横浜市

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【日記】近況(忙しいです)

7月から9月まで暇だったのですが、10月中頃から急に忙しくなり、どこにも取材に行けておりません。とは言え働く日数が増えればそれだけ収入も増えるので、金銭的には有難いのですがね。

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仕事は深谷に行ったり江東区塩浜に行ったり用賀に行ったり、しまいには朝5時の電車で小田原に通う事になったり。しかも最近はすっかり日が短くなっていますので、仕事終わりには真っ暗。何の写真も撮れません。
写真は小田原市役所近くのラーメン屋「雪だるま」さん。そこそこ老舗のようで、ランチタイムはいつも行列が出来てます。周りに飲食店が少ないってのもありますが。

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行きたい所は一箇所あるんですよ。熊谷の外れにある利根川の渡船とか、全然日帰りで行けるんですが、基本私は平日や祝日で仕事が無い時しか動かないので、行くタイミングが無くて。最低10日ピッチで月4記事の更新を心掛けて来ましたが、流れが止まってしまいました。
写真は全然関係ないけど神奈川県横浜市寿町。かつて角打ちがあった山多屋商店さんは閉店してしまいましたが、そこに新たに立ち飲み屋さんがオープンしました。ただ私は常連仲間に(あっち系なので)あまりお勧めしないと言われたので行きませんが。あっち系と言えばいつも行く店にたまに来るお客さんで、元ガチだった80代の方と同席で飲む機会なんかありましたが、酒飲めばみな同じ人間と思うほどに楽しかったりします。

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どうもこのままだと11月はどこも行けないかも知れません。今月末辺りから再び深谷に行く事になりそうですし。
写真は横浜駅の東海道線下りホームから見た東急東横線横浜〜桜木町間廃線跡の遺構。東横線の廃線跡はレンタルサイクルで近いうちに巡ってみたいと思ってます。

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横浜の話ばかりですが先月みなとみらいで仕事があり、近くに貨物線の高島線が走ってました。前記事の高島線の桜木町駅北側です。

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あと10月は神田の飲み屋の常連仲間の、横浜市星川にある自宅のテラスの改修工事をやってみました。個人的に仕事を受けると言う経験を積んでみました。
写真は上星川駅近くにあるスーパー銭湯「満天の湯」。可もなく不可もなしと言ったところでしょうか。

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まぁとりあえず、毎日4時半に起きて5時の電車で通勤しなければですが、小田原の仕事を頑張ります。あと年末か年始に時間的余裕が出来れば大阪に行きたいと思っています。連れが付き合ってくれたらレンタルサイクルで渡船巡りをしたい!
写真は小田原市久野、小田急の線路沿いにある飲食店長屋。今度店に入ってみたいです。今のところ小田原の仕事帰りは立ち飲み鳥元さんに通っていますが。

ともあれそんな訳で、しばらく更新が止まりますが仕事上の都合で仕方なくなので、また落ち着いたら更新いたします。

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余談ですが、用賀で仕事が早く終わった日は川崎市武蔵新城の昼カラで昼間から飲んで歌っていたり。記事にはしてませんが武蔵新城の飲み屋事情は、良い店が有りすぎてマジでやばいです。

神奈川県横浜市神奈川区(4)、高島貨物線沿線に再訪2025

およそ12年ぶりに東神奈川駅を降りました。
[関連記事]
神奈川県横浜市神奈川区(1)、市場食堂〜ドヤ街、朝鮮部落
神奈川県横浜市神奈川区(2)、三井倉庫〜貨物線跡
神奈川県横浜市神奈川区(3)、子安漁港の狭過ぎる路地

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2013年6月、東神奈川駅東口にて撮影。この雑居ビルは2017〜2018年の時点で取り壊されました。

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2025年9月撮影。今回訪れてみたら高層マンションが完成し、スカイデッキも新設されていました。写真奥、京急仲木戸駅の向こう側でもマンション建設が始まっています。

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東口北側、複合ビル2階の立ち飲み「龍馬」は健在でしたが、その奥の立ち飲み「じゆうな丘」さんが無くなっていました。好きな店だったんだけどなぁ。

