さいたま市

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埼玉県さいたま市、見沼通船堀閘門開閉実演

こうもん、かいへい、じつえん。
平仮名で書いちゃいけません。閘門、つまり端的に言えば規模は小さいけどパナマ運河みたいな物です。去る8月20日、見沼通船堀にて閘門の開閉実演が行われました。

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JR武蔵野線東浦和駅から南東へ。見沼代用水東縁を渡ります。見沼代用水とは灌漑農業用水で、江戸中期の享保13年(1728年)に江戸幕府の役人であった井沢弥惣兵衛為永が新田開発のために普請した用水路です。この見沼代用水は行田市の北で利根川から取水し、蓮田市で東西に分岐。この東縁は戸田競艇場にて荒川に合流し、西縁は足立区で荒川に合流します。

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その東縁から真ん中を流れる芝川を介し西縁へと至る運河、見沼通船堀があります。通船堀は芝川を境に西縁と東縁に分かれており、こちらは西縁二の関の船溜まり跡。つまり水を堰き止めて水位を上げ下げする閘門があった場所で、船溜りがあったため幅が広くなっています。

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水は見沼代用水西縁から芝川に向かって流れて行きます。しばらく歩くと西縁一の関の閘門が復元されています。

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今年は特に水量が少ないらしいですが、かつてはここを和船が航行していました。見沼通船堀は見沼代用水完成の三年後、享保16年(1731年)に東西の見沼代用水と中央の芝川を結ぶ運河として造られました。

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やがて芝川に合流。芝川は桶川や上尾の湧水地を源流として、かつて沼地だった見沼を通り川口市南東部で荒川へと注ぎます。

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芝川の左岸(西側)には水神社があります。ここは通船堀開通の翌年に創建され、水難防止の神として祀られて来ました。現在の本殿は関東大震災で全壊した翌年の大正13年に建てられた物。

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芝川の東側には鈴木家住宅があります。鈴木家は幕府から見沼通船堀の各船に対する積荷や船頭の割り振りなど船割りを行う差配役を命じられていました。文政年間に(1818年〜1830年)江戸から移住し、建物もその当時の物と考えられているそうです。

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土日などは奥まで入られるようになっていますが、母屋は生活されているので公開されていません。裏手の蔵や小屋には昔の農機具や、見沼代用水に関するパネルなどが展示されています。

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芝川から見沼代用水西縁へ向かって見沼通船堀西縁が分岐して行きます。この辺りにもかつては河岸(かし)があったそうです。

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100メートルほどでしょうか、遡って行くと復元された一の関があります。

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さらに100〜200メートルほどでしょうか、二の関があります。今回の閘門開閉実演では一の関のみ閘門を閉めます。

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まず一の関で、角落(かくおとし)と呼ばれる板を放り投げます。実演は保存会の方々をはじめボランティアスタッフで行われており、保存のためのクラウドファンディングも募集しているとか。

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水飛沫を上げて投げ込まれる角落。この閘門開閉実演は年に一回、8月に開催されて来ましたが、近年の気温上昇を鑑みて来年からは6月にしようと言う話になっています。

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落とされた角落は流れに沿って関枠へと引き寄せられます。

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一枚一枚角落が関枠に渡されて行き、これを10枚ほど重ねて運河を堰き止め、見沼代用水から流れて来る水によって水位を上げます。

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このようにして標高の低い芝川から標高の高い見沼代用水へと船を航行させます。

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逆に見沼代用水から船が来た場合、二の関を堰き止めて二の関の手前まで航行し閘門を解放。そのまま堰き止めてある一の関まで進み同じように閘門を解放して芝川まで下って行きます。

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ちなみに復元されている和船は2分の1スケールなので実際はもっと大きい物となります。

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船を二の関の上流へ引き入れたら、最後に角落を一枚づつ引き上げて水を解放し、水位を元に戻します。

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通船堀西縁を西端まで遡ると見沼代用水西縁にぶつかります。見沼代用水は元々農業用水路として通された物なので、物資の運搬については秋分から春分にかけてとなります。

