インスタで非常に惹かれる写真を拝見しまして、実際に行って見たいと思い立った次第。情報はいつも二番煎じと言う後ろめたさを感じつつも居ても立っても居られなくなり、このクソ暑い中出かけました。

てなわけで水戸線下館駅。去年の2月に花街の痕跡を辿ったりしましたが、今ではなんとシェアサイクルが観光向けに置かれるようになっていました。

しかも今ではヒロサワシティにもサイクルポートが置かれているとか。もっと早く設置してくれていたら、バス停から長距離歩いたりタクシー使う事もなかったのに。そんな訳で今回は何かと利用しているハローサイクルで目的地へと向かいます。

まだここは茨城県筑西市下館なのですが、消防小屋でしょうか、にしては火の見櫓も無いし。ただかなりの年代物かと。

結城街道を西へ。貸家でしょうか4棟の木造平屋建て住宅が密集してました。

貸家にしては造りが凝ってる感じもしますが、ほぼ廃墟と化しています。

と思ったら1番奥のお宅は住まわれているご様子。

市街地を抜けると広大な水田地帯が広がります。用水路の水が溢れんばかりで、遠くには筑波山の山陵。

茨城県と栃木県の県境を越えたところ。栃木県真岡市に入ると道は森の中へ。入り口には「この先大型車両は通り抜け出来ません」の文字が。

やがて森を抜けると古山集落に入ります。その道の先には……

見事に行く手を阻むお地蔵様。以前、港区の広尾で道の真ん中に鎮座するお地蔵様を撮りましたが、こちらは自動車道の真ん中です。

こちらは古山地蔵尊。500年ほど前、この地は薬王院の境内もしくは参道で、お地蔵様を移動したところ、火の玉が転がったとか災いがあったなどと言われ元の場所に戻したとの事です。

お地蔵様の両脇は軽自動車であれば通り抜ける事ができます。

後で調べてみると毎年7月24日、地域の世話人により、お地蔵様の両脇には100年前より掲げられているのぼり旗が立てられ饅頭が供えられ、夕刻には地域の人々が集まりお参りし、饅頭も配られるそうです。
……来週じゃねーか!

ちなみに以前、ナニコレ珍百景でも取り上げられたとか。ちょっと萎える。ただ今回の目的は早くも達成。

お地蔵様を見るためだけにここまで来たようなものでしたが、来週に行事がある事やテレビで取り上げられていた事を帰りの電車で知りました。相変わらず事前調査が甘い自分。

北支事変軍馬碑。北支事変とは日中戦争の事だそうです。馬の産地で送り出し戦死した軍馬たちの慰霊碑でしょうか。馬頭観音様も寄り添っています。

ついでと言っちゃなんですが、真岡鉄道のSLなぞを撮影してみたり。真岡のSLには2019年の春に乗っていますが、走行中を撮るのは初めてです。煙吐かないなぁと思ったら前日の18日、不具合により8月以降の運転日を削減すると発表されました。

恐らくは後ろのディーゼル機関車(ED10)が後押しして、シリンダーへの負担を軽減しているのかも知れません。汽笛は鳴らしているので乗る分には良いのですが、撮影する事の魅力が減ってしまうかも。

下館のサイクルポートに電動アシスト自転車を返却して昼食。去年2月に入った筑波軒さんで。

まだ営業されていて安心しました。大将はかなりのご高齢なので。

メニューはラーメン450円とワンタン麺500円、あと大盛りのみ。広い店内ですが、かつては2階にお座敷もあったのかも。

やはり黒い!でも見た目ほどしょっぱくもなく、とにかく味が濃いい。美味いです。麺が黒ずむぐらいの醤油味ですが私的には大好きです。

改めて真岡鉄道で真岡駅へ。真岡は端的に言えば宇都宮から見た鬼怒川の対岸の街です。綿花から作る木綿産業で栄えた街なので、養蚕産業とは一線を画しています。倉庫や蔵は大抵大谷石造りですね。

真岡駅の駅員さんに言えば500円でレンタルサイクルを貸してくれます。電動アシストは付いてませんが、たいした距離ではないので充分行けます。真岡駅の東、市内を流れる五行川を越えたところで、ほぼ崩壊している廃墟が。昭和初期のコンクリート建築物でしょうか。

中心街まで行けば真岡木綿会館があります。木綿産業は明治時代より海外製品が流入した事によって激減。この辺、絹織物産業とは違う歴史を辿ります。

その向かいにある久保記念館。明治40年建築のこの建物は日本銀行宇都宮代理店真岡出張所真岡支金庫として使われていたそうですが、その久保貞次郎氏は美術評論家だったそう。なんかピンと来ない。

