この夏はあまりにも暑いので、たまにはブログ記事の事も考えずに冷房の効いた所でゆっくりしたい。と言う事で、いつか行こうと思いながら何年も先送りにし続けて来た大宮の鉄道博物館に行って来ました。

まず最初に迎えてくれたのはEF5851。私らの世代で言えばまさに昭和を代表する名機ですね。

高校時代、コイツの追っ掛けやってました。実家が箱根なもんで、根府川鉄橋は踊り子55号撮りによく通った。ミカン畑の中で場所取りして、ウォークマン的なポータブルカセットレコーダーでユーミンや杉山清貴なんか聴きながら、ミカンをつまみつつ何時間も待ちました。いや、ミカン泥棒だし、今の時代じゃ許されないし。いや、当時も許されなかったけど問題にまでならなかった「いい加減」さが有った。

もし埼玉住んでたら89号機追っ掛けてたでしょう。自分にとって田端機関区は遠い。

ギリ東大宮までは行きましたが。

1960年まで活躍していた「マイテ49」なんかは世代的に銀河鉄道999から入りました。NゲージでC62-2とつばめ編成揃えたりしてね。あー、山口線を走る現代のマイテに乗りたい。
すいません、もう察した方も居られるのではと思いますが、何言ってんのか分かんねって方、今回は突き放します。

ただ、マイテの内装は実際に見て感動しました。漆塗りがエグい。

これでも当時の桃山調の内装は、太平洋戦争と高度成長期によって失われてしまった技術が多すぎるため完全再現出来ていないそうです。

昭和2年(1927年)に導入された客車、オハ31の車内。昭和14年に導入されたオハ35系、いわゆる旧型客車は山陰本線などで現役時代にギリ乗れましたが、これはさすがに乗れなかった。ちなみにこの車両は昭和58年まで津軽鉄道でストーブ列車だった車両ですが、私が津軽鉄道を訪れたのは昭和63年だったのですでにオハ35系に更新(?)されており、5年遅かった。
やっぱ私は旅と言えば旧客かキハ58系か115系か50系なんですよね。思い入れと言う観点で言えば。もちろん歴史的資料としては非常に興味深いのですが、今回はそう言うスイッチが入ってなかった。

豆相人車軌道。鉄道の歴史を語るに於いて人車軌道は外せませんね。

なんでしょう、L特急に対して感動を覚えない自分が居ます。思い出として寝台車とか鈍行列車とか地方ローカル私鉄には思い入れが有るのですが、この辺は趣味の問題と言うより乗ってなかったから。基本青春18きっぷ利用してたし。

鶯谷駅のホームで撮った写真は昭和60年。何気に殆どの特急は見るばっかりで乗った事がありません。特急と言えば上越新幹線開通後、社会人になってから185系の特急「水上」に新潟のスキー帰りで乗ったり、185系の特急「踊り子」で熱海に行ったり。なので181系や183系、485系などにはほとんど乗っていないのです。

それよりも何よりも20系寝台が1番好きでした。寝台急行「銀河」と「新星」でしか乗った事無いですがね。寝台特急は貧乏だから乗らない!そのお陰で急行「妙高」で10系寝台も乗れましたが。

個人的にここに食い付きました。行商人のためのベンチて!
今では恐らく絶滅してしまったのでしょう。昔は千葉から来られて秋葉原で京浜東北線や山手線に乗り換える行商の方とか見かけましたがこのベンチ、つい最近まで土浦駅に有ったと言う事に衝撃を覚えました。こう言う物を展示保存すると言う、この時点で鉄道博物館スゲーと思ったし、来て良かったと思ってしまった。ツボがピンポイント過ぎてごめんなさい。

