千葉県

※まとめサイト等への画像及び文章の無断転載を禁じます。メディア等での画像使用については”unagidanyoro2@yahoo.co.Jp“までご連絡下さい。

     ⬜ 温泉リスト(フルプラウザ版) ⬜

    ⬜ 立ち飲みリスト(フルプラウザ版) ⬜

茨城県境町、利根川東遷からの江戸への物流拠点

江戸から明治にかけての水運(水上交通)を語るのに、利根川から江戸川が分岐する関宿(せきやど)を避けては通れない。そう思い鉄道も通っていない千葉、茨城、埼玉が県を接する千葉県野田市の関宿へまず向かいました。

IMG_6179

結論から言うと関宿にはかつての城下町の雰囲気など一切残っていませんでした。

IMG_6155

関宿城も本来あった場所とは違う場所に1995年(平成7年)、鉄筋コンクリートで復元された物。しかも訪れた時、この関宿城博物館が休館日でした。

IMG_6173_Original

元々建っていた場所がこちら。多少土塁が残っている程度。関宿は地図的に言えば千葉県の北西端、チーバ君の鼻先に当たる所です。利根川の北側が茨城県、利根川南側から旧渡良瀬川の流路(行幸湖)を通り南東に分岐する江戸川に接する所から南が埼玉県、銚子から太平洋に注ぐ利根川と東京湾に注ぐ江戸川との間が千葉県となります。説明が難しい。

IMG_6177_Original

こちらは関所跡地。江戸時代初期までは鬼怒川水系の常陸川が銚子に流れ出て、渡良瀬川と利根川は江戸湾に流れ込んでいました。しかし家康の江戸入城後の元和7年(1621年)以降、水上交通確立のため利根川と渡良瀬川を常陸川に繋げて銚子へ流し、かつ旧渡良瀬川の流路を江戸川としました。これが利根川東遷と言う一大土木事業でした。

IMG_6178

利根川東遷が出来ると、利根川や渡瀬川からの流れが銚子方面と江戸湾とに分岐するこの地点は、水運の要衝となりました。特に北の太平洋沿岸地域から江戸へ向かう物資は、房総半島の外海を航行するよりも高瀬船で川を伝った方が安全かつ遅れなく運べると言う事でした。また、川幅の狭い箇所に棒出しと言う、江戸川への水量を調節する閘門もありました。

IMG_6152_Original

関宿城博物館の北西端部を周回する土手道が県境で、その先の河川敷は茨城県になります。水面は見えませんがこの奥に川の分岐点があり、左手の江戸川の対岸もまだ茨城県。

IMG_6158

こちらが現在の江戸川への水量を調節する関宿水閘門。ここも茨城県になります。1927年(昭和2年)完成。江戸川下流域の水害を防ぐ役割を担っています。関東平野を流れる川は、その時代ごとに流路を変えて来たので、一言で説明する事が出来ません。

IMG_6167

関宿城博物館がある近くには珍しい事に浚渫船(しゅんせつせん)が保存されています。保存と言っても草に埋もれてますが。浚渫とは川底の砂や泥などをさらう作業を言います。

IMG_6171

大雨などで水量が増すと上流域で川岸や川底が削られ、その土砂が中流域から下流域へと流されて行きなす。土砂はそのまま川底に堆積し、それにより水深が浅くなって船の航行が困難になったり、急な増水に際し洪水の危険性が増します。江戸時代は人力で浚渫作業をしていましたが、明治以降浚渫船が輸入されるなどして機械化が進みました。

IMG_6157_Original

関宿水閘門の近くには江戸川の下流域に掛けられていた鉄道橋の一部が保存されています。この橋梁は1907年(明治40年)に当時の総武鉄道の小岩〜市川間の江戸川橋梁に使用されていました。