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こちらが見沼代用水西縁。江戸時代は主に見沼代用水沿岸地域からの年貢米などが江戸へ運ばれ、帰りの船で塩や肥料などの物資が運ばれて来たそうです。

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こちらは見沼代用水西縁を北へ遡った所。この見沼代用水は、芝川沿岸の平地の東西の際、丘陵の手前を流れますが、東縁は途中芝川の支流に沿って北上します。元々は見沼と言う沼を溜め池として利用していましたが、江戸時代に入り干拓し見沼田園と言う広大な穀倉地帯が広がるようになりました。

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その見沼区北柳にある坂東家住宅見沼くらしっく館。デカい屋敷です。

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坂東家初代の助右衛門尚重は紀伊国(和歌山)の出身で、1675年に江戸で暮らす傍ら見沼の一角に入江新田を開発したそうです。

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しかし下流の村の反対に遭い1718年2代目四郎左衛門尚政の時に元の溜池に戻します。その後、徳川吉宗が新田開発を推奨した事で3代目助右衛門尚常は入江新田の再開発を幕府に願い出て、65町2反あまりを新田として開発。屋号を取り加田屋新田としたそうです。ちなみにこの囲炉裏には実際に火がくべられています。

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屋根の裏側が煙で燻されている事で防虫効果があります。この坂東家住宅が建てられたのは10代目助次郎の時で、江戸末期の安政4年(1885年)。

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つまりそれまでは江戸に住んでいたと言う事で、地元の地方豪族や庄屋とは違います。言うなれば江戸にある土地開発会社みたいな物でしょうか。

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見沼代用水西縁から灌漑用水路が東へと分岐して行きます。

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用水路は途中水道橋にて川を渡り、川向こうの田畑にも水を供給しています。上のパイプは上水道でしょうか。

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こちらは見沼代用水東縁を上流へと遡ったところ。東縁は芝川と付かず離れずの距離を並行して流れています。つまり芝川の右岸(東側)は丘陵地が間近まで迫っていると言う事。左手の桜並木が土手の役割を果たし、その左手はもう芝川の河川敷になります。

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そこにさいたま市立浦和博物館があります。この建物は埼玉県女子師範学校(現在の埼玉大学)の鳳翔閣(明治11年建造)を移築し玄関部分のみ復元した物。

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ここに当時の船に使われていた船箪笥や米櫃などが展示されています。

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こちらは水桶やロープなど。水運に関与していた家の蔵に眠っていたそうです。
基本、近代史には興味ありますが、江戸時代には疎いです。しかし調べてみれば、これはこれで面白いですね。

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最後に見沼天然温泉小春日和。ここの加温加水無しの源泉掛け流しのぬるいお湯が好きで、もう何回も通っています。

埼玉県さいたま市、北浦和で酒場巡り(東口編)

さて、今度は東口を探索していきます。

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こちらが東口。ちなみに駅前にはかつて昭和37年(1962年)開業のイトーヨーカドーがありましたが、ここが当時のヨーカ堂の全国3店目の店舗だったとか。特に工業地帯などがある訳でもなくあくまでベッドタウンとして発展して来たのですが、相当な人口の増加が見込まれていたのでしょうか。

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駅前左手には商店街が線路に並行する形で続きます。解体されて空き地になった土地も多くありますが、昔ながらの商店街の名残りが感じられます。

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商店街を右に入るとちょっと古そうなスーパーがあります。以前はこの辺りが買い物の中心街だったのでしょう。

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東口から東に真っ直ぐ進むと旧中山道と交差します。この駅前界隈は古いビルが多く、全く再開発されていない感じが地方都市感を醸し出す。

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その交差点から左手奥に、実に渋い路地裏飲み屋街を見つけました。

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入って右手にまずあるのが焼き鳥屋「一也」さん。もう23年になるそうで、その前は蕎麦屋さんだったとか。

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焼き鳥が美味いだけじゃなくメニューも豊富。店内も広く2階席もあるとか。しかも思ったより安かった。カウンターは3席しかないので、数人連れで行く際などお勧めです。つくねがデカくて美味い。

