松島新地を離れ、安治川を渡り西九条へと向かいます。

一旦喫茶店でモーニングでも。大阪は個人経営による昔ながらの喫茶店がやたらと多く存在します。

入るなり大阪のおばちゃんたちの賑やかな喋り声に包まれた店内。ほぼ満席で辛うじてカウンターがひと席だけ空いてたので座ります。モーニング500円。まー煩いこと煩いことwww これが大阪の日常であり、大阪に来たなぁと実感が湧きました。

安治川に向かいます。この辺りも空襲で焼け野原となったであろう一帯。戦後形成された下町のようです。

と思いきや相当な古さを感じる建物も。戦火を逃れたのでしょうか。

この雰囲気たまりませんね。いずれにしても戦後、住宅街として発展して来たのでしょう。

大阪と言えばアーケード商店街。その数は関東の比ではありません。こちらは親栄会商店街。

閉業した店も多く見られますが、お昼前の時間帯、行き交う人の数は多く賑わいを見せています。

親栄会商店街は大きなアーケード、キララ九条商店街へと出ます。こちらは現役の店も多く、より賑わっています。

再び枝分かれする祝生会商店街へ。さすがに外れの方に来るとシャッター商店街の様相も。

マンションも多く建ち並んでいますが、その足元の建物がやたら古い。久々に下町散歩を堪能します。

廃業してしまった銭湯ですが、この建物はカッコいい!現役の頃に入ってみたかったです。

それにしても古い建物。この辺りは空襲で焼け残った戦前建築なのでしょうか。

うだつの立った蔵造りの商家。どう考えても戦後とは思えません。

九条駅から続くキララ九条商店街の末端、安治川の手前まで来ました。さすがにここまで来るとシャッター商店街と化しております。

銭湯も廃業されています。

この先は川の下を潜る日本でも稀な安治川トンネルがあります。

自転車用の大型エレベータと階段で降りて行きます。ここには元々源兵衛渡船と言う渡船がありましたが、この安治川は船の航行が特に多く渡船の運航には危険が伴ったため、昭和10年に着工、戦時下も貴重な鉄が供給され昭和19年に竣工しました。ちなみに上流右岸(北側)には大阪市中央卸売市場などもあります。

深さ14m、長さ80mの自転車及び人道トンネル。日本初の川底トンネルとして日本土木遺産にも登録されています。

西九条側の地下エレベーター乗り場。エレベーターはひっきりなしに動いており、多くの人が生活道路として利用しています。

大阪の足はやはり自転車ですね。

西九条側地上出入り口。左手の巨大な鉄扉は、1977年まで使われていた自動車用のゴンドラ。人道トンネルと並行して車道が存在しますが、排気ガスの問題などから閉鎖されてしまいました。もう50年近く封印されたままです。

左岸、九条側のトンネル入り口。奥の鉄橋は阪神なんば線。西九条側に渡ると団地が広がる住宅街。自転車でトンネルを抜けてキララ九条商店街へ買い物に行く方も多い事でしょう。ちなみに阪神なんば線は1964年(昭和39年)に西九条まで延伸され(当時は西大阪線)ましたが、その先は九条商店街などの猛反発を受けて延伸が見送られていました。そして平成13年(2009年)にやっと大阪難波駅までの延伸が実現されます。現在では近鉄奈良線との相互乗り入れにより、奈良から西九条でJR桜島線に乗り換えUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)へ向かう足としても利用されています。

またもや廃業銭湯。戦後の復興期、水道インフラも整っていなかった時代、下町は風呂無しが当たり前の時代でした。マンションに建て替えても地域のために銭湯を続けて来たものの、利用者の減少や後継者不足から銭湯の数は激減しています。

西九条駅に着きました。ここはJR大阪環状線から桜島線(通称ゆめ咲線)が分岐し、阪神なんば線にも乗り換えられます。

トンネル横丁とは⁉︎

夜には開くのか、あるいは廃墟か。一度夜に訪れて確認したい。

飲み屋街としても賑わっていそうな西九条駅前。大阪は一泊じゃ全然回りきれない。

ガード下商店街が飲食店街になったと言う流れでしょうか。

こう言う所、ズルいです。今日は西九条で泊まる予定無いのに。

シャッター商店街の様相もあります。

ガード下の喫茶店。もちろん満席で店内のおばちゃん達の賑やかな声が表まで聞こえて来ます。東京では見れない活気。

JR大阪環状線のガード下でしたが、さらに上を阪神電鉄が跨いで行きます。この街もいつかじっくり歩きたいですね。

一旦喫茶店でモーニングでも。大阪は個人経営による昔ながらの喫茶店がやたらと多く存在します。

入るなり大阪のおばちゃんたちの賑やかな喋り声に包まれた店内。ほぼ満席で辛うじてカウンターがひと席だけ空いてたので座ります。モーニング500円。まー煩いこと煩いことwww これが大阪の日常であり、大阪に来たなぁと実感が湧きました。

