桜も散り始めた頃、松戸市のUR常盤平団地に行って参りました。

先月末で京成電鉄に吸収されてしまった旧新京成に松戸駅から乗って5駅、常盤平駅に降り立てば桜舞い散る並木道。

駅前にはいまだ現役のボーリング場が残っています。建物のデザインが昭和。

少し歩けば借家地帯もちらほら目にしますが、もしかしたら常盤平団地の建設に携わっていた人々が暮らしていた、なんて事もあるかも知れませんね。

都心ではなかなか見なくなったガスタンクなんて物も残っています。以前はもうひとつ有ったそうです。今までガスタンク=プロパンガスの供給源と言う思い込みが有りましたが、間違っていました。ではなぜガスタンクは減ったのかとか、都心の都市ガス供給はどのようになされているのかとか、疑問が増えました。一度、小平のガスミュージアムで勉強して来よう。て言うか、ガスミュージアムに煉瓦建築が残っているし、行かなければ。

さて、ここからが本題。常盤平団地を見て行きます。駅の北口にレンタルサイクルのハローサイクルが有ったので利用しました。

常盤平団地は東西に走る新京成の南側の丘陵地に広がっております。この辺りは西側の1街区。団地はほぼ全てベランダが南を向いています。

キッチンや浴室、玄関などは北面にまとまっています。現在のUR都市機構、旧・日本住宅公団は昭和30年(1955年)の設立時、都市部の人口増加に対応すべくまず神奈川県川崎市生田、東京都日野市、千葉市八千代台、そしてここ千葉県松戸市常盤平の開発を手掛けました。

街には少子高齢化のためかご高齢の方々の姿が目立ちます。この常盤平団地は非常に規模が大きく170棟の4〜5階建て中層公団住宅に4839戸もの住戸が入っております。

団地の中心部にあたる1街区にはスターハウスと呼ばれる三つ股の棟が多く残っています。昭和30年代前半、この広大な土地を開発するにあたり、土地を所有する約230人の農民の間で反対運動が起きたそうです。

この日本住宅公団と地元農民達との対立は激しく、社会党の支援を受けた農民たちが強制測量に対して肥料の人糞を撒いて妨害したりしたとか。それってまるで昭和40年代の新東京国際空港公団と地元住民との間で争われた成田闘争を彷彿とされますね。

こちら側がスターハウスの入り口になります。公団って要は官僚の天下り先となっていた半官半民の組織で、故にこう言った問題は当時よく起きていたのでしょうか。

このスターハウスは各地の団地で次々と姿を消しており、建設当時の姿のままこれだけ多くの棟が生き残っていること自体が稀です。斯くして逮捕者も出しながら続いた反対運動も調停案などを経て徐々に鎮静化。昭和36年(1961年)には造成が完了しました。

団地の中心にはショッピングセンターがあります。2階建てで2階部分が住戸となっております。団地の凄い所は電気ガス水道下水が完備されていると言う点。昭和30年代から40年代、地方の集落などではガスはプロパン、トイレは汲み取り式でバキュームカーが回ってました。

ショッピングセンターの中は広場になっており、集会所や管理棟などもあります。また開発地には第一小学校から第三小学校まであり、総合病院も建設されました。それゆえに人気を博し入居希望者も殺到したそうです。

しかし、そんな時代も今は昔、ショッピングセンターはご覧の通りシャッター商店街と化しています。

団地内の商店街がシャッター商店街となっているのは何もここだけの話ではなく、例えば北区の桐ヶ丘中央商店街のように全国的にも同様の話。団地に限らず分譲戸建て住宅からなるニュータウンでも同様の事が起きています。

常盤平第一小学校。第二、第三小学校、常盤平中学校含め、全ての学校が団地と同時期の昭和30年代に建てられています。しかし現在少子高齢化で生徒数は減少し、統合による廃校の危機も訪れています。かつては団地各家庭に1人以上子供がいたため相当数の生徒数がいましたが、現在では空き部屋も多く、住民も老夫婦など高齢者ばかりなので無理もありません。

こちらは南に突き出した7街区。この常盤平団地の何が凄いって、建て替えはおろか改造もされず全ての棟が建設当時の姿をそのままとどめていると言う点。これは高齢化ゆえに建て替えに対する反対運動が起きたからとか。

