千葉県銚子市(1)、銚子の街並み
千葉県銚子市(3)、外川の犬吠埼市営住宅
千葉県銚子市(4)、ゴーストタウン化が進む市営住宅
さて、ここからは銚子の飲食店街や歓楽街を巡って行きます。

漁港沿いに東へ歩いて来ました。ちょっとしたスナック街などもありますが、この辺りにはかつて南町と言う特殊飲食店街、つまり私娼街がありました。

住宅街の中に飲み屋が点在。泊まりがけで来て、こう言う所で飲んでみたい。

丘陵地が海に迫って来た所に飯沼観音と言う古刹があります。銚子の街は最初この飯沼観音が坂東三十三観音札所巡りの二十七番札所になったことから、その門前町として栄えて来たそうです。その後漁師街としても栄え、利根川水運の開通でさらに発展してきました。

その飯沼観音(圓福寺)から再び海沿いへと降りて行きます。

ここで再び商店街が。現在はほぼシャッター商店街と化していますが、かつての賑わいを感じます。

商店街の南側(丘側)へと入って行きます。廃墟化してますがスナックビルの跡が。

この界隈は田中町と言って、南町同様戦前は私娼街、戦後は赤線地帯だった時代があったそうです。

漁港としての規模が大きい分、スナック街の範囲も非常に広いです。

この辺りを歩いていると廃墟化したスナックの跡などが散見されます。

路地裏に入って行くと現役の外国人系パブが集まる一画がありました。

この辺りはいかにも赤線だった場所だと思われますが、特徴的なカフェー建築などは見られません。

ちなみに銚子駅から北西へ向かった松岸駅より利根川の河岸へ出た所に、かつて松岸遊廓と言うのがありました。あちらは利根川水運の発展に併せて江戸中期の1700年前後の頃から栄え、水運の衰退後も昭和16年まで存在した公認の遊廓でしたが、現在ではその痕跡を全くとどめていないとか。

松岸遊廓の終焉の原因は舟運の衰退もありましたが、南町や田中町などの私娼街へ遊女が流れて行ったのも引き金となったとか。ただ、どのみち遊廓と言う形態は昭和21年(1946年)のGHQによる公娼制度の廃止で消える運命にありました。

この界隈の妖しさは南町のスナック街と一線を画しているようにも思えます。ただ、夜に1人で訪れて見なければ、その実態までは掴めません。

なんとも味のある木造モルタル造りの廃墟が。この建物は一体何だったのでしょうか。

再びシャッター商店街まで出て、今度は海側を歩いて行きます。竹の湯と言う看板に沿って狭い路地を入って行きましたが、銭湯らしき建物は無くただ空き地が横たわるだけでした。

そしてこの廃墟はスナック長屋の跡。1階にも2階にも小さな飲食店が軒を連ねていたようです。

田中町も戦前から私娼街(特飲街)として栄え、戦後の公娼制度の廃止以降は赤線として継続しましたが、昭和33年(1958年)に施行された売春防止法によって私娼街の歴史に幕を下ろすこととなります。

その当時の名残りとしてスナック街へと移行する訳ですが、そんなネオン街も時代の流れとともに衰退し、宅地化されて行きます。

近くに現役のスナック長屋がありました。もしかすると先ほどの廃墟に入っていた店が建物の老朽化に伴いこちらに移転したのかも知れません。

現在では空き地と新築住宅がほとんどとなった田中町ですが、歓楽街として栄えていた当時の街並みは今や想像する事しか出来ません。

最後に、銚子電鉄の本銚子駅へ向かう途中煙突が見えたので行って見ました。

相当昔に廃業されたと思われる銭湯の跡。屋号すらも不明です。
千葉県銚子市(3)、外川の犬吠埼市営住宅
千葉県銚子市(4)、ゴーストタウン化が進む市営住宅
さて、ここからは銚子の飲食店街や歓楽街を巡って行きます。

漁港沿いに東へ歩いて来ました。ちょっとしたスナック街などもありますが、この辺りにはかつて南町と言う特殊飲食店街、つまり私娼街がありました。

住宅街の中に飲み屋が点在。泊まりがけで来て、こう言う所で飲んでみたい。

丘陵地が海に迫って来た所に飯沼観音と言う古刹があります。銚子の街は最初この飯沼観音が坂東三十三観音札所巡りの二十七番札所になったことから、その門前町として栄えて来たそうです。その後漁師街としても栄え、利根川水運の開通でさらに発展してきました。

