路を横切るために路盤が盛り土されています。対して先程の引き込み線は盛り土されておらず道路の路盤によって完全に分断されていました。この状況を見るに引き込み線が廃止されたのは相当昔であると思われます。

道路を渡った所で鉄橋が姿を現しました。ちなみに下の川は水が枯れています。

入間川の手前で線路は左手、下流側に大きくカーブを描き、1998年に完成した八瀬大橋を渡る県道114号線に線路を分断されます。

その後は河川敷を川沿いに進みますが、この辺りはすでに堤外地となります。

この辺りが旧・安比奈駅と言われている所。コンクリートの車止めが終着地点と教えてくれる。

ただ、この先も線路は続きます。恐らくは駅構内のターミナルのような場所かと思われる。

台風の時などは増水するのでしょう、泥に半分埋もれています。とは言え、よく長い年月残り続けていたと、つくづく思います。

ちなみにここで活躍していた蒸気機関車を以前撮っていました。津田沼駅近くの津田沼一丁目公園に保存されているK2型蒸気機関車。この134号機は昭和18年製で陸軍鉄道連隊にて使用されていました。戦後この安比奈線で入れ替えに使用されていたそうです。電化された後も構内の入れ替えで使われ続け、引退後はユネスコ村で静態保存。1990年の閉園後、故郷とも言える習志野市で保存されております。















































































