東京都

※まとめサイト等への画像及び文章の無断転載を禁じます。メディア等での画像使用については”unagidanyoro2@yahoo.co.Jp“までご連絡下さい。

     ⬜ 温泉リスト(フルプラウザ版) ⬜

    ⬜ 立ち飲みリスト(フルプラウザ版) ⬜

品川区大井町(5)、工業地帯の名残りの煉瓦建築

最近京浜東北線の品川〜大井町間を通ると左右の車窓に煉瓦建築を目にする事ができます。

品川区大井町(1)、東小路〜平和通り周辺
品川区大井町(2)、東急大井町線ガード下
品川区大井町(3)、大井町の飲食事情
品川区大井町(4)、開発が進む大井町駅西口界隈

IMG_8051_Original

と言うわけで降りたのは京急新馬場駅。駅前では狭い路地が目を惹きます。

IMG_8054_Original

かつては路地裏飲食店街だったろうかと思える雰囲気。現在では普通の住宅となっていました。

IMG_8057_Original

新馬場から第一京浜を越えて京浜東北線、東海道線方面へと歩いて行きます。すると通り沿いに長い煉瓦塀が。

IMG_8058_Original

この煉瓦塀は天龍寺の敷地を囲う塀ですが、1965年(昭和40年)に閉鎖された東京毛織品川工場の廃レンガをイギリス積みにして再利用した物だそうです。ちなみにその東京毛織品川工場は1880年(明治13年)創業の後藤毛織製作所を前身として、現在のJR大井町駅東口駅前一帯に広がっていた工場だそうです。

IMG_8055_Original

向かい側にはこれまた歴史のありそうな電球工場が。木製の引き戸が貴重ですね。

IMG_8059_Original

やがて線路沿いまで歩くと日本ペイント明治記念館が見えて来ました。この建物は以前まで周囲の建物の影に隠れており、電車の車窓から見ることが出来ませんでした。

IMG_8060_Original

日本ペイントは1881年(明治14年)三田に創業した光明舎が前身で、1898年(明治31年)ここ南品川に工場を建設した時より日本ペイントとなりました。この煉瓦造りの油・ワニス工場は1909年(明治42年)に建てられた物で日本ペイント明治記念館として資料館になっていましたが、周辺の改築工事に伴い現在休館中となっております。

IMG_8064_Original

日本ペイントの脇を入って行くとチラッと煉瓦塀が顔を出します。

IMG_8066_Original

裏に回れば煉瓦造りの擁壁が。こちらは運送会社の擁壁となっております。詳細は不明。

IMG_8300_Original

日本ペイントから大井町駅方面に少し歩くと、東京総合車両センター内に1915年(大正4年)建設された煉瓦造りの大井町変電所跡が残っています。

IMG_8297_Original

こちら側からだと木々が邪魔でよく見えません。現在は倉庫か何かで使われているのでしょうか。

IMG_8294_Original

大井町駅の北西側には3月28日に開業したJR東日本主導による再開発、大井町トラックスがあります。

IMG_8281_Original

この大井町トラックスのテラスからは東京総合車両センターの山手線車両基地を眺める事が出来ます。

IMG_8285_Original

こちらが東京総合車両センター。元は1914年(大正3年)に建設された鉄道省大井工場でした。車両の組み立てや整備を行なって来た工場でしたが、1967年(昭和42年)より品川電車区(山手線車両基地)も置かれるようになります。

IMG_8287_Original

大井町トラックスの地上1階(線路側)には、鉄道省大井工場建設当時の煉瓦車庫の外壁が復元保存されています。これは煉瓦を一つ一つ解体しモルタルを剥がし、この場所に再構築して復元した物です。

IMG_8074_Original

最後に青物横丁まで歩いて駅の程近く、旧東海道沿いにある竹内医院。この建物は海軍の軍医総監をしていた初代が明治末から大正初期にかけて建造したものだそうです。

東京都荒川区、西日暮里5丁目再開発予定地

JR山手線・京浜東北線と東京メトロ千代田線の乗り換え駅、西日暮里。

IMG_8159_Original

改札を出て左手奥の一帯が今後、丸ごとごっそり消えてしまいます。

IMG_8161_Original

今回はその西日暮里駅北東側一帯の再開発予定地を歩いて行きます。

IMG_8163_Original

北東に少し歩くと日暮里駅を始発とする日暮里舎人ライナーの西日暮里駅があります。乗り換え駅はあくまでも日暮里駅なのですが、地下鉄千代田線への乗り換えはこちらが便利です。