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一也さんの向かいのもつ焼き「丸新」さん。

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かなり年季が入った店内。戦後の頃からやってらっしゃるそうで、現在の焼き場は3代目。この雰囲気が好きな人も来られるようです。お店は比較的静かで落ち着いて飲める感じですね。焼き物が出るまで少々時間がかかる事も。

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一也さんの隣に駐輪場があるのですが、この建物がまた妖しい。

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この造りといい雰囲気といい、よくよく聞いてみたら「おしず」と言うキャバレーだったそうです。ただこの建物も6月いっぱいで解体されてしまうとか。

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駐輪場の奥の並びには立ち飲み屋「しゅらん弍」さんが。ここは浦和にある店の支店だそうで、8周年って言ってたっけな。

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串揚げがメインですが、最初の一杯目が半額だったりして、とにかく安いです。ただ、店員さんや常連さん方の年齢層が若くて、私なんかはちょっと落ち着かないかな。

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その向かい、バラック居酒屋発見!

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この「串一」さんは先代(父母)から20年続く店で、今のマスターは8年目。地元の常連さん方が集まる、非常に落ち着く店です。

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値段は安くも高くもなく。ただフレンドリーでとにかく話が楽しい。ここはハマりました。すでに常連ですし通います。

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て言うかまた一つ通わなければならないお店が増えてしまいました。ちゃんとボトルも入れたし。あと、この近くに深夜食堂があると言う噂が。地元じゃないし行く機会ないんですが、タクシー帰りになっちゃいますし。

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ちょっと奥にはラーメンと餃子の店「娘々」がありますが、ネットでバズったそうで行列が出来る店になってました。ただメディアの取材は断っているとかで、あくまでも口コミ。

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SNSの情報などは知らないので、とりあえずメニューの頭にあったスタミナラーメンと餃子を注文。ニラとひき肉の辛い餡掛けラーメンでしたが、確かに美味い。これは多少並んでもいいと思いました。餃子小っさって思ったけど、後から来るキャベツの甘みがクセになります。あとメニューにスタミナカレーと言うのがあるのですが、カレーって訳じゃなくてスタミナラーメンの餡がご飯に乗ってるだけとの事。

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こちらはスナック「サエ」。串一のマスターに紹介してもらいました。

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ママさん1人で切り盛りされています。なんと言うかこの地方都市感がたまらない。通いたくなります。元この店で働いてた姉さんがカラオケ上手すぎでやられました。

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旧中山道から県立浦和高校へ向かって行く途中、普通の住宅街の脇道を入ると「一番街」と書かれた街灯が一本だけポツリと残っています。商店街だったのか飲み屋街だったのか、痕跡が無さ過ぎて想像がつきません。

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しかし更に路地へと入って行くと、稲荷神社と飲み屋が住宅街の中に突如現れる。

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向かいの建物も現在では住宅となっていますが、角の入り口などどうみてもスナックの跡。

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今現在何軒のお店が生き残っているのか。

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「あやめ」と看板がありますが、恐らくは昔の店の名前。現在はカフェ兼カキ氷屋さんとなっています。

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真ん中をドブ板が通る路地。果たしてここは何なのか。北浦和に赤線や青線があったと言う記録は見当たらないのですが、これだけ駅から離れた場所にある飲み屋街とか、北浦和西口ふれあい通りの奥のスナック街もそうですが赤羽1丁目などを思い出します。
いやとにかく北浦和ヤバいです。近くの地方都市みたいな感じで、とにかく楽しい。あと、どうでもいいけど喫煙可能店がやたらと多い。チェーン店系喫茶のドトールでも喫煙「席」がある事に驚きました。飲みながら吸えるドトールなんて横浜限定かと思っていたのですが、実は南浦和駅東口のドトールにも喫煙席があります。さいたま市はみんなそうなのか、ちょっと調べてみたいところ。
最終的に何度も通っているのは、西口では「千忠」と「おばちゃん」、東口では「串一」と「サエ」って感じでした。北浦和の仕事は夏頃まで続くので、記事を公開した後から追記で色々書くかも知れません。


