インスタなどで噂に聞いていた程度の江戸東京たてもの園。どうせ移築された建物がちょっと並ぶ「作られた昭和感」ぐらいだろうと思ってました。ところが、行ってみたら凄かった!

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JR中央線武蔵小金井駅の北、2キロ弱。小金井公園があります。バス停のある小金井公園西口から入ると保存車両のC57がありますが、こちらはたてもの園とは別で土日のみ公開。まぁ柵の外から見れますが。

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公園内を少し歩くと敷地内に江戸東京たてもの園があります。休館日は基本月曜日で9:30〜17:30、ただし10月〜3月は16:30まで。観覧料は一般400円。このビジターセンターも昭和15年(1940年) 皇居前広場で行われた紀元2600年記念式典のために建設された式殿で、翌年にはこの場所に移築され光花殿と名付けられたそうです。

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後の昭和29年(1954年)、井の頭恩賜公園にあった武蔵野博物館をこの地に移転し、平成5年(1993年)両国の江戸東京博物館の開館に合わせて都内の様々な建造物を移築し、現在の江戸東京たてもの園となりました。

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思ったより広い敷地に29棟もの建造物が展示されていますが、東側から時計回りに見て行こうと思います。こちらは板橋区にあった常盤台写真場。ちなみに場内に入ってすぐの所に喫煙所と自動販売機があるのですが、自動販売機はここと東エリアの奥ぐらいにしか無いので、水分補給のための飲み物は買っておいた方がいいかと。

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2階が写真スタジオになっています。昭和12年に建てられた物ですが、スタジオの機材など当時を思わせる古い機材がディスプレイされています。

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常盤台には確か駅前に常盤台の歴史について書かれたパネルがありましたが、昭和10年に東武東上線が開通してから造成されていった住宅地です。これだけの木造モルタル構造物をどうやって移築したのかは謎ですが、一軒目からちょっと驚かされました。

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表にはボンネットバス、いすゞTSD43型が展示されています。こちらは1968年式北村製作所製のボディと1979年式のトラックのシャーシを組み合わせて福山時計自動車博物館にて復旧したもので、塗装は当時の都営バスの物。

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この車両は動態保存されており、月一回園内を実際走行させるそうです。ただ日程については公式サイトにも告知されておらず、直接問い合わせてみないと分かりません。

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こちらの建物は三井財閥の総領家、三井八郎右衞門の邸宅。港区今井町にあった本邸が戦災で焼失したため、昭和27年(1957年)麻布笄町(港区西麻布三丁目)に本邸を建築して移り住んだとか。その際、今井町で焼け残った棟や、京都、神奈川県の大磯、世田谷区の用賀、それぞれの屋敷から建築部材、石材、植物などがかき集められたそうです。

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門柱もしっかり移築されています。庭なども再現されており相当お金かかっていそうだし、その徹底ぶりには頭が下がります。

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キッチンがまた凄い。使用人が調理する厨房ってところですが、木製の吊り戸棚や食器棚の多さもさる事ながら、歴史的価値も相当な物。以前、野田の茂木一族邸の厨房なども見ましたが、比べるとさすが三井財閥と言った感じ。

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もう、秀吉かよってぐらいの金。まだ二軒目なのにこんな調子で写真撮ってたらキリがない。

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こちらは世田谷区岡本3丁目に建っていた江戸時代中期の農家、綱島家。よくまぁ残っていたと。

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軒先では梅干しが干されています。こう言うのは季節によって変えるとか。良い演出です。

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八王子追分町にあった八王子千人同心組頭の家。部材を再利用して日野市の農家が移築して使っていたそうです。

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元々江戸時代後期の建築物で、展示にあたり建設当時の姿を復元しているそうです。ここでふと、全ての建物と内部の写真を説明しながら紹介するのは公式サイト見れば良い事だし意味があるのかと疑問に思ってしまいましたが、感動を伝えたいから続けます。飽きたらすっ飛ばしちゃって結構。

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こちらは三鷹市野崎に建っていた吉野家住宅。江戸時代後期に建てられた農家だそうです。

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たてもの園がまだ武蔵野郷土館だった頃の昭和38に移築、復元されたため、建物の内部は昭和30年代頃の農家の様子を再現しているとのこと。

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ここでいきなりガチな洋館。新宿区信濃町にあったと言うデ・ラランデ邸。軽井沢とかのペンションなんかを思わせる。

