佐野市は2019年4月に軽く佐野駅前の廃スナック街を散策して以来です。

今回訪れたのは佐野駅から東武佐野線で北へ二つ目、終点の葛生との中間地点に当たる吉水駅。かつては駅舎も有ったようですが、現在では交通系ICをタッチするポールがあるのみの無人駅です。

駅の東側は山肌の迫る農村地帯。いわゆる関東平野の端っこです。

西側には碁盤の目に整備された住宅街が広がっていますが、駅前には何もありません。

まずは線路沿いに北、葛生方面へ。一般的な一戸建て住宅も多い中、さっそく貸家地帯が見えて来ます。分譲住宅のほとんどが二階建てなのに対し、高度成長期に建てられたと思われる貸家地帯は平屋建てです。

こちらも貸家地帯。だいたい6棟から12棟ほどの木造平屋建てが集まり、一つの貸家地帯が形成されています。

ただこの吉水駅西側の住宅街が異質なのは、そんな貸家地帯が20箇所以上も存在する事。

似たような外壁ですが、それぞれ別の貸家グループなのです。

これらの物件は大手不動産検索サイトには出て来ません。辛うじて佐野市に本社があり北関東一帯に支店を展開する関東ハウジングのサイトで木造平屋建ての物件を散見出来る程度。

それによるとだいたい3LDKバス・トイレ別で3〜5万円台。いわゆるファミリータイプの物件。ただ築年数は表記されていません。築40年以下は表記されていますが、築年数が古すぎる場合は問い合わせなければならないのでしょうか。

とりあえず猫たちに癒されます。

恐らく野良の家族ですね。まだちっちゃいからか警戒心がゆるい。

この辺りは葛生の山々から流れるいく筋もの川が集まり、扇状地のような地形を形成しています。

周囲の山々は石灰石などが採掘される鉱山が多く、扇状地の中央付近は砂礫など水捌けの良い土地だと想像されます。なので稲作には向いておらず、早くから宅地開発が始まったのではないかと思われます。

吉水駅から西に外れながら南へ。今回はすいません、ちょっと情報不足でして、今一度郷土資料館など訪れて追加調査したいところです。いまだ佐野市の中心街は歩いてないですし。

ただ残る謎が、なぜこんなにも貸家地帯が乱立しているかと言う疑問です。ちなみにガスはプロパン。物件によっては汲み取り式便所も現存しています。

都心部と違い地方における昭和30〜40年代の市営住宅は、例えば以前訪れた千葉の国府関団地のような木造平屋建てのタイプも多く存在しました。しかし佐野市の市営住宅はここよりさらに北の、新吉水町に平屋建て市営住宅が存在するのみ。

あとは社宅と言う可能性。もしそうだとしても近隣に工業地帯があるわけでもなく、だとすると北に位置する葛生の鉱山地帯で働く人々の社宅である可能性です。この物件などはトイレから換気筒が伸びており、もしかしたら汲み取り式のままかも知れません。

葛生には明治6年(1873)、吉澤石灰工業が石灰の採掘を始め、後にドロマイト鉱も採掘されるようになり、戦後の昭和26年(1951)には日鉄鉱業羽鶴事業所も開設されています。

しかし葛生の鉱山までは北に10キロ弱。明治22年すでに東武佐野線の前身である馬車鉄道も開通していましたが、高度成長期と言え鉱山住宅をこんな離れた場所に建てるとも考えにくい。そもそも葛生の石灰産業は後の奥多摩や秩父に押されて衰退しています。

この辺りは他に目立った産業も無く、北関東でよく見られる毛織物産業も特に発展しなかったようです。

これらの貸家は間取りから言って高度成長期以降の核家族向けと思われます。周囲に多く建つ二階建て住宅と明らかに家族構成が違います。

つまりこれらの貸家にはさらに地方から移住して来た人々が暮らしていたのではと想像出来ます。

では彼らは何を生業としていたのか。もちろん都心までは通えませんし、佐野市にそんな雇用があるとも考えにくい。

と、ダラダラと検証と想像を巡らせて来ましたが、もう貸家地帯の撮影も飽きて来た。

これまで掲載して来た写真は全て別の建物群です。今回巡った所だけでも18箇所あります。

解体されて一軒しか残っていない場所はパスして来たので、本当にこの街は貸家だらけなのです。

一通り回ったところで佐野ラーメン。葛生から佐野市内に抜ける東産業道路沿いの匠屋さんに入りました。

佐野ラーメンって普通の醤油ラーメンだしな、と、たかを括っていたら、これがまた美味い!

