2020年10月、素掘り隧道群を撮りに行った際に偶然ゴーストタウン化している国府関団地を見つけたのですが、実はそのさらに奥、西側にもっと巨大でゴーストタウン化している真名団地があったと言う事を知りました。

今回は以前からちょいちょいチェックしているブログ埼玉発おとなの小探検様の記事を読み、こりゃ即座に行かねばなるまいと思いニ年半ぶりの茂原市。茂原駅からバスに乗り原田バス停で下車。団地の入り口には魚屋さんと思われる唯一の商店の跡があります。

折しも線状降水帯による豪雨の中。午後には雨が止むとの予報で無理矢理敢行しました。

団地は県道から北へ向かってメインストリート。県道に近い側は東側を中心に平屋建て長屋造りとなっております。

ちなみに今回、団地があまりにも巨大なので写真の枚数がかなり多くなってしまい、選びきれないので掲載する点数も多くなります。

平屋建て長屋は北に向かって玄関があります。一棟につき4〜5軒、玄関と勝手口がそれぞれにあります。このスタイルは最近様々な場所で見て来た、昭和40年代の平屋建て集合住宅の造り。

南面には縁側と庭。居間と寝室が庭に面したバストイレ付き2DKと言った間取り。

国道から奥、つまり北へ進むと、二階建てばかりになって来ます。右手、つまり東側に丘陵。

左手、つまり西側は斜面の下に水田地帯。棟と棟の間は鬱蒼と草生しております。

この市営真名団地は主に2階建ての棟を中心とし、平屋建ても含めておよそ60棟、全299戸からなる巨大な市営住宅です。

ちなみに2021年5月の時点で入居者は23戸。現在「茂原市営住宅あり方検討委員会」により、新規入居者は募集せずにこのまま廃止すると言う方針が決定しています。

団地の中央には公園もありますが、遊具は雑草に埋もれております。もはや子供が居ないのでしょう。

造成されたのは昭和45(1970)年~昭和50(1975)年。以前訪れた国府関団地が完成してから5年後になります。

ただこの真名団地は敷地面積が広大で、借地が約6割を占めるそうです。恐らくですが茂原市が農地を持っていた地主に借地料を払い続けているのでしょう。

茂原市的には早く解体したい気持ちも有るのかも知れませんが、立ち退きに対する補償金を出す程財政事情は良くないでしょうし、やんわり退去をお願いする程度かも知れません。しかし高齢者にとって今更引っ越すにも資金や体力がありませんし。

例えばこれが都心の再開発であれば、都や区に対してゴネてもせいぜい2〜3年先送りになる程度。資金面に於いても全然事情が変わって来ます。特にオリンピック前の再開発なんかは苛烈でした。

さらに実際解体工事を行う場合、莫大な費用がかかるなど様々な課題があるため、どのような方針で用途廃止を行うべきか茂原市営住宅あり方検討委員会が文字通り検討を重ねているそうです。

いずれにしても現在住まわれている住民が引っ越すか亡くなられるかしないと、解体工事は始まりませんし、跡地の活用に良い案もありません。工業団地にしたって企業誘致や環境への配慮などの問題が立ち塞がります。

ここで例えば、とある企業が広大な敷地を使って老人ホームを建てるなんて計画が持ち上がれば、渡りに船なんでしょうけれどもね。

国道に近い平屋建ての棟では明らかに住まわれているお宅をポツポツ目にしましたが、奥に進めば進むほど人の気配が無くなって来ます。

ほぼ最奥部に近い所に電話ボックスがあります。明かりがついてるので現役だと分かりますが、ここ夜中に来たらどうなってるんだろう。奥の方は街灯消えてるのかな。だとしたら、そんな中電話ボックスだけが明かりを灯していると言う状況に。

なんか似たような写真ばかりになってますが、全て違う棟だったりします。

それにしても茂原駅からバスで14分かかる田園地帯だけに地価も安かろうにと思うのですが、なぜわざわざ二階建てにしたのか。そんなに入居希望者が多かったのか。

とは言え昭和40年代の団地と言えば、首都圏ではすでに5階建て鉄筋コンクリート造が普通でしたから、それに比べればね。

最奥部に行くと少々造りが変わって来ます。

一階部分を広く取り、二階部分は一部屋のみと言った感じでしょうか、それでも長屋形式になっています。

ちなみに茂原市は2021年、八幡原、長谷、上茂原、上茂原西、新町保、東茂原の6カ所の市営住宅を、長寿命化計画によって改修工事などをする方針に決めたそうです。

対して299戸中23戸しか住民の居ないここ真名団地と、149戸中53戸のみ残っておられる八丁寺団地の2箇所に関しては、老朽化と言う理由も含めて廃止の方針が決定しています。