IMG_6150

さて、関宿から県道17号、境大橋で利根川を渡って茨城県境町へと入って行きます。左手奥で左側に江戸川が分岐しています。

IMG_6107_Original Copy

対岸である境町側から眺める関宿城はこんな感じです。冬の早朝など空気が澄んでいる時ならば富士山も見えますが、かなりの望遠レンズでないと関宿城と富士山を並べて撮るのは無理です。なんか撮影スポットとして有名らしいですが、天守閣と富士山なんてそう簡単に撮れるもんじゃないです。そもそも復元天守閣だし。

IMG_6145

利根川を渡ると右手にはドン・キホーテとスーパー銭湯、スーパー、ダイソー、パチンコ、場外馬券場など。

IMG_6142

左手には道の駅さかい。一応、観光拠点です。ここをはじめ町内にはいくつかの隈研吾設計による建築物があります。公共事業だから予算あるのかな。

IMG_6148_Original

道の駅は高いので、隣のドライブイン的な大はし食堂に入ります。

IMG_6147_Original

最近はモツ煮定食を見かけたら必ず頼むようにしています。ここのモツ煮も味が濃くてご飯が進む。

IMG_6181_Original

境町の町内には無人運転バスが運用されています。ソフトバンクの子会社であるBOLDLY株式会社及び株式会社マクニカの協力のもと自動運転バスを3台導入し、5年前から定期運転されています。たまに有人ワンボックスが来る事もありますが。

IMG_6182

大まかに言えば道の駅と病院とショッピングセンターと高速バスターミナルなどを往復する感じです。レンタルサイクルを借りてたので乗りませんでしたが、無料です。

IMG_6666_Original

境町はJRバス関東と朝日自動車によって東京駅八重洲口からの直行便も出ています。こう言うのは行政が頑張っているからなのでしょうか。以前東京駅から出る境町行き高速バスを見て、境町ってどこ?と思ってました。写真は後日駒込駅前でたまたま見かけたJRの境町行き高速バス。

IMG_6132_Original

境町には古河から路線バスが運行されています。ちなみに関宿には東武伊勢崎線川間駅と東武動物公園駅から路線バスが出ており、関宿大橋を渡り境車庫まで運行されています。

IMG_6102_Original

古河からの路線バスの終点、境町バス停前。正面には朝日自動車のタクシー営業所があり、左手には河岸の駅さかいと言う観光施設があります。観光施設と言っても手狭な案内所的な物で、しかも閉まってました。ただここには自動運転バスも来ますしdocomoのシェアサイクルもあります。

IMG_6103_Original

しかしながら空いてる商店は一軒も無く、路線バスで観光に来た人は愕然とするでしょう。

IMG_6108_Original

この辺りは江戸時代河岸があり、とても栄えていました。東北や北関東からの年貢米などの物資は、奥州街道より途中鬼怒川の水運を通り、日光街道東往還を通ってここ境町へと集積されます。そしてここから江戸川を下って江戸市中へと運ばれて行きました。いわゆる物流拠点でもあります。

IMG_6110_Original

メインストリートは河岸跡から北へ延びる日光街道東往還。かつては船問屋や旅籠、茶店などが軒を連ねる関宿藩の宿場町でしたが、鉄道の登場によって衰退して行きます。こちらは見世蔵造りの旧・高木書店。