初期の都営住宅や県営住宅には風呂無しなんてのもあり、ベランダに無理矢理シャワールームを増設したりもしてますが、ここは最初から全戸風呂付きであります。また2000年代前半には団地住民の孤独死が相次いだことから、団地自治会等は「孤独死ゼロ作戦」と称して様々な施策に取り組んでいるそうです。

こちらは金ヶ作公園を挟んで東側に広がる4街区。ネットなどでは少子高齢化で住民が減りゴーストタウン化しているなんて囁かれていましたが、訪れてみたら全くそんな事はなく、結構人住んでますし、URの職員が常時清掃など管理されているので非常に綺麗に保たれています。ゴーストタウンって言うのは真名団地みたいのを言うんだけど。

とは言え住民が減り続けているのは事実で、現在松戸市とURが協力してこの2月「常盤平地域のまちづくりの連携及び協力に関する覚書」に調印しました。

こちらは駅前から線路沿いに東へ歩いた3街区。この辺りは外壁の塗装がちょっと落ち着いてオシャレ感も出しています。つまりこう言う事。全棟建設当時の姿のままと言うのをメリットと捉え、簡単なリフォームで昭和レトロを全面に売り出せば、きっと人気が出ると思います。この辺は今年2月に訪れた田浦の記事でも紹介しましたが、需要はきっとある。それがたとえ千葉県だったとしてもだ!ww

常盤平駅の北口から西へ進んだ所にある21世紀の森と広場と言う公園内に、松戸市立博物館があります。

ここでは松戸の歴史について学べるようになっているのですが、その辺はスルーします。

その博物館の中に完成当時の常盤平団地を再現した物があります。

ダストシュートから玄関扉から郵便受けまでリアルに再現。では入って行きます。

中に入ると昭和30年代後半の団地生活の暮らしぶりが再現されています。ここはリビング。ちゃんと昔の番組が白黒テレビに映し出されている徹底ぶり。

黒電話とかラジオとか、どこから集めて来たのか。

ここはキッチン。生活感がリアルで、本当に人が住んでいるような雰囲気。

食器棚の中にさりげなく置かれたヴィックスのど飴。時代設定が何年かとか、缶のデザインの時代考証とか、色々考えちゃいます。

引き戸を開ければハイミー。見えない所にもちゃんと昔の缶などが置かれています。松戸と言えば昭和の杜博物館が近くにありますが、もしかしたら小物関係はあそこから借りて来ているのでは。いや、絶対そうだと思う。

シンク下には天ぷら油。配置も完璧で、開ける所開ける所全部昭和の物が入ってます。このディスプレイした人はきっと変態。ww

キッチンからリビングを見た所。当然ながら冷蔵庫の中にも物が入ってました。

団地の基本は2DK。この時代から核家族化を見通していたんですね。寝室に赤ちゃんベット。サラリーマンと専業主婦と赤ちゃんの3人家族と言う設定。掃除機も古い。

部屋内から玄関に向かって右にダイニングキッチン、左にトイレ。さらに左の壁に水栓と手洗いボウル。

壁を隔てて浴室。裏面にも水栓がある事から壁の中に水道管が通っている事が分かります。便所手洗いの排水が壁を貫通して浴室のスノコの下に流れるようになっている。実に合理的。

しかし当時の浴槽がまだ木製だったのには驚きました。実家の浴槽はタイル貼りだったし、強化プラスチック(FRP)浴槽は昭和33年にTOTOか開発、ステンレス浴槽に至っては昭和46〜47年頃から量産が始まったそうです。とは言え木製浴槽にボイラーが内蔵されているのはどうかと。

まぁさすがに外壁を鉄筋コンクリートで造るまではやってないでしょうが、玉吹き塗装の質感とかは再現されてるし木枠サッシなども廃材で探して来たんでしょう。ともあれ随所にこだわりを感じられるレプリカでした。これを見るだけでも価値あるし、常盤平団地を見に行く際にはここもセットで訪れる事をお勧めします。

