千葉県木更津市(1)、潮干狩り場の電柱群
千葉県木更津市(2)、呪詛による結界、道切りのある集落
千葉県木更津市(4)、木更津駅西口界隈の街並み(前編)
千葉県木更津市(5)、木更津駅西口界隈の街並み(後編)
続きです。実は4週に渡って木更津シリーズお送りします。て事で今回はアクアラインから木更津港まで、観光案内所で借りたBianchiで走って行きます。

アクアラインの袂、金田地区の漁港まで来ました。この金田地区にも道切りの風習が残っていると聞いてましたが、それらしき物は全く確認出来ませんでした。

漁業生産基盤施設等設置事業竣工記念碑。要はアクアラインの建設に際して自然環境や漁場に対する影響などから建設反対を唱えていたけど、埋め立て地の払い下げや漁業補償交付、助成措置などの交渉が締結したよーって話。

だからなのか新築一戸建て住宅が多いような。それは気のせいか。

海苔の養殖やアサリ漁は現在でも続けられています。戦前までは千葉市以北でも江戸前の海苔が名産品でしたが、高度成長期を経て生活排水や工場排水による水質汚染、並びに埋め立てによる京葉工業地帯の発展があり絶滅してしまいました。しかし木更津(袖ヶ浦)より南は汚染も少なく、漁業が生き残っております。

自転車で海岸を南西に走るとホテル三日月が見えて来ました。ホテル三日月は明治43年(1910年)勝浦〜鴨川間に開業した房総乗合馬車、後の三日月自動車(現在の小湊鐵道)が創業家となります。そして昭和36年、勝浦と天津小湊(現・鴨川市)にホテル三日月を開業。2000年にはアクアラインの開業に併せてここ、木更津の金田海岸に竜宮城スパホテル三日月を開業しました。

コロナ禍に於いて隔離病室を提供した事でも話題になったホテル三日月。その後もテレビのロケなどで度々映し出されるようになった事もあり、木更津の三日月が大元だと思い込んでいました。しかし昭和のテレビCMでよく観ていた「ゆったりたっぷりの〜んびり」のキャッチコピーは勝浦と鴨川だったんですね。

と言うわけで、木更津の市街地まで戻って来ました。木更津港の北側は自衛隊木更津駐屯地。主にヘリコプターの基地となります。

現在、木更津港は漁港とマリーナ。あとは共栄運輸と言う、大型クレーン付きの船での山砂運搬や護岸工事における海沙の採取などをやっている会社の船が何隻も停泊しています。

多くの漁船が停泊しています。港の歴史は古く、漁港としてだけではなく中世には木更津〜鎌倉間が、江戸期には木更津〜江戸間が渡し船として整備され、明治期から鉄道が整備されるまでは木更津〜横浜〜東京間の主要交通としてその役目を担っていました。また高度成長期からは京浜京葉工業地域への鉄鉱石の輸入など、貿易港として現在も重要な港とされています。

かつてのフェリー埠頭の跡。昭和40年(1965年)に日本カーフェリーによる川崎〜木更津航路が開設。アクアライン開通の1997年まで就航していました。自分も子供の頃一度乗った事があります。ほとんど覚えてないけど。

木更津港湾ターミナル。この施設は日本カーフェリーのターミナルだったのかどうか。色々調べてみましたが分からず。ただ位置的にフェリー乗り場な雰囲気が。

ちなみに日本カーフェリーはその後川崎〜市原間や川崎〜日向(宮崎県)などを就航していましたが、1990年にシーコムへ譲渡、1992年シーコムの破綻により日本長期信用銀行が資産を買い取りマリンエキスプレスに社名変更しました。

かつてここから自動車がフェリーに乗り込んでいました。日本カーフェリーと言えば1990年代、川崎港で日向航路の高千穂丸を撮った記憶があります。宮崎ピーマンと書いてあるトラックが出て来る所を撮って、社会科資料集かなんかに掲載してもらいました。

他にも現在使われていない埠頭があります。日本カーフェリーは3隻就航していたので、この埠頭に何が停泊していたか不明。ただ近年、2017年に大型豪華客船「ぱしふぃっくびいなす」が寄港したのを機にクルーズ船を誘致しています。ただねぇ、木更津に寄ったところでねぇ……