IMG_8164_Original

駅からはスカイデッキが伸び、そのまま尾久橋通りと道灌山通りの交差点を渡ってJR及び東京メトロの西日暮里駅方面へと降りて行きます。

IMG_8162_Original

ここ西日暮里5丁目は主に雑居ビルで占められていますが、保育園の跡地もあります。今回の再開発事業ではこの一帯に複合施設を建設し、日暮里舎人ライナーの駅とJR及び東京メトロの駅とをダイレクトに結び新たな導線を造ると言う意味合いもあります。

IMG_8166_Original

すでに廃ビルとなっていますが1980年代でしょうか、バブル期のような曲線を多用した建築デザイン。再開発の話は古くから出ており、最初は1997年からまちづくり公社によるコンサルタント派遣を受けて勉強会を開催し、2006年地元町内会による西日暮里五丁目まちづくり協議会が発足した事から始まります。

IMG_8168_Original

元の話は廃校となった道灌山中学校の跡地の活用から始まりました。校舎は昭和38年建設で耐震補強工事もされておらず、スタートアップ施設やロケ地、日本語学校などに再利用されていたものの老朽化により解体が決定されました。

IMG_8169_Original

こちらは荒川消防団第八分団の分団施設として活用されている体育館跡。グランドはコインパーキングに利用されています。2014年には西日暮里駅前地区市街地再開発準備組合が設立され、行政主導による事業が動き出しました。

IMG_8171_Original

こちらのマンションも80年代のデザインでしょうか。かくして説明会や環境評価などを経て2021年に都市計画が決定。2025年に市街地再開発組合組合が認可され設立されました。大規模再開発には、これほどの年月が掛かるのですね。

IMG_8175_Original

計画地の北端には東北本線上り線から分岐する常磐貨物線が走っております。この貨物線はこのまま貨物ターミナルの隅田川駅へと繋がります。写真の計画地北側には地上170m46階建の高層マンションが建設されます。

IMG_8176_Original

線路の向こう側はヤマト運輸の貨物ターミナル。いずれこの土地も再開発のターゲットとされるかも知れませんね。また周辺の土地相場も2024年辺りから1.6倍くらいまで急激に高騰しております。

IMG_8177_Original

北東の端には地上14階建のシャリエ西日暮里があります。2000年竣工60戸のこの建物はまだまだ古さを感じられませんが、解体される事となります。購入した人は地権者同様にこれから建つ高層マンションへ移るのでしょうか。

IMG_6878

こちらは完成イメージ。大林組が手を挙げましたが人材不足などを理由に商業棟と住宅棟を分け、そのため設計の見直しとなった事により新築工事着手は当初予定していた2028年4月から29年10月と1年半程度遅れる見込。現在2033年10月の竣工を目指しているそうです。

IMG_8181_Original

最後に周辺を歩いてみます。道灌山通りと尾久橋通りの交差点の東には日暮里から新三河島へ向かう京成本線の高架が走っています。この辺のごちゃごちゃした雰囲気が西日暮里本来の雰囲気。

IMG_8184_Original

その京成の高架沿いにはホテル街があります。派遣型風俗店も多いとか。

IMG_8187_Original

鶯谷ほどではないにせよ、何軒ものラブホテルが建ち並んでいます。

IMG_8188_Original

キャバクラやスナックが入る雑居ビルも。微妙にネオン街の一面もあります。

IMG_8189_Original

西日暮里駅線路沿いの飲み屋も昔ながら。ちょうどここで5〜6人の背広集団が歩いていましたが、手には再開発区域の資料が。不動産関係者や区の職員などによる視察でしょうか。

東京都台東区日本堤〜泪橋、山谷のドヤ街(再訪)

なんだか大阪を引き摺ってます。東京へ戻ってもドヤ街なんて。

IMG_7794_Original

池袋から浅草まで明治通りをひた走る都営バス草64系統。王子駅や尾久、新三河島、荒川区役所、三ノ輪、吉原大門などを通るバスで日本堤下車。看板建築が出迎えてくれます。この草64系統結構便利なんですよ。

IMG_7795_Original

土手通りを浅草方面に見て右手が吉原、左手が山谷になります。

IMG_7798_Original

この山谷側には有名な老舗の天ぷら屋と桜鍋屋があります。この天ぷら屋「土手の伊勢屋」さんは明治22年創業で、現在の建物は震災後の1927年(昭和2年)に建て替えた国の登録有形文化財。いつも行列が出来てますが一度入ってみたいですね。