埼玉県さいたま市、北浦和で酒場巡り(西口編)

浦和駅と与野駅の間のマイナー過ぎる駅、北浦和なんて完全にノーマークでした。3月末から仕事で北浦和にある現場へ通う事になり、降りた事すら無かった北浦和駅周辺で仕事帰りに飲める店を探します。通っているので以後の写真、天気や時間帯がまちまちです。

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東北本線開業当初北浦和に駅はなく、昭和7年京浜東北線の大宮駅までの延伸に伴い、昭和11(1936年)年住民の要望を受けて新設。西側にも出口が増設されたのが昭和22年で、西口駅前の発展は戦後からとなります。現在の駅舎は昭和43年(1968年)建造。

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と言うわけで駅の西側から探索して行きます。右手(北側)線路近くにいきなり渋い飲み屋の長屋が。

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まずは焼き鳥「裕㐂(ユウキ)」さんに入ってみます。

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創業18年、カウンター一本のみの小ぢんまりしたお店。マスターは以前与野のガード下で修行していたとか。年齢層は高齢者が多く古くからの常連さんって感じ。5時台にはみんなで相撲中継を見てたりします。ウーロン割りがやたら濃かった。ただ午後3時からやっているので年金生活の80代の先輩方が屯っているのでボトル入れました。

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そんな長屋の裏手、暗くて狭い路地の奥にポツンと灯る赤提灯。このシチュエーションたまらない。めっちゃ気になる。

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と言うわけで後日改めて居酒屋「千忠」さんです。入りづらいなぁ。

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ちょうど45年目になるとか。モツ煮500円。量多っ!でも美味っ!どろどろでほぼ飲める系のモツ煮で上野のタキオカに近い感じ。焼きトンがメインですが、焼き魚から麻婆豆腐(レトルトに生姜とネギを大量投入)やニラレバまで。このニラレバが生姜が効いててまた超美味い!白飯が欲しくなります。雰囲気もいいし、ここはちょいちょい通っています。

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線路沿いにも長屋形式の飲み屋街が多少残っています。すでに空き地になっていたり何棟ものマンションが建っていたりしますが、かつてはネオン街として賑わっていたのでしょうか。

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線路沿いから一本奥に入って行くと、いい感じの路地裏飲食店街が。この一帯は三州屋街と言うそうで、元々この一画に有った三州屋と言う旅館から来ているそうです。

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奥まで入って振り返るとこんな感じ。ちなみに左下のスナック「愛」と言う看板は裏側で、表は現在の店「ひさの」になってます。1番奥なので裏側は昔の店名のままと言う。
(追記)スナックひさのは2025年12月27日をもって閉店となったそうです。一回も入った事無いけど。

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道路を挟んだ向かい側にも路地が続いていたようですが、だいぶ解体されて駐車場になってたりするので、もはや路地の体をなしていません。原因は火事があったからだとか。しかしこれでも最盛期には38軒もの飲食店が有ったそうです。

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右手前の角、もはや孤立してしまった居酒屋「おばちゃん」。民家のような入り口は入り辛いったらありゃしない。意を決して突入。

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「おばちゃん」に入ったらカウンターの中にタバコ咥えた“おばあちゃん”。右手の座敷にワンコ(茶太郎)連れた“おばあちゃん”が食事中。途中入って来た“おじいちゃん”も普通に食事を始める。全員80代と言う。しかもカレイの煮付けにご飯、味噌汁、サラダ、漬け物など、普通に晩ごはん。そして何よりメニューってもんが無い!
なんだここ!www

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三州屋街が出来たばかりの頃からもう50年以上お店を続けてらっしゃるそうです。以前はもっと奥の長屋でやってたそうですが解体の話があって、ちょうど引退されるママさんが当時ここにいたので、引き継ぐ形で移転したとか。前の店はもうちょっと広く印刷工場や東電の方々で賑わっていたそうです。

