茨城県

※まとめサイト等への画像及び文章の無断転載を禁じます。メディア等での画像使用については”unagidanyoro2@yahoo.co.Jp“までご連絡下さい。

     ⬜ 温泉リスト(フルプラウザ版) ⬜

    ⬜ 立ち飲みリスト(フルプラウザ版) ⬜

茨城県ひたちなか市、勝田に残るバラック居酒屋群

水戸駅のひとつ先、阿字ヶ浦海水浴場や那珂湊漁港へ向かうひたちなか海浜鉄道の起点駅でもある勝田駅を訪れました。ひたちなか海浜鉄道には以前茨城交通時代の廃車両を撮りにちょっとだけ乗りました。

IMG_6415_Original

勝田は日立グループの工場に囲まれています。西側には鉄道車両工場やビルシステム、南東には現在アメリカの投資信託に買われてハイコーキと社名を変えた元日立の電動工具工場。さらに南には陸上自衛隊勝田駐屯地もあります。

IMG_6419_Original

西口はいきなり車両工場なので東口を南に歩いて行きます。潰れたビリヤード場など、ちょっと廃れた雰囲気も。

IMG_6423_Original

メインストリートは南北に走る表町商店街。人通りは少なくシャッター商店街と化しています。

IMG_6425_Original

表町商店街沿いの古いビル。百貨店か何かだったのでしょうか。

IMG_6421_Original

その向かいの通りを入るとバラックのような居酒屋長屋があります。商店街としては死に体ですが飲み屋街としてはまだまだ現役と言った感じです。

IMG_6428_Original

廃業した飲み屋さんなども混在していますが、現役のスナックなども多くあります。

IMG_6430_Original

地方の飲み屋街の特徴ですが駐車スペースが有ったりします。もちろん今では飲酒運転の取り締まりが厳しいですが、昔はゆるく飲んで運転して帰るなんて事が日常的でした。その辺が厳しくなった結果、地方では家飲みが多くなり飲食店が減って行きました。

IMG_6439_Original

スナックやキャバクラが今だに元気なのは、工場勤務で徒歩圏内やタクシー圏内に住んでいる方が多くいると言う事。もちろん常磐線やひたちなか海浜鉄道で通勤されている方もいらっしゃるでしょう。

IMG_6442_Original

あとは自衛隊基地が近いのも大きいですね。自衛隊ある所に繁華街ありです。

IMG_6436_Original

常磐線の線路近くに行くと、今では居酒屋になってますが元料亭だったと思われる建物が多くあります。

IMG_6470_Original

髪結いなどがある事から、この辺りがかつて花街であった事が想像できます。

IMG_6435_Original

大谷石なども使ったコンクリート建造物。街灯には粋泉商店会と書かれていますが、残っているのは広いコインパーキングと飲み屋のみ。

IMG_6451_Original

そして飲み屋街の南西の外れ、非常にそそる一帯が残っています。

IMG_6454_Original

ここよりずっと北にある常陸多賀の塙山キャバレーを彷彿とさせるようなバラック飲み屋街。塙山キャバレーはテレビ番組「ザ・ドキュメンタリー」ですっかり有名になってしまいましたが、生き残っている店は少ないものの似たような場所が勝田にもありました。