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まずはハローサイクルでレンタルサイクルを借りて横浜中央卸売市場方面へ。運河に張り出した建物は健在だし、貨物線のJR高島線も現役でした。

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ただ、当時貨物線をアンダーパスしてきた道路の脇に建ち並んでいたバラックが、、

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ことごとく解体されていました。問屋さんや倉庫として使われていたと思われます。

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向かいの町中華は健在。ここ、一度入ってみたい。

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11年前の横浜中央卸売市場の北西側の運河。

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それがすっかり埋め立てられていました。横浜駅やみなとみらいからも離れているので、主に住宅地としてショッピングセンターや分譲マンションなどが建設されるのでしょうか。

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穂瑞埠頭近くの運河はまだ埋め立てられていませんが、打ちっぱなしゴルフ練習場の東神奈川ゴルフジョイは2024年末で廃業。この辺りも近年開発されて行くでしょう。

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11年前にあった簡易宿泊施設。いわゆるドヤ街がこの辺りには存在していました。

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それが今回訪れたら跡形もなく消えていました。かつての港湾労働者の街がありきたりな住宅街へ。

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ただ、三ツ沢から流れる滝の川が京急の下を通る辺り。朝鮮部落発祥と思しき一帯。

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その川辺で川面に張り出すバラック建築は健在でした。写真上の黒い部分は京急のガードです。
後々ご指摘を受けてよくよく見てみたら、柱が2本とも腐ってて建物が浮いてる!www

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後ろに仰け反って川に崩れ落ちそうになっていた建物はさすがに解体されましたが、その跡地に新しい建物が建っていました。不法占拠していた土地で返還しなければならないと思っていましたが、ちゃんと権利を取得していたと言う事のようです。

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その奥の水上建築も健在。この写真を撮影したのは2025年9月11日の午後1時半頃なのですが、この2時間後に記録的な豪雨となりました。

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私はギリギリ生麦駅に退避し京急で横浜へ向かったのですが、車窓から見た滝の川が増水して濁流となっていました。立会川が氾濫したあの日、特に報道されていないので無事だったのかと思いますが、建物内に居たら生きた心地もしなかったろうと。

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さて今回は貨物線に沿ってさらに北へ。以前訪れた貨物線沿いの三井倉庫横浜支店千若事務所は健在でした。

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1953年(昭和28年)建造の倉庫。築72年、よくぞ生き残っていたと思います。

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新川崎の新鶴見信号場から東海道線の海側の埋立地を通り、横浜の高島町辺りで地下へ潜って根岸のオイルターミナルへと続く貨物線。かつては京浜工業地帯の各工場へと引き込み線が伸び貨物輸送が盛んでしたが、現在では根岸から各地への石油輸送のみがこの路線を走っています。

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沿線のトナミ運輸の倉庫に残っている、国鉄時代の貨物路線図。荷物列車がまだあった頃の物と思われます。北海道の天北線とか名寄本線あるし。

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今回、本当は引き込み線の廃線跡なども見たかったのですが、ことごとく市有地の中なので見る事は出来ませんでした。

神奈川県横浜市、山手地区の文化財建築と謎のバラック群

横浜はネタが尽きない!
仕事が昼過ぎで終わり、ふとGoogleマップ見ながら横浜市へ。磯子区根岸は横浜市電保存館で訪れてます。

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根岸から旧海岸線に行けば山手の丘陵地帯。その斜面に大正中期建設の旧柳下邸があります。

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山手界隈は戦前から外国人居留地だった歴史があるためか、隣接する根岸の丘陵地は横浜で成功した商家の別荘地だったそうです。日本邸宅と洋館が同居している、世田谷などでよく見るお屋敷。

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明治大正の頃、銅鉄取引商として金属の輸入で財を成した柳下家は根岸に別荘を建て、商売が軌道に乗ってから本家をこの別荘へと移転していたそうです。