先月末で京成電鉄に吸収されてしまった旧新京成に松戸駅から乗って5駅、常盤平駅に降り立てば桜舞い散る並木道。

駅前にはいまだ現役のボーリング場が残っています。建物のデザインが昭和。

少し歩けば借家地帯もちらほら目にしますが、もしかしたら常盤平団地の建設に携わっていた人々が暮らしていた、なんて事もあるかも知れませんね。

都心ではなかなか見なくなったガスタンクなんて物も残っています。以前はもうひとつ有ったそうです。今までガスタンク=プロパンガスの供給源と言う思い込みが有りましたが、間違っていました。ではなぜガスタンクは減ったのかとか、都心の都市ガス供給はどのようになされているのかとか、疑問が増えました。一度、小平のガスミュージアムで勉強して来よう。て言うか、ガスミュージアムに煉瓦建築が残っているし、行かなければ。

さて、ここからが本題。常盤平団地を見て行きます。駅の北口にレンタルサイクルのハローサイクルが有ったので利用しました。

常盤平団地は東西に走る新京成の南側の丘陵地に広がっております。この辺りは西側の1街区。団地はほぼ全てベランダが南を向いています。

キッチンや浴室、玄関などは北面にまとまっています。現在のUR都市機構、旧・日本住宅公団は昭和30年(1955年)の設立時、都市部の人口増加に対応すべくまず神奈川県川崎市生田、東京都日野市、千葉市八千代台、そしてここ千葉県松戸市常盤平の開発を手掛けました。

街には少子高齢化のためかご高齢の方々の姿が目立ちます。この常盤平団地は非常に規模が大きく170棟の4〜5階建て中層公団住宅に4839戸もの住戸が入っております。

団地の中心部にあたる1街区にはスターハウスと呼ばれる三つ股の棟が多く残っています。昭和30年代前半、この広大な土地を開発するにあたり、土地を所有する約230人の農民の間で反対運動が起きたそうです。

この日本住宅公団と地元農民達との対立は激しく、社会党の支援を受けた農民たちが強制測量に対して肥料の人糞を撒いて妨害したりしたとか。それってまるで昭和40年代の新東京国際空港公団と地元住民との間で争われた成田闘争を彷彿とされますね。

こちら側がスターハウスの入り口になります。公団って要は官僚の天下り先となっていた半官半民の組織で、故にこう言った問題は当時よく起きていたのでしょうか。

このスターハウスは各地の団地で次々と姿を消しており、建設当時の姿のままこれだけ多くの棟が生き残っていること自体が稀です。斯くして逮捕者も出しながら続いた反対運動も調停案などを経て徐々に鎮静化。昭和36年(1961年)には造成が完了しました。

団地の中心にはショッピングセンターがあります。2階建てで2階部分が住戸となっております。団地の凄い所は電気ガス水道下水が完備されていると言う点。昭和30年代から40年代、地方の集落などではガスはプロパン、トイレは汲み取り式でバキュームカーが回ってました。

ショッピングセンターの中は広場になっており、集会所や管理棟などもあります。また開発地には第一小学校から第三小学校まであり、総合病院も建設されました。それゆえに人気を博し入居希望者も殺到したそうです。

しかし、そんな時代も今は昔、ショッピングセンターはご覧の通りシャッター商店街と化しています。

団地内の商店街がシャッター商店街となっているのは何もここだけの話ではなく、例えば北区の桐ヶ丘中央商店街のように全国的にも同様の話。団地に限らず分譲戸建て住宅からなるニュータウンでも同様の事が起きています。

常盤平第一小学校。第二、第三小学校、常盤平中学校含め、全ての学校が団地と同時期の昭和30年代に建てられています。しかし現在少子高齢化で生徒数は減少し、統合による廃校の危機も訪れています。かつては団地各家庭に1人以上子供がいたため相当数の生徒数がいましたが、現在では空き部屋も多く、住民も老夫婦など高齢者ばかりなので無理もありません。

こちらは南に突き出した7街区。この常盤平団地の何が凄いって、建て替えはおろか改造もされず全ての棟が建設当時の姿をそのままとどめていると言う点。これは高齢化ゆえに建て替えに対する反対運動が起きたからとか。