IMG_7791_Original

伊勢屋の裏手の通りには、これまた歴史のありそうな木造建築。三ノ輪辺りは空襲で焼け野原となりましたが、伊勢屋の周辺は風向きが変わって奇跡的に焼け残ったとの事です。

IMG_7799_Original

長屋造りの商店。一番手前のタバコ屋「平野屋」さんは大正7年創業と書いてありますが、こちらも中身は戦前建築なのでしょうか。

IMG_7803_Original

早速簡易宿泊施設、いわゆるドヤがあります。横浜寿や西成釜ヶ崎ではほとんど見られなくなってしまった木造二階建てのドヤ。今では貴重な存在です。

IMG_7812_Original

山谷には約16年前、2009年の年末に一度訪れていますが、その当時は歩き回ってもおらず簡易宿泊施設の写真もほとんど撮っていませんでした。しかし今回改めて歩いてみると、ドヤの多さが感じられました。それでもかつては220軒あったドヤが現在では110軒に減少しているとか。

IMG_7810_Original

山谷のドヤ街は戦後の復興から高度成長期、そして東京オリンピックの建設需要に沸いた1960年代前半にピークを迎えます。

IMG_7813_Original

東へ抜けると日光街道である吉野通り。昼間から開いている飲み屋がああります。

IMG_7814_Original

普通に夕方から営業しそうな飲み屋もありますが、警戒が厳重すぎる。ただこの店、後日土曜日の夜に行ったら開いて無かったりしてたので廃業されているのかも。

IMG_7815_Original

16年前度胸が無くて入れなかった飲み屋。午前中から開いてますが、夜は二軒とも早めに閉まります。

IMG_7824_Original

二軒並んでいる内の左手前側の「紅豆(あずき)」さん。一人先客がいたと思ったら店主がスーパーの弁当食ってるだけでした。昼食を邪魔して申し訳ない。

IMG_7825_Original

右隣の「光子」さんは以前無かったお店ですが、そちらはほぼ満席でした。どちらのお店も好き勝手に音楽を流しており、隣の光子さんでは合唱が始まりました。カラオケ居酒屋行く金がないからって合唱大会ですか。さすがにあの輪の中に割って入る勇気はない。

IMG_7849_Original

吉野通りを北に向かい明治通りと交差する泪橋交差点を越えた辺り、古い看板建築なども見られます。

IMG_7819_Original

吉野通りから一本奥に入った所で路上に人々が屯っている所がありました。何かと思えばほうらい地域包括支援センター及び福祉プラザ台東清峰会と言うそうで、高齢者向け介護施設のようです。

IMG_7862_Original

その介護施設の裏手にある玉姫公園。以前訪れた時には路上生活者のコロニーとなっていた公園ですが、現在入り口が物々しい状態に。

IMG_7866_Original

西成で言う所の三角公園みたいな物でしょうか。中に入ると路上生活者らしき人たちの姿がちらほら。

IMG_7867_Original

公園の片隅にあるブルーシートはコロニーでしょうか。集めた空き缶なども見られます。

IMG_7858_Original

この辺りにも多くの簡易宿泊施設が建ち並んでいます。宿泊代は概ね2250円前後。

IMG_7816_Original

老朽化した簡易宿泊施設を取り壊してもまた新築の簡易宿泊施設となります。今では高齢化によって日雇い労働者の利用は減少していますが、外国人バックパッカーによる利用は増えているとか。

IMG_7860_Original

潰れた飲み屋さんなども多く見られます。昔はたくさんの店が昼間からやっていたりしたそうですが、だいぶ減ってしまったとか。

IMG_7856_Original

北側の明治通り沿いにも簡易宿泊施設が軒を連ねています。ビジネスホテルと銘打っていますが、実態はドヤです。

IMG_7851_Original

明治通りの北側は荒川区南千住となりますが、この辺りも山谷と言われる地域に入ります。この先の突き当たりはJR貨物の隅田川駅。

IMG_7854_Original

この建物など内部がどうなっているのか、とても気になります。

IMG_7996_Original

南千住駅の手前まで来ると多少飲食店も増えて来ます。後日この「よりみち」さんに入りましたが、1時間1人2000円、延長1時間1500円で飲み放題、カラオケ別途で一曲100円。お姉さん1人で切り盛りされており、ほとんどスナックみたいな感じでした。左奥の「かすみ」さんは入っていませんが、1時間2000円で延長1時間1000円、カラオケ別途。