IMG_6458_Original

若い方がリフォームして新たに出店したのでしょうか、新しい感じの店もあります。

IMG_6456_Original

裏に回るとこんな感じ。すでに何軒か解体されてしまってますが、かつては狭い路地裏飲食店街の雰囲気があったのでしょう。

IMG_6455_Original

当然と言いますか、トイレは共同トイレです。ぜひ一度夜に訪れてみたい。

IMG_6461_Original

こちらは潰れてから随分経っている様子。

IMG_6460_Original

道路の向かい側にも同じような区画があります。いやぁ興奮する。

IMG_6467_Original

まだ営業されているかどうか、夜に来てみないと判別出来ない。

IMG_6462_Original

こちら側は交差点に面した3軒だけが残っており、裏手は全て解体済みとなっています。

IMG_6463_Original

敷地の奥に共同トイレだけが残されています。こう言う光景は以前訪れた今はなき西浦和のバラック居酒屋を思い出させます。消える前に飲みに行かなければ、絶対後悔する。

IMG_6464_Original

裏側から見るとこんな感じです。裏の建物が解体される前に来てみたかった。

IMG_6465_Original

全国でもこのようなバラック飲み屋街が、あとどれほど残されているのか。消える前に更に探さなければと痛感しました。

茨城県水戸市(2)、花街跡の歓楽街と赤線地帯跡

前回の続き。さて今回は水戸の繁華街を巡ります。

IMG_6535_Original

まずは水戸駅から1番遠い栄町界隈のスナック街から。

IMG_6539_Original

茨城県の歓楽街と言えば土浦と水戸。この二大都市はどちらも栄えていましたが、私が見た感じでは土浦の方が寂れた雰囲気がありました。もっとも土浦の市街は駅周辺しか歩いてませんが。

IMG_6540_Original

なんて言ったって水戸は日立に近いってのがあります。日立グループにあやかってると言う部分が大きい。しかし町そのものは京成ホテルや京成デパートなど、京成グループが幅を利かさせいる印象がありますね。常陽銀行とか水戸証券とか元気無いし。

IMG_6544_Original

と、そんな関係ない話で間を待たせないといけないくらい、スナック、キャバクラ街が広い!

IMG_6545_Original

例えばこのスナックビル、建築年代はギリ昭和でしょうか。さすが県庁所在地と言ったところでしょうか、寂れた雰囲気はほとんどありません。

IMG_6546_Original

妖しいなぁ、窓の塞ぎ具合とか、めっちゃ風俗感が。

IMG_6547

飲み屋街の外れにはラブホがあります。右側の建物なんかは窓を塞いでいて風俗店の雰囲気。

IMG_6548

通りと言う通り、夜のお店しかありません。しかもそのほとんどが現役ってのが、さすが大都市。経済的にも地元での雇用先が多いのか、土浦と比較して過疎化の雰囲気がありません。

IMG_6554

南側へ進んで行くと住所は大工町に変わります。この界隈にはかつて花街がありましたが、空襲を経てその痕跡はほとんど見られません。ただ名残りとして同じ場所がスナック街となっております。

IMG_6555

旦那横丁飲食店街のアーチ。奥に見えるのが水戸市街のメインストリートでもある国道50号線。ちなみにその50号線は笠間市や筑西市へと続いています。

IMG_6557_Original

国道50号線を南に越えると街の様子が一変します。住所が天王町に変わるこの界隈は、いわゆるソープ街であります。

IMG_6560_Original

ただキャバクラ業界と違い、お風呂業界は不況の煽りを強く受けて潰れる店も多くあります。かなり大型店だったのかまるでホテルのような廃墟。

IMG_6556_Original

裏に回るとこんな感じ。後背地は丘陵の南端で崖地となっております。

IMG_6564_Original

そんな中、超ド派手な店舗が。ここはかつて水戸を代表する巨大ソープ(当時はトルコ風呂)のクイーンシャトーと言うお店でしたがバブル崩壊の時期に閉店、その後30年以上廃墟のままだったそうです。しかし近年改修工事の末に新規オープン。この規模となると解体費用も億を超えるそうですが、改修にしても長年放置されてきた建物だけに相当な費用がかかっていると思われます。
ちなみにこの色使いはアレですね、元々はバブル期に歌舞伎町を中心にテレクラのリンリンハウスから始めた新宿ソフトと言う会社から始まり、他にも漫画喫茶のマンボー(森下不動産)やビデオボックス(株式会社大倉ビル)、出会い系サイト、株式会社ロボットレストラン(現在はサムライレストラン)、ホテル事業のワタナベ商事、ラーメンの博多風龍、イメクラのクリスタル系列、女性求人サイトのバニラなどなど、全て別会社でありながらも関連グループであると言う。まぁ夜の風俗王と呼ばれる森下グループと言うやつです。

