千葉県銚子市(2)、旧・赤線地帯跡のスナック街
千葉県銚子市(3)、外川の犬吠埼市営住宅
千葉県銚子市(4)、ゴーストタウン化が進む市営住宅
先月訪れた野田からの醤油繋がりで銚子にやってまいりました。遠い。日帰りで来るような所じゃない。

銚子駅は総武本線の前身である総武鉄道の終着駅として明治30年(1897年)開業。この時点で本所(現在の錦糸町)駅まで開通しました。

また銚子駅は銚子電鉄の起点駅でもあります。銚子駅開業から4年後の明治34年に免許が得られ工事が始まるものの、工費がかかり過ぎて採算が合わないとの理由から工事が中断。しかしその後観光客の増加などを受けて工事が再開し、大正2年に軽便鉄道の銚子遊覧鉄道として開通。しかし第一次世界大戦による鉄材の高騰を受けてレールを関東鉄道に売ってしまう。そして大正12年(1923年)、改めて銚子鉄道(後の銚子電鉄)を設立し開業したそうです。

ヤマサの工場脇に車両基地があります。京王帝都から伊予鉄道に払い下げられた車両、2000系(右奥の半分隠れてるベージュとピンクのヤツ)が寿命を迎え、動ける車両が同じく京王帝都から伊予鉄道経由の3000系(2枚目の写真)のみとなり危機を迎えました。しかし南海電鉄から中古車両を安く譲渡され、どうにか危機は脱しました。とは言え銚子電鉄はぬれ煎餅の収益がほとんどで鉄道は相変わらず赤字続きです。

歩いてすぐなのですが、銚子電鉄仲ノ街駅。

仲ノ町駅では車両基地見学も出来ると言う情報を耳にして再訪しましたが、現在予約制で予約は1ヶ月前から1週間前まで。当日では見学出来ないとの事でしたが、車両基地は狭く普通に小ちゃい電気機関車「デキ3」も見えました、

銚子駅のすぐ南側にはヤマサ醤油の工場が広がります。時間があれば内部も予約制で見学できるのですが、今回は街巡りが目的なのでまたの機会に。午前午後共に1時間おきなのでタイミングが合わないとなかなか難しいです。

受け付けの先のお土産屋さんと醤油ソフトクリームを売っている所までは予約無しでも入れます。こちらは日本に現存する最古のディーゼル機関車です。ドイツ製で大正15年頃に輸入され、千葉駅構内の側線で貨車の入れ替えに使用されていましたが、その後昭和 31年にヤマサ醤油に引き取られました。しかし亀裂が入り昭和39年に引退。

工場の脇には煉瓦塀が続いています。ヤマサは日本初のソースを開発したり、近年では医薬品も手掛けるとか。

工場の先には昭和53年(1978年)まで国鉄新生貨物駅がありました。工場の敷地を跨ぐように走り、ここから醤油や銚子港で水揚げされた鮮魚や缶詰などの加工食品が運ばれて行きました。現在では公園となっております。

公園の向かいには旧公正會舘。ここはヤマサ醤油株式 会社10代目当主濱口儀兵衛が中心となり、社会教育事業の経営を目的に設立した財団法人公正會によって大正15年(1926年)に建設されました。戦後は銚子市に譲渡され、銚子市公正市民館及び公正図書館として利用されています。

旧公正會舘の左手から銚子港にかけての敷地には、ヤマサ醤油の創業家である濱口家の邸宅があります。ヤマサ醤油は江戸初期の正保2年(1645年)、野田で高梨家が初めて醤油醸造を始める16年前、初代当主濱口儀兵衛が醤油発祥の地である紀州から銚子へ移住し、本場の醤油造りで創業したそうです。ちなみに同じく銚子のヒゲタ醤油はもっと古くて1616年創業。

屋敷の裏手には煉瓦塀が続いています。銚子の街は太平洋戦争末期、3度に渡る空襲を受け焼け野原となりましたが旧公正會舘は残ったそうです。なのでこの煉瓦塀も戦災を凝り抜けて来たのかも知れません。

と言う訳で改めて駅前から街並みを歩いて行きます。観光協会でレンタルサイクルも貸し出しているんですが、ちょうど出払っていました。駅前にはなかなか渋い旅館が残っています。

