夜行バスの疲れと飲み過ぎでガッツリ寝ました。

ビジネスホテル加賀屋を出ると右手向かいに激渋なうどん屋さんが。昨夜は開いてなかったのですが、朝飯はここに決まりです。

間違いなく昭和な「きらく」さん。同じく朝飯を食いに来たお地元の客さんや旅行者で賑わってます。

店はお婆ちゃんが一人で切り盛り。ただ後日調べたのですが数年前までホルモンうどん250円だったとか。それが今では500円に。まぁ250円てのが異常なんですが、これも万博の影響か。

このホルモンうどんのホルモンが鬼美味い。いや、こんなに美味いホルモンは本当に久々で、大袈裟じゃなく想い出に残る美味さ。大阪を発つ前にもう一度来ても良かったと後悔してます。

今日は昼間の西成を少し歩きます。

16年前に訪れた時はこの辺りに謎の屋台飲み屋が軒を連ねていました。こちらは2009年当時の写真。

その何飲まされるかよく分からないような怪しい屋台に入って見たかったのですが、今ではすっかり強制退去させられてしまいました。西成も変わってしまった。

ここはもしかしたら以前行こうと決めていたホルモン屋ではないかと。確証は無いですが、ここ数年で消えてしまった店も多いようです。

その路地を入って行くとこんな感じ。居酒屋さんは現役か廃業しているのか、昨晩はこの路地に気付きませんでした。

今池本通り商店街の東、北の動物園前駅へと南北に伸びる飛田本通り商店街。こちらの喜久屋雑貨店は初代が明治時代に奈良から移って商売を始め、現在は4代目のお母さんが切り盛りしているそうです。建物はその明治末期の物だとか。文化財レベルですね。

飛田本通り商店街からさらに東へ。飛田新地の南端に接する新開筋中央商店街。この辺りもシャッター商店街からカラオケ居酒屋通りに変貌した商店街です。なんか裏で何かが関与してそうな。ここの一番奥で昨晩飲んでました。

この建物は16年前にも撮った物件。当時からすでに廃業してましたが、そのままの形で残っていました。

また激渋なうどん屋さんが。テレビのロケが入っているようですが、残念ながら先程うどん食ったばかり。後で知ったのですがこの昭和25年創業のうどん屋「助六」さん、なんとこの日が最終日で閉業してしまったそうです。意地でも入ればよかったと後悔。

こちらは新開筋中央商店街の北側に並行する山王市場商店街。東へ行くと飛田新地です。

山王市場商店街にある萬盛湯。西成は現役の銭湯の数も利用者の数も多い上、開店時間も早いです。

飛田本通り商店街の北側、動物園前商店街から東に逸れた脇道にあるオーエス劇場。オーエスと聞くとかつて西新宿にあったストリップ小屋を思い出しますが、こちらは普通の大衆演劇場です。1954年(昭和29年)開館。

劇場の通りはかつて飲食店で賑わっていた名残りを感じられます。

商店街から裏通りを歩いて行くと、1993年に廃止となった南海電鉄天王寺支線の廃線跡がありました。

木造で土壁って、いつの時代の長屋でしょうか。戦前の匂いがします。

高速入り口のループの下は雨が凌げると言う事で浮浪者が住み着くのを防ぐため、斜めのフェンスで囲まれています。

あいりん地区の方へ戻ります。萩之茶屋本通り商店街の南、南海電鉄天王寺支線の廃線跡沿いに西成三角公園があります。公園脇では椅子を出して昼間から酒盛りする人々が。西成は今でこそだいぶ大人しくなりましたが、かつて日本屈指の治安の悪い土地でした。

公園向かいの立ち飲み屋さん。カウンターは満席に近かったけど、客は観光客などの他所者が多い気がします。値段もさほど安いって程でもない。かつて高度成長期、西成では日雇い労働者たちによる暴動が頻発していました。

三角公園ではボランティア団体に雇われているだろう方がドラム缶に火を焚べていました。10年ほど前までは横浜の寿町でも見られた光景ですが、後ろに写るステージ、書体などから察するに左向きの方々です。ステージではオッチャンが弾き語りで何か歌ってましたが、そのライブも正式に許可を取っているのか。公園内には他にもテントが設営され、様々な社会問題に対する署名活動などが行われています。

こちらは前日の夜に萩之茶屋北公園の公衆トイレで撮った物ですが、釜日労・反失連と書かれた看板が。1974年結成の釜ヶ崎日雇労働組合とNPO法人釜ヶ崎反失業連絡会。市民運動とボランティア団体ですが、炊き出しなどの活動もされています。新左翼の残党かも知れないし、行政も下手に刺激したくはないでしょう。なんたって「闘争」とか書かれているし。

三角公園そばの屋台で休憩。この焼き鳥ジローは以前路上の掘立て小屋だったそうですが、現在ではガレージを借りて屋根を作っています。
西成暴動は1961年から始まり1973年までに21回、その後1990年と1992年、2008年にも一回づつ起きています。