IMG_6571_Original

さて、市街地を一気に抜けて駅の近くまで。国道の南側に水戸東照宮と言うのがあり、その右手(西側)に渋い飲み屋街が連なっています。

IMG_6570_Original

路地は徐々に丘陵の際、下り坂となって行きます。

IMG_6567_Original

大衆クラブキャンパスワンの看板がありますが、当然ながら廃業しています。

IMG_6569_Original

その隣の建物も元はスナックだったか居酒屋だったか。

IMG_6576_Original

丘陵地を降りると奈良屋町となりますが、この一帯はかつての赤線地帯でした。崖下の狭い通りは戦後に栄えた通り。

IMG_6575_Original

名残はほとんど残っていませんが、廃業した居酒屋の跡などが見られます。1918年(大正7年)、この奈良屋町が出火元で水戸の中心街約1100戸が焼けると言う水戸の大火がありました。

IMG_6579_Original

水戸の大火の後、ここ奈良屋町には大工町などの花街とは別に市内に点在していた私娼が集められました。谷底の大通りは大正当時から私娼窟があった場所。

IMG_6573_Original

こちらは唯一当時の姿を残す建物。水戸には陸軍の第2聯隊や第14工兵大隊があったため、遊郭が無い代わりにここ奈良屋町の私娼窟が栄えたとか。

IMG_6574_Original

当時の屋号が微かに残ってますが、昔の漢字過ぎて読めない。しかし1945年(昭和20年)8月2日、水戸の大空襲で再度焼け野原となります。

IMG_6578_Original

この神社は当時からあったのでしょうか。戦後の奈良屋町は進駐軍用の特殊慰安婦街として指定され、見事に復活を遂げます。

IMG_6577_Original

崖の上は水戸東照宮の裏手になります。翌年の1946年(昭和21年)、GHQによる公娼廃止指令により赤線及び青線が引かれ特殊喫茶店の名目で続きますが、1958年(昭和33年)の売春防止法の施行まで続きました。その後はスナック街として残りましたが、現在ではご覧の通りごく普通の住宅街となっています。

IMG_6580

奈良屋町の谷を南に下り、水戸東照宮の東側へと回り込みます。何やら古そうなビルが。

IMG_6581

ここは東照宮の東側の宮下銀座商店街。3階建ての古い雑居ビルが連なっています。

IMG_6584_Original

空襲で焼け落ちた水戸東照宮が1962年(昭和37年)に再建されますが、同じ頃この商店街が誕生しました。商店街は登り坂で水戸のメインストリート国道50号線へと抜けます。

IMG_6586_Original

デザインが統一された雑居ビルが両側に連なりますが、かつてはアーケードの屋根も設置されていました。国鉄ストアなどもあり商店街として大いに栄えていたそうですが、現在では半分以上が飲み屋街となっています。

IMG_6590_Original

こちらは帰り掛けに寄った駅に近い立ち飲み屋「ニューたけさん」。

IMG_6591_Original

なんと営業時間が午前11時から朝の4時まで、土曜日は24時間営業と言う素晴らしい店。しかも煙草は吸えるし駅近だしで言う事ありませんでした。

茨城県水戸市(1)、市街地と旧芦山浄水場跡

意外と今まで縁が無く、駅を降りた事のなかった水戸へ行って参りました。

IMG_6482_Original

幼少の頃より、水戸と言えば偕楽園ぐらいしか無くて梅の咲く時期以外観光旅行に行く理由がない、と言うのが水戸のイメージでした。茨城交通だった時代のひたちなか鉄道や、もっと北の今はなき日立電鉄などには乗りに行きたかったのですが、水戸は微妙に遠い。

IMG_6478_Original

とは言え立派な県庁所在地。歴史的にも幕末物の小説とか読んでると必ず水戸藩士は登場するし、今まで訪れて来なかったのが不思議なくらい。今回はハローサイクルが水戸市内に導入されていたので、レンタルサイクルで巡ります。

IMG_6487_Original

こちらは1930年(昭和15年)竣工の茨城県庁旧庁舎。現在の庁舎は水戸駅より南西へ5.6キロほど離れた場所に、1999年3月竣工の25階建ての高層ビルを建設して移転しました。ちなみに同年11月には群馬県が前橋市に地上33階建の超高層新庁舎を建設させています。(なんか張り合ってますが、高い建物が全く無い場所に突然現れる高層ビルって言うのは、見た目なんとも……w)