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お通しはモツとセリの酢味噌和え。鯛の刺身があると言うので頼んでみる。今までイチゲンで入った店で、ここまで渋い店はなかった。ママさんも話せば気さくな方で、ここはちょっと通っています。食事に来る人は基本月曜日だけで、以後5回ほど訪れてますが5回目でやっと他のお客さんを見ました。工場勤務の常連さんも工場の移転で来なくなったとか。

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「おばちゃん」は以前この建物の1番手前に入っていました。微かに看板の文字が残る。先に触れましたが結局解体されないまま残っており、逆に右手奥に新店舗が入ったりしている。路地は突き当たりから左手へL字に折れています。ちなみにこの界隈、武蔵野線から東北本線へと抜ける貨物線のトンネルが地下2mの所を通っているためにビルが建てられないと言う事情があるそうです。飲んでる最中にも足元から貨物列車の音や振動が伝わって来ました。

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ほぼほぼトンネルの真上になるのですが、武蔵野線の開業が1972年。工事に伴い三州屋旅館が立ち退きとなった訳ですが、正確な年代は分からないもののその跡地にこの飲食店街が出来たそうです。ただ武蔵野線開業前で、飲み屋街として始動した当時、地下2mで隧道工事がなされていたと言う話です。無茶な話ですが店をやってる時もダンプが頻繁に往来していた時期もあったとか。
※Googleマップなどでは線路が埼玉メディカルセンターの下を通っているように表示されますが、実際には市営駐輪場の下を通り三州屋街の真下に至っています。

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L字を曲がった所がコインパーキングになっており、通り抜けられなくなっていました。この辺りで生き残っている店はバーみたいな店が多いようです。

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通りに出るとその先にも長屋形式の飲食店があります。真ん中の「眞露」と言うスナックが安いとの噂なのですが、遅い時間に覗いたらカウンター満席で入れず。8時ぐらいでやっと入れました。ボトル一本入れて2人で散々歌って5千円ちょい。やっぱ安かった。その後も通っていますが、常連さん方でいつも満席。その常連さん方はほぼ朝鮮半島発祥の在日の方々。ここは通って皆さんと仲良くなろうと思います。

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眞露さんに入れなかった時はとりあえず左端の御食事処(カラオケ居酒屋)「樹」さんへ。

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焼きそばから揚げ物、刺身など、食事系メニューが豊富。地元密着型の居酒屋って雰囲気。7人掛けカウンターとテーブル二つ、片方のテーブルには60代の同窓会的な団体6名様が。

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今のお店はもう10年になるそうです。店構えはスナックの居抜きな感じですが、先代も居酒屋さんだったとか。ママさんと娘さんが切り盛り。おもむろに厨房に入ったのは息子さんで、完全な家族経営。最近は金曜日にしかお客さんが入らないそうです。眞露さんが満席だった日も隣のこちらには誰も入っておらずで、カラオケボックス状態でした。2人で散々飲んで歌って5700円とかだったから、こっちでも全然安いのに。

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今度は駅前から西へ伸びるメインストリートの北側に並走する、北浦和西口ふれあい通り(西口銀座商店街)を歩いて行きます。

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途中、お酒が飲める魚屋さん、いわゆる角打ちを発見。この「かね吉」さんは非常にそそられるし魚が美味いと聞きますが、禁煙かぁ。

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商店街を奥まで進んで行くと右手に銭湯「若松湯」があります。マンションに併設されている銭湯ですが、一度利用してみたいです。

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その銭湯の向かい側、団地や住宅ばかりになって来た所に突然路地裏飲食店街が。

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路地は突き当たりから左右に分かれます。左手に飲み屋長屋が。

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これは惹かれる。もう飲み屋なんて思ってなかった所での飲み屋街。その内行ってみたいです。

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と言うわけで、後編は東口界隈を巡ります。

追記。
6/30、北浦和西口に飲みに行こうと跨線橋を渡ろうとしたらカメラを構えている人がいっぱいいました。

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カシオペアのラストランでした。

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この後上野駅で展示して解体らしいです。カシオペアは乗った事ないし、あまり縁はないのですが、勿体無いと思いました。
まだまだツアー列車としての需要もあるかと思うのですが、車検とかの事情なんでしょうかね。

