連日の猛暑日が少し落ち着いたところで、暇も出来たし久々に都内を散歩して見ました。

スタート地点は三田、慶應義塾大学より。慶應義塾大学塾監局。震災後の1926年竣工。

慶應義塾の前の大通りを東京タワーに向かって歩き、芝三丁目辺りで右手に春日旅館があります。

この裏口が渋い。開業は明治44年。建物は大空襲で焼失しましたが戦後に再建。

出張で来られるビジネスマンや慶應義塾に関係する人々が利用されているそうです。

その裏手にある伊藤酒店。ここは角打ちもやっているようです。また遅い時間にでも飲みに来たい。

この芝三丁目界隈は開発の手が及んでなく、古い建物が意外と多く残っています。

さて、JR田町駅を越えて芝浦方面へ。かつての花街だった芝浦一丁目界隈に唯一現存する見番跡、旧協労会館。

実は2018年11月に訪れた際、改修工事中でショックを受けた物件です。一度骨組みだけにして、建物全体をリフトアップし、基礎を作り直したそうです。その際、8メートルほど手前に動かしたとか。とんでもない大工事です。

現在、改修工事も完了し、港区立伝統文化交流館として無料で公開されています。この建物は昭和11年に芝浦花柳界の見番として建設され、戦後は港湾労働者宿泊所の協労会館として利用されました。しかし1999年、両隣の棟が火事で焼失し、以来ネットで覆われ立ち入り禁止となっていたそうです。

館内では芝浦花街の歴史に関する貴重な資料が数多く展示されています。

展示物は撮影禁止ですが建物はいくら撮影してもいいとの事。

一階は展示室。二階にも上がれます。2009年に東京都から港区へ譲渡され、その際港区指定有形文化財に指定されますが暫く放置。文化財指定したために壊すに壊せず、その間周辺はみるみる再開発が進み、厄介者として取り残されていた状態でした。

二階は見番だった頃の芸妓さんたちの稽古場。

舞台は当時のまま。芝浦の花街は明治35年頃から発展し、大正9年には埋め立てによって出来た現在の位置に移転。当時は料亭65軒、置き屋55軒、芸妓175名が居たそうです。

しかし戦後衰退して行き昭和38年には三業組合が解散。現在ではこの見番跡以外、当時の面影を感じさせる物は一切ありません。


何が凄いって、使える材料は極力使い、腐った材料のみを新たに造り直している事。

腐った柱だか梁だかが残されています。この建物の再建には細部に渡って多くの職人技が使われています。その意匠を見るだけでも充分見応えがありました。

さて、再び線路を越えて内陸側へ抜け、北上して行きます。途中、屋形船の船溜りが首都高の下に残っています。

お隣、浜松町駅から増上寺方面へ。途中右手に入ったところに芝大神宮がありますが、その鳥居前の右手に芝神明という花街がありました。

この界隈は大正末期から昭和初期が最盛期だったそうです。

この建物も「コ」の字型になっており、敷地面積は広いです。

この建物が見番跡ではないかと言われています。芝浦見番を見て来た後だと、この有り様はどうかと思う。

かつては料亭や待合が約40軒ほど。芸者は120名ほど居たそうです。

その面影を残すのも数軒のみ。周辺は再開発が進み、逆によくぞ残っていると思います。

最後は新橋まで歩きました。JRの変電所が開発された街とエグいコントラスト。大正時代の建物との情報はありますが、詳細は不明。

スタート地点は三田、慶應義塾大学より。慶應義塾大学塾監局。震災後の1926年竣工。

慶應義塾の前の大通りを東京タワーに向かって歩き、芝三丁目辺りで右手に春日旅館があります。

この裏口が渋い。開業は明治44年。建物は大空襲で焼失しましたが戦後に再建。

出張で来られるビジネスマンや慶應義塾に関係する人々が利用されているそうです。

その裏手にある伊藤酒店。ここは角打ちもやっているようです。また遅い時間にでも飲みに来たい。

この芝三丁目界隈は開発の手が及んでなく、古い建物が意外と多く残っています。

さて、JR田町駅を越えて芝浦方面へ。かつての花街だった芝浦一丁目界隈に唯一現存する見番跡、旧協労会館。

実は2018年11月に訪れた際、改修工事中でショックを受けた物件です。一度骨組みだけにして、建物全体をリフトアップし、基礎を作り直したそうです。その際、8メートルほど手前に動かしたとか。とんでもない大工事です。

現在、改修工事も完了し、港区立伝統文化交流館として無料で公開されています。この建物は昭和11年に芝浦花柳界の見番として建設され、戦後は港湾労働者宿泊所の協労会館として利用されました。しかし1999年、両隣の棟が火事で焼失し、以来ネットで覆われ立ち入り禁止となっていたそうです。

館内では芝浦花街の歴史に関する貴重な資料が数多く展示されています。

展示物は撮影禁止ですが建物はいくら撮影してもいいとの事。

一階は展示室。二階にも上がれます。2009年に東京都から港区へ譲渡され、その際港区指定有形文化財に指定されますが暫く放置。文化財指定したために壊すに壊せず、その間周辺はみるみる再開発が進み、厄介者として取り残されていた状態でした。

二階は見番だった頃の芸妓さんたちの稽古場。

舞台は当時のまま。芝浦の花街は明治35年頃から発展し、大正9年には埋め立てによって出来た現在の位置に移転。当時は料亭65軒、置き屋55軒、芸妓175名が居たそうです。

しかし戦後衰退して行き昭和38年には三業組合が解散。現在ではこの見番跡以外、当時の面影を感じさせる物は一切ありません。


何が凄いって、使える材料は極力使い、腐った材料のみを新たに造り直している事。

腐った柱だか梁だかが残されています。この建物の再建には細部に渡って多くの職人技が使われています。その意匠を見るだけでも充分見応えがありました。

さて、再び線路を越えて内陸側へ抜け、北上して行きます。途中、屋形船の船溜りが首都高の下に残っています。

お隣、浜松町駅から増上寺方面へ。途中右手に入ったところに芝大神宮がありますが、その鳥居前の右手に芝神明という花街がありました。

この界隈は大正末期から昭和初期が最盛期だったそうです。

この建物も「コ」の字型になっており、敷地面積は広いです。

この建物が見番跡ではないかと言われています。芝浦見番を見て来た後だと、この有り様はどうかと思う。

かつては料亭や待合が約40軒ほど。芸者は120名ほど居たそうです。

その面影を残すのも数軒のみ。周辺は再開発が進み、逆によくぞ残っていると思います。

最後は新橋まで歩きました。JRの変電所が開発された街とエグいコントラスト。大正時代の建物との情報はありますが、詳細は不明。

















