IMG_6489_Original

旧庁舎の近くにあるのが1932年(昭和7年)に建造され1999年(平成11年)まで使われていたと言う水戸市水道低区配水塔。装飾がエグいくらい凝っています。こちらは市内の下市地区(水戸駅東側)へ水道水を供給するために作られた給水塔になります。

IMG_6493_Original

敷地内のこちらの建物も同時代の物。水戸の市街地は空襲により大部分が焼け野原となったので、このような戦前建築は非常に貴重です。

IMG_6502_Original

さて、ここからは一旦市街地を離れ、北側の水田地帯を北西へと進んで行きます。丘陵地の麓伝いに続く道を進みます。

IMG_6497_Original

斜面際には幾つもの湧水地が。水戸の中心街は北を流れる那珂川と、南を流れる支流の桜川に挟まれた台地の上に形成されています。その台地から一歩崖を下れば長閑な農村風景へと様変わり。

IMG_6505_Original

那珂川流域の平野部の際、台地の崖下に当たる所からは豊富な湧き水が滲み出し、水田地帯を潤して那珂川へと注ぎます。

IMG_6498_Original

たまに幾つもの廃屋を目にしたりもします。

IMG_6507_Original

こちらも湧水地。もはや湧水群と呼べます。

IMG_6509_Original

水田地帯から丘陵地を望むとこんな感じ。あの丘陵の上に市街地が広がっていると言う、なんとも特徴的な地形にあります。

IMG_6511_Original

水戸駅から北西に7キロほど走った那珂川のほとりに、旧芦山浄水場があります。

IMG_6514_Original

正門から裏手、那珂川の土手に出ると、幾つかの建物が見えます。この芦山浄水場は1932年(昭和7年)に建造され、のち北西部の丘陵地に建造された楮川(こうぞがわ)ダムにその役目を譲り1993年(平成5年)廃止となりました。

IMG_6522_Original

そしてこの廃墟、映画「カメラを止めるな」などのロケ地としても使われています。そう言えばあの映画観た時にエンドロール見てロケ地水戸なんだぁって思ってたのに、すっかり忘れてました。

IMG_6526_Original

現在水戸市は撮影のロケ地として貸し出ししているのみですが、是非とも内部も一般公開して欲しいです。

IMG_6530_Original

那珂川沿いに南東へ下り、坂を登って丘陵地の上へ。桂岸寺の門前辺りに古そうな旅館が。

IMG_6531_Original

だいぶ駅に近づいた栄町で、なんとも昭和な看板を目にしました。この「サンなんちゃら(漢字が読めない)自転車」とは。聞いた事もない。

IMG_6532_Original

その交差点を入ると、今まさに解体されようとしている団地がありました。ここは県営松並町アパート。調べたらなんと1951年(昭和26年)竣工の2K風呂無し。昭和20年代に建てられた団地は初めて見ました。

IMG_6534_Original

て言うか公営住宅法が制定されたのが1951年(昭和26年)6月4日で7月に施行されたので、ほぼ第一号と言う事になります。鉄筋コンクリート造の多層階アパートは関東大震災復興に於ける同潤会アパートの例があるので不思議ではないですが、もしかしたら歴史的価値のある公営住宅だったのではないでしょうか。

次回は繁華街を巡る後半に続きます。


茨城県境町、利根川東遷からの江戸への物流拠点

江戸から明治にかけての水運(水上交通)を語るのに、利根川から江戸川が分岐する関宿(せきやど)を避けては通れない。そう思い鉄道も通っていない千葉、茨城、埼玉が県を接する千葉県野田市の関宿へまず向かいました。