【日記】大宮の鉄道博物館(今更)で息抜き

この夏はあまりにも暑いので、たまにはブログ記事の事も考えずに冷房の効いた所でゆっくりしたい。と言う事で、いつか行こうと思いながら何年も先送りにし続けて来た大宮の鉄道博物館に行って来ました。

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まず最初に迎えてくれたのはEF5851。私らの世代で言えばまさに昭和を代表する名機ですね。

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高校時代、コイツの追っ掛けやってました。実家が箱根なもんで、根府川鉄橋は踊り子55号撮りによく通った。ミカン畑の中で場所取りして、ウォークマン的なポータブルカセットレコーダーでユーミンや杉山清貴なんか聴きながら、ミカンをつまみつつ何時間も待ちました。いや、ミカン泥棒だし、今の時代じゃ許されないし。いや、当時も許されなかったけど問題にまでならなかった「いい加減」さが有った。

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もし埼玉住んでたら89号機追っ掛けてたでしょう。自分にとって田端機関区は遠い。

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ギリ東大宮までは行きましたが。

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1960年まで活躍していた「マイテ49」なんかは世代的に銀河鉄道999から入りました。NゲージでC62-2とつばめ編成揃えたりしてね。あー、山口線を走る現代のマイテに乗りたい。
すいません、もう察した方も居られるのではと思いますが、何言ってんのか分かんねって方、今回は突き放します。

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ただ、マイテの内装は実際に見て感動しました。漆塗りがエグい。

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これでも当時の桃山調の内装は、太平洋戦争と高度成長期によって失われてしまった技術が多すぎるため完全再現出来ていないそうです。

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昭和2年(1927年)に導入された客車、オハ31の車内。昭和14年に導入されたオハ35系、いわゆる旧型客車は山陰本線などで現役時代にギリ乗れましたが、これはさすがに乗れなかった。ちなみにこの車両は昭和58年まで津軽鉄道でストーブ列車だった車両ですが、私が津軽鉄道を訪れたのは昭和63年だったのですでにオハ35系に更新(?)されており、5年遅かった。
やっぱ私は旅と言えば旧客かキハ58系か115系か50系なんですよね。思い入れと言う観点で言えば。もちろん歴史的資料としては非常に興味深いのですが、今回はそう言うスイッチが入ってなかった。

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豆相人車軌道。鉄道の歴史を語るに於いて人車軌道は外せませんね。

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なんでしょう、L特急に対して感動を覚えない自分が居ます。思い出として寝台車とか鈍行列車とか地方ローカル私鉄には思い入れが有るのですが、この辺は趣味の問題と言うより乗ってなかったから。基本青春18きっぷ利用してたし。

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鶯谷駅のホームで撮った写真は昭和60年。何気に殆どの特急は見るばっかりで乗った事がありません。特急と言えば上越新幹線開通後、社会人になってから185系の特急「水上」に新潟のスキー帰りで乗ったり、185系の特急「踊り子」で熱海に行ったり。なので181系や183系、485系などにはほとんど乗っていないのです。

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それよりも何よりも20系寝台が1番好きでした。寝台急行「銀河」と「新星」でしか乗った事無いですがね。寝台特急は貧乏だから乗らない!そのお陰で急行「妙高」で10系寝台も乗れましたが。

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個人的にここに食い付きました。行商人のためのベンチて!
今では恐らく絶滅してしまったのでしょう。昔は千葉から来られて秋葉原で京浜東北線や山手線に乗り換える行商の方とか見かけましたがこのベンチ、つい最近まで土浦駅に有ったと言う事に衝撃を覚えました。こう言う物を展示保存すると言う、この時点で鉄道博物館スゲーと思ったし、来て良かったと思ってしまった。ツボがピンポイント過ぎてごめんなさい。

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0系新幹線の車内。青梅鉄道公園では車内に入れなかったんですよね。ただ、0系新幹線は一回しか乗ってない。