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現在でも山手から根岸にかけてはセレブ地帯です。だからこそジブリアニメのロケ地にもなっていました。恐らくですが、宮崎駿の息子の宮崎吾朗監督のコクリコ坂からのモデルはこの邸宅なんじゃないかと思わざるを得ない。

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関東大震災では一部倒壊したものの、大部分は損失を免れたとか。その後の太平洋戦争でも山手地区は外国人居留地だったために空襲を受けず、現在でも当時の姿を止めるに至っております。

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建物は敷地を含め1996年市に寄贈され、のちに横浜市の登録有形文化財に指定されました。現在9時半から16時まで無料で公開されています。では贅を尽くした意匠をなど見て行きましょう。

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まず目を惹くのは浴室。トトロの家のお風呂を連想させる五右衛門風呂。窓枠の装飾が細かい。

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季節柄、当時の雛壇が幾つかの部屋に展示されていました。見学者のこともちゃんと考えておられる。

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よく分からない小窓。足下ならば掃き出し口なのですが、これは換気口の役割りなのでしょうか。詰めていた方に聞いてみれば良かった。

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蔵の内部。恐らくは増築された部分でしょうか。屋内から直接入れるようになっています。

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外から見るとこんな感じです。

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屋内には至る所に貴重な当時の物が展示されています。こちらは昔の氷で冷やす冷蔵庫。これは業務用並みの容量があり、家庭用はもっと小さかったとか。

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スイッチ類が古いまま。この建物を一般公開するに際してある程度復元はされたそうなのですが、このような細かい部分は当時のままの状態で残っていたのかと思います。

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洋館部分の内部。外国人の賓客などももてなしていたのでしょうか。

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英国製ストーブ。蔵に眠っていたのでしょうか。

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2階への階段。ただし老朽化のため2階は立入禁止でした。

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客室用トイレの流し台。右側には吊り下げ式手洗い器が。

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そんなわけで、斜面のお庭も含めてなかなか見応えある邸宅でした。

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さて、裏山を登って行くと米軍の居住地に出ます。米軍の敷地は消火栓もアメリカ。

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丘陵地帯を稜線伝いに北東へ歩いて行くと、やがて旧根岸競馬場跡が見えて来ます。

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かなり有名な廃墟ですが、実際に見ると迫力があります。根岸競馬場は慶応2年(1866年)日本初の洋式競馬場として開設されました。そして昭和12年(1937年)の秋からは日本競馬会横浜競馬場に改称され、昭和18年(1943年)に閉場されたそうです。

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このスタンド席(馬見所)は関東大震災後の昭和4年、一等馬見所が完成。翌年二等馬見所も増設され6000人を収容。昭和9年には二等馬見所を増築し、最終的にな12000人を収容したそうです。ちなみにこちら側が正面ゲートで、この裏手がスタンド席及び馬場。

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スタンドは鉄骨鉄筋コンクリート造地上7階、地下1階建て。当時としては珍しいエレベーターを3基備えたとか。昭和63年までは隣にもう一棟、二等馬見所も残っていたそうですが解体されてしまいました。

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すでに喪失されてしまいましたがヒサシの柱や側面の壁を取り払いながらも耐震強度を保つと言う、米国フラー社の主任建築士だったJ・H・モーガンによる設計は、後の日本における競馬場のスタンダードとなったそうです。ちなみに、かつて馬場のあった場所は根岸森林公園となってますが、観客席(スタンド)の正面にはアメリカ軍住宅管理部の事務所として米軍の敷地が横たわっています。

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また、この競馬場がゴール前を登り坂にしない都合上右回りだった事から、以後造られる競馬場も海外とは違い右回りが多くなったとか。ちなみに国内で左回りなのは東京、新潟、中京のみ。

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昭和18年の閉場後は神奈川県警によって敵国民間人収容所が馬場に建てられ、その後帝国海軍に摂取されてスタンドに機密文書などを印刷する印刷工場が造られました。そして敗戦後はGHQに摂取され引き続き印刷工場を使用。その後米軍住宅管理事務所に使われ場内にはゴルフ場(現在の根岸森林公園)も造られました。この建物は返還後、改修して公共の施設として保存利用できないかとも考えられていたそうですが、米軍施設が見下ろせるとの理由から利用計画はなくなり、結果廃墟同然な姿のまま残ることとなりました。