IMG_6784

吉野通りの向かい側、東側にある「再来」さんも同じシステム。この3軒は示し合わせているような料金ですが場末のスナック程度の料金なので、山谷でも多少余裕のある人しか入れなさそうです。

IMG_7831_Original

ここらで一回リセット。銭湯の「栄湯」さんに入りました。天然温泉とありますが、井戸水を沸かしてた所よくよく調べてみたらメタケイ酸の数値が高く温泉に認定されちゃった、と言うやつです。柔らかい浴感で気持ちいい。

IMG_7804_Original

さて、16年前に山谷を訪れた際はアーケード商店街を抜けてドヤ街を遠目に見たぐらいでした。

IMG_7807_Original

その時はシャッター商店街の路上で昼間から寝てる人がいたりして、なかなかな雰囲気だったのを覚えています。

IMG_7829_Original

そのアーケード商店街をさっきからずっと探しているのに見つからない。

IMG_0699_Original

こちらが2009年の年末に撮ったいろは会商店街。

IMG_7821_Original

なんと今歩いていた場所がアーケード商店街の跡地でした。確か路面も石タイル貼りだったと思うのですが、普通にアスファルトになっていました。上の2枚はほぼ同じ位置から撮影。いや、クスリの看板以外全部変わってるじゃないの!

IMG_7822_Original

商店街の跡地には1990年に建てられた日本基督教団日本堤伝導所(教会)があり、そこが山谷労働者福祉会館となっています。炊き出しのような活動として皆さんで大鍋を作られていました。教会が炊き出し活動をするのは新宿中央公園などでよく見られましたが、支援団体として山谷争議団・反失業闘争実行委員会と言ういかにもな団体や、在日アジア労働者と共に闘う会などの市民団体が関与しています。
ちなみにこの山谷争議団は元々日雇い労働者たちが集まり暴力団系の口利き屋や手配師と衝突を続けて来た団体ですが1995年、新左翼の一派である革命的労働者協会(革労協)により派閥以外のメンバーを追い出してこの施設を占拠。しかし数ヶ月後争議団のメンバーが突入して施設を奪還し、革労協メンバーを追い出したなんて事もあったそうです。

IMG_7842_Original

アーケードが撤去されたのはシャッター商店街が路上生活者の寝床と化していたからかも知れません。この辺行政って容赦無いんですよね。まぁ何はともあれ、昼間からやってる居酒屋「追分」さんに入ります。

IMG_7834_Original

お客さんは爺さん2人と婆さん2人、カラオケで盛り上がっていました。酒が進めば私もその輪の中に入って一緒に飲めや歌えや。店は大阪から流れて来た姉さんが切り盛りされています。この店、絶対また来ようと思ったのですが、少々飲み過ぎて帰りバスに乗った記憶がありません。

IMG_7873_Original

それにしても山谷は横浜寿や西成と比較すると、飲み屋の数が圧倒的に少ないですね。これだけの規模のドヤ街で昼間から飲める店が5軒ほどしかありません。いや、まぁ普通の街から考えれば充分多いんですがね。表を徘徊している人も少なく感じました。思うに、三大ドヤ街の中で最も高齢化が進んでいるのかも知れません。

IMG_7896_Original

その後も何度か飲みに通ってますが、夜遅くまでやってる店が非常に少ないです。追分さんなど昼間からやっている店は8時に閉まるし、昼間にシャッター閉まっていた店はほとんどが廃業していました。そんな中、いろは会商店街を土手通りに向かう途中にあったお弁当屋の「うさぎ」さん。

IMG_7897_Original

そのお弁当屋さんの脇に、分かりづらいですが小さな入り口があります。入って見るとカラオケ居酒屋でした。酒が飲める弁当屋。非常に狭い店ですが、行くあてを失った酒飲み達で賑わっていました。ここもちょっと通いたい。

東京都小金井市、江戸東京たてもの園(後編)

さて、後編です。

IMG_5889_Original

公園の東地区には都電が保存されています。都電は自動車の普及や地下鉄網の発展に伴い、昭和47年(1972年)までに現在の荒川線を残して廃止されました。

IMG_5888_Original

上野消防署(旧下谷消防署)望楼上部。いわゆる火の見櫓の上の部分ですが、当時の高さは約23.6m。都心の望楼は建造物の高層化や電話の普及とともに次第に役目を終えていったそうですが、この望楼は大正14年(1925年)に造られて昭和45年(1970年)まで使用され、昭和52に解体されたとか。