駅前通りはシャッター商店街の様相ですが、いい感じの建物も。

こちらも同じく油屋と言う屋号。駅前から真っ直ぐ歩けばすぐ海に出ます。

銚子港は親潮と黒潮がぶつかる地点で利根川の河口でもある事から古くから漁港として栄えて来ました。しかも現在では全国の水揚げ高1位となっているそうです。ちなみに銚子駅近くのここは利根川河口沿いの漁港で、ずっと東の外洋に面した所には銚子外港と言うのもあります。

銚子港のすぐ側に建つのが正保2年(1645年)創業の老舗旅館、大新旅館です。

ここは古くから皇族の方々をはじめ伊藤博文や島崎藤村などの著名人も宿泊されたとか。犬吠埼にホテルニュー大新と言う宿がありますが、同じところが経営されています。

旅館の入り口脇に建てられたこの「にゅーさろん」なるものが非常に気になります。コロナ禍より休業中との噂は聞いていますが、今現在再開されているのか。一度泊まってみたいです。
【続報】大新旅館及びニュー大新は2025年12月、予約客から急に連絡が取れなくなったとの問い合わせが観光協会にあり、休業していた事が明らかとなった。(千葉日報)

漁港沿いに続く街並みに一軒の銭湯が。この松の湯さんは13時から営業されているようで、入ってみたかった。

漁師町らしくスナックや居酒屋が点在しています。銚子は江戸期より紀州から出稼ぎに来ていた漁師たちが住み着くようになり、漁港としても発展して行きました。
さて次回は銚子のスナック街などを巡ります。
千葉県銚子市(3)、外川の犬吠埼市営住宅
千葉県銚子市(4)、ゴーストタウン化が進む市営住宅
先月訪れた野田からの醤油繋がりで銚子にやってまいりました。遠い。日帰りで来るような所じゃない。

銚子駅は総武本線の前身である総武鉄道の終着駅として明治30年(1897年)開業。この時点で本所(現在の錦糸町)駅まで開通しました。

また銚子駅は銚子電鉄の起点駅でもあります。銚子駅開業から4年後の明治34年に免許が得られ工事が始まるものの、工費がかかり過ぎて採算が合わないとの理由から工事が中断。しかしその後観光客の増加などを受けて工事が再開し、大正2年に軽便鉄道の銚子遊覧鉄道として開通。しかし第一次世界大戦による鉄材の高騰を受けてレールを関東鉄道に売ってしまう。そして大正12年(1923年)、改めて銚子鉄道(後の銚子電鉄)を設立し開業したそうです。

ヤマサの工場脇に車両基地があります。京王帝都から伊予鉄道に払い下げられた車両、2000系(右奥の半分隠れてるベージュとピンクのヤツ)が寿命を迎え、動ける車両が同じく京王帝都から伊予鉄道経由の3000系(2枚目の写真)のみとなり危機を迎えました。しかし南海電鉄から中古車両を安く譲渡され、どうにか危機は脱しました。とは言え銚子電鉄はぬれ煎餅の収益がほとんどで鉄道は相変わらず赤字続きです。

歩いてすぐなのですが、銚子電鉄仲ノ街駅。

仲ノ町駅では車両基地見学も出来ると言う情報を耳にして再訪しましたが、現在予約制で予約は1ヶ月前から1週間前まで。当日では見学出来ないとの事でしたが、車両基地は狭く普通に小ちゃい電気機関車「デキ3」も見えました、

銚子駅のすぐ南側にはヤマサ醤油の工場が広がります。時間があれば内部も予約制で見学できるのですが、今回は街巡りが目的なのでまたの機会に。午前午後共に1時間おきなのでタイミングが合わないとなかなか難しいです。

受け付けの先のお土産屋さんと醤油ソフトクリームを売っている所までは予約無しでも入れます。こちらは日本に現存する最古のディーゼル機関車です。ドイツ製で大正15年頃に輸入され、千葉駅構内の側線で貨車の入れ替えに使用されていましたが、その後昭和 31年にヤマサ醤油に引き取られました。しかし亀裂が入り昭和39年に引退。

工場の脇には煉瓦塀が続いています。ヤマサは日本初のソースを開発したり、近年では医薬品も手掛けるとか。

工場の先には昭和53年(1978年)まで国鉄新生貨物駅がありました。工場の敷地を跨ぐように走り、ここから醤油や銚子港で水揚げされた鮮魚や缶詰などの加工食品が運ばれて行きました。現在では公園となっております。

