千葉県は房総半島の先端近く、廃墟としては有名な南房総市富浦の大房岬(たいぶさみさき)の戦争遺跡群に行ってまいりました。

以前より行こう行こうと思いつつ、館山の手前の富浦駅はいかんせん遠い。最近は2両編成の新型車両が内房線から外房線まで通しで走っているみたいですね。

富浦駅から海岸線に出るとSNSで有名になった岡本桟橋があります。ここは夕暮れ時、富士山のシルエットが小さく見えたりして、超望遠で撮ればフォトジェニックなのかも。以前訪れた木更津の潮干狩り場ほど長くはないですが、夜になると明かりが灯ります。

富浦駅から大房岬までは市営バスがオンデマンド方式で電話予約しないと走りません。レンタルサイクルあるかと調べてみると、有るには有るけど貸し出している場所が駅より徒歩18分の所にある道の駅で、電動アシスト自転車が1日1000円。目的地まで歩くと50分。面倒くさいから歩いちゃいました。

大房岬の付け根、富浦漁港にある食堂おさかな倶楽部。この辺りにかつて戦車庫があったそうです。

ちょうど昼も近いし食って行こうとお刺身3点盛り定食1280円。鮮度抜群だけど6切れかぁ。まぁ観光地だし。

軍事施設の痕跡でもないかと見回していたら怪しい穴が。戦時中の軍関係の壕かどうかは定かでない。

大房岬は断崖に囲まれているので、まずは急な坂道を登ります。電動アシスト自転車借りればよかったと後悔。坂の途中、もう使われて無い施設が。ここは駒澤大学セミナーハウスと言う保養施設でコロナ禍の影響から2022年9月に閉鎖されたそうです。

岬の頂上に広がる大房岬自然公園内に砲台跡などの戦争遺跡群があります。見下ろせば先程いた富浦漁港が。

こちらは草木に覆われてほとんど見えませんが、大房岬第一砲台の地下砲側弾薬庫跡。ちなみに第一砲台はその痕跡を残しておらず、砲台跡を模した展望台があるのみ。それはそうと夏に来るんじゃなかった。

こちらは第二砲台跡。花壇にされております。横須賀に多く残る砲台跡と違い戦争遺跡を史跡として扱うつもりは無かったようです。大房岬要塞の砲台には巡洋艦「鞍馬」の副砲2門入り砲塔2基を40m間隔に設置され、これを砲塔砲座と言うそうです。

こちらは第二砲台の弾薬庫跡。貫通通路の脇に部屋がありますが、浸水しているので近寄れません。第一次大戦後世界中で軍備縮小の気運が高まり、ワシントン海軍軍縮条約(1921年)によって日本を含めた五大海軍国が保有する主力艦の保有トン数が制限されました。その際廃棄される事となった旧式艦の主砲などを再利用しようと言う事となり、津軽海峡、対馬海峡、豊後水道、東京湾、それぞれの要塞に設置されたそうです。

こちらは反対側の弾薬庫入り口。この大房岬要塞は元々幕末に台場が建設され、明治20年代より艦砲射撃の練習場として利用されていた場所に、昭和3年(1928年)から昭和7年(1932年)に掛けて建設されました。しかし航空機など兵器の進歩もあり、完成時にはすでに旧式化していたそうです。

公園のビジターセンターの下にある第一探照燈掩灯所跡。こちらは夜に敵艦を照らすサーチライトが格納されていた地下施設そうです。ここよりさらに南の館山の向こう、房総半島突端に位置する洲崎に昭和2年(1927年)、巡洋艦「生駒」の砲塔砲座を備えた洲崎砲台が完成しています。

右脇には小さな倉庫が。ともにコンクリート表面がボコボコしているのは赤煉瓦が剥がされた跡なのではないかと思われますがどうか。

ビジターセンターからキャンプ場へ向かう途中に第二探照燈掩灯壕があります。まずは格納庫脇の入り口から入ります。

こちらが格納庫の内部。壁面がとても綺麗に仕上げられています。

地下に造られた格納庫の先には吹き抜け部分が。

吹き抜けから格納庫を見るとこんな感じ。

向かい側には第二照座までの下り坂トンネルがあります。建設当時である戦前、艦砲射撃だけで航空機からの爆撃は重要視されて無かったと想像するのですが、見事に地下施設にまとまってますね。
※時代背景としては満州事変、航空機はドイツでユンカースju52が開発される。

真っ暗なトンネルの奥に進むと照明座の真下に出ます。ここからエレベーター方式でサーチライトが地上に飛び出る仕組み。パイロンが邪魔だなぁ。

あまりにも真っ暗だし地面濡れてるし、もう引き返します。訪れたのが梅雨明け直前で、断続的に雨が続いてました。もう一度言います。夏に来るもんじゃない!あと懐中電灯必要!