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さて日も暮れ始めようと言う時間、帰ろうと住宅街の中を突っ切って行こうとしたら、なんか違和感の漂う狭い路地に入り込んでしまいました。車の通れる通りからは高級車の停っている一戸建て住宅が連なっているのに、その内側だけがバラック建築群。

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ここにはなんと、木造の物干し台が残されていました。この時代の物干し台は以前足立区の千住龍田町で見て以来です。それ以前に、山手から続く丘の上の高級住宅街の路地裏に、なぜこのようなバラック地帯が存在するのか。米軍住宅地とも関係あるのか、ちょっと謎すぎます。


神奈川県横浜市保土ヶ谷区、日本カーリット火薬工場跡

ちょっと涼しくなって来たって事だし、横浜市保土ヶ谷区の山の中に残る火薬工場跡地に行って来ました。

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相鉄星川駅は久々に降りましたが、いつの間に高架化されていたようで。しかし広々とした駅前は閑散としていました。ここから新桜ヶ丘団地行きのバスに乗って行きます。

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県公社住宅前バス停で降り北へ少し歩くとたちばなの丘公園があり、ここが日本カーリット火薬工場跡地となります。

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工房は一つ一つが土塁で囲まれており、短いトンネルで中に入るようになっています。これはいざ爆発事故が起きた際、被害が最小限に防げるようにするための安全対策です。それでも昭和30年(1955年)、火薬の充填作業中に混入した異物の摩擦が原因で爆発。同じ作業場にあった約600キロの火薬が誘爆し、さらに作業所内を手押し車で搬送中だった400キロの火薬にも引火し爆発したと言う事故がありました。この事故により3名が死亡、重軽傷者19名を出したそうです。

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1箇所だけ搬入搬出用トロッコの軌道が残されていました。かつてトロッコは手前右手にあったトンネルを通り、東側の火薬庫及び出荷場まで延びていたとか。ちなみにそのトンネルは現在埋め戻されています。

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こちらは第四混和室入り口。カーリット爆薬の原材料となる過塩素酸アンモニウムや硝酸アンモニウムなどを混ぜ合わせる工室があったそうです。カーリットとは火薬類の国内自給をするために北欧スウェーデンから技術導入し、国産の鉱物から製造される爆薬の名称です。

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大正8年(1919年)、保土ヶ谷の丘陵地に浅野セメント及び浅野財閥創始者の浅野総一郎によって火薬工場が建設され、翌1920年に日本カーリット株式会社が設立されました。浅野総一郎と言えばセメント関連の記事でも触れましたが、セメント産業の父と言われる人物ですね。

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裏手に廻ると建物はすでに解体され竹林になっているのが分かります。これがもし戦争遺跡などであればボランティアなどにより綺麗に整備されていたかも知れませんが、市の予算だけでは限界があります。

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こちらは第九填薬工室。いわゆる爆薬を筒などに充填する所ですね。明治期に於ける火薬の需要は主に軍事目的だったため、火薬製造は官営工場に限られていました。しかし炭鉱や鉱山など民間にも需要が増えて行く中、大正3年(1914年)に第一次世界大戦が勃発。官営工場から民間への払い下げ中止や海外からのダイナマイト輸入禁止などに伴い産業用火薬が不足。大正6年より民間での火薬製造が許可されるようになりました。

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赤煉瓦の内壁は建設当時、関東大震災以前の物でしょうか。コンクリート造のトンネルは逆に震災復興建築ではないかと、これは想像の域を出ません。折しも第一次世界大戦終結後、日本で2番目の民間火薬工場である浅野同族株式会社保土ヶ谷工場として稼働を始めたそうです。当時の浅野総一郎はと言えば浅野財閥の主幹産業である浅野セメントが、日本のセメント産業に於いて全国の生産高の半分を占めた頃であります。