0系新幹線の車内。青梅鉄道公園では車内に入れなかったんですよね。ただ、0系新幹線は一回しか乗ってない。

いや、小田原駅で撮ってるから、2回ぐらいは乗ったのかも知れない。記憶が曖昧です。

戦前の国鉄のキハ04系気動車はATS搭載の対象外とされたため、国鉄線上にATSが完備された昭和41年(1966年)をもって営業運転を終了したそうです。私の時代的に辛うじて走っていたのは、払い下げ先である岡山の同和鉱業や関東鉄道常総線などでしたが、実際に乗れなかったのが悔やまれます。キハ20、35、40、58世代なもんで。
ちなみにこのキハ04は筑波鉄道で活躍した後、つくば市のさくら交通公園 でD51の隣に静態保存されていた車両だそうです。

日本食堂のカレーが超美味かったけど写真撮って無いと言う。ブログ記事の事なんて微塵も考えてなかった。

屋根の上の冷房設備がピカピカなのが鉄道模型っぽくて、なんかリアリティーを感じられなくて萎える。模型的にはヴェザリングでしたっけ。これ言っちゃ身も蓋も無いのですが、国鉄車両は走って乗ってナンボだと思いました。音や景色、シチュエーションありきと言う。
なんでしょう、期待値が高過ぎて、だけど行ってみたら意外と冷静でした。今まで敢えて行かずに東武とかメトロとか東急とか小田急とか青梅とか「以外」の鉄道博物館に行き過ぎたからでしょうかね。
※上野の立ち飲みで酔っ払いながら書きました。

まず最初に迎えてくれたのはEF5851。私らの世代で言えばまさに昭和を代表する名機ですね。

高校時代、コイツの追っ掛けやってました。実家が箱根なもんで、根府川鉄橋は踊り子55号撮りによく通った。ミカン畑の中で場所取りして、ウォークマン的なポータブルカセットレコーダーでユーミンや杉山清貴なんか聴きながら、ミカンをつまみつつ何時間も待ちました。いや、ミカン泥棒だし、今の時代じゃ許されないし。いや、当時も許されなかったけど問題にまでならなかった「いい加減」さが有った。

もし埼玉住んでたら89号機追っ掛けてたでしょう。自分にとって田端機関区は遠い。

ギリ東大宮までは行きましたが。

1960年まで活躍していた「マイテ49」なんかは世代的に銀河鉄道999から入りました。NゲージでC62-2とつばめ編成揃えたりしてね。あー、山口線を走る現代のマイテに乗りたい。
すいません、もう察した方も居られるのではと思いますが、何言ってんのか分かんねって方、今回は突き放します。

ただ、マイテの内装は実際に見て感動しました。漆塗りがエグい。

これでも当時の桃山調の内装は、太平洋戦争と高度成長期によって失われてしまった技術が多すぎるため完全再現出来ていないそうです。

昭和2年(1927年)に導入された客車、オハ31の車内。昭和14年に導入されたオハ35系、いわゆる旧型客車は山陰本線などで現役時代にギリ乗れましたが、これはさすがに乗れなかった。ちなみにこの車両は昭和58年まで津軽鉄道でストーブ列車だった車両ですが、私が津軽鉄道を訪れたのは昭和63年だったのですでにオハ35系に更新(?)されており、5年遅かった。
やっぱ私は旅と言えば旧客かキハ58系か115系か50系なんですよね。思い入れと言う観点で言えば。もちろん歴史的資料としては非常に興味深いのですが、今回はそう言うスイッチが入ってなかった。

豆相人車軌道。鉄道の歴史を語るに於いて人車軌道は外せませんね。

なんでしょう、L特急に対して感動を覚えない自分が居ます。思い出として寝台車とか鈍行列車とか地方ローカル私鉄には思い入れが有るのですが、この辺は趣味の問題と言うより乗ってなかったから。基本青春18きっぷ利用してたし。

鶯谷駅のホームで撮った写真は昭和60年。何気に殆どの特急は見るばっかりで乗った事がありません。特急と言えば上越新幹線開通後、社会人になってから185系の特急「水上」に新潟のスキー帰りで乗ったり、185系の特急「踊り子」で熱海に行ったり。なので181系や183系、485系などにはほとんど乗っていないのです。