IMG_6179

結論から言うと関宿にはかつての城下町の雰囲気など一切残っていませんでした。

IMG_6155

関宿城も本来あった場所とは違う場所に1995年(平成7年)、鉄筋コンクリートで復元された物。しかも訪れた時、この関宿城博物館が休館日でした。

IMG_6173_Original

元々建っていた場所がこちら。多少土塁が残っている程度。関宿は地図的に言えば千葉県の北西端、チーバ君の鼻先に当たる所です。利根川の北側が茨城県、利根川南側から旧渡良瀬川の流路(行幸湖)を通り南東に分岐する江戸川に接する所から南が埼玉県、銚子から太平洋に注ぐ利根川と東京湾に注ぐ江戸川との間が千葉県となります。説明が難しい。

IMG_6177_Original

こちらは関所跡地。江戸時代初期までは鬼怒川水系の常陸川が銚子に流れ出て、渡良瀬川と利根川は江戸湾に流れ込んでいました。しかし家康の江戸入城後の元和7年(1621年)以降、水上交通確立のため利根川と渡良瀬川を常陸川に繋げて銚子へ流し、かつ旧渡良瀬川の流路を江戸川としました。これが利根川東遷と言う一大土木事業でした。

IMG_6178

利根川東遷が出来ると、利根川や渡瀬川からの流れが銚子方面と江戸湾とに分岐するこの地点は、水運の要衝となりました。特に北の太平洋沿岸地域から江戸へ向かう物資は、房総半島の外海を航行するよりも高瀬船で川を伝った方が安全かつ遅れなく運べると言う事でした。また、川幅の狭い箇所に棒出しと言う、江戸川への水量を調節する閘門もありました。

IMG_6152_Original

関宿城博物館の北西端部を周回する土手道が県境で、その先の河川敷は茨城県になります。水面は見えませんがこの奥に川の分岐点があり、左手の江戸川の対岸もまだ茨城県。

IMG_6158

こちらが現在の江戸川への水量を調節する関宿水閘門。ここも茨城県になります。1927年(昭和2年)完成。江戸川下流域の水害を防ぐ役割を担っています。関東平野を流れる川は、その時代ごとに流路を変えて来たので、一言で説明する事が出来ません。

IMG_6167

関宿城博物館がある近くには珍しい事に浚渫船(しゅんせつせん)が保存されています。保存と言っても草に埋もれてますが。浚渫とは川底の砂や泥などをさらう作業を言います。

IMG_6171

大雨などで水量が増すと上流域で川岸や川底が削られ、その土砂が中流域から下流域へと流されて行きなす。土砂はそのまま川底に堆積し、それにより水深が浅くなって船の航行が困難になったり、急な増水に際し洪水の危険性が増します。江戸時代は人力で浚渫作業をしていましたが、明治以降浚渫船が輸入されるなどして機械化が進みました。

IMG_6157_Original

関宿水閘門の近くには江戸川の下流域に掛けられていた鉄道橋の一部が保存されています。この橋梁は1907年(明治40年)に当時の総武鉄道の小岩〜市川間の江戸川橋梁に使用されていました。

IMG_6150

さて、関宿から県道17号、境大橋で利根川を渡って茨城県境町へと入って行きます。左手奥で左側に江戸川が分岐しています。

IMG_6107_Original Copy

対岸である境町側から眺める関宿城はこんな感じです。冬の早朝など空気が澄んでいる時ならば富士山も見えますが、かなりの望遠レンズでないと関宿城と富士山を並べて撮るのは無理です。なんか撮影スポットとして有名らしいですが、天守閣と富士山なんてそう簡単に撮れるもんじゃないです。そもそも復元天守閣だし。

IMG_6145

利根川を渡ると右手にはドン・キホーテとスーパー銭湯、スーパー、ダイソー、パチンコ、場外馬券場など。

IMG_6142

左手には道の駅さかい。一応、観光拠点です。ここをはじめ町内にはいくつかの隈研吾設計による建築物があります。公共事業だから予算あるのかな。

IMG_6148_Original

道の駅は高いので、隣のドライブイン的な大はし食堂に入ります。

IMG_6147_Original

最近はモツ煮定食を見かけたら必ず頼むようにしています。ここのモツ煮も味が濃くてご飯が進む。

IMG_6181_Original

境町の町内には無人運転バスが運用されています。ソフトバンクの子会社であるBOLDLY株式会社及び株式会社マクニカの協力のもと自動運転バスを3台導入し、5年前から定期運転されています。たまに有人ワンボックスが来る事もありますが。