IMG_5892

こちらは台東区池之端の不忍通りに面して建っていた化粧品店の村上精華堂。昭和3年(1928年)、関東大震災の復興の時期に建てられた建物って、なぜかモダンな造りが多い気がします。

IMG_5896

この辺りからは東京下町の狭い建物が多くなるため中に上がる事は出来ませんが、お茶の間の様子を窺う事は出来ます。

IMG_5897_Original

と言う訳で、ここからは東京下町ゾーンとなります。オープンセットとは違いあくまでも建物の博物館と思わせるのは、電柱や街灯などがないからでしょう。

IMG_5898_Original

コの字型に建ち並ぶ建物を左側から。こちらは中央区新富町に昭和2年(1927年)建設された植村邸。銅板葺きの看板建築で、このような建物は下町に行けば現在でも僅かに残っていますね。なおこの建物の壁面には空襲の際、爆弾の破片などによる傷が多数残っているそうですが、なんと見逃してしまいました。

IMG_5902_Original

隣に建つのは乾物屋の大和屋本店。港区白金台4丁目に昭和3年(1928年)建てられました。

IMG_5906_Original

店内は建設当初の乾物屋の様子を再現しており、干し鮑や昆布などが陳列されています。白金台4丁目と言えば東大医学部研究所附属病院とかありますね。白金台駅の辺りでドン・キホーテの向かい側。今ではオシャレな高級店が建ち並んでいます。

IMG_5909_Original

レジも古い。と言うか当時はまだ算盤が多かったのかな。この辺りはアミューズメント感が高く外国人観光客以外にも女子の見学客が多くいます。逆に言えばこれまで回って来た日本家屋は地味と言うか人気ないと言うか。

IMG_5915_Original

お風呂はこんな感じ。壁面から蛇口が出ています。

IMG_5916_Original

裏に回るとちゃんと配管カバーがあったりする。どんな気遣いなのか。

IMG_5914_Original

だって建物の裏手は私有地で誰にも見られなかったろうに。と、こんな所が気になってしまいました。建てた人とか、その時代の人々の感覚とか想像してみたり。

IMG_5917_Original

こちらは江戸川区南小岩8丁目にあった和傘問屋の川野商店。

IMG_5919_Original

大正15年(1926年)建設。当時小岩は和傘の産地だったそうです。和紙や糊、竹などの原材料を東日本各地から仕入れ、職人が傘を作っていたとか。

IMG_5920_Original

こちらは裏の玄関。和傘問屋とは言え明治初期には洋傘が輸入され、明治11年より国産の洋傘が製造を開始。明治後期には日本製洋傘が輸出されるまでに至ったそうです。そう考えると和傘はすでに斜陽産業だったと思われます。

IMG_5924

港区白金5丁目にあった小寺醤油店。白金と言えば高級住宅街のイメージが強いですが、坂の下や川沿いには下町風情が残っています。

IMG_5925

昭和8年(1933年)建築。味噌や醤油、酒類を販売していたそうです。ちゃんと当時のラベルが貼られた瓶などがディスプレイされています。

IMG_6219

ちなみにこちらが現在の白金5丁目界隈。この並びに建っていたそうです。この辺は戦前の建物が今だに残っています。

IMG_6221

余談ですが以前、この並びの洋食ハチローで食事した事がありますが、リフォームして古民家カフェをやってる店なんかもあります。

IMG_5935_Original

こちらは台東区下谷2丁目(入谷と鶯谷の間)、言問通り沿いにかつてあった居酒屋の鍵屋。建物は江戸末期の安政3年(1856年)に建てられた物だそうです。震災も戦災も免れたそう。

IMG_5936_Original

左手に座敷、コの字カウンターにヤマサ醤油樽の椅子。最初は酒問屋から創業し小売店となり、昭和に入ってから角打ちを始め、昭和24年(1949年)より居酒屋となったそうです。

IMG_5937_Original

店内は昭和45年頃の様子を再現。店は昭和49年に鶯谷寄り1本奥に入った路地に移転して、現在でも続いていると言う。

IMG_6227_Original

こちらが現在の鍵屋。住所は根岸3丁目になりましたが建物は大正時代建造の建物をここに移築したそうです。一度開いてる時に入ってみたいのですが、入り辛いったらありゃしない。

