※2024年3月末訪問。
昭和な街並み系や赤線地帯系のブログなどを巡っているとよく見かけるのが富士吉田市の月江寺。それだけそっち界隈では有名であり紹介され尽くされている感がある故に行くのは永らく後回し、と言う扱いでした。
とは言えいずれ訪れたいと思っていたし、今のところこれと言ったネタもないので富士急行線の富士山駅(旧・富士吉田駅)の一つ手前、月江寺に降り立ちました。

JR中央線大月駅で富士急に乗り換えたのですが、その大月駅が外国人観光客で溢れかえっていてパニック。電車の乗り方分かってない外国人観光客が自動改札の前で溜まっているわ切符売り場は長蛇の列、交通系ICでどうにか自動改札を抜ければ3両編成の各駅停車は都心のラッシュ並みにスシ詰め状態。全く捌き切れていません。並行してバスでも走らせればいいのに。

駅前から市街地へ続く月江寺駅前名店街。営業中の店舗は少ないものの建物を解体して駐車場だらけになると言うような歯抜け状態までにはなっておりません。ちなみに昔は165系の急行列車が富士急に乗り入れていましたが、現在では特急列車「富士回遊」なんてのが乗り入れ。そればかりか東京駅から中央特快河口湖行きなんて列車が結構な本数であります。大月行きも普通にあるし、通勤しようと思えば出来るのかも。(自分は絶対したくないけど)

富士吉田市は河口湖の東、忍野八海など富士山の伏流水による桂川の源流が集まる街であります。桂川はここから大月を経て相模湖、津久井湖を形成し相模川となって相模湾へと注がれて行きます。写真は桂川水系の宮川。

川沿いにはバラックが付きもの、と言うと語弊がありますが、河川氾濫時のリスクが最も高いので結果的に。

宮川の東、駅側のリバーサイド通りにはスナック長屋などがちらほら。平屋建てに見えて裏手崖下に地下一階があります。

まぁ、廃墟でしょうね。富士吉田は古くから富士信仰の拠点として栄え、特に江戸時代に成立した民衆信仰である富士講によって多くの人が訪れるようになります。

小さく「旅館夕月」の屋号が見受けられますが、恐らくは廃業した元ビジネス旅館ではないかと。都心から富士吉田までは明治35年中央本線の大月駅が開業し、時を同じくして馬車鉄道が富士吉田まで敷設されました。後の大正10年(1921年)富士電気軌道が開業して現在の富士急へと至り、それにより富士登山の登山口としても街は発展し続けて来ました。

市街地には多くの昭和な建築物が。かつてこの右手に一間間口の小さなバラック飲み屋「はつ江」が有ったようですがすでに解体済みでした。ネットで見つけても油断してたらすぐ消えてしまいます。

商店街の中心には衣料百貨の「まるさくたなべ」があります。次回の記事で触れますが富士吉田は織物産業の街としても有名で、この「たなべ」も衣類の問屋が前身なのでしょうか。

さて、高度成長期以降、富士スバルラインや中央自動車道富士吉田線の開通により、モータリーゼーションの発展と共に訪れる人も増加して行きます。しかし、富士五湖などリゾート地の玄関口である富士吉田でありますが、富士急ハイランドに行く人が市内を訪れる事もなく、織物産業の衰退も相まって駅周辺の市街地は寂れて行きます。

ところが近年、富士山が世界遺産となった事などから外国人観光客が増加。富士吉田の市街地にも外国人観光客が溢れるようになりました。

お昼になったので路地裏の大衆食堂「三益」さんでランチ。街歩き的にはマニアックな部類に入るような地元密着型な物件ですが、こんな所にも外国人観光客の群れが。

店に入って見れば全席御座敷でコタツ完備。激渋なんですが基本富士吉田市は外国人観光客に対する受け入れ態勢が全く追い付いておらず、大衆食堂を営むお婆ちゃんがカタコトの英語で必死に対応していました。とは言え2024年4月には本町通りに外国人観光客向けの観光案内所を設置し、市内の見所やグルメスポットなどを紹介出来るようにするとか。

カツ丼を頼んだらサービスで吉田うどんが付いて来ました。トンカツの肉の量だけでもボリューミーなのに、結局織物工場の労働者達の腹を満たすと言う前提からボリューミーがマストなんでしょう。中国系だけでなく、胡座や正座が出来ない欧米系外国人観光客も多く居ましたが、これを機に畳にコタツと言う日本文化を堪能して下さい。ちなみに私は吉田うどんを初めて食べましたが、竹輪麩のような食感でした。私は好きですが苦手な人も居るかも。