IMG_6182

大まかに言えば道の駅と病院とショッピングセンターと高速バスターミナルなどを往復する感じです。レンタルサイクルを借りてたので乗りませんでしたが、無料です。

IMG_6666_Original

境町はJRバス関東と朝日自動車によって東京駅八重洲口からの直行便も出ています。こう言うのは行政が頑張っているからなのでしょうか。以前東京駅から出る境町行き高速バスを見て、境町ってどこ?と思ってました。写真は後日駒込駅前でたまたま見かけたJRの境町行き高速バス。

IMG_6132_Original

境町には古河から路線バスが運行されています。ちなみに関宿には東武伊勢崎線川間駅と東武動物公園駅から路線バスが出ており、関宿大橋を渡り境車庫まで運行されています。

IMG_6102_Original

古河からの路線バスの終点、境町バス停前。正面には朝日自動車のタクシー営業所があり、左手には河岸の駅さかいと言う観光施設があります。観光施設と言っても手狭な案内所的な物で、しかも閉まってました。ただここには自動運転バスも来ますしdocomoのシェアサイクルもあります。

IMG_6103_Original

しかしながら空いてる商店は一軒も無く、路線バスで観光に来た人は愕然とするでしょう。

IMG_6108_Original

この辺りは江戸時代河岸があり、とても栄えていました。東北や北関東からの年貢米などの物資は、奥州街道より途中鬼怒川の水運を通り、日光街道東往還を通ってここ境町へと集積されます。そしてここから江戸川を下って江戸市中へと運ばれて行きました。いわゆる物流拠点でもあります。

IMG_6110_Original

メインストリートは河岸跡から北へ延びる日光街道東往還。かつては船問屋や旅籠、茶店などが軒を連ねる関宿藩の宿場町でしたが、鉄道の登場によって衰退して行きます。こちらは見世蔵造りの旧・高木書店。

IMG_6112_Original

こちらは村田酒店。煉瓦造りの店舗ですが前面が大きく塞がれているのが残念。奥にも広く倉庫などがあります。

IMG_6115_Original

途中、気になるバラックなどもありました。

IMG_6123_Original

裏通りに入った所で廃業旅館。旅館ふじと書かれた看板がありました。

IMG_6117_Original

こちらも造り的に旅館か何かだったのでしょうか。

IMG_6137_Original

現役の旅館、旅館山楽。特にこれと言った地場産業や名勝がある訳でも無いのに、なぜこんなに旅館業が多かったのか。

IMG_6129_Original

紳士服婦人服のマルニ。かつては商店街としても賑わいを見せていたようです。

IMG_6131_Original

駐車スペースのある商店街跡もあります。鉄道の通らない町として、早くから車社会に対応していたのでしょうか。

IMG_6126_Original

これまた歴史のありそうな建物。市内は特に文化財登録もされていないので詳細は不明。しかし特に保存されている訳でもないのに、多くの歴史的建造物が残っています。

IMG_6138_Original

貸家でしょうか、門柱にアーチが掛かっています。お洒落。

IMG_6140_Original

旧日光街道東往還の東側には境大橋から北上する県道17号線が並走しており、北へ進むと圏央道の境古河ICがあります。こちらは交通量も多く幹線道路沿いの店舗なども多く栄えていました。こんな写真しか撮ってませんがww
ともあれ、2015年(平成27年)に圏央道境古河ICが開業した事により、それまで陸の孤島と化していた境町が急速に発展してきているのかも知れません。同様に阿見町や稲敷市、来年開通予定の千葉県多古町など、鉄道が通らなかった街々も、この圏央道によって変わって行く事でしょう。