IMG_5940_Original

右隣にあるのが子宝湯。足立区千住元町に存在した銭湯で昭和4年(1929年)建造。

IMG_5943_Original

神社仏閣を思わせる大型の唐破風や脱衣所の折上格天井など、首都圏の銭湯建築は震災復興建築の特徴です。復興で大変な時期、せめてお風呂は贅沢な日本建築でと言う思いから。この銭湯建築は関西や北関東などでは見られません。

IMG_5945_Original

ちなみに千住元町と言えば喫茶モカなどがありました。近くにタカラ湯と言う銭湯も現存してますが、そちらも立派な銭湯建築です。

IMG_5948

こちらは文京区向丘1丁目にあったと言う仕立屋。江戸からの町屋の造りが残る貴重な建物です。

IMG_5950

明治12(1879年)年建築。昭和初期にはテーラーとなり戦後は八百屋だったとか。内部は大正時代当時を再現。

IMG_5954

こちらは青梅市西分町の青梅街道沿いにあった万徳旅館。江戸時代末期~明治時代初期に建てられたそうです。

IMG_5956

元は旅籠で明治中期に2階部分を増築。なんと平成5年(1993年)まで旅館として営業していたそうです。

IMG_5963_Original

こちらは千代田区神田須田町1丁目にあった武居三省堂。明治初期に創業した文具店で、この建物は昭和2年(1927年)に建てられた物。

IMG_5965_Original

店内は昭和30年代を再現されていますが、まだ筆や硯がメインのようです。

IMG_5967_Original

壁一面の引き出し。ジブリの「千と千尋の神隠し」に出てくる釜爺の部屋のモデルとなったと言われています。

IMG_5886_Original

その神田須田町1丁目にあったのが、万世橋の南西側袂にあったと言う万世橋交番(須田町派出所)。明治後期建築と推定されてます。かつては万世橋駅の駅前交番の役目を果たしていましたが、昭和18年に万世橋駅が廃止された後は巡査の休憩所や交通課の詰所として利用されていたそうです。

IMG_5884_Original

ちなみに現在の万世橋は昭和5年建造。当時の姿を今に残しています。昭和42年(1967年)までは万世橋にも都電が走っていました。

IMG_5968_Original

こちらは昭和2年(1927年)、千代田区神田淡路町1丁目に建てられたと言う花市生花店。

IMG_5980_Original

裏に回ると井戸や木製物干し台などがあります。

IMG_5971_Original

最後に昭和初期、千代田区神田神保町3丁目に建てられた荒物屋(金物屋)の丸二商店。神保町駅と九段下駅の間辺りですね。

IMG_5976_Original

店内は昭和10年代の様子を再現しているそうですが、本当にこんな風に鍋が積み上げられていたのでしょうか。

IMG_5977_Original

裏手には長屋も移築し、それとともに路地の様子も再現されています。雑草や苔の生え具合がいい感じ。

IMG_5962

こちらで遅めの昼食。1階には自動販売機と休憩所があります。

IMG_5984

武蔵野うどん。麺にコシがあって美味かった。
ともあれたっぷり楽しめました。もっと細かい所まで見ていたら本当にキリがないです。移築だし現地を歩いた方がなんて思っていましたが、当時の姿に修復したり当時の小道具をディスプレイしたりと、博物館としての見応えは期待以上の物がありました。


東京都小金井市、江戸東京たてもの園(前編)

インスタなどで噂に聞いていた程度の江戸東京たてもの園。どうせ移築された建物がちょっと並ぶ「作られた昭和感」ぐらいだろうと思ってました。ところが、行ってみたら凄かった!

IMG_5741

JR中央線武蔵小金井駅の北、2キロ弱。小金井公園があります。バス停のある小金井公園西口から入ると保存車両のC57がありますが、こちらはたてもの園とは別で土日のみ公開。まぁ柵の外から見れますが。

IMG_5746

公園内を少し歩くと敷地内に江戸東京たてもの園があります。休館日は基本月曜日で9:30〜17:30、ただし10月〜3月は16:30まで。観覧料は一般400円。このビジターセンターも昭和15年(1940年) 皇居前広場で行われた紀元2600年記念式典のために建設された式殿で、翌年にはこの場所に移築され光花殿と名付けられたそうです。

IMG_5867_Original

後の昭和29年(1954年)、井の頭恩賜公園にあった武蔵野博物館をこの地に移転し、平成5年(1993年)両国の江戸東京博物館の開館に合わせて都内の様々な建造物を移築し、現在の江戸東京たてもの園となりました。