年末で仕入れが無かったのか焼き鳥は無かったのでおでんをいただきます。これで900円。高くないか?観光客と見なされて足元見られてないか?
西成暴動は当初、警察とのトラブルや求人の少なさが原因で暴動に発展していました。しかし1970年代、ここに新左翼が関わって来ます。日雇い労働者たちを揺動し警察隊との衝突に発展したりします。その流れで現在でも左翼系の活動家がここ西成に根を生やしています。右翼系暴力団との喧嘩沙汰から暴動に発展した事も。

萩之茶屋本通り商店街のカラオケ居酒屋で昼飲み。先輩方の演歌の歌声に誘われて入ってしまいました。他にも昼間からやっているカラオケ居酒屋が何軒もありましたが、見た目いかつい若い兄さん方が入っていると警戒してしまいます。しかし店名が餃子の王将て!…いや、良く見たら玉将!ww

しかもこだわりの餃子店と看板に銘打っていながら、餃子は市販の冷凍餃子て!ボケ倒しにツッコミどころ満載ですが、在日系のママさんは4ヵ月前から副業でここを始めたそうです。本業は日本橋のミナミの方のスナックだとか。次回はミナミ界隈にも行ってみたいです。

萩之茶屋駅前のいわゆるバッタ屋さんてやつでしょうか。まぁ衣類なんかが安い。
そんな訳で西成の現在でしたが、海外のバックパッカーがドヤを利用するようになり、インバウンドで観光客も増え、大阪万博で人が押し寄せ、すっかり観光地化している感があります。日雇い労働者たちの高齢化は山谷や寿町でもありましたが、SNSなどを通して他所者が集まれば、そこで商売しない手はない。大阪の逞しさでもあります。

ビジネスホテル加賀屋を出ると右手向かいに激渋なうどん屋さんが。昨夜は開いてなかったのですが、朝飯はここに決まりです。

間違いなく昭和な「きらく」さん。同じく朝飯を食いに来たお地元の客さんや旅行者で賑わってます。

店はお婆ちゃんが一人で切り盛り。ただ後日調べたのですが数年前までホルモンうどん250円だったとか。それが今では500円に。まぁ250円てのが異常なんですが、これも万博の影響か。

このホルモンうどんのホルモンが鬼美味い。いや、こんなに美味いホルモンは本当に久々で、大袈裟じゃなく想い出に残る美味さ。大阪を発つ前にもう一度来ても良かったと後悔してます。

今日は昼間の西成を少し歩きます。

16年前に訪れた時はこの辺りに謎の屋台飲み屋が軒を連ねていました。こちらは2009年当時の写真。

その何飲まされるかよく分からないような怪しい屋台に入って見たかったのですが、今ではすっかり強制退去させられてしまいました。西成も変わってしまった。

ここはもしかしたら以前行こうと決めていたホルモン屋ではないかと。確証は無いですが、ここ数年で消えてしまった店も多いようです。

その路地を入って行くとこんな感じ。居酒屋さんは現役か廃業しているのか、昨晩はこの路地に気付きませんでした。

今池本通り商店街の東、北の動物園前駅へと南北に伸びる飛田本通り商店街。こちらの喜久屋雑貨店は初代が明治時代に奈良から移って商売を始め、現在は4代目のお母さんが切り盛りしているそうです。建物はその明治末期の物だとか。文化財レベルですね。

飛田本通り商店街からさらに東へ。飛田新地の南端に接する新開筋中央商店街。この辺りもシャッター商店街からカラオケ居酒屋通りに変貌した商店街です。なんか裏で何かが関与してそうな。ここの一番奥で昨晩飲んでました。

この建物は16年前にも撮った物件。当時からすでに廃業してましたが、そのままの形で残っていました。

また激渋なうどん屋さんが。テレビのロケが入っているようですが、残念ながら先程うどん食ったばかり。後で知ったのですがこの昭和25年創業のうどん屋「助六」さん、なんとこの日が最終日で閉業してしまったそうです。意地でも入ればよかったと後悔。

こちらは新開筋中央商店街の北側に並行する山王市場商店街。東へ行くと飛田新地です。

山王市場商店街にある萬盛湯。西成は現役の銭湯の数も利用者の数も多い上、開店時間も早いです。

飛田本通り商店街の北側、動物園前商店街から東に逸れた脇道にあるオーエス劇場。オーエスと聞くとかつて西新宿にあったストリップ小屋を思い出しますが、こちらは普通の大衆演劇場です。1954年(昭和29年)開館。

劇場の通りはかつて飲食店で賑わっていた名残りを感じられます。

商店街から裏通りを歩いて行くと、1993年に廃止となった南海電鉄天王寺支線の廃線跡がありました。

木造で土壁って、いつの時代の長屋でしょうか。戦前の匂いがします。

高速入り口のループの下は雨が凌げると言う事で浮浪者が住み着くのを防ぐため、斜めのフェンスで囲まれています。

あいりん地区の方へ戻ります。萩之茶屋本通り商店街の南、南海電鉄天王寺支線の廃線跡沿いに西成三角公園があります。公園脇では椅子を出して昼間から酒盛りする人々が。西成は今でこそだいぶ大人しくなりましたが、かつて日本屈指の治安の悪い土地でした。