近くにある湧水地の奥に地下壕のような物が見えますが、地下通路の入り口でしょうか。

こちらは発電所跡。内部はコンクリートで塞がれており、中までは見えません。ちなみにこの要塞もまた他の帝都防衛施設同様敵艦が東京湾に攻めて来る事もなかったので、実戦で火を吹く事がありませんでした。とは言っても度重なる空襲や訓練中の事故などによる犠牲者はおられました。

最後に大房岬南側の入り江にある海軍秘密特殊部隊山岡部隊訓練基地跡。山岡部隊とは昭和19年(1944年)に館山市佐野の平砂浦海岸にあった館山海軍砲術学校で編成され、この場所で崖を登るなどの訓練をしていました。

波打ち際に残るコンクリート遺構らしき物たちは当時の物でしょうか。館山海軍砲術学校の訓練は過酷な事で有名でしたが、その中で特に身体能力などに優れた生徒たちが送り込まれた山岡部隊の訓練はまさに過酷を極めていたそうです。

こちらには終戦前、特攻兵器である人間魚雷回天10型が格納されていたと言われています。

山岡部隊は元々回天による特攻が目的ではなく、一式陸攻による敵航空基地への強行着陸や潜水艦による潜入によって、フィリピンやサイパンなどの基地で破壊活動をするための特殊部隊だったそうです。

海中には潜水艦が海に出るためのレールが沈んでいます。他の本土決戦のための桜花や震洋の基地同様ここから回天か出撃することはありませんでしたが、東シナ海の米軍基地に対する破壊工作はほぼ特攻のような物だったそうです。またこの部隊は英語も教育され、アメリカ本土でのスパイ活動も想定されていたとか。
7/18撮影。何はともあれ暑い。暫く更新出来なくても許して下さい。

以前より行こう行こうと思いつつ、館山の手前の富浦駅はいかんせん遠い。最近は2両編成の新型車両が内房線から外房線まで通しで走っているみたいですね。

富浦駅から海岸線に出るとSNSで有名になった岡本桟橋があります。ここは夕暮れ時、富士山のシルエットが小さく見えたりして、超望遠で撮ればフォトジェニックなのかも。以前訪れた木更津の潮干狩り場ほど長くはないですが、夜になると明かりが灯ります。

富浦駅から大房岬までは市営バスがオンデマンド方式で電話予約しないと走りません。レンタルサイクルあるかと調べてみると、有るには有るけど貸し出している場所が駅より徒歩18分の所にある道の駅で、電動アシスト自転車が1日1000円。目的地まで歩くと50分。面倒くさいから歩いちゃいました。

大房岬の付け根、富浦漁港にある食堂おさかな倶楽部。この辺りにかつて戦車庫があったそうです。

ちょうど昼も近いし食って行こうとお刺身3点盛り定食1280円。鮮度抜群だけど6切れかぁ。まぁ観光地だし。

軍事施設の痕跡でもないかと見回していたら怪しい穴が。戦時中の軍関係の壕かどうかは定かでない。

大房岬は断崖に囲まれているので、まずは急な坂道を登ります。電動アシスト自転車借りればよかったと後悔。坂の途中、もう使われて無い施設が。ここは駒澤大学セミナーハウスと言う保養施設でコロナ禍の影響から2022年9月に閉鎖されたそうです。

岬の頂上に広がる大房岬自然公園内に砲台跡などの戦争遺跡群があります。見下ろせば先程いた富浦漁港が。

こちらは草木に覆われてほとんど見えませんが、大房岬第一砲台の地下砲側弾薬庫跡。ちなみに第一砲台はその痕跡を残しておらず、砲台跡を模した展望台があるのみ。それはそうと夏に来るんじゃなかった。