IMG_5747

思ったより広い敷地に29棟もの建造物が展示されていますが、東側から時計回りに見て行こうと思います。こちらは板橋区にあった常盤台写真場。ちなみに場内に入ってすぐの所に喫煙所と自動販売機があるのですが、自動販売機はここと東エリアの奥ぐらいにしか無いので、水分補給のための飲み物は買っておいた方がいいかと。

IMG_5751

2階が写真スタジオになっています。昭和12年に建てられた物ですが、スタジオの機材など当時を思わせる古い機材がディスプレイされています。

IMG_5752

常盤台には確か駅前に常盤台の歴史について書かれたパネルがありましたが、昭和10年に東武東上線が開通してから造成されていった住宅地です。これだけの木造モルタル構造物をどうやって移築したのかは謎ですが、一軒目からちょっと驚かされました。

IMG_5796

表にはボンネットバス、いすゞTSD43型が展示されています。こちらは1968年式北村製作所製のボディと1979年式のトラックのシャーシを組み合わせて福山時計自動車博物館にて復旧したもので、塗装は当時の都営バスの物。

IMG_5772_Original

この車両は動態保存されており、月一回園内を実際走行させるそうです。ただ日程については公式サイトにも告知されておらず、直接問い合わせてみないと分かりません。

IMG_5795

こちらの建物は三井財閥の総領家、三井八郎右衞門の邸宅。港区今井町にあった本邸が戦災で焼失したため、昭和27年(1957年)麻布笄町(港区西麻布三丁目)に本邸を建築して移り住んだとか。その際、今井町で焼け残った棟や、京都、神奈川県の大磯、世田谷区の用賀、それぞれの屋敷から建築部材、石材、植物などがかき集められたそうです。

IMG_5776

門柱もしっかり移築されています。庭なども再現されており相当お金かかっていそうだし、その徹底ぶりには頭が下がります。

IMG_5785

キッチンがまた凄い。使用人が調理する厨房ってところですが、木製の吊り戸棚や食器棚の多さもさる事ながら、歴史的価値も相当な物。以前、野田の茂木一族邸の厨房なども見ましたが、比べるとさすが三井財閥と言った感じ。

IMG_5792

もう、秀吉かよってぐらいの金。まだ二軒目なのにこんな調子で写真撮ってたらキリがない。

IMG_5798

こちらは世田谷区岡本3丁目に建っていた江戸時代中期の農家、綱島家。よくまぁ残っていたと。

IMG_5799

軒先では梅干しが干されています。こう言うのは季節によって変えるとか。良い演出です。

IMG_5808

八王子追分町にあった八王子千人同心組頭の家。部材を再利用して日野市の農家が移築して使っていたそうです。

IMG_5812

元々江戸時代後期の建築物で、展示にあたり建設当時の姿を復元しているそうです。ここでふと、全ての建物と内部の写真を説明しながら紹介するのは公式サイト見れば良い事だし意味があるのかと疑問に思ってしまいましたが、感動を伝えたいから続けます。飽きたらすっ飛ばしちゃって結構。

IMG_5813

こちらは三鷹市野崎に建っていた吉野家住宅。江戸時代後期に建てられた農家だそうです。

IMG_5817

たてもの園がまだ武蔵野郷土館だった頃の昭和38に移築、復元されたため、建物の内部は昭和30年代頃の農家の様子を再現しているとのこと。

IMG_5822

ここでいきなりガチな洋館。新宿区信濃町にあったと言うデ・ラランデ邸。軽井沢とかのペンションなんかを思わせる。

IMG_5827

一階部分はカフェとして利用されています。元々は明治時代、気象学者・物理学者の北尾次郎が自邸として設計した木造平屋建てで、明治43年(1910年)頃、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデが購入した際木造3階建てに大規模に増築されたそうです。

IMG_5823

階段には真鍮製の絨毯押さえ棒が。こう言う細部にいちいち引っ掛かっちゃいます。その後居住者が何度か変わりつつ、昭和31年(1956年)よりカルピスの発明者として知られる三島海雲氏が住んでいたそうです。海雲氏の死後は、三島食品工業株式会社の事務所として平成11年(1999年)まで使用されていました。建物や内装はデ・ラランデが暮らしていた大正時代初期頃を復元しているとか。