そんな事より真岡弁財天(長蓮寺)の櫓がカッコいい。

その真岡弁財天の門前町はかつて歓楽街として栄えていた名残りがあります。

現在でも居酒屋やスナックなどが多く残っております。下館にもかつての花街の痕跡が多く残っていましたが、その奥座敷的な物か。

ただ、その多くが廃業しているかリニューアルされてカフェとなっているか。

ここなども、どう見てもスナックだったと思われる建物ですが、すっかりオシャレなカフェへと変貌を遂げています。

どれだけのスナックが現役なのか夜に訪れてみたい所ですが、なかなか。ちなみにここから五行川を越えて東へ行った東光寺通りの辺りに遊郭があったそうですが、もはやその痕跡は残っていないと思われます。

この建物なども妖しい造り。さらに北へ行けば焼き物産業で大いに栄えている益子などもありますが、ここ真岡はこれと言って特筆すべき地場産業がありません。せいぜい郊外に工業団地があるくらい。

あえてレトロを強調した古民家カフェ。ただ街中を散歩する若い女子などの姿は無く、経営は成り立っているのかなんて余計な心配をしてしまいます。

こぞって清酒「桜川」をアピール。

それもそのはず、真裏に蔵元がありました。

すぐ近く、真岡城跡のお堀でもある行屋川の川沿いに般若寺と言うお寺さんがあり、その門前町もまたスナック街となっています。

ただこの辺りは廃墟化が進んでいます。ちなみにこの辺り、赤線又は青線地帯だったかどうかは資料が残っていないので立証出来ません。

韓国マッサージ10000円。普通に考えてエッチな店だったのだろうと。これだけ多くの飲食店が軒を連ねているのを見ると、かつてはよほど栄えていたのでしょう。

てなわけで水戸線下館駅。去年の2月に花街の痕跡を辿ったりしましたが、今ではなんとシェアサイクルが観光向けに置かれるようになっていました。

しかも今ではヒロサワシティにもサイクルポートが置かれているとか。もっと早く設置してくれていたら、バス停から長距離歩いたりタクシー使う事もなかったのに。そんな訳で今回は何かと利用しているハローサイクルで目的地へと向かいます。

まだここは茨城県筑西市下館なのですが、消防小屋でしょうか、にしては火の見櫓も無いし。ただかなりの年代物かと。

結城街道を西へ。貸家でしょうか4棟の木造平屋建て住宅が密集してました。

貸家にしては造りが凝ってる感じもしますが、ほぼ廃墟と化しています。

と思ったら1番奥のお宅は住まわれているご様子。

市街地を抜けると広大な水田地帯が広がります。用水路の水が溢れんばかりで、遠くには筑波山の山陵。

茨城県と栃木県の県境を越えたところ。栃木県真岡市に入ると道は森の中へ。入り口には「この先大型車両は通り抜け出来ません」の文字が。

やがて森を抜けると古山集落に入ります。その道の先には……

見事に行く手を阻むお地蔵様。以前、港区の広尾で道の真ん中に鎮座するお地蔵様を撮りましたが、こちらは自動車道の真ん中です。

こちらは古山地蔵尊。500年ほど前、この地は薬王院の境内もしくは参道で、お地蔵様を移動したところ、火の玉が転がったとか災いがあったなどと言われ元の場所に戻したとの事です。

お地蔵様の両脇は軽自動車であれば通り抜ける事ができます。

後で調べてみると毎年7月24日、地域の世話人により、お地蔵様の両脇には100年前より掲げられているのぼり旗が立てられ饅頭が供えられ、夕刻には地域の人々が集まりお参りし、饅頭も配られるそうです。
……来週じゃねーか!

ちなみに以前、ナニコレ珍百景でも取り上げられたとか。ちょっと萎える。ただ今回の目的は早くも達成。

お地蔵様を見るためだけにここまで来たようなものでしたが、来週に行事がある事やテレビで取り上げられていた事を帰りの電車で知りました。相変わらず事前調査が甘い自分。

北支事変軍馬碑。北支事変とは日中戦争の事だそうです。馬の産地で送り出し戦死した軍馬たちの慰霊碑でしょうか。馬頭観音様も寄り添っています。

ついでと言っちゃなんですが、真岡鉄道のSLなぞを撮影してみたり。真岡のSLには2019年の春に乗っていますが、走行中を撮るのは初めてです。煙吐かないなぁと思ったら前日の18日、不具合により8月以降の運転日を削減すると発表されました。

恐らくは後ろのディーゼル機関車(ED10)が後押しして、シリンダーへの負担を軽減しているのかも知れません。汽笛は鳴らしているので乗る分には良いのですが、撮影する事の魅力が減ってしまうかも。