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いや、小田原駅で撮ってるから、2回ぐらいは乗ったのかも知れない。記憶が曖昧です。

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戦前の国鉄のキハ04系気動車はATS搭載の対象外とされたため、国鉄線上にATSが完備された昭和41年(1966年)をもって営業運転を終了したそうです。私の時代的に辛うじて走っていたのは、払い下げ先である岡山の同和鉱業や関東鉄道常総線などでしたが、実際に乗れなかったのが悔やまれます。キハ20、35、40、58世代なもんで。
ちなみにこのキハ04は筑波鉄道で活躍した後、つくば市のさくら交通公園 でD51の隣に静態保存されていた車両だそうです。

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日本食堂のカレーが超美味かったけど写真撮って無いと言う。ブログ記事の事なんて微塵も考えてなかった。

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屋根の上の冷房設備がピカピカなのが鉄道模型っぽくて、なんかリアリティーを感じられなくて萎える。模型的にはヴェザリングでしたっけ。これ言っちゃ身も蓋も無いのですが、国鉄車両は走って乗ってナンボだと思いました。音や景色、シチュエーションありきと言う。
なんでしょう、期待値が高過ぎて、だけど行ってみたら意外と冷静でした。今まで敢えて行かずに東武とかメトロとか東急とか小田急とか青梅とか「以外」の鉄道博物館に行き過ぎたからでしょうかね。

※上野の立ち飲みで酔っ払いながら書きました。

埼玉県の日帰り入浴施設

昼間っから飲める老舗の大衆食堂兼大衆酒場、いづみや本店が大宮駅の駅前に生き残っています。立ち寄ったのは4回目ぐらいかな。

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仕事が早く終わり、暇を持て余す。ここの姉さんたちは耳が遠くなり、なかなか注文が通らない。確かに耳は年々遠くなっているのだが「おばちゃん」と呼ぶとわざと耳が遠いふりをする事もある。「お姉さん」と呼ぶとすぐ振り向くのがその証拠だ。若い連中が「おばちゃん」と呼んだ時、捨て台詞のように「ここにおばちゃんは居ないよ」と言ったのを私は聞き逃さなかったwwww

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焼きそばがうめぇ。超うめぇ。この後どうしようかと飲みながらGoogleマップを開く。そうだ、温泉に入ろう。

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と言う訳で大宮から浦和美園行きのバスに乗り山村バス停で下車。Googleマップにいざなわれれば何とも長閑な風景。こんな所に温泉は有るのかと、ちょっと不安になる。

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10分歩くとありました。日帰り入浴施設の見沼天然温泉小春日和。後で知りましたが北浦和駅から送迎バスが出てるそうです。

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平日850円、日曜祝日950円。基本的には車で来る方がほとんど。以前、愛読書の温泉批評という季刊誌で紹介されており、チェックしていました。

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浴室は多くのお客さんが利用しており写真はありません。庭の喫煙所に足湯がありましたので、お湯の写真はこちらで。

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お湯はキシキシ感を感じるものの、全身に纏わり付くような微かなヌメリ感。源泉は透明ながらも空気に触れて茶色の湯花が大量に発生。ちょうど先日訪れた三島の竹倉温泉のよう。
内湯には加温源泉掛け流し浴槽と非加熱のぬる湯掛け流し浴槽。露天に加温熱め掛け流し浴槽とぬる目掛け流し浴槽、それに非加熱超ぬる目源泉掛け流し浴槽。
超ぬる目と言っても38〜39度ぐらいでしょうか、浸かっていると寝てしまいそうになるくらいの心地良さ。出たくなくなります。
ここは素晴らしい。お湯も、湯使いも、施設の充実度も、何をとっても非の打ち所がない日帰り入浴施設です。絶対また来ようと思いました。

【追記】

後日、再び暇になったので再び大宮のいづみや本店で飲みながらどこ行こうかと考える。

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大宮から東武野田線、いや、あーばんぱーくらいんに乗って春日部へ。東口、あまり栄えてない側で降ります。