IMG_6112_Original

こちらは村田酒店。煉瓦造りの店舗ですが前面が大きく塞がれているのが残念。奥にも広く倉庫などがあります。

IMG_6115_Original

途中、気になるバラックなどもありました。

IMG_6123_Original

裏通りに入った所で廃業旅館。旅館ふじと書かれた看板がありました。

IMG_6117_Original

こちらも造り的に旅館か何かだったのでしょうか。

IMG_6137_Original

現役の旅館、旅館山楽。特にこれと言った地場産業や名勝がある訳でも無いのに、なぜこんなに旅館業が多かったのか。

IMG_6129_Original

紳士服婦人服のマルニ。かつては商店街としても賑わいを見せていたようです。

IMG_6131_Original

駐車スペースのある商店街跡もあります。鉄道の通らない町として、早くから車社会に対応していたのでしょうか。

IMG_6126_Original

これまた歴史のありそうな建物。市内は特に文化財登録もされていないので詳細は不明。しかし特に保存されている訳でもないのに、多くの歴史的建造物が残っています。

IMG_6138_Original

貸家でしょうか、門柱にアーチが掛かっています。お洒落。

IMG_6140_Original

旧日光街道東往還の東側には境大橋から北上する県道17号線が並走しており、北へ進むと圏央道の境古河ICがあります。こちらは交通量も多く幹線道路沿いの店舗なども多く栄えていました。こんな写真しか撮ってませんがww
ともあれ、2015年(平成27年)に圏央道境古河ICが開業した事により、それまで陸の孤島と化していた境町が急速に発展してきているのかも知れません。同様に阿見町や稲敷市、来年開通予定の千葉県多古町など、鉄道が通らなかった街々も、この圏央道によって変わって行く事でしょう。

千葉県松戸市、平潟遊郭跡地と陸軍工兵学校跡

6月頭、駅前の青線地帯跡でちょっと飲んで以来の再訪です。

IMG_6026_Original

その青線地帯跡の長屋の一軒、美味いと噂だったカレー屋にまず入ります。

IMG_6027_Original

カレー専門店印度。女将さん一人で切り盛りされてますが、本格的なスパイスカレーです。美味い。

IMG_6023_Original

そんな訳で松戸駅西口から巡ります。北寄りの外れには、見るからに潰れたデパート跡が。こちらは1977年開店のダイエー松戸駅西口店の跡。去年、2024年8月に閉店となったそうです。

IMG_6032_Original

ひたすら西へ歩いて行くと江戸川にぶつかります。納屋河岸跡は江戸〜明治時代の水運の名残り。鉄道が開通した明治29年(1896年)より衰退していきます。

IMG_6037_Original

江戸川河川敷に出ました。納屋河岸は水運の物流拠点で、特に銚子からの鮮魚は利根川を遡上し我孫子市の布佐にて一度陸揚げされ、鮮魚街道(又はなま街道)で陸路松戸まで運ばれ、ここから日本橋の魚河岸まで再び船で運ばれていたそうです。醤油は利根川と江戸川が分岐する境町まで大回りして高瀬舟1本で運ばれていましたが。

IMG_6040_Original

納屋河岸の常夜灯。実際河岸があった当時は今のような土手が無く、土手の位置に河岸の町並みが続いていたそうです。今思い出しましたが、そう言えば4月に訪れた松戸市立博物館に、河岸のミニチュアが展示されていた!なんで撮ってなかったんだ!

IMG_6045_Original

土手から降りた所に平潟神社があります。この神社の東側一帯がかつて遊郭だった場所になります。

IMG_6066_Original

神社の傍らには使われなくなり封鎖された祠が。祠の前には撤去された石碑やらなんやら。物置き的な感じになってます。

IMG_6070_Original

神社の脇の草むらに横たわる石材には氏子の文字が確認出来ます。遊郭関連の屋号とか有ればと思いましたが、見つける事は出来ませんでした。

IMG_6071_Original

その草むらに立つ、昔の街灯。恐らくは遊郭が存在した時代、大正から昭和初期の物かと思われます。

IMG_6054_Original

かつて大門があった辺りから遊郭の跡地を見るとこんな感じ。すでに普通の住宅街となっており、建造物などは残っていません。

IMG_6048_Original

しかし遺構として当時の電柱及び街灯の支柱だけは残っていました。

IMG_6049_Original

こちらも当時の街灯。平潟遊郭は江戸時代、河岸の船宿が旅籠となりそこで働いてた飯盛り女が発祥とされています。

IMG_6056_Original

明治に入り貸し座敷業として存続していましたが、明治31年(1898年)各所の貸し座敷が統合され平潟遊郭が誕生したそうです。すでに常磐線が開通し、隣接する納屋河岸が廃れ始めた時代。