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第九填薬室左手のトンネル。一つの工房には必ず2箇所トンネルが設けられています。1920年に日本カーリット株式会社を設立したものの大正12年(1923年)、関東大震災による被災を受け、日本カーリットは浅野セメントに吸収合併。その後太平洋戦争末期の昭和19年(1944年)には軍需工場となり、戦後のGHQによる財閥解体を経て昭和21年(1946年)、GHQが火薬製造の再開を許可。昭和26年(1951年)再び日本カーリットに社名を戻したとか。

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内部は右手への横穴が。先程の横穴と繋がっていると思われます。平成7年(1995年)、周辺の宅地化が進が進んだ事と火薬の販売量の低下もあり保土ヶ谷工場は閉鎖。群馬県の赤城工場へ移転となりました。

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包装収函工室。いわゆる製品を箱詰めする工室。工場跡地はたちばなの丘公園として遊歩道などが整備されました。ただ今の時期は蜘蛛の巣が多い。横浜市も少ない予算の中、年2回業者に委託して草刈りはしていますが、遊歩道を歩く人が少なければすぐ蜘蛛の巣が張られてしまいます。自分の場合、せっかく張った蜘蛛の巣を破壊するのが申し訳ないと思ってしまうんですよね。

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こちらも中を覗くと左手へ続くトンネルがあります。元々火薬工場はその危険性から周辺に緩衝地帯を設けなければならないと火薬取締法で定められています。そのため広大な敷地は原生林に囲まれており、ホタルも生息しているとか。ちょうどそのホタル生息地の方で草刈り作業が行われていました。

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包装収函工室のもう一方のトンネル。土手の向こうの工室跡地の裏手は丘になっており、その上も遊歩道が通っております。そこからは木々の合間から、辛うじてトンネルの向こう側を見下ろすことも出来ます。ただ、この工場跡地の公園は、公園としてはまだ半分も完成しておらず、手付かずの場所も多くあります。

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内部も見事に煉瓦の内壁が残っています。中に入れるようにしてくれたらとつくづく思いますが、崩落の危険性とか色々あるのでしょう。

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導爆線工室。導爆線とはロープ状の爆薬であり、大型の例えば飛行機や船舶などの解体作業に用いられる事が多いそうです。

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この工室は元々第三包装工室として使われていましたが、 昭和30年代後半に導爆線を製造する工室に転用されました。時代によって製造する製品が変わると工室の用途も変わって行きます。

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導爆線工室もう一方のトンネル。合計4つの工室、8箇所のトンネルが残されていました。

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建屋は一切残されていませんが、大正から近代までの産業遺産としては非常に貴重な遺構だと思います。もちろん軍事目的である爆弾の製造もされていましたが、それ以上に鉱山に於いて発破の存在は欠かせない物です。地味ながらも日本の産業を支えて来た事は確かだと思います。

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最後に1箇所だけ残されている工場の塀。危険区域、火気厳禁、の文字が辛うじて読み取れます。

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公園内に掲示されている閉鎖前の日本カーリット火薬工場の全景。現在保存されている土塁は最盛期に40箇所あった内の4箇所とごく一部に過ぎず、右下の火薬庫跡地などは現在介護施設やマンションが建てられています。とは言え自然豊かな遊歩道として、その敷地は有効に活用されていました。

【日記】暑中お見舞い申し上げます

あっつい。
仕事が忙しくてどこにも行けなかったのですが、たとえ時間が出来たとしても出かける気にならないんじゃないだろうか。
しかしブログの更新はしなければ!と言う義務感と危機感、そして強迫観念があります。

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そんな訳でブログのネタにもならないスナップショットなどを並べでお茶を濁します。まずは茅ヶ崎。
茅ヶ崎駅の海側はほとんど散策してなかったのですが、仕事でたまたま茅ヶ崎に行った際、いい感じの路地裏を見つけました。

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で、この「ふうさん」と言うのは写真右手(駅側)の居酒屋の店名であり、この路地裏飲食店街の正式名称は不明。

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非常に短い路地裏ですが、舗装がしっかりされてない所なんて神奈川らしい感じです。