安治川に向かいます。この辺りも空襲で焼け野原となったであろう一帯。戦後形成された下町のようです。

と思いきや相当な古さを感じる建物も。戦火を逃れたのでしょうか。

この雰囲気たまりませんね。いずれにしても戦後、住宅街として発展して来たのでしょう。

大阪と言えばアーケード商店街。その数は関東の比ではありません。こちらは親栄会商店街。

閉業した店も多く見られますが、お昼前の時間帯、行き交う人の数は多く賑わいを見せています。

親栄会商店街は大きなアーケード、キララ九条商店街へと出ます。こちらは現役の店も多く、より賑わっています。

再び枝分かれする祝生会商店街へ。さすがに外れの方に来るとシャッター商店街の様相も。

マンションも多く建ち並んでいますが、その足元の建物がやたら古い。久々に下町散歩を堪能します。

廃業してしまった銭湯ですが、この建物はカッコいい!現役の頃に入ってみたかったです。

それにしても古い建物。この辺りは空襲で焼け残った戦前建築なのでしょうか。

うだつの立った蔵造りの商家。どう考えても戦後とは思えません。

九条駅から続くキララ九条商店街の末端、安治川の手前まで来ました。さすがにここまで来るとシャッター商店街と化しております。

銭湯も廃業されています。

この先は川の下を潜る日本でも稀な安治川トンネルがあります。

自転車用の大型エレベータと階段で降りて行きます。ここには元々源兵衛渡船と言う渡船がありましたが、この安治川は船の航行が特に多く渡船の運航には危険が伴ったため、昭和10年に着工、戦時下も貴重な鉄が供給され昭和19年に竣工しました。ちなみに上流右岸(北側)には大阪市中央卸売市場などもあります。

深さ14m、長さ80mの自転車及び人道トンネル。日本初の川底トンネルとして日本土木遺産にも登録されています。

西九条側の地下エレベーター乗り場。エレベーターはひっきりなしに動いており、多くの人が生活道路として利用しています。

大阪の足はやはり自転車ですね。

西九条側地上出入り口。左手の巨大な鉄扉は、1977年まで使われていた自動車用のゴンドラ。人道トンネルと並行して車道が存在しますが、排気ガスの問題などから閉鎖されてしまいました。もう50年近く封印されたままです。

左岸、九条側のトンネル入り口。奥の鉄橋は阪神なんば線。西九条側に渡ると団地が広がる住宅街。自転車でトンネルを抜けてキララ九条商店街へ買い物に行く方も多い事でしょう。ちなみに阪神なんば線は1964年(昭和39年)に西九条まで延伸され(当時は西大阪線)ましたが、その先は九条商店街などの猛反発を受けて延伸が見送られていました。そして平成13年(2009年)にやっと大阪難波駅までの延伸が実現されます。現在では近鉄奈良線との相互乗り入れにより、奈良から西九条でJR桜島線に乗り換えUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)へ向かう足としても利用されています。

またもや廃業銭湯。戦後の復興期、水道インフラも整っていなかった時代、下町は風呂無しが当たり前の時代でした。マンションに建て替えても地域のために銭湯を続けて来たものの、利用者の減少や後継者不足から銭湯の数は激減しています。

西九条駅に着きました。ここはJR大阪環状線から桜島線(通称ゆめ咲線)が分岐し、阪神なんば線にも乗り換えられます。

トンネル横丁とは⁉︎

夜には開くのか、あるいは廃墟か。一度夜に訪れて確認したい。

飲み屋街としても賑わっていそうな西九条駅前。大阪は一泊じゃ全然回りきれない。

ガード下商店街が飲食店街になったと言う流れでしょうか。

こう言う所、ズルいです。今日は西九条で泊まる予定無いのに。

シャッター商店街の様相もあります。

ガード下の喫茶店。もちろん満席で店内のおばちゃん達の賑やかな声が表まで聞こえて来ます。東京では見れない活気。

JR大阪環状線のガード下でしたが、さらに上を阪神電鉄が跨いで行きます。この街もいつかじっくり歩きたいですね。


















































となりを阪神なんば線が橋で越えているように、今だったら橋をかけるのでしょう。余談ですが「なんば線」が開通する前は、阪神尼崎からの路線は長らく西九条止まりで西大阪線という線名でした。
衆議院解散?なんて言われてますが、確かに政権与党には追い風でしょう。
レアアース輸出規制でヤバい→中国依存度を下げて、かつ備蓄してました…で、マスゴミのヒステリックなアジテートがどんどん効かなくなっています(苦笑)
小学生の嫌がらせレベルしかできない立憲なんかは、壊滅的でしょう。個人的には立憲よりも公明党に嫌悪感があります。
非モテの私は高校から男子校に行き、就職も男ばかりの場所(工場等)に行きました。
20代のある夜、遅く帰ると親からの伝言で「〇〇さんという女の子から、電話あったよ」
それは中学生のときの同級生で、はて?と思い電話をすると…
「今度選挙に出る、公明党の××先生。頑張っているから、ぜひよろしくね」そう、彼女の家は創価学会で選挙のお願いでした。
ネットによると、「フレンド票=1人辺り4人の友人知人」とか、学会員にはノルマがあるそう。
…実は男ばかりの学校や勤務先が長かったので、「ひょっとして、俺になんか相談?」と、少しだけ期待してしまいました。
そんな恥ずかしさが怒りに変わり、以来公明党には絶対入れない!と誓いました。鉄オタのペンネーム(鉄子の男版?)みたいな名前のジジイ、絶対に許さねぇからな!