下館のサイクルポートに電動アシスト自転車を返却して昼食。去年2月に入った筑波軒さんで。

まだ営業されていて安心しました。大将はかなりのご高齢なので。

メニューはラーメン450円とワンタン麺500円、あと大盛りのみ。広い店内ですが、かつては2階にお座敷もあったのかも。

やはり黒い!でも見た目ほどしょっぱくもなく、とにかく味が濃いい。美味いです。麺が黒ずむぐらいの醤油味ですが私的には大好きです。

改めて真岡鉄道で真岡駅へ。真岡は端的に言えば宇都宮から見た鬼怒川の対岸の街です。綿花から作る木綿産業で栄えた街なので、養蚕産業とは一線を画しています。倉庫や蔵は大抵大谷石造りですね。

真岡駅の駅員さんに言えば500円でレンタルサイクルを貸してくれます。電動アシストは付いてませんが、たいした距離ではないので充分行けます。真岡駅の東、市内を流れる五行川を越えたところで、ほぼ崩壊している廃墟が。昭和初期のコンクリート建築物でしょうか。

中心街まで行けば真岡木綿会館があります。木綿産業は明治時代より海外製品が流入した事によって激減。この辺、絹織物産業とは違う歴史を辿ります。

その向かいにある久保記念館。明治40年建築のこの建物は日本銀行宇都宮代理店真岡出張所真岡支金庫として使われていたそうですが、その久保貞次郎氏は美術評論家だったそう。なんかピンと来ない。

そんな事より真岡弁財天(長蓮寺)の櫓がカッコいい。

その真岡弁財天の門前町はかつて歓楽街として栄えていた名残りがあります。

現在でも居酒屋やスナックなどが多く残っております。下館にもかつての花街の痕跡が多く残っていましたが、その奥座敷的な物か。

ただ、その多くが廃業しているかリニューアルされてカフェとなっているか。

ここなども、どう見てもスナックだったと思われる建物ですが、すっかりオシャレなカフェへと変貌を遂げています。

どれだけのスナックが現役なのか夜に訪れてみたい所ですが、なかなか。ちなみにここから五行川を越えて東へ行った東光寺通りの辺りに遊郭があったそうですが、もはやその痕跡は残っていないと思われます。

この建物なども妖しい造り。さらに北へ行けば焼き物産業で大いに栄えている益子などもありますが、ここ真岡はこれと言って特筆すべき地場産業がありません。せいぜい郊外に工業団地があるくらい。

あえてレトロを強調した古民家カフェ。ただ街中を散歩する若い女子などの姿は無く、経営は成り立っているのかなんて余計な心配をしてしまいます。

こぞって清酒「桜川」をアピール。

それもそのはず、真裏に蔵元がありました。

すぐ近く、真岡城跡のお堀でもある行屋川の川沿いに般若寺と言うお寺さんがあり、その門前町もまたスナック街となっています。

ただこの辺りは廃墟化が進んでいます。ちなみにこの辺り、赤線又は青線地帯だったかどうかは資料が残っていないので立証出来ません。

韓国マッサージ10000円。普通に考えてエッチな店だったのだろうと。これだけ多くの飲食店が軒を連ねているのを見ると、かつてはよほど栄えていたのでしょう。


















































お地蔵さんは折本駅の西側というか、真岡市内でも外れのほうなんですね。
(駅からは直線距離で3キロ以上あるようですが)
ちなみに国鉄時代の真岡線は、下館を出ると折本、久下田、真岡で、今の半分の駅数でした。
三セクローカル線的な駅名の駅はもちろん、寺内も…寺内というと、ザ・ヒロサワ・シティにある、寺内タケシ記念館を思い出してしまいます。
この暑さで、鉄道車両の中で人間に近いと言われるSLもヘバっているんですかね?
会社の大小は問わないようで、JR東日本高崎支社で7月19日に運転された、SL&GV横川号も不調で途中駅打ち切りになったそうです。
もっともこちらは、機関車でない異物と組まされたD51がヘソを曲げたのかも?
ELを引退させて、今後ELの代わりに使う電車の牽引車をELの代わりにした形ですが、旧車保存や編成美を考えたら、そこまでするならいっそSLの保存は高崎では辞めて、「ばんえつ物語」に絞れば…と思ってしまいます。
(撮り鉄がGV系を「スーパークモヤ」とか言っているの聞くと、虫酸が走る。単に機関車ではなく、電車でも特殊なコウモリ野郎のレベルだろ!)
コウモリ野郎と言えば、立憲が思ったより得票が伸びなかったのは、やはり野党の顔した隠れ与党感覚の野田のせいでしょう。
「参政党が中途半端に票を奪って、立憲が勝てなかった」なんて分析がありますが、今の立憲は第2自民党で反自民の受け皿にはなり得ないと、有権者はみんな気付いています。
野党のつもりで投票しても、少なくとも野田は官僚の思惑通りに動くのは自民党と同じですからね。
(選挙直前にはネット広告にも政党の広告が出ましたが、「おしえて野田さん」を見たときは「はぁ?」と思ってしまった)