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一階部分はカフェとして利用されています。元々は明治時代、気象学者・物理学者の北尾次郎が自邸として設計した木造平屋建てで、明治43年(1910年)頃、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデが購入した際木造3階建てに大規模に増築されたそうです。

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階段には真鍮製の絨毯押さえ棒が。こう言う細部にいちいち引っ掛かっちゃいます。その後居住者が何度か変わりつつ、昭和31年(1956年)よりカルピスの発明者として知られる三島海雲氏が住んでいたそうです。海雲氏の死後は、三島食品工業株式会社の事務所として平成11年(1999年)まで使用されていました。建物や内装はデ・ラランデが暮らしていた大正時代初期頃を復元しているとか。

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こちらは文京区西片に建っていた小出邸。一見近代建築にも見えますが、これがなんと大正14年(1925年)に建てられ、平成8年(1996年)まで住まわれていたそうです。

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実に70年以上も生活されていた事になりますが、古さを感じさせないデザインや耐久性を考えると素晴らしい建物と言えますね。

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こちらは品川区上大崎に昭和17年(1942年)に建てられた前川國男邸。戦時中とは思えないデザイン性の高さ。

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前川國男は東京文化会館や東京都美術館などを設計した建築家。開放感溢れる吹き抜けの居間など、当時としては斬新なデザインだったのではないでしょうか。

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大正12年、関東大震災の1ヶ月後より田園調布の分譲が開始されました。この建物は大正14年(1925年)に建設された高級住宅の大川邸。

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ぶっちゃけ金持ちの家には全く興味無いのですが、内装とか見てるとさすがに興奮して来てスゲーとか言っちゃいます。

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キッチン対面カウンターが付いている食器棚。キッチンで作った料理を小窓から出せるようになってます。しかも扉付き。今では当たり前のようなダイニングの構造ですが、これが大正時代から有ったなんて。欧米の生活様式を、一般家庭にもどんどん取り入れた時代なんでしょうね。

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建物は1993年まで住まれていましたが、移築に際し内装や機器類は大正末期から昭和初期を再現しています。やべぇ、たてもの園楽しい。最近訪れた松戸市立博物館の団地生活の再現ほど生々しく変態的ではないにせよ、充分暮らしの様子は伺えます。大正時代の家具や器機類集めるのも大変だったろうに。

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北側に並ぶ建物の裏手には小道があり、そこにも展示物があります。これは武蔵野市御殿山で発掘された縄文時代後期の御殿山遺跡敷石住居址。古い建物って言ったって紀元前2000年頃て。こんな物まで移設されています。

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その……庚申塔とかって持って来ちゃっていいもんなんですかね。

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霊廟とかも持って来ちゃっていいものか。こちらは旧自証院霊廟。江戸幕府三代将軍家光の側室であったお振の方の霊廟で、1652年に市ヶ谷(今の富久町)の自証寺の中に建てられたそうです。建築には江戸城や日光東照宮の建設に携わっていた幕府作事方大棟梁甲良氏が関わっていたとか。しかし寄贈者が西武鉄道になっていたのですが、自証寺と関係があるのでしょうか。

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やっと半周回りました。こちらは立派な屋敷門を持つ農家の天明家。大田区鵜の木で村役人の年寄役を勤めていた名家だそうです。

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江戸後期の建築で、裏には枯山水の庭園も移築されています。

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向かい側に建つやたらデカいお屋敷は赤坂7丁目にあったと言う高橋是清邸。青山通り沿い、赤坂御所の向かい側に高橋是清翁記念公園があり、現在ではカナダ大使館が建っています。

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高橋是清は明治から昭和の初めにかけて日本の政治を担った人物。昭和11年(1936年)、是清はこの建物の2階で青年将校の凶弾に倒されたそうです。いわゆる2.26事件の事件現場となった建物。

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建物は明治35年(1902年)建造。 敷地と屋敷は事件後東京市に寄付され記念公園となりましたが、その後主屋が多磨霊園に移築され、休憩所として利用されていたそうです。

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こちらは昭島市に建っていた西川家別邸。大正11年(1922年)建造。

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明治26年(1893年)昭島市で西川製糸を創業した西川伊左衛門が隠居所及び接客用に建てた邸宅だそうです。明治大正から昭和初期まで多摩地域では養蚕が盛んでしたが、工場が昭和15年(1940年)軍需工場へ転換された事で終焉を迎えます。

前編は多摩地域や山手のお屋敷がほとんどでしたが、後編では下町での庶民の暮らしを中心とした公園東側を紹介して行きます。