公園の向かいには旧公正會舘。ここはヤマサ醤油株式 会社10代目当主濱口儀兵衛が中心となり、社会教育事業の経営を目的に設立した財団法人公正會によって大正15年(1926年)に建設されました。戦後は銚子市に譲渡され、銚子市公正市民館及び公正図書館として利用されています。

旧公正會舘の左手から銚子港にかけての敷地には、ヤマサ醤油の創業家である濱口家の邸宅があります。ヤマサ醤油は江戸初期の正保2年(1645年)、野田で高梨家が初めて醤油醸造を始める16年前、初代当主濱口儀兵衛が醤油発祥の地である紀州から銚子へ移住し、本場の醤油造りで創業したそうです。ちなみに同じく銚子のヒゲタ醤油はもっと古くて1616年創業。

屋敷の裏手には煉瓦塀が続いています。銚子の街は太平洋戦争末期、3度に渡る空襲を受け焼け野原となりましたが旧公正會舘は残ったそうです。なのでこの煉瓦塀も戦災を凝り抜けて来たのかも知れません。

と言う訳で改めて駅前から街並みを歩いて行きます。観光協会でレンタルサイクルも貸し出しているんですが、ちょうど出払っていました。駅前にはなかなか渋い旅館が残っています。

駅前通りはシャッター商店街の様相ですが、いい感じの建物も。

こちらも同じく油屋と言う屋号。駅前から真っ直ぐ歩けばすぐ海に出ます。

銚子港は親潮と黒潮がぶつかる地点で利根川の河口でもある事から古くから漁港として栄えて来ました。しかも現在では全国の水揚げ高1位となっているそうです。ちなみに銚子駅近くのここは利根川河口沿いの漁港で、ずっと東の外洋に面した所には銚子外港と言うのもあります。

銚子港のすぐ側に建つのが正保2年(1645年)創業の老舗旅館、大新旅館です。

ここは古くから皇族の方々をはじめ伊藤博文や島崎藤村などの著名人も宿泊されたとか。犬吠埼にホテルニュー大新と言う宿がありますが、同じところが経営されています。

旅館の入り口脇に建てられたこの「にゅーさろん」なるものが非常に気になります。コロナ禍より休業中との噂は聞いていますが、今現在再開されているのか。一度泊まってみたいです。
【続報】大新旅館及びニュー大新は2025年12月、予約客から急に連絡が取れなくなったとの問い合わせが観光協会にあり、休業していた事が明らかとなった。(千葉日報)

漁港沿いに続く街並みに一軒の銭湯が。この松の湯さんは13時から営業されているようで、入ってみたかった。

漁師町らしくスナックや居酒屋が点在しています。銚子は江戸期より紀州から出稼ぎに来ていた漁師たちが住み着くようになり、漁港としても発展して行きました。
さて次回は銚子のスナック街などを巡ります。


















































①高速バス(と言っても、草津温泉に行くバスみたく高速降りてから、かなりの距離を一般道経由だったはず)
②JR特急「しおさい」号(佐倉以東は単線で、開通も古いためあまり速く走らない)
③JR普通列車
ちなみに、可能性高い順に上から書いてみました。
子供の頃の夏、家族旅行で銚子に1泊2日で行きました。
初日は海水浴で、2日目は定期観光バスに乗りましたが、しょうゆ工場見学もコースに含まれていて事前に「ヤマサかヒゲタ」と言われてましたが、結局銚子駅の西に工場があるヒゲタ醤油になりました。
(個人的には銚子電鉄のそばの、記事にも登場するヤマサの方をひそかに期待してたのですが)
銚子電鉄は一般的サイズの電車より、小形でないと走れないそうで中古でも入れる車両が限られるとか。
昔、総武本線の電化前は夏に臨時列車で、ディーゼルカーがそのまま銚子電鉄に直通していて、キハ10系という車長20メートルだが狭幅の車が入っていました。
ところがある年、20メートル車で標準サイズのキハ20系が入ったら、どこかでホームをこすった跡があったとかで、当時の千葉鉄道管理局が激怒!直通運転は消えました。
そのような状況で、標準的な20メートル車はもちろん、18メートル車でも以前の日比谷線のようなフルサイズは入れないとかで、銚子電鉄は現在のような車両が使われているそうです。
(南海でも高野線の、橋本以遠の急カーブ区間にも入れるような小形の電車だそうです)