IMG_6057_Original

昔の電柱をアップで見るとこんな感じ。今でも街灯の支柱として利用されている物もあります。

IMG_6058_Original

その後平潟遊郭は戦時中の昭和17年から18年、王子兵器という会社に売られて寮となり、学生と徴用工が入っていました。この時点で平潟遊郭は実質消滅したそうです。

IMG_6062_Original

今回発見出来た当時の電柱は6本でしたが、実際はもっと有るかも知れません。戦後、かつての遊郭はその殆どが旅館などに転業させられましたが、3軒だけパンパン宿やGHQの要請によるダンスホールなどとして存続しました。

IMG_6052_Original

古いアパートのような建物もありますが、遊郭との関係は不明。しかしその後、多くの建物が中国や満州からの引揚者寮や学生寮、北朝鮮への帰国者寮、戦災者寮などに使われ、現在住宅街として開発されています。

IMG_6060_Original

ネットによればこの辺りに当時の柳の木が残っていたそうですが、それもすでに伐採されていました。

IMG_6089_Original

さて今度は東口に向かいます。土止めのように崖地を背負うイトーヨーカドー。

IMG_6076

丘の上には陸軍工兵学校跡があります。敷地は現在聖徳大学と一部松戸中央公園となっています。

IMG_6079

公園の南東側に門柱と歩哨哨舎跡が残っています。この丘陵地帯は元々相模台城跡と言う城跡で、明治40年(1907年) から大正8年(1919年) まで松戸競馬場となっていました。その後競馬場は帝国陸軍に摂取され、終戦まで陸軍工兵学校となりました。煉瓦造りの門柱は工兵学校開設当初の物。

IMG_6082

こちらが歩哨哨舎跡。開設当初は木造だった物を昭和初期にコンクリート造に建て替えました。

IMG_6085

丘陵の南側に降りて行くと旧・帝国陸軍の境界石が残っています。終戦とともに廃止された陸軍工兵学校の跡地には港区田町より東京工業専門学校(後の千葉大学工学部)が移転して来ましたが昭和39年(1964年)に千葉市へ移転。その後大田区大森の聖徳大学が移転して来て今に至ります。

IMG_6087_Original

こちらも数少ない境界石。そんな訳で特に大きな遺構などは残っていなかった松戸でした。

千葉県銚子市(4)、ゴーストタウン化が進む市営住宅

千葉県銚子市(1)、銚子の街並み
千葉県銚子市(2)、旧・赤線地帯跡のスナック街
千葉県銚子市(3)、外川の犬吠埼市営住宅

とにかく暑いからどこにも行きたくないのが正直なところですが、頑張って再び銚子へ。
今回は素直に秋葉原、錦糸町、千葉乗り換えで各駅停車。2310円で自宅からおよそ3時間かかるのですが、特急しおさいを利用すると約2時間半で3890円。房総特急コスパ悪いなぁ。

IMG_5356_Original

銚子駅の観光案内所で電動アシストのレンタルサイクルを借りて西へ。線路の南側にはヒゲタ醤油があります。古い建屋も多く残っていそうですが、コロナ以来工場見学は休止中のまま。

IMG_5360_Original

そのまま銚子高校を横目に丘陵地を登って行くと、住宅街の中に下志津陸軍飛行学校銚子分教場跡地であることを示す翔天の碑が。昭和11年(1936年)ここより西側に銚子飛行場が建設されましたが、現在では宅地化が進む農地で、その痕跡はほぼ見られません。