その飯沼観音(圓福寺)から再び海沿いへと降りて行きます。

ここで再び商店街が。現在はほぼシャッター商店街と化していますが、かつての賑わいを感じます。

商店街の南側(丘側)へと入って行きます。廃墟化してますがスナックビルの跡が。

この界隈は田中町と言って、南町同様戦前は私娼街、戦後は赤線地帯だった時代があったそうです。

漁港としての規模が大きい分、スナック街の範囲も非常に広いです。

この辺りを歩いていると廃墟化したスナックの跡などが散見されます。

路地裏に入って行くと現役の外国人系パブが集まる一画がありました。

この辺りはいかにも赤線だった場所だと思われますが、特徴的なカフェー建築などは見られません。

ちなみに銚子駅から北西へ向かった松岸駅より利根川の河岸へ出た所に、かつて松岸遊廓と言うのがありました。あちらは利根川水運の発展に併せて江戸中期の1700年前後の頃から栄え、水運の衰退後も昭和16年まで存在した公認の遊廓でしたが、現在ではその痕跡を全くとどめていないとか。

松岸遊廓の終焉の原因は舟運の衰退もありましたが、南町や田中町などの私娼街へ遊女が流れて行ったのも引き金となったとか。ただ、どのみち遊廓と言う形態は昭和21年(1946年)のGHQによる公娼制度の廃止で消える運命にありました。

この界隈の妖しさは南町のスナック街と一線を画しているようにも思えます。ただ、夜に1人で訪れて見なければ、その実態までは掴めません。

なんとも味のある木造モルタル造りの廃墟が。この建物は一体何だったのでしょうか。

再びシャッター商店街まで出て、今度は海側を歩いて行きます。竹の湯と言う看板に沿って狭い路地を入って行きましたが、銭湯らしき建物は無くただ空き地が横たわるだけでした。

そしてこの廃墟はスナック長屋の跡。1階にも2階にも小さな飲食店が軒を連ねていたようです。

田中町も戦前から私娼街(特飲街)として栄え、戦後の公娼制度の廃止以降は赤線として継続しましたが、昭和33年(1958年)に施行された売春防止法によって私娼街の歴史に幕を下ろすこととなります。

その当時の名残りとしてスナック街へと移行する訳ですが、そんなネオン街も時代の流れとともに衰退し、宅地化されて行きます。

近くに現役のスナック長屋がありました。もしかすると先ほどの廃墟に入っていた店が建物の老朽化に伴いこちらに移転したのかも知れません。

現在では空き地と新築住宅がほとんどとなった田中町ですが、歓楽街として栄えていた当時の街並みは今や想像する事しか出来ません。

最後に、銚子電鉄の本銚子駅へ向かう途中煙突が見えたので行って見ました。

相当昔に廃業されたと思われる銭湯の跡。屋号すらも不明です。


















































「港町純情シネマ」というのがありました。
タイトルの通り父親が映画館やってて、他の仕事をしている息子を、継がせるために呼び戻して…。
(以下ネタバレがありますので、作品観る予定の方は見ないほうが。なお昔観た=再放送かも?記憶で書いているので、詳細は違うことも)
その父親がキャバレーに行き、他所から流れてきた木の実ナナ演じるホステスに一目惚れして、それにともなうドタバタがメインだったような。
最後、流れ者ゆえにホステスは突然姿を消しますが、映画館やってる父親はどうしても忘れられず、「探しに行く」と旅立ちます。そのシーンが、銚子大橋のたもとにあった渡船に乗って船が出て行く…というものでした。
銚子大橋 渡船で検索すると、30年近く前の1996年1月末で廃止になっており、また当時の銚子大橋は鉄骨を主体とした造りでしたが、潮風で傷みが激しかったのか現在は新しい橋に架け替えられています。
ドラマはもちろん架空の物語ですが、今回のスナック街を見ていて、そんなことを思い出しました。
銚子は大都市から離れ、かつどん詰まりという地形のせいか、全体的に場末感(たとえ中心地でも)がありますね。なんか空が広いというか。