茨城県桜川市、真壁の重要伝統的建造物群保存地区

つくばエクスプレス終点のつくば駅から北へ向かってバスに乗り筑波山口へ。ここはかつての筑波鉄道筑波駅跡になります。

IMG_2399

筑波鉄道は大正7年(1918年)に開業、途中関東鉄道に吸収されつつも国鉄が分割民営化された昭和62年(1987年)3月末日に廃止となりました。

IMG_3853_Original

1981年頃と思われますが、当時父親とこの筑波鉄道に乗りに来ました。どこで撮った写真か不明(多分筑波駅)ですが、土浦から乗って筑波駅で折り返した記憶があります。

IMG_2402

現在、その廃線跡はほぼ全区間サイクリングロードに整備され、多くのサイクリストが訪れています。一度私も土浦でレンタルサイクルを借りて走りたいのですが、いかんせん距離が長い。

IMG_2397

駅前はかつて筑波山登山の玄関口として栄え、その面影もあります。現在でもケーブルカーとロープウェイが山頂まで運行されていますが、旧筑波駅からケーブルカーまで2.6キロ、ロープウェイまでは約5キロと離れており、当時からバスで乗り継がなければならないと言う不便さがありました。

IMG_3857_Original

それでも1984年までは上野から国鉄常磐線経由で直通の臨時列車が乗り入れたりしていました。このヘッドマークの手作り感たるや!w
ハイキングが流行っていた時代などは多くの観光客で賑わっていた事でしょう。

IMG_3855_Original

こちらも1981年当時の筑波鉄道。現在筑波駅から水戸線の岩瀬駅までは、関東鉄道バスが委託されて運行している桜川市の市営バスが、かつての筑波鉄道の代行バスとして走っています。このバス、狭い農道や集落内の旧道を通り廃線跡をしっかりトレースしています。生活のための公共交通機関の役目を果たそうと小学校などもちゃんと寄るのですが、その小学校が少子化で廃校になっていたりして、ちょっと切ない。

IMG_2442

筑波駅跡と水戸線岩瀬駅の中間辺りに、旧・筑波鉄道真壁駅跡があります。

IMG_2447

筑波駅から北は乗ってなかったので、初めての訪問となります。こちらはかつての駅前。鉄道が廃止された街は、個人的になんだか陸の孤島と言ったイメージを持ってしまいます。

IMG_2432

筑波山麓の北西側に広がる城下町は、戦国時代末期の真壁氏時代に形づくられ、江戸時代初期の浅野氏時代に完成したと言われています。真壁駅跡の東にある真壁城跡は堀割りや土塁が残されており、真壁城の広さを感じる事が出来ます。

IMG_2418_Original

真壁の北に位置する加波山の一帯は真壁石とよばれる花崗岩の産地で、日本有数の石材業の町となっており、明治以降の主幹産業となりました。筑波鉄道も元々は真壁石を水戸線の岩瀬駅まで輸送するために、浅野石材工業(浅野財閥系)が筆頭株主となり設立されました。

IMG_2436

こちらは駅の東側にある鈴木醸造跡。大正13年創業で屋号はきあげ醤油。屋敷門と母屋が登録有形文化財。酒や醤油などの醸造業も真壁の主要産業の一つです。

IMG_2437

しかし2023年7月に出火。人的被害や延焼は免れたものの母屋や醤油蔵を含めた全ての建物が焼失。現在蔵付き酵母菌の採取と共に事業再開を進めているそうです。

IMG_2456

さて、真壁駅跡から西側の市街地に向かって歩いて行きます。こちらは鈴木家表門。表門と土蔵が登録有形文化財に指定されていますが、土蔵は個人宅の敷地内なので見る事が出来ません。

IMG_2459

こちらは猪瀬家の薬医門。この真壁の街はとにかく登録有形文化財だらけとなっています。市街地周辺の桜川沿岸地域は水田地帯、北側の桜川西岸に広がる真壁台地はスイカや白菜などの畑作に利用されています。

IMG_2463

塚本家住宅。見世蔵と主屋、土蔵が登録有形文化財。文化財って文化庁に申請して認可されれば登録されるのですが、真壁には101棟もの文化財建築があるそうです。これは桜川市が町おこしのために手当たり次第申請しまくったんじゃないかと。