IMG_5367_Original

さらに南へ程近く、市営三崎住宅があります。

IMG_5365_Original

こちらの敷地は非常に広く、43棟が現存していました。

IMG_5366_Original

建物は全て木造モルタル造の平屋建て、6畳と3畳の2DKで181戸となります。

IMG_5371_Original

ここは昭和39年(1964年)から随時完成しつつ、昭和43年(1968年)には最後の区画が完成。

IMG_5389_Original

しかし現在では老朽化が進み、新規入居募集を終了。

IMG_5385_Original

高齢化が進みほとんどが夏草が生えるに任せた廃墟と化しています。

IMG_5383_Original

トイレのある位置。肥溜めは隣の家と共用で臭気を抜く煙突が縦に伸びています。汲み取りの蓋が二つあるので、一応肥溜めは分かれているのでしょうか。

IMG_5381_Original

て言うか果たして下水道は完備されているのだろうか。20年ぐらい前、津田沼に住んでいた友人のアパートが汲み取り式で、それを最後に見ていないのですが。

IMG_5395_Original

何しろ生活排水がダイレクトにドブへとつながっている様子なのです。よくよく見てみるとこの一帯にはマンホールと言う物が見当たらない。下水処理人口普及率を調べたところ千葉県では77.6%だそうです。ちなみに東京都は99.7%、全国平均で81.7%。
………と、徳島19.5%⁉︎

IMG_5386_Original

住人は見た感じですが10軒あるか無いか。無住となった棟などは草も生え放題。

IMG_5403_Original

恐らく家賃は相当安いんでしょうね。

IMG_5398_Original

団地入り口には地図でも掲示されていたのでしょうか、看板のような物の痕跡が。

IMG_5447_Original

さて、一旦銚子駅前まで戻りそのまま東へ。太平洋に面した銚子外港まで来ました。

IMG_5443_Original

展望タワーがありますが登らない。

IMG_5406_Original

内陸部に入ると漁業で財を成した立派なお屋敷などが点在しております。

IMG_5408_Original

そんな中にあるのが旧・西廣家。江戸時代末期に紀州から来て銚子に移り住み漁業を始めました。今も銚子を代表する船主です。主屋は住まわれているので非公開ですが明治10年(1877年)に建てられた木造平屋桟瓦葺。

IMG_5410_Original

元々平屋建てだった鰹節製造所を、地方からやってきた従業員の居住スペースを確保するために昭和10年(1935)に2階建てに改造しました。痛みが早い鰯を保存することを目的として、水産缶詰工場の稼働も開始します。

IMG_5413_Original

こちらは1865年から1868年(江戸時代末期慶応年間)に漁網の保管場所として建てられた木造瓦葺の建物。現在は漁網の他、船舶を補修するための器具や建具、高膳などが置かれています。

IMG_5407_Original

煉瓦塀の建築年代は不明ですが、大正末期から昭和初期に設置されたようです。ちなみに倉庫内部の一般公開は第2第4日曜日だそうです。

IMG_5431_Original

さて、丘陵の上の方へ登って行くと市営黒生町住宅があります。ほとんど剥がれてしまったアスファルト舗装。マンホールが見当たらない事から、簡易的な下水管は埋設されているも汲み取り式便所なのではないかと。

IMG_5425_Original

ここは銚子市の市営住宅の中で最も古く、昭和31年(1956年)〜32年にかけて建造。

IMG_5424_Original

10棟32戸が現存しておりますが、特に老朽化が激しく屋根など崩壊しかけている棟も。

IMG_5429_Original

間取りは1K、2K、3Kと3種類あります。すでにゴーストタウンと化していると思っていましたが、一軒だけもしかしたら住んでいらっしゃるかも知れない。

IMG_5428_Original

周辺は普通に住宅街が広がっており、ここだけが取り残されたような形に。

IMG_5434_Original

銚子市には前回訪れた市営犬吠埼住宅もそうですが、他にも外川台町住宅など木造平屋建ての団地が多く残っています。

IMG_5430_Original

高齢化や過疎化による人口減少で老朽化した市営住宅は解体されて行くかと思われますが、予算の問題などもあると思われますし基本放置なのかなとも思います。

IMG_5463

最後に駅前を右手に行った所にある吉原食堂。

IMG_5460_Original

雰囲気やよし。地元に愛される昭和の大衆食堂な感じ。

IMG_5461

アジフライ定食。小ぶりのアジ2匹とイワシでしょうか魚フライ2切れ、カボチャのフライ、これで980円。なかなか安いのでは。
ちなみにビールも頼んでいますがレンタルサイクル返却した後なので、飲酒運転はしてません。