ラーメン屋さんの向かいには道の駅があり、その裏手に温泉スタンドなる物があります。

源泉名は田沼温泉。無料ですが一人一回400リットルまで。一般的な浴槽で約200リットルなので充分ですね。

温泉と言っても源泉温度25度の弱アルカリ性単純温泉。浴槽に入れて追い焚きするわけですね。

道の駅「どまんなかたぬま」には足湯が併設されています。田沼温泉は温泉スタンドとこの足湯しかありません。少し南に行った所に日帰り入浴施設「やすらぎの湯」もありますが、そこは栃木県那珂川町からタンクローリーで運んで来た温泉を使っています。

足湯で疲れを癒します。消毒の塩素臭がキツいですがお湯は多少のヌメリ感もあり、浴後は足の裏が多少ピリピリするくらい、なかなかの力強さを感じました。

今回訪れたのは佐野駅から東武佐野線で北へ二つ目、終点の葛生との中間地点に当たる吉水駅。かつては駅舎も有ったようですが、現在では交通系ICをタッチするポールがあるのみの無人駅です。

駅の東側は山肌の迫る農村地帯。いわゆる関東平野の端っこです。

西側には碁盤の目に整備された住宅街が広がっていますが、駅前には何もありません。

まずは線路沿いに北、葛生方面へ。一般的な一戸建て住宅も多い中、さっそく貸家地帯が見えて来ます。分譲住宅のほとんどが二階建てなのに対し、高度成長期に建てられたと思われる貸家地帯は平屋建てです。

こちらも貸家地帯。だいたい6棟から12棟ほどの木造平屋建てが集まり、一つの貸家地帯が形成されています。

ただこの吉水駅西側の住宅街が異質なのは、そんな貸家地帯が20箇所以上も存在する事。

似たような外壁ですが、それぞれ別の貸家グループなのです。

これらの物件は大手不動産検索サイトには出て来ません。辛うじて佐野市に本社があり北関東一帯に支店を展開する関東ハウジングのサイトで木造平屋建ての物件を散見出来る程度。

それによるとだいたい3LDKバス・トイレ別で3〜5万円台。いわゆるファミリータイプの物件。ただ築年数は表記されていません。築40年以下は表記されていますが、築年数が古すぎる場合は問い合わせなければならないのでしょうか。

とりあえず猫たちに癒されます。

恐らく野良の家族ですね。まだちっちゃいからか警戒心がゆるい。

この辺りは葛生の山々から流れるいく筋もの川が集まり、扇状地のような地形を形成しています。

周囲の山々は石灰石などが採掘される鉱山が多く、扇状地の中央付近は砂礫など水捌けの良い土地だと想像されます。なので稲作には向いておらず、早くから宅地開発が始まったのではないかと思われます。

吉水駅から西に外れながら南へ。今回はすいません、ちょっと情報不足でして、今一度郷土資料館など訪れて追加調査したいところです。いまだ佐野市の中心街は歩いてないですし。

ただ残る謎が、なぜこんなにも貸家地帯が乱立しているかと言う疑問です。ちなみにガスはプロパン。物件によっては汲み取り式便所も現存しています。

都心部と違い地方における昭和30〜40年代の市営住宅は、例えば以前訪れた千葉の国府関団地のような木造平屋建てのタイプも多く存在しました。しかし佐野市の市営住宅はここよりさらに北の、新吉水町に平屋建て市営住宅が存在するのみ。

あとは社宅と言う可能性。もしそうだとしても近隣に工業地帯があるわけでもなく、だとすると北に位置する葛生の鉱山地帯で働く人々の社宅である可能性です。この物件などはトイレから換気筒が伸びており、もしかしたら汲み取り式のままかも知れません。