近くにあった食堂、富士見亭に立ち寄りました。

現在、女将さんがこの焼き場で焼きそばを焼いているのみですが、かつては港の大衆食堂として賑わっていたんだろうと言う雰囲気があります。

ただこの焼きそばが、やたら美味かった。これくらいスパイシーな焼きそばがちょうどいい。

焼きそば繋がりでもう一軒。港の近くに廃業された銭湯が残っています。実はレンタルサイクルで巡る前の週、仕事帰りに散策しました。なので曇りがちな空の写真が紛れます。ここは人参湯と言って昭和7年(1932年)創業。建物は昭和27年(1952年)の建築で、2011年まで営業されていたとか。

現在はその建物をそのまま利用した焼きそば屋さんが営業されています。

このお店は以前駅東口の方で営業されていたところ、令和元年の台風被害で屋根が飛ばされてしまったそうです。その時、知り合いのツテでこの元銭湯だった建物を借りる事に。

浴室はライブ会場に利用されています。エコーが効きそう。店長は移転する以前からイベントスペースの貸し出しなどもやっていたとか。

焼きそばはかつて富津の醤油蔵で作られていたソースを復刻させたインディアンソースを使用しており美味いです。

戦後宮大工が建てたと言う貴重な銭湯建築。老朽化も激しく雨漏りなども酷く維持費が嵩むそうですが、どうか残して行ってほしいものです。
木更津シリーズ、まだまだ続きます。
千葉県木更津市(2)、呪詛による結界、道切りのある集落
千葉県木更津市(4)、木更津駅西口界隈の街並み(前編)
千葉県木更津市(5)、木更津駅西口界隈の街並み(後編)
続きです。実は4週に渡って木更津シリーズお送りします。て事で今回はアクアラインから木更津港まで、観光案内所で借りたBianchiで走って行きます。

アクアラインの袂、金田地区の漁港まで来ました。この金田地区にも道切りの風習が残っていると聞いてましたが、それらしき物は全く確認出来ませんでした。

漁業生産基盤施設等設置事業竣工記念碑。要はアクアラインの建設に際して自然環境や漁場に対する影響などから建設反対を唱えていたけど、埋め立て地の払い下げや漁業補償交付、助成措置などの交渉が締結したよーって話。

だからなのか新築一戸建て住宅が多いような。それは気のせいか。

海苔の養殖やアサリ漁は現在でも続けられています。戦前までは千葉市以北でも江戸前の海苔が名産品でしたが、高度成長期を経て生活排水や工場排水による水質汚染、並びに埋め立てによる京葉工業地帯の発展があり絶滅してしまいました。しかし木更津(袖ヶ浦)より南は汚染も少なく、漁業が生き残っております。

自転車で海岸を南西に走るとホテル三日月が見えて来ました。ホテル三日月は明治43年(1910年)勝浦〜鴨川間に開業した房総乗合馬車、後の三日月自動車(現在の小湊鐵道)が創業家となります。そして昭和36年、勝浦と天津小湊(現・鴨川市)にホテル三日月を開業。2000年にはアクアラインの開業に併せてここ、木更津の金田海岸に竜宮城スパホテル三日月を開業しました。

コロナ禍に於いて隔離病室を提供した事でも話題になったホテル三日月。その後もテレビのロケなどで度々映し出されるようになった事もあり、木更津の三日月が大元だと思い込んでいました。しかし昭和のテレビCMでよく観ていた「ゆったりたっぷりの〜んびり」のキャッチコピーは勝浦と鴨川だったんですね。

と言うわけで、木更津の市街地まで戻って来ました。木更津港の北側は自衛隊木更津駐屯地。主にヘリコプターの基地となります。

現在、木更津港は漁港とマリーナ。あとは共栄運輸と言う、大型クレーン付きの船での山砂運搬や護岸工事における海沙の採取などをやっている会社の船が何隻も停泊しています。

多くの漁船が停泊しています。港の歴史は古く、漁港としてだけではなく中世には木更津〜鎌倉間が、江戸期には木更津〜江戸間が渡し船として整備され、明治期から鉄道が整備されるまでは木更津〜横浜〜東京間の主要交通としてその役目を担っていました。また高度成長期からは京浜京葉工業地域への鉄鉱石の輸入など、貿易港として現在も重要な港とされています。