千葉県銚子市(3)、外川の犬吠埼市営住宅

千葉県銚子市(1)、銚子の街並み
千葉県銚子市(2)、旧・赤線地帯跡のスナック街
千葉県銚子市(4)、ゴーストタウン化が進む市営住宅

たまたまGoogleマップで見つけた廃墟感のある団地を見に行きました。全然住民はいるので廃墟では無いのですが。

IMG_5289_Original

銚子市街を巡った後、本銚子(もとちょうし)駅より銚子電鉄に乗ります。

IMG_4258_Original

この本銚子駅周辺は緑のトンネルと言う感じで撮影スポットとなっています。本当は上り列車を超望遠で撮りたいところですが。

IMG_5291_Original

1960年代に製造された車両は揺れが酷く、これがまた地方ローカル線に来たと言う雰囲気があってたまりません。

IMG_5294_Original

銚子電鉄の終点である外川駅まで来ました。木造駅舎がいい味を出しています。

IMG_5292_Original

その外川駅構内には昭和25年に製造された元伊予鉄道のデハ801が保存されています。

IMG_3829_Original

ちなみに1980年代前半に親と銚子電鉄を乗りに来た事がありました。写真は銚子駅に止まるデハ301型。昭和5年製の車輌で鶴見臨海鉄道(現・鶴見線)で活躍したのち銚子電鉄に払い下げられました。最後は工事用車輌として活躍し、平成21年に解体されたそうです。

IMG_5295

外川駅から少し戻ると線路沿いに犬吠埼市営住宅があります。

IMG_5299_Original

この市営住宅は4階建1棟、2階建10棟、平屋建て7棟の合計100戸からなります。

IMG_5304_Original

現在は老朽化のため新規募集を停止していますが、見た感じだとまだ3割程度住民がおられる様子。

IMG_5305

こちらは2階建の棟。

IMG_5301_Original

この団地は昭和36年(1961年)竣工。木製の玄関やサッシなど基本的には建設当時の姿をとどめています。

IMG_5314_Original

ちょうど小学校の下校時間で子供たちがこの団地に入って行きました。そうなるとこの団地の取り壊しは相当先になるかも知れません。大抵このような団地は高齢化により、住人が引っ越すか亡くなるかして取り壊すのですが。

IMG_5313_Original

庭先が雑草の生えるままになっている棟はすでに無人なのかもしれない。

IMG_5308_Original

庭を潰してひと部屋増築している所も。まぁ次に入る住人が居る訳ではないので、何やってもいいっちゃいいのか。

IMG_5300_Original

こちらは平屋建ての棟。住んでる方はほとんど居られない様子。

IMG_5312_Original

外川の街も大きな漁港で栄えており、人口もそれなりに居るようです。

IMG_5316_Original

この近くに外川市営住宅と言う1〜2階建ての同じ時代の団地がある事に帰ってから気づきました。また訪れる機会があれば、外川の漁港などと併せて行ってみたいところです。

千葉県銚子市(2)、旧・赤線地帯跡のスナック街

千葉県銚子市(1)、銚子の街並み
千葉県銚子市(3)、外川の犬吠埼市営住宅
千葉県銚子市(4)、ゴーストタウン化が進む市営住宅

さて、ここからは銚子の飲食店街や歓楽街を巡って行きます。

IMG_5227

漁港沿いに東へ歩いて来ました。ちょっとしたスナック街などもありますが、この辺りにはかつて南町と言う特殊飲食店街、つまり私娼街がありました。

IMG_5231

住宅街の中に飲み屋が点在。泊まりがけで来て、こう言う所で飲んでみたい。

IMG_5237_Original

丘陵地が海に迫って来た所に飯沼観音と言う古刹があります。銚子の街は最初この飯沼観音が坂東三十三観音札所巡りの二十七番札所になったことから、その門前町として栄えて来たそうです。その後漁師街としても栄え、利根川水運の開通でさらに発展してきました。