外国人観光客たちの目的はこの映えスポット、富士吉田レトロ商店街こと本町通り。富士山へ向かう商店街の風景はSNSで広まり、自動車が来ない隙を狙って道路の真ん中でポーズを取る外国人観光客たち。一般道なのでくれぐれも自動車に迷惑を掛けないようにして頂きたいところです。富士吉田市の公式観光ガイドでも紹介されていますが、実際歩道から撮るには一番奥の通りがちょっと曲がった所から超望遠レンズで狙わなければなりません。

市街地には観光客の増加に対してオシャレカフェなんかも増えたようですが、私は中心街から外れた手付かずの昭和感を求めて行きます。

こちらは大正末期に建てられた高級料亭で戦時中に廃業したとか。後に診療所として使われていましたがそれも移転。民家としても使われましたが、現在人は住んでおらず保存されているそうです。

カーブや坂道は山あいの田舎町を感じさせ、木造建築がよく似合います。ちなみに市街地北側の山には新倉山浅間公園と言うのがありまして、所謂かの有名な富士山と桜と五重の塔(新築)と言う外国人大好きジャパニーズスポットが有ります。もう観光コースとして確立しつつありますが、後はいかに富士吉田市が頑張ってドル箱観光地に変えてゆくか。

ただ、刻々と解体されてゆく建物も多くあります。こればっかりは仕方のない事ですけどね。

宮川の下流の方で、気になる煙突を見つけました。

湯気を抜く二重屋根と建物奥の煙突。かつては銭湯だった事が伺えます。廃業されてだいぶ経っている様子。
さて、次回は後半戦。富士吉田の青線地帯の跡と路地裏のスナック街にスポットを当てます。
昭和な街並み系や赤線地帯系のブログなどを巡っているとよく見かけるのが富士吉田市の月江寺。それだけそっち界隈では有名であり紹介され尽くされている感がある故に行くのは永らく後回し、と言う扱いでした。
とは言えいずれ訪れたいと思っていたし、今のところこれと言ったネタもないので富士急行線の富士山駅(旧・富士吉田駅)の一つ手前、月江寺に降り立ちました。

JR中央線大月駅で富士急に乗り換えたのですが、その大月駅が外国人観光客で溢れかえっていてパニック。電車の乗り方分かってない外国人観光客が自動改札の前で溜まっているわ切符売り場は長蛇の列、交通系ICでどうにか自動改札を抜ければ3両編成の各駅停車は都心のラッシュ並みにスシ詰め状態。全く捌き切れていません。並行してバスでも走らせればいいのに。

駅前から市街地へ続く月江寺駅前名店街。営業中の店舗は少ないものの建物を解体して駐車場だらけになると言うような歯抜け状態までにはなっておりません。ちなみに昔は165系の急行列車が富士急に乗り入れていましたが、現在では特急列車「富士回遊」なんてのが乗り入れ。そればかりか東京駅から中央特快河口湖行きなんて列車が結構な本数であります。大月行きも普通にあるし、通勤しようと思えば出来るのかも。(自分は絶対したくないけど)

富士吉田市は河口湖の東、忍野八海など富士山の伏流水による桂川の源流が集まる街であります。桂川はここから大月を経て相模湖、津久井湖を形成し相模川となって相模湾へと注がれて行きます。写真は桂川水系の宮川。

川沿いにはバラックが付きもの、と言うと語弊がありますが、河川氾濫時のリスクが最も高いので結果的に。

宮川の東、駅側のリバーサイド通りにはスナック長屋などがちらほら。平屋建てに見えて裏手崖下に地下一階があります。

まぁ、廃墟でしょうね。富士吉田は古くから富士信仰の拠点として栄え、特に江戸時代に成立した民衆信仰である富士講によって多くの人が訪れるようになります。

小さく「旅館夕月」の屋号が見受けられますが、恐らくは廃業した元ビジネス旅館ではないかと。都心から富士吉田までは明治35年中央本線の大月駅が開業し、時を同じくして馬車鉄道が富士吉田まで敷設されました。後の大正10年(1921年)富士電気軌道が開業して現在の富士急へと至り、それにより富士登山の登山口としても街は発展し続けて来ました。

市街地には多くの昭和な建築物が。かつてこの右手に一間間口の小さなバラック飲み屋「はつ江」が有ったようですがすでに解体済みでした。ネットで見つけても油断してたらすぐ消えてしまいます。

商店街の中心には衣料百貨の「まるさくたなべ」があります。次回の記事で触れますが富士吉田は織物産業の街としても有名で、この「たなべ」も衣類の問屋が前身なのでしょうか。