公園向かいの立ち飲み屋さん。カウンターは満席に近かったけど、客は観光客などの他所者が多い気がします。値段もさほど安いって程でもない。かつて高度成長期、西成では日雇い労働者たちによる暴動が頻発していました。

三角公園ではボランティア団体に雇われているだろう方がドラム缶に火を焚べていました。10年ほど前までは横浜の寿町でも見られた光景ですが、後ろに写るステージ、書体などから察するに左向きの方々です。ステージではオッチャンが弾き語りで何か歌ってましたが、そのライブも正式に許可を取っているのか。公園内には他にもテントが設営され、様々な社会問題に対する署名活動などが行われています。

こちらは前日の夜に萩之茶屋北公園の公衆トイレで撮った物ですが、釜日労・反失連と書かれた看板が。1974年結成の釜ヶ崎日雇労働組合とNPO法人釜ヶ崎反失業連絡会。市民運動とボランティア団体ですが、炊き出しなどの活動もされています。新左翼の残党かも知れないし、行政も下手に刺激したくはないでしょう。なんたって「闘争」とか書かれているし。

三角公園そばの屋台で休憩。この焼き鳥ジローは以前路上の掘立て小屋だったそうですが、現在ではガレージを借りて屋根を作っています。
西成暴動は1961年から始まり1973年までに21回、その後1990年と1992年、2008年にも一回づつ起きています。

年末で仕入れが無かったのか焼き鳥は無かったのでおでんをいただきます。これで900円。高くないか?観光客と見なされて足元見られてないか?
西成暴動は当初、警察とのトラブルや求人の少なさが原因で暴動に発展していました。しかし1970年代、ここに新左翼が関わって来ます。日雇い労働者たちを揺動し警察隊との衝突に発展したりします。その流れで現在でも左翼系の活動家がここ西成に根を生やしています。右翼系暴力団との喧嘩沙汰から暴動に発展した事も。

萩之茶屋本通り商店街のカラオケ居酒屋で昼飲み。先輩方の演歌の歌声に誘われて入ってしまいました。他にも昼間からやっているカラオケ居酒屋が何軒もありましたが、見た目いかつい若い兄さん方が入っていると警戒してしまいます。しかし店名が餃子の王将て!…いや、良く見たら玉将!ww

しかもこだわりの餃子店と看板に銘打っていながら、餃子は市販の冷凍餃子て!ボケ倒しにツッコミどころ満載ですが、在日系のママさんは4ヵ月前から副業でここを始めたそうです。本業は日本橋のミナミの方のスナックだとか。次回はミナミ界隈にも行ってみたいです。

萩之茶屋駅前のいわゆるバッタ屋さんてやつでしょうか。まぁ衣類なんかが安い。
そんな訳で西成の現在でしたが、海外のバックパッカーがドヤを利用するようになり、インバウンドで観光客も増え、大阪万博で人が押し寄せ、すっかり観光地化している感があります。日雇い労働者たちの高齢化は山谷や寿町でもありましたが、SNSなどを通して他所者が集まれば、そこで商売しない手はない。大阪の逞しさでもあります。


















































それにしても、倫理観が微妙に崩壊している雰囲気が大阪の味わいでもあるんですかね?(苦笑)
小さいおでん3つと350ml缶ビールで900円(前日のカスうどんも同額)とか、こだわり餃子の店が冷凍食品使用(しかも店名がパチもん)とか、「そういうもの」と割り切って楽しむ感覚がないと、モヤモヤしそう。
三角公園のステージ、スローガンに「日米安保反対、米軍基地一掃」「老朽原発、再稼働反対」とあるようなので、明らかに左翼路線ですね。
かつて立憲民主党が主張していたことと同じですが、それらをかなぐり捨てて公明党とくっ付いて中道になって、ここに写っている人達は今どう思っているのかな?
中道不利が言われてから、露骨に高市下げになってますね。銀行屋の見解って、監督官庁の金融庁か大元の財務省との関係あたり?
そもそも中道不利報道自体、無党派層に「勝てるなら選挙に行かなくても」という雰囲気づくりですし、さらに「当日は天気悪い」予報で、支持率ならぬ投票率を下げる算段も(最近の気象庁は「わざとだろ!」というくらい、大都市圏に大げさな悪天候の予報を出して、それで電車が事前運休したり道路が通行止になり社会経済がストップすることに快感をおぼえていそう。「オレ達が世の中を左右しているぞ」と言わんばかりに。実際、東京大阪圏では結構ハズレも多いし)
無党派層が減ったところで、創価学会婦人部が頑張って活動中との報告があり、中には公職選挙法違反では?という内容も。もう公明党は与党じゃないんだから、警察も摘発すればいいのに。