IMG_5240

その飯沼観音(圓福寺)から再び海沿いへと降りて行きます。

IMG_5246

ここで再び商店街が。現在はほぼシャッター商店街と化していますが、かつての賑わいを感じます。

IMG_5247

商店街の南側(丘側)へと入って行きます。廃墟化してますがスナックビルの跡が。

IMG_5250

この界隈は田中町と言って、南町同様戦前は私娼街、戦後は赤線地帯だった時代があったそうです。

IMG_5253

漁港としての規模が大きい分、スナック街の範囲も非常に広いです。

IMG_5251

この辺りを歩いていると廃墟化したスナックの跡などが散見されます。

IMG_5255_Original

路地裏に入って行くと現役の外国人系パブが集まる一画がありました。

IMG_5257_Original

この辺りはいかにも赤線だった場所だと思われますが、特徴的なカフェー建築などは見られません。

IMG_5260_Original

ちなみに銚子駅から北西へ向かった松岸駅より利根川の河岸へ出た所に、かつて松岸遊廓と言うのがありました。あちらは利根川水運の発展に併せて江戸中期の1700年前後の頃から栄え、水運の衰退後も昭和16年まで存在した公認の遊廓でしたが、現在ではその痕跡を全くとどめていないとか。

IMG_5266_Original

松岸遊廓の終焉の原因は舟運の衰退もありましたが、南町や田中町などの私娼街へ遊女が流れて行ったのも引き金となったとか。ただ、どのみち遊廓と言う形態は昭和21年(1946年)のGHQによる公娼制度の廃止で消える運命にありました。

IMG_5270_Original

この界隈の妖しさは南町のスナック街と一線を画しているようにも思えます。ただ、夜に1人で訪れて見なければ、その実態までは掴めません。

IMG_5268_Original

なんとも味のある木造モルタル造りの廃墟が。この建物は一体何だったのでしょうか。

IMG_5274

再びシャッター商店街まで出て、今度は海側を歩いて行きます。竹の湯と言う看板に沿って狭い路地を入って行きましたが、銭湯らしき建物は無くただ空き地が横たわるだけでした。

IMG_5276_Original

そしてこの廃墟はスナック長屋の跡。1階にも2階にも小さな飲食店が軒を連ねていたようです。

IMG_5277_Original

田中町も戦前から私娼街(特飲街)として栄え、戦後の公娼制度の廃止以降は赤線として継続しましたが、昭和33年(1958年)に施行された売春防止法によって私娼街の歴史に幕を下ろすこととなります。

IMG_5279_Original

その当時の名残りとしてスナック街へと移行する訳ですが、そんなネオン街も時代の流れとともに衰退し、宅地化されて行きます。

IMG_5280_Original

近くに現役のスナック長屋がありました。もしかすると先ほどの廃墟に入っていた店が建物の老朽化に伴いこちらに移転したのかも知れません。

IMG_5284_Original

現在では空き地と新築住宅がほとんどとなった田中町ですが、歓楽街として栄えていた当時の街並みは今や想像する事しか出来ません。

IMG_5287_Original

最後に、銚子電鉄の本銚子駅へ向かう途中煙突が見えたので行って見ました。

IMG_5857

相当昔に廃業されたと思われる銭湯の跡。屋号すらも不明です。

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ブログ紹介
都内、近郊の古い街並みや建造物、路地裏などの写真とレポートを載せています。また、国内の寂れた観光地やマニアックな温泉スポット、廃墟などもご紹介。

鰻田ニョロの小説部屋
→昔書いた小説など
カテゴリー
最新記事
記事検索
  • ライブドアブログ