以前訪れた国府関団地は、すでに住民がゼロとなって廃止されたと思われます。ちなみにこの後、国府関団地の現状と八丁寺団地を見に行きます。

いよいよ記事として書く事が無くなって来ました。

と思ったら北東側最奥部に4階建の団地建築がポツンと一棟だけ姿を現しました。すでに無人ですが追加で一棟建てたと言う事でしょうか。

北端の先は水田地帯となっております。

団地の東側を国道に向かって戻ります。この辺りは車が入れないようにされており、廃道扱いとなっているようです。と、ここでまたキジを発見!写真は撮れませんでしたが、今回はメスでした。最近よくキジと遭遇します。

299戸と言うと、2DKに核家族と考えて単純計算で1000人前後が住んでいた事になります。祖父母は実家に住んでおり、上京して結婚し、ここに移り住んでから子供が一人か二人。

しかし時代とともに老朽化問題も起き、それ以上に少子高齢化や過疎化によっても人々が消えて行ったんだと思われます。

最近ニュータウンなど訪れてもこのような問題が見えて来ましたが、バスを含めて都心まで2時間弱、千葉までも1時間近くは掛かりますので、子供の世代になりもっと都心へと引っ越して行ったのでしょうか。

茂原市に雇用があるとしたら以前訪れた茂原海軍航空基地跡に建てられた三井化学の工場とか。市営住宅と言う事は低所得者層であった事も想像出来ます。

そして、ある程度稼いだら住宅ローンで一戸建てを買うと言うのも自然な流れなのかも知れません。

つまり団地と言うものは長い人生に於いて仮住まいと言う考え方もありますね。そして日本経済の発展と共に低所得者層が減って行ったと言う事も、新規入居者の減少に繋がっているのかも知れません。

もちろん様々な要因が有ったのでしょうが、地方の団地はその役割を終えようとしています。
(注意)
真名市営住宅にはまだ生活されておられる方々が居ます。もし訪問する場合はくれぐれも入居者のご迷惑にならぬよう注意して下さい。

今回は以前からちょいちょいチェックしているブログ埼玉発おとなの小探検様の記事を読み、こりゃ即座に行かねばなるまいと思いニ年半ぶりの茂原市。茂原駅からバスに乗り原田バス停で下車。団地の入り口には魚屋さんと思われる唯一の商店の跡があります。

折しも線状降水帯による豪雨の中。午後には雨が止むとの予報で無理矢理敢行しました。

団地は県道から北へ向かってメインストリート。県道に近い側は東側を中心に平屋建て長屋造りとなっております。

ちなみに今回、団地があまりにも巨大なので写真の枚数がかなり多くなってしまい、選びきれないので掲載する点数も多くなります。

平屋建て長屋は北に向かって玄関があります。一棟につき4〜5軒、玄関と勝手口がそれぞれにあります。このスタイルは最近様々な場所で見て来た、昭和40年代の平屋建て集合住宅の造り。

南面には縁側と庭。居間と寝室が庭に面したバストイレ付き2DKと言った間取り。

国道から奥、つまり北へ進むと、二階建てばかりになって来ます。右手、つまり東側に丘陵。

左手、つまり西側は斜面の下に水田地帯。棟と棟の間は鬱蒼と草生しております。

この市営真名団地は主に2階建ての棟を中心とし、平屋建ても含めておよそ60棟、全299戸からなる巨大な市営住宅です。

ちなみに2021年5月の時点で入居者は23戸。現在「茂原市営住宅あり方検討委員会」により、新規入居者は募集せずにこのまま廃止すると言う方針が決定しています。

団地の中央には公園もありますが、遊具は雑草に埋もれております。もはや子供が居ないのでしょう。

造成されたのは昭和45(1970)年~昭和50(1975)年。以前訪れた国府関団地が完成してから5年後になります。

ただこの真名団地は敷地面積が広大で、借地が約6割を占めるそうです。恐らくですが茂原市が農地を持っていた地主に借地料を払い続けているのでしょう。

茂原市的には早く解体したい気持ちも有るのかも知れませんが、立ち退きに対する補償金を出す程財政事情は良くないでしょうし、やんわり退去をお願いする程度かも知れません。しかし高齢者にとって今更引っ越すにも資金や体力がありませんし。

例えばこれが都心の再開発であれば、都や区に対してゴネてもせいぜい2〜3年先送りになる程度。資金面に於いても全然事情が変わって来ます。特にオリンピック前の再開発なんかは苛烈でした。

さらに実際解体工事を行う場合、莫大な費用がかかるなど様々な課題があるため、どのような方針で用途廃止を行うべきか茂原市営住宅あり方検討委員会が文字通り検討を重ねているそうです。