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古利根川。旧江戸川みたいなもんでしょうか。春日部駅東口正面の直線道路をひたすら真っ直ぐ進みます。

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はて、玄関以外を諦めたようです。

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歩いて15分。なかなかの距離を歩くと日帰り温泉施設、春日部温泉湯楽乃里が。平日780円、日祝日980円の日帰り入浴施設です。

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内湯は人工の高濃度炭酸泉やジェットバスなど幾つもの浴槽が。天然温泉は露天のみで大きな浴槽が二つとツボ湯が3カ所、寝湯など。お湯は見沼天然温泉小春日和と同じナトリウム塩化物強塩温泉の源泉掛け流し。緑がかった黄土色の濁り湯で、浴感も小春日和と非常に近いものがあります。ただこちらは源泉温度が高く、冬季以外は非加熱で41〜2度あり丁度いい湯加減。
この施設で特に素晴らしいのがツボ湯。3ヵ所それぞれサラサラと源泉が掛け流されています。肩を出しツボを抱えるように大きく両手を広げ、踵を縁に乗せてお尻を浮かす。そして全身の力を抜けば go to heaven!(笑)

埼玉で1500m掘ると同じようなお湯が出るのでしょうか。海底だった地層から塩分濃度の強い温泉が湧出します。次に紹介する東鷲宮にある百観音温泉も1500m掘ったら湧出した温泉です。

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こちらに訪れたのは2018年5月、桐生を訪れた帰りに立ち寄りました。ここもナトリウム塩化物強塩温泉ですが、かなり濃いい素晴らしいお湯でした。

【追記】

2020年9月初旬、埼玉県さいたま市の日帰り入浴施設、清河寺(せいがんじ)温泉に行ってきました。場所は川越線西大宮駅の北東ですが、大宮駅から路線バスが出ており本数も多いです。2006年2月にオープンしたこの日帰り入浴施設は、やはりこちらも地下1500mから湧出したナトリウム塩化物温泉。

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お湯はほうじ茶色と言ったところでサラサラとした浴感。独特な匂いもあり、ややしょっぱい感じです。湯花こそ見えませんでしたが若干の泡付きがあり、お湯の鮮度が良い。
内湯は源泉に炭酸を溶かした人工炭酸泉とジャグジーなど。露天風呂は加温熱め浴槽と加温ぬる目浴槽、そして非加熱の超ぬる目浴槽。寝湯、ツボ湯など。いずれも加水無しの源泉掛け流しです。
ツボ湯は春日部ですっかりハマってしまいましたが、やはり気持ちいい。しかしここは加温加水無しの超ぬる湯。37.5度の鮮度抜群なお湯に浸かっていると、出たく無くなります。また露天風呂の脇には竹林もあり、このシチュエーションにも癒される。寝湯に寝転がってみたら起きれなくなりましたwwww
湯上りは急いでバスに乗り23分で大宮駅。いづみやで生ビールを流し込む。

【追記】

2020年10月初旬、埼玉県上尾市の日帰り入浴施設、花咲の湯に行ってきました。大宮駅からニューシャトルで15分、原市駅より徒歩5分という比較的好立地。2009年にオープンしたこの施設は、やはり地下1500mより湧出したナトリウム塩化物泉。

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お湯は濁りの強い茶褐色で錆色の折出物が多く、鉄分が多く含まれると思われます。浴感はやはり他の日帰り入浴施設と似ており、比較するのが難しい。屋根付き露天の非加熱源泉掛け流し浴槽はやはり出たく無くなるほど心地よいぬる湯。埼玉県の平野部って意外と良い温泉に恵まれているのですね。逆に山間部の方が良い温泉が少ないと思います。

見沼温泉、春日部温泉、百観音温泉、清河寺温泉、花咲の湯、泉質こそ似てはいるもののそれぞれ個性もあり、微妙な違いながらも甲乙つけ難い、いや、甲乙付けるもんじゃありませんね。たまに遠出して泊まりがけで温泉地に行くのも良いですが、日常的に暇が出来たら立ち寄る埼玉の日帰り入浴施設もいいものです。

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