IMG_2465

文化財に指定されていなくても昭和感溢れる建物もあります。江戸時代の真壁は、大阪や奈良、岡崎から木綿を仕入れて月12回の市を開き、会津や米沢など東北の商人を集める木綿流通の拠点として、さらに周辺地域の物産が集散する在郷町(ざいごうまち)として繁栄しました。

IMG_2466

こちらはスナックな何かの跡でしょうか。明治期に入ると製糸工場も建設され石材産業と共に街は発展して行ったそうです。

IMG_2468

こちらは西岡商店。市街地の南を流れる山口川を渡った先に西岡本店と言う造り酒屋があり、その販売所を兼ねた酒屋さんです。

IMG_2470

真壁伝承館の塀が続く見芽通り。この通りは戦国時代から存在しているとか。

IMG_2499_Original

真壁伝承館は元々陣屋があった場所で、後に公民館が建ち、現在は観光拠点を始め小規模ながら市民ホールまであります。中には江戸期の真壁焼きで造られた土器や、明治期に造られた土管などが展示されています。

IMG_2473

出川家住宅。主屋と石蔵が文化財。現在市街地に残る立派な木造建築物群は幕末から明治にかけて建てられた商家になります。

IMG_2484

たとえ登録有形文化財だとしても全部撮っていたらキリがないです。手前が旅籠まかべ、奥が木村家住宅。木造建築は蔵造りに比べれば火事に弱いのですが、これだけの木造建築が残っているのは確かに奇跡的と言えます。

IMG_2485_Original

市街地の中心辺りにあるのが旧・真壁郵便局。

IMG_2488_Original

明治4年(1871年)、郵便制度が発足した翌年に、真壁町の町屋郵便取扱所が開業しました。その後幾度か移転を繰り返し、この場所には昭和29年(1904年)頃に移ったそうです。

IMG_2494_Original

内部は公開されており2階にも上がれます。この建物は昭和61年(1986年)まで使用されていました。

IMG_2498_Original

裏手には木造建築物が併設されております。

IMG_2505

こちらは村井醸造。上方から奥州への流通の中継地点として栄えていた真壁に、江戸初期の1673〜1680年頃、近江商人が醤油味噌の販売店を出店したのが始まりとされています。

IMG_2507

門と主屋が文化財の土生都家。文化財指定されるのはいいのですが、その代わり勝手に建て替えや改装なとが出来なくなってしまいます。多少維持費に対する補助も出るのでしょうけれども、新築に建て替えられない不便さがあります。

IMG_2509

根本医院。こちらの門は江戸時代建造の高麗門だそうです。

IMG_2513

伊勢屋旅館。明治中期に料亭「勢州楼」として建てられ、現在は旅館業を営みつつカルチャースクールなども開催されております。

IMG_2516

帳場の残る玄関先では手作りの小物などが売られています。

IMG_2519

こちらが真壁のボスキャラとも呼べる潮田家。かつては呉服太物商を営んでいたそうで、明治43年(1910年)建造の見世蔵は黒漆喰塗りで存在感があります。

IMG_2521

塚本茶舗土蔵。重文を撮り続けてもキリがないので多少端折ります。

IMG_2526

入江家住宅。真壁はこう言った建造物だけでなく町割りや通りも中世の面影を強く残している事から、平成22年(2010年)重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。

IMG_2530

藤屋履物店(手前)と三輪家(奥)。

IMG_2543

土屋家土蔵。土屋家はかつて佐原屋と言う造り酒屋を営んでおり、天保の大飢饉に際してこの蔵を建てるために多くの人を雇って生活を助けたそうです。

IMG_2553

市内を流れる桜川の支流山口川。そんな訳で明治から古くは江戸末期の建造物が多く残されている真壁。後半ちょっと飽きて来ちゃいましたが、筑波山を訪れた際ちょっと立ち寄ってもいいかと思います。
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ブログ紹介
都内、近郊の古い街並みや建造物、路地裏などの写真とレポートを載せています。また、国内の寂れた観光地やマニアックな温泉スポット、廃墟などもご紹介。

鰻田ニョロの小説部屋
→昔書いた小説など
カテゴリー
最新記事
記事検索
  • ライブドアブログ