さて、高度成長期以降、富士スバルラインや中央自動車道富士吉田線の開通により、モータリーゼーションの発展と共に訪れる人も増加して行きます。しかし、富士五湖などリゾート地の玄関口である富士吉田でありますが、富士急ハイランドに行く人が市内を訪れる事もなく、織物産業の衰退も相まって駅周辺の市街地は寂れて行きます。

ところが近年、富士山が世界遺産となった事などから外国人観光客が増加。富士吉田の市街地にも外国人観光客が溢れるようになりました。

お昼になったので路地裏の大衆食堂「三益」さんでランチ。街歩き的にはマニアックな部類に入るような地元密着型な物件ですが、こんな所にも外国人観光客の群れが。

店に入って見れば全席御座敷でコタツ完備。激渋なんですが基本富士吉田市は外国人観光客に対する受け入れ態勢が全く追い付いておらず、大衆食堂を営むお婆ちゃんがカタコトの英語で必死に対応していました。とは言え2024年4月には本町通りに外国人観光客向けの観光案内所を設置し、市内の見所やグルメスポットなどを紹介出来るようにするとか。

カツ丼を頼んだらサービスで吉田うどんが付いて来ました。トンカツの肉の量だけでもボリューミーなのに、結局織物工場の労働者達の腹を満たすと言う前提からボリューミーがマストなんでしょう。中国系だけでなく、胡座や正座が出来ない欧米系外国人観光客も多く居ましたが、これを機に畳にコタツと言う日本文化を堪能して下さい。ちなみに私は吉田うどんを初めて食べましたが、竹輪麩のような食感でした。私は好きですが苦手な人も居るかも。

外国人観光客たちの目的はこの映えスポット、富士吉田レトロ商店街こと本町通り。富士山へ向かう商店街の風景はSNSで広まり、自動車が来ない隙を狙って道路の真ん中でポーズを取る外国人観光客たち。一般道なのでくれぐれも自動車に迷惑を掛けないようにして頂きたいところです。富士吉田市の公式観光ガイドでも紹介されていますが、実際歩道から撮るには一番奥の通りがちょっと曲がった所から超望遠レンズで狙わなければなりません。

市街地には観光客の増加に対してオシャレカフェなんかも増えたようですが、私は中心街から外れた手付かずの昭和感を求めて行きます。

こちらは大正末期に建てられた高級料亭で戦時中に廃業したとか。後に診療所として使われていましたがそれも移転。民家としても使われましたが、現在人は住んでおらず保存されているそうです。

カーブや坂道は山あいの田舎町を感じさせ、木造建築がよく似合います。ちなみに市街地北側の山には新倉山浅間公園と言うのがありまして、所謂かの有名な富士山と桜と五重の塔(新築)と言う外国人大好きジャパニーズスポットが有ります。もう観光コースとして確立しつつありますが、後はいかに富士吉田市が頑張ってドル箱観光地に変えてゆくか。

ただ、刻々と解体されてゆく建物も多くあります。こればっかりは仕方のない事ですけどね。

宮川の下流の方で、気になる煙突を見つけました。

湯気を抜く二重屋根と建物奥の煙突。かつては銭湯だった事が伺えます。廃業されてだいぶ経っている様子。
さて、次回は後半戦。富士吉田の青線地帯の跡と路地裏のスナック街にスポットを当てます。


















































大月から乗って、行きは下吉田で下車。神社などを見ながら富士吉田駅(当時)まで歩きましたが、当時は廃墟はそんなに関心なかったため記憶ないですね(下吉田駅の裏山が、新倉浅間公園のようで)
なお帰りに河口湖駅から乗ったフジサン特急は、まだパノラマアルプスの改造車でした。
過去のコメントに登場した、鉄道の仕事を探してた水神様?がハローワークで富士急(当時)の募集を見つけたそうですが、契約社員で給料安いのに日本語以外に最低1つ外国語必須とあり、「スキル>報酬の時点でブラックだなぁ」と思ったそうです(苦笑)
インバウンドも、また第二の新型コロナでもあれば一瞬にして消えるだろうから、自治体あたりはそれで積極策に出ない気も。そもそも、インバウンドのために日本人がこれだけ不便を強いられている状態は異常事態で、それは端的に言えば日本国政府が無策だからでしょう。
岸田総理は悪政を通り越して愚政(愚かな政策)レベルで、少子化対策のバラマキも「子持ち様」という造語を生んで、国民の分断を進めている現実。
良心ある日本人は「岸田ペナルティ」として、今後30年は広島出身議員は総理になれない制度でも制定しろよ!と思ってますね。以前和歌山で、襲われそうになったところを地元漁師がかばいましたが、今思うと「和歌山のクソ漁師、余計なことしやがって!」と、思ってしまいます。