初期の都営住宅や県営住宅には風呂無しなんてのもあり、ベランダに無理矢理シャワールームを増設したりもしてますが、ここは最初から全戸風呂付きであります。また2000年代前半には団地住民の孤独死が相次いだことから、団地自治会等は「孤独死ゼロ作戦」と称して様々な施策に取り組んでいるそうです。

こちらは金ヶ作公園を挟んで東側に広がる4街区。ネットなどでは少子高齢化で住民が減りゴーストタウン化しているなんて囁かれていましたが、訪れてみたら全くそんな事はなく、結構人住んでますし、URの職員が常時清掃など管理されているので非常に綺麗に保たれています。ゴーストタウンって言うのは真名団地みたいのを言うんだけど。

とは言え住民が減り続けているのは事実で、現在松戸市とURが協力してこの2月「常盤平地域のまちづくりの連携及び協力に関する覚書」に調印しました。

こちらは駅前から線路沿いに東へ歩いた3街区。この辺りは外壁の塗装がちょっと落ち着いてオシャレ感も出しています。つまりこう言う事。全棟建設当時の姿のままと言うのをメリットと捉え、簡単なリフォームで昭和レトロを全面に売り出せば、きっと人気が出ると思います。この辺は今年2月に訪れた田浦の記事でも紹介しましたが、需要はきっとある。それがたとえ千葉県だったとしてもだ!ww

常盤平駅の北口から西へ進んだ所にある21世紀の森と広場と言う公園内に、松戸市立博物館があります。

ここでは松戸の歴史について学べるようになっているのですが、その辺はスルーします。

その博物館の中に完成当時の常盤平団地を再現した物があります。

ダストシュートから玄関扉から郵便受けまでリアルに再現。では入って行きます。

中に入ると昭和30年代後半の団地生活の暮らしぶりが再現されています。ここはリビング。ちゃんと昔の番組が白黒テレビに映し出されている徹底ぶり。

黒電話とかラジオとか、どこから集めて来たのか。

ここはキッチン。生活感がリアルで、本当に人が住んでいるような雰囲気。

食器棚の中にさりげなく置かれたヴィックスのど飴。時代設定が何年かとか、缶のデザインの時代考証とか、色々考えちゃいます。

引き戸を開ければハイミー。見えない所にもちゃんと昔の缶などが置かれています。松戸と言えば昭和の杜博物館が近くにありますが、もしかしたら小物関係はあそこから借りて来ているのでは。いや、絶対そうだと思う。

シンク下には天ぷら油。配置も完璧で、開ける所開ける所全部昭和の物が入ってます。このディスプレイした人はきっと変態。ww

キッチンからリビングを見た所。当然ながら冷蔵庫の中にも物が入ってました。

団地の基本は2DK。この時代から核家族化を見通していたんですね。寝室に赤ちゃんベット。サラリーマンと専業主婦と赤ちゃんの3人家族と言う設定。掃除機も古い。

部屋内から玄関に向かって右にダイニングキッチン、左にトイレ。さらに左の壁に水栓と手洗いボウル。

壁を隔てて浴室。裏面にも水栓がある事から壁の中に水道管が通っている事が分かります。便所手洗いの排水が壁を貫通して浴室のスノコの下に流れるようになっている。実に合理的。

しかし当時の浴槽がまだ木製だったのには驚きました。実家の浴槽はタイル貼りだったし、強化プラスチック(FRP)浴槽は昭和33年にTOTOか開発、ステンレス浴槽に至っては昭和46〜47年頃から量産が始まったそうです。とは言え木製浴槽にボイラーが内蔵されているのはどうかと。

まぁさすがに外壁を鉄筋コンクリートで造るまではやってないでしょうが、玉吹き塗装の質感とかは再現されてるし木枠サッシなども廃材で探して来たんでしょう。ともあれ随所にこだわりを感じられるレプリカでした。これを見るだけでも価値あるし、常盤平団地を見に行く際にはここもセットで訪れる事をお勧めします。
ガスタンクは都市ガスですね(会社は京葉ガスです)。プロパン(LP)ではないです。
あのガスタンクは以前は2つありました、今は1つ減ってから10年は経ってないと思います。40年位前は1つでした。
日本のガスのカバー割合は世帯数で都市ガス約5割、プロパン4割。国土カバー率だと都市ガス6%、プロパン100%だそうです。