IMG_5830

こちらは文京区西片に建っていた小出邸。一見近代建築にも見えますが、これがなんと大正14年(1925年)に建てられ、平成8年(1996年)まで住まわれていたそうです。

IMG_5837

実に70年以上も生活されていた事になりますが、古さを感じさせないデザインや耐久性を考えると素晴らしい建物と言えますね。

IMG_5838_Original

こちらは品川区上大崎に昭和17年(1942年)に建てられた前川國男邸。戦時中とは思えないデザイン性の高さ。

IMG_5841_Original

前川國男は東京文化会館や東京都美術館などを設計した建築家。開放感溢れる吹き抜けの居間など、当時としては斬新なデザインだったのではないでしょうか。

IMG_5852

大正12年、関東大震災の1ヶ月後より田園調布の分譲が開始されました。この建物は大正14年(1925年)に建設された高級住宅の大川邸。

IMG_5844

ぶっちゃけ金持ちの家には全く興味無いのですが、内装とか見てるとさすがに興奮して来てスゲーとか言っちゃいます。

IMG_5845

キッチン対面カウンターが付いている食器棚。キッチンで作った料理を小窓から出せるようになってます。しかも扉付き。今では当たり前のようなダイニングの構造ですが、これが大正時代から有ったなんて。欧米の生活様式を、一般家庭にもどんどん取り入れた時代なんでしょうね。

IMG_5847

建物は1993年まで住まれていましたが、移築に際し内装や機器類は大正末期から昭和初期を再現しています。やべぇ、たてもの園楽しい。最近訪れた松戸市立博物館の団地生活の再現ほど生々しく変態的ではないにせよ、充分暮らしの様子は伺えます。大正時代の家具や器機類集めるのも大変だったろうに。

IMG_6004_Original

北側に並ぶ建物の裏手には小道があり、そこにも展示物があります。これは武蔵野市御殿山で発掘された縄文時代後期の御殿山遺跡敷石住居址。古い建物って言ったって紀元前2000年頃て。こんな物まで移設されています。

IMG_5999_Original

その……庚申塔とかって持って来ちゃっていいもんなんですかね。

IMG_5854_Original

霊廟とかも持って来ちゃっていいものか。こちらは旧自証院霊廟。江戸幕府三代将軍家光の側室であったお振の方の霊廟で、1652年に市ヶ谷(今の富久町)の自証寺の中に建てられたそうです。建築には江戸城や日光東照宮の建設に携わっていた幕府作事方大棟梁甲良氏が関わっていたとか。しかし寄贈者が西武鉄道になっていたのですが、自証寺と関係があるのでしょうか。

IMG_5985_Original

やっと半周回りました。こちらは立派な屋敷門を持つ農家の天明家。大田区鵜の木で村役人の年寄役を勤めていた名家だそうです。

IMG_5990_Original

江戸後期の建築で、裏には枯山水の庭園も移築されています。

IMG_5857_Original

向かい側に建つやたらデカいお屋敷は赤坂7丁目にあったと言う高橋是清邸。青山通り沿い、赤坂御所の向かい側に高橋是清翁記念公園があり、現在ではカナダ大使館が建っています。

IMG_5862_Original

高橋是清は明治から昭和の初めにかけて日本の政治を担った人物。昭和11年(1936年)、是清はこの建物の2階で青年将校の凶弾に倒されたそうです。いわゆる2.26事件の事件現場となった建物。

IMG_5868_Original

建物は明治35年(1902年)建造。 敷地と屋敷は事件後東京市に寄付され記念公園となりましたが、その後主屋が多磨霊園に移築され、休憩所として利用されていたそうです。

IMG_5871_Original

こちらは昭島市に建っていた西川家別邸。大正11年(1922年)建造。

IMG_5873_Original

明治26年(1893年)昭島市で西川製糸を創業した西川伊左衛門が隠居所及び接客用に建てた邸宅だそうです。明治大正から昭和初期まで多摩地域では養蚕が盛んでしたが、工場が昭和15年(1940年)軍需工場へ転換された事で終焉を迎えます。

前編は多摩地域や山手のお屋敷がほとんどでしたが、後編では下町での庶民の暮らしを中心とした公園東側を紹介して行きます。
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ブログ紹介
都内、近郊の古い街並みや建造物、路地裏などの写真とレポートを載せています。また、国内の寂れた観光地やマニアックな温泉スポット、廃墟などもご紹介。

鰻田ニョロの小説部屋
→昔書いた小説など
カテゴリー
最新記事
記事検索
  • ライブドアブログ