実のところゴールデンウィーク中に訪れた際、行き損ねた場所があったので、2回に渡り訪れました。なので天気が快晴だったり曇りだったりしています。
茨城県笠間市(1)、人車軌道と花街と廃墟ホテル
茨城県笠間市(3)、廃映画館の昭和館跡
茨城県笠間市(4)、寂れたラブホ街と廃車両群

さて、再びJR水戸線笠間駅から。閑散とした駅前左手にある旅館の裏手に回ると、駅前横丁と言う看板が目に入ります。

まさかここを入るのかと不安になるほどの狭い路地を進んで行くと、かつての路地裏飲食店街が姿を現します。

しかしそこは既に廃墟。生き残っている店が一軒も無いゴーストタウンでした。

建物と建物の間にはこのような通路があり、下へ降りれるようになっています。つまり平屋建てかと思った建物は全て二階建てでした。

まず水戸線の駅に降りると言う発想がマイナー過ぎてそもそもありませんでした。とは言え水戸線の前身である水戸鉄道は明治22年(1889)に開業しており、茨城県内でも古くから発展しております。特産品は北西に位置する益子と同じく陶器の笠間焼。あとは栗、菊、梅。

こちらも建物と建物の間。よく見るとスロープになっており、下の階には左右に扉が有ります。恐らく倉庫などに使われており、そのため台車で降りれるようになっているのではないかと想像できます。

一番奥から振り返ったところ。たった4軒しかありません。

一番奥の下へ降りるスロープ。もしかしたら住居として使われた事もあるのかも知れません。

裏手に回るとこんな感じ。

半地下状態になっており、各戸窓がひとつだけあります。

今でこそ駅前及び稲荷神社までの沿道は閑散としていますが、かつてはもっと賑やかだったのでしょう。

商店街としての賑わいも有ったかも知れませんが、笠間稲荷の北西近くにイオン笠間店が出来た事で衰退して行きました。車社会の現代、駐車場完備は必須です。

さて笠間稲荷神社の手前、写真右脇の路地を入って行きます。

奥に進むとバラック飲み屋街が姿を現します。

地元の観光産業に携わっている人々が飲みに来るのでしょうか。かつては泊まりがけの観光客も訪れていたかも知れません。

結構新しい感じの店もあり、現役である事が伺えます。

裏に廻ればこんな感じ。バラック感がいいです。

その裏手にはスナック街がありました。

かつては路地裏スナック街の雰囲気があったであろうと思われますが、だいぶ解体されてしまってます。

今度は笠間稲荷神社の裏手をぐるっと回っていきましょう。周辺にもスナックの跡が点在していますが、営業されている店は無さそう。

スナック街と言うほどではありませんが、稲荷神社が街の中心である事が分かります。

右手には廃墟化したお屋敷。

すでに廃墟化していますがお寿司屋さんも。現在賑わっているのは門前のみのようです。
更に続きます。
茨城県笠間市(1)、人車軌道と花街と廃墟ホテル
茨城県笠間市(3)、廃映画館の昭和館跡
茨城県笠間市(4)、寂れたラブホ街と廃車両群

さて、再びJR水戸線笠間駅から。閑散とした駅前左手にある旅館の裏手に回ると、駅前横丁と言う看板が目に入ります。

まさかここを入るのかと不安になるほどの狭い路地を進んで行くと、かつての路地裏飲食店街が姿を現します。

しかしそこは既に廃墟。生き残っている店が一軒も無いゴーストタウンでした。

建物と建物の間にはこのような通路があり、下へ降りれるようになっています。つまり平屋建てかと思った建物は全て二階建てでした。

まず水戸線の駅に降りると言う発想がマイナー過ぎてそもそもありませんでした。とは言え水戸線の前身である水戸鉄道は明治22年(1889)に開業しており、茨城県内でも古くから発展しております。特産品は北西に位置する益子と同じく陶器の笠間焼。あとは栗、菊、梅。

こちらも建物と建物の間。よく見るとスロープになっており、下の階には左右に扉が有ります。恐らく倉庫などに使われており、そのため台車で降りれるようになっているのではないかと想像できます。

一番奥から振り返ったところ。たった4軒しかありません。

一番奥の下へ降りるスロープ。もしかしたら住居として使われた事もあるのかも知れません。

裏手に回るとこんな感じ。

半地下状態になっており、各戸窓がひとつだけあります。

今でこそ駅前及び稲荷神社までの沿道は閑散としていますが、かつてはもっと賑やかだったのでしょう。

商店街としての賑わいも有ったかも知れませんが、笠間稲荷の北西近くにイオン笠間店が出来た事で衰退して行きました。車社会の現代、駐車場完備は必須です。

さて笠間稲荷神社の手前、写真右脇の路地を入って行きます。

奥に進むとバラック飲み屋街が姿を現します。

地元の観光産業に携わっている人々が飲みに来るのでしょうか。かつては泊まりがけの観光客も訪れていたかも知れません。

結構新しい感じの店もあり、現役である事が伺えます。

裏に廻ればこんな感じ。バラック感がいいです。

その裏手にはスナック街がありました。

かつては路地裏スナック街の雰囲気があったであろうと思われますが、だいぶ解体されてしまってます。

今度は笠間稲荷神社の裏手をぐるっと回っていきましょう。周辺にもスナックの跡が点在していますが、営業されている店は無さそう。

スナック街と言うほどではありませんが、稲荷神社が街の中心である事が分かります。

右手には廃墟化したお屋敷。

すでに廃墟化していますがお寿司屋さんも。現在賑わっているのは門前のみのようです。
更に続きます。


















































鉄道建設はお金がかかるため、創成期は先に開業した路線から分岐させる形で建設して、目的地までの距離を短くしていました。
(小山に東北本線の前身の日本鉄道が来てたので、そこから建設すれば日暮里からより短く済んだ)
西武線の本川越も、最初は国分寺駅からの国分寺線ルートが先ですし、関西では近鉄道明寺線がそうですね。
また気になってしまったので書きますが、益子は笠間より西ですよね。
笠間より西にある下館から、真岡鉄道で北上するのですから…ちなみに益子は栃木県ですし。
(念のため地図で確認したら、水戸線岩瀬からほぼ真北に益子があり、真岡から真北に行くと来年LRTが来る芳賀ですね。栃木県東部はわかりにくい)