こちらは第二砲台跡。花壇にされております。横須賀に多く残る砲台跡と違い戦争遺跡を史跡として扱うつもりは無かったようです。大房岬要塞の砲台には巡洋艦「鞍馬」の副砲2門入り砲塔2基を40m間隔に設置され、これを砲塔砲座と言うそうです。

こちらは第二砲台の弾薬庫跡。貫通通路の脇に部屋がありますが、浸水しているので近寄れません。第一次大戦後世界中で軍備縮小の気運が高まり、ワシントン海軍軍縮条約(1921年)によって日本を含めた五大海軍国が保有する主力艦の保有トン数が制限されました。その際廃棄される事となった旧式艦の主砲などを再利用しようと言う事となり、津軽海峡、対馬海峡、豊後水道、東京湾、それぞれの要塞に設置されたそうです。

こちらは反対側の弾薬庫入り口。この大房岬要塞は元々幕末に台場が建設され、明治20年代より艦砲射撃の練習場として利用されていた場所に、昭和3年(1928年)から昭和7年(1932年)に掛けて建設されました。しかし航空機など兵器の進歩もあり、完成時にはすでに旧式化していたそうです。

公園のビジターセンターの下にある第一探照燈掩灯所跡。こちらは夜に敵艦を照らすサーチライトが格納されていた地下施設そうです。ここよりさらに南の館山の向こう、房総半島突端に位置する洲崎に昭和2年(1927年)、巡洋艦「生駒」の砲塔砲座を備えた洲崎砲台が完成しています。

右脇には小さな倉庫が。ともにコンクリート表面がボコボコしているのは赤煉瓦が剥がされた跡なのではないかと思われますがどうか。

ビジターセンターからキャンプ場へ向かう途中に第二探照燈掩灯壕があります。まずは格納庫脇の入り口から入ります。

こちらが格納庫の内部。壁面がとても綺麗に仕上げられています。

地下に造られた格納庫の先には吹き抜け部分が。

吹き抜けから格納庫を見るとこんな感じ。

向かい側には第二照座までの下り坂トンネルがあります。建設当時である戦前、艦砲射撃だけで航空機からの爆撃は重要視されて無かったと想像するのですが、見事に地下施設にまとまってますね。
※時代背景としては満州事変、航空機はドイツでユンカースju52が開発される。

真っ暗なトンネルの奥に進むと照明座の真下に出ます。ここからエレベーター方式でサーチライトが地上に飛び出る仕組み。パイロンが邪魔だなぁ。

あまりにも真っ暗だし地面濡れてるし、もう引き返します。訪れたのが梅雨明け直前で、断続的に雨が続いてました。もう一度言います。夏に来るもんじゃない!あと懐中電灯必要!

近くにある湧水地の奥に地下壕のような物が見えますが、地下通路の入り口でしょうか。

こちらは発電所跡。内部はコンクリートで塞がれており、中までは見えません。ちなみにこの要塞もまた他の帝都防衛施設同様敵艦が東京湾に攻めて来る事もなかったので、実戦で火を吹く事がありませんでした。とは言っても度重なる空襲や訓練中の事故などによる犠牲者はおられました。

最後に大房岬南側の入り江にある海軍秘密特殊部隊山岡部隊訓練基地跡。山岡部隊とは昭和19年(1944年)に館山市佐野の平砂浦海岸にあった館山海軍砲術学校で編成され、この場所で崖を登るなどの訓練をしていました。

波打ち際に残るコンクリート遺構らしき物たちは当時の物でしょうか。館山海軍砲術学校の訓練は過酷な事で有名でしたが、その中で特に身体能力などに優れた生徒たちが送り込まれた山岡部隊の訓練はまさに過酷を極めていたそうです。

こちらには終戦前、特攻兵器である人間魚雷回天10型が格納されていたと言われています。

山岡部隊は元々回天による特攻が目的ではなく、一式陸攻による敵航空基地への強行着陸や潜水艦による潜入によって、フィリピンやサイパンなどの基地で破壊活動をするための特殊部隊だったそうです。

海中には潜水艦が海に出るためのレールが沈んでいます。他の本土決戦のための桜花や震洋の基地同様ここから回天か出撃することはありませんでしたが、東シナ海の米軍基地に対する破壊工作はほぼ特攻のような物だったそうです。またこの部隊は英語も教育され、アメリカ本土でのスパイ活動も想定されていたとか。
7/18撮影。何はともあれ暑い。暫く更新出来なくても許して下さい。

























