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仕事帰りのちょい飲みは、過去に行った事のある所ばかり。最近ではあえて新規開拓しようと言う気力がなかなか湧かないのです。

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南武線溝の口駅の線路ぎわ、闇市発祥のバラック街で電車の音を聴きながら立ち飲み。「いろは」さんは9年前に行って以来、機会があれば立ち寄ります。

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現在、メインの仕事は五反田。五反田と言えば目黒川沿いの立ち飲み屋「へそ」五反田店が昔から行っている店。なのですが、西五反田の路地裏に角打ちを発見しました。

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桑原商店さんは酒屋の倉庫で飲めると言う素晴らしいシステム。特に日本酒のラインナップが充実しています。

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私がハマったのはこの小豆島のクラフトビール、レモンビール。サッパリした飲み口で、ついつい2本飲んでしまいました。酒のアテも酒、特に日本酒が進む物ばかりで美味いです。ただ、唯一タバコが吸えないと言う点からその後行っていませんが、女性なんかも入りやすく人気のお店になりそうです。

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何度か仕事で通った渋谷区大山町。小田急の代々木上原と東北沢の間ぐらいの北側になります。その交差点で見つけた渋い建物。

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もし営業してたら絶対入りたい所ですが、食べログの書き込みを見ると2018年が最後だったので、閉店されてからだいぶ経っている様子。



大山町の交差点から代々木上原に行く途中にあるモスク、東京ジャーミイ。イスラム教徒でなくとも見学自由との事なので、いつか中に入ってみたいです。トルコ系のモスクですが売店もあるので、イスラムグッズとか見るのも面白いかも。イスラム文化には興味もあります。



副都心線東新宿近く、知る人ぞ知る立ち飲み屋「山根商店」。およそ6年ぶりに行きましたが、やはり変わらずモツ煮が美味い。ただ現在、お母さんが腰を悪くしてしまったようで、息子さん(?)一人で切り盛りしており、スペースを若干狭くしての営業となっております。

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今年は横浜の日本大通り駅辺りでの仕事が続きました。こちらは昭和4年(1929)竣工の横浜貿易協会ビル。横浜はちょっと歩けば昭和の建築物に当たります。

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貿易協会の向かいに建つのは横浜開港資料館。昭和6年(1931年)に建設され英国領事館として使われていた建物です。

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内部には幕末から昭和にかけての様々な資料が展示されています。

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横浜港大さん橋の入り口に、横浜港湾飲食企業組合の大桟橋食堂があります。港湾労働者の食堂と言う事で、一度入って食べてみたいところ。

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初めて大さん橋(正式名称が「さん」を平仮名表記しているみたい)に行って見ました。ウッドデッキがとんでもない!

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これ、設計した人も大概ですが、貼った職人も相当です。どれだけの人数と日数が掛かったのか、とにかくいい仕事をしています。ちょうどこの頃自分も合同庁舎のテラスのベンチにウッドデッキ材を貼っていましたが、この面積を見ると気が遠くなります。

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たまたま練習船の日本丸が停泊しておりました。昭和5年に建造され昭和59年まで活躍していた初代日本丸は現在桜木町の石造りドックに保存されていますが、こちらは初代が引退した年に完成した二代目となります。

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先週3年ぶりに訪れた横浜橋商店街。横浜はいつも寿町へ飲みに行くのですが、行きつけの優子さんが開いて無かったので、永楽湯で汗を流して横浜橋まで。

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コロナ禍になった2020年以来の立ち飲み屋「まいめり」さんで、風呂上がりの一杯。ここも以前と変わらず常連さん方で賑わっておりました。

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その流れで三吉橋を渡り、3年前よく通ってた「フライ屋」さんへ。店内を改装されていましたが、こちらも以前と変わらない雰囲気でほっとしました。相変わらず安くて美味い!

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そして先日は寿町のカラオケスナック優子で飲んでいました。やはりここが落ち着く。

仕事はそろそろ落ち着いて来たので、近いうちにどっか写真撮りに行く機会があるかも知れませんが、この暑さなので資料館や博物館など、涼しい所がいいな。
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