いずれにしても現在住まわれている住民が引っ越すか亡くなられるかしないと、解体工事は始まりませんし、跡地の活用に良い案もありません。工業団地にしたって企業誘致や環境への配慮などの問題が立ち塞がります。

ここで例えば、とある企業が広大な敷地を使って老人ホームを建てるなんて計画が持ち上がれば、渡りに船なんでしょうけれどもね。

国道に近い平屋建ての棟では明らかに住まわれているお宅をポツポツ目にしましたが、奥に進めば進むほど人の気配が無くなって来ます。

ほぼ最奥部に近い所に電話ボックスがあります。明かりがついてるので現役だと分かりますが、ここ夜中に来たらどうなってるんだろう。奥の方は街灯消えてるのかな。だとしたら、そんな中電話ボックスだけが明かりを灯していると言う状況に。

なんか似たような写真ばかりになってますが、全て違う棟だったりします。

それにしても茂原駅からバスで14分かかる田園地帯だけに地価も安かろうにと思うのですが、なぜわざわざ二階建てにしたのか。そんなに入居希望者が多かったのか。

とは言え昭和40年代の団地と言えば、首都圏ではすでに5階建て鉄筋コンクリート造が普通でしたから、それに比べればね。

最奥部に行くと少々造りが変わって来ます。

一階部分を広く取り、二階部分は一部屋のみと言った感じでしょうか、それでも長屋形式になっています。

ちなみに茂原市は2021年、八幡原、長谷、上茂原、上茂原西、新町保、東茂原の6カ所の市営住宅を、長寿命化計画によって改修工事などをする方針に決めたそうです。

対して299戸中23戸しか住民の居ないここ真名団地と、149戸中53戸のみ残っておられる八丁寺団地の2箇所に関しては、老朽化と言う理由も含めて廃止の方針が決定しています。

以前訪れた国府関団地は、すでに住民がゼロとなって廃止されたと思われます。ちなみにこの後、国府関団地の現状と八丁寺団地を見に行きます。

いよいよ記事として書く事が無くなって来ました。

と思ったら北東側最奥部に4階建の団地建築がポツンと一棟だけ姿を現しました。すでに無人ですが追加で一棟建てたと言う事でしょうか。

北端の先は水田地帯となっております。

団地の東側を国道に向かって戻ります。この辺りは車が入れないようにされており、廃道扱いとなっているようです。と、ここでまたキジを発見!写真は撮れませんでしたが、今回はメスでした。最近よくキジと遭遇します。

299戸と言うと、2DKに核家族と考えて単純計算で1000人前後が住んでいた事になります。祖父母は実家に住んでおり、上京して結婚し、ここに移り住んでから子供が一人か二人。

しかし時代とともに老朽化問題も起き、それ以上に少子高齢化や過疎化によっても人々が消えて行ったんだと思われます。

最近ニュータウンなど訪れてもこのような問題が見えて来ましたが、バスを含めて都心まで2時間弱、千葉までも1時間近くは掛かりますので、子供の世代になりもっと都心へと引っ越して行ったのでしょうか。

茂原市に雇用があるとしたら以前訪れた茂原海軍航空基地跡に建てられた三井化学の工場とか。市営住宅と言う事は低所得者層であった事も想像出来ます。

そして、ある程度稼いだら住宅ローンで一戸建てを買うと言うのも自然な流れなのかも知れません。

つまり団地と言うものは長い人生に於いて仮住まいと言う考え方もありますね。そして日本経済の発展と共に低所得者層が減って行ったと言う事も、新規入居者の減少に繋がっているのかも知れません。

もちろん様々な要因が有ったのでしょうが、地方の団地はその役割を終えようとしています。
(注意)
真名市営住宅にはまだ生活されておられる方々が居ます。もし訪問する場合はくれぐれも入居者のご迷惑にならぬよう注意して下さい。


















































唯一点灯する電話ボックスの夜が気になるとの事ですが、ぜひ月夜の夜でも行って確認してみては?
その後、長柄町まで足をのばして、これが本当の「ムーンライト長柄(ながら)」というのも…笑(もちろん冗談です。不便過ぎて帰って来られなくなりそう)
コメントする前に次の記事がupされましたが、茂原駅から乗ったバスの行き先は上総牛久では?常陸の牛久は少し前に関東に帰った時、宿代節約のため土浦に1泊した(ホテル代が東京>千葉県>茨城県のため)際、まっすぐ行くと早く着き過ぎるので途中下車して牛久シャトーを外から眺めてきました。
この時も雨で、時間調整とはいえ傘さしながらウロウロしてると、一瞬「俺って、何やっているんだろう?」と思ってしまったものです(苦笑)