かつてのフェリー埠頭の跡。昭和40年(1965年)に日本カーフェリーによる川崎〜木更津航路が開設。アクアライン開通の1997年まで就航していました。自分も子供の頃一度乗った事があります。ほとんど覚えてないけど。

木更津港湾ターミナル。この施設は日本カーフェリーのターミナルだったのかどうか。色々調べてみましたが分からず。ただ位置的にフェリー乗り場な雰囲気が。

ちなみに日本カーフェリーはその後川崎〜市原間や川崎〜日向(宮崎県)などを就航していましたが、1990年にシーコムへ譲渡、1992年シーコムの破綻により日本長期信用銀行が資産を買い取りマリンエキスプレスに社名変更しました。

かつてここから自動車がフェリーに乗り込んでいました。日本カーフェリーと言えば1990年代、川崎港で日向航路の高千穂丸を撮った記憶があります。宮崎ピーマンと書いてあるトラックが出て来る所を撮って、社会科資料集かなんかに掲載してもらいました。

他にも現在使われていない埠頭があります。日本カーフェリーは3隻就航していたので、この埠頭に何が停泊していたか不明。ただ近年、2017年に大型豪華客船「ぱしふぃっくびいなす」が寄港したのを機にクルーズ船を誘致しています。ただねぇ、木更津に寄ったところでねぇ……

近くにあった食堂、富士見亭に立ち寄りました。

現在、女将さんがこの焼き場で焼きそばを焼いているのみですが、かつては港の大衆食堂として賑わっていたんだろうと言う雰囲気があります。

ただこの焼きそばが、やたら美味かった。これくらいスパイシーな焼きそばがちょうどいい。

焼きそば繋がりでもう一軒。港の近くに廃業された銭湯が残っています。実はレンタルサイクルで巡る前の週、仕事帰りに散策しました。なので曇りがちな空の写真が紛れます。ここは人参湯と言って昭和7年(1932年)創業。建物は昭和27年(1952年)の建築で、2011年まで営業されていたとか。

現在はその建物をそのまま利用した焼きそば屋さんが営業されています。

このお店は以前駅東口の方で営業されていたところ、令和元年の台風被害で屋根が飛ばされてしまったそうです。その時、知り合いのツテでこの元銭湯だった建物を借りる事に。

浴室はライブ会場に利用されています。エコーが効きそう。店長は移転する以前からイベントスペースの貸し出しなどもやっていたとか。

焼きそばはかつて富津の醤油蔵で作られていたソースを復刻させたインディアンソースを使用しており美味いです。

戦後宮大工が建てたと言う貴重な銭湯建築。老朽化も激しく雨漏りなども酷く維持費が嵩むそうですが、どうか残して行ってほしいものです。
木更津シリーズ、まだまだ続きます。


















































木更津駅からどう行ったか覚えてない(バスがあったか、それとも無くてタクシーに乗ったか?)ですが、このフェリー埠頭まで来たはずです。
船は、少し南にある東京湾フェリーよりも一回り小さく、JR西日本宮島フェリーあたりとあまり変わらない大きさだった気も。
埠頭に着いた時点で夕方で、フェリーは川崎まで1時間くらいかかったので途中で真っ暗になり、川崎浮島フェリーターミナルに着いたらとっととバスで川崎駅に行ってしまいました。
「このフェリーに乗った」と話すと、私より上のバブル世代の人たちは
「男女7人秋物語に出てたやつでしょ?」と、言うんですよね。
検索したら、もう川崎浮島フェリーターミナルは完全にないんですね(船が着いていた切り欠き部分まで埋めて、物流センターのトラック用スロープになってます)
https://ameblo.jp/akotirin/entry-12794430150.html
「男女7人秋物語TOP」に行って、「清州橋と隅田川周辺」に行くと、もっとドラマの流れがわかるかも?
(物語の流れは強引な気もしますが、フェリーで通勤する人自体は実際にいたようです。1時間かかるので、本読んだり居眠りするのにちょうど良かったとか)