それよりも何よりも20系寝台が1番好きでした。寝台急行「銀河」と「新星」でしか乗った事無いですがね。寝台特急は貧乏だから乗らない!そのお陰で急行「妙高」で10系寝台も乗れましたが。

個人的にここに食い付きました。行商人のためのベンチて!
今では恐らく絶滅してしまったのでしょう。昔は千葉から来られて秋葉原で京浜東北線や山手線に乗り換える行商の方とか見かけましたがこのベンチ、つい最近まで土浦駅に有ったと言う事に衝撃を覚えました。こう言う物を展示保存すると言う、この時点で鉄道博物館スゲーと思ったし、来て良かったと思ってしまった。ツボがピンポイント過ぎてごめんなさい。

0系新幹線の車内。青梅鉄道公園では車内に入れなかったんですよね。ただ、0系新幹線は一回しか乗ってない。

いや、小田原駅で撮ってるから、2回ぐらいは乗ったのかも知れない。記憶が曖昧です。

戦前の国鉄のキハ04系気動車はATS搭載の対象外とされたため、国鉄線上にATSが完備された昭和41年(1966年)をもって営業運転を終了したそうです。私の時代的に辛うじて走っていたのは、払い下げ先である岡山の同和鉱業や関東鉄道常総線などでしたが、実際に乗れなかったのが悔やまれます。キハ20、35、40、58世代なもんで。
ちなみにこのキハ04は筑波鉄道で活躍した後、つくば市のさくら交通公園 でD51の隣に静態保存されていた車両だそうです。

日本食堂のカレーが超美味かったけど写真撮って無いと言う。ブログ記事の事なんて微塵も考えてなかった。

屋根の上の冷房設備がピカピカなのが鉄道模型っぽくて、なんかリアリティーを感じられなくて萎える。模型的にはヴェザリングでしたっけ。これ言っちゃ身も蓋も無いのですが、国鉄車両は走って乗ってナンボだと思いました。音や景色、シチュエーションありきと言う。
なんでしょう、期待値が高過ぎて、だけど行ってみたら意外と冷静でした。今まで敢えて行かずに東武とかメトロとか東急とか小田急とか青梅とか「以外」の鉄道博物館に行き過ぎたからでしょうかね。
※上野の立ち飲みで酔っ払いながら書きました。


















































東京寄り(列車後方の橋が始まる地点)の右脇にも、立って撮影できるスペースがあり、朝に東京行ブルートレインが次々来る時間帯には賑わってましたね。確か駅を出て左に行って、路地に入って最後は獣道で鉄橋下をくぐって行ったような。
地形的に風の通り道になっていて、強風ですぐに運転規制がかかることからJR化後数年して防風柵が設けられてしまいましたが、正直残念でしたね。
>自分にとって宮原機関区は遠い。
小田原からだと遠いですね。というか関東からだと。
宮原区、機関車だと漢字の区名札ですが、客車などの略記は「大ミハ」 つまり大阪鉄道管理局管内。
山陽新幹線が新大阪駅を出てすぐ、左側高架下に広がるヤード状の場所がそうでした。
じつは記事の流れから、「宮原機関区って、高崎線宮原駅の近くにあるわけじゃないですよ」とツッコミ入れようと思って色々調べてたら、宮原機関区はEF58配置区では西の名門であることを知り、「ゴハチ追っかけも、さすがに西の方までは手がまわらなかった」という意味だったようですね(違うかな?)
ちなみに、EF5889の配属は田端機関区でした。
田端区も宮原区もかろうじて面影が残っているのに対し、61号機が配置されていた名門の東京機関区と、隣接する品川客車区・田町電車区は高輪ゲートウェイ駅の建設と周辺再開発で、跡形もなく消えてしまったのが皮肉ですね。高ゲー駅のホームから見える留置線にサンライズエクスプレスが昼間いることが、最後の意地のように見えます。