葛生には明治6年(1873)、吉澤石灰工業が石灰の採掘を始め、後にドロマイト鉱も採掘されるようになり、戦後の昭和26年(1951)には日鉄鉱業羽鶴事業所も開設されています。

しかし葛生の鉱山までは北に10キロ弱。明治22年すでに東武佐野線の前身である馬車鉄道も開通していましたが、高度成長期と言え鉱山住宅をこんな離れた場所に建てるとも考えにくい。そもそも葛生の石灰産業は後の奥多摩や秩父に押されて衰退しています。

この辺りは他に目立った産業も無く、北関東でよく見られる毛織物産業も特に発展しなかったようです。

これらの貸家は間取りから言って高度成長期以降の核家族向けと思われます。周囲に多く建つ二階建て住宅と明らかに家族構成が違います。

つまりこれらの貸家にはさらに地方から移住して来た人々が暮らしていたのではと想像出来ます。

では彼らは何を生業としていたのか。もちろん都心までは通えませんし、佐野市にそんな雇用があるとも考えにくい。

と、ダラダラと検証と想像を巡らせて来ましたが、もう貸家地帯の撮影も飽きて来た。

これまで掲載して来た写真は全て別の建物群です。今回巡った所だけでも18箇所あります。

解体されて一軒しか残っていない場所はパスして来たので、本当にこの街は貸家だらけなのです。

一通り回ったところで佐野ラーメン。葛生から佐野市内に抜ける東産業道路沿いの匠屋さんに入りました。

佐野ラーメンって普通の醤油ラーメンだしな、と、たかを括っていたら、これがまた美味い!

ラーメン屋さんの向かいには道の駅があり、その裏手に温泉スタンドなる物があります。

源泉名は田沼温泉。無料ですが一人一回400リットルまで。一般的な浴槽で約200リットルなので充分ですね。

温泉と言っても源泉温度25度の弱アルカリ性単純温泉。浴槽に入れて追い焚きするわけですね。

道の駅「どまんなかたぬま」には足湯が併設されています。田沼温泉は温泉スタンドとこの足湯しかありません。少し南に行った所に日帰り入浴施設「やすらぎの湯」もありますが、そこは栃木県那珂川町からタンクローリーで運んで来た温泉を使っています。

足湯で疲れを癒します。消毒の塩素臭がキツいですがお湯は多少のヌメリ感もあり、浴後は足の裏が多少ピリピリするくらい、なかなかの力強さを感じました。


















































活気があった頃は24時間3交代で車通勤、あるいはバイク(カブ)とかでの通勤もあったでしょう(雨の日は全身用の合羽を着て)
東武の優等列車(快速や、元特急の旧形車も含む)に乗ると、昔はトイレの脇に全線路線図が出てて、なぜか貨物専用線まで書いてあり、葛生からさらに先に会沢線・大叶線というのがありました(それに、記事中に登場する日鉄鉱業羽鶴への専用線もあった)
それだけの規模なら、それを当てこんだ住宅としても過剰でもないのでは?
東武の貨物列車は、どんなにコスト削減しても黒字にならない見込みとかで、かなり大規模だったのに2000年代初めくらいに全廃されました。当時「エコじゃないなぁ」と思ったものですが、民間会社に赤字でも続けろ!とは、言えないですからね。
それ以降、この地域がさびれた印象があるのですが、もっともそれだけでなく並行してセメント会社は合併でかなり整理されたので、それもあるのかも。
秩父セメントが1994年に小野田セメントと合併し、さらに日本セメントとも一緒になった今の会社が太平洋セメントですね。
結果なにが起きたかというと、セメントは軽くて容積をくうので船での輸送が一番コストが低いことから、海沿いの工場を優先して稼働させ、逆に旧秩父セメントの工場は内陸部にあるため最低限の規模に…とばっちりを受けたのが秩父鉄道の貨物列車で、今は武甲山最寄駅の影森から熊谷市内の工場までの石灰石輸送しかしてないそう。そう言えば、「チチブセメント」と書いた貨車をJR線で見なくなりましたね。